2017年11月21日

皆川達夫さんのキリスト教音楽への情熱

IMG_9097.jpg最低気温が2度まで下がった今朝も寒さに耐えて健気に咲く最後のシュウメイギク。

「美しいね。私は最期まで見てるよ」。

私は通るたびにしゃがんで声をかける。

私のお気に入りの一つに、日曜日の朝、シューベルトの『楽興の時』第3番で始まる ラジオ第1放送の『音楽の泉』がある。テーマソングをバックに道案内人・皆川達夫さんの声に深い安らぎを感じ、終わる時のさみしいこと。

日曜日は礼拝を捧げるのでゆっくりできないが、ベッドの中で途中まで聞き、続きは食卓で聴くことが多い。先週の『クリスチャン・トゥディ』に掲載されていた皆川さんの記事に深い感動を覚えたので転載させていただいた。

皆川辰夫さん.jpg中世・ルネサンス音楽研究の第一人者で立教大学名誉教授の皆川達夫さん(90)が11日、「かくれキリシタンの祈りの歌」と題した公開講演会(主催:立教大学キリスト教学会、文学部キリスト教学科、キリスト教学研究科)に登壇。キリスト教と音楽、そして隠れキリシタンに歌い継がれてきた「オラショ」について、集まった140人余りの聴講者を前に講演した。

「キリスト教と音楽のつながりは深い。教会には常に音楽があり、また音楽の歴史を語るとき、キリスト教は切っても切れない存在だ。

例えば、バッハやシューベルト、モーツァルトも優れた宗教音楽を残している。それはなぜか」。

そう問い掛け、キリスト教会において音楽が重視されてきた背景をひもといた。

多くの宗教は、見えない神を何とか視覚的に捉えようと、仏像や仏画などを作る。また、海や山、木などに神が宿っているとして、それを拝むことによって神の存在を確かめる。しかし、キリスト教では偶像崇拝は禁止だ。

「キリスト教は目で見る宗教ではなく、神の声を耳で聞く宗教。音楽もまた、形がなく捉えることができない。しかし、私たちの心の中に不思議と大きな感動を与えてくれる。不思議な数の調和の上に成り立つ芸術が音楽。

したがって、音楽は人間の創造物というより、神が作った『音』を人間が利用させていただいているものと言える。人間が作ったものでありながら、神が作られたものであり、神の存在が音の中に潜んでいる。

だから、人間は音楽を聴いて感動する。そして、神を礼拝するため、賛美するために音楽を用いる。キリスト教が優れた音楽を生み出してきたのは、このような背景があるからだ」。

立ちっぱなしで休むことなく2時間に及ぶ講演をこなす皆川さん。さまざまな史実を語る際には、年号や時の将軍、音楽の話では作曲家や作詞家の名前など、詰まることなく口から出てくる。

外国人教員とはドイツ語で会話を交わし、また朗々と歌う姿は、間もなく1世紀を生きようとしているとは思えないほど、聡明で快活だ。

皆川さん.jpg

講演の後半では、いよいよオラショの祈りに話が及んだ。

オラショとは、隠れキリシタンによって口伝えによって伝承されてきた祈りの歌。ラテン語の「oratio(オラツィオ)」に由来し、もともとは宣教師によって教えられた、ラテン語の祈祷文にメロディーを付けて歌われたもの。

しかし、歴史を経る中で次第に意味内容が理解されないまま唱えられるようになった。そのため、日本語のような言葉と、ラテン語のようだが意味のよく分からない言葉が混在している。

例えば、ポルトガル系のラテン語と日本語が混ざった次のようなオラショがある。「デウスパイテロ ヒーリヨー スペリトサントノ 3つのビリソウナ 1つのススタンショウノ 御力をもって 始め奉る」。

皆川さんによると、これは「父と子と聖霊の三つの形の神様が一つになる」という三位一体を示し、祈りの冒頭に唱えるのだという。

隠れキリシタンたちはこう唱えつつ両手を組み、親指で十字を作るのが作法。そして、この不思議な祈りが1時間ほどあり、その後、節をつけた御詠歌のような祈りへと続く。これが「歌オラショ」だ。

「初めは何を言っているのかさっぱり分からなかった。しかし、何度か聴いているうちに、ある一節がラテン語のグレゴリオ聖歌なのではないかと気付いた」。

その後、今もなお隠れキリシタンの末裔が住む長崎県生月(いきつき)島を何度も訪れ、オラショを聴き、録音させてもらった。それをもとに楽譜に起こし、ラテン語に復元する作業を続けるうちに、「グルリヨザ ドミノ」と歌われているのが「O gloriosa Domina」(栄えある聖母よ)というマリア賛歌であることを突き止めたのだ。

「グレゴリオ聖歌であるらしい」という仮説を立てたものの、現在、日本で手に入る「グレゴリオ聖歌集」には、この文言が入った曲が見当たらない。

そこで皆川さんは、バチカン図書館に何度も通い、さまざまな楽譜をしらみつぶしに当たった。楽譜を整理するカードを保管する部屋だけでも、体育館のように広い。

そこから1枚1枚調べ、1日にたった3冊しか借りることのできない本を調べてはまた返し、カードを調べてまた借りるといった作業を約7年続けた。それはまるで「太平洋の海底からたった1つの小石を拾うようだった」という。

