2017年06月01日

神がパロを「頑なにされた」の疑問から手を放す

「キリストの栄光教会」の今朝のみことばより:
IMG_5491.jpgローマ人への手紙2章5節:
「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです」。

IMG_5490.jpg今日、悔い改めないなら、今日また一つ、神の怒りを積み上げることになります。しかし、今日、悔い改めるなら、それまで積み上げた怒りはすべて解かれます。
明日ではなく、今日罪を清算し、向きを変えて、新たに出発しませんか。

日々刻々に悔い改めることができると罪赦されて相手や状況に束縛されずに生きられるのに、なぜ「ごめんなさい」と言えない人がいるのか。

いや、なぜ悪いことだと自覚できないのだろうと不思議でならず、私は今も『出エジプト記』にある「パロを頑なにされたということにやはり拘泥していた。

何よりも旧約聖書が書かれているヘブライ語の語源を調べないと真意はわからない。特にヨーロッパ神学を通してではなく、旧約聖書をヘブライズムの視点で読まねば真意はつかめない。
身近にヘブライ語に明るい東(あずま)道男牧師がおられるのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう。実に悔やまれる。ご回復を待とう。


私のこだわりはパロに悪を行っている自覚はあったのかどうかに集約されてきた。「神は頑なにされた」を文字通り受け取るしかないと、その罪は本人に無関係のことになってしまう。

IMG_5480.jpg過去ログ・2006年8月28日に転載した「文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― B 」で導き出された結論は、神は何事も私たちの自由意思に任せておられるのであり、まさに「自分が選ぶということは自分を選ぶということ」だ。

大切なことはパロのような人と関わらねばならない場合は、魂を引きずり降ろされないために祈りながら突破することには違いない。ということでもうこだわらずにおられそうに思う。

附記:6月に入った。ユキは4月末から半袖の制服を着ているが、衣替えの今日から夏の帽子になり、朝から面白いことをしてくれた。

今日から夏の帽子@.jpg
「初めにかぶるやろ」
「それからこうして」
今日から夏の帽子A.jpg

今日から夏の帽子C.jpg
「次にこうすんねん」

「おもしろいなぁ。
さあ、今日も元気に
一日張り切って行きましょう!
行ってらっしゃーい!」

    


緑が美しい!
美しき緑.jpg

posted by 優子 at 13:57| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

クリスチャン経済学者・浜 矩子さんを励まし励まされて!

今夕、5時半から紙文具流通センター(美濃紙業の界隈)で浜 矩子さんの講演会があった。

私も是非出席するつもりで申し込んでもらっていたが、1月末(株主総会)に続いて再度ユキを早退させて東大阪まで同行してもらうことに躊躇し、インフルエンザも流行っているので数日前に断念した。

拝聴した知子は講演後ただちに浜さんの後を追い、1分間にも満たない時だったが言葉を交わし、それはそれは嬉しそうに玄関に入ってくるなり語った。

「今日は講演会に行ってよかった! 
『私もクリスチャンです。』と言った時、見る見るうちに優しいお母さんのようなお顔になってね」。

「『いつもテレビで拝見していますが、神さまに祝福されたお働きをこれからも応援し、お祈りしています』と言ったら『ありがとうございます』って言って下さって」。


こんなに満たされた知子の安らかな笑顔を見るのは何か月ぶりだろう。浜さんの人柄にふれて癒され励まされたのであろう。

いつだったか知子とBSフジの討論を観ていた時、私たちは浜さんの人格に感銘を受けた。出演者の一人は自分と違う意見を聞く時の無礼さと、反論の仕方も実に高慢で醜い姿を晒す人だった。

浜さんはそのような相手にも左右されず、相手の話に真摯に耳を傾け、冷静に話され、学識だけではなく本物の謙虚さがとても印象的だった。以来、私たちは浜 矩子さんの動向を見守り祈りに覚えるようになった。


そして、知子は続けた。

「私たちは経済学は全くわからないけれど、ママが言ってたことと同じやった!!! そして、ピリピ人への手紙にある御言葉(みことば:聖書の言葉)に似た言葉で話しておられたから、結果的に言葉を変えて伝道しておられるんだと思った」。

以下は、夜遅く帰宅した知子シェアーしてくれたことの一部だ。
トランプ大統領と安倍首相は(感情を抑えられない)幼児的狂暴性という共通点がある。今すぐ言いたいと自己抑制できない。知性がない。

トランプは引きこもり型の幼児的狂暴性で、安倍は拡張主義的な狂暴性で「自分が一番、世界一になりたい」とドンドン出て行く。

経済的国家主義で人が追いやられていく。そのような経済政策を振り回すのはダメだ。経済には託された使命がある。
それは均衡改革と弱者(年収120万未満の人)救済だ。これにおいてこそ表裏一体だ。今日の講演のテーマは「内外景気の先行きを読み解く」だか、そんなことを言っている場合ではない。

誰も一人で生きていけないのに弱肉強食だけが支配している。人のために泣ける人々による営みが経済学であるとアダム・スミスが言っている。

弱者救済、誠実に働く人を報いることは知子が経営改革の第一に据えていたものであり、経済学が掲げる崇高な理念を実現させたのだと深い喜びを感じた。

ところでトランプさんの大統領就任式以来、数日前までニュースの冒頭は常に朝昼晩ともに、「アメリカのトランプ大統領は」だったことに気づいている人はいるだろうか。

安倍さんの先週の訪米以来トランプさんの言論は軟化したが、いずれにしても困った状況だ。私も浜さんが言われた通りのことを感じていた。

それは当初思ったことと同様で、アメリカが「防衛力を強化せよ」と圧力をかけてきたら安倍さんのやりたいことと合致し、安倍さんはますます勢いづいて強権的に日本を悲惨な方向へ引っ張っていくということだ。困った同類の友を得たものだと心配している。

浜さんが語る聖書を引き合いに出しての経済評論は実に深い。それはクリスチャンの経済学者である浜さんでしか語ることのできない内容だ。

安倍内閣が安保関連法案を強行採決したことにも強く抗議し、成熟度の低い人間は意固地になり強権的になって崇高なる平和の誓いを脅かすと、「今こそ、子どもじみた振る舞いとの決別の時がきた」とパウロの言葉を引用して話されたこともあった。

「神の国を果樹園に見立ててキリストが弟子たちに語ったたとえ話(マタイ20:1〜16)に、『弱い者が不平をいう競争経済と、強い者がやる気をなくす分配経済との関係』。

また、ルカによる福音書11章11〜13節を引用して、実際の経済と政策では『魚ならぬへび、卵ならぬさそりを子どもに与えて悲劇を呼んだ事例は、経済史の中においてあまりにも多い』」。


知子は浜 矩子さんの人柄に直に触れて大いに励まされて帰宅した。神さまに感謝! きっと浜さんも同じように神さまからの励ましを感じられたことであろう。

闇の夜に一筋の光を灯し続けている浜矩子さん。
世に広く発言の場を与えられて用いられているクリスチャン・学者のために祈ろう。


2017年3月4日追記:
IMG_2692.jpg
posted by 優子 at 23:26| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

知子の「出エジプト」 美濃紙業のミッション完了す

2012年より5年の年月をかけて粘り強く取り組んできた財務改善と人材育成両輪の経営改革がこのたび完了しました。それは主観によるものではなく、第80期決算報告書という誰の目にも一目瞭然の形で残すことができたことも併せてご報告致します。

リーマンショック後、当社における古き良き時代最後の決算は2009(平成21)年で、その時の売上高(年商)は約16.7億円でした。あれから7年。残念なことに東日本大震災、電子化、少子化といった時代の影響を受け、この7年間で5億円も売上は減少してしまいました。

「年商が3分の1も減少すれば、通常は倒産リスク大」。
しかし当社はそうはならなかったのです。

経営改革の初めに着手したことは、銀行経由でコンサルティング会社に依頼し、社員の不満をヒアリングしていただくことから始めました。と同時に、会社という日常の大半を過ごす場所に於いて、全社員がやりがいを持って働けるように願い、その問題解決にあたりました。人材育成にも取り組み続けました。

「時代の流れに希望を失うことなく努力し続ければ、そこから希望やアイデアも生まれてくる!」と、社員達の士気を鼓舞し、絆も深まっていきました。

その結果、人は育ち、いかにして効率的に仕事ができるかという視点に立って動くようになった過半数の社員達のもとで、私は全ての勘定科目について徹底的に内容を見直すことにも成功しました。

目に見えて会社の信用力に繋がる資産・負債についても4年半かけてテコ入れしました。それは貸借対照表に一目瞭然に表れており、今回の決算で不良債権もゼロ。ここ数年の決算内容の改善を各銀行は大変評価して下さっています。

これらの結実として位置付けるべきが2016年11月末の決算書であると私は考えております。

売上が減少してしまった中で、平成21年度、今より5億円も売上の多かった時以上に、しかも対前年約4倍もの営業利益を、リストラどころか賞与を増額し、必要な資産も購入した上で計上することができました。

以上、感謝を以って経営改革の最終報告とさせていただきます。

         専務取締役 藤本 知子

知子が入社したのは2010年9月であるから、そのとき既に美濃紙業は坂道を転げ落ちていたのである。銀行との取引についても、「こんなことしていたら倒産しますよ!」と夫に叱咤してくださった人もいた。

夫は営業畑の社長とはいえ、財務についてその人が知子に教え導いてくださっただけではなく、精神的にも親代わりに支えてくださった生涯の恩人である。

その人が「経営改革には5年かかる」と仰った通り5年弱を要した。この報告は共に寄り添って来た私にもとても重い。

「感謝を以って」とは、これまで教え励まし関わってくださった方々への感謝であることは言うまでもないが、それにも先立って神さまに感謝の報告をしているのであろう。

長い苦闘と努力の連続であったが、財務を立て直しただけではなく、心ある社員たちは一つにされて良き職場環境に改善して完了した。

美濃紙業の社員はすべて紅海を渡り切ったのである!
こうして神は知子のミッション・「出エジプト」を完了させてくださって、長い闘いの終止符が打たれた


私たちが生きている日常、即ち「経験の場」で自分自身ができあがっていき、「その人自身以外ではありえない人格」が形成されていく。

人格の基礎は自らの内にある促しであり、その促しから全ては始まり、その経験の積み重ねを通して人格が形成されていくのである。そしてその内面的促しこそが真の自由であり、責任の伴う自由を生きる尊さである。

経営改革においても、その途上にある一切のことを通して社員一人ひとりの上に神の導きを祈りつつのミッションであった。人生とは他者との関わり合いの中で人格を高め合って、互いに良き生涯を築きあげていくことにほかならない。

今朝の朝礼で知子はどのようなメッセージを語ったのであろうか。過去ログに刻まれたこれまでの軌跡をゆっくり振り返りたい。

全てのことを支配しておられる神に感謝します。
知子の上に神の栄光(御意思)を現してくださったことを感謝し、その栄光を神に捧げます。
 

「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                  (出エジプト記 13章21節)

ユキと散歩@.jpg









14時25分追記:
" being & doing " に最後の記事を更新をしました。

posted by 優子 at 12:08| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

株主総会で感謝の決算報告

今日昨年に続いて2度目の株主総会に出席した。
私は昨日から血圧が高く、今朝も降圧剤を追加するも下がらず頓服薬を飲んでも下がらないまま、孫と待ち合わせていた小学校の昇降口へ迎えに行った。

ユキは6時間目が終わった段階で一足先に退出して走って来た。そして、自宅に立ち寄って宿題とDSを手提げバッグに入れて大急ぎで駅へ向かった。

私は頭痛だけではなく頓服薬で朦朧としていたので地下鉄に乗り継ぐのもしんどくて、16日朝、知子と一緒に出社した時のように八戸ノ里(やえのさと)からタクシーで会社へ向かった。

車窓から見える長田までの景色は20年ほど前まで何度も自転車で行き来していた場所であり、どこも懐かしく会社に着くまでずっとユキに話していた。

「この空き地はママ(知子)や真智が病気になった時に通っていた中央病院のあとやよ」。

「ここは御厨(みくりや)の交差点、この産業道路をずっと右へ行くと花園のラグビー場があって、花園図書館にも何度も通ったよ。
その帰りはね、いつもここで自転車を止めて1時間以上もお友達(千里さん)としゃべっていたわ」。

「これは第2寝屋川で、ここを渡ったらママと真智が通っていた藤戸小学校やよ。ああ、懐かしい。ここに通っていた真智がワシントンに住んでいるなんて不思議やね」。 

「このマンションに住んでいたんよ」


と、やっぱり東大阪は故郷のように懐かしかった。

「中央大通りを渡って右折して側道に入ってください。UFJ銀行を左折して・・・」と、16日朝に知子が案内していたとおりに運転手さんに説明して会社の倉庫側にタクシーを着けた。知子が手を振って立ってくれていた。

昨年はギリギリに到着したのでご挨拶する時間が無くて、1階(倉庫)で働いておられる方々にお目にかかれなくて残念だった。

現場の人たちこそ会社を縁の下で支えてくださっている人たちだ。お一人おひとりが実に誠実な方々で美しい笑顔で気持ちよく働いておられた。

「専務にはお世話になっています」と、良い職場環境であることを喜び感謝を伝えてくださり、社員の方々の表情は私の想像をはるかに超えるものだった。


職場は冬の厳しい寒さと真夏の強烈な暑さゆえに、私も思い出しては自らを律することしきり。また、重い紙を持つために腰を痛めないようにと祈るようになったのは、知子を通して知ったからだ。

誠実に労する社員の方々の経済を少しでも豊かにしたいと願う知子の思いもまた何度聞いてきたことか!

