2010年01月06日

天空より光さす

昨日から冬型気圧配置に戻り、今日は寒風吹く寒い一日だったが、ミネソタの−23度という寒さは想像を超える。(7日朝追記:6日の最低気温−0.8度、最高気温7.2度で平年並み)

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午後2時頃のこと、洗濯物を取り入れていた時に雲の合間から光がさした。曇り空で斜光線も弱くて暗いが、私はこのような空を見るのが大好きだ。

広い草地で見ると吸い込まれて高く上げられていくような気持ちになる。私は天を仰いで天地を創造された神を想い、唇には、
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空は御手(みて)のわざをしめす。」(詩篇19篇1節)のみことばが出る。

まるで神が天の窓を開いて私に語りかけ、溢れる祝福を注いで下さっているようで、しばらくの間、私は神との語らいを楽しむ。

今日は下手ながら自分で撮った写真にいざなわれて、ずっと聖書を読んでいた。

「あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。」


             (イザヤ書40章28〜31節)

「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。

どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり、
あなたのすえは砂のように、
あなたの子孫は砂粒のようになって、
その名はわが前から断たれることなく、
滅ぼされることはない。」


             (同書48章17〜19節)

「あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

            (略)

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」


             (ヤコブの手紙1章2・3節、12節)

冒頭に掲げた写真のように、みことばの光が魂に届き霊が潤されるのを感じる。


posted by 優子 at 17:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

クリスマスは神からの贈り物

クリスマスが近づいて来ました。アドベントの第4週目に当たる20日(日)朝は、全世界の教会でクリスマス礼拝がもたれます。是非、お近くの教会へお出かけ下さい。

聖書を開いて初めてのクリスマスの出来事を紹介しましょう。
ルカによる福音書2章1〜14節

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
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ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
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御使いは言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使いと一緒になって神を讃美して言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

マタイによる福音書1章18節〜2章10節

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。

彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。

彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。
すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
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イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
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ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。

彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

ルカによる福音書2章15〜20節

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。

しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、また讃美しながら帰って行った。

クリスマスは神からの贈り物です。神が人となって地上に降りてきて下さったのです。そして、私たちの罪のために身代わりになって十字架上で死んで下さったのです。

私は35歳の時にイエス・キリストを救い主として私の心にお迎えしました。結婚して9年後のことでした。そして、昨日は33回目の結婚記念日でした。
2009年は私たち夫婦にとって公私共に試練の連続で苦渋の日々、これからも厳しい中を進んでいかねばなりません。

しかし、目に見えるところは最悪であっても、今年はこれまでの58年間の人生で最も意味深い聖なるクリスマスを迎えようとしています。ハレルヤです!


神はこれからも助けて下さることでしょう。神はご自身に助けを求める者を決してお見捨てになりません。そして、あなたにも御手を差し伸べておられます。
最後に、ヨハネによる福音書3章16〜18節のみことばをお伝えして終わります。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである」。
             

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」


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昨日は33回目の結婚記念日だった。


posted by 優子 at 22:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

マチとクマ、明日、日本着陸!私も諸事多忙。

次女夫婦はもうアメリカを発ったであろうか。
29日に出発すると言っていたので14時間の自差を引き算して考えるのだが、何が何やらわからなくなってしまう。
とにかくこちらはもう29日は終わる。30日に到着するということは自差があろうとも、とにかく30日なのだから明日なのだ。

今回は何便の飛行機に乗ってくるのか、離陸時間も到着時間も一切聞くことなく帰国日になってしまった。

こちらも再会するまで多忙である。
1日には自治会主催で地域福祉推進委員会と班長会合同の会合がある。会長だけではなく私もいくつかのパートを受け持っている。
春に続いて18日に予定している秋の一斉清掃のことや、高齢者や障害のある方々のことで話さねばならないし、その夜のうちに議事録を仕上げてしまわねば娘夫婦を迎える準備ができなくなる。

先週から『河内文化のおもちゃ箱』が校正の段階に入り動きがある。
今日はお世話下さっているK氏からお電話を頂戴して、先週末にお送りした校正後の原稿についてやりとりした。
気になっていた写真についても、人物だけを拡大スキャンして出版社(東京は文京区本郷にある)に送って下さるとのこと。恐縮しつつも自分なりに悔いのないようにとお煩わせしている。

K氏からは掲載文に記す所属先を尋ねられた。
私は昨年の3月で20年間所属していた「東大阪読書友の会」を退会したので所属先がない。

では、今から直ぐに読書会現会長の了解を取って「読書会」と書いて頂きたい旨を申し上げたところ、K氏が「クリスチャンペンクラブ」にすればいいと仰って下さり快くお受けした。感謝!


昨年12月の執筆依頼状に記された目次を見ると、かなりの内容が凝縮されているので今から楽しみでならない。「河内の郷土文化サークルセンター」25周年記念行事はいよいよ2ヵ月後に迫ってきた。


昨日、吉祥寺キリスト集会にご依頼していた5冊の本が届いた。
ゴットホルド・ベック宣教師が書かれた『絶えず祈れ』(上・下巻)と、『実を結ぶ命』3冊である。少しの時間を利用しながら直ぐに読み始めたい。


最後に、『生かされて』の今日の記事に、私の愛唱聖句について書いておられるので一部を記録させて頂こう。
「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。(イザヤ42:3)」        
        
        (略)

いたんだ葦というのは、人間のこと。
くすぶる燈心とは、クリスチャンのことだそうです。

        (略)

わたしこそいたんだ葦であり、くすぶる燈心なのです。

でも、イエス様は、いたんだ葦を折ったり、くすぶる燈心を消したりなさいません。それどころかいたんだ葦、くすぶる燈心を用いて公義を行って下さると言われるのです。何と素晴らしいことでしょう。

        (略)

神様は、わたしたちがとうていできないことをできるようにしてくださると約束してくださいました。自分の力では不可能なことでも神様がなしてくださるのです。


信仰がためされるような出来事が起こります。忍耐が必要なことがたくさん起きてきます。あせりと恐れが沸き上がり、どうしたらよいかわからなくなってしまうことがあります。
「あなたの信仰はどこにあるのですか?」と問われたら何もいえなくなってしまうわたしです。

「信仰とは、わたしたちが神を信じることではなく、神がわたしたちを信じて下さっていること」と聞いて安心しました。
私の主イエス・キリストと文香さんに感謝!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

自治会でのチャレンジE ―初めての投票立会人―

今も民主党議員の当確続出の報道を聞きながらブログを書いている。

昨夜は目覚まし時計を二つセットして11時過ぎにベッドに入ったが、なかなか寝つけず眠りに入ったのは午前1時をまわっていた。
そのあとも何度も目が覚め、アラームよりも前に5時に起床して5時50分に集会所に行った。

まもなく遠方の御所(ごせ)にお住まいの職員さんが来られて、集合時間は6時半だったことがわかった。情けない。(>_<)
家まで歩いて2〜3分なので洗濯物を干しに帰ろうかと思ったが、この時すでにそれもしんどい状態で投票開始時間を迎えた。

職員さんは計5名。
名簿対照係1名、投票用紙交付係に小選挙区で1名、比例代表と最高裁判官国民審査係で2名、そして、リーダー格の方1名である。
私のほかにもう1名の立会人は隣り町の自治会長さんだ。民生委員でご一緒だった方で、投票管理者の自治会長は終日の任務である。

一番乗りの投票者には投票箱を開けて空っぽであることを確認してもらっていた。
その方は「はい、確かに空っぽです!」と宣言され、間違いないことを記した書面に署名されていた。私には新鮮な見聞だった。

投票用紙交付係は、毎回同じ説明をしなければならないので大変だと思った。
私たちは不正がないか見守っているだけ。それでも9時までの2時間は本当に腰痛が辛くて身体を持て余した。途中で辞められないし、どうなるかと思った。
投票に来られた人が居ない時は何度も席を立って腰を反らせたり曲げたりしていたが、10時過ぎた頃から徐々に時間の速度が速くなっていった。


気を紛らわせるために、気になっている自分のボケ度と比べながら投票者の行動に注目したり、人柄と顔つきの関連を観察したり、人間の集合的無意識を発見したりしながら過ごしていた。

投票整理券を無くしても用紙に記入すれば投票できることに驚いたり、昼食も用意されていたのは思いもしなかったことだけに喜びは2倍。
正午からはアッという間に過ぎて定刻を迎え、その間問題なかったことが書かれた引き継ぎ書に署名した。6500円の報酬を下さり、印鑑持参はそのためだった。