しかし、バチカン図書館ではお目当ての楽譜を見つけることができなかった。そこで、当時、日本に来ていた宣教師の出身地であるスペイン、ポルトガルをもう一度、調べることにした。すると、スペインの図書館にたった1曲、同じ文言の入った曲があったのだ。

「これを見つけた時は本当にうれしゅうございました。ようやく見つけた夢の楽譜でした」と皆川さんは感慨深げに話す。

これはスタンダードな聖歌ではなく、スペインのある地方、そして特定の年代にだけ歌われていたものだった。そのため、日本はもちろん、バチカン図書館でも見つけることができなかったのだ。

宣教師が自国のなじみの聖歌を携え、生月島の人々に伝えた。そして、260年にも及ぶ禁教の中、隠れながら人々はこの歌を歌い、「生きる力」をもらって信仰を保ってきたのだ。

「音楽は、ともすれば1週間で聴かれなくなってしまう儚(はかな)い芸術。しかし、この音楽は400年もの間、人が生きることを支えてきた。音楽の力強さを感じた」。

また、講演の最後には、琴の名曲「六段」(八橋検校作曲)がグレゴリオ聖歌の「クレド」(信仰宣言)であったという仮説を提示し、その根拠を説明した。「クレド」と「六段」の構造はまったく同じ。

講演中、このグレゴリオ聖歌と「六段」を同時に演奏しているCD「箏曲《六段》とグレゴリオ聖歌《クレド》〜日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」(皆川氏の解説と指揮)を皆で鑑賞した。

聴き比べてみると、確かに聖歌の音階が上がると「六段」も上がり、下がるのも同時。クレッシェンド、デクレシェンドなどの一致も、素人の耳にも明らかだ。

皆川氏はますますの研究意欲を語り、講演を結んだ。

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2015年04月21日

人間・セザンヌ

17日夜から腕の痛みがひどいので昨日今日の午前中は横になっていた。今日は幾分和らいでいるので「シリーズ巨匠たちの肖像 セザンヌ・革命を起こした隠者」の再放送を見ていた。人間スザンヌにとても共感した。
 彼の「果物」を描くセンスをゴーギャンは盗みたいと思い、ピカソから“われらみんなの父”と敬愛された画家、セザンヌ(1839-1906)。
生前は世間から認められず、南仏の故郷に引きこもり、新たな絵画技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。
番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。

セザンヌの名前は10代の頃から知っていたが、私は絵画には全く関心を示さない無教養な者ゆえに、若い頃から絵画を鑑賞する人への憧れがあった。

そんな私でも画家の人物像から入っていくのはとても興味深く、63歳にして今日初めてセザンヌと出会ったのである。人間・セザンヌにとても親しみを感じる。

セザンヌは作品を酷評されたことと、13歳の時に出会った無二の友人エミール・ゾラとの決別が心を傷つけ、40代で故郷エクスに引きこもった。
ゾラとの決別とは、ゾラが1886年に刊行した『制作』で、セザンヌをモデルにしたクロードを首吊り自殺させたことだ。それを知ったセザンヌは「画家のことも全くわからない者が、絵が1枚うまく描けないからと言って自殺なんかするものか!」と憤り決別したという。

サントビクトワール山.jpgセザンヌが特に愛した故郷のサントビクトワール山は何枚も描いている。
それまでの既成概念である遠近法を無視して遠くの山を大きく描き、躍動感やダイナミックな強さを表した絵には自然の響き合いがある。

セザンヌ・「台所のテーブル」.jpgまた、静物画(「台所のテーブル」)を多視点で描くなど、写真では表現できないことにこだわり、絵でしか表せないことに集中した。
例えば、壺の口は真上から見た円形に描いており、カゴは横から見える形だが中は上から見た時の構図だ。
洋梨も人物と同じように個性を持っており、「絵を観た人は梨とリンゴなど隣り合ったもの同士の会話に引き込まれる喜びを感じる」と解説されていた。

印象派とは今のこの瞬間をこの目で見て、それをキャンバスに写すということだが、セザンヌは永続性を持たせた。ゆえに、セザンヌにとって一筆がどんなに難しいものであったか。

キャンバス地がむき出しになった「塗り残しの技法」は、光を取り入れるために敢えて残したと考えられる。西洋絵画は塗り重ねていく足し算の美学であり、日本は余白の美がある。

では、セザンヌにとって完璧なこととはどういうものであったか?
変化してやまない「自然」に色彩や明暗を持ってきて持続させることではなかったか。
写真の登場が絵画とは何かを問い直させた。

セザンヌはサントビクトワール山を描くという特別の思いをもって描いているので、別のところは意味が無い。写真は全てを写し出すが、絵画は自分の思いを実現することであり、自分の見たいものだけを描くのは絵画しかない。それが西洋絵画の大発見だった遠近法の破壊に繋がった。

セザンヌは絶えず自分と向きあう中で先入観にとらわれず探求し続け、どんなに揶揄されても自分を見失しなわなかった。無理解な世間の苛立ちを絵を描き続けることで鎮めようとしたところに私は惹かれる。

セザンヌ.jpg石を投げられるなど、あからさまな世間の迫害がセザンヌをより一層に癇癪持ちの偏屈者にしていったように思う。意固地なセザンヌはすぐにカッとなったり、気むずかしいのは絵画への執念がそうさせたのではないだろうか。