挨拶を終えて3階に上がった。
店頭の方々、12月から入社された有能な経理の方も誠実な方で皆が快く勤務されいる。営業部門で精いっぱい励んでおられる方も、どの部署の人が欠けても仕事が成り立っていかない。

株主総会では、知子が作成した決算報告書を例年通り良輔(我が夫)が読み上げた。その成果は見事なもので、株主の重鎮のお一人は「大したものだ」と称賛された。

この結果が知子の美濃紙業の「出エジプト」完了であり、これは言うに言われぬ思いと努力の結晶である。知子の気力と健康を支えて昼も夜も導き、最高の結果を出させてくださった神さまに感謝します。

明日の2月1日の朝礼で、知子が全社員に決算報告を告げ、会社のホームページの『being & doing』に公開する。それは神さまに捧げる感謝の報告であり、『being & doing』に終止符を打つ最後の更新となる。

IMG_2268.jpg知子は見事に成し遂げた。
この栄光を神にお返しします。


posted by 優子 at 23:35| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年01月17日

ここに真の気概あり −薄利多売を続ける紙業界に企業倫理も社会貢献もなし―

昨朝、私は知子と共に美濃紙業に出向いた。その目的は、昨夏から更新が止まっている『being & doing』が未だ書けずにいるからだ。

かつて、太宰治の『パンドラの匣』の執筆を求められた時に、その舞台となった孔舎衙(くさか)健康道場の跡に立って書き上げたように、私自身が社内の方々と話し、自ら社内の雰囲気に触れたくて赴いた。

私の体調が整い気魄が充満すれば、2017年のビジョンと共に年初の情景を文字で表現できるであろう。知子の背後に感じているみ言葉は「イザヤ書 43章19節」だ。

「見よ、わたし(神)は新しい事をなす。
 やがてそれは起る、
 あなたがたはそれを知らないのか。
 わたしは荒野に道を設け、
 さばくに川を流れさせる」。
 
  
さて、今日の記事では知子と全く同じ志をもった大先輩の経営者を御紹介したい。
過去ログ・「知子の『出エジプト』に神の栄光あれ! @」で御紹介した記事で思ったことだが、「証し」は誤解を招く懸念があり、私なりに感じたところは引用しなかった。文章は実に難しいと思うことしきり。

即ち、富や名声、また、健康などを得ることが神の祝福ではないことを申し上げておきたい。

それは「ハレルヤ信仰」とも呼ばれている「勝者信仰」であり、聖書がいうところの祝福ではないので、いずれも読解力を働かせてお読みいただきたい。

この記事に紹介されている人物は、私たちの志、信仰と全く同じ気概の経営者ゆえに励ましを感じて転載させていただいているのである。


袋詰めセメントの販売では国内トップを誇る建築資材の総合商社「株式会社タカボシ」(本社:東京都足立区)。50年を超える歴史を有し、「お客様第一主義」をモットーに、堅実な歩みを続ける。

image.jpg同社の創始者であり、現在は代表取締役会長を務める石山伊佐夫氏に、これまでの歩みと、経営を通じた信仰の証しを聞いた。

高度経済成長真っただ中で、石山氏は独立。その一方で、タカボシの成長は、ピンチの時にこそ培われたものだと語った。

1979年の第2次オイルショックで、東京からセメント他全ての建築資材が消え、建設業者が困窮する中、付き合いのある運送会社や砂利販売業者のトラック延べ100数十台もの車を走らせ、滋賀県にある大阪セメント(現住友大阪セメント)からセメントを運び、いくらでも高く売れるときに、値段据え置きで提供するようにした。

この突拍子もない考えが、「東京にタカボシあり」と一躍、同社の名を認知させることになった。

「このことが今日のタカボシの基礎となっています。オイルショックがなかったら、うちの会社は今のように発展することはなかった。ピンチというのはチャンスなんですね。

オイルショックの時も値を吊り上げて販売したところからは、その後社会が正常に戻ったとき、お客さんは離れていきました」と明かした。

「『お客様第一主義』が創業当初からのタカボシのスローガンです。自分がされてうれしいことは人にもする、自分がされて嫌なことは人にはしない、これがお客様第一主義の原点です」。

「2002年に胃がんで入院していたときのことですが、信頼し、副社長までやらせた男が、皆をそそのかし、クーデターを起こしました。入院中を選んでの行為が悔しくて、夜も眠れませんでした。

その時に、妻がイザヤ書41章10〜16節を紙に書いてくれました。私は、これを読んで気合が入り、ご飯も喉を通らずにやせ細っていたのが、この御言葉によってよみがえりました」
と御言葉の力を語った。

「神様は、努力の結果、万策尽きたと思う頃に働いてくださるお方だと思うんですね。だから信仰を持っていれば、ピンチになったときに必ず助けてくれます」と力を込める。

建設業界は今年、東京オリンピックに備え、空白の年といわれているのだが、タカボシでは、創業以来の大口の注文があったという。

「目先のことでもうからなくても、尽くしていれば見返りはどこかから必ずあります」。

石山氏は、タカボシをオールクリスチャンのクリスチャンカンパニーにしていきたいという明確な目的を持っている。

「社員に伝道し、信仰に導くことは難しい。こればかりは強制できませんから。でも、諦めません。すでに、来年新卒で入社してくるのはクリスチャンです。こうして一人一人増やしていきたいと思っています」と語った。

最後に石山氏は、「諦めない」ことが自分の信条だと強調した。今年2017年は、つくばエクスプレス六町駅寄りの土地に新社屋が建設され、会社発展を継続しつつ、さらなる社会貢献を目指している。

以上、『クリスチャン・トゥディ』の「『与える』&『諦めない』経営で受けた神の恵み 石山伊佐夫・株式会社タカボシ代表取締役会長」より抜粋引用させていただいた。

イザヤ書 41章10節〜16節:
41:10恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

41:11見よ、あなたにむかって怒る者はみな、
はじて、あわてふためき、
あなたと争う者は滅びて無に帰する。

41:12あなたは、あなたと争う者を尋ねても見いださず、
あなたと戦う者は全く消えうせる。

41:13あなたの神、主なるわたしは
あなたの右の手をとってあなたに言う、
「恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」。

41:14主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、
イスラエルの人々よ、恐れてはならない。
わたしはあなたを助ける。
あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。

41:15見よ、わたしはあなたを鋭い歯のある
新しい打穀機とする。
あなたは山を打って、これを粉々にし、
丘をもみがらのようにする。

41:16あなたがあおげば風はこれを巻き去り、
つむじ風がこれを吹き散らす。
あなたは主によって喜び
イスラエルの聖者によって誇る。

posted by 優子 at 23:54| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年01月14日

孫の泣き叫びも聞こえぬ夫

この詩を過去ログ(2012年12月2日)で紹介させていただいたことを覚えているが、今一度、私の心に一字一句を刻み、今生かされている全ての人にも贈りたい。この詩でも夫には届かぬか・・・

この詩が書かれた1989年、溺れた子を助けようとした10歳の長男を失ったノーマさんが、長男に伝えたかった気持ちを詩にしたもので、9.11同時多発テロの追悼式で読まれ世界中に広がった。

「最後だとわかっていたなら」                 
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

この詩は、愛し合う夫婦と親子の幸いな家庭を築いていた父親ゆえの愛の言葉であり、無関心や忙しさから愛する人にその愛を伝えることを忘れてしまわないようにと教えてくれている。

円満ではない日々にある家族がその一人を失ったならば、その苦悩は筆舌に尽くしがたいであろう。いや、何が起こっても感じ得ぬ人もいるとすれば、取り返しがつかなくなった後でさえ苦悩できることは幸いであり、意味がある。

「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい」。

新たなる歩みは常に悔い改めから始まるのであり、悔い改めなくして喜びはあり得ない。自分の罪を主(イエス・キリスト)に告白し、悔い改めるならば即刻即座にして主の平安が戻ってくる。

私たちは何度も失敗するお互いであるが、パウロが「私は自分の憎む悪を行っている。自分のしていることがわからない」と告白しているように、私たちは悔い改めによる恵みを繰り返し味わうという恵みの中に生かされている。

もうこれ以上孫を犠牲にはできず決断すべきか、私はなおも祈って待つべきか悩みの中にあり。

ユキは今、寒風の中、14時から16時半までサッカーボールを追いかけている。今季最強の寒波だが雪は降っていない。

DSC_0011.jpg
「すごい風で砂が顔や体に当たって痛かった」。
写真はサッカー教室のブログより拝借。

posted by 優子 at 15:55| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年01月06日

聖書の黄金律に立つ経営

キリストの教えは常に現実肯定であり、「主体的に生きよ」という教育です。知子は今、自らを高めながら、自身の生き方を通して、このことをスタッフの人々に伝える途上にあると言えます。

社員の方々は各部署の一人ひとりが無くてはならぬ大切な存在であることを理解し、それゆえに自身もまたそうであることに気づき、主体的な仕事ぶりに変えられています。

気がつけば皆が同じ意識でやっており、キリストの教えは最高の社員教育にも結びつくのです。今後ますます神さまから与えられた多様性を生かして、良き社風を構築していくことでしょう。

聖書は人生のガイドラインであり黄金律です。それは単なる観念や思想ではなく、具体的で現実を動かす力であり、最善にして最も生きやすい生き方でもあるのです。

人格を表す英語の”person”(パーソン)は、ラテン語の”persona”(ペルソナ・仮面)が語源と言われていますが、この「ペルソナ」(個)である自分自身の人格を高めていくことはやりがいのあることです。それはビジネスにおいても然り、そしてそれこそが最も求められていることなのです。

※ 過去ログで、「ペルソナ」から導入した「選ぶということ、自由に生きるとは」を書いています。

人間は何度か話せば、あるいは長い時間をかければ、相手がどんなに言葉が巧みであっても大体人柄はわかります。

職場内や社外との関係においても同じで、ビジネスにおいても全て人と人、心と心のつながりで成り立っています。それは夫婦、親子、友人、知人など、日常に関わる全ての人間関係において言えることです。

その核となる「人格」は心理学では行動から推測します。
「行動=人格×環境条件」で記すとわかりやすいと思いますが、「行動」は「人格」と「環境条件」という二つの要因によって表現されてきます。この場合、「環境条件が一定であれば」という前提が要ります。

行動の違いは各自の価値観によって決定され、その人が価値基準をどこに置くかによって、その人の思考、判断、行動に関係していきます。

人間として、また、人間関係で最も大切なとは、まず自分自身に正直であることと、他者に対して誠実であることとは、ビジネスパートナーとしても重要です。誠実な人は信頼でき仕事を任せることができます。