多くの知人が親しく話しかけて下さり、私もすっかりこの地に溶け込んでいるのを感じた。人との交わりは心が和む。久しぶりにゴンI さんご夫妻と会い、Nさんのご主人にもご挨拶できた。

当区の選挙当日の有権者は892名。
午前7時から13時28分までの投票者は355人、約40%の投票率だった。名簿対照はパソコンなので瞬時にわかる。

このあとも務めねばならない会長さんのことを心配しつつも、私たち立会人は後半の方とバトンタッチして投票所をあとにした。
お連れは私の自宅前経由で遠回りして帰って行かれた。歓談しながら歩くのがとても気持ちよかった。

これを書いている今既に民主党の圧勝だ。
テレビから目を離せない。
疲れているが、もうしばらく見てから寝ることにしよう。


posted by 優子 at 22:29| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

自治会でのチャレンジD

最近ずっと股関節と膝が痛くて困っている。
いつまで生かされるのかわからないが、50代からこれではこの先どうなっていくのだろう。過日のラジオ体操で、第一体操をしただけなのに股関節が一日中疼いたのでショックだった。勿論、跳躍は20年前からやったことがない。

膝の痛みもひどい。最近では起床してベッドから立ち上がった時から、痛みに耐えながらのぎこちない歩行で階段を下りていく。

これらの痛みはコレステロールを下げる薬の副作用だろうか。
座っていても股関節があまりに痛いので、たびたび横にならねばならない日々だ。そして、1時間ほどしてようやく疼きが治まるのである。


チャッピーの朝の散歩も短いだけではなく元気でない老人のようである。
今朝は珍しく歩き始めるとましになったので、痛みを感じながらも以前のように歩けた。9時過ぎから再び地図を片手に町内をくまなく歩いた。側溝にある排水口の蓋の有無を点検するためだ。

やる気満々の自治会長のおかげで町内が整備されていくのはいいが、昨夜になって申請は8月末までと連絡が入ってきたから大変!無理するしかなかった。

会長は各班長さんに電話して班内の点検を依頼せよと仰るが、時間不足だし、同じことを何十回も説明する大変さと、必要箇所の説明を受けるのも難しいだろうからと自分で回ることにした。

歩きながら神さまといろいろ話し合った。
二度合わせての2時間半は苦にならず、やはり感謝でしかなかった。


蓋の必要箇所は31もあった。
幸い、あとは夜の散歩コースの所を残すのみ。今夜もうひと頑張りしてチャピーと歩きながらと思っていたら、母屋で従姉妹と過ごして帰ってきた長女が、私の足を心配して行ってくれた。

しかし、直ぐに日が暮れてしまい申し訳ないことをした。
明朝の散歩で見て廻るのに、娘は見えないところは足を突っ込んでまで確かめてくれ完了させてくれた。6箇所追加で合計37箇所となった。

明日早速、市役所へ出かけて公園道路維持課に申請し、生活環境課では秋の一斉清掃のことで相談せねばならない。それが終われば、ついでに図書館へ寄って『塩狩峠』を借りてこよう。

次の日曜日の第45回衆議院議員選挙では、自治会役員ということで投票立会人に任命された。
会長は一日務められるが、私はもう一人の副会長と共に半日ずつ交替する。私は6時半から13時半までだから早朝6時に集会所へ行かねばならない。
股関節の具合が非常に悪いので、長時間座ったままで居られるのか心配だ。

posted by 優子 at 22:54| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

自治会でのチャレンジC ―苦手だった自治会長を敬愛す―

今日は社会福祉協議会へ、過日行われたラジオ体操の報告書を持って地域福祉委員長(自治会長)に同行した。助成金交付申請のためである。

会長の自動車で送迎して頂き、その車中で「よく書けている」と何度も喜んで下さった。社協では民生委員時代にお世話になった職員さんたちのお顔も見えた。

申請書は簡潔明瞭な報告書なので担当職員の方は数分間で読まれ、その場で受理された。
ということは助成金1万円は下りるということらしく、書記役としてはホッとした。その後、コーヒーを頂きながら三者で社会教育領域の話をして1時間ほどの外出で帰宅した。

「自治会でのチャレンジ」のタイトルでシリーズを作っているのは、私自身に課した今年度の課題に挑戦したいとの思いからだが、当初会長さんに感じていたストレスは4ヶ月間ほどで完全に解消され、今では気楽に、しかし、心を込めて主体的に私らしくできている。

苦手だったK会長は、長年東大阪の小学校で教職に就いておられた方で校長でもあられた。今70代後半くらいだろうか、ご夫人もまた同じく小学校の教師をしておられた方で、私も以前から承知していた。

しかし、校長までしておられた方なのに無鉄砲なことを言われたので、私にはストレスを感じさせる方だった。(これについては別の機会に譲りたい)

4月早々の初登板の朝は緊張してしんどかったが、「イエスさまのためにしよう」と思った瞬間にリラックスできた。まもなくKさんが来られ、仕事を終えて歓談もした!


その時の話だが、K会長は長年、石切小学校に居られて、そこで芹陽子さんを教えられたそうだ。しかも、歌手・芹陽子の産みの親はK先生(会長)だったのだ!


芹さんが小学校6年生(だったか?)の時に、全国のど自慢大会に出たいというので歌い方を指導された。
曲は童謡の『とおりゃんせ』で、普通ならば出だしは弱く歌うところを強く歌うように指導された。
それがよかった。
見事優勝されて、これがきっかけで私達の知るところの歌手になられたそうだ。
へえ〜。すごい!
Kさんは感性豊かな方なんだと一目置いた瞬間であり、親近感を持った。


そして、石切と聞いたからには私も話さずにおられようか!わーい(嬉しい顔)
3月末に『パンドラの匣』の原稿を書き上げた直後だっただけに、石切を散策したこと、日下新池のことなどパンドラ関連の話、そして、この秋に刊行される本のこともお話したのだった。

とは言うものの、その後もまだまだ緊張しながらの数ヶ月だった。何よりも長女のことがあったので、特に3ヶ月間は精神的にしんどさを感じながら務めていた。

毎月2回ある班別の広報誌も、従来ならば副会長が班ごとに分けておけば、各班長が取りに来て下さるようになっているのに、K会長は27班分の班長宅へ届けられるのだ。(今年の班長はツイてる!)

第1回班別分けの日、私は仕事に出る父を見送るような気持ちでK会長をお見送りした。「見送ってくれはりまんのか」と恐縮して下さるKさんに心の触れ合いを感じた。私はKさんの上に神のお守りがありますようにと祈っていた。

情熱とエネルギッシュ自治会長コンテストがあるならば、間違いなくKさんが日本一だ!
主に在って個人的な出会いへと導かれていきそうな予感がしている。


posted by 優子 at 23:37| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

自治会でのチャレンジB ―朝のラジオ体操に家族全員参加―

自治会の仕事も5ヶ月目に入った。
自治会の福祉の窓口である地域福祉推進委員会の委員長も今年は自治会長が兼務されているという関係から、私に民生委員の経験を生かして副委員長も受けてほしいと強引なほどに推されて受けることになった。

3月の時点でも孫の世話で心身の余裕がなかった。
人間関係を悪くしても断わろうとしているのに、どうしても引いては下さらなかった。そこまで仰るならばと、月に一度、2時間の会議だけならばお受けするということを確約して引き受けたのだった。

ところが、春の総会当日のこと、配布されるものを見て驚いた。福祉推進委員会の「副委員長兼書記」と書いてあるではないか。
私は直ぐに会長に異議を申し立てて強く抗議したのだが、相手の立場を組んで受け入れるしかなかった。私はバウンダリーズがないのだろうかと悩みもしたが、最善を尽くせばいいのだからと自分の中で受容したのだ。

こんなわけで会長氏に懸念していたことが早々から現れて脅威を感じもしたが、主(しゅ・イエス・キリスト)と共に責務を果たしながら情を深めている。

4月になって娘の事態が明白になり、公的なことへの余裕は時間的にさえ益々なくなり必死でこなしていた。
5月末にあった地域の一斉清掃の総指揮を執らねばならなかった時は精神的にもきつかった。市の生活環境化や公園道路維持課とのやりとり、各班長さんや名阪道路公団の事務局(近くを名阪高速が走っており、高速沿いの土手の草木の苦情で)とやりとりをしながらも無事に終えてホッとしたのだった。秋にもう一度ある。

その間も悩みの状況は深刻さを増すばかりで、ついに6月は頭も動かず精神的にも限界状況になり家に引きこもっていたかった。
そんな時、新型インフルエンザのために全ての集会が中止になって、どんなに助けられたことか。おかげで娘のこと以外のことは考えずにおれた。