私はこのあたりに人間・セザンヌを最も感じるところだが、この眼光から安らぎがないように感じる。これは亡くなる3年前、64才のセザンヌだ。

Paul Cézanne, 1839年1月19日 - 1906年10月22日(近年は10月23日説が有力)。

セザンヌは西洋の価値観を一変させたが、それ以上に多視点の発見によって人間のわざとしての絵画を知らしめた功績は大きい。セザンヌは後世の巨匠たちを驚愕させるものを生み出し、ピカソの先駆けとなった。

また、「先駆けてセザンヌの本質を見抜いていたアンブロワーズ・ヴォラール画商のように、偉大な画家がいても師事し発見する人が居なければ埋もれてしまう。ここに画商の意味がある」とはゲストの永井龍之介(画商・永井画廊代表)の言葉だ。

以上、心に留めておきたいところを「フランス・19世紀末の天才画家たち」より書き留めた。


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2014年12月10日

芸術は分からずとも岡本太郎に魅かれる理由

「芸術は爆発だ!」
1981年のテレビコマーシャルで岡本太郎が発したこの言葉は、今も強烈な記憶として残っている。あの頃は笑って見ていただけで、その後も芸術を味わう感性も全く開かれぬまま年を重ねてしまったが、50歳を過ぎた頃から岡本太郎に魅かれている。

「芸術は爆発だ!」
岡本太郎にとって「爆発」とは「戦い」の意味であると知り、「戦い」とは何と闘っているのだろうと関心を持ち始めたのだ。

太郎がこだわるのは人間が機械を造ったにも関わらず、今は経済や財産の多寡だけが進歩になってしまっていることだ。人間が機械の奴隷になっていることを警告し、機械文明で埋もれた人間の魂を取り戻したい、それが太郎の戦いだった。

人間の魂を取り戻すためには正反対のものがぶつかり合うこと。それによって生み出されるのが調和であり、それは人種や国籍を越えたものだ。
それが「太陽の塔」であり、その意味するところは「調和」であり普遍的なものだ。従って西洋的なものではなく、日本的なものでもないと言うのだ。興味をそそった。


太郎は、「憎まれてもいい、嫌われてもいい、不満に思われてもいいと平気で造った」と語っていたが、「あれだけべらぼうなものを建築物として造れるようなパワーを持った人間は岡本しかいない」と同時代の人に謂わしめた。

漫画家の岡本一平と、歌人で作家・かの子という、一流の評価を受ける両親の一人息子として生まれた太郎は、自分だけの絵画を捜して苦しんだ。

そして、21歳の時、人生を変えるピカソの絵に出会った。
ピカソは現実の絵をそのまま写し取るのではなく、抽象的なイメージに置きかえられている。そこで太郎は、ピカソの真似ではなく独創的な絵に挑戦した。ピカソを越えることが芸術家として生きる使命だと考えた。

異なる2つのモチーフ、現実と抽象を描くが、それは単なる具象的ではなく、ただ抽象的でもない。対立する2つのものをぶつけ合うことで新しい芸術を生み出そうと苦闘した。

ピカソは太郎の作品を、「東洋の紋切り型から解放されているだけではなく、西洋の偏見からも解放されている」と評価した。

太郎は10年間パリで過ごしたが、彼にとってパリは本当に戦う場所ではない、戦う場所は日本であると気づき、日本は精神的に閉ざされた所かも知れないが、そこでこそ自分を賭けようと帰国した。

「絵画の石器時代は終わった。新しい世界はこれから始まる。・・・独立した精神と存在価値が現わされなければならない。」と挑戦的なことを言ってバッシングにあうが、「本当の仕事をする人は、人に悪口を言われると言うのが僕の持論だ。」と語る。このような太郎の気魄に惚れる。

現在、渋谷駅にある『明日の神話』は、戦争と原爆に対する怒りを表しており、悲劇を乗り越えた日本人を描いた。

「明日の神話」.jpg
<↑ネットより拝借>

太郎は、「絵画の中に自分を写し出す。完成を拒否し、自分を問い、自分を探り続けた。人の目を気にしないで、全身で過去と未来を表現した芸術家であり、人間そのものを描き続けた。人間の生き方は即ち芸術なのだ」と!

岡本太郎の言葉:
「人間にとって成功とはいったいなんだろう。 結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか」。

その意欲的な生き方に大いに共鳴するも、悲しいかな私には芸術を鑑賞し感動する能力がない。

縄文土器の美に圧倒され、ケルト文化に魅かれた太郎。
「太陽の塔」の内部は、生命の進化を表現した高さ41メートルにも及ぶ「生命の樹」が造られていたが、万博開催当時大学1回生だった私は何度か行ったものの、一度も内部を見学しないまま終わってしまった。

太郎はどうやら進化論を支持しているようだが、彼の世界観、特に宗教について聴きたかった。

「太陽の塔」の内部に世界各地の民族資料を展示しようとした太郎の思いは、私はわかるような気がする。見当外れではないように思う。
「太陽の塔」に収集された民俗資料が発端となって、後年、日本で初めての国立民族学博物館が設立された。民博は子どもたちが小学生の頃に一度見学したことがある。

今年こそ万博公園を訪れて「太陽の塔」を見たいと思っていたので、千里ニュータウン教会へ行くたびに「ここからすぐ近くなのに」と太郎への気持ちを馳せていた。

しかし今秋も行けず、来春こそ必ずと思っていたら、2015年に「太陽の塔」の内部公開を始めるとのこと、何と幸運なことか! ユキのような年齢の子供も何らかの刺激を受けることだろう。

私はなぜ太郎に魅かれるのか。
それは人の批判を恐れずに、自らの課題に向かってアグレッシブなほどに挑戦し続けたからだ。燃え上がる探究心を最後まで失わなかった太郎が好きだ。
まさに人生は芸術作品であり、芸術作品にまで仕上げる気魄を持って個性を磨き続けたいものである。

太郎の晩年は重いパーキンソン病に悩まされて、84歳で亡くなった。母と同じ1996年だった。

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2009年12月04日

「きよしこの夜」の翻訳作詞者はJCPの方だった!