信頼関係があればそれが善循環となって良きものを生み出し、何よりも生きがいを感じて生きていくことができ、これ以上の喜びはないでしょう。


世界はますます混沌とし大激動の中にあります。どうなっていくか誰にも予想できません。大企業も中小企業の経営者も必死です。

しかし、知子は心強いです。
信仰者は神さまがこの道を開いてくださったことを知っているからです。ですから必ず最後まで成し遂げさせてくださるという確信を揺るがせないためにも、週の初めに神を礼拝し静思するのです。

すべての事に意味があることを忘れないで、試練の時は過去の恵みを思い出して炎を再燃させ、心が弱った時には励まし合って、今年も主(しゅ)と共にチャレンジに励みたいものです。誰もが自らの新たなるチャレンジです。

既にハーモニーを奏で始めている美濃紙業。
私は2017年の歩みに期待しています。


posted by 優子 at 10:20| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

ハレルヤコーラスで2016年を閉じる

IMG_1518.jpg「 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」。
   (ヨハネの第一の手紙 
            4章18節)

このみ言葉が今の知子の思いであろう。
ようやく昨日仕事納めを迎え、例年ならば父子ともに13時頃に帰宅していたところ、今年は夫だけの帰宅だった。知子は最後の日もまた一人だけ残って会社の鍵を閉めた。
年末も夜勤警備についてくださっている守衛の方に鍵を渡して、その方々に神の祝福を祈りつつ20時過ぎに帰宅した。

2016年もまた年ごとに試練が強くなっているような波乱の1年であったが、一つの収穫の時に入っている。神さまが知子の霊肉を強めてここまでお導きくださったこと、目に見えるところにおいても勝利させてくださった感謝な年であった。

しかしながら特に12月に入ってからは、退社する社員から引継ぎを受けている新入社員とのことでも目を放すことができない状況だったため、土・日も返上して執念をもって仕事をやり遂げた。特に12月は連日まともに夕食を摂っていないので週末はいつも体重が減っていた。

12月に入ってからの帰宅は夜遅く、「ユキちゃん、また今日もママと会えなかったね」と言うと、「夜中に会ってるよ!」とユキは明るい声で答えてくれていたが、寝ぼけ眼で母親を感じる程度の日々が続いた。

それゆえに今朝からのユキの嬉しそうなこと!
ユキもさみしさを我慢していたことがよくわかった。そして知子は今朝しみじみとユキに言った。
「ユキ、大きくなったね」。

先週の3連休も一緒にいたのだが、知子には時間の感覚さえない多忙さだった。それでもまた今この時も仕事をしているので過去のことにもなっていないが、私も一生懸命の日々だったため明日が大みそかの実感さえない。

2016年を閉じるにあたり、誠実を尽くして職務を果たされた方々を神さまが豊かに祝してくださるように祈ります。
そうでない方々は、どうか人生をむなしいものにしないでほしい。命には限りがあり、命が与えられているというのは実にすばらしく、しかも勤労できるのはこの上ない感謝な時でもあるのだから。

以上、ヘンデルの「ハレルヤコーラス」を聞きながら書いた。体力と時間があれば今の境地を書いておきたいが叶わず、いずれにしても「ハレルヤコーラス」に私の思いは尽きる。

神の働きかけが常にあり、それを見逃さなかった知子。その背後で祈りと導きで支えてくださった方々がいた。苦労は尽きなくても、それゆえに手ごたえのある人生を生きる。

来たる2017年も神の導きと祝福を祈り、そして、どの人にも神の導きがありますように!

posted by 優子 at 23:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

知子の「出エジプト」に神の栄光あれ! 

image.jpgクリスチャン経営者の集い「インターナショナルVIP関西オーナーズ」の会長を務める、株式会社ミクニキカイ代表取締役会長の坂本旭(あきら)氏。

鉄砲職人だった父の務める個人経営の町工場に入所。9年後の会社創設から60年がたとうとする今日まで、「聖書の御言葉」を第一に歩んできたクリスチャン経営者だ。

クリスチャンの実業家として、どのような時も「天のお父様」を信頼し、事業に取り組んできた。膜分離技術応用の製品開発の一部は国内水道シェア1位を占める同社の創業者だ。

「人間は、軸が不確かだと、会社の経営はできない。
それは恐ろしくて・・・年末になると来年の仕事なんて見えない。現在は弟が社長ですが、会社は毎月3千万円の純利益を出さないといけない。ところが、神様は60年以上与えてくださっています。社長である弟は偉いなと思う。

・・・それほど、会社の経営は厳しいものなのだ。中小企業が倒産するということは、大手とは話が違うのです。家も全部取られてしまう。一生縛られ、もがくわけです。だからこそ、神様を信じなければ生きられません」。


坂本旭(あきら)氏は1936(昭和11)年に生まれ。今年80歳を迎えた坂本氏は、年齢を感じさせない力強さと明るい性格の持ち主だ。生まれも育ちも大阪という、いわゆる生粋の関西人。そのユーモアで聞く人を魅了する。

VIP関西のメンバーの間で坂本氏は、「祝福の人」として親しまれている。祈りの力、信仰一筋の人生が多くの人に「天のお父様の愛」を証ししているのだ。

1986年、商号を株式会社新三国機械に改称。95年には社名を現在のミクニキカイに変更した。もちろん、「御国」(神の国)を意味する。鉄砲職人だった父親から学んだ経験は、坂本氏の人生に大きな力となっていった。

「どんなに性能が良い銃も、完全に真っ直ぐな物はありません。人間が造る銃はゆがんでいるので、微妙に螺旋(らせん)を入れるのです。弾は螺旋を描きながら目標に向かって飛んで行きます。こうすることで的に当たるのです。

だから「不完全な人間」もイエス様という螺旋が施されることで、的外れではない人生を歩めます。どのような人間でも、イエス様を信じれば天国へ行けるのです」。


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クリスチャン経営者のこだわりとは:

イエス様はどうなさるか。順調なときは誰だってできてしまう。岐路に立たされたときにどうしたらいいのか。最終的には祈るしかない。イエス様は神の子であるわれわれに「祈りなさい」と鞭(むち)を当てているのだ。難しいことは考えないでよい。

取って付けたような事は意味がない。あなたは、本当にイエス様と付き合っていますか? 神学ばかりで頭でっかちになってほしくない。

いろいろな出来事に遭遇しても、接して、なじんで、最後は手で触って解決するロケットの職人の技のように「あなたの感性」を大切にしてほしい。そういう信仰を持って歩んでほしい。

聖書でイエス様の弟子たちを見れば分かる。助け主である御霊(みたま:聖霊)が普遍的におられるではないか。何も怖いことはない。イエス様とのお付き合いは、格好付けても値打ちがないことです。

神様は神学ではなく、体験でお知らせくださるのです。だから、困ったなあという体験も大切なのです。人は追い詰められても、神の子どもという特権があるので放っておけないのですね。
神様は全部を知っておられる。正直に自分を見つめていくことです。


原子力は誤った動機から生まれたもの:

坂本氏は専門分野ではない原子力エネルギーの世界についても語ってくれた。これは信仰の証しと深い関わりがあり、ミクニキカイが先駆けて取り組みたい分野は水素エネルギーの世界である。

坂本氏はこのように話す。「原子爆弾は、第2次世界大戦中にナチス・ドイツが兵器として世界で最初に作り出そうとしたものです。ドイツは戦争に負けたので、核兵器を使うことはありませんでした。一方、米国では、マンハッタン計画が進められたのです。

アイシュタインらにより『ナチスが先に原爆を手にしたら、最新のロケットに搭載し、米本土が攻撃される』と大統領へ書簡を送ったことがきっかけだったのです。ナチスは高性能のV1ロケットを保有し、海を越えてイギリスを攻撃することに成功します。続けて、大気圏外へ飛ぶ『大陸弾道弾ミサイル』の初期型に当たるV2ロケットを生産しました」。

ナチスがV2ロケットに核弾頭を搭載すれば、米国はたちまち脅威にさらされる。この恐怖におびえ、慌てて造られたのが、米国製の原子爆弾だった。ドイツが負けて、不幸にも日本に使用される結果となった。坂本氏は「動機が良くない。罪だ」と説明した。人間が、原子力を戦争に使う兵器に利用したことが問題なのだと主張する。

クリスチャンには「絶望の中に解決できるという潜在意識がある。祈りしかない。」と神を讃美した。

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日本には、世界に誇る職人の技がある。H2ロケットは非常にコストが安く、実用的なロケットではあるが、成功までに時間を要した。失敗して海に落下し、回収された残骸から「なぜ故障をしたのか」を調べるとき、最後に必要なのは頭脳ではなく人間の手の感覚だ。

坂本氏はかねてより、新しいエネルギーに「水素」を強く提唱し続けてきた。最大のメリットは「どこにでもある」という点だ。簡単に言えば、太陽と水さえあればできてしまうからだ。水素エネルギーは水に戻るので、環境汚染も広がらない。

水素がエネルギー化すれば、他国へ取りに行く必要がなくなる。燃えても、また水に戻る。水しか残らない水素が普及すれば、地球の温暖化や環境破壊、異常気象もなくなる。

「日本ならできます! 日本ならできるのです。日本は文化の宝庫です。よそができないことができます。皆は、ここに注目し努力すればよいです」。

日本刀は世界に誇る技術の結晶だ。世界ブランドのドイツ「ゾーリンゲン」(大手・刃物メーカー)も、日本刀を造ることは不可能だ。
日本人の職人、匠の技が、将来の世界を変えることができるのです。「職人の手の感覚、感性」で作り込んでいく世界だ。

以上は、クリスマス・イブの日に公開された『クリスチャン・トゥディ』、「この人に聞く(21)『約束のしるし、会社にかかった大きな虹』ミクニキカイ代表取締役会長・坂本旭氏」より引用させていただいたものである。

この証しは、今、美濃紙業の上に、いや、もっと正確に言えば、信仰をもって神と共にミッションに取り組んでいる知子への大いなる励ましである。共感できること大なりで、私たちも日々神の見えざる手を感じている。

近い将来、時間が割けるようになれば、是非「VIPクラブ」を訪ねてほしいと思っている。

この " VIP " とは " very important person " の頭文字をとったもので、「とても大切な人」という意味であり、その言葉はイザヤ書43章4節、「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。」に由来する。

posted by 優子 at 16:26| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月14日

第2追記 「心を頑なにさせる神」

今朝、神さまからいただいたメッセージ(みことば)から。

「いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているのですから」。      
          (コリント人への第一の手紙 15章58節)

「聖書はパロにこう言っている、『わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである』。
だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである」。
          
          (ロマ書 9章17・18節)

神がわたしども頑なな人間をも、力強い御腕をもって永遠の救いへと導いておられる意義について。

モーセが「神を礼拝するため、イスラエルの民を解放せよ」と王ファラオ(パロ)に迫れば迫るほど、王はますます心を頑なにして拒みます。

すると神は、10の災いをもってエジプト全国を撃ち、とうとう最後には、イスラエルを解放させます。これは、モーセとファラオの戦いではなく、神とファラオの戦いで、当然神が勝ちます。

わたしどもは、ファラオの頑なさよりも、むしろ、イスラエルの人々の頑なさの方を、考えて見るべきでありましょう。 

「頑なになる」とは、頑固になる。もう一つの意味は、神の恵みに対して鈍感になる、という意味です。神がどんなに大きな恵みの御業をなさっても、何も感じなくなることです。


イスラエルの人々には、神の救いの尊さがよく分からなかったのです。まことに心が鈍いのです。その後、紅海を渡り、更に40年の荒野の旅をしなければ、「乳と蜜の流れる里」であるカナーン(パレスチナ)には到着できません。救われておりながら、不平を並べております
 
そして実は、これは、イスラエルの人々だけでなく、わたしども人間の心のかたくなさ、罪の深さと、よく似ていないでしょうか。神はイスラエルの弱さ、不信仰、頑なさ、彼らの鈍感さをことごとくご存知でした。

そしてそれは、イスラエルが「神こそは主である」、と知るようになるためであった、と別の個所には何度も書いてあります。それでは、神はイスラエルは救われたのに、エジプトの王ファラオは滅ぼされるのでしょうか。

またそれは、止むを得ないことだったのでしょうか。そのために、神に背く罪を犯させたのでしょうか。この問いに対する答えが、5節の御言葉です。

「その時、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる」、という御言葉です。神が主であるというのは、裁き主であるという意味にも取れますが、救い主である、という意味にも取れます。

では、ファラオの場合、神は御自身を救い主として現わされるのでしょうか。それとも、裁き主として現わされるのでしょうか。

この問題は、わたしどもが自分の家族の救いを考える時に、大変悩まされる問題です。また、われわれ牧師にとっては、それこそ一人の人の魂の救いの問題ですから、やはり大変悩まされます。

実は、使徒パウロも非常に悩みました。パウロの場合は、せっかく救いに入れられたイスラエルの中の一部が、神の子を十字架につけるほどの恐ろしい頑なさに陥った、その彼らの救いはどうなるのか、という問いとなっています。

先ほどご一緒にお読みしましたローマの信徒への手紙9章以下(新約286頁)は、この問題と取り組んでいます。その時のかなめになる聖句がローマの信徒への手紙9章15節以下の御言葉です。
 
「神はモーセに、『わたしは憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ』と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです」とあります。

ここには、神はイスラエルの人々をも、またそうでない者をも、御自分が憐れもうと思う者を憐れむ、と書いてあります。

神はわたしどもキリスト者に対しては、わたしどもの頑なな心を打ち砕き、わたしどもに御霊を注いで神の愛を悟らせ、一生涯、忍耐と祈りをもって、救いへと導かれます。

しかしそれは、わたしどもの宗教心の篤さや熱心さの故では全くなく、ただ神が憐れもうと思われるから憐れむのだ、と書いてあります。

それは、神のみが持っておられる、「神の」、絶対の憐れみの故です。だからそれは、わたしどもの「意志や努力ではない」、と書いてあるのです。 

わたしどもは、何か見所があったからとか、求道心が熱かったから、救われたわけではありません。ですからわたしどもは、自分自身を、イスラエルと同じように、その値打ちがない、頑なな者であるのに、神の特別な憐れみを受けた者、と理解したらよいでありましょう。
 


わたしどもはそれをすなおに感謝し、人生の様々な悩みや苦しみを経て、ますます一層神の憐れみの深さを知るように導かれます。

さて、もしそうであるとするならば、この場合、わたしどもは何よりも、自分の頑なさ、神の愛に対する鈍感さ、罪深さをよく知っている者のはずです。そして、この自分の罪からの赦しのために、主が十字架にお掛かりになったことをも知っています。

だとすれば、同じように頑なであるかも知れない、自分の隣人に対して、神の憐れみを願い、もっと、祈ってもよいのではないでしょうか。


モーセやイスラエルは神が憐れまれた人間であり、ファラオはその反対の人間である。両者に対して神は全く違うご意思を持っておられる、と思いがちです。
 
しかし聖書には、「わたしは憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」とは書いてありますが、「憎もうと思う者を憎む」とは書いてありません。神のみが持っておられる、崇高な「神の」自由が、語られています。
 
もちろん、人々が神の愛に対して頑なで、不従順であってよい、とは書いてありません。もしそうするなら、その人の心に平安はありません。神は決して、わたしども人間に侮られるようなお方ではありません。

もし神の愛を拒むなら、神に背いて自分勝手に生きることがいかに虚しく、生き甲斐がなく、不安に満ちたものであるかを、その人は知らなければなりません。

憐れみを信じようとするか、それを拒んで生きようとするか、それはその人自身の責任です。

憐れみを尊いものとして感謝するなら、その人はますます豊かに憐れみを受けるでありましょうし、もし拒むなら、神はその人の心を一時見離し、為すがままにされるでありましょう。しかし、それでも神の憐れみには少しも変わりはありません。 

そして、神の絶対の愛とは、いつまでも相手が拒むことを許され、その人を滅ぼすためのものではありません。神はその人の心を頑なにさせ、何度も拒ませるかも知れません。
しかし、その人の死の間際には、従順な者にさせる力も、神はお持ちなのです。
 

神はわたしどものような頑なな者をも、慈しまれました。それならば、どうして、わたしの隣人には、更に豊かな憐れみの心を開かれないでおられるのでしょうか。 

エジプト人の救いにつきましては、イザヤ書19章25に、次のように書かれています。
「万軍の主は彼らを祝福して言われる。『祝福されよ/わが民エジプト/わが手の業なるアッシリア/わが嗣業なるイスラエル』と」。
 
ファラオは、自分が王であると思い上がっておりますが、実は、彼もまた神の御栄光のために立てられた神の僕でしかありません。その目的は、主の御名が全世界に告げ知らされ、全被造物が神の祝福に与るためです。このことは、まことに驚くべきことです。

神は、神にさかろう者をも、完全に御手の中に収め、御自身の栄光のためにお用いになります。だから、わたしどもにも、神のみ栄のために生き、福音を宣べ伝える責任があるのです。

 
ある説教者が言っています。神は、シュヴァイツァーやマザー・テレサのような優れた僕をお用いになるだけでなく、小さなキリスト者であるわたしども一人ひとりをも、御自身の大切な僕としてお用いになる。

そして、全世界を神の憐れみの中に置き、救いへと導かれる、と。まことにその通りであると思います。

以上、「心を頑なにさせる神」(美竹教会)より抜粋引用させていただいた。何度読み返しても神さまからの慰めと励ましを感じる。

しかし、やはり私の疑問はそのまま残ったままである。
ヨブが悟ったように、このことも神の領域の問題であるから、12日の記事でも述べたように「万事を益とするため」の訓練と受け止めて励むことが賢明なのだ。


「わたしは憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」。それは神のみが持っておられる崇高な「神の」自由であること。アーメン!(その通りです)

私はこの晩夏頃からついに積年の精神的苦痛に虚しさを感じて、いつしか人生の不可解なことをも知りたいという思いが出てきたのだと思う。

信仰者は苦しくて時に叫ぶ。「なにゆえですか」、「いつまでですか」と。このような時ほどハバクク書の聖句が強く迫ってくることはない。

「この幻はなお定められたときを待ち、
 終りをさして急いでいる。それは偽りではない。
 もし遅ければ待っておれ。
 それは必ず臨む。滞りはしない」。
      
          (ハバクク書 2章3節)

この聖句を記して昼食で中断。再び夕方に再開すると、このハバククの聖句と共に知子と何度も握りしめてきたイザヤ書の聖句を、友がメールで贈ってくださっていた。

「あなたがたは立ち返って、
 落ち着いているならば救われ、
 穏やかにして信頼しているならば力を得る」。
     
          (イザヤ30章15節)

私もまた神の特別な憐れみを受けて救いに入れられ、その後もここまでお導きくださったことを今一度振り返って本心に立ち返らされた。

うめのさとチャペル.jpgそして、このような私たちの個人的な信仰の歩み、勝利は個人の祝福だけにとどまらず、必ずやそれぞれの教会や周囲に及んでいくであろう。

神の民と現状を分かち合い、励まし合いながらそれぞれの信仰生涯を全うさせてくださる神。私は今、神さまの気配を感じる。


祈りの友たちを与えてくださっていることを感謝し、その中に体調の悪い方がおられるならば、どうか友の健康を強め守ってくださるように祈ります。 

写真は友が牧会しておられる千葉県・うめさとチャペルです。

附記:この記事は当カテゴリにふさわしくないが、内容の関連から同カテゴリに収める。

posted by 優子 at 17:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

昨日の記事に追記

今一度、神のみこころを想い巡らせたくて「出エジプト記」(6章〜16章)を読んでいる。主がパロの「心をかたくなにされた」とはどう理解すればよいのだろうか。牧師の解き明かしを聴きたい。

王パロとてあまりに困ったときは言葉の上だけであっても反省(悔い改めではない)するが、私を悩まし続けるパロはしない。
私は求道中に旧約聖書を一心不乱に読み進めていた時、たびたび出てくる「神がかたくなにされた」という言葉が耳に引っかかった。

なぜ? そこにどのような意味があるのか。
だから○○は神に頑なにされたから、どんなに真心を込めて愛を尽くしても伝わらないのか? それでは頑なにされた者は気の毒であり、良心が働かなくなっては感謝の気持ちも感じられないではないか。

1987年2月頃だったか、ある夕刻、その意味を訊ねるべく夕食の準備もそこそこに教会の牧師に電話したことがあった。しかし、答えはなかった。それでも私はイエス・キリストの導かれ平安を得て受洗した。

その時より拙いながらも30年ちかい信仰生活を重ねてきたが、このことを今一度考えさせられる日々である。

即ち、それでは「かたくなにされた」パロは、自分の意思で神に逆らっているのではないということなのか。

しかしながら神は他方を訓練するために頑なにされるのではないだろう。なぜならば頑なにされた者もまた神の愛する子であり、一方のために頑なにされるわけはない。

この数年、改めてパロゆえの苦労とパロの気づきのない徒労感に打ちのめされそうになる時もあるが、この尽きない試練は、私たちが神に愛されているゆえに訓練されているということであろうか。とにかく頑なにされた人も自分の問題と対峙すべきとことだけは確かであろう。

それでもなお私の疑問は解決されず、このこともまた人間の知恵では得られない深淵な問題と受け止めるべきが肝要なのかもしれない。


出エジプト記:
7:3 しかし、わたしはパロの心をかたくなにするので、わたしのしるしと不思議をエジプトの国に多く行っても、
7:4 パロはあなたがたの言うことを聞かないであろう。それでわたしは手をエジプトの上に加え、大いなるさばきをくだして、わたしの軍団、わたしの民イスラエルの人々を、エジプトの国から導き出すであろう。
7:5 わたしが手をエジプトの上にさし伸べて、イスラエルの人々を彼らのうちから導き出す時、エジプトびとはわたしが主であることを知るようになるであろう。

10:7 パロの家来たちは王に言った、「いつまで、この人はわれわれのわなとなるのでしょう。この人々を去らせ、彼らの神なる主に仕えさせては、どうでしょう。エジプトが滅びてしまうことに、まだ気づかれないのですか」。

10:16 そこで、パロは、急いでモーセとアロンを召して言った、「わたしは、あなたがたの神、主に対し、また、あなたがたに対して罪を犯しました。
10:17 それで、どうか、もう一度だけ、わたしの罪をゆるしてください。そしてあなたがたの神、主に祈願して、ただ、この死をわたしから離れさせてください」。

12:42 これは彼らをエジプトの国から導き出すために主が寝ずの番をされた夜であった。

posted by 優子 at 18:29| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

城壁を築く者、主に在って雄々しくあれ

「きょう、み声を聞いたなら、
 神にそむいた時のように、
 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。

           (ヘブル人への手紙 3章15節)

「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ」。    
           (ネヘミヤ書 2章20節)

ネヘミヤらは、異民族の執拗な嫌がらせや妨害にもひるまず、エルサレム城壁再建に取り組みます。主が成功させてくださると信じれば、奮い立って、主の働きを貫徹することができます。その過程で挫折や失敗があっても、あきらめずに継続すれば、ついには成就の日が来ます。

「城壁を築く者たち、荷をかついで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を堅く握っていた」。     
           (ネヘミヤ書 4章17節)

ネヘミヤらは工事を継続しつつ、敵の攻撃にも備えなければなりませんでした。本来の目的に集中できず、余計なことに時間と労力を費やすしかないときがあります。
でも、面倒がって楽な道を選んではなりません。「神が私たちのために戦ってくださる」(20節)という確信に立って、耐え抜きましょう。


<川端光生牧師の一言メッセージより>

自分に与えられた能力を真に知っている人は、それに対する責任や神さまから期待されていることも知っている。正しいことを判断する能力を失わず、誠実な社員たちのために尽くす、その義憤もまた神さまからのもの。

イスラム民族がエジプトから故国イスラエルにたどり着くまで40年を要した。知子に担わされた美濃紙業の「出エジプト」、未だ一部に残る悪意と澱み切った倫理観とのすさまじい闘い、第3の創業の道のりは遠しか。

何よりもパロのごとき存在の、その強情で頑なな心に今更ながら唖然とさせられる。
モーセはパロの心が変えられることを願ってあらゆる機会を与えるのだが、それでもパロは数知れず欺き、約束を反故にした。

どうか神の時が来てパロの心を挫(くじ)いてくださるように。何よりもパロが永遠の滅びにならぬために。いかなることもすべては自分の問題であるのだから。

かたくなで動じないパロのような人は神の恵みを味わえないばかりか、人との交わりの喜びも知らない哀れな人。傷つきやすい弱い心は神さまからの賜物だ。

そして、
「神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」。
        (ロマ書8章31節)

主が始められたことは必ず成就する。
み言葉を口ずさんで心を強くせよ。
今の出来事一切は万事を益とするための訓練であるから耐え抜かせてくださるように!


「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                (出エジプト記 13章21節)

附記:22時25分、知子帰宅。
今朝は−0.9度、今も深々と冷えている。

posted by 優子 at 22:34| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

「私の心はゆるぎません」。

IMG_1305.jpg人間は肉体だけではなく魂にも休息が必要である。神の前に静まって神の導きをもう一度思いめぐらし、そして再び新たなる力に満たされて神に遣わされてゆく。
私たちは魂を透明に保ち、心と意志を鋭くして主の導きを見落とさないように進んで行く。
写真は裏庭のヒイラギの花。1週間ほど前に玄関のヒイラギの木に花を見つけて驚き、クチナシのような甘い香りを何度も楽しんでいたが、裏庭の木にも咲いていた!

明日は早くも2016年の最終月に入る。私のデボーションを導く1冊であるF・B・マイヤー(Frederick Brotherton Meyer、牧師・大伝道者で多くの著作あり)の『きょうの祈り』を開いた瞬間、ある一節に目が留まった。

まるで楚々たるクリスマスの夜に輝いた星のように、絶妙の神が私たちの歩み方を「良し」として往く道を照らし、力強く背中を押されたようだった。

義にまします神さま。人の罪を見れば、社会環境のせいであるとして、これは罰すべきものでなく、むしろあわれむべきであるとし、人の悪を見れば、これは社会風習の無理から生じたことであって、追求すべきでなく、むしろ慰めるべきであるという旗が振られます。

そこには、人を責めると、自分も厳しく追及されるし、人気も落ちるというそろばん勘定が働いているものです。こうして、世は傷のなめ合いを演じて、いよいよ腐臭を放って行きます。

しかし主イエスは、その地上のご生涯で、2度も宮きよめを敢行されました。ペテロをサタンと叱責されました。虚名無実のいちじくの木を呪われました。

神聖な怒りを、あなたにある義憤を、私にもお与えください。くれぐれも、塩気のない無用の塩となって道に捨てられるような者となり果ててしまいませんように。


「塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに和らぎなさい」。
       (マルコによる福音書9章50節)

これまでにも「怒り」について何度か考察してきた(過去ログ2007年7月31日・「正しさと怒り」)が、次に引用する北森嘉蔵(神学者、牧師)の説もこれまで取り上げた「怒り」について考えたことと重なる。

「怒るということは、『真実』のもつ裏側である。真実のないところには、怒りというものもない。お互いが不真実をもって、相手をだまそうとしていて、どちらかが先に相手をだました場合、だまされた者はおそらく怒るということはしないであろう。

『しまった!』と思うことはあるかもしれないが、『怒る』ということはないに違いない。だますという不真実の行為の場合は、怒るということはありえない。真実のあるところにだけ、怒りがある」。


ところがである。
私は今更ながら驚かされる「怒り」というものがある。今まで取り上げたことがなかったが、それは良いことをされて怒るという意味不明の怒りであり、しかも当然のことながらその怒りの矛先は完全に間違っているのである。

その一方で怒るべきことに怒ることができなくて、自分が庇護している側の人間を恐れるという理解に苦しむ奇妙な現象だ。

このような「怒り」をも同じ「怒り」の範疇で論ずるには無理がある。まず「怒り」の概念規定をしなければならない。

とにかく悩むべきことに悩める人は幸いである。
自己を直視して自らの醜さを認めて悩める人は幸いである。自分自身を見つめるということが最大の勇気であるのかもしれない。

己の悪に気づかない人、悪意に生きる人、嘘を次々に重ねる人たちは、他者との心の通い合いも知らずに生きる気の毒な人だ。

「彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。
わたしの魂はうなだれました。
彼らはわたしの前に穴を掘りました。
しかし彼らはみずからその中に陥ったのです」。

        (詩篇57篇6篇)

そして、7・8節の "Wake up my glory!” と続く。

「神よ。私の心はゆるぎません。
私の心はゆるぎません。
私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
私の魂よ。目をさませ」。


人は皆、それぞれに弱さ(欠点)を持ったお互いである。しかし、どの人も幸いな人生を築き上げるために、どうか自分の間違いを認め、悩み、悔い改めへと導かれますように。
「悔い改め」とは「ごめんなさい」とお詫びして神さまに向きを変えることである。

私たちは人生の途上において何が自分のために最善であるかわからないが、神さまはご存知である。しかも主(神)が私たちと共にこの世の旅路を歩いてくださっているとは何という幸せであろうか!

経営改革は今なお途上にあるが、神のご計画通り着実に進められており終盤に入っている。神さまと共に正しい方向に突進していく知子の意志と勇気、愛の働きの杭はしっかり打ち込まれ、周囲に良い影響を拡げ続けている。

神と共に歩む者には豊かな祝福が保証されている。私はこれからも背後で祈り続けよう。そして、いつまでも心を盲目にされている人の目が開かれるように、失望しないでもう一度熱心に祈らせてくださいますように。

「神よ。私の心はゆるぎません」。
これが知子の信条であり、現在の心情だ。


「神の奇跡の中を往く ― 長女の『出エジプト』―」

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2016年11月26日

指導者として召された者

「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください」。
          (エズラ記 10章4節)

主に選ばれた者が勇気ある行動に出るとき、協力する人々が必ず興されます。指導者として召された人は、立ち上がってください。協力する人は、指導者を励まし助けてください。両方の人が必要なのです。両者が一つになれたとき、主の不思議なわざが始まります。
アーメン!!!

絶妙なる今朝のみことば。
今日は年に一度、全部署が集まっての全体会議である。



posted by 優子 at 08:25| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

事業経営もすべては神の栄光のために!

2016秋@.jpg「彼らはわたしの植えた若枝、わが手のわざ、わが栄光をあらわすものとなる」。
(イザヤ書 60章21節)

神の御心に添った生き方は多大なる勇気と努力が必要であり戦いの連続であるが、神は神を信頼する者を常に見守り導いておられる。この奮闘努力は必ずや神の御心に叶う結果を得ることができると信じる。

神はそれぞれを遣わされた所で神の栄光を現すために、その人の能力では不可能なことをさせてくださり実現へと導いておられることを忘れてはいけない。

今朝届いたみことばは信仰の神髄である。
「あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです」。
    (ルカによる福音書 19章26節)

金も埋めて置くなら、石ころと同じです。主から受けた賜物も、用いてはじめて価値を生み出します。用いなければただの飾り物です。古びて、錆びて、朽ちていきます。主は賜物を活用する者に、賜物を増し加えられます。人を祝福する者を、さらに祝福されます。

つまり、信仰は賜物を働かせるか否かなのだ。そして、思った。

知子は名実ともに責任ある立場で手腕を奮っている。良心の手腕を運用し、事業継続を自己の使命として全力を尽くしている。

神さまから賜った明晰な頭脳と精神を最大限に働かせている。その忍耐もまた計り知れない。これからも鳩のように純真で蛇のように注意深く且つ鋭敏迅速な判断力を備えるために、常に神さまの知恵を求めつつ励むであろう。

一方、人生を無駄にし続ける人を私の周辺で何人も見かける。とても哀れである。彼らに共通しているのは、神をも恐れず、傍若無人に己の生き方を通すのみで、何を見ても、何度奇跡を見ても全く変わらない。

ほおずき.jpgまた、積極的に悪意を働かせて生きる人もいる。まるで悪意が生きがいのようにも見える。そんな人を思うとき聖書の「箴言」の言葉が浮かぶ。
「悪人は自分の罪のわなに陥る、しかし正しい人は喜び楽しむ」。

彼らは皆、私の生きがいである他者との心のふれあいを知らず、人生を無駄に浪費し続けている。そういった人と日々関わらねばならないのも大きな試みゆえに、こちらの魂が引きずり降ろされないように常に主イエスを見上げる。

不当なことをした他者を赦すことができるのは、神さまがくださった恵みの働きである。こんな感謝なことはない。だから気持ちが引き上げられるのである。
しかし、私は今一度心に刻まねばならないことがある。

▼ 真の悔い改めは、ただ『ごめんなさい』というだけではありません。向きを変えることです。

相手を赦しつつも、相手が信頼するに足ることを証明するまでは、あなたはまだ相手を信頼していないことを明確に告げる必要があります。相手が本当に向きを変えたかどうかを見るために十分な時間がまだ経っていないのです。

▼ 相手が「悔い改めの実」(ルカ3章8節)を結んでいるか確認することなく、「赦し」の名のもとに信頼回復を急ぎすぎてはいけません。

その人物の真の変化を見ないまま、あなた自身を感情的に(心を)開き続けるのは愚かなことです。赦すべきなのは確かです。しかし、持続した変化が見られるまでは、あなたの心を守ってください。

    (『聖書が語る人間関係の大原則 
           バウンダリーズ 境界線』より)

そして、「箴言」(新改訳聖書)を開く。
26:4 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。
あなたも彼と同じようにならないためだ。

26:5 愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。
そうすれば彼は、
自分を知恵のある者と思わないだろう。

26:8 愚かな者に誉れを与えるのは、
石投げ器に石をゆわえるようだ。

26:9 愚かな者が口にする箴言は、
酔った人が手にして振り上げるいばらのようだ。

26:10 愚かな者や通りすがりの者を雇う者は、
すべての人を傷つける投げ槍のようだ。

26:11 犬が自分の吐いた物に帰ってくるように、
愚かな者は自分の愚かさをくり返す。

26:26 たとい偽りをもってその憎しみをかくしても、
彼の悪は会衆の中に現れる。(口語訳)

26:27 穴を掘る者は、自分がその中に陥り、
石をころがす者は、自分の上にそれをころがす。

26:28 偽りの舌は、真理を憎み、
へつらう口は滅びを招く。

イエス・キリストは言われた。
「あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない」と。

今では経営用語にもなっている「サーバント・リーダーシップ」(Servant Leadership)は、このイエスさまの言葉に由来する。これはハウ・ツーで使う方法論ではなく生き方の神髄である。

知子の認識、判断、苦渋を共感でき、信頼に足る部下が与えられていることは経営改革の大いなる収穫だと私は思っている。
神の恵みが知子を通して周囲に流れていきますように!

シュウメイギク.jpg

附記:シュウメイギクの花もまもなく終わる。
あと20日でチャッピーが死んだ日だ。
去年の悲しみが思い出されて心が痛い。

posted by 優子 at 17:40| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく」。

知子は3連休明けの火曜日から連日帰宅が遅い。朝も早く出るのでユキと会っておらず、今朝ユキは「声だけ聞いた」と言った。
知子とユキはベッドをひっつけているので、眠る時、また、明け方にわが子をピッタリ寄せて眠っている。その姿を見ると辛い。

ユキは知子が居なくても何も世話することなく登校し、3年生になってからお風呂も常にひとりで入るようになったので、夫も私も全く負担はかからなくなっている。

そして今、今夜も知子の帰りを待っている。パソコンを開くと夕刻にメールが入っていた。
「私は毎日 毎朝の御言葉を現実体験しています!
本当に感謝なことです。今日も奇跡の連続でした」。


知子の帰りを待ちながらブログにわが想いを書きたい。

私は日々の歩みの中でたびたび「列王記 上」の19章18節を思い出しては励まされている。

「わたし(神)はイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。

「バアル」とは、ユダヤ地方で崇められた人間がつくった偶像の神である。

7千人とは全体のどのくらいのパーセントに当たるのかと言えば、「ダビデ時代の国勢調査によると北イスラエルでの戦闘員が110万人で女性・子供も入れると200万人余り」と言われているので、その内の7千人は0.3%に当たる。

日本のクリスチャン人口が1%弱と言われて久しいが、1%も残されているのであり、これよりもはるかに少ない数の人々が原動力となってイスラエルの回復に至った。

美濃紙業(夫の会社、といっても今や全面的に知子が会社を護り先導している)においては、知子が関わりだした時点で、私の数えるところ、神さまは少なくとも誠実な社員を7名置いてくださっていた。

それは全体の3割だが、3割も置いてくださっているのであり、知子の誠心誠意の関わりから今では8〜9割に至っているのではないかと思う。

何よりも既に財務は健全に立て直しており、今夏も多額のボーナスを出せたことは『ビーイング&ドゥーイング』に記されている。

目下火急な出来事の頻発で気を緩める間もないが、主(神)に在って知子も私も心はまことに平安である。

知子に在っては全て訓練として励む日々。役員も知子の分身のように育ってきており、特に今春より絶え間ない試練に対処しているが、それらを通して社員たちも鍛えられて強くされている。

知子は緊迫した今日の各部署会議において各役員らの代読により発信した長文メッセージの中で、毎朝受信する今朝の御言葉(みことば)を用いたという。
「『力を落としてはなりません。国全体が平安を失っているときこそ立ち上がり、強くあれ!』という言葉があります。」 抜粋元は以下の通り。

「しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです」。 
        (歴代誌 15章7節)

国全体が平安を失っているときこそ、主に立ち返り、強くあれと、預言者アザルヤはアサ王を励まします。主は強い者を立ち上がらせるのではなく、立ち上がる者を強くされるのです。自分は弱いといって逃げるなら、弱い者を強くされる主の力は体験できません。

       (キリストの栄光教会 川端光生牧師より)

先ほど帰宅は何時頃になるのかと打ったメールの返信が届いていた。

「私は、この民を、私達を助けて下さい!と毎朝怖いぐらいタイムリーなみことばを噛みしめながら、今朝は倉庫側の当社の看板を数秒凝視してから入りました。
そして、予想外の1日が展開され、私は平安で笑顔で八戸ノ里まで歩いてきました」。


ここまで困難が押し寄せてくるとクリスチャンの醍醐味だ。主に在って強くあれ、雄々しくあれ!
今夜は10時頃には帰宅できるだろう。

「しかしあなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです」。
          (口語訳・歴代誌 15章7節)

今日もよく生きた。
「明日のことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。
            (マタイ 6章34節)


posted by 優子 at 21:38| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年07月05日

主を信頼する者の謙遜と大胆

松下幸之助の理念に共通すること大なる知子は、3月の朝礼で幸之助の言葉を紹介したことは過去ログに記録済みであるが、今一度読みたい。
商売は真剣勝負である。その勝負のときに、社員が汗水流して働いてくれている姿が見える人、その成果を無にできないと思える人は、強い。     

こっちが値をつけても、「何を言うとる、そんなもの売れるか、相場はこうやで」と、こうなりますな。・・・(略)・・・「松下さんこれ高いな、よそはもっと安いで」とこういう場合があります。そのときにぼくはね、「しょうがおまへんなあ」と言うてまけなかったんです。
 
そのとき、ぼくの目に浮かんだのは従業員の姿ですわ。
原価が1円のものを1円15銭と言うて高いとおっしゃる。すると自分の働きが悪いのかということですね。自分の働きが悪ければ、これはしかたない。

しかし顧みて、自分の働きは悪くない。一生懸命働いている。よそよりコストが高くついているはずがない。またそのとき、10人なら10人の者が朝の7時から晩の7時まで一生懸命働いて、汗水流しているのをぼくはこの目で見ていますわな。
 
ぼくは、その人たちの成果というものを無にすることはできないと思ったんです。だから「高いからまけろ」と言われても・・・しょうがないなあ、よそが安うするのやったら、うちも安うしないとしょうがないと思ったら、あきまへんのや。

ぼくはそのときに、一生懸命働いておったかということを自分で考えた。また従業員の10人なら10人が、汗水たらして働いているその成果を、自分の意思によって無にすることができない。そうすると、非常に強いものが出てくるわけです。(略)
何ごとにもやっぱり自分で正しいと思うことには強い。

従業員が一生懸命にやっているのに、自分が簡単に当を得ない値段をつけることは、その10人の働きを殺すことになります。これは自分として許されないことやと私、思うんですね。

常に頭に従業員のことがあるんです。だから、強味が出てくるんですね。(略)この10人の成果を無にしてはいけないということがぐっと出てくるから、強くなるわけです。

知子は急務のため、今朝は父親より先に6時前に家を出た。7時20分、会社に着いた瞬間から、次々と決断を下した。そして言った。

「乗り越えられない危機はない!
みんなで協力できないものか。どうかお願いします!」


「そうや、それぐらいの気持ちでいかんと!
専務がそういう気やから僕らもついて行くんや!」


そして、皆が自発的に動いてくださった。

また、社外の問題についても「語るに時があり」と、主に在る者の謙遜にして物申す思いを示されており、今朝のみことばはまさに今の知子の姿であった。

列王記下・2章9節:
「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」。
エリヤの後継者エリシャは、エリヤの二倍の賜物を求めました。でなければ、自分にはエリヤのような働きはできないというのです。
謙遜であるがゆえの大胆さです。エリシャの心には、謙遜と大胆が同居しています。控えめであることが謙遜なのではありません。謙遜であれば、信仰と希望はおのずから大きくなっていくのです。

私に言わせれば主に在るからこそ真の謙遜であり、それゆえに強い信仰と希望が与えられるのである。
仮にその結果が、いわゆる人々の言うハッピーエンドに終わらなくても、その時は時間を経て最もふさわしい時に、それにあまる祝福を用意してくださっているということである。


「主に信頼する者は安らかである」。

今や知子が率いる従業員たちの上にも神の恩寵を感じる。

「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった」。


あと一人、祈りに覚えているその人は自分の心の闇に気づき、人生と和解して新たなる歩みを踏み出してほしい。

posted by 優子 at 22:00| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

美濃紙業の動向 ―2016.7.1朝礼より―

2016'summer.jpg

今月の朝礼は8日に支給される賞与を前にして、知子は今夏の経済状況から話し始めた。
商工中金の「中小企業の賃金動向に関する調査」の詳細分析をもとに賞与額を検討したことを話し、ビジネス情報サイト・ダイヤモンド社が6月25日付で公開しているニュースを抜粋紹介した。

「夏のボーナスは自動車が一人勝ち、中小は支給なしも」

東証上場、500名超の大企業は(総平均90万)、我々中小企業とは、まあかけ離れた世界である。しかし、中小企業庁によると日本の99.7%が中小企業(421万社)で、働く人の7割(69.7%、3,200万人)が日本の53%を支えている。

続いて大阪シティ信用金庫が20日に発表した「中小企業の夏季ボーナス支給状況」を説明して、次のように語った。

この2月から勤続年数によらず、また情けによる平等配分もせず、頑張る人を評価するという方針に変えました。現時点で、当社は大阪において明暗が分かれた「明」の会社です。これは社員の頑張りと財務管理が両輪となって初めて実現している事だと私は考えます。

取締役と営業会議に出ている人以外は、私が日常いかに厳しい発言をしているかをご存知ないわけですが、その厳しさは全て、経営理念に根差したものです。

厳しい薄利多売の競争下において、適正利潤を追求し会社を存続させていくこと、お客様に信頼されること、そして、頑張る社員のみなさんにその対価を可能な限り受取って頂き、みなさんの喜ぶ顔を見るのが私の経営目的の一つでもあるのです。

さて、今回は初めて多くの会社に働きかけて採用活動をしたのですが、そのうち大手1社が私へのヒアリングとホームページ “Being&Doing”から次のような企業概要を作成してWeb公開して下さいました。


『ビジョン』  
社内的には営業の主力が若手に転換した今、経営体質や合理化を抜本的に見直し、人材育成にも意欲的に取り組んでいるところです。

自社と他社の2つの焦点を持ち、柔軟性と可能性を抱いて知恵と情報を共有し、互いに協力することによって時代の変わり目を乗り越えていくことができると確信しています。

同社は社会的必要に応えて商売しているという使命感に支えられ「最善は常に未来にあり」をモットーに挑戦し続けてきました。

どんなに時代が変わろうとも変わらぬものがあり、変えてはならぬものがあります。リーダーは、それを見失わずに前進していくビジョンをお持ちです。

先ほどの話に戻りますが、11月末、また皆さんの喜ぶ顔を私は見たいです。
その賞与を支給できるかどうかは、全体会議でも言いましたが、既に始まっている下期の売上次第なのですから、これからも団結して頑張っていきましょう。

この日、知子は10時頃に帰宅したが、玄関に入るなり話した。
最寄りの駅に着いた時に営業担当社員から電話が入り、寸法を間違って断裁しているとのこと。今夜中に客先に届けねばならず今頃断裁中だろうと、断裁してくださっている方と担当社員のことを思って心を痛めていた。

会社近くに住んでおられる断裁士に連絡を取り22時45分に断裁完了。営業マンは23時45分に配達完了したが、帰宅したのは午前2時だったという。

仕事とはかくも厳しいのだ。得意先は24時間体制の印刷業社だという。みんな精一杯責任を果たす。全て無事に終えてくださった社員の方々に、そして、お守りくださった神に感謝した。

それにしても、かくも皆が快く働ける環境に造り替えた知子の手腕は多大だ。大変な苦労を重ねてきたとはいえ、それに応えてくれる誠実な社員たちに恵まれていることを感謝する。

心ある誠実な社員を核にして社内の気風を一新できた。2012年2月より執行役員の立場で、危機管理薄弱な財務状態を建て直す「出エジプト」に着工して4年半。それは百戦錬磨の闘いと言うよりも理不尽極まりないことの連続であった。

最良の土台が築き上げられた今、いよいよ互いに影響を与え合って、それを社員一人ひとりが実感して手ごたえを感じながら進んでいくのであろう。

長い長い悪戦苦闘の年月を経ながら培われた忍耐。その荒野を通りながら知子自らの能力が開花した。それゆえにタラント(賜物)を生かす責任と共に、神さまから期待されていることも感じていると思う。私も多くのことを教えられてきた。

人間が力強く生きる原動力はやはり感動だと思う。
そして、神は誠実さを失わないで努力し続けた者に、絶妙のタイミングで「ひらめき」をプレゼントしてくださるのだと思う。知子の歩みをそばで見ていた私はその連続であったことを証ししたい。

チャップリンは、「もし下を向いたままならば、虹を決して見つけることはできないだろう」と言っている。
これからも常に主イエスを見上げて思いっきり人生にチャレンジし、生きがいのある中年期を生きてほしい。

最善は常に未来に在り!

「 あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」。

               (Uテモテ2章1節)
今日も休みなく次から次へと訓練は続く。
全ては神の御手の中、主の平安あれ!


posted by 優子 at 12:26| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

全人的経営に励む知子

知子が執行役員から専務取締役になって1ヶ月過ぎた。
重責に就いた3名それぞれに製紙メーカーや代理店の方々から祝電やお祝いをいただいたり、また、社長と共に4人でご挨拶に伺ったことで、なお一層奮起させられている。

特にこの4年間は父親との百戦錬磨の闘いだったゆえに、我が夫と知子それぞれに新しい気づきを与えられたことであろう。
知子は社長の存在の重さを感じ、良輔もまた知子の存在を誇りに感じたことであろう。私はそう信じる。


昨夜、その朝の朝礼で知子が語ったことを聞かせてもらって感動した私は、そのことも会社のブログに公開すべきと勧め、昨夜のうちに文字に起こしてもらった。
そして先ほど『being & doing』を更新した。ここに同じものを記録しておきたい。

世代交代の新体制に入って1ヶ月過ぎ、毎月初めに持たれている昨日の朝礼で藤本知子専務は今一度、自らの中核にある全人的な経営理念を熱く語りました。

少子化、電子化といった厳しい時代により紙の需要が減少している中で、それでも創業70年の和洋紙卸商として生き残っていく為にはどうすればよいのか。

やはり最初に出てくるのは適正利潤の追求でしょう。これは商売の基本でもありますが、その為には利潤を得ていた過去のどの時代よりも、今こそ社員が一つとなることが必要だと私は考えています。
 
最近の私は、数年前は頻繁に出席していた経営者向けセミナーにめっきり足を運ばなくなりました。セミナーでは経営理念や人材育成などのテーマを取り上げ、それらが特に人気があるテーマのようですが、今の私の考えでは、これらについてはノウハウを学んで事に当たっていくよりも、私自身の全人格を真正面から社員にぶつけていく、その真剣な熱意と誠実な姿勢こそが重要であると信じています。

そして、この事は私の尊敬する松下幸之助さんも仰っていることなのです。本日も私の愛読書から先の話の具体的内容ともいえる部分を抜粋して皆さんにシェアしたいと思います。

これは松下さんが経営者向けに書かれた著書ですが、皆さんの中に、もし「彼は過去の人だ」と思っておられる方がいらっしゃるならばそれは間違いであると私は考えます。

何故なら、どれだけ時代が変わろうとも過去・現在・未来において決して変わらぬ不変の真理というものがあり、それを語っておられるからこそ私は松下さんを尊敬しているのです。
では抜粋してお読みします。

商売は真剣勝負である。その勝負のときに、社員が汗水流して働いてくれている姿が見える人、その成果を無にできないと思える人は、強い。     

こっちが値をつけても、「何を言うとる、そんなもの売れるか、相場はこうやで」と、こうなりますな。・・・(略)・・・「松下さんこれ高いな、よそはもっと安いで」とこういう場合があります。そのときにぼくはね、「しょうがおまへんなあ」と言うてまけなかったんです。
 
そのとき、ぼくの目に浮かんだのは従業員の姿ですわ。
原価が1円のものを1円15銭と言うて高いとおっしゃる。すると自分の働きが悪いのかということですね。自分の働きが悪ければ、これはしかたない。

しかし顧みて、自分の働きは悪くない。一生懸命働いている。よそよりコストが高くついているはずがない。またそのとき、10人なら10人の者が朝の7時から晩の7時まで一生懸命働いて、汗水流しているのをぼくはこの目で見ていますわな。
 
ぼくは、その人たちの成果というものを無にすることはできないと思ったんです。だから「高いからまけろ」と言われても・・・しょうがないなあ、よそが安うするのやったら、うちも安うしないとしょうがないと思ったら、あきまへんのや。

ぼくはそのときに、一生懸命働いておったかということを自分で考えた。また従業員の10人なら10人が、汗水たらして働いているその成果を、自分の意思によって無にすることができない。そうすると、非常に強いものが出てくるわけです。(略)
何ごとにもやっぱり自分で正しいと思うことには強い。

従業員が一生懸命にやっているのに、自分が簡単に当を得ない値段をつけることは、その10人の働きを殺すことになります。これは自分として許されないことやと私、思うんですね。常に頭に従業員のことがあるんです。だから、強味が出てくるんですね。(略)この10人の成果を無にしてはいけないということがぐっと出てくるから、強くなるわけです。

これは経営者として営業について言及しておられますが、この逆も全く同じことです。つまり、他の部署の人達は営業の頑張りを殺すようなことをしていないだろうか?

そうしたことを今一度心に留めながら、今日から始まる1ヶ月も、それぞれの持ち場において真剣に業務に取り組んで頂きたいと願います。


附記:引用文は松下幸之助著『社長になる人に知っておいてほしいこと』(PHP総合研究所編)、「社員の働きを殺していないか」より

2012年より多忙になった知子を助けるべく秘書役を買って出た私は、『being & doing』を更新すべく上掲に引用した書名を正確に伝えてほしいと頼んでいた。
今朝10時過ぎに届いたメールに次のような嬉しい言葉が添えられていた。

「この本をわたしにくれた事と、その内容に共鳴できる精神を培ってくれたママに感謝! みなイキイキ働いています」。

知子は社員さんを大切にし、そしてまた、その方々に支えられて励んでいる。


この本はJCPの夏期研修に向かう途中、八木駅で京都行きの電車を待っていた時にプラットホームの書店で買ったものだ。

店頭でページをめくりながら非常に感銘を受け、読んだ後で良輔に読ませてやろうと思って買ったのだが不発。その後知子が感激して読むも生き方として感動したのであり、その後長い間本棚に埋もれていた。

それを昨年10月に本棚から雪崩落ちてきたのを知子に渡し、それ以後バイブルのように座右の書として実践し、自らを磨きつつ社員みんなにも浸透させつつあり、非常に魅力ある職場を形成している。


「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                (出エジプト記 13章21節)

これからも誠実と謙虚な生き方を忘れずに、神さまに聴き、導きを乞いながら大いに人生にチャレンジをしてほしい。

posted by 優子 at 18:30| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

経営陣世代交代して新しい船出

取締役就任挨拶状.jpg

本日2月1日付けで知子は専務取締役として新しい船出をした。社長は留任。2人の取締役は40代前半で世代が大きく若返った。

2000年頃までと違い紙業経営は年々どうしようもないほど厳しくなるばかりである。私はその苦難と重責を娘に背負わせようとする夫に最後まで反対してきたが、祈りの中で議論に議論を重ねて決断した。

今後はこの3人が!.jpg知子は深く悩み続けた果てに筆頭社員4名に胸中を打ち明けた。彼らは真剣に受け止め、知子は彼らの意思を確認して決断した。昨年9月のことであった。


(写真は1月29日、退任する常務に花束贈呈している時のもの。
本日より夫と共にこの3人で会社を牽引していく。)


これまで支えてくださっていた2名も完全に引退され、私が監査役を引き受けることになった。それで1月29日夕刻の株主総会に出席したのである。

ここにに至るまでの知子の5年3ヶ月を思い起こす。
2010年1月に調停離婚が成立し同年9月に入社。その頃はまだまだ心身の癒しは十分ではなく、幸悠は3歳2ヶ月だった。

私の推察では当時の職場は有能な人材さえ全く生かされておらず、会社の空気は澱み切っていた。一部の人たちは相手によって陰湿な態度を示し、限度を超えた無礼さがまかり通り、しかも社内の規律を正す人は誰もいなかった。

そして、2012年2月、知子は執行役員という立場で改革に乗り出した。その境地はまさにモーセがエジプトを脱出する「出エジプト」であり、過去ログ・2012年5月31に記したとおりである。

経理の経験のない知子は猛烈な努力を積み重ねて、一つひとつ着手していった。神は熱心に求める者を捨て置かず、生涯忘れられぬ助け手を送ってくださった。

まるで父親のいない子に父親を送ってくださったような人物との出会いであり、父親代わりに知子に教え見守り続けてくださった。知子もまた、その方の教示に応えて猛勉強を重ねて理解していった。その努力たるやいかばかりか!

当時、21世紀の10年代に入っても昭和時代そのままの状況を色濃く残していた経理部も大きく変わり、2015年には電子債権まで手掛けるようになった。

知子はこれまでの4年間は「何をするか」という行動よりも、「生き方」「在り方」に視点を定めて経営改革を進めてきた。

その積み重ねによって土壌が耕され、社内の気風が変わっていく中で人材が育ってきた。それは美濃紙業ブログ・『being & doing』に記録されている。
そして今、社員皆が同じ方向、同じ目的に向かって邁進できるよう備えられた。


私は常に危機管理を忘れない知子が資金繰りをしているので安堵しているが、今後は今まで以上の重荷が知子の双肩にかかってくる。

役員になるには一旦退社することになり、会社経営がうまくいかなかった時は失業保険もない。会社の運命いかんでユキの人生を狂わせることは絶対にあってはならない。

しかし私は、主(イエス・キリスト)が必ず知子の努力を祝福してくださるとの信仰を握って送り出したのである。

神の使命から外れていれば努力は決して報われない。信仰に先立って素直な心(誠実さ)を失わないこと、そうすれば常に本心に立ち返ることができる。神と共に在るならば何があっても大丈夫なのだ。そのことを知子と毎日確認し合って生きている。

そして、後に続く社員1人ひとりもまた、自分自身が変わることで仕事の取り組み方が変わり、仕事を通して人格を磨き、互いに影響し合いながら高みへと向かう。
そのことはとりもなおさず豊かな人生を築き上げることになる。その精神を継承することが全てに先立つ経営理念なのだ。

日常生活のいろんな場面で出くわすことであるが、私たちは従順であることが重要なのではなく、人間的な利害にとらわれず、何が正しいかを見極めて従う姿勢こそが大事だ。何事もトップのすることは正しいなどと、そんな盲従者であってはならない。 

経営者の生き方や人格が社員や社風に大きく影響を与えていくゆえに、これからもグローバルスタンダードである聖書を座標軸に定めて、明確な理念を以って有能なリーダーとして育っていくように祈るばかりである。


ここまでお導きくださった神に感謝し、私はやはり今日も知子にこの御言葉を贈ろう。このみことばを握りしめて主と共に歩んで行くがいい。

「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                (出エジプト記 13章21節)

そして、ユキの幼稚園時代によく読んでやっていた絵本の言葉、これは知子のモットーでもある。

「お祈りしながら力いっぱい できることをしたら、
神さまは きっと 手伝ってくださる」。

「(全知全能の神への)祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギー」だ。
これからも「祈り」という厳粛な努力によって遂行していくべし!
知子の上に神の祝福を祈り、社員皆が物心両面に幸せであり社会に貢献できるように神のお導きとお守りを祈り、神さまが栄光を取ってくださるように祈ります。

そして今、神さまは夫のこれからの生涯をも祝福しようとされているように感じる。昨夏のことはそのための出来事だったのではないか。神さまの先回りの恩寵だったのではと思う。思い煩わずに一切を神に委ねます。

冒頭に掲げた挨拶文は、すでに関係各社に届いていることであろう。

附記:「Exodus 今の事業展開は『出エジプト』の如し」
   「神の奇跡の中を往く ― 長女の『出エジプト』―」

posted by 優子 at 09:56| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

知子に証を立てさせてくださった神

昨日は美濃紙業出勤の日で年に一度の全体会議だった。私の感じでは4年前までは形骸化していた無益に近い集まりだったが、知子の働きを通して濃密な会議になっている。今年もまた大きな節目の会議となった。

抱えている人材をいかに導いていくか。
知子の真剣さ、情熱、明確なビジョン、集中度、実践度、リーダーシップ力全開でこの一年も頑張り通してきた。その知子の生き方を通して仕事の姿勢、経営理念は間違いなく従業員に伝わっている。

ゆえに美濃紙業HP別冊版 “ being & doing ” 最終記事のとおり、「経営改革は成就」したので更新していない。

知子は言った。
「私は表現したこともないのに、伝えてもいないのに、ママから受け継いだ最も大切な生き方を、私の片腕になっている営業部長が言語化したのだ!
『店頭が倉庫・断裁・営業・勿論お得意様に対して、人が人を動かしていくときに、僕は「心」が一番大切だと思っています』と彼自身の言葉で話した」
と。

勿論問題が無くなったわけではなく今後も困難の連続であろうが、互いの信頼関係はしっかりと結ばれてきた。このメンバーで知子は大きな決断をして会議で発表した。それは数か月後に公開されることになるであろう。

今放送されている朝ドラの主人公・広岡浅子が「九転十起」ならば、知子は「十転十一起」を生きていると言っても過言ではないほど頑張っている。

その困難の連続が知子の才能を開花させた。
知子が小学校6年生の時に感じさせたものと同じものを私は感じている。これからも知子の思い、心配や恐れ、希望さえも神の手に委ねて挑戦していってほしい。


「今 終わらぬ夢のその先に僕は手を伸ばす」

「どういう未来が待っていようとも、
 向こうの景色を僕は見に行かなくちゃ」

「僕らはきっと試されてる 
 どれぐらいの強さで明日を信じていけるのかを」

「高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいもんな」

「想いは繋がって、繋がって連鎖反応を起こします。
 せっかく繋いだ想いだもん。プラスの力に変えようよ。」


など、ミスチルの歌詞の多くに共感すること多大なようだ。
それらにも励まされて思いっきり自らの人生にチャレンジしている。

神さまが知子の涙の働きに目を止め、ここまで支え導いてくださったこと、そして、背後で祈りを積み上げてくださった方々に感謝し、私は知子にミルトンの詩(『闘士サムソン』より)を贈りたい。

ミルトンの詩.jpg「全ては最善である
測りがたい最高の知恵がもたらすものを我々はしばしば疑うが
常に最後には最善となることがわかる
神はしばしば姿を隠すように見える
しかし思いがけず帰ってきて・・・輝かしい証を立派に立てたのだ」。


我が家のトイレの壁に貼ってあるミルトンの詩だ。
この家に住むようになってまもなく自筆で書いた粗末なものであるが、敢えて16年半もそのままにしているので、紙は茶色に変色して今にも破れそうだ。

あの頃は父の死に至る病床に通っていただけではなく、あまりにも自己中心な人々の理不尽な言動に打ちのめされそうになっていた。父を看取らねばならない時に悪に負けてはならずと、私は自らを励まさんために書いて貼った。

ミルトンの詩は聖書(ローマ人への手紙 8章28節)の言葉と重なる。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。 

ただ、ユキへのしわ寄せが最少であるようにと願う。
今週はかつてのように我が子と会えない日もあり、夜遅くに帰宅して翌朝も朝早く家を出たので、ユキは学校であったことを母親に話すこともできなかった。

先週末のオープンスクールでは遠足の写真の申し込みがあったが、さすがの知子もその案内状は頭に入っていなかった。

私も声をかけて行こうと思いながらも、ペンクラブ例会に向かった電車の中で忘れていたことに気がつく始末で、幸いその5日後に、ユキが掲示されている写真を見て必要なものを申し込むことができた。

11.28サッカー教室 .jpg昨日も家を出てからは、ユキがサッカー教室に行っていたことも完全に忘れていたという。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」ではないが、社会で活動する時の苦労を語っていた母の言葉を思い出し、知子も一歩外に出た時は母親からキャリア・ウーマンに変身するのであろう。

昨日の最低気温は3度で最高気温が13度だったから、この時はまだ10度に達していなかっただろうに、長袖も着ないで頑張っていたよ!

11.28サッカー教室.jpg

それゆえに今日の午後はずっとユキと一緒に遊んだり散歩に出かけたりしていた。体重24キロになる甘えん坊ユキを幼児の時と同じように抱っこちゃんするのはちょっと辛そうだが、母と子の姿が微笑ましい。

知子がユキに尋ねると、「ママの帰りが遅くても全然さみしくないよ。いつも居るもん!」と言ったという。無理している感じもなく、しっかり自立しているので安堵した。

担任の先生は、「発表する時いつもはもっと声も低い感じで冷静でしっかりしてはります。だからご自宅に電話した時に出た幸悠君は声が幼くて、幸悠君に2〜3歳の兄弟がおったかなあと思って考えてしまいました」と、先日のオープンスクールで言われたそうだ。

知子が年がら年中あまりにハードゆえに週に一度は心身の緊張を解いてやりたいと思う。特に24日にチャッピーの死という大きな悲しみも重なり、私さえ未だ疲れがとれず今日は全員が礼拝を休んだ。

anime_tomosibi04.gif教会歴では今日からアドヴェント(待降節:イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)に入った。
礼拝堂も1本目のクランツに灯がともされたことであろう。

アドヴェントカレンダー.jpgそしてこれは、今日からクリスマスまで毎日一つずつ窓を開けていく「アドヴェントカレンダー」。

10月10日に梅田へ出た時にキリスト教書店で買った。ドイツ製とはいえ1000円とは高い。

今週も主イエスを信じる方々一人ひとりに、主が共にいてくださいますように!

posted by 優子 at 20:18| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

知子の魂は自由になった!

今年の7月と8月は知子の苦悩がどん底に達した時だった。神さまから送られた助け人が関わってくださった時でもあったが、次女夫婦が帰国していた時に行った淡路島でも知子の写真は1枚しかない。

この3年半を振り返っても理不尽極まりないことの連続で、私もまたその混沌極まりない考え方と心情が理解できずに苦悩し続けているが、時には心を尽くして頑張っている知子に憤りをぶつけることもあった。

「突き抜けよ」。

「ただ見て通り過ぎよ」。


私の百戦錬磨の30代後半からの10年間、その最も耐え難い苦悩の底に在った時は、このヒルティの言葉に強くされてついに通り抜けることができた。
その偉大な先人の言葉も伝えているのに、なぜ知子はいつまでも常軌を逸した非道な人間に縛られるのかと憤ったのだ。人ではなく神への絶望ではないのかと。 


7月8月、知子はあまりに変わらぬ現実に信仰を奮い立たすこともできなくなって弱り切っていた。

「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、砦である」。 (詩篇91:4)

「主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたをうつことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない」。
 (詩篇121:5,6)
 
知子は卓上カレンダーにある7月8月の聖句を読んでも「そうだろうか」と冷ややかに見つめ、ついにはみことばカレンダーを机の引き出しに入れたという。

ブログで書けるのはこれが限界ゆえに、これをお読みくださっている方々には何のことなのかお分かりにはならないだろうが、知子自身の欠くことのできない記録として以下のことを記録したい。それは知子のことを背後で祈ってくださっている方々への感謝の報告でもある。

美濃紙業では毎月初めに朝礼がある。知子は今朝の朝礼で連絡事項だけではなく、力を注ぎ出して会社の現況と今後のこと、そして、自らの信条なる希望のメッセージを語った。

そして一息ついた午後4時、知子は卓上カレンダーの10月を開いてみことばを読んだ。それは神の臨在を感じさせる神の絶妙なる時に与えられた神の慰めと励ましだった。


      野の木は実をみのらせ、
      地は産物を生じ、
      彼らは安心して自分たちの
      土地にいるようになる。

          (エゼキエル書 34章27節)

続いて11月のみ言葉も読んだ。

      わたし(神)があなたがたのために、
           天の窓を開き、
        あふれるばかりの祝福を
       あなたがたに注ぐかどうかを
           ためしてみよ。
           
           (マラキ書 3章10節)
  
知子にとって「彼ら」、「あなたがた」とは社員のことである。

私はこれらのことと共に、この1ヶ月間に知子がやってきたことを聞き、夜遅くから今日の記事を書き始めることになった。

知子の魂はついに突き抜けた。常軌を逸した非道な人間の足かせから解放されて気高い魂は自由になった。これからも苦労は尽きないが、いよいよやりがいを感じる苦労の段階に入ったのだと固く信じる。

「この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです」。
        
                (ローマ人への手紙5章5節)

" Now hope does not disappoint, because the love of God has been poured out in our hearts by the Holy Spirit who was given to us."

posted by 優子 at 22:46| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

労苦の中にこそ神のまなざしを見出す

「これは私が願っていた道ではない。それなのに、どうしても歩まざるを得なくなった。つまり、これは神様のご計画なのだから、この先、きっと神様が何か素晴らしいことをして下さるに違いない。 

神様は私の歩みの中で、いったい何を計画しておられるのだろう。早くそれが知りたい。それが分かるまで、まずは、今、自分に出来る精一杯のことをしよう!」


毎日毎日の労苦の中にこそ、父なる神様の祝福のまなざしを感じて生きよ!

「今日というこの日は、あなたにとってかけがえのない大切な一日なのだ。だから、決して諦めてはいけない。また、軽く見てはならない。今日という日があなたらしく光り輝くように、あなたの必要を真剣に神に祈り求めなさい」。

自分としては到底めでたいとは思えないこの生活を、神様は既に祝福しておられます。

「今日の苦しみ、今日の悲しみがなければ、私の人生は成り立たない」と言えるほどに、神様は、この今日という日を、かけがえのない大切な大切な一日として、私たちの人生の中に位置づけておられることを信じます。

以上、誌上説教より。



posted by 優子 at 16:46| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

全ては主の恵みの中でのこと

「打ち破る者は彼らに先だって登りゆき、彼らは門を打ち破り、これをとおって外に出て行く。彼らの王はその前に進み、主はその先頭に立たれる」。      
                  (聖書・ミカ書 2章13節)

5月7日の『BSプライムニュース』で「昭和90年の肖像C 松下幸之助信念と成長」を取り上げていたが、その中で「素直さ」を大切にしていた幸之助は性善説で生きていたのかという話題になった。

以前ならば私も同じ疑問を持ったであろう興味深い視点だが、「素直さ」と性善説というのは全く異種の範疇であり、素直さを大切にして生きる人は性善説に立つ人というわけではない。

松下幸之助は常に素直な心で他者の言うことに耳を傾けた。
それは人の善意を信じての聴き方ではなく、もっと無心に「大いなるもの」に対しての姿勢であり、そのことにより常に一番大切なものを見極め、的確な判断せんがための姿勢であったのであろう。誰に対しても素直な心で相手の弁に耳を傾けることができるのは宝だ。

私もまた「素直さ」ということを最も心がけており、そのことを高校2年生の時に強く意識づけられた。

担任の先生と話していた時のこと。
「鬱陶しいなあ」との思いが過った時に、「素直な心で聴かないといけない」と自らに言ったことを鮮明に記憶しているが、以来、感情に左右されそうになる相手であっても「素直に聴こう」との一点に立ち返り、客観的に聴くように心がけている。それが私自身の唯一とも言える好ましい点だと思う。

私の拙い経験からも、素直な心さえ失わなければ利己的でよこしまな人間にも恐れなく立ち向かうことができる。凛として立ち、聡明な知恵も与えられたことを何度も経験している。

ところで知子の獅子奮迅の努力は実り、美濃紙業の風土は大きく変わり、主要な社員はみな健全に立っている。経営改革は成功したのである。社員たち自らが異口同音に証している。

経営はやりやすくなったが業界の現実があまりにも厳しい状況である。懸命な社員たちの能力を活かすのも難しい現状だ。
常に社員の幸せを考えている知子に神の助けは尽くされたのか・・・

いや、私たちはイエス・キリストの恵みの中で闘い走っていることを忘れてはならない。すでにゴールが約束されているのだから、大いに悩むとも主の恵みの中でチャレンジすれば良いのだ。

神の御名を呼ぶ者に祝福があるように!


posted by 優子 at 23:46| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2014年12月11日

「半世紀の感謝と60周年にむけて」 −大阪洋紙同業会50周年記念誌より−

記念誌@.jpg10月8日、帝国ホテル大阪にて大阪洋紙同業会創立50周年記念祝賀会が開催され、当日の様子も記録された記念誌が届いた。

記念誌A.jpg










記念誌上に挨拶文を掲載していただいているので、ここに感謝をもって転載させていただきたい。

大阪洋紙同業会 理事長
藤本 良輔

半世紀の感謝と60周年にむけて

終戦の廃墟の中から日本が再建に向けて動き出した同じ時、私たちの先人たちが創建の鍬(くわ)を打ち込み、大阪洋紙同業会誕生への胎動が始まりました。そして、昭和39年に大商会と板紙親友会が合併して大阪洋紙同業会が発足しました。

以来、幾多の試練を乗り越えて50周年を迎えることができましたのは、歴代の諸先輩方はじめ、関係各位のご尽力の賜物と心から感謝申し上げます。

この半世紀を振り返ります時、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。」という孟子の言葉を想起せずにはいられません。「天の時」と「地の利」と共に、時にかなって陰になり日なたになって労してくださった方々を想います。

私たち2代目は「第2の創業」といわれる厳しい時代でした。少子化という社会状況、バブルの崩壊で戦後最大級と言われた不景気、その回復を見ぬままリーマンショックの激震、そして、東日本大震災と苦難の連続です。

その間にも時代は大きく動き、インターネット時代への歴史的転換期とも重なり、現在も電子化の一途を辿っています。

ピーク時には139社まで増えた会員が現在では66社にまで減少し、希望を見失ってしまいそうな現況ですが、それゆえに会員を戦友のように感じるのは私だけでしょうか。

そのような今、同業会も3代目への世代交代の時を迎え、積極的に参画していただくことを切に願っています。

卸商は卸の本分に立って紙の専門性を高め、ユーザーの必要に応えられるように研鑽を積み、且つ、代理店と卸が一体となって業界の規範を正して、より良い環境を構築することが目下の急務と考えます。

私たちは今一度50周年の重みを噛みしめて、60周年に向かって新たなる一歩を踏み出しましょう。

最後になりましたが、任期中の重責を支え協力してくださった方々に心から感謝申し上げ、各社の益々のご発展と同業会の更なる前進を祈念申し上げます。

夫の任期は、平成21年5月〜平成26年11月まで、また、それに先立つ平成20年10月〜平成21年5月まで理事長代行として、通算6年間務めさせていただいた。

記念誌B.jpg 

記念誌C.jpg 記念誌D.jpg

写真は『50周年のあゆみ』より、50周年記念祝賀会の様子を一部掲載させていただいた。

posted by 優子 at 23:04| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする