2010年11月08日

馬見丘陵公園で開催中の「全国都市緑化ならフェア」

9月18日から11月14日まで開催されている「第27回全国都市緑化ならフェア」は、馬見労祷教会からすぐ近くの馬見丘陵公園が会場になっている。

東大阪に住んでいた頃、1990年に開かれた「国際花と緑の博覧会」(大阪花博)が、自宅からすぐ目と鼻の先の鶴見緑地で開催された時も行かなかった花に関心のない私達だが、今回は私以外の家族は行っている。

私が大溝教会へ行った10月11日、私を駅まで送ってくれた自動車に長女と孫も乗っていたので、夫は急きょ孫のためにと行ってきたのだった。

開催早々に行って来られた教会の方から、「ダリアの茎が水道管になっていた」とお聞きしていたので、私は是非見たいと思っていたが夫たちは見てこなかった(>_<)。

馬見丘陵公園は、「大和平野のほぼ中央にある県営馬見丘陵公園は、我が国でも有数の古墳が集中している地域」だという。

「馬見(うまみ)」という名は珍しいので地名の由来を知りたい。新しく開発された町は「馬見」を音読みにして「真美ケ丘」と名づけたようだ。

方向音痴の私は、何度説明されても教会からどの方向にあるのかさえわからないが、やっと孫が寝たのでコーヒーを飲みながらパソコンで花を楽しむことにしよう。


posted by 優子 at 16:11| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

ハレルヤ!69日目の生還! 

ついに救出された!!!
全世界の人々が見守る中、チリ落盤事故で地下700メートルに閉じ込められた人々の1人目が救出された。69日目の奇跡の生還に人命の尊さが身にしみる。

33名全員の救出には2日間かかるらしいが、最後の一人まで無事に救出されるように祈ろう。
 

お昼過ぎの吉報からたった2時間後、午後2時過ぎに配達された夕刊トップ記事になっていた!


号外ではない。
写真をはめ込めばいいとことろでスタンバイしていたにしても、その後輪転機にかけて印刷し、各新聞配達所に配って家に届けるのである。

ここまでたった2時間のハヤワザだ。これらに関わる多くの人々の必死さが目に見えるようだ。出不精の私にも行ってみたい気にさせる新聞社。是非いつか見学に行きたいものだ。

posted by 優子 at 15:55| 随想 | 更新情報をチェックする

我が家の地デジ化、5日に完了!

昨朝は6時過ぎにユキが起きたので、長女は7時過ぎの電車で会社へ行くことにし、私はチャッピーの散歩をかねてユキと一緒に知子を見送りに行った。
帰りは右手にチャッピー、左手に人間チャッピーと手をつないで歩いた。(^-^)

知子は8月末からずっと自力で眠られるようになり、睡眠薬を飲んだのは1回だけだった。しかも子供と一緒に寝てしまうことが多く、夜中に何度も目が覚めるようだが、すぐに寝てしまうので心配していない。

最近は私の方が眠るのが苦手になっている。
今までなら5分もかからずに眠れたのに眠るまで時間がかかる。
昨夜は久しぶりに7時間ほど眠ることができたのはいいが、今朝目が覚めたのは6時半!ビックリして飛び起きた。

6時35分に「朝のテレビ体操」が終われば、夫はすぐに靴を履いて6時37分頃にはスタートする。今では知子も半々くらいの割合で運転席に座る。

知子は寝坊した私に、「今日も電車で行くから」とチャッピーの散歩に行こうとしてくれていた。
私はいつも2人が家を出るまでにチャッピーを連れて、15分か20分ほどの短い散歩を済ませているからだ。

3歳3ヶ月になったユキは、20分間くらいはテレビの幼児番組を見ながら留守番できるので自動車で行ってもらった。知子の気持ちが嬉しかった。「ありがとう」。

次は記録として、10月5日に我が家の地デジ工事が終わったことを記しておきたい。

地デジ関係の理由から昨年度で自治会の共同アンテナを廃止したので、テレビの映りがとても悪くなり夫に急(せ)かされていたが、私は来春くらいに申し込めば、工事が混んでいても7月初めには開通するだろうと思っていた。
ところが、NHKだけではなく他のチャンネルまでひどい状態になったので決断した。

「eo光」は神戸放送を受信できないので迷ったが、電話とネットで「eo」を使っているのでここに決めた。

私達はBS放送があればいいので「地デジBSコース」にした。
最も安い月額6500円の分だ。工事費無料で最初の1年間はマイナス800円の請求額である。義
母(母屋)の方は昨春に地デジに変更済み。毎月840円の追加料金だがBSは映らない。

ところで、BSはNHKしかやっていないと思っていたら、フジテレビなど他局でやっているBS放送も見られるという。別のコースだと「CS放送」も見られるとか。「CS」など何のことだかサッパリわからないが私達には無用だ。

今までのNHK総合テレビと教育テレビ、そして、毎日、朝日、フジ、読売、大阪テレビ、神戸放送の代わりに奈良テレビ、京都放送も映っているかも。何せゆっくり見る時間はない。これに加えて、BS1とBS2を含めて10局のBS放送が提供されているらしい。

リビングルームのテレビは昨年の初めに地デジ対応のテレビに買い換えたが、2階のは古いタイプなので年末に買い替えようと思っていたら、2015年まではチューナーをつけなくてもこのままで映るという。

このようなことこそ最初に問い合わせした時に聞きたかったことだ。古いテレビはチューナーをつけるか買い換えるかしないと映らないことと、テレビの個数ごとに毎月費用がいると説明されていた。

インターネットや地デジについて全くわかっていない私のような者も、いろんな人に助けられて時代を渡っていく。
文明開化後の人々の営みに想いを馳せる。

posted by 優子 at 15:40| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年07月26日

夏の風景

先週は長女に感化されて身の回りのものを整理していた。積んだままの冊子や信仰雑誌など20年以上も手をつけていないものは処分することにした。

1冊ずつ手にとるのだが、ゆっくり読んでいては仕事にならないので、大雑把にページをめくりながら是非読みたいところだけちぎって、50冊分くらいを1冊のかさにした。

古い写真や子どもの作文が出てきては中断し、かいもく仕事ははかどらなかったが、この動きを止めないで整理し続けていこうと思う。

連日35度以上の猛暑日で、夜も11時近くまでクーラーを止められないが、そのあとは急激に涼しくなるのでありがたい。

猛暑下のめざし.jpg

めざしって美味しいんだ。めざしが好きになった。
これを見たユキは、「おさかなの鯉のぼり!」と、
「鯉のぼり」の歌を何度も歌っていた。
 
蝉.jpg

裏の家人の庭木に蝉が4匹もとまっている。
アブラムシみたいで少々気持ち悪い・・・蝉さん、ごめん。

夏の風景A.jpg

オクラの実がなった!収穫は2つだけ。
孫は3歳で、私は58歳にして初めて見た。

CDラジカセとTファル.jpg

整理効果でカウンターの上もスッキリした。
洗礼記念に頂いた色紙には小山恒雄牧師が「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ人への手紙1章27節)と書いて下さっている。もう23年前のことだ。
真智へ:
土曜日にCDラジカセを買い換えたよ。コンパクトになってスッキリしたでしょ!
その横にあるのは、コップ一杯分のお湯を瞬間的に沸かしてくれるスグレモノです。

朝のテレビ体操@.jpg

朝のテレビ体操A.jpg

今年も自治会主催のラジオ体操が8月1日から始まるが、孫も先週あたりから6時半までに起きるようになったので行けそうだ。

夫は今朝もテレビ体操(教育テレビ、6:25〜6:35)をして、元気よく出社した。今週も神と共にありますように!感謝。

posted by 優子 at 12:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

『メメントドミニ』は神さまへのツイッター

私がブログを始めるなど思いもしなかったが、それどころかメールさえ次女が大学卒業後に単身東京へ行くことになったのをきっかけに始めたのであり、しかも始めたのはその半年後からだったと思う。

そもそもこの家を建てようとしていた1998年初め、大学2回生だった長女はすでにPCを使っていたにも関わらず、どの部屋にインターネットができるようにすればいいのか建築メーカーに聞かれて、1階と2階の居間の2カ所だけしかお願いしなかった。

今思えばどうして子供たちの部屋に回線を引いておかなかったのか不思議だが、それが我が家のパソコンへの意識度の低さを物語っている。

ところが、次女の大学入学と同時に一気に時代の波が入り込んできた。
今の1年は10年を凌駕するほどの時代ゆえに時代的なこともあったであろうが、意欲的な次女ゆえに一気に新時代に適応していったということは大きいだろう。

早々から留学生とチャットしていたし、どうして次女がPCを使っているのが相手にわかるのだろうと私は不思議でならなかった。画面を覗くと英語の一部がチャット用の短縮英語だったのも驚きだった。