クリスチャンでなくてもみんなに愛唱されている讃美歌「きよしこの夜」。昨日の『生かされて』の記事に、「きよしこの夜」の歌詞について書いておられたのを読んでびっくりした!

この讃美歌109番の歌詞は3節までだが、ドイツ語の原作では6節まであり、しかも、「その翻訳をメロディーにあわせて日本語の歌詞として書かれたのが日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のメンバーでもある詩人、佐藤一枝さん」だった!

これが4節から6節の歌詞だ。

      4 きよしこの夜 神のみ子が 
        栄えの姿 惜しまず捨てて
        降(くだ)り給う 罪の世に

      5 きよしこの夜 小さきみ手を
        かかげて招く 救いのみ子は
        愛し給う 友の如(ごと)

      6 きよしこの夜 み傷しめし
        すべての民に ゆるしの恵み
        与え給う イエス・キリスト

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佐藤さんは80歳を過ぎておられる婦人で、このほかにもたくさんの讃美歌の作詞をなさっておられるそうだ。
お名前だけは書かれたもので存じ上げていたが、来夏、関西で予定されている夏期学校でお目にかかれたらこんなに嬉しいことはない。

今日は讃美歌109番を6節まで讃美して始めよう。

posted by 優子 at 07:34| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

「例外を設けない楽観主義者」が『メサイア』を生んだ

クリスマスを間近に世界中で「メサイア」が歌われている。
「メサイア」と言えばゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel 、英語名ジョージ・フレデリック・ヘンデル)。バッハと共に私を信仰から信仰へと導いてくれる二大音楽家である。

2006年12月7日の記事では、「神が与えて下さった最高の音楽『メサイア』」(カテゴリ「音楽」)として、ヘンデルが56歳にして人生最悪の時に「メサイア」を作曲したことを書いた。

今回はその続編として、その背後で神が働かれていたことを書きたい。

絶望と病気と貧しさの中、公演活動も失敗を重ね続けていたヘンデルに二つの出来事があった。
一つは富裕な友人が台本を渡してくれたことで、その台本には聖書の言葉のみで書かれたキリストの生涯が書かれていた。

もう一つは時を同じくして、ダブリンの慈善団体から寄付興行演奏会の作曲依頼が届いたことだ。
私はこの絶妙なる不思議な出来事に神の摂理を感じないではいられない。

ヘンデルに一片のみことばが浮かんだ。
「彼は侮られて人に捨てられ、
 悲しみの人で、病を知っていた」。

これは「苦難のしもべ」と呼ばれているイザヤ書53章の中に出てくる一節であり、キリストが生まれる遥か700年も前に、預言者イザヤによって救い主の出現と生涯を見事に預言したものである。少し長くなるが引用したい。

だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。
彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、
威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。
われわれも彼を尊ばなかった。

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。

しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた


彼はしいたげられ、
苦しめられたけれども、口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代(よ)の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。

しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、
また彼らの不義を負う。
それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした

ヘンデルは手を休めて食事を摂ることなく作曲に没頭した。
6日間で第一部を完成させ、続く9日間で第二部を、第三部は6日間で、そして、オーケストラ部分は2日間で仕上げ、260ページにも及ぶ手書きの譜面を僅か24日間で書き上げたのである。

彼はパウロの言葉を引用して、「作曲していた時、それが、からだのままであったか、からだから離れてであったか、わたしは知らない」と語ったという。聖書の箇所は第2コリント12章12節だ。

ヘンデルは「例外を設けない楽観主義者」で、神への信仰が彼を力づけた。
どんなに最悪な時も、何年にもわたる挫折の日々も音楽活動を決して止めることはなかった

ああ、私もヘンデルのような強い信仰を賜りたいものだ!


またヘンデルは、信仰信条の違いゆえに50回、60回と攻撃されようとも屈せず、「私は聖書をよく読んでいます。ですから自分が導かれた解釈を選びます」として動じなかった。
教派の違いによる問題には関わらなかったところにも教えられることが大きい。

そして、同胞が同胞を攻撃するところに人間の本質と人間の限界を見、ヘンデルの生き様に信仰者としての模範を見る思いだ。

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この神への信仰が『メサイア』を生み出し、250年後の今も我々を励まし続けているのである。
以上、『メサイア』を部屋に充満させて自らの信仰生活を振り返りながら書いた。これもまたアドベントにふさわしいことであろう。

尚、P.カヴァノー著『大作曲家の信仰と音楽』(教文館)によれば、ヘンデルが書き始めたのは先の記事に書いた「8月22日」ではなく、「4月22日」となっていることを付け加えておきたい。
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2009年04月10日

『マタイ受難曲』に表わされたバッハの信仰

この3日間、ずっと『マタイ受難曲』を聴いている。
周知の如く『マタイ受難曲』は、新約聖書開巻マタイ伝に記されたイエス・キリストの受難にバッハが音楽をつけたものである。
イエスの捕縛、裁判、十字架上の死を音楽に表わしたものであり、バッハの神への信仰を表現したものでもある。

