2011年04月11日

かつて福島はキリスト教国だった!

3.11の春も桜満開.jpg

桜が満開である。枝を伸ばして見事に咲いている。

私は今年の春ほど桜がこんなに美しいものであると感じたことはなかったように思う。桜が語りかけてくる。

東日本大震災から1か月、死者行方不明者は2万7000人を超え、約15万人もの人が今も避難生活をされている。原発事故は深刻さを増すばかりで、強い地震も今も絶え間なく起こっている。

遠く離れた関西に住む私でも気が滅入りそうになるから、被災県の方々のことを思うと言葉が出ない。お励ましになればと思って、昨日「クリスチャン地震被災状況」に掲載された記事をご紹介したい。

もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、福島県クリスチャンへの励みになればと思って投稿しました。今日の説教の一部です。

福島県を福島と名づけたのは、一説によるとクリスチャン大名の蒲生氏郷(がもううじさと)といわれています。

蒲生氏は高山右近の影響で信仰を持ち、洗礼を受けました。幼少時代は織田信長の人質でした。

しかし、あとで信長に腕を買われて頭角を現してきた時に、本能寺の変がおき、豊臣秀吉に煙たがられ、東北に飛ばされてしまいました。
蒲生氏は秀吉ににらまれ、これで自分の人生は終わりか、都から遠く離れたみちのくで朽ち果てるのかと涙しました。

しかし、気を取り直し、神がこの地に私を選び、私を召して下さったのだと気持ちを切り替えました。神が私をこの地に呼んで下さったのには、何か訳があるに違いない、そう考えました。

毎朝、山に登って、「神よ、願わくばこの地の民を祝福して下さい、この地を呪われた地ではなく、見捨てられた地でもなく、神の恵みで覆って下さい」と祈りました。

そして出来るだけおめでたい名前にしたいという気持ちから、この地を「福島」と名前を変えました。

そこで一生懸命祈り、神の愛を届け、下級武士の生活の面倒を見ていました。福島には一時、藩の人口の3分の1が洗礼を受けてクリスチャンになり、教会も建てられた有数のキリスト教王国だったことはあまり知られていません。

蒲生氏がなぜ「福島」と名づけたのかは知る由もありませんが、私には「福音(ふくいん)の島」という響きに聞こえます。

地震、津波、原発、風評被害と大変な四重苦の中にある、福島の方々の苦しみを思うと言葉もありませんが、福島には先人のクリスチャンの祈りが積み重ねられていることに感動を覚えています。私も祈り続けます。

これを読みながら野崎キリスト教会の神田宏大(ひろお)牧師のことを思った。野崎観音がキリシタンの寺であったことを発見された方だ。

1600年頃、堺と京都の中継地である河内の高野街道から堺まで、1人の異教徒もいなくなったと言われるほど一気にキリシタンの聖地になった。福島県の話も同じ頃のことだ。

「河内キリシタンと呼ばれる信仰の先輩たちが私たちと同じ地域で、イエス様と出会い、イエス様を伝え、良きあかしをされた記録を調べながら、私自身が恵まれました。」

神田牧師もきっとクリスチャン大名の蒲生氏郷(がもううじさと)のこともご存知であろう。

クリスチャンはどんな時も神を信じ、希望を持ち続ける民だ。
私は何もできないけれど、神さまからの励ましのメッセージを見つけてはご紹介させて頂こう。私達一人ひとりの心に希望を与えて下さるように祈りつつ刻もう。

posted by 優子 at 22:30| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

人間の偉大と悲惨、そして、希望!

昨年の今頃は宮崎県で口蹄疫が確認され、その後感染拡大で大変なことになっていった。
あの時、私は初めて「殺処分」という耳慣れない言葉に驚き、今年は「除染」という言葉に動揺した。それぞれに共通しているのは「立入禁止」区域があることで、原発事故は最悪の危機だ。

人間はこれまで大きな進歩を遂げてきたが、それに付随して多くの問題も生み出してきた。
利点という円の円周が大きくなった分だけ困った問題(面積)も増大し、ついに放射能が人間に牙を向いた。

人間の偉大と悲惨、その一線を画するのは科学万能主義の傲慢さだ。

池上顕氏は『Newsweek』最新のコラムで「『正しく恐れる』ことのむずかしさ」を書いておられるが、その意味合いは違えども、何にも先立って真に畏れるべき方を畏れない人間の傲慢さはタイトルそのままだ。

災害が起こって明日で4週間、原発事故が発生してから多くの人々が不眠不休で頑張って下さっているのに未だ危機から脱していない。

広島と長崎を経験し世界で唯一の被爆国の日本にこのようなことが起こり、日本は何という数奇な国なのだろうか。私はその意味を考えずにはおられない。

ここ数日間、原発事故の経過が心配でならず少々落ち込んでいたが、国内外の献身的な人々の働きに励まされ、神のご臨在とご計画を感じさせられて神による希望に目を向けさせてくれた。

私は直接人々を助ける活動に関わることをさせて頂いていないが、私もまた自分の時間や能力、体力や支援金など、神さまから与えられているものを「惜しみなく」与える人になりたい。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

それでも春が来ていた

緊急支援募金のお願い:
私達夫婦は娘たちの自立を機に、2006年12月よりマラウィ共和国(アフリカ)の女の子のチャイルド・スポンサーをさせて頂いています。

このたびワールド・ビジョン・ジャパンの東日本大震災緊急支援募金のリンク協力をさせて頂くことになりました。

ワールド・ビジョンの支援活動をご覧下さり、募金のご協力をよろしくお願い申し上げます。

いつの時代にも多くの苦難があり、先人たちは苦難と闘ってきた。
このたびは一瞬にして何もかも根こそぎ奪い去られた上に原発事故が起こった。

今日は3号機の復旧作業に当たっていた男性作業員3人が被爆したというニュースが飛び込んできて涙が溢れた。

未曾有の大惨事だ。
この先どうなっていくのだろう。
悲惨としか言いようのない出来事に心が萎えそうになるが、何が起きても神への信仰に立ち、神を信頼し確かなる希望に目を向けよう。

関西ではこの惨状からは信じられないような今までと変わりない生活が許されているが、誰もが節電に心がけている。

きっと日本中の人が電気も水もガスも全てが当たり前ではないことを思い知り、生活そのものが変わってくのではないかと思う。そうでなければならない。

朝は氷点下の寒さだがウグイスがさえずり、毎年わが街で一番に咲く桜がすでに満開になっていた。

それでも桜は咲いた.jpg

根こそぎ奪い取られた東北の大地に、再び美しい四季が訪れるのはいつだろう。被災された方々のことを想いながら私はいつまでも桜の花を見つめていた。

ベランダのチューリップもいつのまにか蕾をのぞかせていた。
蕾が顔を出していた.jpg
こんなに悲しい年でも春は来ていた。
それでも春が来た。

「この世は苦難に満ちています
     しかし
     それに勝ちうる力を与えられる神も
     またおいでです。」
        
             
             (ヘレン・ケラー)
     
     「今まで起こった全ての問題は
      神のゆるしなくしては起こらない。
      そうである以上
      神がきっと何かの考えをもっておられるのだ。」
             

             (チャプレン マーリン・キャロザース)

絶望してはいけない。
神さまが最善をなして下さることを信じ、被爆された方々の癒しと、原発で作業して下さっている方々の安全と無事を切に祈ろう。

posted by 優子 at 22:21| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

宇野さん 3キロ全盲男子の部で第2位!

昨日の第28回視覚障害者京都マラソン大会の3キロ全盲男子の部で、宇野繁博さんが第2位でゴールされた!伴走して下さった方は洛南高校陸上部のK君だ。

私はあまりに感動して次女に宇野さんの写真を転送したら、
「宇野さんすごいね!輝いているね。
どんな試練があろうとも、イエス様と一緒に歩んでいけば喜びある人生に変えてくださるね。」
との返信で感動が倍になった。

絶望の人生から神と出会って生きる意味と目的を与えられた宇野繁博さん。
宇野さんはひたすら主イエスを見上げ、神は宇野さんに助け人を送りながら神の大いなる働き人として用いておられる。

今日の午後は彦根市立中央中学校に招かれて、1年生の約180名の方々を前に「いつも喜んで」と題して約1時間のメッセージと約15分のサックス演奏を行われるそうだ。
今日も神のお守りの中で尊いお働きをなさることだろう。

posted by 優子 at 12:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

「主よ!」

14日午後の吹雪は一瞬にして銀世界に変えた。
今回の雪は簡単に姿を消したが、それでも日の当たらない所の雪は今も残っている。

再び銀世界に@.jpg

『わがままな大男』の世界に入ってしまいそうな雪景色だ。
この日は大事をとって会社に自動車を置いて帰ったので、翌日(15日)は電車で出社した。

その翌朝は電車で.jpg

私はふたりを見送ったあと、7時半頃までベッドの中でラジオを聞いていた。今年になってからずっとそうだ。

以前は孫が寝ている間にと早朝から頑張っていた時もあったが、高血圧になってからできなくなってしまった。

夫への申し訳なさと挫折感に苛(さいな)まれつつも、朝は最も体調が悪いので冬場はどうしようもない。体調が悪いと気持ちもダウンする。

今もT君のことが嘘のように感じたり、私もあそこまで頑張らねばと思ったり、・・・否定的な気持ちになりやすい。死別の悲しみだけではなく、自らの死を実感し始めたからだろうか。

叔母にはカウンセリングで学んだことを思い出して、叔母が悲しみの感情を吐き出せるようにと関わるが気持ちは重い。

若い頃は誰しも獲得の人生であり上昇・拡大思考で生きるが、私達の年代になると自然に方向転換になる。
獲得するのではなく手放していくのであり、最も大切なもののためにそぎ落としていく生き方だ。

残された時間はそれほど多くはなく、これまでの人生を振り返って自己確認したい年代であり、「時間の持つ豊かさ」を味わう年代でもある。


幼な子との生活は明るくていいが、独りになる時間、誰とも喋らなくてもいい独りになれる場所がほしい。

今朝の最低気温はマイナス4度で、チャッピーの水を変えてやろうとしたらホースの水が一部凍っていたので、水と一緒に何度も氷の塊が飛び出てきた。
しかし、今日は冬晴れで室内は20度以上になってポカポカだった。

そして、明日はもう雨だ。春の雨になるそうだ。
今はずっと冬の世界に閉じこもっていたい心境だ。

しかし、目を注げる方がおられるのは何という安らぎであろうか。

「主よ!」


posted by 優子 at 23:05| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

死に対する備え

23日は熱も下がっていたが礼拝は知子だけ出席し、マスクを二重にして奏楽のご奉仕を務めた。
私達は今心配ごとを抱えているので無理をして風邪をこじらせるわけにはいかず、夫も日々の業務に疲れているのでゆっくり休養してもらった。

今日は少し食欲が戻ってきたが、大好物のフィナンシェにもまだ手が出ない。ありがたいことに体重が2、5キロダウンしたので、これを機に減量に取り組もうと思う。

10日からの腰と股関節の痛みに続いて19日からは風邪のために、今年になって最低の家事しかできていない。おかげで手の業を休めて「静まる」ことの大切さを思い出させてくれた。

12日の記事で今年の抱負を「断捨離(だんしゃり)」と書いたが、「心の断捨離」はイエス・キリストがしてくださることに気づかされた。

現代は忙しくしていないといけないような時代であるが、活発に活動し、多くのことに忙しく関わり続けると霊的枯渇状態になる。それは信仰生活においても例外ではない。

私は静まりの日々にあって日本人の死生観を考え続けている。
日本人は自分や家族の死が目の前に迫っても、最後まで死を受容できない、しないのだろうか。
肉体の苦痛除去は求めても、精神的苦痛を取り除く必要を感じないのだろうか。つまり、死ねば何処へ行き、どうなるのだろうという人間の根源的な怖れはないのだろうか。

死の問題の解決なく死を迎える人が多いように思う。
きっと諦めの境地なのだろう。

しかし私に言わせれば、そんなままで死に呑み込まれても恐怖ではないのか、平気なのか?!私ならそんなことはとてもできない!

私たちは自分の罪のために滅びゆく運命にあるが、私たちの罪のために十字架上で死んで下さり、死に打ち勝ってよみがえって下さったイエス・キリストがおられるのだ。
このことを信じる者には死をも越えて行く平安が与えられる。

やはり、全ての人に真理が明らかにされるのは死後であって、死が迫っても求めずしては解らせて下さるわけではないのだ。

しかし、死後に救いはない。
救いのチャンスは生きている間だけだから、私は最後まであきらめないで祈り続けたい。
死んでしまえば神の権限の中に入ってしまい、もはや私たちがその人のために祈っても何の役にも立たず、何もしてやれないからだ。

どうかT君に心の中で「イエスさま、イエスさま」と御名を呼ばせて下さっていますように! 

私は諦めずに最後まで祈り続ける。



posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

風邪でダウン

知子が17日帰宅時から喉がかゆいと咳き込み、加湿器なしで暖房をつけっぱなしにしているせいだと思っていたら風邪だった。19日には38度発熱。しかし、会社は休むことなくマスクをして出社している。

18日夜から私のベッドでユキとキュウキュウになって寝ているが、私も19日夜から風邪気味で時間の経過と共に悪くなった。今は38度ある。熱が上りきったので悪寒もなくなり楽になった。今のところユキにうつっていない。

頼りは夫のみ。
帰宅してからも夕方(夜)のチャッピーの散歩、ユキのお風呂と大変だ。ユキと夫にうつらなければいいが、ちょっと熱が出てもこのしんどさだから重い病気の人はどんなだろう。私も耐えられるか?しんどいので感性も霊性も弱ってしまった。

23日の午後は『ぞうれっしゃがやってきた』の合唱を聞きに行くことになっているか。楽しみにしているが行けるかどうかわからない。

19時10分追記:

「イエッしゃま、試みにあわせず、寝てる時も、会社に行くときも、お仕事している時も、おばあちゃんがパカションしているときも、いつも一緒にいてください。

目の見えない人も、歩けない人も治して下さい。
おばあちゃんがこのご飯を作ってくれたことを感謝します。」


今夜のユキの食前の祈りだった。

知子は受診するために今しがた家を出た。


posted by 優子 at 17:31| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

今年は本気で生活改善だ!

寒さのせいだろうか、10日はギックリ腰かと思うほど強い腰痛になって午後はずっと横になっていた。メールチェックは寝転んでお腹の上にパソコンを置いてしていた。

昨日は少し楽になって痛みの出所がわかった。やはり左の股関節からきているようだ。
39歳の時に両股関節共にカブリが浅いとわかり、特に左側は常に痛みを感じるようになった。

2004年だったと思うが、暖かい季節になっても痛みが消えなかったので本気になって体重を落とす努力をした。以来3年間ほどは50〜51キロ位を保っていたが、再び55〜56キロになってしまって調子が悪い。

何よりも減量が大事だとわかっていても食欲に勝てない。
何かの病気が原因かもしれないと心配なくせに、意志が弱くて生活習慣を改善できないのは情けない限りだ。
食べたくても食べられない病気の人もおられるのにと、昨日から少々本気になり始めている。

牧師が9日の説教で触れられた『脱・三日ぼうず! 続かない女のための続ける技術』も参考になるだろう。
これは行動科学をいかに自分の生活に組み込んでいくかという内容らしい。ということは行動の選択肢が要になる。何れにしても本人が本気かどうかなのだ。

かつては精神が溌剌としている時は食欲を制御できていたが、ここ数年前からはそのような時でも食欲旺盛で困る。

2004年は遠藤周作の著述と重なって減量が本物になっていったと記憶している。
※ 過去ログ・2006年9月3日から9日まで(カテゴリ・「掲載文(神・文学)」)掲載した「遠藤周作が世に問うたことと聖書的視点からの問題点  (『海と毒薬』、『悲しみの歌』より)」

今では長時間座ることもできなくなってしまったので、食事を忘れてまで集中するというわけにはいかないが、生活改善への欲求は本気になりつつある。

ちなみに、今年の抱負は「なだれ落ちるほど物を積まない。整理と『断捨離』」。
「断捨離」とは、「不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというもの」だ。
高脂血症や高血圧の薬も「断捨離」だ!

posted by 優子 at 09:25| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

主の御名を呼び求めさせて下さい

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
 わざわいを恐れません。
 あなたがわたしと共におられるからです」。


「われわれには今日、どんな喜びが
 訪れるか知る由(よし)もない。
 どんな悲しみや誘惑が
 われわれの行く道で待っているかも知れぬ。

 しかし確かなのは、
 良きにつけ悪しきにつけ
 神の恩寵が、常にわれらを助け
 聖なるみ旨を行うために助けをおくられること」。


今こそあの方がイエスさまを呼び求めることができますように。そのために私を祈りをもって寄り添わせて下さい。

主よ、どうかあの方を救い出して下さい。
死の孤独と苦しみの中、
どうか主の御名を呼び求めさせて下さいますように。
ひいらぎ.gif今年のクリスマスの祈りです。
posted by 優子 at 15:50| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

香芝ゴスペル・キャロリングの引継ぎ終える

クリスマス礼拝の今日、教会のアドベントクランツ(ろうそく)は赤色に替わっていた。
初めに4本のクランツに灯がともされ、前奏曲と共に厳粛なクリスマス礼拝へと導かれていった。

一同で讃美歌を歌い、牧師の説教、私と娘の転入会、洗礼式、聖餐式と、何もかも厳かに進められ感極まった。礼拝後の入会者歓迎会兼クリスマス祝会においても豊かに豊かに祝された。

神さまは妹夫婦も招いて下さり、義弟は礼拝だけで帰宅したが妹は祝会も共に過ごし笑顔で帰って行った。厳粛なる転入会や洗礼式に妹夫婦をお導き下さったことは神さまの御心だと思った。

今日はあまりに喜び疲れたので後日記したい。
昨日受診したところ、降圧剤が2倍量になったが未だ血圧はうまくコントロールされないが、今夜は近隣のイルミネーション宅でキャロリングがあるので出かけた。

というのは、昨春まで通っていた教会の方々によるキャロリングで、その教会を転出したのを機に、来年度からは直接コンタクトをとって頂けるように担当者への引継ぎを終えたかったからだ。

教会は違っても神さまのため、責任感のある方が引き継いで下さったので安堵した。

今年は珍しく富田林の教会とジョーイントで30名ほど来られていただろうか、その中に初めてキャロリングに参加されたM兄(きょうだい)が居られた。

私のことを祈りに覚えて下さっていて、「お会いできたのは聖霊さまのお導きだ」と喜んで下さった。M兄とは2年ぶりの再会で、今も知子の結婚記念誌を持っていて下さり知子によろしくと仰ったので、そばにいた知子を呼び寄せた。知子は面識がなかったようだった。

私たちの消息をお伝えし、今日発行された教会報に知子の新しい出発が記してあるのでお渡ししたのだった。

M兄が実家へ帰られた時に集われる東大阪教会の井置牧師は、完全に引退されて故郷へ帰られたことをお聞きした。

井置牧師は、有名な讃美歌「ああ主のひとみ」を作詞された方で、我が家の家庭集会(オリーブの会)においで頂いたこともあったが、昨年から人生の一大事に余裕がなくなりご無沙汰したままだった。そのことを書き始めると長くなるのでこれでとどめたい。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

クリスマスへのご招待

はや、今年も一年の最終月に入った。
今夜神戸ルミナリエが点灯し、冬を彩るイルミネーションはすっかり冬の風物詩になった。

我が家近くの吉田さん宅のイルミネーションも今年は28日(日)から始まった。毎年バージョンアップされており、今年も既にどこかのテレビ局で放送されたらしく、朝日放送も取材に来たという。

今日は日が暮れても非常に暖かかったので、私も孫と娘と一緒に点灯の瞬間を見に行った。
夕方5時半近くになると子供たちが集まってくる。
上から見たいので吉田さん宅の前を急いでいたら、「上に着くまで待っていますから!」とお嫁さんが声をかけて下さった。

カウントダウンではユキも大きな声で数を数えた!
「5・4・3・2・1」 点灯!
2010.吉田邸イルミネーション@.jpg

実際はこのような淋しい色合いではなく真昼のように明るい。

2010.吉田邸イルミネーションA.jpg


2010.吉田邸イルミネーションB.jpg


2010.吉田邸イルミネーションC.jpg


「今年もキャロリングに来て下さい」と、ご主人の方から声をかけて下さった。昨春まで通っていた教会の有志が集まって、このテラスに立って15分間ほどキャロリングをさせて頂いている。

初回は2003年で、その後中断して2006年から再開して5回を重ねている。2008年には読売テレビの夕方の「アンカー」で私達もチラッと映して頂いた。

このたびその教会を転出するにあたりリーダーの人に念入りにお願いしておいたが、覚えて下さっているか心もとない。

「主よ地境を広げて下さい!地元に神様の祝福が流れていきますように!」と、これからも背後で祈り続けよう。

では今年もこの時期にふさわしい私の大好きなクリスマス・カードを開きたい。2年前にスーさんが送って下さった、実にアメリカらしいカードである。

この記事の最後にアドレスをご紹介し、何度も開いて頂けるように、この時期限定で画面右側にある「お気に入りリンク」に提示することにした。

アドレスをクリックすると讃美歌114番が流れる。アメリカが生んだ最も美しい代表的なクリスマス讃美歌、私の最も大好きなクリスマスの讃美歌である。

カードに書かれたメッセージの要約は次のような内容だ。過去ログ・2008年12月18日より転載した。

 You are cordially invited to A BIRTHDAY CELEBRATION!!!

Guest of Honor: Jesus Christ

Date: Every day. Traditionally, December 25 but He's always around, so the date is flexible...

Time: Whenever you're ready.
(Please don't be late, though, or you'll miss out on all the fun!)

Place: In your heart.... He'll meet you there.
(You'll hear Him knock.)

誕生日の祝賀に是非出席してください!!!

主賓: イエス・キリスト

日付: 毎日。 伝統的には12月25日。
しかし、彼はいつも私達と共にいるので、期日はフレキシブルです…

時間: あなたが準備ができているときはいつでも。
(でも遅れないでくださいね。でないと、あなたはすべての楽しみを失うでしょう!)

場所: あなたの心で… 彼はそこであなたに会うでしょう。
(あなたは、彼がノックするのを聞くでしょう。)


Attire: Come as you are... grubbies are okay.
He'll be washing our clothes anyway. He said something about new white robes and crowns for everyone who stays till the last.

服装:いつもの服装でOKです。彼は終わりまで滞在する方々のために、新しい白いローブと王冠について何か言いました。
(でいいかな?私の英語力ではテキトウに理解するしかないです)


Tickets: Admission is free. He's already paid for everyone...
(It cost Him everything He had. But you do need to accept the ticket!!)

チケット: 入場は無料です。 彼は既に皆のために支払っていますから…
(彼は持っていたすべてをそれに費やしました。 そしてあなたは、チケットを受け入れる必要があるのです!)


Refreshments: New wine, bread, and a far-out drink He calls "Living Water,"
followed by a supper that promises to be out of this world!

軽い飲食物: 新しいワイン、パン、および、驚くほどであると約束する夕食についてくる「生ける水」と彼が呼ぶ飲み物!

Gift Suggestions: ; Your life.

贈り物の提案: ; あなたの人生。

Entertainment:Joy,Peace, Truth, Light, Life, Love, Real Happiness,
Communion with God,Forgiveness,Miracles, Healing, Power,Eternity in Paradise, Contentment, and much more!
(All "G" rated, so bring your family and friends.)

エンターテインメント: 喜び、平和、真実、光、人生、愛、本当の幸福、神との接触、赦し、奇跡、癒し、力、永遠の楽園、心の安らぎ、その他にも沢山あります!
(すべて「G」が評定されていますので、あなたの家族と友人を是非連れて来てくださいね。)


R.S.V.P. Very Important!
He must know ahead so He can reserve a spot for you at the table.
Also, He's keeping a list of His friends for future reference. He calls it the "Lamb's Book of Life."

R. S. V. P. 非常に重要!
彼は、あなたのためにテーブルでスポットを予約できるように先で知らなければなりません。
また、彼は後日のために彼の友人のリストを保っています。 彼は、それを「仔羊の生命の書」と呼びます。


Party being given by His Kids (that's us!!)!
Hope to see you there! For those of you whom I will see at the party, share this with someone today!

彼のKids(それは私たちです!)によって与えられているパーティ!
そこであなたに会うことを願っています! パーティーでお目にかかるものに関しては、今日、だれかとこれを共有してください!


スーさんからの12月8日のメールでは、”God bless you and your family and your writing career.”と、私の文筆活動の祝福も祈って下さっていた。

今年こそ是非、あなたもお近くの教会へお出かけ下さい。
予約も何もいりません。
心から歓迎してくださることでしょう!

これをお読み下さっているあなたの上に、クリスマスの恵みが豊かにありますようにお祈りします。


では、カードをお楽しみ下さい。リンク先にも入れておきますので、讃美歌をBGMにパソコンの作業をどうぞ。


附記:こちらは連日のポカポカ陽気で、朝は暖房をつけるが午後のリビングルームは25度以上にもなる。今日は20.7度(大阪は21.5度)まで上がり、深夜の今も外気温は17度もある。

ミネソタの最高気温はマイナス5度から10度で、最低気温は既にマイナス15〜6度にもなっている。さすがに魔法のPCでも、このページから暖かい空気を送れない。

激務の日々、真智と太志君の体力が支えられるように祈っている。


posted by 優子 at 22:51| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年11月20日

周囲に目を奪われないように

穏やかなお天気に恵まれた今日、義父の7回忌法要を終えた。以前には考えられない和やかな交わりを神に感謝した。神に栄光があるように祈りつつ前進あるのみ。

今日は故人の孫9人のうち4人が集まった。今夏結婚した人も2名あり、みな家庭を築いている者ばかりだった。

87歳になる義母は、「もう13回忌まで生きられないからこれが最後」とばかり言っていた。高齢には違いないので愛をこめて時を大切に用いたいと思う。

私たちが会食している頃から、クリスチャンペンクラブの例会が日本キリスト改革派灘教会会堂で開かれていた。叔母の家からだとさほど遠くない所だ。
私は已む無く欠席したが、会はさぞ祝されたことであろう。大体の様子だけでも知りたいものだ。

昨日は知子の33歳の誕生日だったので、知子の幼かった日々を振り返って何か書きたいと思っていたが、鳩飼さんのことで書けなくなってしまった。後日になるが知子へのページを重ねたいと思う。

hato-poppo235@・・・
今、鳩飼さんのメールアドレスを消した。全ては過ぎ去っていく。

こんなことを思ったことがある。
ネットのグリーティングカードは送信する日を予約できるので、私が死んでから毎年娘たちの誕生日に届くように予約しておいて、娘たちをびっくりさせてやろうかなんて思ったことがあった。状況がゆるされるならば1回分は準備したいと思う。

人生で本当に大切なものが何であるかを忘れないように。
希望は環境や状況からではなく、天地の造り主である神さまから来るのであり、希望を確実に成就して下さることを忘れないようにと再度心に刻んだ。

周囲に目を奪われないで主を見上げよう。
明日は孫の祝福式である。
主よ、感謝します!


posted by 優子 at 22:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

馬見丘陵公園で開催中の「全国都市緑化ならフェア」

9月18日から11月14日まで開催されている「第27回全国都市緑化ならフェア」は、馬見労祷教会からすぐ近くの馬見丘陵公園が会場になっている。

東大阪に住んでいた頃、1990年に開かれた「国際花と緑の博覧会」(大阪花博)が、自宅からすぐ目と鼻の先の鶴見緑地で開催された時も行かなかった花に関心のない私達だが、今回は私以外の家族は行っている。

私が大溝教会へ行った10月11日、私を駅まで送ってくれた自動車に長女と孫も乗っていたので、夫は急きょ孫のためにと行ってきたのだった。

開催早々に行って来られた教会の方から、「ダリアの茎が水道管になっていた」とお聞きしていたので、私は是非見たいと思っていたが夫たちは見てこなかった(>_<)。

馬見丘陵公園は、「大和平野のほぼ中央にある県営馬見丘陵公園は、我が国でも有数の古墳が集中している地域」だという。

「馬見(うまみ)」という名は珍しいので地名の由来を知りたい。新しく開発された町は「馬見」を音読みにして「真美ケ丘」と名づけたようだ。

方向音痴の私は、何度説明されても教会からどの方向にあるのかさえわからないが、やっと孫が寝たのでコーヒーを飲みながらパソコンで花を楽しむことにしよう。


posted by 優子 at 16:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

ハレルヤ!69日目の生還! 

ついに救出された!!!
全世界の人々が見守る中、チリ落盤事故で地下700メートルに閉じ込められた人々の1人目が救出された。69日目の奇跡の生還に人命の尊さが身にしみる。

33名全員の救出には2日間かかるらしいが、最後の一人まで無事に救出されるように祈ろう。
 

お昼過ぎの吉報からたった2時間後、午後2時過ぎに配達された夕刊トップ記事になっていた!


号外ではない。
写真をはめ込めばいいとことろでスタンバイしていたにしても、その後輪転機にかけて印刷し、各新聞配達所に配って家に届けるのである。

ここまでたった2時間のハヤワザだ。これらに関わる多くの人々の必死さが目に見えるようだ。出不精の私にも行ってみたい気にさせる新聞社。是非いつか見学に行きたいものだ。

posted by 優子 at 15:55| 随想 | 更新情報をチェックする

我が家の地デジ化、5日に完了!

昨朝は6時過ぎにユキが起きたので、長女は7時過ぎの電車で会社へ行くことにし、私はチャッピーの散歩をかねてユキと一緒に知子を見送りに行った。
帰りは右手にチャッピー、左手に人間チャッピーと手をつないで歩いた。(^-^)

知子は8月末からずっと自力で眠られるようになり、睡眠薬を飲んだのは1回だけだった。しかも子供と一緒に寝てしまうことが多く、夜中に何度も目が覚めるようだが、すぐに寝てしまうので心配していない。

最近は私の方が眠るのが苦手になっている。
今までなら5分もかからずに眠れたのに眠るまで時間がかかる。
昨夜は久しぶりに7時間ほど眠ることができたのはいいが、今朝目が覚めたのは6時半!ビックリして飛び起きた。

6時35分に「朝のテレビ体操」が終われば、夫はすぐに靴を履いて6時37分頃にはスタートする。今では知子も半々くらいの割合で運転席に座る。

知子は寝坊した私に、「今日も電車で行くから」とチャッピーの散歩に行こうとしてくれていた。
私はいつも2人が家を出るまでにチャッピーを連れて、15分か20分ほどの短い散歩を済ませているからだ。

3歳3ヶ月になったユキは、20分間くらいはテレビの幼児番組を見ながら留守番できるので自動車で行ってもらった。知子の気持ちが嬉しかった。「ありがとう」。

次は記録として、10月5日に我が家の地デジ工事が終わったことを記しておきたい。

地デジ関係の理由から昨年度で自治会の共同アンテナを廃止したので、テレビの映りがとても悪くなり夫に急(せ)かされていたが、私は来春くらいに申し込めば、工事が混んでいても7月初めには開通するだろうと思っていた。
ところが、NHKだけではなく他のチャンネルまでひどい状態になったので決断した。

「eo光」は神戸放送を受信できないので迷ったが、電話とネットで「eo」を使っているのでここに決めた。

私達はBS放送があればいいので「地デジBSコース」にした。
最も安い月額6500円の分だ。工事費無料で最初の1年間はマイナス800円の請求額である。義
母(母屋)の方は昨春に地デジに変更済み。毎月840円の追加料金だがBSは映らない。

ところで、BSはNHKしかやっていないと思っていたら、フジテレビなど他局でやっているBS放送も見られるという。別のコースだと「CS放送」も見られるとか。「CS」など何のことだかサッパリわからないが私達には無用だ。

今までのNHK総合テレビと教育テレビ、そして、毎日、朝日、フジ、読売、大阪テレビ、神戸放送の代わりに奈良テレビ、京都放送も映っているかも。何せゆっくり見る時間はない。これに加えて、BS1とBS2を含めて10局のBS放送が提供されているらしい。

リビングルームのテレビは昨年の初めに地デジ対応のテレビに買い換えたが、2階のは古いタイプなので年末に買い替えようと思っていたら、2015年まではチューナーをつけなくてもこのままで映るという。

このようなことこそ最初に問い合わせした時に聞きたかったことだ。古いテレビはチューナーをつけるか買い換えるかしないと映らないことと、テレビの個数ごとに毎月費用がいると説明されていた。

インターネットや地デジについて全くわかっていない私のような者も、いろんな人に助けられて時代を渡っていく。
文明開化後の人々の営みに想いを馳せる。

posted by 優子 at 15:40| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年07月26日

夏の風景

先週は長女に感化されて身の回りのものを整理していた。積んだままの冊子や信仰雑誌など20年以上も手をつけていないものは処分することにした。

1冊ずつ手にとるのだが、ゆっくり読んでいては仕事にならないので、大雑把にページをめくりながら是非読みたいところだけちぎって、50冊分くらいを1冊のかさにした。

古い写真や子どもの作文が出てきては中断し、かいもく仕事ははかどらなかったが、この動きを止めないで整理し続けていこうと思う。

連日35度以上の猛暑日で、夜も11時近くまでクーラーを止められないが、そのあとは急激に涼しくなるのでありがたい。

猛暑下のめざし.jpg

めざしって美味しいんだ。めざしが好きになった。
これを見たユキは、「おさかなの鯉のぼり!」と、
「鯉のぼり」の歌を何度も歌っていた。
 
蝉.jpg

裏の家人の庭木に蝉が4匹もとまっている。
アブラムシみたいで少々気持ち悪い・・・蝉さん、ごめん。

夏の風景A.jpg

オクラの実がなった!収穫は2つだけ。
孫は3歳で、私は58歳にして初めて見た。

CDラジカセとTファル.jpg

整理効果でカウンターの上もスッキリした。
洗礼記念に頂いた色紙には小山恒雄牧師が「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ人への手紙1章27節)と書いて下さっている。もう23年前のことだ。
真智へ:
土曜日にCDラジカセを買い換えたよ。コンパクトになってスッキリしたでしょ!
その横にあるのは、コップ一杯分のお湯を瞬間的に沸かしてくれるスグレモノです。

朝のテレビ体操@.jpg

朝のテレビ体操A.jpg

今年も自治会主催のラジオ体操が8月1日から始まるが、孫も先週あたりから6時半までに起きるようになったので行けそうだ。

夫は今朝もテレビ体操(教育テレビ、6:25〜6:35)をして、元気よく出社した。今週も神と共にありますように!感謝。

posted by 優子 at 12:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

『メメントドミニ』は神さまへのツイッター

私がブログを始めるなど思いもしなかったが、それどころかメールさえ次女が大学卒業後に単身東京へ行くことになったのをきっかけに始めたのであり、しかも始めたのはその半年後からだったと思う。

そもそもこの家を建てようとしていた1998年初め、大学2回生だった長女はすでにPCを使っていたにも関わらず、どの部屋にインターネットができるようにすればいいのか建築メーカーに聞かれて、1階と2階の居間の2カ所だけしかお願いしなかった。

今思えばどうして子供たちの部屋に回線を引いておかなかったのか不思議だが、それが我が家のパソコンへの意識度の低さを物語っている。

ところが、次女の大学入学と同時に一気に時代の波が入り込んできた。
今の1年は10年を凌駕するほどの時代ゆえに時代的なこともあったであろうが、意欲的な次女ゆえに一気に新時代に適応していったということは大きいだろう。

早々から留学生とチャットしていたし、どうして次女がPCを使っているのが相手にわかるのだろうと私は不思議でならなかった。画面を覗くと英語の一部がチャット用の短縮英語だったのも驚きだった。

私は次女を通してPCの機能を目の当たりにしているうちに、時代に乗り遅れていた側から急に知っている側の人間になり、知人に尋ねられてチャットについて何度か説明したこともあった。私はワードさえ打ったことのない頃のことである。

その一方で、今もネットの意味がわかっていないことを曝露するような笑い話もある。
「今のは容量が小さくなったのでもっと大きなのを買うの」と話す友に、「そうなの」と答えつつも、「ピアノが置いてあるあの部屋にもっと大きなコンピューターが入るのかなあ〜〜〜」と、つい数年前まで思っていたのだから我ながら笑ってしまう。(>_<)


とにかく次女のおかげで私を億劫がらせずにネットを我が人生に導入してもらい、今ではすっかりネットを楽しませてもらっている。
先週は3日間ほど久しぶりにユウチューブにはまっていた。2〜3時間はアッという間で、懐かしい1960年代70年代のポップスや、アメリカのテレビドラマなど次から次へと見ていた。
Sさんの死の現実に、ジブリ漫画の歌詞ではないが人間が死んでいく不思議に立ち止まってしまったからだ。

話を戻そう。
メールを使い始めた頃は、傍に居た長女にも何度も教えてもらい助けてもらったことも感謝している。

そして、今はツイッターが流行している。
「ツイート(Tweets)」は英語で「鳥のさえずり」を意味し、「つぶやき」と意訳されて「短文のひとりごと」と規定されている。

ブログについてこだわりを感じていた私は、「ブログ考」としてブログ文化を考えたことがあったが、今や多くの人々が不特定多数の人につぶやき、独り言を聞いてもらうという、これまた文化の違いを越えて共通する人間の意識構造が興味深い。

ツイッターが流行るのは、人々はツイッターをとおして心の思いを誰かに伝えたい、誰かに聞いてほしい、誰かが聞いてくれたら嬉しいという心の表れだろう。

今日は長々と駄文を連ねてしまったが、私にとって『メメントドミニ』はまさに神さまへのツイッターなのだ。心の思いを伝える神さまへのロングツイッターと言った方がいいかもしれない。

クリスチャンは、いつも私達の思いを聞いて下さる方を知っている。
私達は友にメールを打つように神さまに祈るのであり、この『メメントドミニ』は神さまに聞いて頂きたい私の心の思いである。


その思いを読んで下さる人がいて、共に人生を考え、できれば共に語り合いながら人生を深めていくことができれば最高に嬉しいし、命も死も歴史も一切を支配されている神さまへの道案内になれば最高の喜びである。

posted by 優子 at 23:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

桜満開

2010年桜.jpg 
桜が満開
なんて美しいんだろう
昨日も桜のアーチをくぐった

花の命は短い
しかし
桜は大らかに咲いている

私も思いっきり生きよう
神さまの愛の中で
ゆったりと
思いっきり生きよう

「たった一人しかない自分を
 たった一度しかない一生を
 本当に生かせなかったら
 人間に生まれて来た
 かいがないじゃないか」
      

        (山本 有三)

今日はお弁当を作って春を楽しむ予定だ。


posted by 優子 at 07:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

自宅前の道路新しくされる

明後日から4月だというのに真冬の寒さである。
血圧は今も高いのだが自覚症状がなくなったので、恐々ながらも気になっている自治会の用事を済ますべく10班内を巡り歩いた。9日ぶりのウォーキングだったので朝は脚に力が入らなかったが、2度目に回った夕方は気にならなくなっていた。

毎年、自治会内の道路の一部分を舗装工事してもらっているが、今年は自宅前と一段下の道路を舗装することになった。環境業務役だった私が役所にお願いに行ったのだが、決して役得ではなく昨年度の要望書から引き継いで申し出たことだった。

この住宅地が開発されて44〜45年になる。今までに半分余りの道路が改良されているように思う。同じ班の人は異口同音に「40年で初めてのこと」と喜んでおられた。

アスファルトを剥がしたのは27日(土)で雪の舞う寒い日だった。
私は孫と二人で窓に張り付いて見ていた。まるで家の前を通る祇園祭りの山鉾でも見るかのように、特等席で飽きもせずに見ていた。

昨日アスファルトを敷いてもらえるかと思っていたが期待はずれで、やっと今日、待ちに待ったアスファルト敷き(?)を見られると喜んだものの、私一人で見ることになってしまった。

と言うのは、舗装したあとは夕方まで歩けないと聞いていたこともあり、今はまだ3軒先が終わったところだからと、娘は11時頃に子供を連れて散歩に出たのだった。
ところが、子供が言うことを聞かなかったために、家近くに戻って来た時は家の前をやっていて、見ることも家に入ることもできなかった。

私は私でまだかまだかと2人の帰りをヤキモキしながらの見学だった。一生に2度とない最高のチャンスを逃した孫と娘。せめて写真を編集しておいてやろうと、お風呂に入る頃になってからやり始めている。

写真からも寒さが伝わってきそうな27日の土曜日。
ショベルカーで古いアスファルトを剥離したあと、
砂を補充して道路の補正をしている。

道路工事1.jpg

次の写真は今朝の9時過ぎだ。
氷点下(−1.4度)の朝だったが陽射しがあるので明るい。
これは重油を噴射しているところだ。

道路工事2.jpg

そのあとを青グレー色の細かい砂を撒いていた。

道路工事3.jpg

いよいよ舗装工事が隣家前に迫り佳境に入る。
写真には写っていないが、
左手前にはアスファルトを積んだ大きなトラックが控えている。
コールタールの臭いと煙で
現場の人達の健康が心配でならなかった。

道路工事4.jpg

総勢12人、全てがプロフェッショナルの仕事だった!
そのチームワークの良さに感動して見入っていた。
正午、既に自宅前を半分過ぎた所だ。
20分ほどの短時間で家の前は新しくされた。

道路工事6.jpg

次の写真前方角に孫と娘の姿を発見したのは12時2分頃だった。
手を振り合ったが、どうすることもできなかった。ふらふら

道路工事7.jpg

12時40分、娘は子供を負んぶして
反対方向から溝を歩きながら帰宅した。
トラックは次から次へとひっきりなしに10台以上来たと思う。
1台のトラックで3回に分けてアスファルトを移していた。

そのあと、地ならしのためにこの2倍大の車とで
何度も何度も行ったり来たりしてくれていた。

道路工事8.jpg

作業員さんたちが昼食休憩に入ったのは1時40分頃で、
2時過ぎには再び裏の道路から音が聞こえた。

そして、5時頃に工事は終わった。
孫と娘とチャッピーと一緒に新しくなった道路を歩いて、
お留守だった班長さん宅を訪ねた。
この時もまだ道路を触ると温かさが残っていた。

道路工事9.jpg

昨日、ユキも工事のおじちゃんに「ありがとう!」って言ったね。
きれいな道にして下さったことを忘れないでいようね。

ところで、日本の道路の95%がアスファルト舗装道路で、掘り返された使用済みアスファルト混合物は生まれ変わり、リサイクル率は約99%に達するという。
「ちなみに日本初のアスファルト舗装は明治初期、長崎市の旧グラバー邸(現グラバー園内)前の小道だそうだ。」

夕刻、お隣さんの自動車が新しくなった道を通ってパーキングに入った。どの人も皆、きれいになった道路を喜んでおられるだろう。

しかし、私は剥離から舗装まで全てを見ていたので、従事されている方々の御苦労がわかった。これからは道を歩く時もこの方々の姿を思い出して感謝を忘れないだろう。

人生も同じだ。
苦労してこそ味わいがある。
苦労してこそ喜びと感謝がある。
この世の不条理に苦しんでいる人も、今は辛くとも耐え忍んでよかったと、必ず主はそこまでお導き下さる。今を突き抜けよ!

悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、
昼も夜もそのおきてを思う。

このような人は
流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、
そのなすところは皆栄える。

悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。
罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。

主は正しい者の道を知られる。
しかし、悪しき者の道は滅びる。
 
              
                 (詩篇 1篇1節〜6節)

道路工事に従事して下さる方々の健康が守られるように祈りつつ。



posted by 優子 at 23:09| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

体調悪し、されど再びめぐる春に霊の息吹き感ず

昨日に続いて冷たい雨が降っているが、さえずる鶯の声、咲き始めた桜の花に再び春はめぐる。

先の記事の最後に、「私も新年度のデザインを構想して良い1年にしたい。」と書いたが、神は早速その思いを実現して下さろうと、その夜の入浴中に具体的な思いを与えて下さった。

自らの信仰生涯を語る本の出版だ。
このことは自治会のことで1年ストップさせていたことであり、常に忘れてはいないものの具体的なビジョンが見えてこなかった。

同じ22日夕方のこと、地域のある方から過分なる感謝のお気持ちを頂いた。その方は昭和2年のお生まれだから母より2歳下、母が生きていたら・・と、話しながら今も母の面影を追うていた。

昨年末にも御愛をお受けしていたので、今月中には梅田へ出て贈物をと思っていたところだった。この方は私がクリスチャンであることを知っておられ、新島襄の妻のことを話されたりしたので驚いた。

80歳を過ぎてパソコンを使い始めようとされており、本も読まれるということを知り、自己紹介のつもりで読書会の機関誌に書いてきたものをお届けすることになった。

そんな話をしていたからだと思うが、いろんなところで掲載されたものを一つにまとめ、そこにエッセーを書き下ろせば200枚近くになるだろうとの思いが与えられ、私は神さまの促しを感じて湯船の中で大きな声で感謝の叫びを挙げたのだった。
そして、直ぐにでも始めたいと熱情に駆られるのに反して再び体調は悪くなっていた。


入浴中にフラフラと倒れそうになった。
普通、入浴すれば血圧は低くなるのだが、入浴直後でも(159/99)もあり、気分が悪く吐き気まであった。
父が脳梗塞で亡くなっているので怖くなった。吐き気、しびれ、失禁・・・と、兄が話していたことが脳裡をかすめた。

昨朝も体調は非常に悪く受診すべきか医師の指示で休んでいた。
しびれがなかったので様子を見ていたが強い吐き気があり、天井はグルグル回っていた。天井だけではなく身体も引っぱられるような感覚で、まるでビックリハウスに入っているようだった。

午後3時頃になってようやく落ち着いてきたので初めて食事をとった。食べたあとはやや吐き気がするものの一度ももどさずに胃に治まった。

今も血圧は(160/100)あるので宙に浮いている感じがするが、これだけの文字も打てるようになったので、一筆箋を書いて早くご婦人に届けたい。

命の危機を感じた今回も、最初は「神さま、命を下さい。もう少し生かして下さい。」とのみ祈っていたが、まもなく「神さま、今までおかしてきた罪をお赦し下さい。救われていることを感謝します。あとのことを宜しくお願いします」と祈るのみだった。

いつも癒しを簡単に諦めてしまうのは、気力がないからだろうがそれだけではない。死んだあとの行き先がわかっているから覚悟できるからだとも思う。
私は既に永遠の命に生かされているのがわかる。墓場までの命ではなく、死んでも死なない永遠の命に生かされているのがわかる。


それならば尚のこと、地上にある間は一日でも長く生きて使命を果たさんがために、癒しを求め健康が支えられるように祈らねばならないのではないか。闘病の恐怖と怠慢から諦めるならばとんでもない。最後まで癒しを求めて生きていかねばならない。

祈りに覚えている方々のことも祈った。
あんなに人生が行き詰まっているのに平気な人がいれば、苦しんでいる人もいる。苦しむ人こそ幸いである。どうか的外れな悩み方ではなく、神に自分の弱さを告白する恵みに与ってほしい。

そして、悩みの中におられる方々にお伝えしたい。
神は私たちの失敗を成功に、敗北を勝利に変えることがおできになる。キリストを見上げ、キリストと共に歩む時、私たちの中に神のみわざが始められるのである。

私の「下には(神の)永遠の腕があ」り、「あなた(神)は後ろから、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。」

「あなたがたがわたし(神)を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。
それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」。

             
                (ヨハネによる福音書15章16節)

posted by 優子 at 11:46| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

自治会でのチャレンジ完了!H ―久々の充足感に心潤う―

昨日の自治会決算総会は会員数323のうち、出席者は43名、委任状が222名で、優に過半数を超え総会は成立した。

地域福祉推進委員会の役員未定についても突っ込まれることはなく、拍子抜けなほど1時間でスンナリ終わった。
私が懸念していた地域活性化の件についても一言も出なかった。発言があったところで審議は次年度でのことになるのだが、中には喧嘩腰で発言する人もいるので心配していたのだ。

ここは奈良県で2番目の高齢化率で、当市では1番の住宅地である。現在の小学生児童は35名ほどだ。
そこで開発後40数年経った住宅地を活性化しようということから、最小区画制限を100坪から75坪にしてはどうかというのが1昨年度からの引継ぎ議案であった。

そこで昨秋、環境保全委員会規則及び細則についてのアンケートを実施した。内容は最小区画面積だけではなく、建築物の高さや色彩について7つあり、結果はだいたい半々の回答になった。

意見も多く寄せられ、「改正案に大賛成です」というのがあれば、「高級住宅地として開発されたのに乱開発につながるから絶対反対!」というのが代表的なものだった。

ここは国定公園内という美しい自然環境も関係するのか、コンビニ一つ無い不便な住宅地だ。そこで今後は京町屋のような家の店舗を認めるのかどうかも含めて、美しい景観と品位(グレード)の点から、次年度はブッロク会議や全体会議で活発な論議が行われることであろう。

このアンケート作りから全家庭数分の印刷まで全てK会長がして下さった。私はAブロック(10班分)の集計をしたのみで、寄せられた意見も全てワードに打って2月半ばに回覧された。

アンケートには会長への厳しい意見も寄せられていたゆえに、昨日も会長の後方援護の気持ちで出席したのだった。

総会のあと、昨年は10分間ほどで終わった役員の業務引継ぎに2時間も要した。K会長らしく丁寧に進められたのはいいが、次期役員さんが熱心すぎて遅くなったのだ。

しかし、地域へのボランティア意識の高い方だから会長も心強いだろうと安堵した。福祉推進委員会次期役員については会長の思惑も見えた。

新役員の一人が、「会長さん、役を頼みに来られた時に仰っていたことと全然違いますやん!」と早々にオブジェクションが出た。(>_<)

2期目も労して下さる書記さんは新年度の役員会を想像して「やっていけるか心配」と真顔で仰ったが、賢明な方たちだからそのうちに良いリズムが生まれてくることだろう。

こうして今年も新人代謝よろしく自治会の活動が始まった。私も新年度のデザインを構想して良い1年にしたい。
昨夜、「Aブロック副会長」の看板を外した。近いうちにお届けしよう。

サーバメンテナンス予定:
3月24日(水) 午前2時 から 午前8時 までを予定
*メンテナンス終了時刻は、作業状況によって前後する場合がございます。



posted by 優子 at 11:17| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

自治会でのチャレンジG ―Kさんが苦手だった理由と1年を振り返って―

21日に今年度の自治会決算総会を控えており、これが終われば御役御免となる。
K会長のもとでの副会長役は、私にとっては今までの社会的経験の総括的意味を持つものであり、意欲と共に緊張が伴う大きなチャレンジであった。
それゆえに毎回十分な備え(バウンダリーズの学びと祈り)をして臨みたかったが、(昨年)4月早々から長女の心身が一層深刻な情況になりその余裕は全くなかった。そのために役員会や業務の時も家を出て集会所に着くまでの数分間祈るのみで、せっかくの総括実習に集中できないことが残念でもあった。

会長は1年を振り返って「よくやってくれた」と喜んで下さり、2月半ば頃まで副会長をもう1年やってくれないかと再三頼まれてもいた。
地域福祉推進委員会については今も完全に諦めてはおられず、未だに「ふつうは副会長が会長になるもんや」と強い口調で迫られる時もある。ちっ(怒った顔)

私が役を受けなければ休会にするしかないとまで言われるので真剣に考えもした。
実のところ娘のことも落ち着いたので昨年度よりもはるかにやりやすいし、この役だけならばできないことはないかもと思ったりもしたが、総合的に考え1年で降りる決意は固い。

この1年間を振り返ると会長に言われたことだけをやっていただけで、主体性に欠けた自分に不満足を感じている。しかし、それが精一杯であったのだから良しとしなければと受け容れた。

K会長のおかげで地域への目が開かれたことを感謝しているし、この経験を次に繋いでいきたいと思っている。
総会では地域福祉推進委員会の役員候補者は未定と発表するので、もう1年せよと声が出ることも想定して明確に返答できるように考えて臨みたい。

過去ログ・2007年3月21日記事は、実はこのK会長のことが心理的背景にあった。K会長には失礼だが、Kさんのことを脅えていたので次のような結語になった。
「今、これを書きながら、すっかり忘れていたあの時の精神の高揚がよみがえり、西口氏が私の自己確立に多大なる影響を与えた人であったことに気がついた。
どうしても流されてはならない、信念を曲げてはいけない事があるのだ。このことを思い出してすごく幸せな気持ちに満たされ、意欲と力が横溢している。」


と言うのは、民生委員は老人会(毎木曜日の10時から5時まで)に出なくても良いということを確かめて受けたのであるが、民生委員の任期中に老人会会長がKさんに変わった。すると、「どうして老人会に出てこないのか」と厳しい電話が入ったのだ。

詳しく経緯を説明しても理解してもらえず困ってしまった。
私は穏やかに明確に受け答えをしたものの、その後が情けない。Kさんを恐れたのだ。そうでなくても当市の民生委員会の運営や諸々のことで大きな問題とストレスを感じ続けていたので、私にとっては地域の同じ範疇のことゆえにビビッてしまった。

そこで西口孝四郎氏のことと、小学校PTAのペン活動での勇敢なる闘いを思い出した。すると瞬間的に恐れは消え、本来の自分自身を取り戻し、以来その気持ちは微動だにすることはなかった。


これがK会長との出会いであり全てだった。
そのKさんが私を「気心の知れた人」と指名され、2009年6月15日(「自治会でのチャレンジ@」)の記事につながっていくのである。
私のことを「気心の知れた人」と言われるがKさんとは全く関わりがないのでお聞きしたところ、「長年教師をしていたら、ひと目見ただけでどんな人間かわかる」と答えて下さった。(ふ〜〜〜ん)

昨年度の役員をしていた知人から、「Kさんは藤本さんのことを自分の言いなりになるだろうと思ってはるわ」ということを聞き、私はKさんに自己紹介のつもりで『私の忘れられぬ人―西口孝四郎氏との出会い―』(掲載文「神・文学」)をお届けした。役をお引き受けした3月末頃のことだ。

私はその頃すでに、Kさんは東大阪の教育界(小学校)では著名な校長だったような印象を感じていたので、記者クラブの西口氏をご存知だったのではないかと思ったのだ。

その西口氏に薫陶を受けたことと、「ここぞという時は私も迎合しないぞ。私も信念を持っているぞ!」という牽制の気持ちもあった。


やはり昨年の今頃予想した懸念は常にあり、ストレスが高まった10月頃に夫に相談したこともあった。
「役員は会長を支えないといけない。そうでないと役員会が成り立たなくなってしまう。」と助言された。しかし、つぶすためではなく、より良い関係になりたいためにならば言ってもいいと同意してくれた。とは言うものの私の中では受容できているので言うつもりは失せていた。

ところが、その数日後の役員会において、またしても福祉推進委員副会長ならば老人会に出てこないといけないと強い批判を受け、ついに私は依頼を受けた時の話を確認するべく経緯を話し批判の不当性を述べた。

それに対するKさんの応答に対して、「Kさん、それでは藤本さんへのお答えになっていません」と、会計役を引き受けて下さっている沈着冷静なMR.Y氏の聡明なる発言に感銘したこともあった。


そして1年を共にして、今はやはり尊敬し愛すべきKさんである(^0^)。心からそう思っている。


posted by 優子 at 23:14| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

雪嵐の昨日、開花宣言

2月末から降水量は例年の10倍とか。日照時間が少ないうえに、今週に入ってから真冬並の寒さに戻り、昨日は「春の嵐」ならぬ「冬の嵐」が日本列島を真っ白にした。鎌倉では雪の重さと風で樹齢1000年の大銀杏(おおいちょう)が倒れていた。

当地では20〜30分間ほど雨が雪に変わっただけだったが、乾燥剤のような粒の雪がチューリップを驚かせたことだろう。
雪嵐.jpg

今は陽射しを受けて気持ち良さそう。
まもなく美しい花を咲かせてくれることだろう。今年はピンク色だけ丸い植木鉢に植えた。色とりどりの花を見るのが楽しみだ。

私も半年ぶりに熱を出して日曜日の夜から昨日までダウンしていた。昨日から平熱に戻っているが、今日もまだフラフラして体に力が入らない。

私が寝込んでいる時も夫は仕事に出かけ、夜に帰宅して、そしてまた、次の日も家を出る夫を2階の窓から見送っていた。

孫のためにももうひと働きせねばならないのに、私が元気でないと夫に何もかも負担がかかってしまうと、まるで年老いていく親を想う気持ちと同じ想いになって胸が痛くなった。

病気のお蔭で2キロほど減量できたので、これを機会に体重ももとに戻そうと真面目な気持ちになっている。私は娘の体調を心配する余裕もなく寝込んでしまったが、テキパキと用事をこなしてくれてありがたかった。1年前には想像だにしなかった回復ぶりだ。

今朝も厳しい寒さであるが久しぶりの陽射しに気持ちが引き上げられる。これからも天気はコロコロ変わるらしいが明日から春らしい陽気になるそうだ。

「冬はもう終わりやなぁ」と、夏が苦手な叔母は2月の異常な陽気にガッカリしていたものだが、この寒さは嬉しかっただろうか。久々にメールでご機嫌伺いをしよう(^−^)。

気象庁は昨日の嵐の日に高知市で桜が開花したと発表した!
これは統計が開始された1953年以来、これまでの3回と共に歴代最速1位タイの早さだそうだ。
これから桜前線が春を告げ新年度が始まる。元旦よりも新しい気持ちになる大好きな季節到来。いよいよ季節は春に突入する。

さあ、大きく深呼吸して、身体一杯に神さまの力強い希望を充満させて出発しよう。

posted by 優子 at 11:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

自治会でのチャレンジF ―いよいよ終盤を迎える―

老人会は会計報告書が未完のために監査は先送りになったが、自治会、地域福祉推進委員会の会計監査を終えて、会長が手配して下さった昼食をご馳走になり午後1時から新旧班長の引継ぎへと続いた。

班長の引継ぎは毎年決算総会のあとに行っているのだが、気の早い会長なので3月に入ったばかりの今日に早い引継ぎとなった。私は司会兼説明役を仰せつかっていたが、昨日はしんどくて予習せずに臨んだものだから話が前後して申し訳なかった。

各班の新旧班長の出欠を口頭で取った時もお笑いだった。
「7班の方は?・・・」と何度か尋ねてからようやく思い出した(>_<)。「ああ、私の班はお二人とも欠席でした」。(爆笑)
とにかく直ぐに忘れてしまうし、頭が動かないのである。家にいる時もいつでもどこでもこんな具合だ。


ドキドキはしなかったものの、コンタクトレンズで行ったので説明書を丁寧に読むのが億劫になり、早々に省略することにしてしまった。
そのために不十分な説明であったことを会長に詫びたところ、「いや、それでええ。」と頷いて下さった。そして、そのあとが面白かった。
「あんた、足ふるえていたやろ」と笑いながら仰ったので、「いや、足は震えませんでしたが人前で話すのは慣れていませんから」と笑ってしまった。

自治会の次期副会長も決まったが、地域福祉推進委員会の委員長が決まっていない。会長は今日もまだ誘ってこられるので困ってしまった。
「あんたが受けてくれなかったら委員会は休止にするしかない」とまで言われているので苦しいところだ。

会長が苦手な人ゆえにと挑戦した1年であったが、想像していたように議論できる人だったし、その働きぶりは他の追随を許さない情熱と行動の人で、良い感化を受けた。

私にとっては社会と関わりを持てる貴重な場でもあるが私の決心は固い。3月中に自治会活動を振り返って書いてみたいと思っている。

新班長さんの中に懐かしいお顔を拝見した。『メメントドミニ』でも早くご紹介したいと思っていた方だ。

奈良国立博物館で解説者のボランティア活動をされており、天平時代の衣装に詳しいだけではなく、学術的に研究され実際に作っておられる服飾家だ。

私が最も感心したのは、車椅子の方のおしゃれ着や寝たきりの方の着物、留袖で作ったスーツなどの介護服だった。これならば身体の不自由な方の気持ちも晴れるのではないか。喜ばれるに違いないと思ったからだ。

2005年秋に大阪中央公会堂で発表された作品展では、私も実際に見て改めて感動したことであった。

山本周五郎がお好きだとお聞きしていたのでテキストに取りあげて頂き、翌2006年10月の読書会(『日本婦道記』)にお誘いした。
大田先生を講師に、そして、この時は知らなかったが讃美歌243番(「ああ主のひとみ」)を作詞された井置利男牧師もお招きした時だった。

では山口千代子さんをご紹介したい。久しぶりにHPを拝見するとご活躍の足跡を更新し続けておられた。http://www.eonet.ne.jp/~ufmii/chiyoko.html

posted by 優子 at 21:32| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

悔いなく生きる道がある ―メールマガジンより―

年度末にあたり活動報告の作成に忙しい時期です。
今年度は自治会副会長だけではなく、自治会地域福祉推進委員会の副会長兼書記役ですから大変です。

私はエクセルなど全く使えないのですが、75歳の自治会長は「エクセルを使わないで『罫線』でやっている」とのことで、先週は何度も教えて頂きながら挑戦していました。

夫が表の中の線の消し方を知っていたのは驚きでしたが、そんなこともできるパソコンに感動しました。(遅れてる〜〜〜)

昨日は活動報告書作りのあとも、夫の秘書役として頼まれていたことに集中していました。
来月、紙業界の60周年史に掲載されるインタビュー原稿が送られてきたのですが、あまりにも読み辛いものなので読みやすい文章に整えてほしいと頼まれていたからです。

時間を忘れて夕方まで5時間も座っていたら、すっかり体調が悪くなってしまいました。相変わらず血圧が高く無理ができずに困ります。

そんなわけで、昨日更新したかった記事が今日になりました。
昨日、「悔いなく生きる」を検索して当ブログを訪ねて下さった方が居られ、タイムリーにもピッタリのメッセージがメールマガジンで送られてきましたのでご紹介したいと思っていたからです。

ラジオ牧師でお馴染みの羽鳥 明牧師のメッセージです。これこそが悔いのない生き方ではないでしょうか。

『道がわかりません』

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
(ヨハネの福音書14章6節)

人生は永遠を求め、最善の幸福、つまり、神を求めていく旅のようなものではないでしょうか。旅には地図が必要ですね。でも、神のもとに行く地図があるのでしょうか。

アメリカ開拓の初期の頃に、一冊の地図が出版されました。まだ人跡未踏の部分には、「ここには恐ろしいさそりがいる」とか、「ここには危険な巨人が住んでいる」とか、「ドラゴンがいる」とか書いてあったそうです。

勇敢なクリスチャンが、それらの言葉を消して「ここには神が住んでおられる」と書いたそうです。

イエス・キリストの弟子のひとり、疑い深いトマスがイエス・キリストに言いました。「先生。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」。
そのときキリストが、打てば響くように答えて言われたのが冒頭のことばです。

人生にはやぶ道があり、砂漠の道があり、分かれ道があり、山坂の道、曲がりくねった道があります。地図なしでは心もとない限りです。

ところがイエス・キリストは、「わたしが道です。わたしについて来なさい。そうしたらわたしの父、すなわち、神様のところへ行けます」とおっしゃるのです。

イエス・キリストは、人生のすべてのことを知りつくし、そこを通って来られたお方、「すべての点で、私たちと同じように、試みに会われた」お方(ヘブル人への手紙4章15節)。また、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル人への手紙13章5節)と言われたお方です。

何て美しいのでしょう。
この美しい山を見ていると心の緊張がとれていくようです。

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文香さんのブログ(「お気に入りリンク」にある『生かされて』)の2月10日の記事のクイズに回答すると、こんなに美しい写真と動物のかわいい写真を送って頂きました。
この美しい自然も神が創造されたのです! 


posted by 優子 at 23:04| 随想 | 更新情報をチェックする