2012年06月21日

主に在っては祈りつつミッションの日々

前記事の翌日(18日)、参観日の代休にユキは昼過ぎから熱を出した。受診したが風邪でもなく意味不明の熱で、通園している幼稚園では何も流行していないとのこと。

疲れなのだろうか。とにかく5月中頃からというもの、ユキの昼寝は夜まで続き3時間も4時間も寝るので、毎日夕食時はスッタモンダして起こすという具合である。

今回は入園後初めての受診というので医師は驚いておられたそうだが、それどころか1年2ヶ月ぶりの受診である。とは言え、その間に2度ほど熱を出している。

知子や真智子は1〜2ヶ月に1度は医者通いをしていたことを思うと、ユキは強いようだがそうでもない。事実、皆勤の子供たちも結構多い。しかも彼らは昼寝なしで習い事をこなしているのだ。

19日の朝には平熱に戻っていたが台風接近ということもあって休ませた。園児が帰宅する頃は長い間雨も降らなかったが、知子のPCには2時に一斉下校とのPTA緊急メールが入ったとのこと。

その影響なのだろうか、美濃紙業も3時で社員たちを帰らせて夫と知子は4時半頃に帰宅した。この日神戸では休校だったそうだ。6月上陸の珍しい台風4号は去っていったが続いて台風5号で週末まで鬱陶しい日が続く。

そして、20日は登園したはいいが、熱があるからと園から電話が入り、降園より1時間早く迎えに行った。本人はいたって元気だが今日も休ませた。

私は先週末より体調が悪く、今日またしても結膜下出血を起こした。昨年7月に発症して3度目である。やはり日常の出来事と大いに関係があることがわかった。

花を見ていると心癒される。梅雨に似合うイソトマ.jpg
梅雨にはイソトマもよく似合う。

心をアメリカの次女夫婦に向けて気分転換しよう。
クマ(次女の婿)は初めてのミッションで只今アフリカに滞在している。ロンドン経由で2日間かけて担当国に到着したという。

今はようやく半分過ぎたところで愛妻のもとへ帰るまでもうしばらくの辛抱だが、その後、マチもまた7月早々に次々と2ヶ国の短いミッションを控えているのでワシントンの家は寂しいことだろう。 

”mission ”(ミッション)とは「海外での交渉を担う派遣団、交渉団の任務、使命」の意味であり、次女夫婦はIMF職員として任務を果たしているのであるが、クリスチャンにとっては日々ミッションである。

今回は私事ではないが、あまりにも重い相談事に体調を崩してしまった。しかし、「使命」とは文字通り「命を使う」ことであるから命を削ることを惜しむことなかれ。

主に在る人々にとっては最善のことが定められてあると固く信じよう。

「神が誰の改心を望んでいられるか、
 その救いのみこころはおまえにはわからない」。



posted by 優子 at 21:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

救いは今

あじさい.jpg

あじさいの時季(とき)、あまりに美しいので今朝のチャッピーの散歩はカメラを持って出た。

今週末にクリスチャン・ペンクラブの例会があり、翌日の礼拝では「こどもの礼拝」でメッセージの御用に立たせて頂くことになっている。今日の午前中にメッセージの準備はできたが、作品は完成まであと一歩。

夕方、ある人から深刻な電話が入った。

クリスチャンが試練に直面した際、「あなたを神の御用に間に合うものにしようとして問題が起きることを許されます。
問題が来たとき『もう一段成長するときがきた』『神がそれを許されたのだから必ず解決する』という考え方をもっていないと、神の真の目的に間に合わないクリスチャン生活を送ってしまうことになります。

試練は神様の許可があってやってきているのであり、試練を通してクリスチャンが強められ、倒れないようにされていく」のだという。

     (クリスチャン・トゥデイ:2012年5月21日より)

この記事は長女に贈りたくて取っていた。
そして、「この重責を許されたのだから必ず成功する」と伝えてやりたくて。

娘にその人のことを話した。信仰を分かち合える幸せは何にも代え難い。話し合いながら神の導きが示された。

その方の救いは今だと思う。
神に遣わされる者として私を整え備えて下さるように。闘うべきは闘い、神に委ねよう。神の御心が成るように。
紫陽花の時季.jpg

大好きな色のタチアオイが咲いていた。

タチアオイ.jpg

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたし(イエス・キリスト)のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
    
        (マタイによる福音書 11章28節〜30節)

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2012年06月08日

神の促し

今日は幼稚園の「PTA親子親睦会」があるので知子は欠勤した。ユキを見送ってから登園するまでに一緒に散歩する時間はあったが、今朝は神の促しを感じて独りで散歩に出た。

人の声は黙想の邪魔になるが、チャッピーは黙々と歩くので邪魔にはならない。チャッピーと歩きながらの神さまとの語らいは私に深い休息をもたらす。

ところが、スタート早々にある老婦人と初めて話すことになった。
この方は民生委員をしている時に独居老人ということで訪問した方だ。人を寄せつけない人だから関わらなくてもいいとの引き継ぎを受けていたとおり、「私は民生委員に世話になるようなことはありません」と問答無用で門前払された。

民生委員に対してひと昔前の認識をされていてプライドが傷ついたのかもしれない。説明したが名刺とチラシさえ受け取ってはもらえなかった。

ところが、その方が今朝玄関から出てこられた瞬間、私は聖霊(神)さまの気配を感じたと同時に気がついたら声を出していた。

この町で一番先に咲く桜を毎年楽しませて頂いていることを話した。人恋しく思っておられたのだろうか会話は長く続き、最後には悩み事まで話されたのには驚いた。

腰を痛めての独り暮らしは不安だろうからと私の名前と自宅を伝えた。別れる時は表情が明るくなり笑顔でお礼を言ってくださった。

あの桜は「おかめ桜」と言い小さい苗を買ってきて植えたそうだ。別れてからその方のことを祈りながら歩いた。

チャッピーは立ち話が長くなると腹ばいになって待っていてくれるので、盲導犬のように賢いところある。(笑)

そのあともう一人の老婦人と会って話している時、まるで記憶喪失していた記憶が戻ってくるような感じがした。

母や父の介護の時、病院で出会った人々との関わりを思い起こさせ、私が真に生かされる場所を神さまに示されたように感じた。

散歩では静まることはできなかったが、神の愛の中で生かされていることへの深い感謝を覚えた。


緑の季節.jpg

周囲の草が刈られて木々が美しく映える。

草が生えるまで期間限定のお気に入りの景色だ。
午前中の緩やかな陽射しを残す空は急きょ曇天に変わり、昼頃から小雨が降り出した。昼のニュースで西日本が梅雨入りしたもようだと報じていた。

自然界はまもなく深い万緑の季節を迎える。



posted by 優子 at 22:14| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

「ハンサム・ウーマン」として生きた新島襄の妻・八重

もう何十年とNHK大河ドラマを見たことがないが、翌2013年の大河ドラマは新島襄の妻・八重が主人公であるというのは私の耳にも入っている。
先日届いた今年の同志社同窓会報の特集は「新島八重」がとりあげられており興味深く読んだ。貴重なグラビア写真もたくさん掲載されている。

同志社に入学すると最初に新島襄の生涯を学ぶので、私も八重のことを少しは知っているがごく僅かだ。
同志社は山本覺馬(かくま:会津藩士、人生の半ばに失明)から新島襄に譲渡された旧薩摩藩邸の敷地(6000坪)に設立された。私は6年間毎朝「薩摩藩邸跡」の碑を見ながらキャンパスに入っていたことを懐かしく思い出す。

覺馬より17歳年下の妹が八重であり、幕末最後の会津藩の戦いでは男装して刀と鉄砲を持って戦った勇ましい女性である。
余談だが、会津藩に合流して共に戦った土方歳三は八重と会っているのだろうか、幕末に想いを馳せる。

八重は結婚式の前日に洗礼を受け、京都で初めての受洗者となり、2人の結婚式が京都で初めてのキリスト教式の結婚式だった。

八重のことでよく引用されるのが、新島襄がアメリカのハーディ夫人に宛てた手紙だ。
"Of course she is not handsome at all. But what I know of her that she is a person who does handsome."