捕縛後のペテロの否認、十字架を担ぎながら歩くイエス、十字架が地面を擦(す)る音は人類の罪の音だ。
私の罪の音だ。
私のために身代わりになって死んで下さったことを深く思い極めたい。

バッハの250曲にも及ぶオルガン作品の源泉は全てルター派のコラール(讃美歌)である。ここ数日、私の脳裡に『マタイ受難曲』のコラールが響き続けている。讃美歌136番だ。

「血潮したたる主のみかしら、棘に刺されし主のみかしら、・・・・。
主の苦しみは我がためなり、われは死ぬべき罪人なり、かかる我が身に代わりましし・・・。
主よ、主のもとに帰る日まで、十字架のかげに立たせ給え。み顔をあおぎ御手によらば、今わの息も安けくあらん。」


今日はキリストが十字架にかけられた日である。
神を知らぬ者は十字架にかけられた金曜日を不吉だと忌み嫌う。
しかし、私たちクリスチャンにとっては「Good Friday、グッド・フライデー」と呼ぶ。この苦しみを受けて死んで下さらねば葬られて復活されなかったからである。
クリスチャンはイエスが十字架から降りずに、十字架の贖いを成就されたがゆえにイエスが神の子、救い主であると信じるのである。

ああ、私たちの今の苦悩と悲しみもまたそうであれかし!
最悪の苦悩を突き抜けて最善へと至らせたまえ!


『マタイ受難曲』は神の恵みと愛へと導かれる。
我々はかくも罪深く、弱い者であるが神に祈ることができる。
この世の一切を支配されている全知全能なる神に祈ることができるようにして下さっているのである。そのこと自体が神の愛だ。罪を認め、神の御前で悔い改める者は幸いなり。祈る者は幸いなり。

バッハの音楽には比類なき深さがある。
バッハは私の魂を鎮めてくれる。純粋な音楽というのは言葉以上のものだ。知的には理解し得ないことを魂に浸透させる力がある。


マタイによる福音書27章40節から54節を開こう。
2000年前の今日のことである。この日、イエスは朝の9時頃に十字架に架けられて、午後3時頃に息を引き取られたのである。

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「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤ(イスラエル初期の預言者)を呼んでいるのだ」。
するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。

イエスを嘲弄する者は、兵卒、群集、祭司長、学者に長老たち、そして、十字架につけられた強盗であった。
即ち、彼らは全人類を代表する者たちである。


「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

この言葉は一瞬間たりとも神より離れなかったイエスが神を見失い、神より棄てられた時の苦悶の叫びである。詩篇22篇1節にある言葉である。


このあと、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取ったのであるが、祭司長やパリサイ人たちがピラトに、
「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。

しかし、イエスは3日目によみがえられたのである。
しかも、ピラトが命じた番兵たちがイエスの復活の証言者になったとは皮肉だ。神のなさることはかくも万全なのである。
(28章4節)見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。・・・・(同11節)女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。

事実を事実として述べることのできる心は貴いことだ。
これらのことからも明らかなように、人間が悪賢く計画をもって神に敵対しようとして、かえって自己が破滅に至ることは恐るべき神の力である。


今、絶望の淵にある者よ、いかに現実が絶望であっても、己の眼差しをイエスに向けよ! 心を神に向けているならば恐れるに及ばない。力と慰めと平安は常にイエスより与えられる。

「神もし我らの味方ならば誰か我らに敵せんや」               
                    (ロマ書8章31節)

たった今、日本クリスチャンペンクラブのHPを管理して下さっている裕子さん(『生かされて』の著者)からJCPの更新メールが届いた。
『メメントドミニ』をお読み下さっているあなたにも、裕子さんのお言葉をお贈りしたい。

「祝されたイースターのときを過ごされますようにお祈りしております。」


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2007年10月24日

クリスチャンが育んだ日本の唱歌

「ん?」、今確かに鶯が鳴いた。2度も鳴いた。
「桜の狂い咲き」ではないが「鶯の狂い鳴き」だ。そういえば昨秋も聞いたが、鶯の声を聞くと心が和む。いよいよ冬に向かう厳しさを感じるが、春の声を楽しみに冬を生きよう!

さて、9日前のリポートとは遅きに失するが、日本クリスチャンペンクラブ55周年記念会の夜にもたれた「音楽と感謝の集い」を記録しておきたい。

15日の夜のプログラムは、クリスチャンのご夫妻によるトロンボーンとピアノコンサートだった。
最初に「やすけさは川のごとく」(新聖歌252番)に始まり、讃美歌のメドレーで幕が開いた。

次に、マスカーニの「アヴェマリア」(我が長女の大好きな「カヴァレリアルスティカーナ」の間奏曲だ)、映画「ミッション」のテーマソング・「ガブリエリのオーボエ」の解説をお聴きしながら演奏を楽しんだ。

「ミッション」は私もテレビで見たことがあり、1750年の南米を舞台にした映画は、音楽と共に大変印象に残っている。演奏者は、
「我々クリスチャンにとっては惨いとかかわいそうとかいう思いだけではなく、宣教のチャレンジを与えられた」と感想を述べておられた。