私は次女を通してPCの機能を目の当たりにしているうちに、時代に乗り遅れていた側から急に知っている側の人間になり、知人に尋ねられてチャットについて何度か説明したこともあった。私はワードさえ打ったことのない頃のことである。

その一方で、今もネットの意味がわかっていないことを曝露するような笑い話もある。
「今のは容量が小さくなったのでもっと大きなのを買うの」と話す友に、「そうなの」と答えつつも、「ピアノが置いてあるあの部屋にもっと大きなコンピューターが入るのかなあ〜〜〜」と、つい数年前まで思っていたのだから我ながら笑ってしまう。(>_<)


とにかく次女のおかげで私を億劫がらせずにネットを我が人生に導入してもらい、今ではすっかりネットを楽しませてもらっている。
先週は3日間ほど久しぶりにユウチューブにはまっていた。2〜3時間はアッという間で、懐かしい1960年代70年代のポップスや、アメリカのテレビドラマなど次から次へと見ていた。
Sさんの死の現実に、ジブリ漫画の歌詞ではないが人間が死んでいく不思議に立ち止まってしまったからだ。

話を戻そう。
メールを使い始めた頃は、傍に居た長女にも何度も教えてもらい助けてもらったことも感謝している。

そして、今はツイッターが流行している。
「ツイート(Tweets)」は英語で「鳥のさえずり」を意味し、「つぶやき」と意訳されて「短文のひとりごと」と規定されている。

ブログについてこだわりを感じていた私は、「ブログ考」としてブログ文化を考えたことがあったが、今や多くの人々が不特定多数の人につぶやき、独り言を聞いてもらうという、これまた文化の違いを越えて共通する人間の意識構造が興味深い。

ツイッターが流行るのは、人々はツイッターをとおして心の思いを誰かに伝えたい、誰かに聞いてほしい、誰かが聞いてくれたら嬉しいという心の表れだろう。

今日は長々と駄文を連ねてしまったが、私にとって『メメントドミニ』はまさに神さまへのツイッターなのだ。心の思いを伝える神さまへのロングツイッターと言った方がいいかもしれない。

クリスチャンは、いつも私達の思いを聞いて下さる方を知っている。
私達は友にメールを打つように神さまに祈るのであり、この『メメントドミニ』は神さまに聞いて頂きたい私の心の思いである。


その思いを読んで下さる人がいて、共に人生を考え、できれば共に語り合いながら人生を深めていくことができれば最高に嬉しいし、命も死も歴史も一切を支配されている神さまへの道案内になれば最高の喜びである。

posted by 優子 at 23:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

桜満開

2010年桜.jpg 
桜が満開
なんて美しいんだろう
昨日も桜のアーチをくぐった

花の命は短い
しかし
桜は大らかに咲いている

私も思いっきり生きよう
神さまの愛の中で
ゆったりと
思いっきり生きよう

「たった一人しかない自分を
 たった一度しかない一生を
 本当に生かせなかったら
 人間に生まれて来た
 かいがないじゃないか」
      

        (山本 有三)

今日はお弁当を作って春を楽しむ予定だ。


posted by 優子 at 07:10| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

自宅前の道路新しくされる

明後日から4月だというのに真冬の寒さである。
血圧は今も高いのだが自覚症状がなくなったので、恐々ながらも気になっている自治会の用事を済ますべく10班内を巡り歩いた。9日ぶりのウォーキングだったので朝は脚に力が入らなかったが、2度目に回った夕方は気にならなくなっていた。

毎年、自治会内の道路の一部分を舗装工事してもらっているが、今年は自宅前と一段下の道路を舗装することになった。環境業務役だった私が役所にお願いに行ったのだが、決して役得ではなく昨年度の要望書から引き継いで申し出たことだった。

この住宅地が開発されて44〜45年になる。今までに半分余りの道路が改良されているように思う。同じ班の人は異口同音に「40年で初めてのこと」と喜んでおられた。

アスファルトを剥がしたのは27日(土)で雪の舞う寒い日だった。
私は孫と二人で窓に張り付いて見ていた。まるで家の前を通る祇園祭りの山鉾でも見るかのように、特等席で飽きもせずに見ていた。

昨日アスファルトを敷いてもらえるかと思っていたが期待はずれで、やっと今日、待ちに待ったアスファルト敷き(?)を見られると喜んだものの、私一人で見ることになってしまった。

と言うのは、舗装したあとは夕方まで歩けないと聞いていたこともあり、今はまだ3軒先が終わったところだからと、娘は11時頃に子供を連れて散歩に出たのだった。
ところが、子供が言うことを聞かなかったために、家近くに戻って来た時は家の前をやっていて、見ることも家に入ることもできなかった。

私は私でまだかまだかと2人の帰りをヤキモキしながらの見学だった。一生に2度とない最高のチャンスを逃した孫と娘。せめて写真を編集しておいてやろうと、お風呂に入る頃になってからやり始めている。

写真からも寒さが伝わってきそうな27日の土曜日。
ショベルカーで古いアスファルトを剥離したあと、
砂を補充して道路の補正をしている。

道路工事1.jpg

次の写真は今朝の9時過ぎだ。
氷点下(−1.4度)の朝だったが陽射しがあるので明るい。
これは重油を噴射しているところだ。

道路工事2.jpg

そのあとを青グレー色の細かい砂を撒いていた。

道路工事3.jpg

いよいよ舗装工事が隣家前に迫り佳境に入る。
写真には写っていないが、
左手前にはアスファルトを積んだ大きなトラックが控えている。
コールタールの臭いと煙で
現場の人達の健康が心配でならなかった。

道路工事4.jpg

総勢12人、全てがプロフェッショナルの仕事だった!
そのチームワークの良さに感動して見入っていた。
正午、既に自宅前を半分過ぎた所だ。
20分ほどの短時間で家の前は新しくされた。

道路工事6.jpg

次の写真前方角に孫と娘の姿を発見したのは12時2分頃だった。
手を振り合ったが、どうすることもできなかった。ふらふら

道路工事7.jpg

12時40分、娘は子供を負んぶして
反対方向から溝を歩きながら帰宅した。
トラックは次から次へとひっきりなしに10台以上来たと思う。
1台のトラックで3回に分けてアスファルトを移していた。

そのあと、地ならしのためにこの2倍大の車とで
何度も何度も行ったり来たりしてくれていた。

道路工事8.jpg

作業員さんたちが昼食休憩に入ったのは1時40分頃で、
2時過ぎには再び裏の道路から音が聞こえた。

そして、5時頃に工事は終わった。
孫と娘とチャッピーと一緒に新しくなった道路を歩いて、
お留守だった班長さん宅を訪ねた。
この時もまだ道路を触ると温かさが残っていた。

道路工事9.jpg

昨日、ユキも工事のおじちゃんに「ありがとう!」って言ったね。
きれいな道にして下さったことを忘れないでいようね。

ところで、日本の道路の95%がアスファルト舗装道路で、掘り返された使用済みアスファルト混合物は生まれ変わり、リサイクル率は約99%に達するという。
「ちなみに日本初のアスファルト舗装は明治初期、長崎市の旧グラバー邸(現グラバー園内)前の小道だそうだ。」

夕刻、お隣さんの自動車が新しくなった道を通ってパーキングに入った。どの人も皆、きれいになった道路を喜んでおられるだろう。

しかし、私は剥離から舗装まで全てを見ていたので、従事されている方々の御苦労がわかった。これからは道を歩く時もこの方々の姿を思い出して感謝を忘れないだろう。

人生も同じだ。
苦労してこそ味わいがある。
苦労してこそ喜びと感謝がある。
この世の不条理に苦しんでいる人も、今は辛くとも耐え忍んでよかったと、必ず主はそこまでお導き下さる。今を突き抜けよ!

悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、
昼も夜もそのおきてを思う。

このような人は
流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、
そのなすところは皆栄える。

悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。
罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。

主は正しい者の道を知られる。
しかし、悪しき者の道は滅びる。
 
              
                 (詩篇 1篇1節〜6節)

道路工事に従事して下さる方々の健康が守られるように祈りつつ。



posted by 優子 at 23:09| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

体調悪し、されど再びめぐる春に霊の息吹き感ず

昨日に続いて冷たい雨が降っているが、さえずる鶯の声、咲き始めた桜の花に再び春はめぐる。

先の記事の最後に、「私も新年度のデザインを構想して良い1年にしたい。」と書いたが、神は早速その思いを実現して下さろうと、その夜の入浴中に具体的な思いを与えて下さった。

自らの信仰生涯を語る本の出版だ。
このことは自治会のことで1年ストップさせていたことであり、常に忘れてはいないものの具体的なビジョンが見えてこなかった。

同じ22日夕方のこと、地域のある方から過分なる感謝のお気持ちを頂いた。その方は昭和2年のお生まれだから母より2歳下、母が生きていたら・・と、話しながら今も母の面影を追うていた。

昨年末にも御愛をお受けしていたので、今月中には梅田へ出て贈物をと思っていたところだった。この方は私がクリスチャンであることを知っておられ、新島襄の妻のことを話されたりしたので驚いた。

80歳を過ぎてパソコンを使い始めようとされており、本も読まれるということを知り、自己紹介のつもりで読書会の機関誌に書いてきたものをお届けすることになった。

そんな話をしていたからだと思うが、いろんなところで掲載されたものを一つにまとめ、そこにエッセーを書き下ろせば200枚近くになるだろうとの思いが与えられ、私は神さまの促しを感じて湯船の中で大きな声で感謝の叫びを挙げたのだった。
そして、直ぐにでも始めたいと熱情に駆られるのに反して再び体調は悪くなっていた。


入浴中にフラフラと倒れそうになった。
普通、入浴すれば血圧は低くなるのだが、入浴直後でも(159/99)もあり、気分が悪く吐き気まであった。
父が脳梗塞で亡くなっているので怖くなった。吐き気、しびれ、失禁・・・と、兄が話していたことが脳裡をかすめた。

昨朝も体調は非常に悪く受診すべきか医師の指示で休んでいた。
しびれがなかったので様子を見ていたが強い吐き気があり、天井はグルグル回っていた。天井だけではなく身体も引っぱられるような感覚で、まるでビックリハウスに入っているようだった。

午後3時頃になってようやく落ち着いてきたので初めて食事をとった。食べたあとはやや吐き気がするものの一度ももどさずに胃に治まった。

今も血圧は(160/100)あるので宙に浮いている感じがするが、これだけの文字も打てるようになったので、一筆箋を書いて早くご婦人に届けたい。

命の危機を感じた今回も、最初は「神さま、命を下さい。もう少し生かして下さい。」とのみ祈っていたが、まもなく「神さま、今までおかしてきた罪をお赦し下さい。救われていることを感謝します。あとのことを宜しくお願いします」と祈るのみだった。

いつも癒しを簡単に諦めてしまうのは、気力がないからだろうがそれだけではない。死んだあとの行き先がわかっているから覚悟できるからだとも思う。
私は既に永遠の命に生かされているのがわかる。墓場までの命ではなく、死んでも死なない永遠の命に生かされているのがわかる。


それならば尚のこと、地上にある間は一日でも長く生きて使命を果たさんがために、癒しを求め健康が支えられるように祈らねばならないのではないか。闘病の恐怖と怠慢から諦めるならばとんでもない。最後まで癒しを求めて生きていかねばならない。

祈りに覚えている方々のことも祈った。
あんなに人生が行き詰まっているのに平気な人がいれば、苦しんでいる人もいる。苦しむ人こそ幸いである。どうか的外れな悩み方ではなく、神に自分の弱さを告白する恵みに与ってほしい。

そして、悩みの中におられる方々にお伝えしたい。
神は私たちの失敗を成功に、敗北を勝利に変えることがおできになる。キリストを見上げ、キリストと共に歩む時、私たちの中に神のみわざが始められるのである。

私の「下には(神の)永遠の腕があ」り、「あなた(神)は後ろから、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。」

「あなたがたがわたし(神)を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。
それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」。

             
                (ヨハネによる福音書15章16節)

posted by 優子 at 11:46| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

自治会でのチャレンジ完了!H ―久々の充足感に心潤う―

昨日の自治会決算総会は会員数323のうち、出席者は43名、委任状が222名で、優に過半数を超え総会は成立した。

地域福祉推進委員会の役員未定についても突っ込まれることはなく、拍子抜けなほど1時間でスンナリ終わった。
私が懸念していた地域活性化の件についても一言も出なかった。発言があったところで審議は次年度でのことになるのだが、中には喧嘩腰で発言する人もいるので心配していたのだ。

ここは奈良県で2番目の高齢化率で、当市では1番の住宅地である。現在の小学生児童は35名ほどだ。
そこで開発後40数年経った住宅地を活性化しようということから、最小区画制限を100坪から75坪にしてはどうかというのが1昨年度からの引継ぎ議案であった。

そこで昨秋、環境保全委員会規則及び細則についてのアンケートを実施した。内容は最小区画面積だけではなく、建築物の高さや色彩について7つあり、結果はだいたい半々の回答になった。

意見も多く寄せられ、「改正案に大賛成です」というのがあれば、「高級住宅地として開発されたのに乱開発につながるから絶対反対!」というのが代表的なものだった。

ここは国定公園内という美しい自然環境も関係するのか、コンビニ一つ無い不便な住宅地だ。そこで今後は京町屋のような家の店舗を認めるのかどうかも含めて、美しい景観と品位(グレード)の点から、次年度はブッロク会議や全体会議で活発な論議が行われることであろう。

このアンケート作りから全家庭数分の印刷まで全てK会長がして下さった。私はAブロック(10班分)の集計をしたのみで、寄せられた意見も全てワードに打って2月半ばに回覧された。

アンケートには会長への厳しい意見も寄せられていたゆえに、昨日も会長の後方援護の気持ちで出席したのだった。

総会のあと、昨年は10分間ほどで終わった役員の業務引継ぎに2時間も要した。K会長らしく丁寧に進められたのはいいが、次期役員さんが熱心すぎて遅くなったのだ。

しかし、地域へのボランティア意識の高い方だから会長も心強いだろうと安堵した。福祉推進委員会次期役員については会長の思惑も見えた。

新役員の一人が、「会長さん、役を頼みに来られた時に仰っていたことと全然違いますやん!」と早々にオブジェクションが出た。(>_<)

2期目も労して下さる書記さんは新年度の役員会を想像して「やっていけるか心配」と真顔で仰ったが、賢明な方たちだからそのうちに良いリズムが生まれてくることだろう。

こうして今年も新人代謝よろしく自治会の活動が始まった。私も新年度のデザインを構想して良い1年にしたい。
昨夜、「Aブロック副会長」の看板を外した。近いうちにお届けしよう。

サーバメンテナンス予定:
3月24日(水) 午前2時 から 午前8時 までを予定
*メンテナンス終了時刻は、作業状況によって前後する場合がございます。



posted by 優子 at 11:17| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

自治会でのチャレンジG ―Kさんが苦手だった理由と1年を振り返って―

21日に今年度の自治会決算総会を控えており、これが終われば御役御免となる。
K会長のもとでの副会長役は、私にとっては今までの社会的経験の総括的意味を持つものであり、意欲と共に緊張が伴う大きなチャレンジであった。
それゆえに毎回十分な備え(バウンダリーズの学びと祈り)をして臨みたかったが、(昨年)4月早々から長女の心身が一層深刻な情況になりその余裕は全くなかった。そのために役員会や業務の時も家を出て集会所に着くまでの数分間祈るのみで、せっかくの総括実習に集中できないことが残念でもあった。

会長は1年を振り返って「よくやってくれた」と喜んで下さり、2月半ば頃まで副会長をもう1年やってくれないかと再三頼まれてもいた。
地域福祉推進委員会については今も完全に諦めてはおられず、未だに「ふつうは副会長が会長になるもんや」と強い口調で迫られる時もある。ちっ(怒った顔)

私が役を受けなければ休会にするしかないとまで言われるので真剣に考えもした。
実のところ娘のことも落ち着いたので昨年度よりもはるかにやりやすいし、この役だけならばできないことはないかもと思ったりもしたが、総合的に考え1年で降りる決意は固い。

この1年間を振り返ると会長に言われたことだけをやっていただけで、主体性に欠けた自分に不満足を感じている。しかし、それが精一杯であったのだから良しとしなければと受け容れた。

K会長のおかげで地域への目が開かれたことを感謝しているし、この経験を次に繋いでいきたいと思っている。
総会では地域福祉推進委員会の役員候補者は未定と発表するので、もう1年せよと声が出ることも想定して明確に返答できるように考えて臨みたい。

過去ログ・2007年3月21日記事は、実はこのK会長のことが心理的背景にあった。K会長には失礼だが、Kさんのことを脅えていたので次のような結語になった。
「今、これを書きながら、すっかり忘れていたあの時の精神の高揚がよみがえり、西口氏が私の自己確立に多大なる影響を与えた人であったことに気がついた。
どうしても流されてはならない、信念を曲げてはいけない事があるのだ。このことを思い出してすごく幸せな気持ちに満たされ、意欲と力が横溢している。」


と言うのは、民生委員は老人会(毎木曜日の10時から5時まで)に出なくても良いということを確かめて受けたのであるが、民生委員の任期中に老人会会長がKさんに変わった。すると、「どうして老人会に出てこないのか」と厳しい電話が入ったのだ。

詳しく経緯を説明しても理解してもらえず困ってしまった。
私は穏やかに明確に受け答えをしたものの、その後が情けない。Kさんを恐れたのだ。そうでなくても当市の民生委員会の運営や諸々のことで大きな問題とストレスを感じ続けていたので、私にとっては地域の同じ範疇のことゆえにビビッてしまった。