7月には委員会主催で地域型在宅介護支援センターの理学療法士をお招きして転倒予防教室を開催した。お膳立ては全て会長がして下さった。
この時、ストレスを感じながらも司会役を務めさせて頂いたのをきっかけに、本来の自分を取り戻していったように思う。勿論、この時機だったからであるが、人間は社会的存在であることを改めて実感させられた。

そして、世代間交流として実施することになったのが朝のラジオ体操である。
長年人形劇と紙芝居をしておられたそうだが、肝心の子供たちは面白くないからと集会所には入って来ないで、来たのはたった一人だけ。ほかの子は隣りの公園で遊んでいたそうだ。

そこで意見を出し合って決まったのがラジオ体操である。最終日には参加賞としてビンゴゲームをすることになっている。子供だけではなく大人も全て、当日だけの参加者もOKだ。

8月1日から8日までの9日間、ラジオに合わせて6時半から10分間である。昨日は大雨だったので今朝で2回目だ。

夫は今春から10分間のテレビ体操をやってから6時40分過ぎに家を出ており、それならばと参加者を動員するために協力してもらうことになった。
孫もまた1歳8・9ヶ月頃より、おじいちゃんと一緒にしている体操大好き幼児なので参加した。最年少参加者であり、それなりに体操しているので「かわいい、かわいい」と多くの人々の注目を浴びている。

ラジオ体操A.jpg

ここは高齢者の多い地域で、今年度の小学生は35名。
そのうち7名が今春入学した児童である。
今日の参加者は約60名ほどだった。

ラジオ体操@.jpg

右から4人目が夫、娘と孫も左端に見える。

私も春にデジカメを買って使い始めたものの、長女が来てからすっかり娘がやっていたので使い方を忘れてしまっていた。
今朝はシャッターと間違えて電源ボタンを押していたので、毎回電源を入れていた。変だなあと気がつくのも3枚目を撮ろうとした時だから呆れてしまう。

JCPの研修会から帰宅する翌7日は、朝から会長さんらと3人でビンゴゲームの景品を買いに行くことになっている。いずれも一律に500円程度の商品を準備するのだが、さて何人分くらい用意しておけばいいのだろうか。

最初は役目の負担感が重くのしかかってしんどかったが、今では認知症予防のために、あるいは既になっているならば進行を遅らせるために、少しでも脳の刺激になると感謝さえしている。
来年4月の引継ぎまで愛を込めて地域のためにやらせて頂きたいと思う。

ようやく今日、近畿・東海地方の梅雨が明けた。
私が生まれた昭和26年の観測以来初めての遅い梅雨明けだった。


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2009年07月21日

神を信頼するとはこういうことだ! ―今朝の出来事より―

今朝の散歩でこんなことがあった。
セントバーナード犬だと思う。大きな犬を連れたご婦人と出くわし、挨拶して安心して通り過ぎようとした時のことだった。チャッピーに興味津々だった相手の犬が、飼い主の手から離れて近寄って来た。
100キロ以上はあるだろうと思われる大きな犬だから、華奢な女性の力ではとても制御しきれなかったのだ。

私たちの方へやって来た。
私は犬を飼っているが犬が怖いし、犬についてはよく知らない。
チャッピーは吠えて慌てているし、私はチャッピーを守るために持っていた傘で犬を遠ざけようと必死だった。

しかし、いよいよ接触しそうになったので、私は「キャー!」と大きな声を出してパニック状態になってしまった。
その時だった。
そのご婦人が私を強く抱しめて、「大丈夫!大丈夫よ!遊びたいだけなの」と仰った。
普通ならばこのようなことはしないだろう。私はその人の何か深い人柄や専門性のようなものを感じた。


とにかく私はその言葉で安心した。
心から彼女を信頼することができたからだ。


そして、「待て!お座り!あなた、ダメじゃないの!」と、犬と同じ目線になって教えておられた。その犬は大きな体だがいたずらっぽい目をした若い犬だったから、まだ訓練中だったのだろう。
飼い主さんは私より少し年上か。初めて会った人だった。

その方が私を強く抱しめて、「大丈夫!大丈夫よ!」と確信をもって言われた言葉に、この人ならば制御できると信じることができたから安心できた。
そして、別れた瞬間に思った。
神さまを信頼して平安を頂くとはこういうことだと! 
私は神さまを信頼しているから明日からのことは思い煩わずにおられる。


しかしまあ、犬を連れていてもチャッピーは頼りないことである。
チャッピーが私を守ってくれることはなくて、いつも私がチャッピーを守ってやらねばならないのだ。気の強い猫をからも。ふらふら

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2009年07月10日

歌舞伎でシェイクスピア喜劇・『NINAGAWA 十二夜』

昨日は道頓堀の松竹座へ菊五郎一座のシェイクスピア喜劇を観劇した。
この前来たばかりの高島屋だが、せっかく難波(なんば)へ出たのだからと苦手な服売り場を回った。そのうちに自分の服は諦めて娘たちのことを想いながら歩いた。

しかし、たった1時間では落ち着いて買い物はできなかった。
諦めかけた時にマネキンに着せてあるワンピースを一目見て気に入った。真智子よりも年上の知子に似合うだろう。しかも幸運なことに、その店では新柄の服もその日から半額に再値下げになっていた!
知子は喜ぶだろうか。
きっとよく似合うに違いない。
私は娘の喜ぶ顔を想いながらプレゼント用に包装してもらった。

そして、大急ぎでお弁当を買ってデパートを出た。
戎橋筋では孫に甚平さんを買って、夫と待ち合わせている松竹座前へ急いだ。夫は10分ほど遅れてやって来た。心斎橋から歩いてきたらしく暑そうだった。

松竹座7月の大歌舞伎の演目は『NINAGAWA 十二夜』で、シェイクスピアのロマンティックコメディを蜷川幸雄が歌舞伎に演出したものである。

シェイクスピア悲劇の最高峰が『リア王』で、『十二夜』は喜劇の最高峰と言われているが、私は未だ原作を読んでいない。ふらふら
『リア王』についてはカテゴリ「掲載文(神・文学)」で2006年3月2日から8日まで7回連続で掲載している。「『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える―」は、情熱的に書き上げた忘れられぬ作品の一つである。

ところで、「十二夜」とはクリスマスから数えて12日目の意味で、東方から御子イエスのもとに馳せ参じた3人の博士が到着した日とのこと、幕が上がると子供達にクリスマスキャロルを歌わせていた。
無知な私は内容とタイトルが合致せず、そのあたりを知りたい気持ちがあるので意欲が出てきたかなと嬉しくもある。

歌舞伎では、双子の兄セバスチャンが斯波主膳之助(しばしゅぜんのすけ)、妹ヴァイオラが琵琶姫で、琵琶姫が男装したシザーリオを獅子丸、この3役を尾上菊之助(31歳)が早代わりで演じた。

面白かったのはオリヴィア姫の侍女・マライアを演じる麻阿(まあ)役の市川亀治郎だった。今回は夫もゲラゲラ笑って最後まで居眠らなかった。

心に残る人物は菊五郎演じる捨助(原作ではフェステ)だ。
『リア王』にも出て来た「道化(fool)」である。これは阿呆な阿呆ではなくて、利口な阿呆だ。知者の究極である。
私はいつしか「賢けりゃ馬鹿になれ」と言っていた母の言葉を思い出しながら見ていた。


『NINAGAWA 十二夜』は今年3月に本場ロンドンでも好評を博したそうだ。共に400年の歴史を有する歌舞伎とシェイクスピアのコラボレーションである。

翻訳物を歌舞伎の決め事の中で表現するというのは、演出家にとっても役者にとっても大きな挑戦だ。原作に無かったものを付け加えたところもあるらしいが、意欲的でない今の私にはその新しいチャレンジに感銘を受けた。

「これは歌舞伎に新劇が加わったようなものやな」と70歳くらいのご婦人方が話しておられたが、私たち夫婦は「今日のは日本語でよくわかったね」と笑っていた。
しかし、言葉が現代語でなくて理解困難であっても私は古典的な純歌舞伎がいい。

芝居は良い気分転換になる。
そして、シェイクスピアの世界が懐かしく、もう一度寝食忘れて打ち込む日々を過ごしてみたいと思った。

ずっと知子のことが気になっていたが、私たちが夕食を頂き始めた5時半頃、知子は両手にチャッピーとユキを連れて一匹と一人の散歩に出ていたそうだ。お蔭で帰宅してからチャックンの散歩に行かなくていいので助かった。

知子は買ってやった服をとても喜んでくれた。


posted by 優子 at 23:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

Wake up my glory.