そして、「クリスチャンが育んだ日本の唱歌」と題して、我々が歌い親しんでいる唱歌の中に、クリスチャン作曲家と作詞家がいたことを教えて下さり、その喜びを多くの方々にお分かちしたい。

作曲家・滝廉太郎は聖公会の教会に通っていて、「荒城の月」を発表の時に洗礼を受けた。その翌年に発表した「花」は、組曲「四季」の中にある。廉太郎は僅か23歳の生涯だった。

共に私の大好きな歌だ。
「荒城の月」については、カテゴリ「音楽」の2006年4月30日にも書いているので、是非もう一度お読み頂きたい。


「ふるさと」、「おぼろ月夜」を作曲した岡野貞一は、40年間、本郷中央教会で奉仕していた。
文部省唱歌の作曲家の名前が公表されたのは、歌が世に出てから90年経った1989年のことであった。

「赤とんぼ」を作詞した三木露風は、幼い時に母と生き別れた悲しみがあった。後年、北海道のトラピスト修道院に国語の教師として赴任。「赤とんぼ」を発表した翌年に洗礼を受けている。
「赤とんぼを見ながら主イエスに思いを馳せていたのではないか」と演奏者の言葉。

その作曲者・山田耕作は、家族の強い影響を受けて受洗している。しかし、クリスチャンであるのに戦時中に国の要請に応じて軍歌も作っていた。
晩年、聖路加病院に入院した時に、耕作は讃美歌を耳にして大粒の涙を流して激しく泣いたと言われている。

きっと深い悔い改めへと導かれて天に帰る備えをして下さったのだろう。神はひとたびイエスの血潮で贖って救い出した人を、最後まで決して見放したりはなさらないのだ!

最後にトロンボーン演奏者・岡山徹氏は、
「皆さまのペンのお働きが主に祝福されますように、そして、この世にある限り健康も守られますように」と述べて、マロットの「主の祈り」で幕を閉じられた。ピアノ演奏は夫人の真弓姉。

「お弁当(夕食)もおいしかったですが、霊の糧も頂きまして胸がいっぱいです」と結ばれた司会者(希望姉)の言葉の通り、私たちはご夫妻に感謝の拍手を送った。

「ミッション」とはラテン語で「派遣する」という言葉に由来すると読んだことがある。
音楽を通して神のメッセンジャーに召された御夫妻。私たちペンの仲間は文筆活動により神に召された同労者である。

与えられた賜物が違うように、同じ文書伝道者であってもその人でしか書くことのできないものがあり、私は私のイエスを書き続けようと思いを固くした。

「あなたのうちにある神の賜物(神への情熱)を燃え立たせなさい(新たにしなさい)」。

      ・・・・・・・・・・・・・

尚、この記事は「JCP関係」ではなく「音楽」のカテゴリに納めておきますね。右下の「音楽」をクリックしてね。2006年4月
30日の記事も出てくるよ!

posted by 優子 at 06:43| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年12月14日

King of Kings, and Lord of Lords

1743年、『メサイア』初公演で時の国王ジョージ2世が、「ハレルヤコーラス」のところで感動して立ち上がったことから、今も「ハレルヤコーラス」になると聴衆が総立ちするようになった話は有名である。
私の心を強くする「ハレルヤコーラス」の歌詞を、ヘンデルはヨハネの黙示録からとっている。

ハレルヤ、万物の支配者である、我らの神である主は王となられた。ハレルヤ!
                 (19章6節)

この世の国は私たちの主およびそのキリストとのものとなった。
主は永遠に支配される。ハレルヤ!

                 
                 (11章15節)

王の王、主の主、主は永遠に支配される。ハレルヤ!                 
                  
                 (19章16節)
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Hallelujah,for the Lord God Omnipotent reineth,
Hallelujah!
The Kingdom of this world is become the Kingdom of our Lord and of His Christ,and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah!
King of Kings,and Lord of Lords,
and He shall reigen for ever and ever,
Hallelujah!


中学生の時代から聴き親しんでいた兄の「ハレルヤコーラス」が、今も私の中で響いている。
「King of Kings,and Lord of Lords,(for ever and ever,)
and He shall reign for ever and ever,」
と、力強い兄のバリトンが聞こえる。

母が愛聴していたクリスマスのレコードの最後が「アーメン」だったが、それが『メサイア』の最後の部分であったことに今年気がついた。
「アーメン」の言葉だけで歌われる『メサイア』の最後は圧巻である。

リンカーンは、「聖書は、神が人間に贈った最大のプレゼントである。人間にとって望ましいものは全て聖書の中にある。」と語っている。

世界中で毎年5億冊以上もの聖書が出版され、日本には溢れているというのに未だ福音の届かぬ奥地のようだ。
耳を傾ける人は実に少なく心が痛む。

神を知らずに生きている私たちを罪より救い出し、永遠の命を与えるために、神は救い主なるイエス・キリストを地上に贈って下さった。それがクリスマスの出来事だ。
クリスマスの喜びが多くの人々に届きますように! 
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☆「ハレルヤコーラスについて教えて」などの検索から訪問して下さり感謝します。
同カテゴリ「音楽」の2006年12月7日の記事、「神が与えて下さった最高の音楽『メサイア』」もまた是非お読み下さい。この記事の一番下にあります " posted " の「音楽」をクリックして下さい!
ヘンデルの信仰生涯をお知りになってこそ、讃美の喜びと力が溢れてくることでしょう!
(2008年11月8日追記)
posted by 優子 at 17:34| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年12月07日