そこで西口孝四郎氏のことと、小学校PTAのペン活動での勇敢なる闘いを思い出した。すると瞬間的に恐れは消え、本来の自分自身を取り戻し、以来その気持ちは微動だにすることはなかった。


これがK会長との出会いであり全てだった。
そのKさんが私を「気心の知れた人」と指名され、2009年6月15日(「自治会でのチャレンジ@」)の記事につながっていくのである。
私のことを「気心の知れた人」と言われるがKさんとは全く関わりがないのでお聞きしたところ、「長年教師をしていたら、ひと目見ただけでどんな人間かわかる」と答えて下さった。(ふ〜〜〜ん)

昨年度の役員をしていた知人から、「Kさんは藤本さんのことを自分の言いなりになるだろうと思ってはるわ」ということを聞き、私はKさんに自己紹介のつもりで『私の忘れられぬ人―西口孝四郎氏との出会い―』(掲載文「神・文学」)をお届けした。役をお引き受けした3月末頃のことだ。

私はその頃すでに、Kさんは東大阪の教育界(小学校)では著名な校長だったような印象を感じていたので、記者クラブの西口氏をご存知だったのではないかと思ったのだ。

その西口氏に薫陶を受けたことと、「ここぞという時は私も迎合しないぞ。私も信念を持っているぞ!」という牽制の気持ちもあった。


やはり昨年の今頃予想した懸念は常にあり、ストレスが高まった10月頃に夫に相談したこともあった。
「役員は会長を支えないといけない。そうでないと役員会が成り立たなくなってしまう。」と助言された。しかし、つぶすためではなく、より良い関係になりたいためにならば言ってもいいと同意してくれた。とは言うものの私の中では受容できているので言うつもりは失せていた。

ところが、その数日後の役員会において、またしても福祉推進委員副会長ならば老人会に出てこないといけないと強い批判を受け、ついに私は依頼を受けた時の話を確認するべく経緯を話し批判の不当性を述べた。

それに対するKさんの応答に対して、「Kさん、それでは藤本さんへのお答えになっていません」と、会計役を引き受けて下さっている沈着冷静なMR.Y氏の聡明なる発言に感銘したこともあった。


そして1年を共にして、今はやはり尊敬し愛すべきKさんである(^0^)。心からそう思っている。


posted by 優子 at 23:14| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

雪嵐の昨日、開花宣言

2月末から降水量は例年の10倍とか。日照時間が少ないうえに、今週に入ってから真冬並の寒さに戻り、昨日は「春の嵐」ならぬ「冬の嵐」が日本列島を真っ白にした。鎌倉では雪の重さと風で樹齢1000年の大銀杏(おおいちょう)が倒れていた。

当地では20〜30分間ほど雨が雪に変わっただけだったが、乾燥剤のような粒の雪がチューリップを驚かせたことだろう。
雪嵐.jpg

今は陽射しを受けて気持ち良さそう。
まもなく美しい花を咲かせてくれることだろう。今年はピンク色だけ丸い植木鉢に植えた。色とりどりの花を見るのが楽しみだ。

私も半年ぶりに熱を出して日曜日の夜から昨日までダウンしていた。昨日から平熱に戻っているが、今日もまだフラフラして体に力が入らない。

私が寝込んでいる時も夫は仕事に出かけ、夜に帰宅して、そしてまた、次の日も家を出る夫を2階の窓から見送っていた。

孫のためにももうひと働きせねばならないのに、私が元気でないと夫に何もかも負担がかかってしまうと、まるで年老いていく親を想う気持ちと同じ想いになって胸が痛くなった。

病気のお蔭で2キロほど減量できたので、これを機会に体重ももとに戻そうと真面目な気持ちになっている。私は娘の体調を心配する余裕もなく寝込んでしまったが、テキパキと用事をこなしてくれてありがたかった。1年前には想像だにしなかった回復ぶりだ。

今朝も厳しい寒さであるが久しぶりの陽射しに気持ちが引き上げられる。これからも天気はコロコロ変わるらしいが明日から春らしい陽気になるそうだ。

「冬はもう終わりやなぁ」と、夏が苦手な叔母は2月の異常な陽気にガッカリしていたものだが、この寒さは嬉しかっただろうか。久々にメールでご機嫌伺いをしよう(^−^)。

気象庁は昨日の嵐の日に高知市で桜が開花したと発表した!
これは統計が開始された1953年以来、これまでの3回と共に歴代最速1位タイの早さだそうだ。
これから桜前線が春を告げ新年度が始まる。元旦よりも新しい気持ちになる大好きな季節到来。いよいよ季節は春に突入する。

さあ、大きく深呼吸して、身体一杯に神さまの力強い希望を充満させて出発しよう。

posted by 優子 at 11:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

自治会でのチャレンジF ―いよいよ終盤を迎える―

老人会は会計報告書が未完のために監査は先送りになったが、自治会、地域福祉推進委員会の会計監査を終えて、会長が手配して下さった昼食をご馳走になり午後1時から新旧班長の引継ぎへと続いた。

班長の引継ぎは毎年決算総会のあとに行っているのだが、気の早い会長なので3月に入ったばかりの今日に早い引継ぎとなった。私は司会兼説明役を仰せつかっていたが、昨日はしんどくて予習せずに臨んだものだから話が前後して申し訳なかった。

各班の新旧班長の出欠を口頭で取った時もお笑いだった。
「7班の方は?・・・」と何度か尋ねてからようやく思い出した(>_<)。「ああ、私の班はお二人とも欠席でした」。(爆笑)
とにかく直ぐに忘れてしまうし、頭が動かないのである。家にいる時もいつでもどこでもこんな具合だ。


ドキドキはしなかったものの、コンタクトレンズで行ったので説明書を丁寧に読むのが億劫になり、早々に省略することにしてしまった。
そのために不十分な説明であったことを会長に詫びたところ、「いや、それでええ。」と頷いて下さった。そして、そのあとが面白かった。
「あんた、足ふるえていたやろ」と笑いながら仰ったので、「いや、足は震えませんでしたが人前で話すのは慣れていませんから」と笑ってしまった。

自治会の次期副会長も決まったが、地域福祉推進委員会の委員長が決まっていない。会長は今日もまだ誘ってこられるので困ってしまった。
「あんたが受けてくれなかったら委員会は休止にするしかない」とまで言われているので苦しいところだ。

会長が苦手な人ゆえにと挑戦した1年であったが、想像していたように議論できる人だったし、その働きぶりは他の追随を許さない情熱と行動の人で、良い感化を受けた。

私にとっては社会と関わりを持てる貴重な場でもあるが私の決心は固い。3月中に自治会活動を振り返って書いてみたいと思っている。

新班長さんの中に懐かしいお顔を拝見した。『メメントドミニ』でも早くご紹介したいと思っていた方だ。

奈良国立博物館で解説者のボランティア活動をされており、天平時代の衣装に詳しいだけではなく、学術的に研究され実際に作っておられる服飾家だ。

私が最も感心したのは、車椅子の方のおしゃれ着や寝たきりの方の着物、留袖で作ったスーツなどの介護服だった。これならば身体の不自由な方の気持ちも晴れるのではないか。喜ばれるに違いないと思ったからだ。

2005年秋に大阪中央公会堂で発表された作品展では、私も実際に見て改めて感動したことであった。

山本周五郎がお好きだとお聞きしていたのでテキストに取りあげて頂き、翌2006年10月の読書会(『日本婦道記』)にお誘いした。
大田先生を講師に、そして、この時は知らなかったが讃美歌243番(「ああ主のひとみ」)を作詞された井置利男牧師もお招きした時だった。

では山口千代子さんをご紹介したい。久しぶりにHPを拝見するとご活躍の足跡を更新し続けておられた。http://www.eonet.ne.jp/~ufmii/chiyoko.html

posted by 優子 at 21:32| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

悔いなく生きる道がある ―メールマガジンより―

年度末にあたり活動報告の作成に忙しい時期です。
今年度は自治会副会長だけではなく、自治会地域福祉推進委員会の副会長兼書記役ですから大変です。

私はエクセルなど全く使えないのですが、75歳の自治会長は「エクセルを使わないで『罫線』でやっている」とのことで、先週は何度も教えて頂きながら挑戦していました。

夫が表の中の線の消し方を知っていたのは驚きでしたが、そんなこともできるパソコンに感動しました。(遅れてる〜〜〜)

昨日は活動報告書作りのあとも、夫の秘書役として頼まれていたことに集中していました。
来月、紙業界の60周年史に掲載されるインタビュー原稿が送られてきたのですが、あまりにも読み辛いものなので読みやすい文章に整えてほしいと頼まれていたからです。

時間を忘れて夕方まで5時間も座っていたら、すっかり体調が悪くなってしまいました。相変わらず血圧が高く無理ができずに困ります。

そんなわけで、昨日更新したかった記事が今日になりました。
昨日、「悔いなく生きる」を検索して当ブログを訪ねて下さった方が居られ、タイムリーにもピッタリのメッセージがメールマガジンで送られてきましたのでご紹介したいと思っていたからです。

ラジオ牧師でお馴染みの羽鳥 明牧師のメッセージです。これこそが悔いのない生き方ではないでしょうか。

『道がわかりません』

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
(ヨハネの福音書14章6節)

人生は永遠を求め、最善の幸福、つまり、神を求めていく旅のようなものではないでしょうか。旅には地図が必要ですね。でも、神のもとに行く地図があるのでしょうか。

アメリカ開拓の初期の頃に、一冊の地図が出版されました。まだ人跡未踏の部分には、「ここには恐ろしいさそりがいる」とか、「ここには危険な巨人が住んでいる」とか、「ドラゴンがいる」とか書いてあったそうです。

勇敢なクリスチャンが、それらの言葉を消して「ここには神が住んでおられる」と書いたそうです。

イエス・キリストの弟子のひとり、疑い深いトマスがイエス・キリストに言いました。「先生。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」。
そのときキリストが、打てば響くように答えて言われたのが冒頭のことばです。

人生にはやぶ道があり、砂漠の道があり、分かれ道があり、山坂の道、曲がりくねった道があります。地図なしでは心もとない限りです。

ところがイエス・キリストは、「わたしが道です。わたしについて来なさい。そうしたらわたしの父、すなわち、神様のところへ行けます」とおっしゃるのです。

イエス・キリストは、人生のすべてのことを知りつくし、そこを通って来られたお方、「すべての点で、私たちと同じように、試みに会われた」お方(ヘブル人への手紙4章15節)。また、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル人への手紙13章5節)と言われたお方です。

何て美しいのでしょう。
この美しい山を見ていると心の緊張がとれていくようです。

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文香さんのブログ(「お気に入りリンク」にある『生かされて』)の2月10日の記事のクイズに回答すると、こんなに美しい写真と動物のかわいい写真を送って頂きました。
この美しい自然も神が創造されたのです! 


posted by 優子 at 23:04| 随想 | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

天空より光さす

昨日から冬型気圧配置に戻り、今日は寒風吹く寒い一日だったが、ミネソタの−23度という寒さは想像を超える。(7日朝追記:6日の最低気温−0.8度、最高気温7.2度で平年並み)

2009.1.6の空.jpg

午後2時頃のこと、洗濯物を取り入れていた時に雲の合間から光がさした。曇り空で斜光線も弱くて暗いが、私はこのような空を見るのが大好きだ。

広い草地で見ると吸い込まれて高く上げられていくような気持ちになる。私は天を仰いで天地を創造された神を想い、唇には、
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空は御手(みて)のわざをしめす。」(詩篇19篇1節)のみことばが出る。

まるで神が天の窓を開いて私に語りかけ、溢れる祝福を注いで下さっているようで、しばらくの間、私は神との語らいを楽しむ。

今日は下手ながら自分で撮った写真にいざなわれて、ずっと聖書を読んでいた。

「あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。」


             (イザヤ書40章28〜31節)

「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。

どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり、
あなたのすえは砂のように、
あなたの子孫は砂粒のようになって、
その名はわが前から断たれることなく、
滅ぼされることはない。」


             (同書48章17〜19節)

「あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

            (略)

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」


             (ヤコブの手紙1章2・3節、12節)

冒頭に掲げた写真のように、みことばの光が魂に届き霊が潤されるのを感じる。


posted by 優子 at 17:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

クリスマスは神からの贈り物

クリスマスが近づいて来ました。アドベントの第4週目に当たる20日(日)朝は、全世界の教会でクリスマス礼拝がもたれます。是非、お近くの教会へお出かけ下さい。

聖書を開いて初めてのクリスマスの出来事を紹介しましょう。
ルカによる福音書2章1〜14節

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
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ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
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御使いは言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使いと一緒になって神を讃美して言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

マタイによる福音書1章18節〜2章10節

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。

彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。

彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。
すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
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イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
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ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。

彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

ルカによる福音書2章15〜20節

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。

しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、また讃美しながら帰って行った。

クリスマスは神からの贈り物です。神が人となって地上に降りてきて下さったのです。そして、私たちの罪のために身代わりになって十字架上で死んで下さったのです。

私は35歳の時にイエス・キリストを救い主として私の心にお迎えしました。結婚して9年後のことでした。そして、昨日は33回目の結婚記念日でした。
2009年は私たち夫婦にとって公私共に試練の連続で苦渋の日々、これからも厳しい中を進んでいかねばなりません。

しかし、目に見えるところは最悪であっても、今年はこれまでの58年間の人生で最も意味深い聖なるクリスマスを迎えようとしています。ハレルヤです!


神はこれからも助けて下さることでしょう。神はご自身に助けを求める者を決してお見捨てになりません。そして、あなたにも御手を差し伸べておられます。
最後に、ヨハネによる福音書3章16〜18節のみことばをお伝えして終わります。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである」。
             

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」


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昨日は33回目の結婚記念日だった。


posted by 優子 at 22:00| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

マチとクマ、明日、日本着陸!私も諸事多忙。

次女夫婦はもうアメリカを発ったであろうか。
29日に出発すると言っていたので14時間の自差を引き算して考えるのだが、何が何やらわからなくなってしまう。
とにかくこちらはもう29日は終わる。30日に到着するということは自差があろうとも、とにかく30日なのだから明日なのだ。

今回は何便の飛行機に乗ってくるのか、離陸時間も到着時間も一切聞くことなく帰国日になってしまった。

こちらも再会するまで多忙である。
1日には自治会主催で地域福祉推進委員会と班長会合同の会合がある。会長だけではなく私もいくつかのパートを受け持っている。
春に続いて18日に予定している秋の一斉清掃のことや、高齢者や障害のある方々のことで話さねばならないし、その夜のうちに議事録を仕上げてしまわねば娘夫婦を迎える準備ができなくなる。

先週から『河内文化のおもちゃ箱』が校正の段階に入り動きがある。
今日はお世話下さっているK氏からお電話を頂戴して、先週末にお送りした校正後の原稿についてやりとりした。
気になっていた写真についても、人物だけを拡大スキャンして出版社(東京は文京区本郷にある)に送って下さるとのこと。恐縮しつつも自分なりに悔いのないようにとお煩わせしている。

K氏からは掲載文に記す所属先を尋ねられた。
私は昨年の3月で20年間所属していた「東大阪読書友の会」を退会したので所属先がない。

では、今から直ぐに読書会現会長の了解を取って「読書会」と書いて頂きたい旨を申し上げたところ、K氏が「クリスチャンペンクラブ」にすればいいと仰って下さり快くお受けした。感謝!


昨年12月の執筆依頼状に記された目次を見ると、かなりの内容が凝縮されているので今から楽しみでならない。「河内の郷土文化サークルセンター」25周年記念行事はいよいよ2ヵ月後に迫ってきた。


昨日、吉祥寺キリスト集会にご依頼していた5冊の本が届いた。
ゴットホルド・ベック宣教師が書かれた『絶えず祈れ』(上・下巻)と、『実を結ぶ命』3冊である。少しの時間を利用しながら直ぐに読み始めたい。


最後に、『生かされて』の今日の記事に、私の愛唱聖句について書いておられるので一部を記録させて頂こう。
「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。(イザヤ42:3)」        
        
        (略)

いたんだ葦というのは、人間のこと。
くすぶる燈心とは、クリスチャンのことだそうです。

        (略)

わたしこそいたんだ葦であり、くすぶる燈心なのです。

でも、イエス様は、いたんだ葦を折ったり、くすぶる燈心を消したりなさいません。それどころかいたんだ葦、くすぶる燈心を用いて公義を行って下さると言われるのです。何と素晴らしいことでしょう。

        (略)

神様は、わたしたちがとうていできないことをできるようにしてくださると約束してくださいました。自分の力では不可能なことでも神様がなしてくださるのです。


信仰がためされるような出来事が起こります。忍耐が必要なことがたくさん起きてきます。あせりと恐れが沸き上がり、どうしたらよいかわからなくなってしまうことがあります。
「あなたの信仰はどこにあるのですか?」と問われたら何もいえなくなってしまうわたしです。

「信仰とは、わたしたちが神を信じることではなく、神がわたしたちを信じて下さっていること」と聞いて安心しました。
私の主イエス・キリストと文香さんに感謝!


posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

自治会でのチャレンジE ―初めての投票立会人―

今も民主党議員の当確続出の報道を聞きながらブログを書いている。

昨夜は目覚まし時計を二つセットして11時過ぎにベッドに入ったが、なかなか寝つけず眠りに入ったのは午前1時をまわっていた。
そのあとも何度も目が覚め、アラームよりも前に5時に起床して5時50分に集会所に行った。

まもなく遠方の御所(ごせ)にお住まいの職員さんが来られて、集合時間は6時半だったことがわかった。情けない。(>_<)
家まで歩いて2〜3分なので洗濯物を干しに帰ろうかと思ったが、この時すでにそれもしんどい状態で投票開始時間を迎えた。

職員さんは計5名。
名簿対照係1名、投票用紙交付係に小選挙区で1名、比例代表と最高裁判官国民審査係で2名、そして、リーダー格の方1名である。
私のほかにもう1名の立会人は隣り町の自治会長さんだ。民生委員でご一緒だった方で、投票管理者の自治会長は終日の任務である。

一番乗りの投票者には投票箱を開けて空っぽであることを確認してもらっていた。
その方は「はい、確かに空っぽです!」と宣言され、間違いないことを記した書面に署名されていた。私には新鮮な見聞だった。

投票用紙交付係は、毎回同じ説明をしなければならないので大変だと思った。
私たちは不正がないか見守っているだけ。それでも9時までの2時間は本当に腰痛が辛くて身体を持て余した。途中で辞められないし、どうなるかと思った。
投票に来られた人が居ない時は何度も席を立って腰を反らせたり曲げたりしていたが、10時過ぎた頃から徐々に時間の速度が速くなっていった。


気を紛らわせるために、気になっている自分のボケ度と比べながら投票者の行動に注目したり、人柄と顔つきの関連を観察したり、人間の集合的無意識を発見したりしながら過ごしていた。

投票整理券を無くしても用紙に記入すれば投票できることに驚いたり、昼食も用意されていたのは思いもしなかったことだけに喜びは2倍。
正午からはアッという間に過ぎて定刻を迎え、その間問題なかったことが書かれた引き継ぎ書に署名した。6500円の報酬を下さり、印鑑持参はそのためだった。

多くの知人が親しく話しかけて下さり、私もすっかりこの地に溶け込んでいるのを感じた。人との交わりは心が和む。久しぶりにゴンI さんご夫妻と会い、Nさんのご主人にもご挨拶できた。

当区の選挙当日の有権者は892名。
午前7時から13時28分までの投票者は355人、約40%の投票率だった。名簿対照はパソコンなので瞬時にわかる。

このあとも務めねばならない会長さんのことを心配しつつも、私たち立会人は後半の方とバトンタッチして投票所をあとにした。
お連れは私の自宅前経由で遠回りして帰って行かれた。歓談しながら歩くのがとても気持ちよかった。

これを書いている今既に民主党の圧勝だ。
テレビから目を離せない。
疲れているが、もうしばらく見てから寝ることにしよう。


posted by 優子 at 22:29| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

自治会でのチャレンジD

最近ずっと股関節と膝が痛くて困っている。
いつまで生かされるのかわからないが、50代からこれではこの先どうなっていくのだろう。過日のラジオ体操で、第一体操をしただけなのに股関節が一日中疼いたのでショックだった。勿論、跳躍は20年前からやったことがない。

膝の痛みもひどい。最近では起床してベッドから立ち上がった時から、痛みに耐えながらのぎこちない歩行で階段を下りていく。

これらの痛みはコレステロールを下げる薬の副作用だろうか。
座っていても股関節があまりに痛いので、たびたび横にならねばならない日々だ。そして、1時間ほどしてようやく疼きが治まるのである。


チャッピーの朝の散歩も短いだけではなく元気でない老人のようである。
今朝は珍しく歩き始めるとましになったので、痛みを感じながらも以前のように歩けた。9時過ぎから再び地図を片手に町内をくまなく歩いた。側溝にある排水口の蓋の有無を点検するためだ。

やる気満々の自治会長のおかげで町内が整備されていくのはいいが、昨夜になって申請は8月末までと連絡が入ってきたから大変!無理するしかなかった。

会長は各班長さんに電話して班内の点検を依頼せよと仰るが、時間不足だし、同じことを何十回も説明する大変さと、必要箇所の説明を受けるのも難しいだろうからと自分で回ることにした。

歩きながら神さまといろいろ話し合った。
二度合わせての2時間半は苦にならず、やはり感謝でしかなかった。


蓋の必要箇所は31もあった。
幸い、あとは夜の散歩コースの所を残すのみ。今夜もうひと頑張りしてチャピーと歩きながらと思っていたら、母屋で従姉妹と過ごして帰ってきた長女が、私の足を心配して行ってくれた。

しかし、直ぐに日が暮れてしまい申し訳ないことをした。
明朝の散歩で見て廻るのに、娘は見えないところは足を突っ込んでまで確かめてくれ完了させてくれた。6箇所追加で合計37箇所となった。

明日早速、市役所へ出かけて公園道路維持課に申請し、生活環境課では秋の一斉清掃のことで相談せねばならない。それが終われば、ついでに図書館へ寄って『塩狩峠』を借りてこよう。

次の日曜日の第45回衆議院議員選挙では、自治会役員ということで投票立会人に任命された。
会長は一日務められるが、私はもう一人の副会長と共に半日ずつ交替する。私は6時半から13時半までだから早朝6時に集会所へ行かねばならない。
股関節の具合が非常に悪いので、長時間座ったままで居られるのか心配だ。

posted by 優子 at 22:54| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

自治会でのチャレンジC ―苦手だった自治会長を敬愛す―

今日は社会福祉協議会へ、過日行われたラジオ体操の報告書を持って地域福祉委員長(自治会長)に同行した。助成金交付申請のためである。

会長の自動車で送迎して頂き、その車中で「よく書けている」と何度も喜んで下さった。社協では民生委員時代にお世話になった職員さんたちのお顔も見えた。

申請書は簡潔明瞭な報告書なので担当職員の方は数分間で読まれ、その場で受理された。
ということは助成金1万円は下りるということらしく、書記役としてはホッとした。その後、コーヒーを頂きながら三者で社会教育領域の話をして1時間ほどの外出で帰宅した。

「自治会でのチャレンジ」のタイトルでシリーズを作っているのは、私自身に課した今年度の課題に挑戦したいとの思いからだが、当初会長さんに感じていたストレスは4ヶ月間ほどで完全に解消され、今では気楽に、しかし、心を込めて主体的に私らしくできている。

苦手だったK会長は、長年東大阪の小学校で教職に就いておられた方で校長でもあられた。今70代後半くらいだろうか、ご夫人もまた同じく小学校の教師をしておられた方で、私も以前から承知していた。

しかし、校長までしておられた方なのに無鉄砲なことを言われたので、私にはストレスを感じさせる方だった。(これについては別の機会に譲りたい)

4月早々の初登板の朝は緊張してしんどかったが、「イエスさまのためにしよう」と思った瞬間にリラックスできた。まもなくKさんが来られ、仕事を終えて歓談もした!


その時の話だが、K会長は長年、石切小学校に居られて、そこで芹陽子さんを教えられたそうだ。しかも、歌手・芹陽子の産みの親はK先生(会長)だったのだ!


芹さんが小学校6年生(だったか?)の時に、全国のど自慢大会に出たいというので歌い方を指導された。
曲は童謡の『とおりゃんせ』で、普通ならば出だしは弱く歌うところを強く歌うように指導された。
それがよかった。
見事優勝されて、これがきっかけで私達の知るところの歌手になられたそうだ。
へえ〜。すごい!
Kさんは感性豊かな方なんだと一目置いた瞬間であり、親近感を持った。


そして、石切と聞いたからには私も話さずにおられようか!わーい(嬉しい顔)
3月末に『パンドラの匣』の原稿を書き上げた直後だっただけに、石切を散策したこと、日下新池のことなどパンドラ関連の話、そして、この秋に刊行される本のこともお話したのだった。

とは言うものの、その後もまだまだ緊張しながらの数ヶ月だった。何よりも長女のことがあったので、特に3ヶ月間は精神的にしんどさを感じながら務めていた。

毎月2回ある班別の広報誌も、従来ならば副会長が班ごとに分けておけば、各班長が取りに来て下さるようになっているのに、K会長は27班分の班長宅へ届けられるのだ。(今年の班長はツイてる!)

第1回班別分けの日、私は仕事に出る父を見送るような気持ちでK会長をお見送りした。「見送ってくれはりまんのか」と恐縮して下さるKさんに心の触れ合いを感じた。私はKさんの上に神のお守りがありますようにと祈っていた。

情熱とエネルギッシュ自治会長コンテストがあるならば、間違いなくKさんが日本一だ!
主に在って個人的な出会いへと導かれていきそうな予感がしている。


posted by 優子 at 23:37| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

自治会でのチャレンジB ―朝のラジオ体操に家族全員参加―

自治会の仕事も5ヶ月目に入った。
自治会の福祉の窓口である地域福祉推進委員会の委員長も今年は自治会長が兼務されているという関係から、私に民生委員の経験を生かして副委員長も受けてほしいと強引なほどに推されて受けることになった。

3月の時点でも孫の世話で心身の余裕がなかった。
人間関係を悪くしても断わろうとしているのに、どうしても引いては下さらなかった。そこまで仰るならばと、月に一度、2時間の会議だけならばお受けするということを確約して引き受けたのだった。

ところが、春の総会当日のこと、配布されるものを見て驚いた。福祉推進委員会の「副委員長兼書記」と書いてあるではないか。
私は直ぐに会長に異議を申し立てて強く抗議したのだが、相手の立場を組んで受け入れるしかなかった。私はバウンダリーズがないのだろうかと悩みもしたが、最善を尽くせばいいのだからと自分の中で受容したのだ。

こんなわけで会長氏に懸念していたことが早々から現れて脅威を感じもしたが、主(しゅ・イエス・キリスト)と共に責務を果たしながら情を深めている。

4月になって娘の事態が明白になり、公的なことへの余裕は時間的にさえ益々なくなり必死でこなしていた。
5月末にあった地域の一斉清掃の総指揮を執らねばならなかった時は精神的にもきつかった。市の生活環境化や公園道路維持課とのやりとり、各班長さんや名阪道路公団の事務局(近くを名阪高速が走っており、高速沿いの土手の草木の苦情で)とやりとりをしながらも無事に終えてホッとしたのだった。秋にもう一度ある。

その間も悩みの状況は深刻さを増すばかりで、ついに6月は頭も動かず精神的にも限界状況になり家に引きこもっていたかった。
そんな時、新型インフルエンザのために全ての集会が中止になって、どんなに助けられたことか。おかげで娘のこと以外のことは考えずにおれた。

7月には委員会主催で地域型在宅介護支援センターの理学療法士をお招きして転倒予防教室を開催した。お膳立ては全て会長がして下さった。
この時、ストレスを感じながらも司会役を務めさせて頂いたのをきっかけに、本来の自分を取り戻していったように思う。勿論、この時機だったからであるが、人間は社会的存在であることを改めて実感させられた。

そして、世代間交流として実施することになったのが朝のラジオ体操である。
長年人形劇と紙芝居をしておられたそうだが、肝心の子供たちは面白くないからと集会所には入って来ないで、来たのはたった一人だけ。ほかの子は隣りの公園で遊んでいたそうだ。

そこで意見を出し合って決まったのがラジオ体操である。最終日には参加賞としてビンゴゲームをすることになっている。子供だけではなく大人も全て、当日だけの参加者もOKだ。

8月1日から8日までの9日間、ラジオに合わせて6時半から10分間である。昨日は大雨だったので今朝で2回目だ。

夫は今春から10分間のテレビ体操をやってから6時40分過ぎに家を出ており、それならばと参加者を動員するために協力してもらうことになった。
孫もまた1歳8・9ヶ月頃より、おじいちゃんと一緒にしている体操大好き幼児なので参加した。最年少参加者であり、それなりに体操しているので「かわいい、かわいい」と多くの人々の注目を浴びている。

ラジオ体操A.jpg

ここは高齢者の多い地域で、今年度の小学生は35名。
そのうち7名が今春入学した児童である。
今日の参加者は約60名ほどだった。

ラジオ体操@.jpg

右から4人目が夫、娘と孫も左端に見える。

私も春にデジカメを買って使い始めたものの、長女が来てからすっかり娘がやっていたので使い方を忘れてしまっていた。
今朝はシャッターと間違えて電源ボタンを押していたので、毎回電源を入れていた。変だなあと気がつくのも3枚目を撮ろうとした時だから呆れてしまう。

JCPの研修会から帰宅する翌7日は、朝から会長さんらと3人でビンゴゲームの景品を買いに行くことになっている。いずれも一律に500円程度の商品を準備するのだが、さて何人分くらい用意しておけばいいのだろうか。

最初は役目の負担感が重くのしかかってしんどかったが、今では認知症予防のために、あるいは既になっているならば進行を遅らせるために、少しでも脳の刺激になると感謝さえしている。
来年4月の引継ぎまで愛を込めて地域のためにやらせて頂きたいと思う。

ようやく今日、近畿・東海地方の梅雨が明けた。
私が生まれた昭和26年の観測以来初めての遅い梅雨明けだった。


posted by 優子 at 17:45| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

神を信頼するとはこういうことだ! ―今朝の出来事より―

今朝の散歩でこんなことがあった。
セントバーナード犬だと思う。大きな犬を連れたご婦人と出くわし、挨拶して安心して通り過ぎようとした時のことだった。チャッピーに興味津々だった相手の犬が、飼い主の手から離れて近寄って来た。
100キロ以上はあるだろうと思われる大きな犬だから、華奢な女性の力ではとても制御しきれなかったのだ。

私たちの方へやって来た。
私は犬を飼っているが犬が怖いし、犬についてはよく知らない。
チャッピーは吠えて慌てているし、私はチャッピーを守るために持っていた傘で犬を遠ざけようと必死だった。

しかし、いよいよ接触しそうになったので、私は「キャー!」と大きな声を出してパニック状態になってしまった。
その時だった。
そのご婦人が私を強く抱しめて、「大丈夫!大丈夫よ!遊びたいだけなの」と仰った。
普通ならばこのようなことはしないだろう。私はその人の何か深い人柄や専門性のようなものを感じた。


とにかく私はその言葉で安心した。
心から彼女を信頼することができたからだ。


そして、「待て!お座り!あなた、ダメじゃないの!」と、犬と同じ目線になって教えておられた。その犬は大きな体だがいたずらっぽい目をした若い犬だったから、まだ訓練中だったのだろう。
飼い主さんは私より少し年上か。初めて会った人だった。

その方が私を強く抱しめて、「大丈夫!大丈夫よ!」と確信をもって言われた言葉に、この人ならば制御できると信じることができたから安心できた。
そして、別れた瞬間に思った。
神さまを信頼して平安を頂くとはこういうことだと! 
私は神さまを信頼しているから明日からのことは思い煩わずにおられる。


しかしまあ、犬を連れていてもチャッピーは頼りないことである。
チャッピーが私を守ってくれることはなくて、いつも私がチャッピーを守ってやらねばならないのだ。気の強い猫をからも。ふらふら

posted by 優子 at 17:13| 大阪 ☔| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

歌舞伎でシェイクスピア喜劇・『NINAGAWA 十二夜』

昨日は道頓堀の松竹座へ菊五郎一座のシェイクスピア喜劇を観劇した。
この前来たばかりの高島屋だが、せっかく難波(なんば)へ出たのだからと苦手な服売り場を回った。そのうちに自分の服は諦めて娘たちのことを想いながら歩いた。

しかし、たった1時間では落ち着いて買い物はできなかった。
諦めかけた時にマネキンに着せてあるワンピースを一目見て気に入った。真智子よりも年上の知子に似合うだろう。しかも幸運なことに、その店では新柄の服もその日から半額に再値下げになっていた!
知子は喜ぶだろうか。
きっとよく似合うに違いない。
私は娘の喜ぶ顔を想いながらプレゼント用に包装してもらった。

そして、大急ぎでお弁当を買ってデパートを出た。
戎橋筋では孫に甚平さんを買って、夫と待ち合わせている松竹座前へ急いだ。夫は10分ほど遅れてやって来た。心斎橋から歩いてきたらしく暑そうだった。

松竹座7月の大歌舞伎の演目は『NINAGAWA 十二夜』で、シェイクスピアのロマンティックコメディを蜷川幸雄が歌舞伎に演出したものである。

シェイクスピア悲劇の最高峰が『リア王』で、『十二夜』は喜劇の最高峰と言われているが、私は未だ原作を読んでいない。ふらふら
『リア王』についてはカテゴリ「掲載文(神・文学)」で2006年3月2日から8日まで7回連続で掲載している。「『リア王』は悲劇か ―リアの生涯を考える―」は、情熱的に書き上げた忘れられぬ作品の一つである。

ところで、「十二夜」とはクリスマスから数えて12日目の意味で、東方から御子イエスのもとに馳せ参じた3人の博士が到着した日とのこと、幕が上がると子供達にクリスマスキャロルを歌わせていた。
無知な私は内容とタイトルが合致せず、そのあたりを知りたい気持ちがあるので意欲が出てきたかなと嬉しくもある。

歌舞伎では、双子の兄セバスチャンが斯波主膳之助(しばしゅぜんのすけ)、妹ヴァイオラが琵琶姫で、琵琶姫が男装したシザーリオを獅子丸、この3役を尾上菊之助(31歳)が早代わりで演じた。

面白かったのはオリヴィア姫の侍女・マライアを演じる麻阿(まあ)役の市川亀治郎だった。今回は夫もゲラゲラ笑って最後まで居眠らなかった。

心に残る人物は菊五郎演じる捨助(原作ではフェステ)だ。
『リア王』にも出て来た「道化(fool)」である。これは阿呆な阿呆ではなくて、利口な阿呆だ。知者の究極である。
私はいつしか「賢けりゃ馬鹿になれ」と言っていた母の言葉を思い出しながら見ていた。


『NINAGAWA 十二夜』は今年3月に本場ロンドンでも好評を博したそうだ。共に400年の歴史を有する歌舞伎とシェイクスピアのコラボレーションである。

翻訳物を歌舞伎の決め事の中で表現するというのは、演出家にとっても役者にとっても大きな挑戦だ。原作に無かったものを付け加えたところもあるらしいが、意欲的でない今の私にはその新しいチャレンジに感銘を受けた。

「これは歌舞伎に新劇が加わったようなものやな」と70歳くらいのご婦人方が話しておられたが、私たち夫婦は「今日のは日本語でよくわかったね」と笑っていた。
しかし、言葉が現代語でなくて理解困難であっても私は古典的な純歌舞伎がいい。

芝居は良い気分転換になる。
そして、シェイクスピアの世界が懐かしく、もう一度寝食忘れて打ち込む日々を過ごしてみたいと思った。

ずっと知子のことが気になっていたが、私たちが夕食を頂き始めた5時半頃、知子は両手にチャッピーとユキを連れて一匹と一人の散歩に出ていたそうだ。お蔭で帰宅してからチャックンの散歩に行かなくていいので助かった。

知子は買ってやった服をとても喜んでくれた。


posted by 優子 at 23:18| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

Wake up my glory.

半月ほど前から全ての意欲が失せて仮死状態になっていた私は、家庭集会の記録さえ筆が重くなっていたので重症だとわかった。
昨日の記事は一日遅れで昨夜遅くから書き始めたのだが、日付けが変わる頃には魂に酸素が届き始めたように言葉が出てきた。書き終えたのは午前1時を過ぎていた。
(そのような時は更新時間を「23:59」にし、実際に「23:59」に書き上げた時には「23:58」にしてアップしている。)

そして今、昨夜は3時間少しの睡眠時間にも関わらず、昨夜の記事を推敲しながら魂が力強く回復していくのがわかった。そして、泉のように中から溢れてくる思いを言葉にしたくて続けて書いている。

ダビデも魂がうなだれて誘惑に陥りやすい時に「目覚めよ、わが栄よ!」(詩篇58篇)と祈った。
これまでの半生においても苦悩に押しつぶされそうになった時、この祈りによって何度支えられてきたことだろうか。

私の誉れよ、我が栄えよ、私の内にある最上最高のものよ、目覚めよ!と自らを励まし、神への祈りへと導かれてきた。一切を神に委ねて、心安く神の御手の内に生きていくのだと。

この一ヶ月間、私の魂はうなだれて重苦しい時間を過ごしていたが、今再び神に向かって力強く讃美しよう。

自作の曲の全てに「ただ神の栄光のために」とサインしたバッハ。
私の思いもバッハの思いに通じるように思えて、大作曲家バッハを身近に感じる。

わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。
神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。
わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。
民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。
そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。

            
                詩篇62篇5〜8節

posted by 優子 at 11:35| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

神さまとの密な交わりに休息を得る

今朝の明け方から雨になりようやく梅雨らしくなった。
雨の合間にチャピーを散歩に連れて出た。靄のかかった山に目を向け深呼吸して「全地を造られた神さま」と祈り始めた瞬間、神の息吹きが私の体内に注ぎ込まれるのがわかった。

昨日の記事を書き終えたのは午前1時過ぎていたが、ゆっくりその日を振り返って眠ったこともあって、今朝は神さまからの新しい力を感じることができた。
昨日の午後は2時間くらい眠ったせいか、今日は体力だけではなく気力も備えられて神さまとの密なる時に導かれた。

今まで多くの友が真実の信仰者として祈り導いて下さった。
中でも自らの経験を通して語って下さった友の愛に深く感謝している。
また、今もご自身の問題が未解決のままで葛藤しておられるのかなと思わせた友もおられたが、信仰理解の違いなのかも知れない。そうであることを願いつつ、その方にも真実の愛に感謝している。

ところで、人は病床に就いた時に他者の人柄がよくわかるというが、今回の私たちもまたそうだった。そして、私たちは皆、弱く足りないものであることをもう一度教えて頂いた。

私たちは祈りや講壇の上でも罪を犯す弱い者である。しかし、神は私たちを造り変えて下さるのである。
短気なモーセを「地上で最も謙遜な人」にし、低いセルフイメージと自信に欠けるギデオンを「勇士」に、人を恐れるアブラハムを「信仰の父」に、短気で意志の弱いペテロを堅固な者に、傲慢で「雷の子」と呼ばれていたヨハネを「愛の使徒」に、そして、姦淫の罪を犯したダビデを「わたしの心に叶った者」に変えられたのである。

これらは何という希望であろうか!
しかも、神がお用いになるのは全て弱い人である。
しかし、機械的に語る人ではなく本当に砕かれた人だ。心を開いて正直に自分の弱さを分かち合える人である。
今は私にとっても試練の時、砕かれる(変えられる)には痛みを伴うが、私も恵みを深く味わえる者に変えて頂きたいと願う。


祈りの友のお一人おひとりに心から感謝している。  
主に在って優子は健在なり!
神さまは常に働いて下さっていることを信じる。だから思い煩わないで前進していこう。

スー先生が歌って下さった歌は、娘たちが幼かった頃によく歌っていた。私は幼い知子と真智子に何度励まされたことか!

「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも。
嬉しい時も悲しい時も歩きましょう、いつも。」


posted by 優子 at 15:58| 随想 | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

自治会でのチャレンジA ―副会長を受けた理由A―

しかしまた、断わらせてくれなくとも、本当に無理ならば人間関係が悪くなろうとも謝り続けて辞退したであろう。
説得されて受けるということはバウンダリーズの問題以外に、その人の中に受けてもいいかなという気持ちがあるからだと私は常々思っている。
今回のことも例外ではなかった。
今回のように悩みに悩んだあげくに引き受けた心理の中に、どうしても挑戦したい課題を感じていたからだ。
それを書いておきたいがためにページを割いている。

現会長は私を「気心の知れた人」と仰り、しかも総会の席でも第一に指名したと仰ったのであるが、実のところ私は全く懇意ではなく、それどころかとても苦手な方だった。
と言うのは、民生委員時代に私の範疇では理解できないことで激しく叱責されたことがあったからだ。


それについては後述することにして、だからこそどうしても辞退したかった。
そうでなくても、あの頃は孫のためにも必死で自らの健康管理をしていたし、自分の時間が殆ど取れない状況だったから、引き受ける自信は全くなかったので断固断り続けた。

ところが、どうしても諦めて下さらず悶々とした日を過ごす中、どうしても引き受けねばならないのならば、民生委員の3年間に自分自身に不満を感じ続けた生き方を改善したいと思った。

即ち、組織のことでおかしいと感じたことは人を恐れずに発言できる人間になりたいと強く願っていたので、この機会をその実習の場にしたい、どれぐらい改善できるか試してみたいという気持ちを抱き始めた。


2回目の電話でもこちらの事情は問答無用で、ついに受けざるを得なかった。
勿論、最終的にそれを選んだのは私であるが。
受話器を置いて暫くのあいだ神に深く頭を垂れ、最後に「どうかよろしくお願いします」と申し上げて祈り終えたのだった。

既に2月8日の記事に、「話が進むようならば民生委員をお受けした時の経験を活かさねばならない。祈って考えたいと思う。」と書いているので、依頼を受けた日から自らの気持ちを直観的に察知していたのだろう。

拙い経験ながら、このような声がかかった時には事情が許す限り新しいことに挑戦してきたし、受けるかどうかについても今回ほど悩んだことはなかった。では何ゆえか?!

会長さんは行動的なので要望も多くなるだろうというのが何よりも大きな心配だった。
大きなストレスになることを懸念し、一方では、だからこそ発言する新しいチャレンジなのであり、しかしまた、しんどく感じる嫌な選択であったのも事実だった。
そんなわけで私には意味深いチャレンジなのである


とにかく無責任な引き受け方はしたくない。
会長補佐役をにおわされたので、会長代理でお葬式に参列せねばならない時はクリスチャンで不都合はないのかなど、3月下旬には気がつくことを事前にお聞きしながら心の準備に入っていた。

最初に「苦手な方」ということを書いたが、私の中では既に出会いを深めつつあると思っているので、もしもご本人がこれをお読みになったとしても不都合なことはないと思って記事にした。
少なくとも、私は常に神に申し開きできるようにアカウンタビリティをとって書いているつもりだ。

4月早々に心温まるエピソードもあり、主に在って臆することなく心を込めていく時、ぶつかり合っても親しくなれる人物であると思っている。


とは言いつつも、「やっと2ヶ月終わった。あと10ヶ月」と早々から指折り数える日々でもある。
つづく

posted by 優子 at 15:40| 随想 | 更新情報をチェックする