半月ほど前から全ての意欲が失せて仮死状態になっていた私は、家庭集会の記録さえ筆が重くなっていたので重症だとわかった。
昨日の記事は一日遅れで昨夜遅くから書き始めたのだが、日付けが変わる頃には魂に酸素が届き始めたように言葉が出てきた。書き終えたのは午前1時を過ぎていた。
(そのような時は更新時間を「23:59」にし、実際に「23:59」に書き上げた時には「23:58」にしてアップしている。)

そして今、昨夜は3時間少しの睡眠時間にも関わらず、昨夜の記事を推敲しながら魂が力強く回復していくのがわかった。そして、泉のように中から溢れてくる思いを言葉にしたくて続けて書いている。

ダビデも魂がうなだれて誘惑に陥りやすい時に「目覚めよ、わが栄よ!」(詩篇58篇)と祈った。
これまでの半生においても苦悩に押しつぶされそうになった時、この祈りによって何度支えられてきたことだろうか。

私の誉れよ、我が栄えよ、私の内にある最上最高のものよ、目覚めよ!と自らを励まし、神への祈りへと導かれてきた。一切を神に委ねて、心安く神の御手の内に生きていくのだと。

この一ヶ月間、私の魂はうなだれて重苦しい時間を過ごしていたが、今再び神に向かって力強く讃美しよう。

自作の曲の全てに「ただ神の栄光のために」とサインしたバッハ。
私の思いもバッハの思いに通じるように思えて、大作曲家バッハを身近に感じる。

わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。
神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。
わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。
民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。
そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。

            
                詩篇62篇5〜8節

posted by 優子 at 11:35| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

神さまとの密な交わりに休息を得る

今朝の明け方から雨になりようやく梅雨らしくなった。
雨の合間にチャピーを散歩に連れて出た。靄のかかった山に目を向け深呼吸して「全地を造られた神さま」と祈り始めた瞬間、神の息吹きが私の体内に注ぎ込まれるのがわかった。

昨日の記事を書き終えたのは午前1時過ぎていたが、ゆっくりその日を振り返って眠ったこともあって、今朝は神さまからの新しい力を感じることができた。
昨日の午後は2時間くらい眠ったせいか、今日は体力だけではなく気力も備えられて神さまとの密なる時に導かれた。

今まで多くの友が真実の信仰者として祈り導いて下さった。
中でも自らの経験を通して語って下さった友の愛に深く感謝している。
また、今もご自身の問題が未解決のままで葛藤しておられるのかなと思わせた友もおられたが、信仰理解の違いなのかも知れない。そうであることを願いつつ、その方にも真実の愛に感謝している。

ところで、人は病床に就いた時に他者の人柄がよくわかるというが、今回の私たちもまたそうだった。そして、私たちは皆、弱く足りないものであることをもう一度教えて頂いた。

私たちは祈りや講壇の上でも罪を犯す弱い者である。しかし、神は私たちを造り変えて下さるのである。
短気なモーセを「地上で最も謙遜な人」にし、低いセルフイメージと自信に欠けるギデオンを「勇士」に、人を恐れるアブラハムを「信仰の父」に、短気で意志の弱いペテロを堅固な者に、傲慢で「雷の子」と呼ばれていたヨハネを「愛の使徒」に、そして、姦淫の罪を犯したダビデを「わたしの心に叶った者」に変えられたのである。

これらは何という希望であろうか!
しかも、神がお用いになるのは全て弱い人である。
しかし、機械的に語る人ではなく本当に砕かれた人だ。心を開いて正直に自分の弱さを分かち合える人である。
今は私にとっても試練の時、砕かれる(変えられる)には痛みを伴うが、私も恵みを深く味わえる者に変えて頂きたいと願う。


祈りの友のお一人おひとりに心から感謝している。  
主に在って優子は健在なり!
神さまは常に働いて下さっていることを信じる。だから思い煩わないで前進していこう。

スー先生が歌って下さった歌は、娘たちが幼かった頃によく歌っていた。私は幼い知子と真智子に何度励まされたことか!

「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも。
嬉しい時も悲しい時も歩きましょう、いつも。」


posted by 優子 at 15:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

自治会でのチャレンジA ―副会長を受けた理由A―

しかしまた、断わらせてくれなくとも、本当に無理ならば人間関係が悪くなろうとも謝り続けて辞退したであろう。
説得されて受けるということはバウンダリーズの問題以外に、その人の中に受けてもいいかなという気持ちがあるからだと私は常々思っている。
今回のことも例外ではなかった。
今回のように悩みに悩んだあげくに引き受けた心理の中に、どうしても挑戦したい課題を感じていたからだ。
それを書いておきたいがためにページを割いている。

現会長は私を「気心の知れた人」と仰り、しかも総会の席でも第一に指名したと仰ったのであるが、実のところ私は全く懇意ではなく、それどころかとても苦手な方だった。
と言うのは、民生委員時代に私の範疇では理解できないことで激しく叱責されたことがあったからだ。


それについては後述することにして、だからこそどうしても辞退したかった。
そうでなくても、あの頃は孫のためにも必死で自らの健康管理をしていたし、自分の時間が殆ど取れない状況だったから、引き受ける自信は全くなかったので断固断り続けた。

ところが、どうしても諦めて下さらず悶々とした日を過ごす中、どうしても引き受けねばならないのならば、民生委員の3年間に自分自身に不満を感じ続けた生き方を改善したいと思った。

即ち、組織のことでおかしいと感じたことは人を恐れずに発言できる人間になりたいと強く願っていたので、この機会をその実習の場にしたい、どれぐらい改善できるか試してみたいという気持ちを抱き始めた。


2回目の電話でもこちらの事情は問答無用で、ついに受けざるを得なかった。
勿論、最終的にそれを選んだのは私であるが。
受話器を置いて暫くのあいだ神に深く頭を垂れ、最後に「どうかよろしくお願いします」と申し上げて祈り終えたのだった。

既に2月8日の記事に、「話が進むようならば民生委員をお受けした時の経験を活かさねばならない。祈って考えたいと思う。」と書いているので、依頼を受けた日から自らの気持ちを直観的に察知していたのだろう。

拙い経験ながら、このような声がかかった時には事情が許す限り新しいことに挑戦してきたし、受けるかどうかについても今回ほど悩んだことはなかった。では何ゆえか?!

会長さんは行動的なので要望も多くなるだろうというのが何よりも大きな心配だった。
大きなストレスになることを懸念し、一方では、だからこそ発言する新しいチャレンジなのであり、しかしまた、しんどく感じる嫌な選択であったのも事実だった。
そんなわけで私には意味深いチャレンジなのである


とにかく無責任な引き受け方はしたくない。
会長補佐役をにおわされたので、会長代理でお葬式に参列せねばならない時はクリスチャンで不都合はないのかなど、3月下旬には気がつくことを事前にお聞きしながら心の準備に入っていた。

最初に「苦手な方」ということを書いたが、私の中では既に出会いを深めつつあると思っているので、もしもご本人がこれをお読みになったとしても不都合なことはないと思って記事にした。
少なくとも、私は常に神に申し開きできるようにアカウンタビリティをとって書いているつもりだ。

4月早々に心温まるエピソードもあり、主に在って臆することなく心を込めていく時、ぶつかり合っても親しくなれる人物であると思っている。


とは言いつつも、「やっと2ヶ月終わった。あと10ヶ月」と早々から指折り数える日々でもある。
つづく

posted by 優子 at 15:40| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

自治会でのチャレンジ@ ―副会長を受けた理由@―

新年度が始まって3ヶ月、長女の状況も一段落したので自治会の副会長を断わりきれなかった理由を書いておきたい。

この4月で夫の両親の敷地内に新築し引越して早10年過ぎた。昨年度に回ってきた班長もまもなく終えようとしていた今年2月のこと。
次に班長が回ってくるのは10〜11年後(私たちの入居後に2軒増えたが、ご高齢の独居者が2人おられるので)だと思っていたら、思いもかけず副会長を依頼された。

わが町は全体で27班、約330軒を有する自治会である。
それを3つのブロックに分け、各ブロックの代表が副会長であり3人が任に当たる。我が家は7班なので1班から10班まで(125軒分)のAブロックを受け持つことになる。

自治会会長の任期は2年だが、副会長、書記、会計の任期は1年間で、これら5名の役員は毎年新年度の班長の中から選出されることになっている。そういうことさえ今春まで知らなかった。

ところがだ。
このたびは、自分の気心の知れた人を副会長にしてもらえるならば次期会長を受けるということを条件に、2月8日の役員会の直後に会長と次期会長候補の現会長が訪ねて来られたのである。

依頼を受けた2月当初は、昨秋から心身の健康を損ねた長女を助けるために、12月下旬から孫だけを頻繁に預かるようになっていた。娘と共に世話することになった4月半ばまでの4ヶ月間に、通算40日近くも孫を預かっている。

そのような「事情をお伝えしたが、承諾してもらえず保留になった。私にすれば、もうすぐ班長が終わるとホッとしかけていたところだ。」
しかし、難色を示しても一向に引いてはもらえなかった。


それゆえに当時の記事に書いたように、「しかし、地域のことで奉仕されている方々には常々ありがたく感謝しており、副会長は3名で任期は1年間だ。こんなことさえ拒むようでは証しにもならず、神さまから社会的責任が問われるだろう。」と思ったのも事実だ。

少なくとも1週間は祈りながら思い巡らせる時間が必要だったのに、その2日後だったと思うが受諾を迫られる電話が入ったので困った。
普通ならば諦めて次の人にアタックするであろうに、現会長は強行かつ強引でどうしても引いては下さらなかった。
 
(つづく)


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

神さまのご配慮により独居のNさん宅へ

人間は一人でおられる静かな時間がどうしても必要である。
今夜は9時過ぎから机の前に座り、讃美歌を聞きながら何とも言えない心地よさを感じていたら、まもなく入った電話で静けさは破られた。

「香芝市が委託している緊急通報システムの会社○○ですが・・」と言われてもピンと来ず間違い電話だと思ったが、かつて民生委員として関わっていた独居老人のNさんが転倒されて起き上がれないという内容だった。

ちょうどその1時間前のこと、今夜は珍しく私一人でチャッピーの散歩に出た時も、民生委員として身についた意識から、「Nさん宅は電気がついているな」と無事を確認して通り過ぎたのだった。

Nさんは母と同じ年のお生まれだったと思うので82歳くらいだと思う。息子さんは大阪市内在住であったことを覚えているが、子供または親族への連絡先や主治医名などが書き込まれた書類は全て社会福祉協議会へ返却したので覚えていない。

通報会社の人は既にNさん宅に向かっており、鍵がなければ壊して家の中に入るとのこと、息子さんには連絡済み。私は現民生委員担当者の名前を告げて直ぐにNさん宅に向かった。
股関節と腰に振動がいかないように足をするようにして急いだ。小走りして5〜6分くらいの所だ。

チャイムを鳴らすと元気な声が聞こえた。
門には閂(かんぬき)がかかっているために入ることができなかったが、リモコンで車庫のシャッターを開けて下さりそこから入ることができた。

「一人で心細かったでしょう」と手を握って抱きしめた。
Nさんの重い身体を起こす時はサムソンを思いながら頑張った。母の時のように。
Nさんはトイレで転倒しておでこの右側にタンコブができていたが、いつものようにハキハキと応答され、起こしてあげればスタスタと歩かれ大事なくてよかった。

全てが終わってから助け人が到着された。ユニホームの胸には「機動隊」と記されていた。その方に状況を話し終えて共に帰ろうとした時に、今も民生委員を務めておられるMさんが来て下さった。

帰宅して再度緊急通報会社へ報告して終わったが、民生委員を退いてから1年半も経つのに何故私に連絡が入ったのだろうか。
通報会社は市に聞いてみると仰ったが、Mさんが来られたことから委員名の訂正がされていないことがわかったから、福祉課や社協、あるいは委員会のミスなのか。

しかし、このことを感謝している。
股関節と腰はてき面に強い痛みになり、腰は灼熱感のシビレもあるが、悶々として重苦しい日々を送っている私に神さまが助けの手を差し伸べて下さったのだと思う。
「目を上げて高きを見よ。違う方向へ目を向けよ」と語って下さっているように思えた。明日からは新しい気持ちで過ごすことができそうな気がする。

母は12年も前に亡くなったが、母や父と同世代の方々が健在で居て下さるのが嬉しい。以前はこんな気持ちになるとは思いもしなかったが、数年前からそのように思う。
私はその方々に母や父の姿を重ねているのだろう。


全てのことを支配されている神さま
主(イエス・キリスト)に助けを求められる幸いを感謝します。
あなたが示して下さっている愛と、真理の福音を日々受け取って、あなたの喜ばれる道を歩くことができる者にして下さい。

私たちは弱い者ですから、どうぞあなたが支えて下さり、あなたが栄光を取って下さり、常にあなたを見上げて信仰を新たにして下さい。

年老いた独り暮らしの方々をお守り下さい。

今、病いにある方々を思います。
主よ、どうぞその方々を慰め、支えて下さい。
どうか、あなたがその方々のそばにいて下さっていることを知らせてあげて下さい。

特にYさんのことを祈ります。
どうか回復させて下さい。
言葉にならない切なる祈りを主イエス・キリストの御名前により御前にお捧げします。
                        アーメン


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

初めて撮った!(PCに)入れた!掲載できた!そして、カメラは壊れてしまった。

CIMG0001.jpg

今朝、7時半頃。毎日歩いている旗尾池周辺の桜も昨日満開になった。
日下新池の桜たちも気持ち良さそうに咲いていることであろう。

CIMG0002.jpg 

小さくチャッピーが写っている。
いつ行っても人は居ないので、黙想したり思索しながらの散歩には絶好の場所である。お花見も堪能できる。ユキに見せてやりたいなぁ。

CIMG0004.jpg 

正面に見えるのが二上山の雄岳だ。その後ろに雌岳がある。

CIMG0005.jpg

裏に植えたチューリップ。義母の姿も見える。


桜が散らないうちにという思いから、3月29日に買ったデジカメにようやく手をつけた。昨夜説明書を読みながら電池充電し、今朝の散歩に持って出た。
マウスを使い始めた時のように、カメラを動かし続けて頭の上まで持っていかないと画面にうまくおさまらなかったり大変だった。

パソコンに取り入れる時はカメラメーカーに何度も電話して、ついにできた。とは言うものの、どういうわけか保存先のマイピクチャーからはアップロードできなくて一時は断念した。
マイドキュメントに移動させて持ってくればできるかもと、夕方に再挑戦して成功した。

嬉しくてベランダのチューリップも写した。夕方5時10分頃のことだ。
プランターの前を掃いてから撮り直そうと、太陽が沈むまでにとあわてたのがいけなかった。机からカメラを落として電源が入らなくなってしまった。
深い溜め息ばかり・・・



posted by 優子 at 17:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

真智子に倣って自己管理に励め!

今日は朝から夕方まで工事、後始末が終わったのは昨日と同じ6時過ぎだった。
母屋の給湯器が年末から故障になり新年早々に夫の関係先にお願することになった。ついでに我が家のビルトインのガスコンロを新しくした。8年を過ぎた頃からグリルのセンサーが利かなくなり、昨秋にはついに限界になっていた。

コンロの交換は9時半過ぎには終わったが、新しい給湯器設置を機に、義母が風呂場から助けを呼べるように我が家の台所の壁に装置(?)をつけることになった。そのために一日仕事となった。

午後2時過ぎから我が家の工事に移り、外壁から、また台所から結構大きな穴があけられた。チャッピーもまた連日の人の出入りと大きな音で受難だった。

何度も母屋を行ったり来たり、トイレの水漏れのことでは水道屋さんを手配したり、合間の時間にと思っていた読書もままならず台所の掃除をすることにした。かなりきれいになったけれど腰痛がたまらない。

それに、何をやっていても太宰の『パンドラ』が気になってしかたがない。何度も何度も思い出してヒヤッとした。
今週も全く全く何もできずに終わってしまった。1月も既に半月以上が過ぎ、とにかく読み始めないと精神衛生上とても悪い。
昨日真智子が言っていたように、予定通り仕上げられるように自己管理に励まねばならない。

数日前の整理中に日本キリスト教文学会の案内状が見つかった。今回のシンポジュウムは「太宰治とキリスト教―太宰はキリスト教をどう理解したか?」というものであり、大変興味深いので行くことにした。

発題者は「太宰治の『神』概念―そのキリスト教理解をめぐって―」「太宰治の『如是我聞』論、『己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ』を中心に」、そして、「関係の物語としての聖書受容―山岸外史『人間キリスト記』から『駈込み訴へ』へ―」である。

懇親会は欠席することにした。
全く自学せず、もとより何も知識がないので聞きたいことも話したいこともないし、帰宅が11時近くになるからだ。

夜8時過ぎ、義母の給湯器の様子を見ているとどうも気になって覗きに行った。今日も来ていた義妹が使い方を書いてくれていたらしいが、わからなくてお湯がぬるくて寒かったそうだ。
明日、お風呂場用と台所用を書いて貼っておいてやろう。
posted by 優子 at 22:04| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

年末に手術、今日退院した叔母を見舞う

叔母は娘(従姉妹)と2人で越年旅行を楽しんでいたとばかり思っていたが、22針も縫い、4時間もかかる大きな開腹手術をしていたのだった。

真智子からのメールのおかげで叔母の入院を知ったのは1月8日のことだった。次女がミネソタから3日と6日に大叔母に電話してくれていたが、いつも留守電だったとのこと。

「叔母ちゃんは結構外出してるのかな?3日には一応留守電にメッセージ残したんだけれど、またかけてみるけどね。」と書いてあったので、直ぐに電話したがやはり留守電だった。

私は悪い胸騒ぎがしたので、続いて従姉妹にも電話を入れた。従姉妹は仕事をしているので留守だとわかっていたが、留守電に連絡を乞うメッセージを入れた。

その夜9時の電話で、叔母が12月24日に我慢しきれぬ腹痛の為に病院へ行ったところ即刻入院し、26日に手術していたことを知った。
「こんな時はタクシーではなくて救急車を使ってください」と言われたそうだ。

最初は鼻からチューブを小腸まで通して詰まっているものを吸い出そうとしたが、固いものを感じるだけでお腹を開けてみないとわからないとのこと。
そして、26日に開腹手術になった。
腹内では腸捻転を起こしていて今回は腸にはメスを入れずにおわったが、やはり腸閉塞の手術というものだった。
12月31日にようやく集中治療室から個室に移ったが、そののちも、お腹と鼻、そして膀胱にも管が入っていて大変だった。

しかし、ようやく前日(7日)から口からモノが食べられるようになり、ご近所の友人たちのお見舞いも受けているというのが8日の現状だった。

私はその翌日から孫を預からねばならず、退院まで2週間くらいかかるだろうからと聞いていたので、13日にお見舞いに寄せて頂きたいと話していた。
実際には13日ではなく14日の誤りだったが、ようやく今日の午後、六甲病院に叔母を訪ねたのだった。

ところが、急に今朝退院したと言われて、今登ってきた山を再び下って行き、徒歩で7分ほどの所にある叔母の家へ向かったのだった。

どうやらベッドの関係で退院が早くなったようで、まさに今朝言われての緊急だったので息子は会社を休めなくて、娘が甲斐甲斐しく働いていた。

従姉妹もまたバリバリのキャリアウーマンで、このあとも一度会社に戻って、その後自宅で仕事をこなさねばならぬというから、私も行った甲斐があった。ありがたいことに従姉妹のあとを引き受けることになったのだ。

幸いにして叔母は思ったより元気そうだった。
知子のことも心配して聞いてくれていた。また、命や延命の話、私の難病だった母の地獄の長い年月、そして、妹のことなどいろんな話をした。


そして、一言だけだったが神さまのことを伝え、「イエスさまを信じて一緒に天国へ行こうよ!」と話した。
すると、「そんなことを言ってくれるのは誰もおれへん、優ちゃんだけや。」と嬉しそうに言ってくれたから、私には思いもしない喜びだった。


よし、メールでもいろいろ話せる!
叔母は昨秋から携帯電話を持ち、しかも、メールができて、写真まで送ることができるのだから驚いてしまった。病院では何もすることがないからと、写真に撮った毎朝の食事も付け加えて娘にメールしていたのだ。

私のメールアドレスを従姉妹に入れてもらったのに、その後うまくできなくて、明日再び娘に教えてもらうとのこと。

従姉妹は3食分の食事を作ったところで帰ったので、掃除や片付け物、そして、夕食も叔母と一緒にして7時半過ぎに石屋川の家を出た。梅田で30分余り道草して9時50分に帰って来た。

奈良は寒い。かなり寒い。神戸も大阪も、寒さが和らいだのかと思ったほど暖かかった。

家路に着くまでの感慨を明日の記事に書きたいと思う。




posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

鳩飼きい子さん、またも文学賞優秀賞受賞!

敬愛する鳩飼さんが、「第5回 銀華文学賞」応募総数445編の中から第三次選考にも残り、最終選考で二番手の「優秀賞」を受賞された。タイトルは『道連れ』だ。

2009年1月25日に三鷹で授賞式があり、同日発売される『文芸思潮』に順次発表掲載される予定だ。

夏には腰の圧迫骨折に苦しまれ、その後、体の異変に気づかれて癌の恐怖、そこでまた、主の手を握りしめて受容し前進して行かれたのだった。
春に応募されていたことさえ忘れておられたほど試練多き年の最後に、このような喜びが届いたのであった。

12月2日、評論家の俵萌子さんが11月27日に亡くなられていたと報じた。積極的生き方に魅力を感じていた人だったので、「亡くなられたのか・・・」と深く溜め息をついて訃報記事を切り取っていた。

俵さんは乳癌のために右乳房を切除されたあと、「癌で乳房を失っても、皆で一緒に温泉に入ろう!」と呼びかけて、「1・2の3で温泉に入る会」を設立されたことも鮮明な記憶として残っている。
どんなに多くの人が力づけられたことであろうか!
あれは、2001年のことだったのだ・・・。

その俵さんと鳩飼さんが活動を共にされていたとは驚いた。
「俵萌子さんがなくなりました。若いとき、一緒に同人誌をやってました。産経の社会部の記者できれいな人でした。私より二つも若いのに」。
私は改めて鳩飼さんの知的生産活動に興味を感じないではいられない。

少し前に亡くなられた筑紫さんとは、『不思議の薬 サリドマイドの話』授賞式の控え室で2人きりになられたそうだ。
柔和で少しもえらそうな感じではなかったというから、やはりその人の生き方や本質は、テレビで見ていただけの者にも大体においてはわかるのだ。


私は主に在ってそのように力強く生きていきたいと思う。
日野原重明さんは現在97歳、今も旺盛に活動されている。俵さんより20歳も年上だ。20年と言えば生まれた赤ちゃんが成人するほどの時間だ。寿命はこれほどに違うのである。

命を握っておられるのは神であるから、限りある命を覚えて今日を精一杯生きたい。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、シュンと元気がなかったり、意気揚々とやる気いっぱいだったり、いろんな日々を重ねながら神の摂理を深く味わえる者になっていきたいものである。

私は鳩飼さんをクリスチャンペンクラブに入って頂きたいと思っている。「時節や体調のいい時だけ参加」という会員があってもいいのではないか。実際にそれでしかできないお互いである。

私でさえ昨日から右膝が痛くて歩けなくなってしまったから、ペンクラブで精力的にご奉仕に励みたいと思っていても、どれほどのことができるかわからない。
数年前から右膝の痛みを感じていたが、この夏頃から下り坂を歩いていると急に強い痛みがきて、とにかく家まで帰らなくてはと引き返すのである。
不思議なことに向きを変えて上り坂を歩き始めると、痛みが急速に和らぐのだ。

そういうことをしばしば経験していたが、昨日は特にひどかった。
下り坂でもないのに強烈な痛みですぐに引き返した。膝はゴツゴツとした骨ではなくてブヨ〜ンと大きく膨らんでいる。

寝るにも足を真っすぐにすると痛いので曲げなければならない。
左股関節の痛みも心配だ。今夏から寝返りしたくても左下にすると股関節が痛くなっているのが怖い。

今朝になっても膝は治っていないし、この先どうなるのだろうと思う。こんなに急激に悪化するとは思わなかったが、民生委員を退いておいてよかったとしみじみ思ったことだった。

鳩飼さんへ!:
次回クリペンは2009年2月14日、賀川豊彦の『死線を越えて』を読んでくることになっています。(本は絶版になっていて書店では手に入りません。)
「時節のいい時だけ参加」大いに歓迎です。期待しています!

長原さんへ!:
先日はFAXをありがとうございました。
新しい電話機になって半年も経っているのに、未だFAXが使えない機械嫌い人間です。電話機のディスプレイからかろうじて『死線を越えて』を読み取れましたので、O姉にお訊ねしましたら長原さんからだとわかりました。

図書館より『死線を越えて』を入手しました。
社会思想社・現代教養文庫(1997年4月・第7版発行分)で、書庫から出してきて下さった新品のような本でした。
メール開通を切に希望しつつ、感謝の一筆でした。(^−^)


posted by 優子 at 14:02| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年11月05日

建国以来初めての黒人大統領誕生!

アメリカ合衆国が建国されたのは1776年で、1863年にリンカーンによる奴隷解放宣言、その100年後にキング牧師がワシントン大行進での有名な大演説がなされた。
その5年後に暗殺され、キング牧師没後40年にあたる節目に黒人大統領が誕生したのである。オバマ氏は黒人奴隷の子孫ではないけれども、アメリカにおける奴隷解放宣言に匹敵する歴史的出来事であり、世界史的にも歴史が動いた瞬間であった。

キング牧師については、今年の2月15・16日の記事にも取り上げた。
不正義の嵐が吹き荒れ、キング牧師をかしらに暴力的苦痛と恐怖に耐えながら闘い続けた人々。今も健在されているその世代の人々の感慨はいかばかりであろう。

オバマ氏支持基盤は「若者や大卒以上の高学歴層、黒人」で、マケイン氏は「週1回以上教会に通う信仰心のあつい人たちの支持が高かった」そうだ。

オバマ氏のことは詳しくは知らないが、世代を超えて、ついにキング牧師の不屈の勇気が勝利したのである。

仮にもアメリカがキリスト教国と呼ばれているならば、2度と無益な戦争を選択してはいけない。事象の表層ではなく本質を見なければならぬという立場はキリスト者として同じであっても、正義の名の下にする戦いは報復でしかなく同意できない。

イエスの福音は剣を捨て去ることである。オバマ氏は剣を捨てて平和を求め続けて欲しい。


我々は為政者のためにもっと真剣に祈らねばならない。
米国の再生は成るか?!
オバマ氏の上にキリストの知恵と勇気が与えられて、神のみこころがなるように祈っていきたいと思う。

孫や娘と一緒にいるのは楽しく幸せな時間であり、孫や家族とのことは例外であるが、多忙すぎたり疲れすぎると考えることも感動することもできなくなる。今年からは「あれもこれも」ではなくライフワークを優先するようにした。

今は頭が朦朧として、これを書きながら眠ってしまいそうなほどだが、どうしても歴史の瞬間を記述しておきたくキーボードを叩いている。

そして、今日は鳩飼さんの手術日だった。
私は2日の日曜日から、そして、今朝から一刻一刻を想いながらお祈りしていた。

夕方、鳩飼さんから生涯の宝となるようなお手紙が届いていた。神の愛の内に生かされている幸せを感謝した。
そして、5時になった時、もう全てを終えて安らかに横たわっておられることであろうと安堵したのだった。
麻酔の後遺症や傷の痛みもなく、今頃は熟睡しておられますように祈りしつつ記事を終える。






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2008年10月11日

三浦元社長、ロスの護送先で自殺!

夜8時50分、帰宅して20分後だった。
「三浦が自殺したで!」と、2階へ上がった夫が叫んだ。

すぐにテレビをつけるも、2階へ走って上がりテレビを見た。
ショックだった。
ひどくショックだった。
私だけではなく号外が出るほどの衝撃だった。

やっぱりやっていたんだ! 
悪は正義に勝てなかった。正義は悪よりも強かったのだ・・・。
いろんなことを胸中で言い続けていた。

しかし、バカだ、愚かだ。
死ぬほど苦しんでいたならば、どうして悔い改めなかったんだ! 地上でのことは地上で解決しておかなくて、どうして死後に解決があるのだ!

今度はひたすら三浦元社長が憐れでならなかった。


いや、まてよ、ひょっとして殺してはいなかったんだろうか。
冤罪ならば大変なことだ。
しかし、今まであれだけメディアに主張し続けてきた人だから、無実ならばこのことが耐えられないわけがないだろうに・・・。結局真相はわからずじまいになってしまった。

誰か神さまのことを話してやる人はいなかったのだろうか。
心から悔いるならば、主イエス・キリストにより完全に赦されるんだということを、誰一人伝えてやる者はいなかったんだろうか。あるいは、それでも尚、彼は拒否したのだろうか。

私は彼がサイパンからロスに護送される表情をずっと見ていた。今回の表情だけは違っていた。
しかし、それでも尚、不思議でならなかった。
人を殺していても、このような平気な顔で生きてこられるものなのだろうか。常にそれだけが私の関心事だった。

1981年から27年、ついに耐え切れなくなってこのような最期に至ったと思っているのだが、どこまで真相究明できるか当分の間報道番組から目が離せない。

和美さんのご遺族も彼の口から真相を語られぬまま終わってしまった。


12日午前6時半追記:夫は夕方4時頃に知ったらしいが、テレビで報じているのを私に見せたくて叫んだのだった。

事が起きたのは日本時間1時45分頃だったという。
昨日の例会は定刻を過ぎて始まり、ちょうどその時全員集合になったので私は時計を見たのだった。
その同じ時に、彼は因縁の地で終わりを決行していたとは!

未解決のまま生を終えて逃避から解放されるわけではない。
死んで終止符が打たれるわけではなく、苦しみ続けねばならぬのだから憐れでならない。

この出来事で改めて人生の重みを考えさせられ、厳粛な気持ちで追記した。
posted by 優子 at 23:06| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

コスモス、蕎麦の花、彼岸花、里は秋一色。 蕎麦の花は臭かった!

奈良県桜井市にある笠山荒神の里は、蕎麦の花が満開だった。
13日に御夫妻で行って来られたNさんは、私にも見せてあげたいからと、今日の生協の荷受けを終えて12時半頃から出発することになっていた。

そんな今朝、久々に読書会のDさんからお電話を頂き、ランチのお誘いを受けたのでDさんもお誘いして3人で行くことになった。Dさんは何年か前に一度だけ家庭集会に来て下さったことがあるので、Nさんとも面識があったからだ。

蕎麦畑は白い花が満開だった。
お蕎麦を食べていた時はわからなかったが、蕎麦畑で途中下車した瞬間に「田舎の香水の臭いがする」と言ってしまった。
今まで「蕎麦の花がきれいだったよ」とは聞いても、蕎麦の花が臭いとは聞いたことがなかったのでビックリした。まるで、馬や牛小屋の臭いそっくりだ。蕎麦畑の近くに行かないとわからないから、知らない人が意外に多いのかもしれない。

麺類が大好きな私は、ラーメンよりもうどんと蕎麦が好き。
しかも、どちらかと言えばうどんの方が好きだったのに、今年からは蕎麦中毒なほどに蕎麦ばかりを食べている。しかし、蕎麦の花の匂いを知ったから蕎麦嫌いにならないだろうか。

気軽に外出されるNさんご夫妻は、20日の土曜日に行かれたところなのに、彼岸花がきれいだったからと飛鳥村もドライブして下さった。
今では「亀石」と「石舞台」が有料になっているとお聞きして、これまたびっくり!石舞台は外から見えなくなっていた。

黄金色の棚田の稲田に赤い彼岸花。里村の風景は本当に美しかった。創作の案山子がたくさん立っていた。

先月から毎月一回、Nさんとランチに出かけている。
来月は葛城山のロープウェーに連れて行って頂くことになっている。Dさんもお邪魔でなかったらと乗り気だから、レギュラーメンバーになりそうだ。

たった今、東京出張だった夫が帰って来た。
明朝は有馬まで運転するので早く寝てもらわないと心配だ。ゴルフのあとは有馬温泉泊まりなので私一人になるが、チャッピーがいるので心強い。
夫は明日の有馬行きを来月末と勘違いしていたので、来月末の星野富弘さんの講演会にはゆっくり行ってもらえそうだ。

posted by 優子 at 21:53| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

イエスさまからのイーパル?、Ms.Sue

さて、26日の火曜日にお訪ねしたスー先生とは、今やペンパルならぬイーパルだ。節子さんにアドレスを教えて頂き、翌日にお礼メールを差し上げて以来、毎日1往復し既に3往復している。

私が書くのは間違いだらけの英語だろうから、スー先生に誤解が生じないようにと思いつつも、言語不能になれば日本語に切り替えようと気楽に楽しんでいる。こんな具合に・・・

Hi Ms.Sue,
My testimony will be issued by JCP next year.
But mine is only page 2 . I have not published my own book yet. I have passed 20 years since I became a member JCP.
The address of JCP is here. http://jcp.daa.jp/
Please open though it is a Japanese site.

And my site is "メメント ド ミニ", meaning of memorizing your Lord . This blog is my testimony .It is time of the prayer that I am writing.
I am glad if you open once. http://yukochappy.seesaa.net/

God speaking to me when I had my quiet time,
"To him who is able to keep you from falling and to bring you faultless and joyful before his glorious presence to the only God our Savior,"
I was comforted and encouraged.
Thank you Ms.Sue.
Thank you Jesus.

Yuko

私はクリペンの会員で「証し」を書いていることをお話したものだから、証しについて毎回尋ねられていた。
そこで今回は、日本クリスチャンペンクラブのサイトと共に私のブログもご紹介したのだ。
すると、こんな嬉しい返信が届いた。差しさわりのない部分だけ・・・

Good morning Yuko san,
I looked at your page and really want to know what you wrote so I will get a friend to read it to me! The background of the site is so lovely with the yellow flowers.

Today I was greatly encouraged. (別のことでである)・・・
God bless you, Yuko san--I hope to see you on Tuesday.
Love in Jesus,
sue
これからはブログの背景も、今までのように気まぐれでコロコロ変えられないかな?(笑)
実のところ、お訪ねした翌日にはどうしようかなという思いもあった。
私は50代も後半になり今更英語をという思いと、そのこと以上に、今の私は若い時と違ってやりたいことがあるから、あれもこれもではいけないと思った。
そんなわけで英語の学びではなく、クリスチャンのフェローシップのためにとの意識に定めた。そして、仕事に油が乗っている時は休ませて頂くことにしようと思っている。勿論、祈りつつ主の導きを乞いながら。

今朝、ペンクラブの原稿を書き上げて添付送付した。最近には珍しく運筆爽やかに走り、短時間で我が想いをまとめることができた。聖霊豊かなることがわかる。

ホッとひと息つきながら久々にクリスチャンペンクラブのHPを覗くと、次回例会の課題図書が島尾敏雄の『死の棘』とあったので驚いた。以前に推薦して読書会で読んでいるが、分厚くて514ページもあるので、フロムは後回しにして早速読み始めることにした。

お昼前にペンクラブ関西ブロックから『関西ペンの声・14号』が届いた。お世話下さった方々に感謝!
ここにも私の証しを載せて頂いている。膀胱癌の疑いにより生と死の狭間に置かれた時のことを綴った。真智子と3人で答志島に旅行して帰宅した夜に書いたものだ。これもまた近いうちにブログに公開させて頂きたいと思う。







posted by 優子 at 17:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

1泊2日で友の別荘へ

昨日の記事を書き終えた時、私たち家族の苦しみと悲しみの、それら一つひとつの涙、叫び、祈りに、いつも心を砕いて寄り添って下さった主がおられたことを思い、一つの詩が脳裡に浮かんだ。
「人生模様」と題した詩だ。
  
  私の人生は、
  刺繍の反対側の糸を、
  一本一本一枚の布に刺し込んでいるようなものである。
  
  刺繍の全体像は見ることはできない。
  ただ、私の流すひとつの涙、そして、祈りが、
  こちら側で一本の糸として刺し込まれてゆく。
  
  やがて、神のみ国の完成する朝に、
  私は自分の、
  その刺繍の絵を神のみ前で見ることになる。
  
  生きる歩みの中で、流す涙も祈りも、
  人生の模様が描かれてゆく上で、
  ひとつひとつ意味があるのだ。

人生途上の私に、チラッと刺繍の表側を見せて頂いた想いがしている。
そして、このような満たされた気持ちで、実は昨日の朝からNさんのお誘いを受けて、榊原温泉にあるNさんの別荘へ出かけていた。

20人は優に泊まれる大きな別荘で、ここへ行くのは今回で3回目。今まで多忙だったことや出不精なために宿泊させて頂いたのは今回が初めてである。

榊原温泉は17度だから温泉ではなく冷泉というらしいが、ヒノキ作りの浴室、大きな窓を開ければ露天風呂の気分も楽しめる。3回もお風呂に入って肌がツルツルになった。

高速道路を100キロ以上の速度で走るご主人の運転だと、別荘まで1時間半もかからないらしいが、股関節の手術をされてまだ3ヶ月にもならないのに、長距離の運転も平気でこなされたNさん。

女2人、共に理解ある夫に感謝しながら楽しい時を過していた。
いつもなら5時半頃に起床する私たちも、今朝は7時過ぎまで寝ていた。窓を全開して寝ると寒いくらいで、5センチほど開けていただけだった。

「今度は本物の暖炉を体験したいから冬がいいな。」
「その時はお鍋をしようね。暖炉の上でお芋を焼くのよ。・・・それにいつでも使って!鍵を渡すからね。」
と話しながらシャッターを下ろして家中の戸締りをした。

そして、「緑を渡ってきた風は気持ちいいねえ」と深呼吸し、Nさんの言葉も爽やかに別荘をあとにした。

今朝は10時過ぎに別荘を発ち、室生赤目国定公園・青山高原の三角点までドライブして下さった。
「三角点(さんかくてん)とは、三角測量に用いる際に経度、緯度、標高の基準になる点のことで、測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。また地震予知などにも重要な役割を果たしている」とのことだが、私はその名前さえしらなかった。

標高756メートルの頂上に立つと360度のパノラマで、実に美しい山々に感動した。
そこから車を走らせると直ぐに、別荘や三角点から見えていた巨大な風車群に着く。ここは、三重県津市が管轄する久居榊原風力発電施設で、直径が20メートルもある風力発電の巨大な風車に大きな声を上げ圧倒された。

外に出るのはいいものだ。これからは出不精を改めて、もっと気軽に外出できるようになりたいと本気で思った。
美味しいお蕎麦の昼食を摂り、場所を移してケーキセットを頂きながらおしゃべりして大いに羽を伸ばしてきた。
さてさて自由にさせてくれた夫のために、買ってきた新鮮なナスで夫の好物の焼きナスを作って迎えよう。

付記:ブログを書き始めて2年7ヶ月経過し、この記事で1000の
   記事数を重ねた。



posted by 優子 at 17:38| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

蝉の狂い鳴き

昆虫は気持ち悪くて苦手な私だが、蝉にだけは寛容である。
何と言っても地上での命が非常に短いからだ。飛ぶのも下手、歩くのも下手な蝉は、今朝もベランダでひっくり返っていた。このままなら、あっという間に死んでしまうし、鳥に見つけられて食べられてしまうだろう。

蝉には寛容だから放っておけない。
しかし、触るのは気持ち悪くて怖いから、こわごわ足でひっくり返してやるのだが、すぐにお腹を上にしてもがくので再度もどしてやった。

こんな蝉だが、今夜だけは苛立った。
深夜を過ぎても昼間のように鳴き続けているのだから、「やかましい!」と怒鳴りたかったが、ご近所に丸聞こえだから我慢した。寝る時はクーラーをつけないで窓を開けて寝るので、やかましいといったらない。

ついに寝そびれて下へ降りてきた。
葛藤に負けて夕刻に買ったクリームチーズ入りのクロワッサンを食べてしまった。しかも2個も! 意志が弱い。ここ20年くらいは、夜食を食べることなどなかったのに、ああ情けない。

パンをかじりだした午前1時になって、ようやく蝉は静かになった。
外の空気も冷たくなってきた。今度こそ眠れるだろう。
posted by 優子 at 01:20| 随想 | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

テロのごとき通り魔殺人

昨日はNさんをお誘いしてお気に入りの店で昼食をご一緒し、そのあと3人で週末の買い出しに行った。もう一人は勿論、我が愛夫だ。Nさんは、数日前よりも力強い足取りになっておられた。

痛みから解放されたNさんと入れ替わって、最近は股関節の痛みがひどくて、歩くのは勿論のこと、座っているのも苦痛なので横になることが多い。命に関係ないとは言え、命があるならば無理はできない。
午前中はずっと横になり、今日は午後の礼拝に出た。

東京・秋葉原ではとんでもない事件が起きている。
男がトラックで数人をはねたあと、そのあと歩行者天国でサバイバルナイフで無差別に10人以上もの人を殺傷し、そのうち7名もの人が亡くなられた。

「世の中が嫌になり、人を殺すために秋葉原に来た、誰でも良かった」と供述している25歳の男。
それならば自殺すればいいじゃないかと思うことも、責められるのだろうか。

こんなことで命が絶たれるなんて!
信じられぬ現実を引き受けなければならぬ家族。
胸が痛み涙が滲む。

命ある限り、精いっぱい生きなければならないと思わされた。




posted by 優子 at 21:08| 随想 | 更新情報をチェックする