神が与えて下さった最高の音楽 『メサイア』

「クリスマスには『メサイア』」と言われるほどの比類なき名作は、ヘンデルの生涯の中で最も暗く苦しい時に作曲された。

脳卒中のために右半身は麻痺し、リウマチで体の動きはとれず、しかも、彼の音楽を最もよく理解し支持してくれていたキャロライン王妃の死。
それだけではない。
資金に欠乏した彼の貸し主は逮捕され、ヘンデル自身も債務者用監獄に投獄の恐れがあった。

そのような病気と絶望と貧しさの中、一片の聖書の言葉がヘンデルの心にひらめいた
1741年8月22日から9月14日、彼は貧しいアパートの一室でペン握ると一気に『メサイア』を書き上げた。
260ページにも及ぶ楽譜である。

この間、家に閉じこもったままで食事もろくに摂らず、
「作曲の最中に訪問した友人は、激しい感情の高揚で彼がすすり泣いているのを目撃している」。
ヘンデル、56歳の時のことだった。

こうして、「神が人類に与えて下さった最高の音楽」、『メサイア』(「救い主」の意味)が誕生した。


バッハと同じ年に生まれ、同じルター派の信仰者であったヘンデル。
当時の音楽家は教会だけで活動していたが、ヘンデルは世俗的な歌劇や室内楽の作曲も手がけたため、信仰を同じくする者からも攻撃や妨害があった。

「驚くばかりの恵み(アメイジング・グレイス)」の作詞者であるジョン・ニュートンでさえ1年以上にも及ぶ批判攻撃を続けた。
しかし、ヘンデルは批判で返さなかった。


大主教に対しても、「私は聖書をよく読んでいます。ですから自分が導かれた解釈を選びます。」と毅然とした態度をとった。

彼は生涯の終わりまでキリストに従う篤い信仰者として生き、「最終的な成功を収める前の何年にも及ぶ挫折の日々においても、ヘンデルは活動を止めなかった」。

あらゆる障害、たび重なる困難が来ようとも、ヘンデルには「跳ね返す驚異的な力」があった。
それ故に『メサイア』が誕生したのだ。
まさに『メサイア』は神様からヘンデルへの贈り物であり、人類に与えて下さった最高の贈り物となった。
ハレルヤ!


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追記:この後編を2009年12月3日の記事に書いた。

posted by 優子 at 17:31| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年04月30日

「荒城の月」がベルギーの讃美歌になっていた!

カトリック教会であるがベルギーでは、滝廉太郎の「荒城の月」が讃美歌になっていた!
礼拝(カトリックでは「ミサ」と言われている)のクライマックスに歌われる讃美歌にこの曲が使われていたのだ。私の驚きはそれだけではなく、滝廉太郎がクリスチャンであったということだ!

教会で用いられるようになったいきさつは、「荒城の月」を聴いた司祭が
「この曲は口で表現することのできないような静けさが堂にみなぎり、深い沈黙にいざなう静けさを感じた」と深く感動されたからだ。
しかもこの曲は、廉太郎が「洗礼を受けたいなあ」と思っていた頃に作曲されたものであったというから、私の驚きはいかばかりであろう。
だから私の魂にも届いたのだ!
旋律が美しいだけでは人の魂を捕らえない。そこにある神への信仰が我々の魂を捕らえるのだ。

母が亡くなった時、私は思いっきり泣きたいのに泣くこともできず、悲しみに悲しむこともできないほどの深い悲嘆にあった。
夜も1時間半ごとに目が覚め、短く途切れた浅い眠りの中で何度も何度も母の臨終と葬儀の夢を見た。夢では実際とは違った情景であるが、何度も何度も母の死が繰り返された。

そのような深い悲嘆の中にある私を慰めたものがこの曲だった。誰もいない一人の時に聴いていた「荒城の月」が号泣させてくれた。

今朝の『ライフライン』(☆過去ブログ2月12日に掲載、カテゴリーの「掲示板」をクリックして下さい)では、英文学者の大塚野百合さんの篤い信仰と今も衰えぬ情熱を通して神さまからのメッセージが語られた。

続いて、クリスチャンでない人も一度は耳にしたことがあるであろう讃美歌、「いつくしみ深き」が作られたいきさつを原文を通して作者の深い信仰を解説して下さった。

婚約者が亡くなるという悲しみからカナダのオンタリオ湖へ移った作者は、社会奉仕の務めに励む生活を送っていた。そして再び結婚へと導かれたが、明日は結婚式という時に婚約者が湖で水死した。

この讃美歌は、故国にいる母を慰めるために書かれた
話は周知の通りであるが、英文学を専門とされる大塚師は原文からも、師の篤い信仰に根ざしたところの深い感性からほとばしるメッセージをされた。

その前に、讃美歌312番「いつくしみ深き」の歌詞をご紹介しよう。
   
     いつくしみ深き 友なるイエスは、
     罪とが憂いを  とり去りたもう。
     こころの嘆きを 包まず述べて、
     などかは下ろさぬ 負える重荷を。


原文は次の通りである。
     
     What a friend we have in Jesus,
     all our sins and griefs to bear!
     What a privilege to carry
     everything to God in prayer!
     O what peace we often forfeit,
     O what
needless pain we bear,
     all because
we do not carry
     everything to God in praye


作者が”needless pain ”と書いているのは、
「私達が自分の持っている苦しみをそのまま神に訴えないから、不必要な苦しみや悲しみを感じる(背負い込んでいる)のだという深い思いが込められてあり、そのために何という平安を取り逃がしていることだろうか」というのだ。

”we do not carry everything to God in praye”とあるように、
「全てのことを祈りで神に訴えるということをしないから、受けるべき平安を受け損なっている」のだと。
作者からほとばしる信条の発露である。

そして、大塚師は言われた。
人間は自分の本当の苦しみを神に心を開いて訴えることができないという心の病いを持ち、本当の苦しみを意識の底に秘めている。ちょっとした辛いことは人に話すが、本当の辛いことは隠し押さえ込むと。
クリスチャンになって神に祈る時もそうだ。本当の辛さは神さまに訴えない。

「などかは下ろさぬ負える重荷を」とは「なぜ下ろさないのか、負っている重荷を」という意味なのだ。

私達の心の叫びを聴いて下さる神さまがおられ、私やあなたの負っている重荷を下ろす場所がある。
イエスさまは今、あなたを招いておられるのだ。

   すべて重荷を負うて苦労している者は、
   わたしのもとにきなさい。
   あなたがたを休ませてあげよう。
    
             
             (マタイによる福音書 11章28節)



posted by 優子 at 09:21| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

神にのみ栄光あれ!

私が『優子の部屋』(旧ブログ名)に書き込む時は神様との交わりの時である。
今朝のように心静かな時も、昨日のように悲しみに沈む時も、喜び歌いたい時も、神様を独り占めにして思いっきり語り合う祈りの時である。

バッハは、「音楽の唯一の目的は、神の栄光が顕され、人の魂が再生されることでなければならない。」と手紙の中で書いている。

彼の人柄は全くうぬぼれとは無縁で、生徒達に物惜しみせずに教え励ました。
「少し念を入れて練習するんだ。そうすればできるようになる。私と同じように両手に5本、健康な指がついているだろう。」と。

また、その天分を問われても、「私は働くようにできているんです。私と同じようにコツコツやれば、同じようにうまくいきますよ。」と語り、まさに神の器であった。

神への献身、神から与えられた賜物を音楽で顕す努力を果たし、65歳の生涯を通して人類への贈り物を残してくれたのだ。
楽譜の余白に”JJ"や”INJ"と記してあるのは、音楽に無縁の私でも目にしたことがある。
”JJ"とは、”Jesu Juva"「イエスよ、我を救いたまえ」を意味し、
”INJ”とは、”In Nomine Jesu"「イエスの御名において」という意味である。

また、楽譜の最後には決まって”SDG"("Soli Deo Gloria")と書き込んでいるという。
これは「神にのみ栄光あれ」という意味だ。

バッハは常に祈りつつ神の栄光が顕されんために創作したのだ。
250年もの時間を経ても尚、我々を神に導く偉大な音楽。

   「礼拝音楽が鳴り響くところ、神はいつも私達のそばにおられる。
    あふれる恵みを携えて。」
     (ヨハン・セバスチャン・バッハ)

どうか一人でも多くの方が神様と出会われますようにと祈りつつ、私も文字を刻んでいこう。神様と交われる喜び、慰め、励まし、感謝、平安、希望・・を是非ともお伝えしたいから。
posted by 優子 at 09:48| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする

2006年02月09日

バッハの音楽に導かれて

今朝、昨日の記事を読み返し、父のことやかつての闘いの日々を思い出した。
いつもと違って、ここ数年来なかった沈痛な想いに捕らわれてしまい、父が懐かしくて懐かしくて、会いたくて会いたくて泣いてしまった。
母の病床日記に書き残している父のものを転載して今の想いを書き始めたのだが、読んでくださる方に暗い気持ちを伝えてはいけないし、自分のためにもよくないからと書き直している。

私は神の前に心を静める時、バッハの音楽を聴く。
バロック音楽の頂点に立つドイツのヨハン・セバスチャン・バッハ。
バッハは私と同じ信仰者である。
いや、バッハは私の大先輩であるから、私はバッハと同じ信仰を授かって生かされている後輩と言うべきだ。

「主イエスよ、まことの信仰を私にお与えください。
 私があなたのために生き、隣人の益となり、みことばを正しく守るように」。

バッハは、敬虔な祈りと瞑想により一曲一曲紡ぎだしていった。
それゆえにイエス・キリストの教えをよく知らない日本人もまたバッハの芸術に慰められ、励ましを受けるのであろう。

バッハの音楽は、キリスト教への深い理解と聖書の読みが裏づけになっている。
250曲にも及ぶオルガン作品の殆どが、プロテスタント(ルター派)の礼拝のために作曲されており、音楽だけではなく81冊の神学書も遺産として残している。

 「わたし(神)があなたを立てたのは、この事のためである。
  すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、
  また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。
  
            (聖書・ローマ人への手紙9章17節)

バッハの生涯や人類に残してくれた遺産を思う時、このみことばが照らし出された。

今朝はバッハの音楽により祈りに導かれて礼拝を捧げた。、
私が賜ったみことばは、ピリピ人への手紙3章13・14節である。

「後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目指して走り・・」。☆もう泣かないで!
 お父さん、お母さんとまた会えるのだから、天の御国を目指して歩いて行こう!

 主よ、私の気持ちを高く引き上げてくださり感謝します。☆
  
posted by 優子 at 10:05| 音楽・芸術 | 更新情報をチェックする