2011年08月24日

よりによってワシントン近郊で大地震とは! ―思いもかけない「ミネソタ便り」最終章に追記―

夫が帰るなりアメリカで地震があったと言うのでびっくりした。
アメリカ東部でM5.8の地震 ワシントンやニューヨークで人々が避難するなど一時騒然
(フジテレビ系(FNN)8月24日(水)12時48分配信)

大きな地震が珍しいアメリカ東部で23日、マグニチュード5.8の地震があり、ワシントンやニューヨークで建物から人々が避難するなど、一時騒然とした。

・・・23日午後、バージニア州中部を震源とするマグニチュード5.8の地震が発生した。首都ワシントンでは、ホワイトハウスや近郊の国防総省などの建物が一時閉鎖され、職員が避難した。

またバージニア州では、建物の一部が崩れるなどの被害が出たほか、原子力発電所2基が運転を停止した。マンハッタンの高層ビルでも、大きな揺れを感じたということで、大勢の人がビルの外に避難していた。

アメリカ東部では地震は珍しく、大きな被害がなかったものの、一時はテレビ各局が一斉に伝えるなど、騒ぎとなった。

よりによって何故今アメリカで地震なの? しかも東部で。
そして、ワシントンD.C.のすぐ隣りのバージニア州に原発があったとは!
私は「原子力発電所2基」という字を見ただけで怖い。
ニューヨークの飛行場は一時封鎖されたらしい。ホワイトハウス周辺では人々がうろたえていた。IMFはホワイトハウスから歩いて数分のところにあると言っていたが・・・

これは何か良くないことの前兆なのか。
一瞬、不安がよぎったがすぐに聖書の言葉に堅く立った。
私たちの「下には永遠の腕があり」と、神さまは常に私たちをしっかり支え、私たちは神さまのわざに生かされていることを憶えて、平安な心で安心して出発すればいいんだと自らに言っていた。
「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」である。

まもなくミネソタの家を出る次女夫婦の行く道を主が守って下さるように。
25日朝午前6時過ぎ、パソコンを開けると今朝未明3時18分の着信で、「無事にワシントンD.C.に着いて空港で昼食をとっている」とのメールが入っていた。
マチたちも地震のことは直後に聞いて知っていた。
これからも一切を神さまにゆだねて過ごそうと自らに言う私だった。

posted by 優子 at 21:34| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

「ああ感謝せん」 ―「ミネソタ便り」最終章 ―

 ああ 感謝せん

ああ 感謝せん ああ 感謝せん

ああ 我が神 今日まで 導きませり
げに主は 我が飼い主 
強き手もて 我を守りませり

ああ 感謝せん ああ 感謝せん
我が神 今日まで 導きませり

ああ 感謝せん
我が神 今日まで 導きませり

この曲は、出エジプト記14・15章 に描かれているモーセ率いるイスラエルの民が、紅海を渡る奇跡をもとに作られた讃美歌で、作曲者はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルである。

今、次女夫婦の5年間の歩みを振り返り、私もまたこの心情に尽きるのである。

この曲は20年ほど前に妹からもらったテープ、バリトン歌手・今仲幸雄氏の『子羊の歌』で知った。今仲氏はクリスチャンで、1980年の第6回ライプチヒ・ヨハン・ゼバスチャン・バッハ国際コンクールの男声部門で優勝、ドイツの音楽家国家試験合格者である。

以来そのテープを聞きながら進行性難病と闘う母に寄り添って歩き続けたのであった。そして、この曲で母の最期を受け容れたのである。

その時の心の状況は決して今のような感謝に溢れるものではなく、私は人生の不条理に絶叫していた。独りでいる昼間、この曲を聞きながら床に伏せてどのくらいの時間号泣していただろうか。
そのことをこのたび初めて娘たちに話し、伝える機会を与えられたことを感謝している。

しかしその後、ついに神の恩寵をわかる者とされて今在るを得、私がこの地上を去る時もこの讃美を捧げたいとの思いに至らせて下さったのである。
それがどのような最期であろうとも、どうか感謝して逝かせて下さるように。

私の葬儀では献花の時に必ずこの曲を用いてほしいこと、演奏ではなく今仲氏の歌を流し続けてほしいとそばにいる長女に遺言した。


過日の帰米前夜、真智子たちは今仲幸雄氏のCD『子羊の歌』と、岸義紘氏のサクソフォン演奏による『聖歌・讃美歌の世界』をパソコンに入れていった。非常に嬉しい。

今この時、ミネソタ最後の夜を迎えた真智子と太志君に、2人の結婚式次第に刻んだみことばを拝読したい。この「ヨハネによる福音書15章4〜5節」は、真智子が選んだみことばである。

「わたし(イエス・キリスト)につながっていなさい。
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
    
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」。


最後に今仲氏の「ああ感謝せん」をご紹介したいが、ユウチューブにアップされていないのでドイツのカール・リッダーブッシュ(Karl Ridderbusch)の歌”Dank sei dir, Herr”(Thanks be to God )で「ミネソタ便り」を閉じたい。
http://www.youtube.com/watch?v=WwuVHXtv3iw&feature=related

この5年間、次女夫婦のことをお祈りに憶えて下さった方々に感謝し、これからも思い出しては祈ってやって下されば感謝です。

ハレルヤ!
主よ感謝します!
次女夫婦に賜った喜びを主に捧げます。栄光主にあれ!

付録:宮島と広島旅行の写真をマチ・クマたちの1ページにしようと思って取っておいたのに、機会を逸してしまって残念。ミネソタ時代の思い出としてここに記録しておきたい。

宮島の鹿と.jpg


引き潮時の厳島神社 .jpg


原爆ドーム前のマチ・クマ.jpg

原爆ドームの前に立つ。

被爆者は「私たちが最後であってほしい」と言われていたのに、原発事故により新たな被爆者を出してしまったことは筆舌に尽くしがたい。
今こそ全ての人が「人類と核は共存できない」ことを認め、往くべき方向を正して新しい努力を始めるべきである。


posted by 優子 at 08:46| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月23日

引越し完了、感慨無量!

夕方パソコンを開くと真智子からメールが届いていた。引越しで大変だった日の夜半の送信である。
そのメールを読んで私まで感慨無量になり、改めて「ミネソタ便り」の2006年8月7日あたりの記事を開いた。
これはミネソタでの住居が決まった時のことである。
2006年8月12日:真智子たちの住居が見つかった!
かなりのストレスに耐えていた太志&真智子カップルに道が開かれた。

6日に日本を発った2人は、到着した翌日の7日(現地日時)には銀行口座を開設するというタフさを見せつつも、とにかく食事には辟易していた。・・・それぞれに携帯電話を持ち、自転車も購入し、これはと思う家物件があれば電話をかけ続ける努力をし、「今日は現物を見て回る」と言っていた。

※ 大学が用意しているテンポラリーハウジング(”temporary housing”、一時的に借りる臨時の住まい)は3日間の予約のみだった。

先ほど吉報が入った!
「今日」、即ち我々からすれば昨日11日のこと、「家が見つかったよ!」という知らせ。
しかも、最高の条件だ。大学から歩いて15分の近さ。
ガスコンロは4つあり、冷蔵庫もついていて光熱費込みで月額620ドル。しかも、大阪生まれの大阪育ちの娘の手腕を発揮したところアメリカ人にも通用し、590ドルに値引きしてもらったというからスゴ腕である。

     (略)

その家主さんご夫妻はすこぶる良き人々のようである。
ご主人は弁護士とのことだが、太志君の促しで念のために大学の法律サービス機関へ契約書をチェックしてもらいに行ったところ、そこの弁護士さんからも家主の彼は信頼できる弁護士だとお墨付きを頂いた。人品骨柄第一印象は間違っていないであろう。

現在、家は改装中で真智子たちが入る時にはきれいになっているらしい。

※ 15・16日は、IMFの本部へ出向き小切手を受取りに行くとのこと。IMFから給付を受けるのは真智子だけだが、配偶者にもホテル代は出るので彼の飛行機代だけ実費で一緒に遠出する2人。翌年、フーにもIMFから奨学金が出た。

家が見つかったとしてもどこも9月1日からしか入居できないと嘆いていたのに、ワシントンD.C.から帰って来る19日頃には改装も終わっているから入居OKだという。

物件先を訪ねた時、内装業者の人と家主の奥さんが居られ、夫人といろいろ話しているうちに”I like you."(私はあなたが気に入った)の連発。
「ここは赤く塗ろうと思うんだけれど、あなたは何色がいい?マチコの好みに合わせたいわ。」というほど気に入られようだ。

"I really want you to live here."と何度も言って下さる奥さんだそうである。

私は嬉しいことも悲しいことも全て感慨深く感じたことを記述しているので、読み始めるとその事柄やシーンが鮮明に蘇ってくる。この記事を読むとその場に居たような感じさえするのは、4月末にミネソタを訪ねたからであろう。

マチ・クマはここで5年間を過ごし、次の新天地ワシントンD.C.へ向かうのである。そして、
今日、朝に大きなトラックで2人来てくれて、家はすっからかんになったよ。
本当にミネソタからいなくなるんだ、という実感が出て、不思議な気持ちです。ブログを読んで、さらに感慨深く思い出したよ。

今日来てくれた二人はすごい筋肉質な人たちで、すごくたくましかった。しかも、すごく親切な人たちで、感動しました。梱包はスピーディーかつ丁寧だし、ベッドやテーブルはあっという間に解体して、運んでくれたし。言葉にならないけど、感動・感謝です。

家の中はピカピカに掃除しました。
まちは、ペンキを塗ってくれたボブやメアリーベスの姿を思い出しながら、感謝の気持ちで掃除したよ。

明日は大学へ行ったり、メアリーベスと会ったり、銀行口座を閉じに行ったりバタバタして、あさっての早朝に空港へ出発します。

向こうに行ったら、しばらくネットがないと思うから、メール遅くなるかもしれないけど、心配しないでね。できるだけ早く連絡はしようと思います。

写真満載のブログもありがとう!
ゆきちゃんにも「大好きよ!」って言ってね。
真智子

太志君からも真智子よりももっと遅く、(現地時間)真夜中の2時に送信されてきた。「まだ起きてるの?早く寝ないと!」
(「フー」と「クマ」は次女の伴侶のニックネームで、その時々の気分によって呼び方を変えるのでご容赦あれ。)
朝9時過ぎに作業開始して、午後1時過ぎに終わりました。大変な作業を効率よく丁寧にしていただいて、感謝しています。
  
       (略)
メメントドミニ、拝見しました。
ミネソタ便りの回想は、とても感慨深く、読み入っていました。本当に色々あった中、お義母さんは、ずっと共に歩んで来てくださったんだと感じました。改めて、今までの感謝を思いました。これからもどうぞよろしくお願いします。

夏の記録は、とても楽しい記憶を思い出して、読んでリラックスできました。ありがとうございました。どちらもとても良いハイライトに感じました。

真智からもお伝えしていると思いますが、新居ではすぐにネットにつなげないと思いますが、できるだけ早くにご連絡したいと思っています。

明後日24日は、午前8時前に家を出発します。午前10時18分発で、便名はDL1764です。ワシントン時間で、午後1時45分着です。

それではまた。
太志

愛するふたりに贈るみことば:

「あなたがたがわたし(イエス・キリスト)を選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
 
               (ヨハネによる福音書 15章16節)

これからもキリストから目を離さないで人生の旅を続けてください。
いつも私たちのことを祈ってくれてありがとう。
私たちもいつもお祈りしています。
God bless you!


posted by 優子 at 17:45| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

「ミネソタ便り」回想

ミネソタでは22日朝に引越し業者さんが来て、真智子たちよりも一足先に荷物だけワシントンへ向かう。その後出発までの2日間とワシントンの新居に荷物が届くまでは、エアーベッドとわずかな生活用品で過ごすことになる。

このブログは次女が結婚する半年前の2006年お正月に誕生した。ミネソタ時代を終えるにあたり、次女への想いをまとめた「ミネソタ便り」を振り返りたい。

2006年3月17日:
花嫁衣裳も決まり娘を見送る覚悟もできてきた今週初めのこと、海外生活は5年間で終わらず、Ph.D取得後も外国暮らしになるであろうと2人で話しているのを聞いてしまった。
驚いて尋ねると、「卒業後は日本も含めて世界に向けて就職活動をすることになるから・・・」と娘は言った。
再度、覚悟するのに2日間の時間を要した。
娘の足を引っ張ってはならぬ。安心して飛び立たせてやらなければ。

2006年4月6日:
真智子たちは明日の午後3時半に離陸し3泊4日でアメリカへ行く。目指すはミネソタ大学だ。
同大学から「パトリック・キーホー奨学金」も獲得できたから50万円給付されるという連絡があったとのこと。別の論文が評価されたのか、プレゼンテーションが良かったのかそこまで話を聞く時間的余裕はなかったが、、いろんなことにチャレンジしている娘の姿に励まされている。
IMFからも正式に文書が届いた。

2007年1月18日:
「いかに聖書が、自分自身に訴えかけてくるものかを、二人で感じあえました。今後とも読み進めていきます。」said Futoshi.

※ 忘れもしない。神さまの大手術が始まったのはこの年の年明け早々だった。この時、初めて聖書を読んだクマ。以来、マチ・クマ共に聖書を道しるべとして歩み始めた。

以来、当初は真智子を支えるべく「ミネソタ便り」を書き、みことばを書いた。イエスさまのことをよく知っている真智にトラクトを運ぶような気持ちで神さまのメッセージを伝え、いつしか2人のために書き続けた。親鳥が雛に餌を口移しであげるような気持ちだった。

神のくすしきみわざ。
ここまで導かれてきたことを感謝するのみ。


2007年2月8日:
冬はマイナス30度の世界。
「窓際(カーテンと窓の間)にブドウを3粒程おいておいたら、見事に凍ってシャーベットになりました。(>_<)」

※ 初めての冬に向かう2006年9月末には、−35度まで耐えられる防寒着を買ったそうだが、そんな防寒着が売っていることにも驚いたものだ。

2007年5月25日:
「あの時、聖書がなければ私たちはつぶれていた。」

2007年8月2日:
ミネソタの橋崩落?! 真智子夫婦の家から歩いて5分とは!
今朝の9時半頃だっただろうか、なかなか眠ってくれない孫(生後20日ほどのユキ)を抱きながらテレビを見ていたら速報で番組が中断し、日本時間の今朝8時前頃(?)に、ミネソタの首都ミネアポリスのミシシッピ川に架かる高速道路の橋が崩落したと報じた。

「ミネソタ、ミネアポリス、ミシシッピ、橋、・・・」、全てが関係している。ミシシッピ川が近くにあると聞いていた。そして、「橋」と聞いて私はハッとした。
(略)メールを飛ばした。
「・・・・短くてもいいから連絡してね。
真智子と太志君はイエスさまと一緒だから万が一の時も天国へ行ける、再会できるからと安心しました。」
と、最悪のことも覚悟しつつ・・・11時27分のことだ。勿論、まさかのことになっていたら返信はもらえないのだが・・・・。

そして、今、パソコンを開くと太志(君)がオンラインになっていた。よかった!
メッセンジャーを開くと「無事です!」の文字が飛び込んできた。真智子からだ。よかった!
「大学から帰ろうとしたら、いつも通っている橋が閉鎖されていました。迂回して家に帰ってきてCNNを見てびっくりしています。
私達が毎日通っている橋の隣の橋が落ちたのです。とてもショックです。 落ちた橋まで歩いて5分とかからない場所なので、今も家の近くは警察や消防車でいっぱいです。・・・」


※ 今年4月末にミネソタを訪ねた時、新しく作りかえられていた橋を見た。
アメリカの高速道路を走る自動車のスピードは日本の比ではない。さすが自動車王国だと思った。しかし、町を走る車はトヨタ、ホンダ、ニッサンが目立ち、「頑張れ、ニッポン!」と誇らしく心の中で叫んだ。


2008年1月11日:
「牧師や書物からではなく、いつも直接イエスさまからみことばをいただいている」と真智子は証しした。
私は太志君と真智子に聖書は毎晩読むのかと聞いてみた。
すると、2人はどんな時も毎晩寝る前には聖書を読んでいると言った。睡眠時間が3時間しかない時も聖書を読めば落ち着くからと読んでから眠り、この1年間に読めなかった日は10日間ぐらいだった。
「ワシントンに行く時も、どんな時も聖書だけは持って行きます」と!

2008年1月14日:
今回は夫も一緒にプラットホームまで見送った。真智子を抱きしめた時、目頭が熱くなった。・・・家に戻った時、雑然としたリビングルームにしばらく立っていた。
真智子が着ていたカーデガンを抱きしめ、真智のカーデガンに着替えた。テーブルに目をやると真智たちの食器を見て泣きそうになり、急いで洗い桶に運んだ。
夫は「部屋が広くなったな。空虚な感じ・・・」とシュンとしている。
そして、「これはきっとママが好きだと思った」と真智子がコピーしてくれたディズニーのCDをかけて食器洗いにとりかかった。

※ 再会の喜びと見送る淋しさは何度繰り返しても変わらない。これまでのことを深く感謝し、これからの日々も守られるように祈ろう。

2008年3月21日:
ミネソタにも春近し、神の祝福あれ!
ママへ
ミネソタにも春がやってきてます。今日は7度です。
先週に第三学期が終わって、今週は春休みです。週末に随分寝て、疲れも取れて、今週はなかなか充実した日々を送っています。

ブログでママが溌剌とした人生を歩んでいる様子を読んで元気付けられてます。
読書会の退会も、今までママが心を傾けてきたこと、努力してきたこと、感動してきたことなどを思い出し、またその周囲の人たちへの影響を感じる、感慨深いものだったのではないかと思います。

私も、ママの退会に対して、読書会への懐かしさと寂しさを感じながらも、積極的に生き方を選んでいっているママの姿に元気付けられる感じです。

「神さま(イエスさま)が望んでおられることは、苦しみの中で平安を見つけることである。苦しみの 中で神さまに与えられた命を喜ぶことが大切である。」と聞いて、目が開かれた気がしました。

とても力強い励ましでした。
私も、このように覚えて一瞬一瞬を生きていきたいと思いました。・・・努力し続けてくれてる両親に、心から感謝し、尊敬しています。
          ・
          ・
ヨブ記の神様の言葉は力強く、私に響いたのです。・・・ママたちに祈ってもらっていることも感謝しています。ありがとう。
       (略)
来週はイースター。
教会へ行く予定です。
              真智子

※ 私が20年間続けていた読書会の退会について、かくも深い想いを感じてくれたことが嬉しかった!!!
そしてこの頃、マチ・クマも最悪の状況から脱して春を感じつつある時期であったことがわかる。


2008年6月6日:
ママ、ブログからのお誕生日メッセージを有難う!
すごい嬉しかった。読んでて、涙でました。
まちを産んでくれて、育ててくれて有難う。

    (略)

もうすぐ帰れるから、時々楽しみで想像してます。
いつもお祈りしているからね。
  
                  真智子

※ 帰国を楽しみに努力を重ねる日々。「もうすぐ帰れるから、時々楽しみで想像してます。」に、その精神的状況を窺わせた。

2008年6月20日:
「真智の人生は、私の心臓が動く限り与えられている。その間にこの命を、時間をどのように使うかを真剣に考えるようになった。

私は常にこういう経済学者になりたい、教師になりたいというビジョンを持ってやっているよ。目的を持って生きる私に、「頑張れ!」と応援してくれている神さまが居てくれるのが嬉しい。

試練もあるけれど、どんな状況であっても絶対的な終わりは神さまの時なのだから、パニックにならずに、私は今何がしたいのかをいつも考えるようにしているよ。

それを体験したのは本人であり、本人しか意見は言えないのだから、しっかりとアクションをとることが大切。神さまを見上げていたら、いつだって次の一歩を踏み出せるよ!

だって、何があっても神さまの御手の中でのことだもの!!!」

※ 真智をとおしていつも私の信仰が強められてきた。
この時(6月18日夜から7月3日)は、真智子が一人で帰国した。私に膀胱癌の疑いが濃厚だったからだ。しかも主治医は会話が成立しない人だったので苦しんだ。
その間の真智のレクチャーに教えられること大なりで、それらの記事への読者の反響が大きかったことも思い出される。
そして、健康を与えられている時を有効に用いなければと改めて思う。


2008年7月3日:
12時15分、出国ゲート前で私は真智子を抱しめた。涙をこらえて娘から手を放すと、娘はゲートに入って行った。・・・

そのあと、妹の案内で造成中の2期空港島を展望し、南海電車が関空駅を出発した1時15分過ぎ、「きっとこの飛行機やね」と言う妹の声に立ち上がると、一機が離陸するのが見えた。

「真智!」
私は心の中で呼んだ。そして、また涙。やっぱり空港への見送りは今回だけにしよう、辛くてたまらない。強い陽射しなのに、飛行機は直ぐに梅雨空の雲で見えなくなった。

※ これは私の癌の疑いが晴れて、安心してアメリカへ帰るマチを関空まで見送った時の記事だ。
クマはミネアポリス空港までマチを迎えに行った。
マチを想うクマと、クマを想うマチに、親として淋しささえ感じないほど夫婦愛が溢れている。これから何度も開いてみたい記事だ。


2009年4月3日:
次女は先学期に指導教官として3クラス受け持った。それぞれ違う科目だったから大変な努力を要しただろうが、学生たちから感動のコメントが多々寄せられていた。

・・・ミネソタへ戻った早々にミネソタ大学の授業監督委員会から真智子の授業に対して " Distinguished TA " を頂いたという吉報が入った。" Distinguished " とは、「際立った、抜群の、優れた、顕著な」という意味である。これがその内容だ。
生徒と大学による授業評価に基づき、経済学部のは、2008年秋学期に行われたEcon4261-002におけるあなたのTAとしての働きが、真に著しかったと結論しました。

あなたの素晴らしいteaching serviceは、我が経済学部の学部教育の質を大いに高めました。経済学部の教授一同と学部生の感謝を表し、授業監督委員会の推薦により、あなたを正式にDistinguished Teaching Assistant(素晴らしいTA)と称します。

2009年10月6日:
3日(土)の国際会議での発表は、とても大きな反響があったようだ。聴衆席が不足し、イスを足してもらっても足りず、立見席で聴いて下さった方々が廊下にも溢れていたそうだ。

何人かのパネリストも聴きに来て下さったことや、ある外国人から真智子が教授と間違えられたエピソードなどから、娘の活躍ぶりを彷彿とさせた。
真智子自身もアメリカでの成果の手ごたえを感じたようだ。汗と涙と努力の結晶である。

     (略)

再び皆が元気で再会できたことを神さまに感謝した。
真智子と太志君は疲れていたが、到着した夜も寝室に入ってから聖書を開いていた。私は2人の姿が三浦綾子夫妻のシルエットと重なって見えた。

※ マチ・クマとの再会は4日の夜。そして、9日には再びアメリカへ発った時のことだ。
この年の8月末に私の従兄弟に死が近いことがわかった。マチ・クマは日本でゆっくりできない状況だったが時間を割いてくれた。大叔母を慰め、従兄弟を見舞うために帰郷し神戸まで足を伸ばして訪ねてくれた。

従兄弟は51歳で今年2月1日に召された。若い真智子もまた大きな痛みだった。人はいつか死ぬのだということを思い知らされたようだった。


2009年12月25日:
それで、それでね、一大ニュース!!!
人生最大級のニュース!!!!

昨日、Third Year Paper Competitionの結果が出たの!!!
まちと太志との共著論文、一位入賞!!!!!!
一位だったよ!!!!!!!!!!!!!!!

勿論一位とりたかったけど、とれると思ってなかった!
信じられない!神様、本当に本当に感謝します。

まちと太志がミネソタでやり始めた研究第一号。研究者として、沢山学び、成長してこれた研究。2人が面白いと情熱をもってしてきた研究。2人のそれぞれの力を活かしてこれた研究。ノツノツの英語だったけど、2人で会話を補いあいながら沢山の先生に話して、コメントをもらえて、多くの改善をしてこれた研究。

神様が与えてくださった最高の研究!
しかも、こんな最高な形で神様が祝福してくださった!

これからも頑張ろう!と心底思います。
本当に嬉しい。本当に本当に嬉しい。

研究が苦しいときも、いつも祈って支えてくれたママ、本当に有難う。
今まで、何度も何度も支えられた。
情熱と努力の真の理解者。
だからママ、早く元気になってね。

※ 2009年は長女のことで過酷な試練の年だった。そのことも影響してか、その年の12月から血圧が高くなり今に至っている。
私は真智に「情熱と努力の真の理解者」と言われたのが嬉しかった。ミネソタでもよくそんな話をしているとクマから聞いて本当に嬉しい。
最近は怠けてばかりでダメママだけれど、真智と知子の母にふさわしくあらねばと思う。


2010年6月16日:
" Heller Fellowship "(ヘラー・フェローシップ)とは、ミネソタ大学の経済学部が出している奨学金で、毎年博士論文に取り組んでいる卒業間近の学生を対象に一人だけに与えられ、優秀な学生は副業せずに研究に打ち込むようにと日本円にして200万円授与される。

5月末に真智子が受賞し、ミネソタ大学大学院経済学部代表になっていたことを昨夜聞いた!

※ すごいとしか言えない。このようなサプライズばかりで私の感動感知器は機能しなくなっている。

2011年3月8日:
マチ・フーそろってIMFに就職決まる! (正式にオファーがあったのは2月半ばだったと思う)
特に今年は、Economist Programでの採用は例年より少ない20名と狭き門だったが、幸運にも努力が報われて夫婦そろっての採用となった。経済系職員は基本的に博士号取得者だと聞いてびっくりした。

※ これも先のコメントに同じ。ママには雲の上の話です。

2011年4月21日:
次女が結婚と同時にアメリカへ渡って5年、努力の末に夫婦共に経済学のPh.Dを取得し、その授与式が29日にあると聞き、是非行きたいという全く突然の衝動が吹き出した。

しかも夫婦共にIMFへの就職が決まり、今夏にはミネソタの地をあとにしてワシントンD.C.へ移ることになった。私にも懐かしい心の中のミネソタを訪ねたくなった。

※ この想いは就職活動の一環で帰国した2月半ばのことであり、すぐに飛行機のチケットも手配してもらった。そのあとに東日本大震災が起きた。
それゆえに、東北地方の大災害だけではなく、この時も福島第一原発が予断を許さない深刻な状況にあって、日本をあとにするのは不本意で出発の数日前まで悶々としていた。


2011年4月29日:(ミネソタより真智子のパソコンでブログ更新!)
次女夫婦がめでたく経済学のPh.D(博士号)の学位を取得した。ガウンの上から身につけるフードの色は「Ph.Dブルー」と言い、博士号取得者が身につけるものだ。
IMG_2838.JPG真智子、太志君、おめでとう!

※ ミネソタへ行ってよかった!!!   

2011年7月13日:
次女夫婦は先月結婚5周年を迎え、今ようやく真智子にも少しだけでもアレコレしてやれる嬉しさをかみしめながら今日は楽しい時間を過ごした。
しかし、嬉しさばかりではなく5年前の淋しさもよみがえった。
来月11日の出国までにワシントンの新居へ引越し屋さんから荷物を送リ出すことになり、私はもう一度真智子を手放さねばならないさみしさを味わっている。

margaret1b.gif

そしてまもなく、2人は試練と努力の地・ミネソタを発つ。
結婚5年後と言えば、知子が4歳で真智子が1歳の時・・・この頃の夫への想いってどんなだっただろうかと考える。
外国で力を合わせて生きてきた2人、運命共同体として伴侶の問題を受容した真智子、苦労してきた2人だから、その頃の私たち以上の夫婦愛が育っているに違いない。

私はこれからもいつまでも娘たちやユキのことを見守りたい。
母親になる真智も見たいし、孫の成長を見守りたい。いつまでもブログのページを重ねて書き続けていきたいと思う。

そんなことを思う時、60歳という年齢に残された時間を思う。元気で長生きしたいなぁと思うけれど寿命だけはわからない。だからこそ今を大切に生きねばと思う。

8月からはミネソタ大学に移り、新しい生活を始めますが、2人で支え合いながら一生懸命頑張ります。
アメリカは遠く離れてしまうようで寂しいけれど、お互い、寂しさを吹き飛ばすぐらい充実した日々を報告するつもりです。                  
                      真智子

真智、このとおりだったね!
よく頑張ったね!!!
真智子も知子も一生懸命努力できる子だから嬉しいです。ママの誇りです。
フー、よく頑張ったね!!!
これからも真智子と太志君の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りしているよ。



posted by 優子 at 16:30| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月18日

いよいよ1週間になったミネソタの日々

「出発地時刻で深夜に乗り継ぐ便は相当疲れることを改めて実感しました」。
ワシントンへの引越しで大変だとわかりつつも、次女夫婦からメールがなくて心配していたら帰米してからクタクタだったらしい。

しかも、日通から気をもむメールが届いていたという。
外装込みで3立方の予定だったのが、組み合わせの問題で3.862立方になってしまったので見積もりの相談をしたいとのこと。とにかく一眠りしてからスカイプで電話したそうだ。

相手の状況を聞き、交渉の結果、妥当な値段でお願いできたそうだが、少しでも容量が越えると格段に費用がアップするというから疲れている時はしんどい話だったことだろう。
その一方で、この迅速なやり取りはインターネット時代ならではのことと関心してしまった。

帰米翌日は家主の娘さんが家を探している人たちに部屋を見せたいというので、寝ていたいところを起きて協力し、その日は私達にも案内してくれたスーパーマーケットへ行ったそうだ。レインボーに行くのもこれが最後になるのではないだろうか。

13日はマチが体調を壊してダウン。
その間に、クマが「もらって欲しい物リスト」のHPを完成させて学部のメーリングリストに流したそうだ。実に上手に作ってある。ここをクリックしてご覧下さい ↓(http://www.econ.umn.edu/~narit002/moving.html

すると、すぐに色んな人から反応があり、もらってくれる人には今週の金曜日に取りに来てもらう予定とのこと。

そういえば神戸大学を卒業した時、神戸で下宿していた卒業生が不要になった物のメーリングリストが真智子の携帯電話にも流れてきた。今から8年も前のことである。

すぐに娘が洗濯機や炊飯器、冷蔵庫もだったと思うが「ほしい!」と返事すると、その後まもなく「すべて完売しました」とのメールが再送信されてきたので笑ってしまった。
これらは東大大学院進学のため千駄木での下宿生活必需品だったのである。

私はこんなことを見聞きするのも初めてだったし、次女に中古品を使わせるのがかわいそうでならなかった。特に次女は物を大事にする子で次女に説得されたものの、「新しいのを買ってあげなくてかわいそう」という気持ちがいつまでも消えなかった。

しかし今ならばよくわかる。
それは見当はずれの間違った感情であることを。

しかし、「かわいそうに」の思いだけではなくすごく感動したものだ。
どの時代の人も「今の若者は・・」とクレームをつけたがるがそんなことはない。今の若者は使い捨てしないで物を大切に使っている。こうすればリサイクル処理代もいらないし合理的だ。しかも、「完売しました」とは何てユーモラスなんだろう!

相手の方は京都の学生さんで、真智子とは学部も違い初対面の人だった。
六甲道駅近くだったと思うが、指定された場所へ夫と共に1トン車か2トン車で譲り受けに行った。その時、夫は胃粘膜切除術を受けてからまだ日が浅かった時で、顔色が悪くしんどそうだったのを覚えている。

真智子が東京へ行くのが寂しくてならなかった私は、「不要になった電化製品を処分して自宅へ帰る子はいいなあ。親御さんも息子さんが帰ってきていいなあ。4年間辛抱されたのか・・・」と、そんなことを思いながら青年を見ていたことも懐かしく思い出される。


真智子が東大を去る時もメーリングリストを流し、それでも残った物は文京区の粗大ゴミ処理場まで運んだのであった。

さて私達が盆法要だった15日は、引越し後すぐに必要なシャワーカーテンなどを買ったり、ソファー&ソファー周りの家具を下見して、お気に入りのが見つかったので(ワシントン)D.C.に着いたら、オンラインで発注するそうだ。

16日は銀行系の仕事と書類の整理。オンラインシステムがトラぶって2回も電話する羽目になって大変だったとか。

そして今日(ミネソタでは17日)は2人とも体調不良なために、大学での用事をする予定だったのを中止して、家でできることをしながら身体を休ませていたようだ。

次女夫婦がミネソタを発つのは24日、ミネソタ滞在もあと1週間になった。ワシントンまで飛行機で4時間ほどらしい。

「こっちは湿気が少ないせいか、寒いんだか暑いんだかわからない、秋みたいな気候です。セミも一匹も鳴いてない。昼は半袖だけど、夜は長袖で薄い目の布団を着て寝てるよ。(日本とは)別世界みたい」。

ちなみに最近のミネソタの最高気温は28〜30度で最低気温は15〜17度くらいだが、8月の終わりになれば急激に温度が下がってくるのだろう。ミネソタの秋は早い。

来週の今頃はワシントンD.C.だ。
引越しが無事完了するまで2人の健康が支えられますように。

附記:
こちらは相変わらずの猛暑。夜まで暑いのがかなわない。昨夜、暑くて目が覚めたら夫のベッドは空っぽで1階で寝ていた。下では扇風機さえいらなくて、風がなくてもヒンヤリした外気が入ってくるので私も下で寝た。

今日、年に一度の浄化槽の清掃が終わりホッとした。
毎年決まって25日頃なのに昨年から順番が変わったのか、お向かいの家の前にバキュームカーが止まっているのを見てビックリ! 大慌てでチャッピーの小屋を動かしてチャッピーを家に入れてやった。喫茶店


posted by 優子 at 21:20| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

乗り継ぎ地シアトル空港よりメール届く

無事にシアトルに着きました。

昨日は空港まで来てくれて、一緒に楽しい時間を過ごしてくれてありがとう。別れてからも、幸せな気持ちで、くまもまちもずっと胸があつかった。
くまも本当に喜んでいました。
ゆきちゃんとママも無事に家に辿り着いたかな?

まちたちは、オーバーブッキングだった為に、なんとビジネスクラスに乗せてもらいました!
座席は広くて、ふかふかの枕もあって、ホテルのようでした。
4年前にもこのようなLuckがあったけど、その時よりも感動が大きかった!

             (略)

ちょっと映画を見たりおしゃべりした後、二人とも約3時間半ほど熟睡したと思う。元気になりました。あっという間にシアトルに着きました(^^)。・・・

今朝早くに着信していたメールと添付してくれた5枚の写真を何度も微笑ましく見ていた。
シアトル空港で「あと3時間程待ちます」ということは、ミネアポリスに着くのは(日本時間)正午過ぎで、家に辿り着くのは3時頃になるのでは。

私達は昨日、マチ・クマと別れて2時間半後の7時に家に着いた。
ユキはリムジンバスに乗ってまもなく眠ってしまった。高速道路が渋滞して2倍くらいの時間がかかったけれど、その間ユキは1時間余り眠ったので終始元気に歩いてくれた。

デパートに寄ってお土産を買おうとしたけれど、マチ・クマが居ないのでガッカリ。ミニクロワッサンだけ買ってデパートを出た。

私達が駅に着いたのは7時前だった。知子はユキが疲れているから負んぶしてやろうと6時から45分間も駅で待ってくれていたそうだが、一旦帰って帰宅した父の車に乗って再度大急ぎで迎えに来てくれたところで出会って、私達は歩かずに帰宅した。

これはユキからマチ・クマへの伝言だ。
マチとフーが遊んでくれるから楽しかった。
マチがまたアメリカへ行って淋しいけれど、マチとフーが飛行機を見に連れて行ってくれたから楽しかった。マチとフーとおばあちゃんとユキちゃんとみんなで見れて楽しかった。おばあちゃんと一緒に電車に乗れて嬉しかった。

マチがダッコして見せてくれたから嬉しかったって書いてね。
でも今は「マチー!」って呼んでもいないから悲しいよ。
だからまた帰ってきてね。


みんなで(ウィーで)ボーリング楽しかったからまたみんなでしようね。持って帰ってこなくてもおばあちゃんが買ってくれるからいいよ。以上です。
と言って笑った。

アメリカからウィーを持ち運ぶのは大変だから自宅用に買うつもりだ(笑)。次回の帰国は4ヵ月後の予定。その頃に商品を届けてもらってクマにセットしてもらおうと思う。

まもなく飛行機がミネアポリスに着く時間だ。
後片づけは後日からにして、今日は休養しながら「無事帰宅」のメールを待とう。

明日は兄と両親の墓参を約束している。
真智子は結婚してから一度も行っていないことやクマも未だ行ったこともなく、真智子は墓参をとても心にかけてくれていたが、多忙や私の体力的なこともあって平日に行くこともできなかった。

明日は冬に亡くなった従兄弟の初盆で叔母は息子のいない家へ行く。息子を亡くした悲しみだけではなくいろんなことがある。叔母の上に神の慰めと導きを祈るばかりである。

14時21分追記:
たった今、真智子から11時半ごろ無事家に着いたとのメールが入った。神さま、感謝します!


posted by 優子 at 12:13| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月11日

「マチとフー、(今日)もう1回帰ってきたらいいのにな」 

真智子の部屋の本箱は空っぽになってしまった。
殆どをワシントンに送り、先月に続いて今朝の古紙回収に本やノートをたくさん出した。左端にまとめてある本は大学に寄贈するそうだ。
空っぽになった真智の本箱.jpg

私が時々開いてみたい卒業アルバムや小学校時代の作文集は右下の段に収めた。その上の段には「ユキちゃん、これ使ってね。まち」と書かれたメッセージと共にノートやお絵かき帳を置いてくれている。

今回は関空から発つので、ユキに飛行機を見せてやりたく空港まで見送りに行った。
出発直前に.jpg

10:50過ぎ、出発前に祖母に挨拶を。
神戸の大叔母と祖母から就職祝いを頂いた。

関空へ向かう列車の中で.jpg

20分もの間、重いユキを抱いて電車の運転席から見せてくれた真智。ユキ、よかったね。真智、ありがとう。 

今朝は思いもかけず近隣のNさんが和三盆のお干菓子を届けて下さった。日持ちするものを選んで下さり、ワシントンに移って落ち着いた時に召し上がれと真智子に持たせて下さったのだ。

昼食は上六にあるマチ・クマもお気に入りのお寿司屋さんに入り、その後リムジンバスに乗り込んだ時、ユキがNさんを見つけた。
今日はNさんの股関節の術後1ヶ月検診で、この時は病院へ行かれた帰りだった。いつまでも見送って下さったNさん、ありがとう。

行きのリムジンバスで.jpg

ユキは空港へ行くリムジンバスの中で眠ってしまった。

関空のスタバで.jpg関空のスターバックスで休憩タイム。
関空で.jpg

関空で@.jpg
まるで親子のよう・・・ユキを不憫に思う。
両親の愛の中で育ててほしかった。
そして、真智たちのこのような光景も見たい。
関空でA.jpg

ユキは目に見える何もかもが珍しい。
「スーツケースはどこへ行くの?」とスーツケースが気になっている。

昨日はこんなことを言った。
「(空港には)飛行機が何匹いるかなぁ。3匹くらいかなぁ、11匹いるかなぁ」。
ユキには飛行機が生き物のように見えているのだろうか、何てステキなんだろう。

展望台へのバスが出てしまって時間いっぱいになってしまったが、空港へ来たのにレストラン街だけではデパートに来たのと変わらないからと、タクシーに乗ってまで展望台に連れて行ってくれたマチとクマ。
展望台にてA.jpg
展望台にて
展望台にてB.jpg

ありがとう、マチ・クマと一緒に見ることができて楽しかった。
私は離陸する飛行機を見て泣いてしまった。真智子の目にも涙が光っていた。 

次の写真は2006年8月6日、成田空港からミネソタに飛び立つ直前だ。この時と比較したくて今日も同じ服を着て行った。

以来、5年間に9回帰国。正確には10回、日本とアメリカを往復している。この2ヶ月前に留学先に決まったミネソタ大学を3泊4日で訪ねているからだ。
2006.8月、成田からアメリカへ.jpg
私の髪の毛は白くなり、体重は3〜4キロ増えた。
特筆すべきことはフーが大きく変えられてきたこと。
そして、私たちもまた。マチ・クマに祝福あれ!.jpg

出発口前で真智子を我が胸に抱きしめ、太志君を抱きしめた。
16時30分、またね!!!
マチ・クマに神の祝福あれ!

2人はシアトルで乗り継いで、ミネアポリス到着は日本時間の明朝8時頃だと思う。ミネソタへの最後のフライトの無事を祈りつつ。

posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

2011年夏、真智子と着物と母と。

先月18日の記事で娘達と3人で買い物に行った時のことを読まれた友が、母親の想いを見事に代弁して下さっていた。

「久しぶりの母娘だけの外出なんかのときは、うれしいというより、しみじみと涙がにじむでしょう。でも、もう大人で、それぞれの家庭があり仕事がある、自分だけの娘ではないと思うと、限りなく寂しくなってーーー」

私だけではない。わが子への想いはみな同じなんだなぁと慰めを感じていた。
長いと思っていた50日間もアッという間に過ぎ、次女夫婦はまた明日アメリカへ行ってしまう。
箪笥が届いた日の昼寝.jpg

後半は多忙な日々だった。箪笥が届いてからは踏み場もなくなった部屋で、しばしの昼寝をとるマチとフー。

着物のことを全く知らない真智子が自分で着られるようになりたいと言うが、着付けを覚えるには日数が少なすぎると私は諦めの気持ちのほうが強かった。
しかし、娘の本気さに心動かされて呉服屋さんを訪ねたのが7月21日のことだった。

呉服屋さんとは不思議と感じるほどありがたいお出会いだった。さっそく時間を割いて下さって3回に分けて教えていただき、見事に着られるようになった!!!

真智子の情熱と熱心さに呉服屋さんが何度も何度も感嘆されていたが、真智子はこの情熱で何事もやってきたんだと親ながら改めて驚嘆したのだった。

着付けレッスン初回.jpg

レッスン初回は着物を着るところまで。

着付けレッスン2回目.jpg

2回目は我が家で帯の締め方を教わる。
前回共にご自身も着物を着ながら教えて下さった。

着付け補助クマ.jpg

そして、8月3日はマチ・クマ2人で呉服屋さんを訪ねて総ざらいをしていただいたが、実によく理解して着こなしていると絶賛して下さり、クマの助けを借りつつも一人で着たとは思えない見事な着こなしに呉服屋さんも絶句された。(この日、私はユキを連れて高島屋へ行った)

お世話になった名倉屋の名倉さんご夫妻である。
これは6日のこと。真智子と共にC.jpg

2重太鼓にリフォームした袋帯ができあがったので、締め方を教わるために自分で着物を着て出かけた時の写真である。夫はお抱え運転手のように自動車で待っていてくれた。

奥様(女将さん)は、真智子の祖母への想いや祖母につながる着物への想いを知って、「お母さん(私の母)が生きておられたらどんなにか喜ばれたことでしょうね」と仰った。

今日はお預けしていた雨コートができ上がってきたとの連絡が入ったので、マチ・クマ、ユキと4人で出かけてこの写真を差し上げ、ブログ掲載のお許しを得て記録させて頂いた。

「この雨コートは大島紬で『格子紬』・・」
と言われたと思うが、今日もまたご夫妻揃って母のことを仰った。

「お母さんは着物がお好きだったんですね。着物のことをよくご存知ですね。この雨コートもとてもいいものです。本当にいいものをたくさん持っておられるのだから着物を着て下さいね」。

帰り道、私は母の形見の日傘をさしながら正午前の炎天下を歩いた。誰ともしゃべらずに歩いた。母を偲び、母に詫び、父と母を想いながら歩いた。
今年は忙しくて、父が亡くなった8月8日のことも忘れていた。


両親への感謝を込めて古くなった油単を新しく作り直すことにした。母が作ってくれたものと同じように草色の生地に家紋をぬいて朱色の房をつけたいと呉服屋さんにお願いした。

帰宅した夫に伝えると、夫は値段を聞いて目を丸くした。
私もその半分くらいの額を想像していたが、全てが母につながることゆえに驚かなかったが、もう少し足せば真智子に買ってやった箪笥が買えるほどの値段だった。やはり一度は値段交渉をしてみるべきか・・・

真智子のおかげで着物が無駄にならなくてよかった。結城なら何代も着られるからと話していた母。真智子に雨コートもスーツケースに詰めるように言った。
2011年、父と母を偲ぶ夏である。


posted by 優子 at 23:59| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

ワシントンへ荷送り完了!

ついに荷送りの朝を迎えた。
9時15分、「日通の海外引越し」さんが到着。

真智子の荷物@.jpg

真智子の箪笥.jpg

箪笥には念のために上下を記入したが、この上からも梱包したので必要なかった。

着物は航空便で、あとは全て船便にした。
箪笥も着物と同様に航空便にしたかったが、それだと箪笥代と同額くらいの輸送料になってしまうので断念した。船便は1ヶ月から2ヶ月かかるそうだ。

荷物にはお皿からタオルに至るまで枚数を数えて記入し、全てに値段設定しなければならなかった。
値段の張る漆器や、ノリタケ、香蘭社、ウエッジウッドやジバンシーなどの食器も全て、超安値のバザー値段付け感覚で申告した。保険金が高額にならないように押さえるためだ。

船便は重さではなく大きさで値段が決まる。パッキングされた荷物は段ボール箱15箱と(小袖)箪笥一棹と折りたたみ椅子1つ。見積もりどおり3立方メートルに収まった。

着物の総重量は19、5キロになり、これも見積もりどおり20キロ内に収めることができた。ただし、裾の寸直しに出していた雨コートは間に合わなかったので、次回帰国した時に別の着物と共に送る予定だ。

着物関係の保険に対しては着物一着の申告上限が30万ということで、それに倣ったがそれでも高額だからと着物と帯は写真にとっておいてほしいとの申し出があった。私はそのことでより一層信頼を篤くし快く写真をメールで添付報告してもらった。

ユキもお手伝い.jpg

ユキは好奇心に燃えて始終ウロウロしていた。日通の人達は真智子たちの子供だと思っておられたようだ。(笑)

チャッピーは吠え続けるので家に入れてやった。
この頃太ったのかと思っていたら、いつの間にかプカプカの冬毛になっていたのを数日前に発見した。私はゆっくり撫でてやることもしないダメ飼い主だ。

荷造り中のチャッピー.jpg

早い時は大寒の頃から冬毛が抜け始めるチャッピーは冬毛が生えるのも早い。今年は特に早過ぎる!どおりで7月下旬から「ハア、ハア」と息苦しそうにしていたわけだ。
今日は立秋とはいえ、この猛暑である。あの毛皮では拷問に近い。

真智、フー、この時のチャッピーのことも忘れないでいてやってほしい。現在12歳と3ヶ月のチャッくんである。

では、母を偲びながら真智子に持たせてやった着物を記録しておきたい。
真智子と共に@.jpg

加賀友禅・袷・訪問着

真智子と共にA.jpg

加賀友禅・単衣・つけさげ

3. 大島紬_2.jpg大島紬2点4.大島紬_3.jpg

5.絞り_3.jpg絞り2点6.絞り_3.jpg

7. ぼかし・コート.jpg

ぼかしの道行きコート

二重太鼓にリフォームした袋帯.jpg

二重太鼓にリフォームした佐賀錦の袋帯、この他に帯3点

おもな小物類.jpg
新しく用意した主な小物類

梱包された着物類.jpg
梱包された和服

9時20分頃から荷造りが始まって、お見送りしたのは正午を過ぎていた。10日間ほど足の踏み場もなかった6畳間に空間が戻った。

このたびも呉服屋さん初め多くの方々の助けを頂いた。このあとも、船、空、トラックなど、日本や外国の多くの方々の手助けによってワシントンの住居まで運ばれるのである。
私はこのことに深い感謝と感動を覚える。


posted by 優子 at 15:26| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年07月31日

回想の時

真智子は中学校時代のノートや試験用紙だけではなく、今までの歩みを細かく記録保存しているので整理も並大抵ではないが、ようやく終盤に入ったようだ。

整理中に懐かしい写真を見せてくれることもしばしばで、私は遠い日々に想いを馳せる。
真智・中1の作品.jpg

これは真智子が中学1年生の時に作ったオルゴールだ。蓋を開けると「四季の歌」が流れる。藤本の祖父母の家の庭に咲くキキョウの花に魅せられてデザインしたという。

私はここに移ってくるまでキキョウにも気づかない22年間だった。見えるものも見えず、見ようとしなかったのだろう。花に気づき、「秋の七草」のキキョウが梅雨が明ける前から咲くので驚いたものだ。

私達が当地に移ってきたのは1999年4月で真智子の神戸大学入学式の前日だった。真智子はきっと夏休みに遊びに来た時にキキョウを見たのだろう。
キキョウ満開.jpg

今年も7月の初め(6月末?)から咲き始めて今も満開である。
咲いているのを知らなかった真智子に、今朝、教会へ行く時に案内すると感慨深げだった。

今朝の礼拝は夏季休暇中の牧師の代わりに同志社大学大学院の神学生が語られ、来週の平和聖日礼拝は高見敏雄牧師が講壇に立たれることになっている。

その日は家具が届く予定だったが予定が早くなったので出席できるので嬉しい。マチ・クマとの礼拝も今回の帰国では次週が最後になる。
マチ・クマの間から見える子供はユキだ。献金ご奉仕のユキ.jpg

7月から子供が礼拝に出席している時は子供も礼拝献金奉仕を担当することになり、ユキ1人で左半分の人々のところへ献金袋を持って回っている。

ちなみに、この4月から献金が終わると2階へ行き、10分から15分間ほどの短時間ではあるがCS(子供のクラス)が開かれるようになった。私達が早く来られないということでこのような方策をとって下さったのである。

今日は神学生を囲んで昼食会があったが、真智子があと1回お寿司を食べたいと言うので今日の昼食も外食した。その後、真智子と私は国分まで送ってもらって美容院へ行き、買い物をして帰宅した。かき氷器も買った。

夜はユキが楽しみにしていた花火をした。昨夏と違って大爆笑の花火大会になった。さあやり始めようと思ったら大粒の雨。たらーっ(汗)
大人は喜び家に入ると、「もう(雨の)音がしていないよ。イエッしゃまや!」と喜ぶユキ。雨は一瞬にして上がり、私達は再び外へ。わーい(嬉しい顔)

爆笑の花火大会!.jpg

優子:「良輔さんも(写真に)入って!」
良輔:「僕はこんな格好やからやめとくわ」
真智:「もう去年からその格好で(ブログにも)出てるよ!」(全員爆笑)

爆笑の花火大会A.jpg

これぞ日本の夏! 
夫はいい味を出している。楽しかったね。
アメリカ生活に疲れた時はパパの姿を見ると癒されるよ。

そういえば明日はPLの花火大会だ。遠くだが2階に上がると打ち上げ花火が見える。

日本では花火大会は8時から始まるのが一般的であるが、ミネソタでは10時から始まるという。8時ではまだまだ明るくてできないというのが理由だ。
あのミシシッピー川沿いで全米でもかなり大規模な花火大会があるそうだ。

マチ・クマのミネソタの夏も今年で終わる。
ミネソタでは7月21日か22日に荷物を出して、24日にミネソタを発ってワシントン入りする予定だ。

この「ミネソタ便り」にも終止符が打たれ、以後は「ワシントン便り」となる。真智子の、そして、マチ・クマの新しい季節の始まりである。


posted by 優子 at 23:58| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

女性の生き方 −dual career problem ―

ミネソタでも8月1日に引越し屋さんが見積もりをとってくれることになった。引越しは見積もりから少なくとも2週間後になると言われているので日数的にも余裕ができて安堵した。

今日は久々に昔のように真智子とおしゃべりし、このたびの就職活動について話を聞かせてもらった。以下は真智子が話してくれた要約である。
大学時代に経験した就職活動では、「結婚したら仕事はどうしますか?」と必ず聞かれた。
アメリカではそれを聞くことは法律で禁じられているが、仕事をしたい女性が女性として生きることは、結婚しても仕事をして生きることであり、お互いに生きていけるような採用が増えて欲しい。

スペシャリストはどこででも働けるわけではなく、2人共がこのキャリアを積んでいきたいという意志を持っている時に" dual career problem "に苦労している人が多いという。

ある大学では、(夫婦の)一人だけなら採用できるから、もう一人はその周辺の大学で就職口を探す方向で考えてほしいと言ってくれた人もあるが、同じ所に住みたいというのは理解されても、同じ職場で働きたいということはなかなか理解されなかった。

アメリカでも夫婦で仕事を探すのは難しく、「初めは別々になっても仕方ないと思った方がいいよ」という人が多かった。でも、そんな生活に希望は持てなかった。(ここに真智子の結婚観や人生観が鮮明に現われている)

結婚し母にもなる女性が働けるような社会を作るべきで、「多様性を認める」とは美しい言葉だがそれを実践するのはとても難しいことだ。それは他者を理解しないとできないことであり努力して達成できる社会である。

そうは思いつつも、就職活動の中、自分自身のジェンダー意識にも苦しんだ。
そんなに無理して社会に入っても自分の居場所なんてないのではないかと、昨年の12月から今年の2月半ばまでの就職活動中は絶望的に思うことも多かった。

そんな時にIMFに2人で働く道が開かれた。

2人で雇われることが素晴しいと共感してくれる人がIMFの中に居て、神さまが働いて下さりいろんな人が協力してくれた。こうしてこのたびもまた、神さまに期待することを体験させて下さった。

この話を聞きながら、真智子が小学校5年生の時にPTAの広報紙に書いたことを思い出した。年間(実質8ヶ月間)40枚発行した手書き新聞に「女性と社会」というタイトルで次ようなことを書いた。
我が国でも性別役割分業に対する疑問が起こり新しい歩みが始まっていますが、「男女平等」を言う時、女性が家から離れて職業を持つことが男女平等であり女性の自立だとするならば、それはあまりにも短絡的思考でありましょう。
画一化することが平等ではなく、単に職業に就くことが自立ではありません。

これからの女性は、職業婦人として、あるいは家庭婦人として生きるにしても、まず内なる自己をしっかり見つめ対決していくという真の自立をしていかねばなりません。

子育ての時と言っても限られた時間です。子供に手がかかる時も、人間にとって他では得ることのできない貴重な時であると思います。

男性も女性も共に社会や家庭のあり方を考えていく上で大切なことは、男性と女性が同じようになることではなく、両性が精神的自立をしなければ進歩するどころか後退していくでしょう。

女性とは、男性とは、・・・・考えてみたいテーマですね。

             
        (東大阪市藤戸小学校・PTA広報委員会/
         『ふじとニュース』No.40、1992.3.10発行)
                               より

どんなことも神さまと共に誠実を込めて一生懸命する真智子。
いよいよ活躍の場へいざなわれた真智子にみことばを贈りたい。

「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。
 (神の)御手が私とともにあり、災いから遠ざけて
 私が苦しむことのないようにしてくださいますように」。

              (第一歴代誌 4章10節 「ヤベツの祈り」)

今後もマチ・クマの背後で祈り続けよう。


posted by 優子 at 16:23| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

ワシントンへの荷送りでストレスフルな日々

食器だけではなく着物の用意もあって、次女夫婦のワシントン入りは引越しというよりも娘の嫁入りという感が強い。

23日は呉服屋さんの説明とアドバイスを聞きながら着物を選別するのに時間がかかった。そして、袋帯を二重太鼓にリフォームするために、長襦袢は寸直しのために預けた。

その時に選んで下さった中からいくつかを真智子が選別したのが25日。フーにユキの子守りをしてもらって、マチと必死でかたづけながら選んだ。

そして翌26日に再度呉服屋さんが来宅され、真智子が選んだ着物に対して、帯、帯揚げ、帯〆(帯じめ)を合わせて下さり、バッグや籠つき巾着(きんちゃく)、草履など、そのほかいくつかの小物を購入した。

そのあとで帯の締め方を教えて頂いたので、今回も3時間あまりを要したが何とかめぼしがついてきた。あと1回おさらいしてもらうことになっているから何とかなるだろう。
着付けの時はフーも同席してノートを執っていたので「Ph.D着付け補助クマ」も誕生した。わーい(嬉しい顔)

さて、最も懸念しているのがワシントンへの引越しである。IMFとの連絡の遅れなどもあり、引越し手当ての情報がわかったのは今月下旬に入っていた。

その間も次女夫婦は全てを神さまに祈りつつ、できることを最大限にやっていた。荷物整理だけではなく、ミネソタ大学大学院の先輩の方々にメールして参考になる話も聞かせて頂いていたようである。

この5年間、真智子たちはこのような大変な連続でここまで持ち運ばれてきたという。
「どんなことも神さまの介入なくしては(事は)成らないのだから、このたびのことも神さまに委ねてベストを尽くそう」との確固たる信仰に励まされる。


アメリカへの運送方法は2通りあるという。
IMFが指定している業者に頼む場合は、補助手当が十分あって送料の心配もないが、その場合は全て船便になる。
母国からピアノまで運んだ人もいるそうだが、船便で200万円となればベッドから家具まで運べる費用だと思う。

一方、一括方式のランプサム(lump-sum)だと規定額を一括で受け取り、自分で業者を選んでアレンジするので、色々こちらの采配でできる。例えば家具や書籍は船便にして着物は航空便でというふうに使い分けることができる。

しかし、前者よりも額が低く、その上にこの円高である。一括方式の手当を円換算すると大幅に目減りしてしまうが、2人はランプサムでするようである。


今は引越し屋大手2社に合い見積もりを取ろうとしている段階だ。国内引越しの場合のように営業マンが直ぐに飛んできてくれず来週初めになる。

これに加えて荷送りは日本からだけではなく、アメリカへ戻ってからミネソタの家の引越しもあるのでハードだ。
5年間のミネソタ生活では荷物を増やさないように生活してきたので量は多くないだろうが、アメリカへ戻ってから手配するには日数的に余裕がなくなってきた。

そこで今朝、家主さんに電話して見積もりの立会いを頼んでいた。幸いにして引き受けて下さることになり、あとは家主さんが運送屋さんと直接日程調整して立ち会って下さることになった。

私も気持ちはあっても体力がなくて情けない。あまりにしんどくなると気力まで萎える。
昨日の午前中は1時間ほど寝て、昼食の用意もユキの食後の歯磨きも次女に頼んだ。太志君も何回か歯磨きの仕上げをしてくれている。
税関の関係から荷物は自分でダンボールに詰めてはいけないとのことだが、多忙なマチ・クマにとってもありがたいくらいだ。

日本では放射能汚染肉のことでも大変なことになっており酪農家の苦悩は計り知れない。

また、アメリカ経済も深刻だ。8月2日の期限までに債務上限が引き上げられなければ、米国が債務不履行(デフォルト)に陥る可能性があると報じている。次女夫婦も経済ニュースを注視していた。

真智子たちがアメリカへ渡った2006年頃とは打って変わって、今ほどIMFの働きがクローズアップされ期待されている時はないだろう。この危機の時代にIMFに入って職に就くというのも神の計らいか。

急激な円高はどこまで景気が落ち込み、東日本大震災で落ち込み、アメリカの債務不履行が現実になれば、私達にどんな影響が及んでくるのだろう。もはや会社の体力も限界ではないかと心配でならない。


ともかく目下の急務は次女夫婦の引越しが順調に進み、日本とミネソタから引越しが完了することだ。
船便の荷物も部屋に納まるであろう10月半ば頃にひと息つけるだろうか。その時に今夏の出来事を懐かしく思い出してもらいたく記している。 

2週間後の今頃はアメリカに向かう飛行機の中だ。
真智子にしてやることはないか、ほかに持たせてやるものはないかと思い巡らす余裕もなく日が過ぎ、共に健康が支えられますようにと祈る日々である。


posted by 優子 at 23:24| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

歌って笑ったウィー(Wii)タイム

今朝は知子とユキは用事があって次女夫婦と4人で教会へ行った。私は今月初めての礼拝出席である。

その後、昼食を外食で済ませて4軒回って買い物し、真智子に持たせてやる衣裳タンスも決めてきた。

昨夜も着物のことで夕食を作れなくて外食に出かけ、その前夜は夫と知子の夕食がいらなかったので夕方遅くまで着物に時間を割いてお寿司を取った。このところ店屋のものが続いてウンザリしている。

ところで、次女夫婦が帰郷して既に1ヶ月以上も過ぎているのに何故今になってタンスなのというわけだが、IMFとの交信で先方の不手際で未だ詳しい引越し情報が入ってこないためだ。

しかし、もうこれ以上待ってはおられず近くの家具屋での購入となった。年配の店員さんは総桐の小袖タンスを強く勧めてこられた。

高価な着物のことを思えば桐は決して高いコストではないというのも重々承知の上だが、どんなに勧められても扱い方に心を配らねばならない桐タンスをアメリカへ運ぶ気はない。

しかし、せめてもの気休めにと内側だけでも桐材を使ったものにした。そのタンスは私が思っていたような大きさと概観で、真智子も気に入ってくれたので疲れが吹っ飛ぶほど嬉しかった!

帰宅したのは3時半頃になりユキも少し前に眠ったところだった。私は買ってきた物を片付けたあと2時間も眠ってしまった。目が覚めると6時前になっていた。

ところで、マチ・クマは学者夫婦だが実にユニークである。
今やインターネット隆盛の時代で、アメリカにいても日本のテレビ番組(「今週のベスト10」)をユウチューブで見ることができ、日本で流行っている歌謡曲もよく知っている。

今日はヤフーオークション(?)とやらで、真智子が中学時代に読んでいた漫画を落札したという。

また、2人は毎回帰国するたびにカラオケに行く好き者で、先週は任天堂の「ウィー」を購入して宅配されてきた。


先週はフーもまた倉庫に置いてある荷物整理で多忙であったが、その合間を縫ってセッティングしていたので、6時頃から夫の「ウィー」体験を皮切りに家族全員が楽しんだ。

そんなわけで、今日は私が生まれて初めてカラオケを歌った記念すべき日になった!
選んだ曲はアンディ・ウィリアムスの「ムーン・リバー」。真智とクマが上手に持ち上げてくれるので何曲も歌いたくなるほどだった。
私はポピュラーソングで夫は演歌専門。父親の歌を聞いて「日本へ帰ってきた気がするわー」とマチ。(笑)

今年の関西北越会の旅行では私もカラオケを歌おうかな。女性で歌わないのは私だけというのも少々情けなく思っているので、マチのように何事も楽しくできるようになりたい。

Wii @.jpg

Wiiでデュオ.jpg

マチ・クマは私の知らない今の歌謡曲ばかり。
クマ(フーとも言う)はラップも上手、これぞPh.Dラッパー!

Wii A.jpg

009.JPG

ユキが歌った曲は、「汽車ぽっぽ」、「ヤッホーしんかんせん」、「ABCソング」、「どんぐりころころ」。

↓ 次はボーリング。この格好見てよ!

ユキちゃん、Wiiでボーリング!.jpg

「ユキちゃ〜ん、指を放したからまたエラーだよ」。

マチ・クマはウィーを購入したので今後はアメリカでもカラオケができるとあって、ワシントンでの家探しの時にも壁は厚いかどうか聞いたところ、「分厚いコンクリート壁だから大丈夫」だって!

マチ・クマと一緒にいると、ハードでストレスフルな研究生活を上手にコントロールして乗り切っていたのがわかる。緊張度最大級の時はユウチューブのアカペラで讃美歌405番を歌っていたそうだ。

夕食や夫とユキの入浴を挟んで6時から10時過ぎまでのウィータイム。今日は本当に楽しかった。アメリカへ行くまでに何回できるかな?わーい(嬉しい顔) 揺れるハート

マチ・クマ、楽しい時間をありがとう!
大切な思い出がまた一つ増えました。
 附記:25日午前1時10分に記す。


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2011年07月23日

母が持たせてくれた着物をワシントンへ!

次女夫婦が帰宅して32日が過ぎ、滞在期間はあと18日となった。
マチ・クマは大学・大学院時代の本やノートなどを整理し、大量の論文コピー紙を私が裏紙に利用できるように半分に切ったりと休憩なしの忙しさである。

そして、私もまた今週に入ってから真智子に持たせてやりたい着物の準備で必死である。

次女は高校生の頃から着物に心を寄せ、自分で着物を着て楽しみたいという思いがあった。これからは国際舞台で活躍することになり、私生活や働きの場で機会があれば着物を着たいというので2着ほど持っていくことになった。

そこで真智子と2人で21日(水)は衣裳ダンスを、22日(木)は小袖ダンスの着物を一つひとつ取り出して写真に撮って整理した。

2日間とも台風6号の影響で少雨や曇天で非常に湿度の多い日だったが、日数がないので気になりながらも着物を風にさらした。 

誰か短期集中で着付けを教えてくれる人を紹介してもらえないかと、数日前から友人や知人にメールして尋ねてみようと思いつつも1日2日と日は過ぎていった。

そんな時、郵便局の帰り道で急きょ近くの呉服屋さんへ飛び込んだのだった。21日のことである。

すると快く教えて下さるというので、早速今日の午後1時にお訪ねして2時間の個人指導を受けた。
今日は肌襦袢から着物を着るまでを教わり、あと2回講習して下さることになっている。

そして、着物と帯の組み合わせなどを見るために1時間ほど来宅して下さることになった。

私は今秋60歳にもなるというのに着物のことは恥かしいほど知らず、深草色(?)だった油単もとっくに色あせて破れたままだが、恥かしいなんて言っておられない。

呉服屋さん(女性)は着物の数の多さと高価さに驚かれ、色や柄の良さに何度もうなっておられた。
無駄話は一切しないのに1時間どころか3時間にもなり、頭も体もクタクタで何が何やらわからなくなってしまって最後はもうソコソコにして終わった。
何点かお預けし、真智子用に必要な小道具も揃えて頂くことにした。

母は結婚の時の荷物を「遺産分けのつもりや」と一度だけ言ったことがあったが、着物だけでも当時の金額で2千万を下らないだろうと思う。

その殆どが着ていないものばかりで私はずっと苦になっていたから、1日目は「これで死に仕度ができた」と喜び、2日目になると只々母への想いで胸がいっぱいになった。

真智子は言った。
着物への思いは祖母への思いであり、「おばあちゃんがママにこしらえてくれた着物だから着たいのであって、ほかのは着たいと思わない」と。
親や祖父母の気持ちを大切にしてくれる子だ。

今は余りに忙しくて疲れているので感慨も感じないが、落ち着いたら亡き母との時間を取りたいと思う。勿論、父への想いも同じだ。懐かしい父と母を偲びたい。

そして、この機会に油単を新しく作ってもらうことにした。
「年を取ったら油単を紫色に作り直したらいい」と言っていた母。
しかし、今度も深草色(?)にして実家の紋を入れることにした。これは真智子の希望でもある。

箪笥も母が言っていたように洗いに出して本来の色に戻したいが、私が死んでからやってほしいと思っているのだが・・・


今夜の状態.jpg

今夜の部屋の様子。メチャクチャ。ふらふら
片付けるまで入室禁止。

いくつかの引き出しにも着物を雑に入れてあるので、必死でやっても片付けるのに1日仕事だ。明日の午後は買い物もあるので取り掛かるのは月曜日になるだろう。
真智、また頑張ろうね!
附記:24日午前1時半に記す。


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2011年07月20日

ミニSLに乗るマチ・クマを見て嬉しかった!

今回の帰国は40日間の長期滞在だったので、「ミニSL・関屋鉄道」にも乗車させていただくことになった。
今月の走行日は17日ということで、日曜日は教会から帰って大人もみな昼寝して夫を除くみんなで出かけた。夫は帰宅した時もまだ眠っていた。ムード

関屋鉄道@.jpg

私には真智が31歳になろうが経済学者になろうが、小さいときの真智のままだ。お姉ちゃんが楽しそうにしていたら真智にも楽しませてやりたい。

今日は機関車に乗った知子と真智子の喜ぶ顔を見て、私はとてもとても嬉しかった。特にこの日の朝は、不適切な言葉で真智の心を傷つけてしまったから。
ごめんね、真智。
常にイエスさまと一緒の真智に神の豊かな祝福あれ!


関屋鉄道A.jpg

昨夜教わった写真のトリミング第3作目。
7月11日の記事にも昨夜写真を掲載した。

関屋鉄道B.jpg


関屋鉄道のオーナーさんと.jpg

これが関屋鉄道の社長さんだ。

ユキと知子は3度目だが私は今回が2度目で、初回のことは過去ログに記録している。
http://yukochappy.seesaa.net/article/141128585.html

この美しい邸内を何周も走って下さり何度乗ってもOK!
しかも無料なのだ。
ご自身のお好きなこととは言え、他者のために庭を開放して楽しませて下さる○○さんの上に神の祝福がありますように祈った。

翌18日の祝日(海の日)は長女と次女と私の3人で買い物に出た。
50代から70代の母親が、結婚した娘と待ち合わせて買い物や食事に行く光景は私の憧れだったのかもしれない。

母は難病になってしまったから数回しか行けなかったので、母の闘病中や亡くなってからも同じ年恰好の親子を見ると羨ましくて、私はじっと立ち止まって悲しい気持ちで見ていたものだ。

そして、近年は母側の立場で見ているのだが、娘がアメリカ住まいとあってはこれまた断念するしかなく、それゆえに18日は嬉しかった。

両手には長女と次女!
これぞ娘をもつ母親の喜び!


しかし、クタクタになるまで(知子の万歩計によれば約7キロ)歩き回ったのに、買ったのは真智子のスーツ1着と色違いのボトム(私流にはズボン)にスカートなど5点だけで、カジュアルな服は気に入ったのが見つからず知子にも何も買ってやれなかった。

とは言え、真智子のスーツ購入は今回の第一目的だったのでよかった。
アメリカでは真智子のサイズだと「0(ゼロ)」サイズで、スーツだけは今後も日本で調達することになるようだ。

入社(?)すると2ヵ月後の11月に初めてのミッションが控えており、担当するエリア(国名)も伝えられてきた。

真智子はお気に入りのスーツをゲットして「これで大臣に会える」と笑ったので、「日本だと大臣はコロコロ変わるけれどね」と笑うに笑えぬジョークを返したが、あと3週間でまたアメリカへ行ってしまうのかと私は残りの日を数え始めている。

 
附記:原発事故により日本全国節電一色であるはずなのに、難波にあるTデパートでは全くその意識すら感じられなかった。歩き回っているのに何時間もいると体が冷え切ってしまうほどに冷やしていた。

今や誰でもがコンセントの向こうにはフクシマがあり、日本の危機的状況を感じながら生活しているというのに何たること!
地下街の店の中にも異常なほどに明るい店内(有名チェーン店)があった。

デパートに苦情を伝えるにもクタクタでそのまま出てきてしまったが、せめて我がブログを通して訴えたい。


posted by 優子 at 10:04| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

次女の結婚5年を経て真智子への想い再び

昨夜はフー(次女の伴侶)が故障中のパソコンを修理してくれた!
私たちがミネソタへ発つ直前の4月25日に突然に電源が切れて壊れてしまったパソコンだ。留守宅の長女と連絡取れなくなっては困ると、あの時すぐに電器店へ走ったのだった。
もう寿命だと諦めていたのに婿殿は見事修理してくれたのである!!!

002.JPG

故障の原因はハードディスクかと思っていたそうだが、電源を入れるとパソコンがひどく熱くなっていたのでファンが回っていないことに気がついたという。

そこでファンを取り外して掃除をしてくれた。写真に撮るのを忘れたが、パソコン本体にもファンにもホコリがたくさんたまっていた。
PC分解掃除.jpg

そして、ハードもチェックしたところ全て問題はなく、ホコリが故障の原因だった。毎日掃除していてもあれだけたまるのだからびっくりした。
「ありがとう思い出」がまた一つ増えた。

マチ・クマ(フー)は帰国中も我が家からIMFと連絡を取っているが、IMFはセキュリティが非常に厳しく毎回パスワードが違い、トラブルもあって何度か電話もしている。

勤務に先立っての引越しの費用はIMFが負担してくれるが、なにぶん異国への荷物ゆえにアレもコレもというわけにはいかないだろう。

今日はダンボール箱ひと箱分くらいの食器を選び、マチは午後も書籍類の整理にとりかかっていたが、私は相変わらず血圧が高く体調も悪いのでユキと一緒に昼寝した。

※ しかし、左目は昨日より回復著しく、今日は殆ど分からないほどになり、赤色のあとの黄みがかった色も殆ど消えている。

赤黒いレバー肉を貼り付けたような赤い目が6日間ほどでほぼ回復した。自然治癒力を与えて下さっている神さまと、祈って下さった方々に感謝します。


次女夫婦は先月結婚5周年を迎え、今ようやく真智子にも少しだけでもアレコレしてやれる嬉しさをかみしめながら今日は楽しい時間を過ごした。

しかし、嬉しさばかりではなく5年前の淋しさもよみがえった。
来月11日の出国までにワシントンの新居へ引越し屋さんから荷物を送リ出すことになり、私はもう一度真智子を手放さねばならないさみしさを味わっている。


娘のカメラにあった写真から卒業式の朝のスナップ。

卒業式の朝.jpg

ミネソタの家で。


posted by 優子 at 23:51| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年06月30日

IMFでの部署決まる

28日夕刻、マチとフーは無事に帰郷した。
今年は2月に会い、4月末には私たちがミネソタへ行き、そして今回の帰国と2ヶ月ごとに会える幸せな年になった。タクシーから降りてきた2人を出迎えた時、マチ・クマの背景にミネソタの空気を感じた。

1週間の東京滞在中に神戸大学や東大大学院の友人たちとの再会や用事を済ませ、それ以外はずっとK先生から提供して頂いた研究室にこもって研究に集中していたという。就職するまでに今手がけている研究をまとめておきたいらしい。

昨日もユキは一日中マチにまとわりついており、フーも保育のかたわらビザ申請など重要な用事をやっていた。
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夏は「スナメリ」と呼ばれているフー。

さて、ワシントンでの新居は15分から20分で通勤できる場所にあり、毎月の賃貸料も予定していた20万円を超えずにすんだと喜んでいる。

ユキの昼寝中にワシントンの住まいをビデオで見せてもらったが、夫や長女はまだまだ先のことになるだろう。

国際通貨基金 IMF(International Monetary Fund)は現在184ヶ国が加盟し2500名が働いている。そのうち日本人は50人ほどで、去年入ったのは一人、今年はたぶんマチ・クマの2人らしい。
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ワシントンD.C.のIMF本部

今まで学生ビザで渡米していたので、今後は国際機関で働く人のための「G4(ジーフォー)ビザ」に切り替えないといけないそうだ。かつて妹が国連の経済専門職員だった時、白いパスポートを見せてもらったことがあるが、このビザの名前は知らなかった。

真智子が配属されたところは" Area Department " の一つで、国と関係する仕事であり" Western Hemisphere Department " 北米・南米諸国を管轄する部署である。

そして、太志君は" Functional Department " の一つであるIMFの財務を担当する部署だ。ここは各国の出資金管理やIMFが発行している " SDR " (通貨)の管理をする" Finance Department " である。

共に最初の3年間でこの両方を経験しないといけないという。
転勤はないが1年に2〜3回出張があり、不穏な国に派遣される時はSP(security police・要人警護官)をつけてくれる。しかし、身の安全を第一にされるので危険な時は出向かなくてよいと聞いて安心した。

アメリカ合衆国の首都・ワシントン,D.C.は特別区になっているので、世界最小の主権国家バチカン市国を思わせた。治安はいいと聞いているがアメリカ合衆国の中枢ゆえにテロの標的にならないように祈るばかりである。

マチ・クマにとって日本の夏は5年ぶりだ。特に今年は6月からこの猛暑だが、蒸し暑さも懐かしいのではないだろうか。

真智子はこの度の滞在中にもう一度荷物の整理をして書物や食器なども運ぶようだ。ソファーや家具はアメリカで買うにしても、そこそこ大きな物でも日本からワシントンまでの送料をIMFが出してくれるとのこと。

次女夫婦はアメリカに永住するわけではないが、日本で落ち着くのは20〜30年先になるだろう。
毎年2週間の休暇があってもこのような長期滞在は今回限りだ。私は幸せをかみしめながら過ごそう。

「ユキちゃんが大きくなったら真智の部屋を使うといいね。机も使ってくれたら嬉しいな」
と、こちらへ引っ越してから購入した机のことを言った。

我が家から真智子の匂いが薄くなっていくようで淋しい。
5年前の夏がよみがえってきた。
しかし、ウェットにならないで9月からは「ワシントン便り」の新設だ。過ぎ去った日々に感謝して新しい日々を紡いでいこう。これからも互いに励まし合って。


posted by 優子 at 11:03| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

50日間の滞在予定で次女夫婦21日に帰国!

マチ・クマとサンフランシスコ空港で別れて早1ヶ月半が過ぎた。
その間、2人は博士論文の最終発表を終え、9月からのIMF勤務に向けて今月初めにはワシントンへ赴き住まいを探して契約してきた。
そして今日、ようやく博士論文を仕上げて提出し全ての予定を終えたとのメールが届いた。

そして、21日未明(ミネソタ時刻20日午後)の便で日本へ向かうことになっている。今頃は部屋の掃除と準備にかかっていることだろう。

今回は50日間ほど日本に滞在する予定で、まずは1週間東京に滞在し、関西に戻って来るのは28日夕刻の予定だ。

今年2月、就職活動で1週間ほど帰国していた時があったが、日本はあの時とは一変してしまった。時間を戻せることができるならば3月11日より前に戻したい。

しかも、今は大震災直後より悪い状況であり、もっと最悪なことにならぬとも限らない。
今、いったい何が起こっているのか。
もっと最悪な事態が起ころうとしているように思えてならないが・・・

先月のアメリカ旅行から戻ってくる時、私たちは飛行機の左側座席だったので日本に近づいた時も海面しか見えなかったが、右側窓際の座席ならば日本列島が眼下に見えてくれば壊滅した被災地が見えると思う。

成田空港に近づいて日本の地が見えてきた時、私は何とも言えない哀しみの情がこみ上げてきた。
真智子たちは母国の地を踏んだ時、どのような感慨を持つのだろうか。

現実を思うと悲しく重苦しい気持ちになるが、次女夫婦の5年間の労いと新しい門出を前にして、共に過ごせる日々を感謝しつついろんなことをゆっくり語り合いたいと思う。

附記として、今朝の毎日新聞の新刊書紹介欄「今週の本棚」に目が止まったので書いておきたい。娘が経済学をやっているということから『経済成長とモラル』のタイトルに惹かれて興味深く読んだ。

記者は冒頭でM・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について触れており、昨日のクリスチャンペンクラブ例会で取り上げた有島武郎の世界にも関係するので益々面白かった。
(※ クリスチャンペンクラブ例会の記事は明日に書く予定だ。)

資本主義の形成とプロテスタンティズム(特にカルヴィニズム)の間に因果関係があると考えたM・ウェーバーであるが、大田先生の著書『祈りとしての文芸』から関連箇所を引用したい。

プロテスタンティズムの信仰においては、「職務遂行の精神は、近代的・合理的な資本主義の『精神』に適合していた。禁欲的労働によって蓄えられた金は、禁欲であるから浪費されることもなく、再び営利追求のために使われることになる。

このようにプロテスタンティズムの信仰が資本主義の発展に作用したが、近代化とともに信仰が薄れていくと、営利追求自体が自己目的化するようになり、拝金主義の資本主義に添加していくのであるが。

もともと「内からの動機」であった営利追求が、「外圧的動機」に変貌していくというのである」。


こうしたウェーバーの信仰理解は誤解を生み、カルヴァンの予定説もまた多くの誤解にとらわれた教理であると書いておられる。

『経済成長とモラル』は19世紀以降のアメリカを素材に経済循環とモラルの相関関係を、文芸作品から統計データまでを丹念に分析したというもので、経済学に疎い私も読んでみたいと思わせる本だ。

その記事の最後には、「地主敏樹ほか訳」と書いてあったからびっくりした。
地主先生は次女が神戸大学でお世話になり結婚式にも集って下さった恩師のお一人だからだ。

大学卒業後も真智子とは文学論から世界観まで、何回もエンドレスで話が弾んだものだった。これからの日本のことを語り合い、経済学者の助言を聞いてみたい。

滞在中はまたまた寝るのが遅くなりそうだが体力に自信がなくなったので無理はできない。無事帰国と再会を祈りつつ掃除に精を出さねばと思う。

posted by 優子 at 23:03| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

ミネソタへの旅 最終回 ―娘夫婦から贈られた言葉の花束―

サンフランシスコ2日目の夜、真智子と太志君からカードをもらったことが今回の旅の最大のハプニングだった。
真智子と太志君から贈られた言葉の花束.jpg
真智、そして、太志君へ:
私は今、トニー・ベネットの歌(http://www.youtube.com/watch?v=Kee9xdQbQ4s&NR=1)を聞きながらこれを書いています。胸を熱くし涙ぐみながら人生で最高の時を刻んでいます。

ママとパパへ

今回は2人揃ってミネソタまで来てくれて有難う!
それになれないくま&真智のおもてなしを喜んでくれて有難う!本当に嬉しかったし、本当に楽しかった。

今まで真智を愛して、ずっと支えてくれたママとパパに感謝の気持ちで一杯です。
約10年前に経済学に目を輝かせていた真智は、今も希望に目を輝かせています。有難う。

パパとママの新婚旅行から35年。
2人と一緒にサンフランシスコを歩くなんて夢みたい。35年前の2人の姿に想いを馳せています。そして、2人の姿が愛しい。イエス様がずっと2人を導いて、2人は今日まで来たんだな、と思います。
(何度読んでもここで涙があふれてしまいます)
結婚35周年、本当におめでとう!!!
                    真智子

真智とハネムーンの地を踏む.jpg

ケーブルカーから.jpg

良輔お義父さん、優子お義母さん

ご結婚35周年、おめでとうございます!!
こうしてミネソタ、サンフランシスコとめぐり、僕らの卒業と併せて、とても楽しくお祝いできたこと、本当に嬉しかったです!来てくださって、本当に有難うございました。

卒業までの5年間、お二人の優しさと愛に、本当に支えられました。僕を家族として受け入れてくださり、理解して励ましてくださったこと、心から感謝しています。

今回の旅行で、少しでも僕の感謝の気持ちをお伝えできていたら嬉しいです。くま喫茶は奈良にも出張しますので、ぜひ呼んでください。(^^)

これからもたくさん楽しい時間をご一緒いたいです。
お2人の35周年に、主の恵みが多くありますように!!
                    太志

このカードはミネソタを発つ前夜に書いてくれたそうだ。

真智 ありがとう。
太志君 ありがとう。

忙しい日々なのに、なんと多くの時間を割いて考えてくれていたことでしょう。心のこもった計画を立ててくれたこと、最高のおもてなしを受けたことを忘れません。本当にありがとう。

これを書いていると、あの6日間が永遠に色あせない思い出に結晶していくようです。


朝食では香り高いコーヒーにマフィンや幾種類ものフルーツが盛られたお皿、「くま喫茶」はとってもおいしかったよ!

dinner.jpg

しかし、ミネソタでゴボウのキンピラや手作りの揚げ出し豆腐をご馳走になるとは思わなかった。
一生懸命ささがきごぼうを作ってくれているクマの姿を想像して微笑ましく思いました。本当においしかった。ありがとう!

手作りの揚げ出し豆腐にチンゲンサイの入ったあんかけ、手に入る食材で真智のお料理のセンスと味は最高だったよ。

料理好きな真智が楽しさを伝えながらクマも料理ができるようになるって素敵ね。きっと子育ても子供の能力をうまく引き出して伸ばしていくことでしょう。

ママは若い頃、実家へ帰ると全く動かなくて全て母にやってもらっていたけれど、このたびはコップひとつ洗わなくてごめんね。

居心地がよくて、マチとフー(くま)の見事に息の合った空間の中で、すっかりくつろいでいました。ミネソタの家は本当に温かい愛の巣だった!

これからファイナルディフェンスとワシントンでの家探し、それらを終えて6月半ばに帰国予定とのこと、ハードな予定が詰まっているけれど帰国を楽しみにしています。

今まで神さまから賜った導きと恵みを感謝し、いよいよ真智子と太志君が神さまに豊かに用いられますように祈っています。

「真智たちも結婚35周年にはもう一度サンフランシスコの地を訪れるといいね。その頃には私達はとっくに地上の生涯を終えているけれど、この日のことを思い出してね。」
と、陽射しいっぱいのタイムズスクェアで言った時、真智の目にも涙が光ったね。

遠く離れていても真智はいつもママの中にいる。
ありがとう、真智ちゃん!
真智、いい人生を生きるのよ。これからもイエスさまと一緒にね!

始発駅で.jpg

お祈りして下さっていた方々に心から感謝しつつ・・・
(「ミネソタへの旅」 完)

                      
posted by 優子 at 11:39| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

ミネソタへの旅 E ―次女夫婦と思い出の地を再び―

昨日は関西で真夏日になった所もあり、当地でも29.7度になった。帰国後の2日間、電気毛布を入れて寝ていた(>_<)が、いよいよ暑くなって昨日は毛布をめくって綿シーツと夏の掛け布団に交換した。

5月1日(日)のミネソタは小雪が舞う寒さで最高気温は6度だったのに、明日(10日)は29度になっているからミネソタの激変ぶりにはびっくりする。

さて、ミネソタへの旅の後半は4人一緒に2泊3日のサンフランシスコの旅に出た。
娘夫婦は私達にミネソタの乗り物を全て乗せてあげたいからと、5月1日の朝は路面電車(light rail)に乗って町を外周して空港へ向かった。

駅に着いた時、新聞販売機からビンラディンの顔と見出しが目に飛び込んできた。

ビンラディン死す.jpg

「アメリカがビンラディンを殺した」
「オバマが殺せと命令した」

オバマ大統領はクリスチャンではなかったのか?!
一国の頭ともなれば個人的な信仰信条とは一致しないのか?!
衝撃的なニュースに震撼し、キング牧師だったらこのようなことをしただろうかといろんな思いが去来した。

ミネソタやサンフランシスコでは何事もなかったように静かだったが、その夜のニュースでビンラディンの殺害を喜ぶ米国民の姿を見て、私は得体の知れない恐れを感じた。
テロがテロを生む。
私の中で重く深い沈黙が落ち、夫や娘達も話題にすることはなかった。

空港での身体チェックで靴を脱いで歩いて行かねばならないことは聞いていたが、男性はベルトも外さねばならなかった。

そして、サンフランシスコから日本へ向かう時には両手を上に高くあげて立ち、その瞬間にカプセルのドアが締められてのX線照射によるチェックがあった。まるでピストルを突きつけられている時の格好なので怖かった。とても怖くて緊張した。

空港で知り合ったインド人女性は「ビンラディンの影響でしょ」と笑っていたが、私の緊張は相当なもので通り抜けた時にはストレスで疲れてしまった。


では再び思い出のスナップを心に焼きつけながら娘夫婦との日々を刻んでおきたい。

これは路面電車に乗り込むところ。
路面電車に乗ってMSP空港へ.jpg

米国では乗り物が右側通行であるからバスや自動車は左側から来るのに、私はいつまでも慣れなくて最後まで右側を見て乗り物を待っていた。ふらふら
ミネソタドーム.jpg

ミネソタ・ツインズの本拠地、ミネソタドーム

MSP空港.jpg

↑電車のあと"metro transit"(?)だったかに乗り継いでミネアポリス空港に着いたところ。

そして、ミネソタからサンフランシスコまで飛行機で4時間。
サンフランシスコではハネムーンで泊まったヒルトンホテル隣りのハイアットに泊まった。チェックインを済ませて早速サンフランシスコ湾のクルーズに出かけた。

サンフランシスコ湾クルーズ.jpg

サンフランシスコも肌寒かったけれど陽射しの強かったこと。
まさに" golden sun "だった!


サンフランシスコ湾シークルーズ.jpg

後ろに見えるのは翌日に見学したアルカトラズ島。
あのアルフォンス・カポネが収容されていた刑務所だ。

「ピア39(pier:埠頭) 」では5月から10月まで
アシカ(Sea lions)が何百頭もいるそうだ。

アザラシとアシカ.jpg

フィッシャーマンズワーフA.jpg

楽しみにしていた「ファーマーズ・マーケット」は木曜日が定休日だと聞いていたので残念だったが、この店はハネムーンの時の光景を思い起こさせた。あの時、目の前で絞ってくれたオレンジジュースの味は今も忘れられない。

さんふらんしすこ.jpg

サンフランシスコB.jpg

サンフランシスコ再び.jpg

今から35年前のハネムーンでは最初から最後まで手もつながなかった。
良輔は私があんなにアメリカに憧れていると知っているにもかかわらず、飛行機の窓からついにアメリカ西海岸が見えてきたのに窓際に席を変わってくれなかったのだ。

変わって欲しいと言えば変わってくれたに違いないが、言わないとわからないという鈍感さが嫌だった。夢見る夢子だった私は、あまりのムードの無さに気持ちを切り替えられなかった。私もまた何という幼稚さ!

次の写真は思い出のユニオンスクエア。
あの時、私達は夕食に組まれていたレストランの1つ、「パムパムイースト」へ行こうとしていた。

感慨深いユニオンスクエアで.jpg 

「店はそっちと違うで」said Ryosuke.
「私はこちらから行きたくて歩いています」と答えたものの、方向音痴の私は全くわからなかったので彼が先になるように歩くスピードを落とした。この人は外国でも方向だけはわかるんやなと思った。
「良輔さん、あの時のこと覚えてる?」

そのユニオンスクエアに次女がいる。真智子の伴侶と共に。

ユニオンスクエア.jpg

ユニオンスクエア.jpg

ふふふ・・・.jpg

サンフランシスコでのディナー.jpg

1泊目の夕食はフィッシャーマンズワーフのカニ料理で有名な店(名前忘れてしまった)をリザーブしてくれていた。

フイッシャーマンズワーフ名物のカニ!.jpg

2泊目の朝食はユニオンスクエア近くにある有名な"Sears fine Food"(http://www.searsfinefood.com/)でパンケーキを味わい、昼食は再びフィッシャーマンズワーフに戻ってこの店先で名物料理を味わった。

その夜は" 5th floor ?なんとか"のレストランを予約してくれていた。
外国なのにまるで地元大阪の店を検索して来たみたいで、世界がこんなに綿密にネットで結ばれていることに仰天した。

そこは写真を撮るのを遠慮してしまうような雰囲気のレストランで、お料理もサービスも最高だった!

いつでもどこでもマイペースの夫は、「アメリカは日本と違って、お皿にパンが無くなると何も言わんでもすぐに持ってきてくれるからええな」と、4回お代わりしたと満足そうに笑っていた。食べ過ぎ!

私達はご馳走と歓談で時間を忘れ、店を出たのは10時になっていた。

マチ・クマは時間をかけた心尽くしの準備ともてなしだけではなく、就職祝いをしてやりたい立場の私達にサンフランシスコの旅をプレゼントさせてほしいと、費用をどうしても払わせてくれないようだ。

そして、この夜ディナー席に着いた時、2人から私達にカードが手渡された。
読みながら胸が熱くなって声がつまった。その言葉を次に刻んで「ミネソタへの旅」を閉じたい。


なお、「お気に入りリンク」にある「真智子のギャラリー」http://picasaweb.google.com/fkomachi に、このたびの写真集も記録公開されている。

                         (つづく)

posted by 優子 at 16:04| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

ミネソタへの旅 D ―娘と娘夫婦の日々の中に―

(ミネソタ時間)4月29日金曜日の晴天と打って変わって翌日は雨だった。真智子たちが予定してくれていたアメリカのスーパーマーケット見学は小降りになった昼下がりから出かけた。

ここは昨年帰国した時にグーグルアースで見せてもらっていた所で、真智子たちの足跡を訪ねたくて見学を希望した。

買い出し先のスーパー.jpg

5年間通ったスーパーマーケット「レインボウ」。このスーパーで揃わない米やゴボウ、味噌などの日本食材はアジアン・スーパーで買うそうだ。

アメリカ産は何でもデカイ!.jpg

ご馳走になったイチゴもすごく大きかったけれど、ナスやキュウリもこんなに大きい。
「ポパイ」に出てくる缶詰のほうれん草ではないが、アメリカと言えば何でも缶詰かと思っていたら、新鮮な野菜も豊富で青ネギまで常備されていた!

rainbow2.jpg

ハムの塊もこんなに大きい。

日本ではこの10分の一くらいの大きさで売られているのに、牛乳も1ガロン(3.78リットル)入りだし、アメリカは何でもデカイ!
人もデカ〜〜〜イ!
アメリカで私はスリムだと言われたのだから!

アメリカのお菓子は甘すぎるからと、真智子が日本からクッキーを持って行く気持ちもわかる。
前日のセレモニー会場に大きなクッキーとレモネードが用意されていたが、そのクッキーの甘かったこと!

女性も男性もみんなよく食べていた。
それを平気で2枚続けて食べる日本人(夫)にもびっくりしたが、「これでは(アメリカ人は)肥えるわ!」の言葉連発のアメリカ旅行だった。

foodshelf.jpg

これは「フードシェルフ」と呼ばれるもので、500円くらいの食料が入っている袋を買って出口に設けられているこの箱に入れて寄付するのだそうだ。

私達が店を出た夕方には大きな箱が一杯になっていた。日本では見ない日常的な寄附行為に感じること大なり。

また、イースター・グッズが半額から75%オフで売られていたのも外国ならではのものだ。卵やうさぎのおもちゃ、卵で作ったリースなど格安だったから買おうかどうしようか悩んだが、迷いに迷って結局買わなかった。せめて写真だけでも撮ってくればよかった

レインボウ前の表示.jpg


スーパー前のバス停.jpg

スーパー近くのバス停。
バスに乗るのは5分ほどだが、自家用車も運転免許も持っていない2人はバスに乗っての買出しだった。

大学時代も学業に燃えていた真智子は、駿台予備校で教えていたアルバイトも1年間で断ったほどで、運転免許取得に割ける時間は全くなかった。ようやくワシントンに移ってから2人揃って免許を取るようだ。

stop requested.jpg

"stop requested"

次の駅で下車する時はベルではなく、バス中に張り巡らされている紐を引っ張って知らせるのはワシントンでも同じとのこと。これならどこからでもできるのでベルよりもはるかに便利。レトロ調なのもいい。

こうして5年間、雪の冬もリュックを背負い、キャリーを持って買い出しに通った2人。

買い出し光景.jpg

愛しい真智子。
22歳から親元を離れて生きてきた真智子。
これからもこうして2人で歩いていくのね。助け合って・・・
なんて素晴らしい光景だろう。

                              (つづく)

posted by 優子 at 07:00| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

ミネソタへの旅 C ―Ph.D授与、日本人の経済学者2名誕生!―

Ph.D授与式はミネソタに到着した翌日4月29日午後1時半からだった。
その日の朝はマチ・クマがアルバイトしていた" Minneapolis FED "へ案内してもらった。ここは日本銀行にあたるアメリカ合衆国連邦準備銀行の一つであり、紙幣も造られている。

そのホームページに紹介されている娘夫婦を今ならまだ見ることができる。(今月末まで掲載されている)
http://www.minneapolisfed.org/research/economists/gradstudents.cfm

真智子が渡米して以来重ねてきたメールの中で今も心に残る印象的なメールがある。
それは過去ログ・2010年5月18日に掲載しているが、昨年の今頃はまだまだ知子のことが心配で重苦しい日々を過ごしていた私の心の奥深くに、ミネソタのキラキラ光る日差しが神さまの光のように届いたのだ。

メールありがとう。
こちらも、土曜日からとても暖かくなって、今日は夏のような美しい日です。ミネソタの気候は、この時期が一番素敵だと思う。
真っ青な空、強い日差、きらきら光るミシシッピ川、さわやかな風・・・。
昨日からバスの定期が切れたので、自転車でミシシッピ川沿いの道を自転車で走ってFEDに通っています。最高に気持ち良かった。

このメールをもらった1年後に、まさか私達夫婦がマチ・クマと一緒にミシシッピの川沿いを歩いてFED(フェッド)まで行くなんて、全く思いもしないことだった。

mississippi.jpg

2人はいつもはこの道をバスで通っていたそうだ。後ろに見えるのはミネアポリスのダウンタウンだ。
歌にもある「オールドマン・リバー」の別名をもつアメリカの母なる川ミシシッピ。このあたりはミシシッピ川の源流に近い上流付近だ。

ミシシッピー川上流.jpg

FED近くの景色はここをクリックを!
川に沿って歩いて行くと、この写真右端に着いた。(http://www.minneapolisfed.org/news_events/events/

FED.jpg

ここはセキュリティが厳しくて身分証明書がないと中に入れないので、正面玄関前でパチリ!
シャッターを押して下さった方はFEDに入って行かれた。

FED2.jpg

このあとバスに乗って真智たちが愛用しているレストランへ。

4.29、ランチ.jpg

店内も窓から見える町並みもテレビドラマで見ていたアメリカそのままだった。私は娘時代に夢見ていた1950〜60年代のアメリカを想像しながらランチを楽しんだ。

アメリカは完全なカード社会でバス代からコーヒー1杯まで、旅行中に一切お金のやり取りを見なかった。サンフランシスコで「現金だけ」というのを一ヶ所見ただけだった。
そして、バスに乗って大学へ。
commencement0.jpg

セレモニーが始まる前の2人。
後ろに見えるのはセレモニー会場前方にある陸上競技場だ。

いよいよ修士と博士の学位記授与式会場へ。
マチ・クマは集合場所へ行き、ここからは私達だけになるので緊張情況に切り替えて入って行った。

会場はキャンパス内にあるアイスホッケーの競技場で、
リンク内に設けられた卒業生席の手前の集団が博士号取得者で、
向こう側は修士取得者だ。

2011.4.29 プログラム.jpg
博士号授与式A.jpg

1人ずつ名前を呼ばれて壇上に上がり、博士号取得者には
学長より「Ph.Dブルー」のガウンをかけられた。
 

授与式 @.jpg

おめでとう!
アメリカの大学では卒業式を"commencement"と言う。
この言葉には「新しい出発、スタート」の意味がある。

9月からIMFでの就職が決まり、夫婦揃っての入局は
日本人枠を広げた感がある。
 

COMMEN~4.jpg

「IMFから奨学金を頂き、これからは給料を頂くけれど、それらは日本政府から出ているものだから、日本のためにも貢献したいという気持ちだ」と話していた真智子。
 
これからも学問と高い品性を磨き続け、「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)」(新島襄の言葉)なる人物として、個性豊かに良心を手腕に大いに活躍してほしい。

では、もう一度大きな声で、
”congratulations!”
                          
                          (つづく)

posted by 優子 at 07:56| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

ミネソタへの旅 B ―広大なミネソタ大学キャンパス―

到着した午後に大学を案内してもらった。
昨春のミネソタは暖かかったそうだが、今春は寒い。薄手のオーバーを着ていても寒かった。
マイナス何十度にもなる時の寒さはこういう感じだそうだ。零下30度にも耐えうる防寒着を着ていても、このような寒さを感じるという。

大学のキャンパスはとにかく広い。
東大本郷キャンパスの広さの10倍?20倍?、いやもっともっと広いだろう。
とにかく大学の敷地という感覚ではなく一つの町なのだ。建物は5〜6階建ての高さに統一されてホッとする美しい景観だった。

campus_connector.jpg「キャンパス・コネクター」と
呼ばれるバスがアチコチで走っていた。

バスは私たち部外者も全て無料だ。大学院生たちの住居が集まっているマチ・クマの家界隈にもバス停があり、長く待たされることなく多系統に数多く走っている。

キャンパスコネクターの中.jpg

これがバスの中、「M」はミネソタ大学のマークだ。
次の駅でたくさんの学生が乗ってきた。

classroom.jpg

ここはクラスルーム。
マスプロ教育の日本と違って、このような20〜30人用の教室がたくさんあり、多くの部屋で授業していた。真智子はこの2倍くらいの大きさの教室で教えていたそうだ。

GopherWay.jpg これは「ゴーファーウェイ」。

"Gopher Way"(リスの道)は、ミネソタ大学のキャンパス内の情報案内システムとして開発された。ミネソタ州の愛称は"Gopher State(ジリスの州)"で、ミネソタ大学はリスをマスコットとしている。

とにかく冬は零下30度〜40度にもなる極寒の地ゆえに、外に出なくても別の校舎に行けるように地下でつながれている。ダウンタウン(中心地)のビル街も同様に、2階から橋渡しされている廊下でビルとビルがつながれていた。

マチ・クマの家の前の木や芝生でも何度も見かけたリスは真冬にもいるという。道路でも走っていたので自動車で轢かれるリスもいるに違いない。小さくてとっても可愛かった。

office.jpg

ここが真智子のオフィスで4人部屋だ。太志君は一階上にある。
ちなみに次の写真が東大大学院時代のオフィス(研究室)だった。
高校生に間違えられていた24〜5歳の時の真智子。
やっぱり今よりもっと若いね! 

東大大学院時代・ピンクのお洋服.jpg

CarlsonSchool.jpg

ここも大学内の建物の中だ。
まるでホテルのロビーにいるようなゴージャスな雰囲気だった。

(この時のパパは疲れて笑顔も消えていたねかわいいつづく)

posted by 優子 at 10:22| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

ミネソタへの旅 A ―ミネアポリス・セントポール空港でのハプニング―

ミネアポリス・セントポール国際空港に着いたのはミネソタ時間4月28日の午後1時頃、日本との時差はマイナス14時間だから日本では29日午前3時頃だ。

12時間の飛行中に眠れたのは1時間ほどだったからしんどかったが、飛行機から出た瞬間から疲れを忘れた。

税関チェックでは「どこに泊まるの?」から始まったので「娘の家に」と、不完全な英語ながらも緊張感なく聞かれたことを話していたら、「あなたの英語はとってもいいよ」なんて言われて嬉しくなって税関を通過した。

アメリカ人の陽気さというか、英語のもつテキパキな雰囲気に魅了されて、何も考えずにすぐ前の列に並ぼうとした。

私達はベルトコンベアにキャリーとスーツケースを乗せた。
すると、「MPS」だったかミネアポリス・セントポールのタグに気づかれた係員に声をかけられてハッとした。(Oh,help)

「そう、私達ミネアポリスです!」
「ほかに荷物は?」
「もう一つ、黒いのが」と言った瞬間にベルトコンベアをストップさせて、「どんな荷物?」と聞かれた。
「黒いキャリーバッグ、これと同じ色のリボン(がついている)」
と言った瞬間に、ベルトコンベアの上を歩いてカーテンの向こうに行ってバッグを探して取って来て下さった。

私は好調な出だしの税関通過で嬉しくなって危機一髪で荷物を別便に積むところだった。ふらふら

セントポール空港はハブ空港になっており、入国審査や税関を終えた人の殆どが別便に乗り継いでいた。税関で並んでいた時に、出る場合と乗り継ぎについて日本語でもアナウンスされていたが、麻薬を探知する小さな犬が気になってよく聞いていなかった。

とにかく無事に事なきを得てドアを出ると、そこは待ち合わせ場所になっているバッゲイジ・クライムだった!わーい(嬉しい顔)

「それにしても真智たちが撮ってくれていた空港案内写真の景色は全くなかったねえ」と夫に話しながら・・・ドアを出て辺りを見た。

いよいよ再会を喜び抱き合える!
と思いきや・・?・ん?・?・・マチ・クマの姿がない。
がく〜(落胆した顔)
端から端まで歩いて探したがいない。

会えない時はこのあたりのベンチに座っていたら見つけてくれると言うが、全く来る気配がないので真智子の携帯電話に連絡することにした。

紙幣や多種のコインを持たせてもらっていたものの、さて公衆電話にいくら入れればいいのかわからなくて近くの人に聞き、ついでにコインを見せて選んでもらった。ふらふら

するとその時、通りがかりの人が「この携帯を使っていいよ」と自分のを差し出して下さる方がいて、その親切さに驚きながら心から感謝して辞退した。

私は"No,but thank you anyway." と言うべきところを、日本語的に"Thank you,but no anyway."と逆さまに言ってしまったことにあとで気がついた。

そして、受話器から"Hello"と真智子の声。
「ママだけど、真智、どこにいるの?」
真智子は私達がまだドアの内側にいると思ったのであろう。階段を降りるように言われて降りると地上階だった。これはダメだと思って目の先の方に見える案内所に向かった。

私は絶対に会えるという安心感があったのでさほど不安はなかったが、この時はもうカタコトの英語も出なくて単語だけのブツギレもいいところだった。ふらふら

そこで真智子の携帯電話番号を見せてかけてもらうことにした。
「娘さんは英語を話せるの?」
「Of course.very well.(勿論、よく話せるよ)」と答えたのだった。
真智子にこの場所を説明してくれていた。しばらくしてもう一度かけ直して場所を詳しく説明してくれていた。

真智子たちが来るまでにいろいろ話しかけられ、ミネソタ滞在のあとは35年ぶりにサンフランシスコに行くと話し、「サンフランシスコはミネソタよりもいいよ」と言われたところで、マチ・クマがこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

そこで、"Thank you very much. You are our Messiah!"(あなたは私達の救世主だ!)と感謝の気持ちを伝えると、彼は左手を胸に当てて満面の笑みで喜んで下さった。

見るからに善良な男性だった。あのとき一緒に写真を撮らせてもらっておけばよかった。
税関チェックの人、携帯電話を貸してくれようとした人、そして、ここでも最高に親切な人に恵まれ、神さまのご配慮を強く感じていた。


ところで、かつてブログに記録した空港案内写真はデトロイト経由でミネソタに戻った時のもので、つまり国際便ではなく国内便から出て来た時のものだと気がついた。ちっ(怒った顔)
(2013年2月21日追記:その記事にも何人もの人が訪ねて下さっているので、訂正しておかねばならないことに気づいて加筆する。)

先ほどは10〜20メートルしか離れていない所で電話し合っていたようだ。夫は「真智らは絶対遅れて来たんやで」と何度も言っていた。わーい(嬉しい顔)
ミネアポリスセントポール空港で再会!@.jpg

こうして無事再会!(^0^)
夫の嬉しそうな顔!!!

ミネソタセントポール空港で再会!A.jpg

このあと"Shared Ride Vans"(乗り合いタクシー)に乗ってマチ・クマの家に向かい、しばしのアメリカンライフが始まった。るんるん

                  (つづく)

※ 13:20、たった今、「真智子のギャラリー」に今回の写真がアップされているのを見つけた。右画面の「お気に入りリンク」にある「真智子のギャラリー」をクリックして頂くと、その画面の左上に出ているのでご覧下さい。

私はカメラの操作ミスで多くの写真を削除してしまったので、ここから頂いて記録しておきたい。


posted by 優子 at 12:15| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

ミネソタへの旅 @ ―家を出て日本を飛び立つまでの緊張の9時間半―

昨夜遅く5日に日付けが変わる寸前に最終電車で無事帰宅した。サンフランシスコ空港で真智子夫婦と別れて23時間後ぐらいだと思う。

ミネソタとサンフランシスコの時差が2時間、日本に着いてからも時計の針を動かしたから、トータルでどれだけかかったか混乱してわからないが、徹夜してずっと30時間以上起きている計算になると思う。

疲れていても昨夜も4時間しか眠れず昼寝もできなかったが、良い天気になったので何度も洗濯機を回しながら殆ど後片づけを終えた。今回も昼に眠っていないのでタイムラグから早く抜け出せるだろう。

ミネソタ・サンフランシスコへの旅は私達夫婦にとって想像以上に意義深い旅だった。留守を守ってくれた知子と幸悠にとっても意義深い1週間だったという。

ミネソタへ発つ前夜は緊張して少ししか眠れず、当日4月28日朝の血圧は(177/101)と高く、心配しながら朝7時の電車で出発した。

8時半に伊丹空港に到着したはいいが、娘婿に取ってもらった「Eチケット」をどうすればよいのかわからないことがわかった状態になり、脳をそれまで以上にフル回転させて頑張った。

そして、航空券に発券し荷物を預けて手続きを終えたのが9時、「まずは第1関門通過やな」と夫の一言に笑った。

飛行機を間近で見るとすごい迫力だ。こんなものが空を飛ぶのだから恐い。血圧が上がっていくのがわかった。

娘たちが大学生の頃、知子や真智子を関空へ見送りに行った時は上昇気分が喚起されて胸がワクワクしたものだが、それは50歳までのこと。「墜落事故死した時は遺った者たちをお守り下さい」と、私は覚悟の祈りをしていた。

成田空港着、第2関門突破。

そして、ミネアポリス・セントポール空港行きの搭乗手続き完了、これで第3関門突破。

デルタ航空の飛行機に乗り込むと、そこはもうアメリカだった!
日本人がほとんどいない!
私はガリバーの気持ちだった。
よくぞこんな外人の国で学問を修めて博士号を取り、しかも教科書やニュースに出てくる国際機関で働くとは!
そして、その父と母が私達だなんて信じられないことばかりだった。


夕方4時25分、離陸。
真智子と太志君が日本を離れてアメリカへ向かった時のことを思って目頭が熱くなった。学問への情熱だけではなく不安もいっぱいあったことだろう。
よくやったね、真智!
太志君!


Mt.Fuji.jpg

機内から見た富士山はとても美しかった!

               (つづく)

posted by 優子 at 22:42| 真智子(ミネソタ便り) | 更新情報をチェックする