「彼女は決して美人ではありません。しかし、私が知っているのは、美しい行いをする人(ハンサム・ウーマン)だということです。私にはそれで充分です」。

同窓会報には101歳になる1928年卒業生の御子息が、母上から口述筆記した話が刻まれている。

「八重さんと新島先生の性格が対照的で、会津出身の気丈な八重さんに対し、先生は非常にお優しく、周囲に対して大変な気配りの方であったこと、・・・『八重さん、八重さん』と言っておられ、周囲はその様子を見て仰天していたことなどです」。

そして、この記事のあとに今年2月にご逝去されたことも附記されていた。

襄と八重は共に聖書を読み、「八重さん」「襄」と呼び合ったというから、互いを尊んだ精神性の高さがよくわかる。

いや現代であってもどちらか一方が敬称をつけるのならば、「襄さん」「八重」であろう。今から150年も前のことであるから、尚更に「周囲はその様子を見て仰天していた」のだろう。

新島襄の人柄は内村鑑三との関わりにおいても同じで、鑑三のことでアマスト大学のシーリー総長に愛の配慮をしたように、キリストの香りを放つ人物であったことがよくわかる。

八重は夫を亡くしてから社会奉仕に情熱を注ぎ86歳で天に帰った。同志社葬では八重の遺志により山室軍平(救世軍)が追悼説教したことと説教の一部も紹介されている。

「同志社の母」と呼ばれ、「ハンサム・ウーマン」として生きた八重。大河ドラマではどのように描かれるのか楽しみだ。

その一方で「会津魂」を持った女性であったことだけではなく、「クリスチャン」であったことが曖昧にされないようにと願う。人格の中核が曖昧になるとその人物を正しく描ききれないからだ。


同志社は全校あげて『八重の桜』で盛り上がっていることであろう。私も来年の大河ドラマこそ必ず見たいと思う。同志社が新島襄の建学精神を継承し使命を果たしていくことを祈りつつ。

posted by 優子 at 18:16| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

初めて知るサクランボの季節に

当地に引っ越して13回目の春である。この春に私は生まれて初めてサクランボができる季節を知った。
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町の端にあるサクランボの実る桜は知っていたが、昨日の散歩で教えてもらったサクランボはいつも通っている街路樹の桜だった。今まで知らなかったとは私の目は何という節穴なのだろう。

ちょうど昨日、教会員さんが御自宅に実ったサクランボをたくさん持ってきてくださった。実のなる桜はふつうの桜よりも雄しべと雌しべが長いそうだ。花も見たいものだ。

礼拝後には、ユキは2人のお友達と一緒に別の教会員さんのいちご畑へ連れて行ってもらった。露地物はこれからだそうだ。子供たちは畑でいちごを積みながら口に入れ、私たちも礼拝後の「交わりの会」でいちごとサクランボをご馳走になった。

今朝、木に実っているサクランボを見て私の心は子どものように躍った。60歳にして初めてサクランボの季節を感じたのである。私には初めて直に知った季節だ。

今日の穏やかな風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。
シャンソンの「サクランボの時(実る頃)」に浸り、サクランボの季節を味わおう。桜の花のようにサクランボの季節は短いのだから。

この曲を聞いていると人生の何もかもが懐かしく感じる。
母の上に起こった理屈に合わない苦難の不条理さに泣いた時も、人生がうまく行かなかった時も全てが懐かしい。心の痛みも残っているけれど・・・きっとどんなことも最後には全てが懐かしさに変わるのだと思う。

いや、人生のゴールが見えてきて、これから人生の胸突き八丁も超えていかねばならないのに、甘い懐古に浸るにはまだ早い。しかし、痛みに満ちた苦しかった日々こそが懐かしく感じられるのは不思議である。
 

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」

     (第1テサロニケ人への手紙 5章16節〜18節)

このみことばは実に真実だと思う。
だからどんなに苦しい時も、どんなに悲しい時も、生かされている間は、いつも喜んで感謝して歩いていきたいと思う。最後まで。

イエスが「互いにゆるし合いなさい」と言われたのも、ゆるさなかったら人生を破綻させてしまうことをご存知だからで、そのようになってほしくないから教えお導きくださるのだ。

おお主よ!
これからも導かれる者でありますように。
そして、私を愛の人に変えてください!

苦悩を本当に苦悩して通り抜けた人だけが聖書の教える「愛」を知るのだろう。だから口先できれいごとを並べていてはだめだ。神学や聖書の知識よりも遥かに大切なことは神との親密な関係だ。

弱さはお互いさまの姿だけれど、いつまでも心を頑なにしている人や問題を見つめないで他のこととすり替えてしまう人の多いこと。

ましてや、神と出会い、神のメッセージを語り、神を証しする人が、小さな小さな問題とも言えない日常の出来事で豹変してしまう人を見るのは悲しいことだ。

その時にこそ私たちの魂は輝きを放つのに!
その時にこそ神の平安を深く深く味わえるのに!


自分のことも他人のことも人間の本質をリアリズムの目で見ない限り、決して苦悩を通り抜けることはできないし、経験を積み上げていくことはできない。人間の本質を直視しない限り聖書の「愛」には行き着かないだろう。

ネガティブなことから目を背けないで正面から向き合い、真に苦悩を通り抜けた者だけが霊の目を開かれて神に目覚めるのだと思う。

神さまが創られた美しい自然、さくらんぼを見ていたら、私の霊は神をほめたたえずにはおられず、何度も神の息吹きを深呼吸しながらいつまでも満面の笑みを天に向けていた。

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この記事は大好きなマリオ・アカールの「さくらんぼの季節(時)」(私訳)を聞きながら書いたので、この曲を聞きながら読んでくだされば嬉しい。
" Le Temps des Cerises " (Mario Hacquard)
http://www.youtube.com/watch?v=Zh39Eoyy4O8&feature=related

附記:12日の土曜日のこと、このサクランボの木の下に夫は携帯電話を落としたのを知らずに松竹座へ出かけた。

あの朝、知子とユキがチャッピーを連れて駅まで送ってくれたのだが、私は知子と喋りしながら歩き、後ろから夫とユキが歩いていた。
そして、夫はサクランボの実をユキに取ってやろうとジャンプし、その時に携帯電話が胸ポケットから飛び出てしまったのだ。

ようやくそのことを思い出して、10時間後に夫の手に戻った!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

今日の歌舞伎は悲しくて気分転換にはならなかった

今日は夫婦で松竹座へ出かけた。今回は長女と行き、夫は孫を交通科学博物館へ連れて行くはずだったが、孫は昨日も幼稚園を休んだので例年どおり夫婦で出かけた。20年ほど前から歌舞伎を観る機会が与えられ、いつしか歌舞伎の世界を楽しんでいる。

「團菊祭五月大歌舞伎」午前の演目は、「歌舞伎三大名作の一つ『菅原伝授手習鑑』の中でも特に人気の高い名場面」の『寺子屋』と、「狂言の『花子』をもとに作られた」舞踏劇『身替座禅』、そして、おなじみ近松門左衛門の梅川・忠兵衛こと『封印切』だ。

藤十郎の忠兵衛と菊之助の遊女梅川だが、江戸歌舞伎役者は上方にはなじまない感じがした。
印象に残っている片岡秀太郎の梅川のように、上方ものは上方の役者でないと良い味をだせないのではないだろうか。江戸は江戸出身の役者というように、それぞれの地方出身の人物にこそ独特の味わいがあるように思う。

『寺子屋』は男女を問わず周囲の観客が涙を拭いていた。
松王丸(松緑)と千代(菊之助)が我が子・小太郎を菅秀才の身代わりにする話。封建時代の信じ難い悲しみと憤りの方が強くて最初は涙も堪えていたが、首を落とされた子の亡き骸を見て涙が吹き出してきた。

主君のために愛する我が子を身代わりに立てなければならない親の気持ちと、健気に死んでいった幼い子供のことが頭から離れず、今回は気分転換どころかそれとは反対に、松竹座を出たとき悪夢から覚めた時のように現実世界でよかったと思った。それもまた、それほどに感動させられたということだが。


それにしてもずっと肌寒い日が続いている。今日はもう肌寒いどころではなく、心斎橋でもセーターを着ている人を何人も見た。4月初めの服装では寒くて、松竹座を出ると夫に引っ付いて腕を組んで歩いた。高島屋へ寄ったのはいいが1時間も食料品売り場をウロウロしてしまった。

夫は風邪がひどくなってきたこともあってしんどがるので椅子に座って待っててもらい、私は何回も見て回ってユキと知子に満足してもらえるようなケーキを選んだ。

大学時代は地下鉄御堂筋線の難波で下車して南海電車に乗っていたので、高島屋界隈は毎日通っていた所である。しかし、心斎橋どころか高島屋に寄ることも数えるしかなかったので未だに高島屋の中がわからない。お気に入りの七味を買うにも案内人の助けをかりねば全くわからなかった。

明日は「母の日」だからもうすぐ5月の半ばになろうとしているのに、明日の最低気温が5度と予報しているから尋常ではない。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

良い一日をね!

1泊2日の旅行から帰ってきた翌5日の午後、ユキも一緒に夫と買い出しに着いて来た。2件目の店内で選んだお菓子をカゴに入れると、「先に行って自動車で待ってるから」とユキは自分から休憩を申し出た。

帰宅してすぐに知子に報告。ユキを抱くと熱い。38度5分の熱があり、夜には39.5度にまで上がった。

私の子育て中、熱だけならば2日ほどは様子を見てもよいと医師に言われたので、遠くにある救急医療機関にも行かずに朝まで様子を見ることにした。

疲れというよりも風邪のようだ。翌朝、37度台になり夕方には平熱に下がっていたが、寝ると咳き込んでいたので月曜日(昨日)は幼稚園を休ませた。

私も土曜日の午後から喉が痛くなり夜にはしんどくなり、6日の礼拝は全員欠席した。昨日は1日中ユキとゴロゴロしていたが夜はもっとひどくなり、夫も風邪薬を飲んでいた。
今日は幼稚園の創立記念日で休み。ユキは快方に向かっているが、私は相変わらずしんどい。

病気の人々のことを想う。
元気な者は健康でいることが当たり前のことのように思い、神さまからの賜物であることをしばしば忘れることがある。私も例外ではない。しかしまた、よく思い出すほうであるとも思う。

もっと正直に言えば、病床にある人々のことを思うといつも気持ちが滅入る。母と父の晩年のことや、病院の中ではお正月もゴールデンウィークも休みなく変わらぬ日々が続いているのを思い、加齢と共に自分のことが現実感をもって想像できるからだろう。

病床にある知人友人を覚えて祈り、その人たちを忘れてはいないことを伝えることができますように。

健康でいることが当たり前ではない。健康も家族も仕事もすべて、今与えられているものは神の賜物である。それらを失ったり損じた時に、そのありがたさや価値に気づく。

家族とのかけがえのない日常生活も仕事が与えられていることも全ての全てが感謝である。傍若無人な夫も感謝なのだ。いつもそのことを忘れないで生きることができますように。

当たり前ではない今日という1日、いのち。
そして、病む時には私もまた耐え忍ぶことができますように。

常に神への感謝の気持ちを忘れないで生きたい。それが今日を大切に生きるということであり、最も悔いのない生き方だと思う。その意味を込めて、近隣の人にもしばしば「良い1日をね!」と声をかける。

そして、今日も最愛の娘にそう言って送り出した、「良い一日をね!」と。


附記:今日、私より年上のご夫妻がヨーロッパ旅行に出発された。いくつもの病気を抱えての方だけに嬉しくてならない。健康が支えられて良き時間を過ごされるように、旅の御無事と祝福をお祈りしている。るんるん


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2012年04月19日

春の陽射しの中で散ったチューリップ

「あっ!」
チューリップの花びらが散っていた。
逝く.jpg

私は家族の死を看取っているような気持ちだった。どうしようもないほど悲しくていつまでも見つめていた。土に植えられたままで咲いていたかったであろうに、首を折られてからも小さなビンの中で生き、いのちを全うしたチューリップ。心の奥深くで「よく頑張ったね」と言葉をかけた。

花の死は、死をもって難病の苦しみから解放された母の最期を思い起こさせ、そして、いつか私が生を終えた時の姿とも重なり、眠りについた私を見る娘たちの姿も見えるようだった。

チューリップへの思いは年齢を重ねてきた者の感慨だろう。いのちが輝いて見える。

posted by 優子 at 23:15| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

降圧剤を飲むようになって2年4ヶ月、今日別の医師を訪ねる

今日は天気予報通り春の嵐が通り過ぎた。その嵐の最中に長女に新たな内科医院に連れて行ってもらった。かかりつけの医師には何度も訴えてきたが変薬さえしてくれず、全く血圧がコントロールできなくてこれ以上放置しておくのは怖いからだ。

長女に1年以上も前から何度も促されており、教会の友も親身になってアドバイスして下さっていたのに真剣になって取り組まなかったが、150〜160の数値は日常的で体調も安定しない。先日は180/105という数字に怖くなった。

今日の医師は血液検査だけではなく、検尿、胸のレントゲン撮影、心電図、動脈硬化の程度を調べられた。説明や私の質問に対する返答も論理的で要点をついて話してくださり、これを機にもう一度真剣に日常生活をも改善しようと意欲的になった。

結果は1週間後だが、ベッドサイドの機器に私のデータが残っていた。何のことかわからないが2つの項目に「正常値範囲内」、動脈硬化度は「50代前半」と書いてあったのでひとまず胸をなでおろした。

その後、予約していた店で遅い昼食を摂った。チャッピーの餌も買いに連れて行ってくれて帰宅したのは夕方4時を過ぎていた。ユキはお昼寝なしで、知子とユキの3人で夕食のシーフードグラタンを作った。

グラタン作り.jpg

28日にユキと神戸の叔母を訪ねた時に、従姉妹が作ってくれていた豪華なシーフードグラタンをご馳走になったからだ。叔母はユキの入園祝いにお赤飯を炊いてくれていた。そして、今年も手作りのイカナゴの釘煮(くぎに)を真智子の分まで預かってきた。
叔母の優しさが身にしみ母を思い出させた。

明日から受難週に入る。

posted by 優子 at 00:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

春を予感

60歳はまだまだそれなりにテキパキできる年齢であろうが、知子は常に私の体調を気遣ってくれる。
次女夫婦が発った日と翌日にパジャマやシーツは洗ったもののそのあとはそのままだった。今日は幾分体調がいいようなのでゆっくりのんびり2階の掃除し、ようやく今夜から自分たちのベッドで寝られるようになった。

というのは、狭い我が家では次女夫婦が帰宅する時は民族の大移動ならぬ我が家内で大移動になる。
まず、夫が寝ているセミダブルのベッドには知子とユキに、夫は空いている真智子の部屋へ。私はそのままで、知子とユキのベッドを次女夫婦に譲るというわけだ。

今日は知子とユキだけでも自分の部屋で寝られるようにとやり始めたところ、夫の分もできそうなので移動し、もう少し頑張って私のところもホコリを払って気持ちよくした。2時間要して全部やり終えることができた。

さて、今週末に関西学院大学で開催される日本キリスト教文学会がある。昨年末に久保田先生から「遠藤周作だから行きませんか」とお電話を頂いた時、申し上げにくかったが関西支部長(関西学院大学の副学長)にメールし退会したことをお伝えした。

久保田先生にご紹介頂いて入会したのにご相談もしないで退会したのだが、探究心は全く消え失せて自分の可能性の限界を感じていた。

しかし、久保田先生がはるばるお出でになるならば是非サポート役をさせて頂きたいと思っていたが、体調が良くないので昨夕欠席する旨お電話したのだった。先生も大事をとって欠席されるとのことで気持ちは楽になった。

退会したことについては後悔はしていないが、十分に祈りもしないで自分の思いで事を進めたことはよくなかった。

同じ頃に森有正の妹・関屋綾子さんのことを書いてみないかと声をかけて下さった方もあるが、こんな機会にも食いつかず見逃すことができるというのが現状だ。

しかしながら、今年は3年ぶりに手帳を持った。今ではすっかり孫との生活に慣れ親しんでしまって、予定が入っても手帳に書き込むのを忘れる。まさに社会復帰、リハビリが必要だ。


今春からはユキが幼稚園に入園するので徐々に自分の時間がとれるだろう。焦らずに、しかし、止まらずに、何かを始めていきたい。今はまだ全くテーマも見つかっていないが。

知子は今月末の株主総会と新体制に向けてハードな日々を過ごしている。今や知力も全開して小・中学校時代のような冴えを見せている。
私は生き返った知子が嬉しくてならない。

あれから3年。
今年は春の感情を思い出すことができるのだろうか。
知子の耳に鶯の声はどのように響くのだろうか。
大寒を前にして春を予感する。

posted by 優子 at 23:27| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

希望と感謝のクリスマスを迎えたい

18日の礼拝説教でお聴きした「アフリカに靴を売りに行った商人の話」は示唆に富むエピソードだった。

「ある人はここでは誰も靴を履いていないから靴はいらないと考え、もう一人の人はここは靴を売れる絶好の場所だと考えて大量に靴を発注した」。

「脳は想像したことを現実として捉え、それが体の反応に出てくるそうだ。不安と恐れにだけ目を留めるならば全てその通りになり、果ては疑心暗鬼になってしまう」。


私は奏楽のご奉仕にあった知子と目を合わせて頷きあった。
まさにその前日も知子との会話でこのことで盛り上がり、体力的なことで気弱になりやすい私は「溌剌とした気持ちで生きるね」と話していたところだったからだ。

さて、イエスの誕生を喜んだ人がいる一方でヘロデ王は不安を覚えた。
そして、恐れの元を抹殺しようと、「ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺し」てしまった。

しかし、3人の博士は希望と喜びだけを見出した。
人はどちらを選ぶのか、何に目を向けるのかで人生の方向性が決まる。何を選択するのかはそれぞれに任されている。
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「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

私は希望と喜びと感謝に溢れるクリスマスを迎えるために、神の御前で深く頭を垂れる。祝されたクリスマスをお迎えになりますように祈ります。

附記:
★昨日の午後、キム・ジョンイルの死去を報じた。
罪を悔い改めずに逝ったであろうことを思って魂が震撼した。クリスチャンである横田早紀江さんも同じようなことをコメントされていた。

拉致されたご家族の方々もかなりの高齢になっておられる。
どうか今こそ神の奇跡的な展開をなさしめ、これまで積み上げられてきた祈りを成就して下さるように切に祈る。

posted by 優子 at 16:55| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

どこもかしこもクリスマス一色だが

27日からアドベントに入った。
「アドベント」は「到来、到着、接近、出現」などの意味であり、日本語では「待降節」と訳されている。12月25日の4週間前の日曜日から24日までの期間を言い、今年はちょうど25日の聖日がクリスマス礼拝になる。

26日は夫の会社が半日勤務だったため「子連れ狼」ならぬ「孫連れ」で、ユキと一緒に教会の委員会に出席した。
会議中、ユキはクリスマス飾りのお手伝い(?)させて頂いて楽しかったようだ。その夜、我が家のツリーも飾った。

昨日は朝から喉が痛かったがユキを連れて梅田まで出かけ、キリスト教書店とデパートでの用事を済ませ、ユキが希望していた地下鉄にも乗った。
しかし、時間の経過と共に喉の痛みは全面に広がり夜には熱も出てダウン。今日はずっと寝ていた。

ところで、今や街もレストランもデパートも幼稚園もどこもかしこもクリスマス一色だ。しかし、みんな何を喜び何をお祝いするのだろうか不思議でならない。

今年は「3.11」と原発事故の深刻な状況が今も続いている。自宅近くのお宅のクリスマスイルミネーションは節電のためになくなった。今年こそ全ての人が本当のクリスマスの意味を考える時ではないだろうか。


イチョウの木の下で.jpg
posted by 優子 at 21:35| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月16日

シルバー人材センターの植木剪定チームに感激!

外壁工事中の不自由さに慣れるのも不思議ならば、足場が撤去されて窓から外を見ると、あのシートに覆われた日々も夢のようだった。
このような感覚は今までにも何度も経験したものであるが、大震災の被害もこのように感じる程度であるならばどんなにいいか。神さまがこの艱難を耐えさせて下さるように。

工事スタート.jpg 足場撤去.jpg 外壁工事完了!.jpg

昨日はシルバー人材センターから植木剪定に来て下さった。
今年から義母は植木の剪定を私に頼んでくれるようになった。昨夏のお盆での出来事に起因しているがブログには曖昧にしか書けなかった。

その後、11月になっていたと思うが、理不尽な言動のあげく急に投げ出されて困った私は、近隣の親友Nさん宅の植木屋さんを紹介して頂いて助けられた。

しかも11月中に、義母の予算額内で裏はソコソコ手を入れるだけで何とか格好をつけて頂いた。

そこで今年は3月頃に市のシルバー人材センターにお願いして予約した。
例年、年の瀬もいいところで25〜28日頃だったので、今年からは要望通り11月半ばにしてもらえるのでありがたい。

そんなわけで昨日は8時ジャストにチャイムが鳴り、門を開けると何と総勢9名の方々が立っておられた。そのチームプレイ良く、早々午後3時には完了して引き上げられるほどの手際の良さだった。

西側から裏庭部分は全員の方がびっくりされるような密林のごとき状態だった。
「ひとり生(ば)え」と言って、鳥が種を落として生えてきたような木が多いそうだ。「ひとり生え」とは何て風情のある言葉だろう。

義母にも立ち合ってもらい承諾を得て、「ひとり生え」の木を伐採してもらったので明るくなった。
私達の家を建てるために移植した2本の松は、「おじいちゃんが大事にしていた」と義母から何度も聞かされている。今月末で義父が亡くなって7年になる。義父への想いが深まる秋である。
義父が愛した松.jpg

手際の悪い私は9人分のコーヒーを入れるのに必死だった。ふらふら

午後はチャッピーを久々にリビングに入れてやった。毎年冬の午後はよく入れてやっていたものだが、知子がユキを連れて我が家にリターンして以来、チャピーの入室禁止令が発布されてチャックンは寒い冬を過ごしている。

久々のリビング.jpg

知子がこの写真を見たら悲鳴を上げるだろう。
足と口が布から出ている。

チャッピーを居間に入れてやった時のユキの喜びようといったらない。嬉しくて嬉しくて飛び跳ねていた。この写真はポーズを取ってもらったのでユキは起きている。わーい(嬉しい顔)
植木もスッキリ!.jpg
屋根の色を黒からオリーブ色に変えたことと、
軒裏を黒から白に塗り替えたので家が明るくなった。
そして、植木の剪定も終わってスッキリした。

「もうお正月やなあ」.jpg

「もうお正月やなあ」
「これでお正月がいつ来てもええなあ」

シルバーさんたちはでき栄えを見つめながら満足げに異口同音に言われた。その言葉に忘れていた懐かしい感情を思い出した。

シルバーさんたちは年間1500件の仕事をこなし、この中には大規模な仕事になる学校が8件も入っているという。7月に予約しようものならば年明けになるとのこと。

仕事の明細書を頂いており、伐採されて出たゴミ処分費はそれに加算される。ゴミは昼食後まもなく行かれたのだろうか、2時半頃には処理場(王寺町近辺)から戻って来られた。

今日早速請求書が届いた。ゴミ510キロ、6630円+消費税が加算されての請求額は、今までよりも20%の経費削減となった。

ただ一点思うのは、もう少し遅くまでやってもらえば人員を1人減らせるのではないだろうか。シルバーさんのやり方が決まっているのだと思うが、3時に完了というのは早過ぎると感じるのは私だけだろうか。

義母は1日でやってくれたことだけではなく仕上がりも大満足してくれた。
シルバーさんたちは輝いておられた。その働きは大きな力だ。シルバー人材センターはお薦めである。

posted by 優子 at 18:26| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

ついに足場解体、それぞれの専門分野の方々に感謝!

「カンカンカン!」
今日は朝から足場の取り外しで軽やかな音が響いていた。本当ならばこの日をどんなに待ちに待っていたことだろうか。しかし、今ではすっかり慣れて意外なほど感激は小さかった。

吹き付け塗装の前に窓の外側をビニールで覆われた時が一番苦痛だった。密閉状態になって文字通り息が詰まりそうだった。
その間も夜は風呂場とトイレの窓はビニールを外して下さったのでありがたかったが、そのあと少しずつビニールが外されていき完全に取り除かれた時は嬉しかった。

それでも家全体をシートが覆っているのだが、朝夕窓を開けられるだけでも気持ちは全然違う。その後はそれまでのストレスとは比べものにならないほど軽減されていた。

それでもなお苦痛ではあったが、ある時、まつげも眉毛も真っ白になったペンキ屋さんの顔を見て私の鬱陶しい気持ちは吹っ飛んでしまった。

高圧洗浄から殆ど全てを彼1人でやってくれた。吹き付けや屋根の作業の時には2人でされていたが、毎日毎日根気のいる仕事をコツコツとして下さっていた。

私は最初の1週間は自分自身のストレスを耐えるのが精一杯で、それに加えて血圧が高くてしんどい日もたびたびだったので彼に気配りできず、ただ安全と健康を祈っているだけだった。

昨日は25度(大阪は26.3度で全国76ヶ所で夏日になった)まで上がり、今週は例年にない暖かさなので11月でも庭にはヤブ蚊だらけで悩まされたことと思う。
気がつかなくて申し訳なくて、早速腰に吊る蚊取り線香を使ってもらうことにした。

今朝は先月足場を組み立てて下さった2人が取り外しに来て下さった。まるで大怪我が治って包帯を取るときのような心境だった。
それぞれの分野で専門家が居て下さっているというのは本当にありがたく、私達はいろんな人に助けられて生きていくのだと感謝が溢れた。


それにしてもペンキ屋さんの健康が心配でならない。
マスクをしていても鼻毛はバキバキになるというのに、まるで高度経済成長期の話でもあるまいにマスクの質に全く注意が払われていない。すぐにでも高性能のマスク使用を義務づけるべきだ。

目も心配だからゴーグルをかけてやればいいよと言えば、飛散したペンキがついて何も見えなくなるからできないと言うではないか。それが眼球にかかっているのである!

長年この仕事をされてきた年配の方の健康状態も特に問題はないらしく、「自分はそんなに気にならない」と言われたが、眼球と呼吸器保護のために改善せねばならない。

お昼前から雨が降り出したが、その後まもなく完了して足場屋さんたちをお見送りした。「足場屋」という言葉も今回初めて知った。

最後に昨日の昼食前のユキのお祈りをご紹介したい。私は笑うのを堪えながら、幼いユキの想いと純朴さに感極まった。

「いつもお兄ちゃんがお仕事して下さっていて助かります。
屋根から落ちないようにイエッしゃまがお守りください。
おばあちゃんも元気だったら屋根に登りたいと思います。その時は落ちないように見ていて下さい。
お兄ちゃんがおうちに帰ったら、ゆっくり休憩できますように。イエッしゃまのお名前によってお祈りします。アーメン」


このお兄ちゃんは20歳の若者で2歳の女の子のパパだった!
ここが私の終(つい)の棲み家である限り(事業経営が破綻して家を差し押さえられなければ)、丁寧な仕事をして下さったY君のことは忘れない。思い出に写真も撮らせてもらった。

人間の順応力もさることながら、今回のようなストレス期間を耐えやすくするのも愛だ。他者への愛が豊かな人ほどストレスは少ないのだと思う。

出遅れたと言おうか、これが私の現状なのだが、それでもなお愛深い人に変えられていく望みを持って生きている。

施工期間2週間よりほぼ1週間遅れて、いよいよ7日が仕事最終日である。
チャッピーのパーキング生活も終わる。犬


posted by 優子 at 17:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

神の存在と人生の意味を模索していたジョブズ氏のことと、カダフィ大佐死亡をキリスト者としてどう受け止めるのかについて ―『クリスチャン・トゥデイ』より―

ジョブズ氏については彼の死によって知り、以来彼の内面について関心がある。
2011年10月7日の記事は「カテゴリ:社会的なこと」に綴じたが、10月25日記事でも触れている「キリストの真理を通して情報を読む」は「随想」の関係から、再読したい時のために今日の転載記事も同カテゴリに収めておきたい。

これは2011年10月26日に配信された記事である。

ジョブズ氏、信仰と人生の意味を模索 
   ―ジョブズ氏の自伝著者がインタビューで明らかに―

▲スティーブ・ジョブズ氏自伝

(先月)24日講談社より発売されたスティーブ・ジョブズ氏の伝記「スティーブ・ジョブズ(著者:ウォルター・アイザックソン氏、日本語訳:井口耕二氏)」の著者ウォルター・アイザックソン氏が23日の米CBS「60ミニッツ」でのインタビューで、5日に死去したアップル共同創業者スティーブ・ジョブズ氏が自身の死が近づくにつれて神を信じることと宗教に関する葛藤に直面していたことを明らかにした。24日、米クリスチャンポスト(CP)が報じた。

アイザックソン氏によると、仏教徒であると自称していたジョブズ氏は、死に至る数か月間において、神の存在と人生の意味について深く模索し始めるようになっていたという。


アイザックソン氏は「ある日ジョブズ氏は裏庭に座り、神について話し始められたことがあったのを覚えています。

ジョブズ氏は『ときどき、神を信じるんだ。しかし信じないときもある。多分半分は信じて半分は信じていないのだと思う。自分が癌になってから、このことについてもっと深く考えるようになってきたんだ。

そしてもっと神を信じる時間が長くなっていることに気付いたんだ。多分その理由は、自分が死んだ後の世界があることを信じたいと思うからだと思う。

つまりもし死んだら、その後全てのこと、これまで自分が積み重ねてきた知識の全てがただ無になるというわけではないと思うんだ。そのようなものはどうにかして死んだ後も残っているだろう―そうさ。生と死というのは、オンとオフで切り替わるスイッチのようなものだと思うこともあるんだ。

クリックすると、死んでしまう―だからアップルの製品にはオン・オフで切り替わるスイッチをつけたいと思わないんだ』と話されていました」と番組内のインタビューで明らかにした。

ジョブズ氏はアイザックソン氏と自身の伝記を作成する話し合いをしている最中に、自分自身の存在意義についても疑問を感じていることを伝え、「ひとりで生まれてきたのだから、死ぬ時もひとりで死ぬだろう。そのときに問題となることは何だろうか?私が死んで周りが問題と思うのは、『スティーブ』という人間が失われたということだろうか?そのことに何の意味もないのではないだろうか」と述べていたという。

次の記事は2011年10月26日に、同じく『クリスチャン・トゥデイ』が配信したものである。

 カダフィ大佐死亡-キリスト者としてどう向き合うか?
指導者が腐敗する原因は自身の権力欲

10月20日、リビアで42年間の独裁を行ってきたカダフィ大佐が死亡した報道を受け、多くの人々が独裁政権の崩壊に喜びを見せている。一方で世界中で多くの信仰心あるキリスト者は今回の射殺による独裁者死亡をどのように受け止めるべきか自問している。

米クリスチャンポスト(CP)は25日、米オハイオ州コロンバスにあるアドベント・ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライスト主任牧師のスーザン・スミス氏が、米ワシントン・ポストへの最近の寄稿の中でこの疑問に対する見解を記述したことを報じた。

寄稿の中で同氏は「キリスト者である」ということを検証し、どれだけのキリスト者、あるいは宗教者が神のしもべとしての道から逸れてしまっているか、どれだけのキリスト者がカダフィ大佐の死に対し、その人物の独裁政権による残虐行為にもかかわらずひとつの命が失われたことに対する同情を示すことができているだろうかと問いかけている。

私自身は、カダフィ大佐が銃撃を受け、殺されたという事実自体に対して『喜ぶ』ということはできません。このようなことで喜んでいる日々は神様にとっては喜ばれる日々ではないでしょう」
と述べている。

オンライン上でも多くのキリスト者らがカダフィ大佐の死について、リビアでの長年の圧制に終焉を遂げるものとなったとして喜びのメッセージを投稿している。

一方でカダフィ大佐がたとえどんな恐ろしい人物であるとしたとしても、他人の命を奪い取るという行為は許されるべきものではないといった意見も見られている。

カダフィ大佐の死についてフェイスブックではクリスチャンユーザーらから、「カダフィ大佐による圧制が消え去ったことを喜ぶとしても、永遠に失われてしまった魂については決して喜ぶことはできないだろう」。

「神様はいかなる人間の死をも喜ばれない。それならば私たちも同様に喜ぶべきではない。カダフィ大佐のご家族のために祈りましょう。彼らの命が保たれている限り、主に立ち返り悔い改める機会があるのですから」
などの意見が述べられている。

またカダフィ大佐の圧制で長年苦しんできたリビア国民の間からも同様の議論が聞かれている。
posted by 優子 at 07:37| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

キリストの真理を通して情報を読む

近江兄弟社出版部が発行している『湖畔の声』10月号が届いた。今月の福井達雨氏の連載は、「なでしこジャパン」の過激な報道からマスメディアの在り方を考えるものだった。

周知のように福井氏は止揚学園(知能に重いしょう害をもつ人たちの家)の園長である。世の弱者たちのために人生を捧げておられる福井氏ゆえに、その言葉は実感をもって伝わり私の眠りを覚ました。

「例えば、人間は強さ、賢さを求めがちです。そのために強者、賢者は尊敬され、自分の生き方や努力の目標になります。弱者を誉め、自分の歩む指針にする人はまず、いないと思います。

だから、『なでしこジャパンに感動して、生きる勇気が与えられた』とその強さに称賛の声が上がるのです」。


実にそのとおりだと感じ、そのあとに長い沈黙が落ちた。
福井氏に指摘されなければ気づかなかったことが大きなショックだった。私もまた時代の影響を受け霊的感性が鈍化していたのであろうか。


福井氏は次のように続けて書いておられる。

「しかし、聖書には『わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さをほころう』と説かれ、『弱さを誇ろう』という御言が何度も出てきます。・・・

強さや賢さを力にする人間、弱さや愚かさを誇りにする聖書、この違いこそ深い意味があります。・・・

聖書が生み出す真実は人間の知恵には惑わされないイエスさまの御言なのです。その真実は真理なのです。

その真理こそ、私たちがマスメディアにしばられて、身動きできなくなることから抜け出させ、自由を与えてくれる源です。聖書は、『真理は、あたがたに自由を得させるであろう』と語っています」。


確かに最近の私は主(しゅ)に在る主体性が希薄になっている。それゆえに、普段接する人々が子供の教育について語っておられるのを耳にしてもしんどく感じた。

しかし、教育問題は今に始まったことでもなく私も子育てをし、イエスさまから目を離さずに歩いて行ったから世に振り回されることなくたどり着けた経験もあるのである。

私達は今、情報過多という言葉でさえ言い表すことができないインターネット時代に生きている。そして、今ほど個人の在り方、理念が重要視される時代はないだろう。

だからこそ私も十分に心して生きているつもりであるが、福井氏の文章を読んで今の私は何とお粗末で出来合いのものしか感じることができなくなっていたことかと思った。
情報に翻弄されては骨抜きにされてしまい、クリスチャンにとって命取り(霊的な死)になりかねない。


こう気づかされたあとに今日の記事をネット情報で終わるのは愚弄されるかもしれないが、昨日世界同時発売されたジョブズ氏の伝記著者がジョブズ氏の人間像を語っており、その内容は10月7日に記録した彼の側面とは正反対のエピソードで意外なものだった。
ジョブズ氏をよく知る人の発言であるからたいへん興味深いものである。

【10月24日 AFP】米アップル(Apple)の共同創業者、故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏は完璧主義者で、従業員たちに厳しくあたり、いら立ち、痛烈に否定的な態度を示すこともあった―24日に発売されるジョブズ氏の伝記の著者はこう語る。

「彼は心温まるような人物ではなかった。とても短気だった。とても冷淡で、ときに他人に対してとても意地悪になれた」。ジョブス氏の伝記を執筆したウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)氏は、米CBSテレビの情報番組「60ミニッツ(60 Minutes)」のインタビューでこう語った。

■人にも厳しく求めた完璧主義

アイザックソン氏いわく「彼は、レストランのウエートレスに対しても、プログラミングのために一晩中起きていた人に対しても、近づいていって『全部間違ってるぞ。ひどいもんだ』と言える人間なんだ。それで相手が『なんでそんなこと言うんだ?もっと優しくなれないのか?』と言えば、彼はこう返す。『私は完璧を求める人間とだけ一緒にいたいんだ。それが私だ』」。

ジョブズ氏の完璧主義は、養父のポール・ジョブズ(Paul Jobs)氏譲りだったという。(略)

アイザックソン氏は、「(ジョブズ氏は)世界最高の経営者ではなかった」と語る。「実際、彼は世界最低の経営者だったかもしれない。

「彼はいつも物事をひっくり返していた。それに物事を混乱に陥れていた。最高の製品を作ったかもしれないが、最高の経営スタイルを生み出したとは言えない」。

2004年に膵臓癌が見つかった時、医師は「非常に進行が遅く、(すぐに手術すれば)完治できる」と説明したが、手術を受け入れたのは9ヶ月後のこと。しかしその時、癌は膵臓の周囲にまで転移していたという。

「アイザックソン氏がジョブズ氏に手術を拒否した理由を尋ねると、ジョブズ氏は『体を開けられるのがいやだった。そんな風に自分を侵害されたくなかったんだ』と答えた」という。

人間は矛盾を併せ持つ存在であるから、これもまた意外なエピソードとは言えないかもしれない。
しかし、「体を開けられるのがいやだった。そんな風に自分を侵害されたくなかったんだ」という言葉に彼の全てが語られているように思い、私の中で悲しみが込み上げてきた。
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posted by 優子 at 18:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

我が家の門は掲示板

「結婚以来、わたしの願っていたことが一つあった。それは自分の家の前に掲示板を立てることだった。20センチほどの片屋根をつけて、その掲示板に、教会案内と聖書の言葉を貼っておきたかった。

そうすることは、わたしたちの信仰を、世間に明らかにすることになる。旗色鮮明ということは大事なことだと、わたしは思っていた」。


これは三浦綾子の「三部作」と呼ばれる作品の「第二部」・『この土の器をも』に出てくる言葉である。

かつてマンションに住んでいた時、1階ロビーの掲示板に教会のチラシを貼ることができなかったので、この箇所もまた強烈な印象として残っている。

そして当地へ引越し一軒家に住むようになってから、門に教会やキリスト集会のポスターやチラシを貼り、我が家で開いていた家庭集会、「聖書を読む会・オリーブの会」の案内も数多く貼っていた。

私は「隠れキリシタン」としてではなく、キリスト信仰の旗印を鮮明に掲げて歩み始めたのである。
これが我が家の掲示板である。我が家の掲示板.jpg
そして、昨日教会から持ち帰ったポスターを早速掲げた。来週の特別伝道礼拝のお知らせである。牧師がラミネート加工して下さっているので雨になっても大丈夫。横には「ご自由にお持ち下さい」と書いてチラシを入れた。
2011年度 特別伝道礼拝
〜いのちゃんの腹話術とお話〜

  日 時:10月16日(日)午前10時30分
  ところ:日本キリスト教団 馬見労祷教会
  お 話:「永遠のいのち」 猪股武文さん(フィリピン在住)

どなたでもご自由に参加できます。
お子さまとご一緒にぜひ一度、教会にお越しください。
入場無料ですが、礼拝中に献金があります。(自由献金)

  連絡先:古森敬子牧師
      奈良県北葛城郡広陵町平尾546−3 
      TEL/FAX 0745−55−7573

続いて私からご案内です!
この爽やかな秋の一日、教会で聖書のメッセージをお聞きになりませんか?
私は孫の成長に伴って再び教育について考えることが多くなってきました。娘たちには通学可能な範囲内に行かせたい私立校がなかったので公立校で学ばせましたが、周囲を見れば塾通いの子供たちばかりでした。

我が子を良い環境の学校へ入れたいと思うのは誰しも思うことです。
しかし、例えば我が子を同志社へ入れたいと思う人の多くは、キリスト教主義の教育を受けさせたいからではなく、その大多数は今も変わらずブランド志向で学校を選んでいます。
いつの世もブランド信仰、学歴信仰、金銭信仰・・・に生きる人が何と多いことでしょうか!

そういえば今から22年前のこと、子育て真っ最中の時に次のような文章を書きました。
今や学校選びはブランド志向と化し、我が子を有名私立校に入学させるために人々は世に振り回され、盲目的に突進している。

その渦中に翻弄される寸前、神より絶対的価値観を与えられた私は、決して人々に悩まされることなく親子共々、最高の人生を歩む特権を与えられた。

親の教育観は、即ち親の価値観であり、問われるべきは親の価値観である。

(過去ログ:2007年8月22日より抜粋。http://yukochappy.seesaa.net/archives/20070822-1.html

とは言うものの時には、塾に行かせなくていいのだろうか、私立へ入れるべきかと周囲の様子から不安を感じたこともあり、まるで激流の川の真ん中で足に力を入れて踏ん張っているような心境の時もありました。しかし、娘たちは一度も塾へ通うことなく自学自習で過ごしました。

子育て、夫婦の問題、嫁姑、近隣や職場の人間関係、親子関係、経済的な悩み、病気、老いの問題・・・など、私達は常に人生のどの段階においても多くの悩みを抱えながら生きています。

しかし私は人生の悩みに打ち勝ち、苦難の時も他人の愚かな嘲笑や非難にも負けずに生きられる最高の人生へと導かれてきました。だからこれからのことも根本的な心配はしていません。

たった一度の人生ですもの、喜びと希望と感謝に溢れて生きていきたいですね。教会ではそんなことに気づかせられるお話を聴けるところです。是非一度お近くの教会にお出かけ下さい。
教会に行くのに遠慮はご無用!きっと大歓迎されることでしょう。


私は孫が腹話術の人形を見てどんな反応を示すのか密かな楽しみです。(^―^)
これをお読み下さった方々の上に神さまのお導きがありますように切にお祈りします。


posted by 優子 at 15:24| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

わが心も梅雨空のごとし

「もう真智たちは飛行機に乗っている」
あと何時間・・・と指折り数える今朝の目覚めだった。

" chicken or beef ? "
快活な英語。機内の様子を思い出して微笑んだ。

無事到着の電話を楽しみに、夫の傍若無人で自分勝手きわまりない相変わらずの生き方に引きずり込まれないようにしよう。

自分に打ち克っている知子に支えられつつも、・・・・情けなくて悲しくて4日目の今も吹っ切れないでいる。

こんなことでどうすると、被災された方々のことを思い出しては立ち直ろうとするのだが・・・・互いに年を重ねてきてこれでは情けな過ぎる。今までの苦楽は何だったんだろうと虚脱感が覆っている。

ユキが起きた。

記事をアップすると「最新記事」のタイトルが目に入った。
夫に導かれて教会か・・・そんなこともあった・・・覚えている。
夫を赦し、気持ちが変えられますように。

posted by 優子 at 07:30| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

今朝は夫に導かれて教会へ!

この時期に台風2号というのは時期はずれであるが、大雨警報が出ていたので今朝は教会へ行くのを躊躇していた。

私はいつしかくつろいだ雰囲気の中で大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を開き、印象に残っている箇所を夫と長女を相手に朗読していた。

というのは、今夏、次女夫婦も一緒に家族で広島へ行く計画を立てているからだ。原爆資料館は幼児に恐怖を与えないかと心配だが、その箇所に目を向けさせないように娘と交代して・・・と思っているがどうだろう。
ユキには新幹線にも乗せてやれるので、交代で子守りしながらでも是非現地に立って考えてみたい。

さて、『ヒロシマ・ノート』の一部朗読を終えたのは9時45分頃だった。
すると夫が「教会へ行こう!」と言うではないか。私は瞬間的に悔い改め、大急ぎでお化粧して雨にも負けず出かけた。思いもしない夫の導きだった。幸いなことに行きも帰りも霧雨だった。

今日のメッセージで私の中で強化された真髄は、悟りや心の目が開かれるのは神さまの働きであるということ。

私達は神さまと出会って信じるのであるが、信じる者となれるのは神さまの働きである。神さまとの出会いを与えて下さって救いを得させて下さったのは神さまなのだ。


私達は信仰をどのように受け取り、どのように神さまの恵みを受け取っているだろうかとの問いかけに、先週から精神がたるんでいる私は姿勢を正した。

神さまから頂いた恵み、感謝の心、正義のために働く勇気、人々を助ける愛に生き、周囲の人々に神の恵みを伝えていくことができるように真剣に求めたい。

今週の週報には大阪教区にある教会の牧師就任式が記されていて、その中にクリスチャン・ペンクラブの集会で行った大阪城北教会と昨年召された鳩飼さんの淀川教会があった。

夕食後、淀川教会のHPを開いた。久々に集合写真の鳩飼さんを見て悲しみに包まれてしまった。(http://yukochappy.seesaa.net/archives/20101118-1.html)鳩飼きい子(本名:きよ子)さんは作家活動されていたので検索するとすぐに出てくる。

大江健三郎については何度も勉強会を重ねた。
文学や信仰について、島尾敏雄についてもよく語り合った。
先日も梅田に出た時、おしゃべりしながら一緒に歩いたことが懐かしくてならなかった。このたびの大震災や原発事故について何度も鳩飼さんと会話している。

夜10時を過ぎているのにお風呂にも入らないで何をするでもなくパソコンを開いていたら、2階から夫が降りてきて「テレビで日野原さんが出てるで」と教えてくれ、それを機にパソコンを閉じることができた。

2階へ上がってテレビを見ていたら夫はすぐに眠ってしまった。日野原重明さんの話を聴き終わってお風呂に入ったのは11時前だった。

特に新しい話を聞いたわけではなく著書からよく知っていることばかりだったが、後ろ向きになっていた目を前方に向けられた。

過去の恵みに目を奪われがちになる私は、神さまは過ぎた日々にも増して恵みを注いで下さることを忘れないでいたい。
そして、今年100歳になられる日野原さんの生き方からパウロの言葉が我が胸に響いた。


「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」。
            
            (ピリピ人への手紙 3章13・14節)

台風は温帯低気圧に変わったが強風が吹いている。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年04月11日

かつて福島はキリスト教国だった!

3.11の春も桜満開.jpg

桜が満開である。枝を伸ばして見事に咲いている。

私は今年の春ほど桜がこんなに美しいものであると感じたことはなかったように思う。桜が語りかけてくる。

東日本大震災から1か月、死者行方不明者は2万7000人を超え、約15万人もの人が今も避難生活をされている。原発事故は深刻さを増すばかりで、強い地震も今も絶え間なく起こっている。

遠く離れた関西に住む私でも気が滅入りそうになるから、被災県の方々のことを思うと言葉が出ない。お励ましになればと思って、昨日「クリスチャン地震被災状況」に掲載された記事をご紹介したい。

もしかしたらご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、福島県クリスチャンへの励みになればと思って投稿しました。今日の説教の一部です。

福島県を福島と名づけたのは、一説によるとクリスチャン大名の蒲生氏郷(がもううじさと)といわれています。

蒲生氏は高山右近の影響で信仰を持ち、洗礼を受けました。幼少時代は織田信長の人質でした。

しかし、あとで信長に腕を買われて頭角を現してきた時に、本能寺の変がおき、豊臣秀吉に煙たがられ、東北に飛ばされてしまいました。
蒲生氏は秀吉ににらまれ、これで自分の人生は終わりか、都から遠く離れたみちのくで朽ち果てるのかと涙しました。

しかし、気を取り直し、神がこの地に私を選び、私を召して下さったのだと気持ちを切り替えました。神が私をこの地に呼んで下さったのには、何か訳があるに違いない、そう考えました。

毎朝、山に登って、「神よ、願わくばこの地の民を祝福して下さい、この地を呪われた地ではなく、見捨てられた地でもなく、神の恵みで覆って下さい」と祈りました。

そして出来るだけおめでたい名前にしたいという気持ちから、この地を「福島」と名前を変えました。

そこで一生懸命祈り、神の愛を届け、下級武士の生活の面倒を見ていました。福島には一時、藩の人口の3分の1が洗礼を受けてクリスチャンになり、教会も建てられた有数のキリスト教王国だったことはあまり知られていません。

蒲生氏がなぜ「福島」と名づけたのかは知る由もありませんが、私には「福音(ふくいん)の島」という響きに聞こえます。

地震、津波、原発、風評被害と大変な四重苦の中にある、福島の方々の苦しみを思うと言葉もありませんが、福島には先人のクリスチャンの祈りが積み重ねられていることに感動を覚えています。私も祈り続けます。

これを読みながら野崎キリスト教会の神田宏大(ひろお)牧師のことを思った。野崎観音がキリシタンの寺であったことを発見された方だ。

1600年頃、堺と京都の中継地である河内の高野街道から堺まで、1人の異教徒もいなくなったと言われるほど一気にキリシタンの聖地になった。福島県の話も同じ頃のことだ。

「河内キリシタンと呼ばれる信仰の先輩たちが私たちと同じ地域で、イエス様と出会い、イエス様を伝え、良きあかしをされた記録を調べながら、私自身が恵まれました。」

神田牧師もきっとクリスチャン大名の蒲生氏郷(がもううじさと)のこともご存知であろう。

クリスチャンはどんな時も神を信じ、希望を持ち続ける民だ。
私は何もできないけれど、神さまからの励ましのメッセージを見つけてはご紹介させて頂こう。私達一人ひとりの心に希望を与えて下さるように祈りつつ刻もう。

posted by 優子 at 22:30| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

人間の偉大と悲惨、そして、希望!

昨年の今頃は宮崎県で口蹄疫が確認され、その後感染拡大で大変なことになっていった。
あの時、私は初めて「殺処分」という耳慣れない言葉に驚き、今年は「除染」という言葉に動揺した。それぞれに共通しているのは「立入禁止」区域があることで、原発事故は最悪の危機だ。

人間はこれまで大きな進歩を遂げてきたが、それに付随して多くの問題も生み出してきた。
利点という円の円周が大きくなった分だけ困った問題(面積)も増大し、ついに放射能が人間に牙を向いた。

人間の偉大と悲惨、その一線を画するのは科学万能主義の傲慢さだ。

池上顕氏は『Newsweek』最新のコラムで「『正しく恐れる』ことのむずかしさ」を書いておられるが、その意味合いは違えども、何にも先立って真に畏れるべき方を畏れない人間の傲慢さはタイトルそのままだ。

災害が起こって明日で4週間、原発事故が発生してから多くの人々が不眠不休で頑張って下さっているのに未だ危機から脱していない。

広島と長崎を経験し世界で唯一の被爆国の日本にこのようなことが起こり、日本は何という数奇な国なのだろうか。私はその意味を考えずにはおられない。

ここ数日間、原発事故の経過が心配でならず少々落ち込んでいたが、国内外の献身的な人々の働きに励まされ、神のご臨在とご計画を感じさせられて神による希望に目を向けさせてくれた。

私は直接人々を助ける活動に関わることをさせて頂いていないが、私もまた自分の時間や能力、体力や支援金など、神さまから与えられているものを「惜しみなく」与える人になりたい。

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

それでも春が来ていた

緊急支援募金のお願い:
私達夫婦は娘たちの自立を機に、2006年12月よりマラウィ共和国(アフリカ)の女の子のチャイルド・スポンサーをさせて頂いています。

このたびワールド・ビジョン・ジャパンの東日本大震災緊急支援募金のリンク協力をさせて頂くことになりました。

ワールド・ビジョンの支援活動をご覧下さり、募金のご協力をよろしくお願い申し上げます。

いつの時代にも多くの苦難があり、先人たちは苦難と闘ってきた。
このたびは一瞬にして何もかも根こそぎ奪い去られた上に原発事故が起こった。

今日は3号機の復旧作業に当たっていた男性作業員3人が被爆したというニュースが飛び込んできて涙が溢れた。

未曾有の大惨事だ。
この先どうなっていくのだろう。
悲惨としか言いようのない出来事に心が萎えそうになるが、何が起きても神への信仰に立ち、神を信頼し確かなる希望に目を向けよう。

関西ではこの惨状からは信じられないような今までと変わりない生活が許されているが、誰もが節電に心がけている。

きっと日本中の人が電気も水もガスも全てが当たり前ではないことを思い知り、生活そのものが変わってくのではないかと思う。そうでなければならない。

朝は氷点下の寒さだがウグイスがさえずり、毎年わが街で一番に咲く桜がすでに満開になっていた。

それでも桜は咲いた.jpg

根こそぎ奪い取られた東北の大地に、再び美しい四季が訪れるのはいつだろう。被災された方々のことを想いながら私はいつまでも桜の花を見つめていた。

ベランダのチューリップもいつのまにか蕾をのぞかせていた。
蕾が顔を出していた.jpg
こんなに悲しい年でも春は来ていた。
それでも春が来た。

「この世は苦難に満ちています
     しかし
     それに勝ちうる力を与えられる神も
     またおいでです。」
        
             
             (ヘレン・ケラー)
     
     「今まで起こった全ての問題は
      神のゆるしなくしては起こらない。
      そうである以上
      神がきっと何かの考えをもっておられるのだ。」
             

             (チャプレン マーリン・キャロザース)

絶望してはいけない。
神さまが最善をなして下さることを信じ、被爆された方々の癒しと、原発で作業して下さっている方々の安全と無事を切に祈ろう。

posted by 優子 at 22:21| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

宇野さん 3キロ全盲男子の部で第2位!

昨日の第28回視覚障害者京都マラソン大会の3キロ全盲男子の部で、宇野繁博さんが第2位でゴールされた!伴走して下さった方は洛南高校陸上部のK君だ。

私はあまりに感動して次女に宇野さんの写真を転送したら、
「宇野さんすごいね!輝いているね。
どんな試練があろうとも、イエス様と一緒に歩んでいけば喜びある人生に変えてくださるね。」
との返信で感動が倍になった。

絶望の人生から神と出会って生きる意味と目的を与えられた宇野繁博さん。
宇野さんはひたすら主イエスを見上げ、神は宇野さんに助け人を送りながら神の大いなる働き人として用いておられる。

今日の午後は彦根市立中央中学校に招かれて、1年生の約180名の方々を前に「いつも喜んで」と題して約1時間のメッセージと約15分のサックス演奏を行われるそうだ。
今日も神のお守りの中で尊いお働きをなさることだろう。

posted by 優子 at 12:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

「主よ!」

14日午後の吹雪は一瞬にして銀世界に変えた。
今回の雪は簡単に姿を消したが、それでも日の当たらない所の雪は今も残っている。

再び銀世界に@.jpg

『わがままな大男』の世界に入ってしまいそうな雪景色だ。
この日は大事をとって会社に自動車を置いて帰ったので、翌日(15日)は電車で出社した。

その翌朝は電車で.jpg

私はふたりを見送ったあと、7時半頃までベッドの中でラジオを聞いていた。今年になってからずっとそうだ。

以前は孫が寝ている間にと早朝から頑張っていた時もあったが、高血圧になってからできなくなってしまった。

夫への申し訳なさと挫折感に苛(さいな)まれつつも、朝は最も体調が悪いので冬場はどうしようもない。体調が悪いと気持ちもダウンする。

今もT君のことが嘘のように感じたり、私もあそこまで頑張らねばと思ったり、・・・否定的な気持ちになりやすい。死別の悲しみだけではなく、自らの死を実感し始めたからだろうか。

叔母にはカウンセリングで学んだことを思い出して、叔母が悲しみの感情を吐き出せるようにと関わるが気持ちは重い。

若い頃は誰しも獲得の人生であり上昇・拡大思考で生きるが、私達の年代になると自然に方向転換になる。
獲得するのではなく手放していくのであり、最も大切なもののためにそぎ落としていく生き方だ。

残された時間はそれほど多くはなく、これまでの人生を振り返って自己確認したい年代であり、「時間の持つ豊かさ」を味わう年代でもある。


幼な子との生活は明るくていいが、独りになる時間、誰とも喋らなくてもいい独りになれる場所がほしい。

今朝の最低気温はマイナス4度で、チャッピーの水を変えてやろうとしたらホースの水が一部凍っていたので、水と一緒に何度も氷の塊が飛び出てきた。
しかし、今日は冬晴れで室内は20度以上になってポカポカだった。

そして、明日はもう雨だ。春の雨になるそうだ。
今はずっと冬の世界に閉じこもっていたい心境だ。

しかし、目を注げる方がおられるのは何という安らぎであろうか。

「主よ!」


posted by 優子 at 23:05| 随想 | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

死に対する備え

23日は熱も下がっていたが礼拝は知子だけ出席し、マスクを二重にして奏楽のご奉仕を務めた。
私達は今心配ごとを抱えているので無理をして風邪をこじらせるわけにはいかず、夫も日々の業務に疲れているのでゆっくり休養してもらった。

今日は少し食欲が戻ってきたが、大好物のフィナンシェにもまだ手が出ない。ありがたいことに体重が2、5キロダウンしたので、これを機に減量に取り組もうと思う。

10日からの腰と股関節の痛みに続いて19日からは風邪のために、今年になって最低の家事しかできていない。おかげで手の業を休めて「静まる」ことの大切さを思い出させてくれた。

12日の記事で今年の抱負を「断捨離(だんしゃり)」と書いたが、「心の断捨離」はイエス・キリストがしてくださることに気づかされた。

現代は忙しくしていないといけないような時代であるが、活発に活動し、多くのことに忙しく関わり続けると霊的枯渇状態になる。それは信仰生活においても例外ではない。

私は静まりの日々にあって日本人の死生観を考え続けている。
日本人は自分や家族の死が目の前に迫っても、最後まで死を受容できない、しないのだろうか。
肉体の苦痛除去は求めても、精神的苦痛を取り除く必要を感じないのだろうか。つまり、死ねば何処へ行き、どうなるのだろうという人間の根源的な怖れはないのだろうか。

死の問題の解決なく死を迎える人が多いように思う。
きっと諦めの境地なのだろう。

しかし私に言わせれば、そんなままで死に呑み込まれても恐怖ではないのか、平気なのか?!私ならそんなことはとてもできない!

私たちは自分の罪のために滅びゆく運命にあるが、私たちの罪のために十字架上で死んで下さり、死に打ち勝ってよみがえって下さったイエス・キリストがおられるのだ。
このことを信じる者には死をも越えて行く平安が与えられる。

やはり、全ての人に真理が明らかにされるのは死後であって、死が迫っても求めずしては解らせて下さるわけではないのだ。

しかし、死後に救いはない。
救いのチャンスは生きている間だけだから、私は最後まであきらめないで祈り続けたい。
死んでしまえば神の権限の中に入ってしまい、もはや私たちがその人のために祈っても何の役にも立たず、何もしてやれないからだ。

どうかT君に心の中で「イエスさま、イエスさま」と御名を呼ばせて下さっていますように! 

私は諦めずに最後まで祈り続ける。



posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする