2017年04月27日

チャッピーがでてきたよ!

IMG_4400.jpg
私の不在中に帰宅した日のユキの置手紙

朝早くから午後3時前まで外出した25日のこと。まん悪く今週は家庭訪問のため午後1時過ぎに学校から帰ってくるというので困ったが、ちゃんと宿題を済ませて遊びに出かけていた。

2月に東大阪の読書会へ出かけた時は近隣の友にお世話になったが、その後の間に著しくしっかりしてきたようで、今日は「かえって楽しかった!」と頼もしい感想が返ってきた。どうやら私の方が不安だったようだ。

IMG_4410.jpgその夜、ユキが遊んでいるゲーム機(DS)に惹きこまれた。写した写真に花やシャボン玉で落書きしたり、これは「どんな写真が取れるか分からないカメラです」という機能にセットして撮ったもの。

「これはチャッピーじゃないの? チャッピーではなくて柴犬の顔なのかなぁ」と、私だけではなくユキもわかっていなかった。何度か写していると今度は間違いなくチャッピーが出てきた!

チャッピー.jpg
チャッピーが笑ってる!!!

私はどうしてチャッピーが出て来るのかわからなくて不思議でならなかったが、ユキが以前にチャッピーの写真を撮って保存していたものが組み合わさったものだった。

しかし毎回出て来るのではなく滅多に出てこない。
「おばあちゃんにもチャッピーと撮ってあげたい」と何度も挑戦してくれたユキの優しさが嬉しかった。

それにしても魔法のような出来事に馴れっこになっている現代の子どもたちが大人になった時、彼らはどのような人間観を備えどのような考え方をするのだろうかと興味深い。

posted by 優子 at 08:31| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

チャッピーの1年後の同日に市役所に

光さす.jpg
曇天に陽ざし輝く
昨日は風邪でダウン。1か月前から書き始めていたチャッピーの偲び草を公開して横になると、3時間も眠ってしまった。

今朝は熱っぽさが取れたので予定通り2つの大仕事に取り掛かった。年金手続きと特定健診だ。
最初に7日のやり直しで市役所へ。戸籍全部事項証明と住民票全部、そして、平成28年度の所得証明書を発行してもらい、ついでにそれを持って大和高田市の年金事務所へ行って年金請求の手続きを完了させた。

請求手続きは送付でも受け付けてくれるが、同市の病院で特定健診を受けるべく予約していた。私の住んでいる市に唯一指定されていた病院が2014年の6月に閉鎖になり、その年は大阪市中央区にある健保組合診療所で受けることにしたが、その診療所も赤字のために終了してしまい去年は受けなかった。

指定されている奈良県内の病院は遠方だったり辺鄙な所ばかりで、自動車を運転できない私は頭から諦めていた。

しかし、無料でできるので使わないともったいないし、健保組合も健診してもらわないと困るというわけで、誕生月も終わった11月に入ってから問い合わせたのだった。有効期限は今月末で最後の最後に滑り込んだ。

この病院では健康検査は金曜日の午後2時からというわけで、案内どおり朝食を8時までに済ませて受診した。朝10時半に家を出て、市役所、年金事務所、そして、病院へ。

病院は年金事務所からさほど遠くなかったが不注意千万の私は大きな案内板を見過ごした。高田警察署で場所を聞きいて引き返し、予定通り最終目的地に2時前に到着した。

まもなく血圧測定を促され「165」にもなっていたのでびっくり。順番を待ちながら深呼吸して再度測ったところ10分後には135になっていたので、それも提出した。その10分後には120にまで下がり体も非常に楽になり安堵した。

皇帝ダリア.jpgとにかく2つの用事を終えて病院を出たときは心地よい達成感を感じて、空高く咲く皇帝ダリアを撮りながら駅まで歩いていたが、こんなことで達成感を感じるのも情けない。
しかし、電車に乗った時はクタクタで必死で家にたどり着き、その12分後にユキが帰宅した。

今朝、市役所で呼ばれるのを待ちながら、「あそこにチャッピーを納めた箱を置いた」と去年のことを思い出して見ていたが、先ほど帰宅した知子に言われて気が付いた。それはちょうど去年の今日だったことを。

2015年11月25日、良輔と朝一番にチャッピーを荼毘に付してもらうために来た。まさか1年後に役所に来るとは思わなかった。

昨日から1年前の慟哭の日々が思い出されて心が痛む。


posted by 優子 at 23:18| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

チャッピーのいない1年が過ぎた

ユキの代休にA.jpg昨日から急に秋から冬に入れ替わった。去年は今年以上に暖かい日が続いて、チャッピーが死んだ翌25日から急に寒くなった。

そして新しい年になり、春が来て、初夏、梅雨、夏、そしてまた秋になり、チャッピーのことを思いながら1年が過ぎた。今年もあの菊が咲いていた(photo by Yuki.)。チャッピーに献花した花が。

2009_5_1A4CE3.jpgチャッピーが8歳の時にユキが生まれ、ユキの「ワンワン」になり、一緒に遊び、何度も散歩に行き、老犬になってからはユキがよく面倒をみてくれた。

ユキはチャッピーのことを思い出しながら懐かしそうに言った。

チャッピーただいまA.jpg「今も学校から帰ってきた時、いつもチャッピーの小屋を見て思い出すよ。遊ぶ友だちがいなかったら絶対にチャッピーと遊んでる。

(去年の10月頃からは)ユキが泥団子つくったり、裏へ(穴を掘りに)行く時、郵便受け(門)のところまでついてきて、そこでずっとユキを見ていて、裏から戻ってきたら、また玄関の近くで立っていた。
チャッピーはたぶん空の上からユキがやっていることを見てると思う」。

泥団子.jpg
チャッピー、
ユキは今も
泥団子を作っているよ。(^−^)

私はチャッピーがいなくなってからも、「チャッピー、おはよう」、「チャッピー、ただいま」、「チャッピー、おやすみ」と声をかけていたが、初夏を迎える頃にはかけなくなっていた。

春になった頃、猫にゴミ箱の中を荒らされるようになり、蓋の上に物を置いても効果がなく、蓋を開けられないように紐をかけてようやく荒らされなくなった。
「チャッピーがいたら猫に荒らされたりしないのに」と、チャッピーがいなくなったことがたまらなく悲しくて悲しくて、悲しかった。

チャッピーが来た日.jpgチャッピーが我が家へ来たのは1999年8月21日、生後3か月の子犬だった。知子は21歳。
2006年1月26日のブログに「チャッピーは讃美歌犬」と題してこんなことを書いている。その頃の光景が昨日のことのように思い出される。

父も亡くなった2000年夏、その秋から知子とユキと同居する2009年春までが、毎日朝夕チャッピーと歩いていた最も懐かしい頃である。

夫は毎朝6時半頃、自動車で会社に向かう。
私は車を見送りながら、「今日も一日お守りください」と短く祈る。
そして、娘は7時に家を出る。雨でない限り、私は毎朝チャッピーの散歩を兼ねて娘を駅まで送っていく。行きは娘と話しながら、帰りはいつも讃美歌を歌う。

「朝からご機嫌ですなあ」と知らない男性に声をかけられたこともある(^−^)。

今朝は小鳩が道の端にうずくまっていた。怪我でもしているのだろうか。私はチャッピーを遠ざけながら様子を窺ったがわからなかった。

小鳩の安否を祈りつつ立ち去る時、私の唇に「一羽の雀に」の讃美が溢れた。(ここをクリックしてください。)

「心くじけて思い悩み などて寂しく空を仰ぐ 
主イエスこそ わがまことの友
一羽の雀に目を注ぎたもう 主はわれさえも支えたもうなり 
声高らかに我は歌わん 一羽の雀さえ主は守りたもう

心静めて御声(みこえ)聞けば 恐れは去りて委ねるをえん
ただ知らまほし行く手の道
声高らかに我は歌わん 一羽の雀さえ主は守りたもう」


チャッピーは黙々と歩いている。
そして、ときどき振り向き私と目を合わせる。
チャッピーほど、いろんな讃美歌を聴いている犬はいないだろう。

この記事を読まれた池田勇人牧師(日本クリスチャンペンクラブ理事長)が「チャッピーは讃美犬ですね」とメールに書いてくださっていた。

それからも9年10ヶ月を共に過ごして、2015年11月24日にチャッピーは死んだ。16歳半だった。

2007.5.24C.JPG 死ぬ1か月前.jpg
犬だってこんなに年を取る。
左は8歳、右は16歳半(死ぬ1か月前)、
お腹の腫瘍も痛々しい。

奇跡的回復後.jpgここに数少ない2つの動画がある。これは2014年2月14日の豪雪の日。

「かっこいいね、
柴犬チャッピー」


この年の初め、ひどい関節痛(?)で全く歩けなくなり、好物を与えても食べなくなり、友人から「安楽死も考えた方がいい」と勧められたほど瀕死の状態だった。

しかし奇跡的に回復し、1か月後には雪を踏みしめてこんなに元気に歩いた。この時の嬉しさは今も忘れられない。これがその時の動画である。



チャッピーに首飾り.jpgもう一つは、最後の春となった2015年4月。
今年の年賀状に掲載した写真だ。
この時すでにチャッピーは居なかったが、友人や知人に一度も紹介したことがなかったので、2年生を終了したユキとのツーショット、晩年の一番元気だった頃の姿である。もう腫瘍はできていたが。



E38381E383A3E38383E38394E383BCE381AEE981BFE69A91E59CB0.jpg
ありがとう、チャッピー。
犬を飼うのは今までもこれからもチャッピーだけ。
みんなチャッピーのこと忘れないよ!

附記:知子は今朝、体調が悪い私のために早朝に出社しなかった。
「ユキは手がかからないしユキを見送ったらまた休めるのに」と、知子の優しさを思うよりも不甲斐ない自分が情けなかった。
寒くなったので夜こそ早く帰ってきてほしい。クタクタになって帰宅する知子を良輔は駅に迎えに行ってやる気持ちは全くなく、夜遅く帰宅する知子を心配する方がはるかに私の体に応える。早く出社しても毎晩遅いのに!

知子は1台でも早い電車に乗るためにユキより一足先にでた。母と子の声が響く。
「ユキ、行ってらっしゃーい!」
「ママ、行ってらっしゃーい!」


今日のみ言葉より:

「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです」。(エズラ記9章6節)

エズラはイスラエルの罪を告白して祈ります。自分自身は罪を犯していなくても、「私たち」という主語で、民族の一員として、その罪を負う覚悟で、主の前にひれ伏すのです。そのような祈りが国を救います。

会社もまた同じである。
posted by 優子 at 08:32| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

チャッピーを思い出させた小雀 

「おばあちゃーん!!! スズメを捕まえてん。
スズメが自転車の籠におるから来てー」。

私はユキの声に慌ててカメラを持って外に出た。

IMG_0332.jpg「公園の溝に水が溜まってて、バタバタしていたから出してあげたけれど飛べなくて、よしよししたげたらだんだん馴れてきて、おとなしくなったから自転車に乗せたら、濡れていたからブルブル震えていたけれど、1分ほど経ったら落ち着いて籠の隙間にくちばしを置いてくつろいだ」。

IMG_0335.jpg
小さな小雀、死なないで・・・
小雀は私を見てくれ、目と目が合った。
ユキはチャッピーの小屋に入れてやった。温かい敷物を敷いて。

今日はまじめに食膳のお祈りをしていると思ったら、スズメのことを祈っていたそうだ。
チャッピーの時に歌っていた「讃美歌21」の425番「こすずめも くじらも」を聞くと、去年の秋のことが思い出されて涙が溢れて止まらなかった。去年は悲しかった、チャッピーが死んでしまって本当に悲しかった。

シュウメイギクの咲く頃.jpg今年は異例の9月初めにシュウメイギクが2つ咲いたが、いよいよ今週初めから咲き始めた。

ユキは言った。
「ユキはスズメのお母さんやね。スズメを助けて守るから」。

私は「明日の朝は死んでいると思う」と言ってしまったが、ユキは元気になるように祈って眠った。

スズメ.jpg


9月28日朝追記:スズメは死んでいた。
今朝6時前、ユキは目覚めてすぐにスズメを見に行くと、前夜に置いてやった水の近くで動かなくなっていた。15センチほど移動していたそうだ。チャッピーの小屋の中だったから雨に濡れなくてよかったね。
スズメには悪いけれど素手で触らないようにユキに言っているので、もしもまだ暖かいかもしれないからと、学校から帰ってから葬ってあげるそうだ。

posted by 優子 at 21:17| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年08月28日

チャッピーの悲嘆再燃してユキ号泣

※ 昨夜21時台にシーサーブログの故障のために、この記事を8月29日朝に更新した。

5年前から乗っている自動車にチャッピーも10数回乗ったことがあった。年に2回動物病院へ行くときに助手席の足元に座らせた。不安でブルブル震えていたチャッピーも帰りはケロッとして座っていた。

そんなチャッピーの思い出のある自動車のリースが切れて明日新車に変わる。自動車との別れはチャッピーがもう一度死んでいくような気持ちというのは私も同じだが、ユキの心はもっともっと繊細だった。

そして、これまで胸におさめていた悲しみがマグマのように激しく噴き出した。その要因は私の失言からだった。


チャッピー!.jpg今日で乗り納めになる自動車に「もう一度乗りたい、もう一度チャッピーが乗った自動車にサヨナラしたい」からと、今日のサッカーは自動車で送迎してもらっていた。

そしてサッカーから帰宅した時、知子が伝えに来た。

チャッピーが乗った自動車も行く.jpg「ユキが暗く沈んでる。理由を聞くと、もう一度みんなで乗りたいからお昼は外食に行きたいと言っているんだけれど」。

私たちは快く同意して出かけた。

その夕方、いつものようにやらねばならないこともしないユキに、私は「一緒に行ったげたやろ?」と言ってしまった。それがいけなかった。ユキは堰を切ったように泣きじゃくりながら訴えた。

「『行ったげたやろ』って、なんでチャッピーのいた所にいようとせえへんのよ!
ユキは犬を見たらいつもチャッピーを思い出すし、どこにいても『チャッピー』と思うのに、おじいちゃんは思えへん。

チャッピーが死んですぐの時のお散歩で、おじいちゃんが柴犬を見て立ち止まっていたから『ああ、よかったなあ』と思ったのに。

ユキは毎日チャッピーのことを思い出しているし、チャッピーとお散歩していた時、ネコがいたからネコを見るとチャッピーみたいに生きてるからネコもかわいいなあと思って見ているけれど、ネコを見ても自然とチャッピーのことを思うのに。

おじいちゃんとママはその日(自動車を引き渡す明日29日)のその時間(夕方5時)まで車と一緒やからいいけれど、ユキは朝に『行ってらっしゃい』って言った時に終わりやし、チャッピーの思い出があるからさみしいのに、おじいちゃんはチャッピーの家が邪魔になるから捨てようと言うし、おばあちゃんもそうや。

チャッピーの居た所がまた一つ無くなるのに、なんで泣けへんのよ! 別れた日が遠ざかっていくのが嫌や」。


チャッピーの悲嘆に寄り添う知子.jpgこのあともしばらく泣いていた。そして、玄関に立ってチャッピーの小屋を見ているユキを見つけた。

IMG_9787.jpgユキの体が揺れるので泣いているのがわかったので、知子に寄り添ってあげるように伝えた。

そして、道路いっぱいにこんな絵を描いた。あの「どこにでも行ける電車」が現実になってチャッピーが会いに来てくれたらいいのに・・・と思って描いたのだろう。

年に一度、たった1時間でもいいから会いたい。その時は家族みんなでお散歩に行って・・・

9か月後の悲嘆@.jpg 

IMG_9783.jpg

IMG_9782.jpg

IMG_9784.jpg

IMG_9786.jpg

そして、知子の夕食の食前の祈りから母子の語らいがわかった。
「みんなも口には出さないけれど、ユキのようにチャッピーのことを思っていることがわかりました」。

そして知子が言った。
「チャッピーは天使犬でユキは天使やね。チャッピーは逝ってしまうまでに、ちゃんとユキに事業承継していったね」と。

そう、チャッピーはいつも我が家の争いを治めてくれていた。家庭が壊れる寸前に神さまが送ってくださった柴犬のようだった。何度も何度も、何度も何度も助けてくれたチャッピー。

16年間一緒にいて、死んでしまって8ヶ月にもなるのに、未だに揉めていたらチャッピーとの時間は何だったのかと思う。無に帰してはいけないね。

今日の「家の礼拝」は準備もできておらず、せめて聖書を読むだけでもと思っていたが、それも真剣に祈り求めなかったために叶わず。でも、ユキの悲嘆で整えられていき、共に祈ることができた。私も完全に本心に立ち返ることができますように。

ユキは寝る前のお祈りで平安を得て眠ったそうだ。何度も泣いていたので瞼を腫らせて。悲嘆は一つひとつ超えていくしかない。

チャッピーが居なくなった初めての夏も終わろうとしている。そして、まもなくあの季節が来る。いよいよ弱っていき死に至った季節が始まる。


(8月29日午前9時5分に更新)

posted by 優子 at 21:00| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年05月19日

チャッピーは冤罪だった!

毎年5月初めから蚊に悩まされ、今朝がた早く蚊に起こされてしまった。そして今夕、生ごみをペールに入れようと玄関を出ると蚊の大群が飛び交っていた。大きな蚊が10匹以上ドアの前を勢いよく飛び交っていた。

蚊が多いのはチャッピーのせいではなかった!
チャッピーは冤罪だった。
ごめんね、チャッピー。
全てのことは明るみにされる。


毎年夏になると義母に何度も言われたものだ。「蚊が多いのは犬が居るから」と。私もまた、チャッピーが関係しているのかなと思わなくはなかったが、それよりも義母が溜めている雨水を捨てに回るのが夏の日課になっていた。ビクビクしながら。ある時はボウフラがウヨウヨ動いていた。

一昨日の朝、私はウォーキング方々、久々にユキを送ってから出社する知子を駅まで送った。同じ電車に乗る顔なじみの近隣の男性に挨拶すると、「いつも一緒のワンちゃんは?」と尋ねられて、昨年11月24日に死んだことを話した。

少し話したあと、「16歳半は長生きでしたね」と静かに仰った。犬を飼っておられる方だから慰めに満ちていた。

私はチャッピーの死を告げるたびに、チャッピーが何度も死んでいくような気がする。そして、いつか完全に死んで過去のことに結晶されて、私の悲嘆のプロセスが終わるのだと思う。

これは昨年の5月10日、16歳の誕生日!
誕生日の朝食中@.jpg
この日の朝食は久々の人間食で、ごはんと焼いた鯛の身。
チャッピーは大好きな「さかな」をおいしそうに食べていた。
 
チャッピーが死んでまもなく半年になる。
私は今も朝一番に外に出ると「チャッピー、おはよう」と言い、力なく辺りを見まわして小屋に目をやる。夜は玄関で「チャッピー、おやすみ」と言って階段を上っていく。今もチャックンのことを忘れたことはない。


森の道を歩くA.jpgこれは去年の今頃のチャッピーだ。
この1年前から腎不全になっており、そんなに歩かせてはいけないので、夕方の散歩は殆どユキに託していた。2年生になるとたくましくなりチャッピーに負けない力強さになっていた。

森の道を歩く@.jpg


この頃はまだ認知症は発症していなかったと思う。とてもしっかりして、チャッピーらしい表情をしている。しかし、夏になって急に弱っていったね。

大好きだったお散歩。
1年前はこうして生きていたのにね。

これは2年前の5月。
大好きな散歩.jpg

そういえば、今日ようやく買い過ぎて残った餌をもらってくださる人がみつかった。美濃紙業のすぐ近くの会社の方だ。自動車で通勤されているので、明日持って行ってもらうことになった。賞味期限は来春3月末まで。封を開けたばかりのものは明日のゴミ収集で廃棄しよう。

また一つ、チャッピーの生きていた名残りが失われていく。

5月のチャッピーをここに:
よくここで寝てるね.jpg
2014年5月21日(15才)。
この頃、よくこの辺りで寝ていた。

吠え続けたチャックン.jpg
2014年5月12日(15才)。
インターネットの工事の人に終わるまで吠えていたね。
この頃はもう殆ど鳴かなくなっていたので嬉しかった。

伸びしているところ.jpg
2013年5月25日(14才)。
この日、チャッピーが75%腎不全になっていると告知された。
あとの4枚も同じ日のチャックン。


14才@.jpg

14才A.jpg

14才B.jpg

いつまでも居ててね.jpg
この時、いつか来るチャッピーとの別れを想って
この後姿も脳裡に焼き付けていた。

2歳10ヶ月のユキ.jpg
2010年5月21日(11才)、ユキは2歳10ヶ月。

なつかしい光景.jpg
2010年5月18日(11才)。

この写真(↓)を掲載した同日の記事には
こんなことが書いてあった。
2010.5.jpg
いつもこうしてのんびりと寝ているが、
家の前を犬が通ったり、自動車や人が来れば猛烈に吠える。
この町の「3大吠え犬(けん)」に入っているからネ。
「マチと太志君に早く会いたいなあ〜〜〜。
早く帰ってきてね。待ってるよ〜。」

昨夏買ったペット用の蚊取り線香がたくさん残っている。
来年はもうチャッピーは居ないだろうと思っていたので使い切ってしまいたかったけれど、煙が嫌いなチャッピーは避けるので点けない時も多々あって残ってしまった。

あの大群の蚊は恐怖だから使おうと思うけれど、またチャッピーの悲嘆が蘇ってくる。

フィラリアの処方.jpgフィラリアの薬も11月分は飲まずに逝ってしまったね。

今年はシュウメイギクが咲く頃から辛くなるだろうな・・・秋にならないでほしい。

posted by 優子 at 23:36| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

チャッピーがいない初夏

最大10連休の人もいた今年のゴールデンウィークも終わり、連休明け初日の今日は雨で始まった。

チャッピーが死んでまもなく半年になるが、今も毎日チャッピーを思い出す。昨日、家族みんなで遠くまで散歩に出た時も、どの道を歩いてもチャッピーと歩いた道ばかりで懐かしさと悲しみで心が痛んだ。

チャッピーはいない.jpgチャッピーの排尿が流れて根を絶やしてしまったシュウメイギク。先週何度もここに移植したが根づかず枯れてしまった。

それでも残った茎からこんなに勢いよく伸びてきて空間を埋めている。それでもやはりここだけ成長が悪いけれど・・・

初夏のシュウメイギク.jpg
初夏の庭にチャッピーはいない。

チャッピーのいない初夏.jpg最期の1ヶ月ほど、よくいた場所も今はシランで埋め尽くされている。
ずっと動かない.jpg
今はまだこんな悲しい姿ばかりが思い出される。
寝てしまった.jpg

私が衝撃を受けているのはチャッピーの存在がなくなったということ以上に、16年半という年月の間に誕生した子犬が老いて死んでしまったことだ。そしてそれは早送りで見る人間の一生と重なるからだ。
E38381E383A3E38383E38394E383BCE38081E38288E38186E38193E3819DE68891E3818CE5AEB6E381B8EFBC81.jpg  あかちゃんチャッピー.jpg

外に出たいのか昨日からここに.jpg生まれたばかりのかわいい子犬が、たった16年間にこんなに老いてしまい、平均寿命より3年も長生きしたけれど命には限りがあった。

知子に「私は老年期に入っているから、そのことを鋭く感じるのだと思う」と言うと、「神に根拠をもつ楽観主義は地上生涯のあとにあるものを信じているので」と(あとで正確に記そうと思う)、老若逆転の素晴らしい胸中を語った知子から新鮮な衝撃を受けた。

知子はゴールデンウィーク明けの今朝の月初の朝礼でも、熱くメッセージを語ったことであろう。

ちなみに私の仕事始めは、昨日から緊急事態が発生しているパソコン問題の解決だった。
知らないうちにどこかをクリックしてしまったのだろうか。昨日パソコンをつけたまま席を離れている間に「25%完了」と、「ウィンドウズ10」を自動的に取り込み始めていたのでびっくりして強制終了したが、今朝もまた「14分後にインストールします」という表示が出たので焦った。

検索して解決しようとしたが不可。パソコンメーカーへ電話したらマイクロソフト社のサポートに電話するように教えられ、ようやく繋がって遠隔操作で取り外してもらって安堵した。今は一日の仕事を終えたように疲れてしまった。

今では機器関係のことは娘に任せがちになっているが、人任せにしていては老化を速めるばかりだ。「ネット時代の高齢者第一世代」とでもいうべき60代以上の我々も雄々しくサバイバルしたいと前向きである。

posted by 優子 at 12:30| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

春嵐のあとの「桜花の海」 

昨日は春の嵐が日本列島を直撃し、もう数日は楽しめた桜も風と雨に打たれて早くも終焉を迎えた。それでも私は散った桜を見たくて洗濯物を干して、大急ぎで朝食を済ませてカメラを持って外に出た。

桜花の海.jpg

公園の桜は遠くから見て通り過ぎようと思っていたが、散った花々が「桜花の海」とでも言おうか、強風と雨水が美しい波模様を描いていたので息をのんだ。

花筏はなかった.jpg
花筏(はないかだ)を楽しみに言ったが小さな筏さえなかった。

桜の道.jpgあちこちの道は淡いピンク色の花びらの絨毯(じゅうたん)を敷いたようであり、冬の雪道をも思わせた。
        
IMG_7751.jpg









1週間ほど前から散歩に出るようになり5人と4〜6年ぶりに再会した。みんなチャッピーを介しての知人である。

今日も散歩中に2名の知人と出会って立ち話をしていたが、チャッピーが死んだことを告げ、相手もまた飼い犬が3年前に、また、4年前に死んだことを話された。

私はそれほど歩かなくなっていた。その間に私はかなり老いたが、知人たちもまた老いておられた。そして、自らの死についても語られる方々だったので感銘を受けた。

と言うのは、年老いても殆どの人が真面目に自らの死と向き合わず、ワイワイガヤガヤと楽しく過ごすことにのみ価値を置いている人が殆どだからだ。

2009年4月から知子とユキと同居するようになり、それまで毎晩夫婦で歩いていた生活のリズムは許されず、その後もすっかり歩かなくなってしまったが、今度こそこれを機にもう一度歩き始めようと思う。

いつも一緒に歩いてくれ、自然界や小さな生き物に目覚めさせてくれたチャッピーは居なくなってしまったけれど、ユキも小学中学年になったことだから私ももう一度生活のリズムを建て直そうと思う。


古い葉を落とす楠の木.jpg春に落葉するクスノキ。毎年今頃に新しい葉に押し出されるようにして古い葉を落とすクスノキ。
春でも落葉するならば落葉樹ではないかと思うのだが、クスノキの葉の寿命は1年と10日あまりで、1年以上であれば常緑樹ということから常緑樹に分類されるとのこと。

今の自然界は日に日に姿を変えていく。
山の木々に新芽が噴き出し、枯れ木のような山が淡い緑色の新芽がふんわり包む。

「地において主をほめたたえよ。・・・山々よ。すべての丘よ。実なる木よ。すべての杉よ」。   (詩篇148篇7、9節)

チャックンと散歩の光景.jpg民生委員の時、市の老人祭りで毎年一緒にお薄のお世話をしていたKさんは、「歩けるからいいですね」と言われた。あれは10年近く前のことだが、Kさんはすっかり弱っておられた。

今後は歩けなくなるまでチャッピーと歩いた道を歩き続けよう。
2016年は新たなる節目の年、
新たなる春となれ!


附記:次女の伴侶、ミッションを終えて無事アメリカに帰国する。

posted by 優子 at 23:21| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

チューリップの季節に −自然界の輝きに神を想うー

雨の朝に.jpg今日は「花散らし」の雨風で桜の花は無残に落とされてしまったことだろう。今朝は凛として咲いていたチューリップも今は痛々しい姿になっている。






20時30分追記:
強風に揺さぶられ.jpg夕刻、より強い風に長時間揺さぶられ、大粒の雨にも打たれてようやく風雨は止んだ。まるで人の一生を見るようだった。


豪雨に打たれて.jpg

本名を「春姫号」ことチャッピーには春がよく似合う。特にチューリップとタンポポはチャッピーを思い出させる。

2012.4.23.jpg
2012.4.23 ユキが幼稚園へ通い始めた春。

2013.4.26チューリップとチャッピーと.jpg
2年前の春 2013.4.26
 これも同じ日のチャッピー
2013.4.26.jpg

次の3枚は2010年春、チャッピーはまもなく11歳、ユキ2歳9か月。

001.jpg

2010.4.19.jpg

↑ 2010.4.19 ↓ 

チャッピーまもなく11歳、ユキ2歳9か月.jpg

チャックンとチューリップ.jpg
どの年の春かわからない。

そして今年もチューリップが咲いた。
チャッピーのいない玄関@.jpg

23日に植えたチューリップ。チャッピーは花を見ることはできないだろうな・・・.jpgチャッピーが死ぬ前日に球根を植えた。

チャッピーが居た春の庭@.jpg



2015.10.23.jpg





花は咲いたがチャッピーの姿はない。
心を奮い立たせるのは寂しさを埋めようとしているからだろうか、私は春をとどめようとするかのように、今年はことさらに春が過ぎゆくのを惜しむ自分に気づく。


ベランダのチューリップは満開!

2016チューリップ@.jpg

球根を植えた同じ日にユキが植えたチューリップ。
何て美しいのだろう!

「こんにちは 春ですよ!」.jpgお向かいさんちの花も「こんにちは 春ですよ!」と告げているみたい。

桜とヒヨドリ@.jpg
昨日は桜が開花して初めて曇りがちながらも晴れの一日だった。
桜と青空、絶妙の取り合わせだ。

ヒヨドリ桜と.jpg

2016.4.6.jpg
 
チャッピーは死んでしまったけれど、私は今年も春を生かされ独り歩いた。自然の美しさに驚くばかりである。

神がくださった自然という贈り物に目を向けて立ち止まり、黙想する人生の豊かさ。自然を通して神がどんなに私たち一人ひとりを愛しておられるかを感じる。

自然界は見事なほどに次から次へと芽を吹き出している。
 
「復活したキリストは、目いっぱいの豊かな人生を送るための扉を開いてくださった」。

ユキの入学式前日に.jpg
2014年、ユキ小学校入学式の前日に。


posted by 優子 at 17:28| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

チャッピー、2016年の桜が咲いたよ

チャッピーのいない春なんて来ないほうがいいと思っていた。でもやっぱり桜が咲いているか見たくて、今朝は久しぶりに家族そろって散歩に出た。チャッピーと何十回も何百回も歩いた道を。

池に出た瞬間、突然視界が変わったので、みんな「うあー!」と叫び声をあげた。

春になったね.jpg

チャッピー、みんな元気にしてるよ。

チャッピーのいない春@.jpg

2016年の春.jpg

チャッピーのいない春A.jpg

E38381E383A3E38383E38394E383BCE381ABE9A696E9A3BEE3828A-83f33.jpg2015年3月31日、去年の春は一緒に来たのに、チャッピーがいないのはやっぱりたまらなく寂しい。

今日ホームセンターへ行った時、ペットの餌売り場に足が向いた。そのまま通り過ぎようとしたけれど、やっぱり後戻りしていつも買っていた袋を見に行ってしまった。
悲しかった。
たまらなく悲しくて、袋を見たら涙がこぼれそうになったので足早に立ち去った。


2009.4.12.jpgこれは2009年4月12日。チャッピーはまもなく10歳になる頃だったけれど、いつも元気だったね。
私はこの時もまだチャッピーの老いや死など想像することもできなかったなんて、何という愚者だったのだろう。

チャッピーを偲ぶ春@.jpgチャッピー、今年も桜が咲いたよ。
春になったよ、春姫号チャッピー。





チャッピーを偲ぶ春A.jpg

夫とユキより一足先に帰ろうとした時、途中で別れる時はいつも何度も立ち止まって振り返るチャッピーを思い出した。この時も本当にチャッピーがこの目で見えるようだった。

これからウォーキングしている人と知り合いになる時も、「いつも柴犬と歩いている方ですね」と言われることもないんだなと思うと寂しくてならない。
もう一度チャッピーと一緒に歩きたい。
柴犬はみんなよく似ているけれど、柴犬だったらいいわけではない。チャッピーと歩きたい。私はチャッピーと歩きたいの。 

ここに居たの、チャッピー.jpg
「チャッピー、ここに居たの」
チャッピーがいなくなってから、いつも玄関のカギをかけるようになったよ。
チャッピーのいない春。
寂しい春・・・



posted by 優子 at 21:02| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年03月22日

在りし日のチャッピーを想って歩く

最近も不調ぎみだったからだが、私は相変わらず歩いていない。しかし今日、ついに外へ出た。夕方4時前でもおひさまが明るく輝いていた。

ウォーキングを欠かさない夫が、「あの家の大きなコブシの木が満開で綺麗やった」と、昨日熱く語っていたからだ。そんなことで心が動くようになったのもチャッピーのおかげ。チャッピーが自然界への眼を開いてくれたから。

まずNさんに生協の商品を届けるので公園を横目に通り過ぎた。真冬も毎日公園で遊ぶユキ。今日は6人でキックベースボールをしていた。そのあとサッカーもしたそうだ。

キックベースボール.jpg

ユキ公園で@.jpg先週金曜日から正午過ぎに帰宅、いよいよ3学期も終わり明後日で2年生を終了する。





今日のおかめ桜.jpg今日のおかめ桜。









満開はここだけ.jpgそして、この桜が我が町で一番先に咲いて満開になるのだと思う。おかめ桜のお家の2軒隣り。





2013.3.26.JPGこれは2013年3月26日、同じ場所。去年までチャッピーと一緒に見た桜。
ここに立っていたチャッピーがどこにも存在しなくなったというのが不思議でならない。
でももう「どこへ行ってしまったんだろう」とは言うまい。





こぶし.jpgこれが夫が言っていたコブシの花だ。
大きなお屋敷の中だから思いっきり撮れなくて残念。
夕方の陽光もなく、写真で見るよりももっと暗かった。

まだ冬から目覚めぬ.jpg周囲もまだ冬のよう。
桜のつぼみもとても小さかった。
でもほんのりピンクに見える。





春まだ浅き二上山.jpg
二上山(雄岳)もまだ冬のよう。

お見事!.jpgうわぁ、お見事!
美しいね、チャッピー。
気持ちが晴れるね。






春の目覚めを待つ.jpgでも、池の周りの桜の蕾は固い。
当地は日本でリンゴができる最南端の土地だとか、とにかく寒い。大阪と3〜5度の温度差がある。

ユキ公園で.jpg戻ってくると子供たちはブランコで遊んでいた。
現在の門限は5時半だが、まもなく6時まで延長を言ってくることだろう。

今はチャッピーが死んでから4カ月だから、ユキはまだチャッピーが居た時のままだけれど、これからユキは大きくなっていき、時間も過ぎてもっと遠い過去のことになっていくのが悲しい。

23日に植えたチューリップ。チャッピーは花を見ることはできないだろうな・・・.jpgチャッピーが死ぬ前日、11月23日にチューリップの球根を植えた。




春の陽射し チャッピーは居らず.jpg
「チャッピー、お日さんのところへおいで」と呼んでも姿はなく、
チャッピーの代わりにチューリップを日なたに置いてやる。
柴犬を見ると食い入るように見、頬を伝う涙で我に帰る。

チャックンと散歩の光景.jpg今週から受難週に入った。
「要は神さま、要はキリスト」では曖昧な混沌の時代。
全知全能なる唯一絶対の「神の像、キリストの像」を掲げて「出エジプト」の春。チャッピーのいない2016年春である。

「厳しかった冬も終わり、桜咲く時節となりました」。
こんな言葉にも何とも言えぬ感慨を覚える。
クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック事務局長より総会と例会案内が届いたが、総会の会計報告書も仕上げていない。


posted by 優子 at 22:12| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

チャッピーのいない春の訪れ

電気を点したようなハクモクレン.jpg今も咲いているだろうか、土佐堀川沿いのハクモクレン。
もう20年も前のこと、肥後橋駅あたりに大きな花を咲かせるのハクモクレンの木を見つけて、母が亡くなる最後の数年間は春先になるといつも土佐堀川沿いを歩いた。
母の通院に付き添い、最後の1年3ヶ月入院した住友病院へ通っていた頃のことである。ハクモクレンの花が咲くと電気がついたみたいで幻想的でもある。
ハクモクレンは母の晩年を思い出させる花。
あのハクモクレンは今も咲いているだろうか。

先週末から季節外れの暖かい日が続いていたが、10日から真冬に逆戻りした。今朝は−1度まで落ち室温は10度。しかし、陽射しは明るく力強い春の光が射していた。

6日は教会の2015年度の第2回総会があり、そのあと役員会を終えて6時半ごろ帰宅した。その翌日、なおざりにはできないことが新たに生じて血圧が上昇してコントロールできなくなってしまった。

ようやく今日は高めの状態まで落ち着いてきたので体も楽になった。
1週間前に蕾だったおかめ桜は、家に閉じこもっている間に花の盛りをすぎ色あせて散り始めていた。

チャッピーを思い出す春の開幕@.jpg

ブルーとピンク、いや、水色と桃色の色彩は私の原風景の一つ。

チャッピーのいない春の始まりA.jpg

チャッピーのいない春の訪れ。
おかめ桜はチャッピーを思い出させる木。

チャッピーのいない春@.jpgユキも心なしかさみしそう。

チャッピーがいた時は楽しかったね。

2013.3.26.JPG





 → これは2013年3月26日のユキとチャッピー。ユキが幼稚園年長組に進級する春で、チャッピーはまもなく13歳。
元気なチャックンも13歳後半から老いの坂を下って行き、昨年11月24日に16歳半のいのちを閉じた。

ユキが作った「どこへでも行ける電車」.jpg先週半ばに持って帰ってきたユキの紙粘土で造った「はやぶさ」は、真ん中で2つに分かれ磁石で連結している。
この電車は「どこでも行ける電車」にすると言った。

花が散ってしまわないうちに明日も見に行こう。
チャッピーと見ていたおかめ桜を。
まもなくチャッピーのいない春が始まる。
2016年の春が始まる。


posted by 優子 at 21:14| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

鶯の初鳴きに チャッピーのいない悲しみ極まる

かなり前から知子は毎朝早く父親と出社するようになり、知子がユキを見送るのは週に1回あればよいほうだ。先週のように帰宅が10時過ぎると、ユキは朝も夜もママの顔を見ないこともある。

今朝は久しぶりにユキを見送ってから出社した。今朝も氷点下だったが空気はさほど冷たく感じなかったので知子に促されて駅まで歩いた。その帰りに「おかめ桜」を見に行った。

チャッピー、今年も咲いたよ@.jpgこの町で一番先に咲く桜。毎年いつもチャッピーと見ていた桜。
近づくと木の枝が赤みを帯びていたので小走りで駆け寄った。まるでチャッピーに会えるかのように。

やっぱり咲いていた。
私はカメラを取りに家に戻って再びやって来た。

チャッピー、今年も咲いたよA.jpg「チャッピー、今年も咲き始めたよ! ほら!」

しばらく木を見上げて下に目をやった時、いつも傍で立っていたチャッピーはいなかった。


いつもチャッピーがいた庭。
チャッピーはいない.jpg最後の2年間、チャッピーが庭の小道で尿をするので水で流していたらシュウメイギクはすっかりダメになり、昨年から枯れ始め今年はこんなになってしまった。

これは去年の4月1日の記事:
ここにも新芽が出てるよ!.jpg「ユキちゃん、ここにも新芽があるよ!」

「あら、チャッピーも見てくれていたのね」。


そんなことも懐かしく思い出していた。

その時、近くで鶯が鳴いた。
「ホーホーホヘ」を2度繰り返した。
鳴き始めの下手な声だったが、鶯の声を聞いた瞬間に涙が溢れ出た。


いつもチャッピーと一緒に春を迎えていたのに、16回も一緒に向かえたのに今年は居ないなんて、こんなに悲しいことはない。家に入って泣いた。ずっと泣きたいのを我慢していたから泣いてすっとした。

チャッピーが死んで2か月余り過ぎた2月。血圧が安定している合間を縫って「戦争法の廃止を求める統一署名」に回った時にチャッピーが死んだことを話した。

お隣の方はこんなことを言って泣かれた。
「生ごみを出す時はいつも垣根越しにゴソゴソとチャッピーがいる音がしていたのに、この頃しないねえと何度も娘と話していたんです」と言って涙を流してくださった。

このことから、私はチャッピーの死を話さないのはチャッピーに申し訳ないと思った。
チャッピーは16年以上もここに居たから、多くの人々がチャッピーのことを知ってくださっていたのに、死んでしまったことを伝えないとはチャッピーに失礼だ。チャッピーの尊厳を傷つけるように思った。だから散歩中によく会っていた人に出会ったときは話そうと思った。


5〜6年前に愛犬を看取った男性は、今も携帯電話の待ち受け画面にしていると話された。ある女性は「親の死よりも悲しいと言う人もいるよ」と話された。

先週の朝、知子の代わりに登校時の交通当番を終えて立ち話ししていた時、自治会三役の方に声をかけられた。「初めまして、藤本さんですね? いつも柴犬と歩いておられる」と。

次期自治会会長の有力候補に残っているので受けて貰えないかと言われて、びっくりして丁重にお断りしたが、チャッピーのことを言われて胸がチクッと痛んだ。

チャッピーを飼い始めて3ヵ月経った頃、まだ当地にも慣れていない頃に、「いつも柴犬を連れておられる方ですよね」と二駅向こうの薬局の店員さんに言われて驚くと共に、少々嬉しくない気持ちがした。店員さんは私が毎朝チャッピーと歩く散歩コース内に住んでいる方だった。

チャッピー、あのとき嬉しくない気持ちだなんてごめんね。

これは、昨秋亡くなる1ヶ月前のチャッピー。
行ったり来たり.jpg

この時もチャッピーは何時間も行ったり来たりしていた。
昨年からシュウメイギクもかなり減って向こうが透けて見える。

私は今もチャッピーを探している。
夜に台所の生ごみを庭のゴミ箱に入れに行く時、ドアを開けた瞬間にチャッピーがどこにいるかキョロキョロしながら「チャッピー」と呼ぶ。

時々、「チャッピー!」と大きな声で呼び、ある時はしゃがんで走ってきたチャッピーを想像して頭を撫でるしぐさをする。家族がこんな光景を見たら狂っているように見えるだろう。

秋の終わりにチャッピーが死に、チャッピーの知らない冬が来て、そして、春になってしまった。

13歳以上の高齢犬用の餌も誰かにもらってもらわなければ。封を切っていない袋と開けたばかりの袋、それに、ペットシートもたくさんある。見るのも辛くて今もそのままになっている。

附記:「おかめ桜」 ―『種を蒔く』2号掲載文より G ―
ここに1年前のチャッピーの様子も書いてあった。

posted by 優子 at 16:05| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

「スーホの白い馬」と重なるチャッピー

ユキの2年生の学びも終盤を迎え、国語は昨日から『スーホの白い馬』に入った。これが最後の単元だ。2年生の教科書は私にとっても懐かしいものばかり。

レオ・レオニ作の『スイミー』、アーノルド・ローベル作の『お手紙』(カエル君とガマガエル君)、そして、リー・リー・シアン作の『スーホの白い馬』。

どれもこれも娘たちが宿題で読んでいたので、今も私の耳には知子と真智子の声が鮮明に残っている。二人ともどんなに上手に読んでいたことか! 今も録音テープに残っている。

知子と真智子の声は似ているが微妙に違い、特に『お手紙』を読むユキの声は知子の声にそっくりで、あの頃の知子が読んでいると錯覚して何度「知ちゃん」と呼んでしまったことか! ユキもまたすごく上手に朗読する。

私は時々ユキに「ママって言うて?」と呼んでもらって「はーい」と返事して感慨にふけることがある。身体は見事に老いていくが心は全く老いていないのは驚きだ。

スーホの白い馬@.jpgしかし、『スーホの白い馬』では一つ新しい思いが加わっていた。チャッピーのことだ。
白い馬が死んだ後のスーホの悲しみがチャッピーを思い出させて心が痛み、あの時の悲しみが蘇って涙が溢れた。

スーホの白い馬A.jpg

死ぬ2分前.jpg

外に出たいのか昨日からここに.jpg今はもう門を出入りする時もチャッピーを探すことはなくなったが、ユキが学校へ行って誰もいない時にチャッピーがよく居たところに触れてみる。

ここもそう。
チャッピーが立っていたところに手を当てて、本当に生きていたのが信じられなくてチャッピーを確かめてるように。
これは死ぬ6日前だった。

私は小学校2年生の頃にクラスメイトの友だち(すみこさん:姓は忘れてしまった)から、生まれて間もないミックスの子犬(昔は「雑種」と言った。母犬はスピッツで父犬は雑種)を貰って「チビ」と名づけて飼っていことがある。チャッピーと同じ毛色で形も似ていた。

とは言っても私はチビと遊んでいただけで、世話はもっぱら母が餌をやってくれていた。チビが妹と従弟を噛んだので、父と祖父はチビを病院へ連れて行くと言って自動車に乗せた。窓越しにチビと見つめ合ったのが最後で、あの時父と祖父は遠くへ捨てに行ったことを後になって聞いた。

でも、チビは私には噛まなかった。しかし、祖父が「犬は畜生やから餌を食べている時に手を持っていったらあかんで」と教えてくれたとおり、餌を食べている時に撫でるのも怖いと思った。

でも、チャッピーは全然怖くなかった。チャッピーを飼い始めた時、祖父が言っていたことを何度も家族に伝えたが、チャッピーは全然怖くなかった。餌を触っても平気だった。

チャッピーが死んでまもなく3ヶ月。
今年に入ってからの厳しい寒さや雨の時もチャッピーのことを心配せずによくなった。家族で外出して帰ってきた夜は、すぐに散歩に連れて行かねばならなかったり、やはり犬を飼うのは大変だ。

生き物を飼うというのはわざわざ苦労するようで妙だなと思う。しかし、苦労があるからこそ愛しいのは家族や人生と同じだ。そんなことを想いながら庭にたたずんでいることが時々ある。


チャッピーは出ない.jpg「でもね、チャッピー。
チャッピーが外に出ないか気にしないで生ごみを運んだり、外の掃除ができるようになって嬉しい・・・ううん、やっぱりさみしい。
チャッピー・・・・」


そして今、知子がこんな写真を持ってきてくれた。
チャックン5歳@.jpg チャックン5歳A.jpg 
私はこんな写真があったことも全く覚えていなくて、思い出すのにも時間がかかるほど見ていなかったが、2004年9月19日の日付けだからチャッピーは5歳4カ月。
働く犬、例えば麻薬探知犬は7歳で引退というから、これはチャッピーの一番凛々しく元気な成犬時代だ。知子も若い。ちょうど10年前になる。

でも今は10歳後ぐらいからのチャッピーの方が懐かしい。そう、ユキと一緒になってからのことが思い出深いように思う。
チャックン元気.jpg チャックンと散歩の光景.jpg
これは2015年2月21日、ちょうど1年前の今頃のチャッピー。

もうすぐ春になる。
今年は春は待ち遠しくない。
このままずっと冬のままがいい。
チャッピーがいないから。

 
posted by 優子 at 23:00| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

動物は死で終わるとも、チャッピーは私たちの心に生きている −老牧師からの返信−

メジロC.jpg1月中旬のこと、メジロを近くで見たくてベランダに休憩所を作ったが、小鳥は警戒してなかなか来てくれなくてミカンは腐ってしまった。
メジロA.jpg
もう諦(あきら)めていたが2月2日の朝、ついにメジロがやって来た!

ユキがミカンををついばんでいるメジロを見つけたので、私はユキを見送ったあと大急ぎで新しいミカンと交換した。ガラス越しで写したものだが何て美しいんだろう。目と目が合った。動くと逃げてしまうのでそっとそっとカメラを取りに行った。
メジロ@.jpg

メジロB.jpgこのあと少しだけ体の大きいメジロ(←)が飛んできて、先に食べていたメジロ(↑)を追いやってしまった。

小さな小鳥を見ながらいつしかチャッピーのことを思い出していた。可愛い目を見つめているとメジロの小さな背中を撫でているような気になり、チャッピーを撫でていた感覚が蘇って一瞬にして涙が溢れた。

チャッピーが死んで3ヶ月目に入った。
まだ悲嘆が生々しかった頃、動物は死ぬとどうなるのだろうかと思いを馳せたこともあった。
もとより私は聖書の人間観ともに動物についても正しく認識しているので悩むことはないが、日本では飼っていた動物が死ぬと人間並みに葬る人が多く、心情的にはわかるが異様にも感じていた。この機会に敬愛する老牧師に尋ねようと師への返信に書き添えた。

誠実で牧師の牧師ともいうべき老牧師は多忙な日々にあられても、私の問いかけも忘れず1月下旬にいただいた2通目のお便りにお答えくださった。

12月末のお手紙に可愛がって居られた犬の事を書いて居られました。私共主を信じる者にはコリント第一の手紙15章の様に、死は霊的生命に甦る栄光の希望があります。

イザヤ25章8節には神様が死の不安も悲しみも恐れも取り去って下さって涙をぬぐい去って下さる−とありますが、霊魂なき動物の場合は復活の主の命に与る事はむつかしい事です。

でもモーリス・メーテルリンクは言いました。「私達が死んだ犬や猫を懐かしみ彼らを思い出す時に彼らは私達の世界に甦ってくるのだ」と。

ヨブ記33章15節に「人が深い眠りに包まれ横たわって眠ると夢の中で夜の幻の中で」神様がいとしい犬の声を聞かせて下さり、死の世界から呼び戻し、命の光に輝かせて下さる(30節)でしょう。また霊界ではそばにいてくれるのだと想像する事もできます。

私達はマカバイ記の7章14節のように、「たとえ死に渡されようとも神が再び立ち上らせて下さる」という「希望に生きています」。「神の力の偉大さを(17節)決して忘れは致しません」。

明るい夢と希望をもって2016年を歩んで戴きたいと思います。
主にある平安を祈ります。

チャッピーは死んでしまったが私たちの心の中に生きている。「チャッピーは幸せでしたよ。」と年賀状に書いてくださった友の一言が私を慰めた。

メジロが来た2日のお昼頃、生協の荷物を運び終わって友と話していると、迷子の犬が私たちを見つめながら自宅前を通り過ぎて行った。飼い犬だろうが首輪がなかった。チャッピーより少しだけ大きい犬で柴犬ではない。

犬は私たちの前を通り過ぎて行くのだが、離れたところでいつまでも振り返って尻尾を振りながら親しげに吠えるばかりで、捕獲しようにもどうしようもなかった。

ユキが学校から帰ってきた時もいたらしく、家に入るなり大きな声で迷い犬のことを言った。ユキは気が散って宿題など手につかないで何度も何度も外にいるのではと見に行った。私もまた。

チャッピー、おいで!.jpgチャッピーもよく逃げた。この時も出てしまって「おいで、おいで」と呼ばれている。すぐに捕まえることができたけれどね。チャッピーは自分の家がどこにあるのかはよく知っていた。

若い頃は私が町内の道を覚えるよりも早く覚えた。違う道を歩いてもどこで曲がるかもよく分かっていて、私が目を閉じていてもちゃんと家の方向に曲がって行った。そして、長く歩きたくない時は四つ角で立ち止まり、近道の方向を向いてガンとして動かなかった。(^0^)

しかし、最後の1〜2ヶ月はわからなくなっていたように思う。弱った足なのに家の前に来ても通り過ぎて行ったから。
あの迷い犬は老犬ではなかったので家に戻ることができますように!

お水おいしい?.jpg「チャッピー、お水おいしい?」
これは昨年の今頃、2015年1月31日のチャッピー。
チャッピーはもうどこにもいないけれど、私たち家族の心の中に生きている。今もこれからも。
posted by 優子 at 07:19| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月30日

チャッピーが生きていた2015年もまもなく暮れる ―遠くなっていくチャッピーとの日々― 

チャックンと散歩の光景.jpgこれは今年の2月下旬の散歩中のチャッピー。この9か月後に別れになった。
この時もチャッピーの死を意識して、チャッピーと歩いていた時のことを覚えていたくて撮った。

16年間も一緒に歩いていたのに、既に記憶が薄れてきている。こんな感じだったんだ・・・そう、リードを持っている感覚を少し思い出す。

カテゴリ「愛犬・チャッピー」を開く。
2006年9月1日(チャッピー9歳3ヶ月)の記事に「チャッピーの分かる言葉」が記載されていた。懐かしく思い出された。

餌、ミルク、パン、さかな、お水、お座り、お手、ダメ、ハウス(犬小屋)、お外、おうち入る?、(家に)上がるか?、ボール、寝んね、行こか(散歩に行こうか)、裏(裏庭)、猫、カラス、狸(この辺りには狸がいるので覚えた)、何かおる(虫が怖い私がこう言うとキョロキョロして見て回ってくれる)など20余りの言葉を理解している。

しかし、これらの日常語も2009年春以降は消滅していったように思う。ユキと生活するようになり、チャッピーに関わってやる時間が急減したからだ。

2006年9月15日の記事には、「チャッピーは初めて我が家に来た時からクルクル回っていた。嬉しい時やストレスのある時に回り、その速さはそれらの程度に比例するようである」と記しているが、私はそんな特徴さえ忘れていた。

生き物係B.jpg晩年は散歩に出た瞬間に回るぐらいだった。
しかし、このような回り方ではなく、以前はその場を高速で回り続けた。
ストレスで回る過敏さも全くなくなってしまったが、喜びを表すのも消えていたことに今になって気づいた。

晩年は5〜6分に短縮した散歩に出た時だけが唯一の喜びだったのだ。それも(今年の)9月に入った頃までだったと思う。短い散歩は常にユキに託していた。

ユキは2年生になると1年生の時よりもかなり力強くなっていたので託していたが、今となっては悔やまれる。私も一緒に行けばよかった!

2007年2月17日、チャッピーが真智とスカイプした時の事:
真智子がパソコンから「チャッピー」と呼ぶと、耳を動かした。キョロキョロして真智子を捜したが居ない。

そこで帰って来たのかと思って玄関の方を見、そちらに向かってお座りをした。かわいいチャッピー。でも、胸が痛くなった。真智はアメリカなのだ。 

私はチャッピーを真智子に合わせてやりたくて必死になった。
「違うやんか! チャッピー、ここ! 真智はここや!」と、パソコンの画面が見える位置にマットを動かしてやった。ついに目と目が合った!

「チャッピー、ワン言うて?!!」と、真智にチャッピーの声も聞かせてやろうとしたが鳴いてくれず、大好きなミルクを見せて鳴かせた。
「ミルクあげるからワン言うて?!」と言うと「ワン」と言うからだ。
苛酷な研究生活を送っているミネソタの真智には、チャックンの元気な声も聞いてアニマルセラピーになったことであろう。

チャッピーにも人間と変わらぬ心があり感情があるのに、それでも動物は死んだら終わりなのだろうか・・・
チャッピー、今、どこにいるの? 
どこへ行ってしまったの?
わかっていてもやっぱり思ってしまう。

私はチャッピーを紐につなぐことに違和感があって、何年間もつなぐ時はいつも「チャッピーごめんね。つながせてね。失礼します。」と言いながらつないでいた。

外出する時はよほど時間がない時以外は、いつも姿勢を正して「チャッピー、お留守番をよろしくお願いします」と礼をして出かけた。時間がない時でも門から顔を出して、必ず目と目を合わせてそのように挨拶した。

そして、帰宅した時は「チャッピー、ただいま! お留守番、ありがとう」と頭を撫でてビスケットをあげた。私がビスケットの缶を手にした時の嬉しそうな眼、目は缶にくぎ付けになっていた。
外出時の挨拶とビスケットのやり取りは死ぬ1週間前まで交わしていた。


2006.2.11チャッピー6歳9ヶ月.jpgこれは成犬たくましい頃のチャッピーとの写真で、今から10年前のものだ。

今年はチャッピーとの別れもあったが、特に記念すべき年でもあったので2016年の年賀状は夫婦両名にして、この写真を掲載しようと思ったが悔い改めなき夫の意思で必要がなくなった。

結婚以来ずっと連名で作成していた年賀状だが、2015年に続いて2016年も別個になった。

ようやく昨夜になって年賀状に取り組み、と言っても今年も全て知子に厄介をかけて出来上がった。そして夜10時過ぎにポストに投函した。無風だが寒かった。

まもなく2015年が暮れる。
チャッピーが生きていた2015年、懐かしき日々が遠くなっていく。

附記:ようやく昨日体調が戻ったばかりの今日正午過ぎ、次女に連絡を取り危機介入してもらう。
2時間半に及ぶ電話、真智の傾聴と信仰による導きに感謝している。私たちはもう一度新たに歩む。


posted by 優子 at 22:54| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

チャッピーと共に過ごした16年3ヶ月

チャッピーが逝ってまもなく1ヶ月.jpg

チャッピーが逝って1ヶ月余り過ぎた。
毎年年末か年始の礼拝に教会の方々に新年度のカレンダーを持参する。礼拝後にカレンダーを見ていた時、柴犬の写真が目に入り、その瞬間に涙が溢れて止まらなくて困った。

チャッピーはいない.jpg剪定が終わってすっきりした庭にもチャッピーはいない。どこを探してもいないのは不思議だ。生まれる不思議、死ぬ不思議。
数年前は名前を呼ぶと元気いっぱいに走ってきた。ウロウロ徘徊していたチャッピーではなく、そんなチャッピーの姿も思い出せた。

かわいいチャックン.jpg


チャッピー!
今どこにいるの?

これは今年6月半ばのチャッピー。




003.jpg
去年の今頃、冬休みになったユキと一緒に知子を駅まで送った時のチャッピー。

いつ頃までチャッピーは駅まで歩いていたのだろう。


チャッピーとユキ@.jpg2014年12月26日
チャッピーとユキA.jpg
1年前はこんなに元気に力強く引っ張っていた。
犬の躾から言えば間違った上下関係なのだろうが、リードを持つ者が止まれば一緒に止まり、歩き出せば一緒に歩き出してくれていたので問題はなかった。

仕事納めの朝A.jpgその翌日、2014年12月27日、御用納めの朝。
そして今年も早、御用納め。でも、もうチャッピーはいない。


空き缶ばかり噛んでいた.jpg犬が年を取ることも知らなかった私は、チャッピーと共に過ごした16年3ヶ月をしみじみ思う。

堅い空き缶をよく噛んでいた。

我が家のサンダルだけではなく、母屋の勝手口からもくわえて行っては噛んでどこかにほったらかすので、何度義母に謝ったことか! 

サンダルだけでは飽き足らず、当時はやっていた厚底の重い重い知子の靴をくわえて振り回していた。頸椎を損傷しないか心配したものだ。それだけではなく新築した我が家までかじり、果ては自分のハウスも噛んで、いたずらばかりして困らせた子犬時代。
ふてくされているみたい.jpg
小屋(ハウス)の入り口まで噛んで穴があいている。








IMG_6540.jpgチャッピーが笑っているみたいで、いつもジュリア・ロバーツの笑顔を想っていた。






抱いてもらっていてよかったチャッピー.jpgチャッピーも抱いてもらったことがあってよかった。
私は一度も抱いてやったことがない。


1才頃かなあ・・.jpg

タリバン時代.jpg繋ぐのはかわいそうだからと自由にしてやるのだが、何度逃げられたことか!
人間 対 犬の知恵比べは、いつもチャックンが勝利し、この柵からも逃げた。

2004.10.14.jpgお隣に家が建つのでブロック塀が壊されて見晴らしがよくなった!




その年の冬、生まれて初めての雪か?
かわいいね、チャッピー、何て美しい姿だろう。
IMG_6252.jpg

就寝中.jpg「おやすみ、チャッピー」
私はいつも声をかけて2階へ上がって行った。
冬は丸くなって眠る。かわいいね、チャッピー。
笑って眠っているね、どんな夢を見ていたの?


foxじゃないよ!.jpg
この写真を見た外国の人は「狐みたい」と言ったと
真智が言っていたが、「天然記念物の柴犬だよ〜!」

チャッピーとマチと知子.jpg

2003.9.23.jpg

2003.9.23 4才4カ月.jpg

よくこんなことをしていたね.jpg若いころは猫の気配にも鋭く反応していた。
そのくせ結構怖がりで、しかしトカゲにはいつも強気だった。「殺生はやめなさい!」と止めたことも何度もあった。この時もトカゲを捕まえようとしていた。


仕事に行く前に.jpg chappi.jpg

冬の朝に弱いチャッピー、私と似ている。冬の間は飼い主が家を出る時も目も覚まさないで寝ていたね。

ヨーグルトをきれいに舐めてたね.jpgヨーグルトが無くなった時、いつもきれいに舐めていたね。
これも懐かしい光景だ。




2008年12月から翌年3月まで、知子の心身を休めるために時々ユキを預かっていた。この時、ユキは2歳8ヶ月で、お昼寝から起きたばかり。ユキは何を話しているのだろう。

B2E8C1FC20040.jpg
チャッピー、ユキの相手になってやってくれてありがとう!

冬晴れの日の午後は、いつもチャッピーを部屋に入れてやっていた。玄関に敷物を広げるとチャッピーは直ぐに上がって座り、私は「ポッポ―」と言いながら暖かいリビングルームに引っ張っていった。

チャッピーに教えてもいないのに、チャッピーが敷物から絶対に出なかったことに今更ながらに驚く。


2009年4月からユキと知子と一緒に住むようになり、知子がチャッピーの入室禁止令を出した。

これはユキと一緒に暮らすようになった2ヶ月目、2009年5月の頃。ユキは2歳10ヶ月で、チャッピーは10歳になったばかり。
2009_5_1A4CE3-13633.jpg
「チャッピーは石なんか食べないよ」

人間も小さい時から一緒だと犬を怖がらない、私はしみじみ感動して見ていた。チャッピーは人生の先輩風を吹かせないで相手になってくれていた。それも人間が学ぶべきところだ。

しかしこの頃、ユキがチャッピーに「おすわり!」と言うと、私は良い気持ちがしなかった。あんなに反対した結婚と離婚への憤りがまだ残っていた。
しかし、最後の1年はいつもユキが夕方の散歩に連れて行ってくれた。ありがとう、ユキ。
 
私は外出先から帰ってくるときは、いつも遠くから口笛を吹いた。するとチャッピーは眠っていても(若いころはよく眠っていた)気がついて立って出向かえてくれた。

1年ほど前にお向かいの方から聞いたことだが、チャッピーが双子の兄弟を見分けるというので驚いた。
その方には双子の息子さんがおられて、そのおひとりはここに住んでおられない。その方がたまに実家へ帰って来られた時はチャッピーが吠えるというのだ。

私もチャッピーも顔を知っているわけでもなく、通行人は垣根で遮断されているから見えないのに、足音やにおいでわかるのだろうか、同居している息子さんは出入りしても吠えないというのだから驚きだ。

私たちはチャッピーが誕生して3ヵ月から16歳半の天寿を全うするまでを共にした。ペットショップで買い求めた犬は弱いと後で聞き知るようになったが、チャッピーはとても元気な犬だった。

人間の何倍もの速さで年を重ねていったチャッピー。元気なチャッピーも13歳頃から老いの試練が始まり耐えていた。

2014年1月に前足の関節が痛くて歩けなくなり、食べなくなり、あの時は死ぬかと思った。そうなった時のことを犬を飼ったことのある友に相談したほどだ。

しかし奇跡的に復活し、初めて歩き出したときは何と6回も続けて10日分を排泄した。どんなに嬉しかったことか!

2012年の10月頃に膀胱炎になり、それを放置していたために(?)75%腎不全になっていると告知された。その病のせいで土間やドアの前でも排尿するようになった。

2013年3月7日の記事には、「今では毎朝玄関のポーチに水を流して掃除するのが日課になってしまった」と記されている。

その1年ほど経った頃からだっただろうか、認知症が出てきて今年2015年の元旦には雪の中をウロウロしていた。
そして桜が咲くまでに腹部外側に腫瘍ができ始め、夏以後になると絵具を溶かしたような鮮血が流れていたこともあった。

雨上がりの朝に.jpg

犬は痛みに対しても人間よりもはるかに我慢強いと獣医さんが言った。

私が60歳の頃は、チャッピーも同じ60歳頃かと思っていたが、それからの3年余りで老いの差が大きく開いて行った。私は何度もチャッピーに言ったものだ、
「チャッピーが先に老いを経験していくのね」と。

最初は我が老身と重なって気持ちが重かったが、そのうちチャッピーがかわいそうで最後の1年半は心痛な日々だった。

晩年はあの小さかったユキがチャッピーの世話をするようになっていた。

私はチャッピーの一生を共に過ごし、16年半の間に子犬時代をすごして成犬になり、そして、老犬になり、最期に死んでいった命の輝きをつぶさに見て、命の重さと命の不思議をしみじみ思う。

真智が「チャッピーの時間が止まってしまった時」とクリスマス・カードに記してあった言葉が心に響いた。

限りある命の時間を、残り少なくなってきた時間を、私は如何に生きるのか。少なくともチャッピーに負けないように自らの生を悔いなく生き、自らの死を死んでいきたいと思わずにはいられない。


posted by 優子 at 23:59| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

チャッピーのいない庭 −思い出の中に留まろうとする気持ちと、それを断ち切ろうとする両義的な思いの中で−

若いころと違って心労が何ヶ月も続くと体が悲鳴を上げる。しかし、精神は年相応に強くなっていると思っていたが、悲しいかな今は心身ともに弱い。

最近また頻繁に血圧が150台もあり180に達することも珍しくない。そんな3日前、急きょ植木の剪定の連絡が入り、昨日は屋外の作業とはいえ朝7時45分から大変だった。

せめて午後からはゆっくりチャッピーのことを思いながらと思っていたら、作業中に母屋の電線を切断してしまったために電話とテレビ(電話は大丈夫だったことがあとでわかる)が不通になってしまった。

適切な連絡先が分からずに5〜6回かけ直す合間に母屋を何度も行ったり来たりして、いよいよ体に恐怖を感じた。ようやくその日のうちに工事に来てくださるとの連絡を受けたのが15時前だった。

血圧は180を越えていたのでデパスを飲みフラフラになってケイ・オプティコムの方々を迎えた。その男性の美しい瞳と誠実な人柄に深い慰めを感じてその方々に神の祝福を祈った。

チャッピーのいない庭@.jpg庭の剪定もチャッピーと同じ回数経験してきたのに、今年はチャッピーはいない。

チャッピーは今どこにいるのだろう。

毎年、剪定の時はチャッピーを玄関の中に入れていた。昨年(10月21日)はチャッピーの耳が遠くなっていたことや小屋に入っていたので、チャッピーが入ったまま小屋を東側に置いて入り口を南側に向けた。

コンパスを使う時のように小屋の一角を軸にして回すと、私でも簡単に小屋の向きを変えることができた。そういえば、半年間か1年間ほど何度もそのようにして小屋の向きや位置を変えていたことを思い出した。

暖かい方へ向けてやったり、また風が入らないようにと、時には一日に何度も動かしていた。

昨年の剪定の時、チャッピーは作業が終わるまで一度も吠えなかったように思う。今夏の浄化槽の汲み取りの時も同じようにしたが、すぐそばの作業でも一度も吠えることはなかった。死ぬ3ヶ月前のことだったんだ・・・

チャッピーのいない庭.jpg24日前までチャッピーが見ていた枝や葉が切り落とされていく。


今年伸びた枝や葉、チャッピーが生きていた時の枝葉も去っていく。
でも、それでいい。


切り落とされるチャッピーが見ていた枝葉.jpg

今年はシルバー人材センターの不手際で剪定がこんなに遅くなってしまったが、それでよかったかもしれない。

チャッピーがいた日々が遠くなっていくさびしさと同時に、さびしい思いを断ち切られたほうがよいというような両義的な思いがある。このアンビバレントな感情も両親と死別した時の喪失感と同じだ。

今は悲しくて、さみしくて、空しい思いがあって当然のこと。だからそれらの思いをシャッタウトしなくてもいいのだ。チャッピーのことをよく思い出してあげることが悲しみを和らげていくことになるのだから。


チャッピーのいない庭木の剪定.jpg

小屋は真智が帰国するまで動かしたくなかったけれど、剪定のために動かさねばならなかったことさえ、どんなに辛かったことか!

17日から一気に寒くなると言うので、日程の連絡のあった暖かい16日のうちに動かしたのだった。

ここにチャッピーが玄関内に居た最後の12時間にユキが描いていた絵がある。チャッピーの最期に寄り添ったユキの絵だ。

IMG_6207.jpg  チャッピーの最期に寄り添ったユキ.jpg
右側の黄色いのは4〜5年前までのチャッピーが大好きだったテニスボールだ。数年前から関心を示さなくなったが、いつの間にかユキが置いてやっていた。

そして、絵の右上にはこのように書いている。

チャッピー ここに もうちょっといてよ。
チャッピーは死ぬの?
チャッピー いままで ありがとう。
チャッピー もしかしたら チャッピーのおかあさんにあえるかもね。
01yuri2b.jpg



チャッピーへ:
チャッピーがいた秋の日暮れ。
秋の日暮れ.jpg


この時はもうチャッピーはいなかったけれど、
日が沈む直前の空、何て美しいんだろう。ねっ?!
まもなく日が沈む.jpg


会社へ行く良輔と知子を見送った時、
夜が明けたばかりの空に明けの明星を見つけたよ!
この時もすぐにチャッピーを想ったよ。
明けの明星.jpg


これは嵐の直前でね、空は真っ暗だった。
でも、もうどんなに強い雨風でも
チャッピーは濡れたりしないね。
嵐の前の虹.jpg


「おかえり」と伸びするチャッピー.jpgチャッピー、
ただいま! 
お留守番、
ありがとう!


ドアの前で眠っていたチャッピーが「おかえり」と、お目覚めの伸びをした。
この時も立ち上がるまでにかなり時間がかかっていた。

チャッピー、知子は今も門を開けたらチャッピーを探しているよ。どこにもチャッピーが居ないからガッカリしているよ。
みんないつまでもチャッピーのことを忘れないよ。

晩夏からポーチに.jpg


posted by 優子 at 23:51| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

「どこでも行ける電車」 ―ユキの深遠な世界とユキの中で生き続けるチャッピーー

※ この記事は2015年12月5日にカテゴリ・「知子(ユキの成長」)に収録したものであるが、チャッピーのカテゴリにも重ねて収録しておきたい。

深く感動したものがある。ユキが学校で「あったらいいな、こんなもの」と題して書いた文章と絵だ。8歳の子供の精神界はかくも広く深い。

どこでも行ける電車A.jpg

下記にわかりやすいように句点を補い漢字に変換して書いてみた。
どこでも行ける電車は、自分が行きたいと頭で考えて、「家のまえ」という駅の屋根を支えてるところに触れたら、線路がかわって電車が来る。

そして、電車のドアがあいて、その中には絶対に11月24日に死んだ「家のチャッピー」が乗ってて、遊んで、そして行きたいところに着いたら、電車は宇宙に返っていきます

この電車に乗ったらアメリカにも行けます。

「その中には絶対に11月24日に死んだ『家のチャッピー』が乗ってて、遊んで、そして行きたいところに着いたら、電車は宇宙に返っていきます」。

11月24日に死んだチャッピーが「絶対に乗っている」。

チャッピーがユキにとって大きな存在であったこと。そして、「家のチャッピー」(家にいたチャッピーの意味)の死を受容していることに涙ぐんでしまった。

ユキはこのように話してくれた。
「チャッピーは宇宙に居て、チャッピーが乗っている電車が来たら、ユキの行きたいところに行って、行ってる間もユキはチャッピーと遊んでいて、行きたいところに着いたら電車はまた宇宙に戻っていく。

家に来た時はチャッピーは庭で遊ぶし、元気なチャッピーになってるからすごく早く裏へ走っていくよ。そして、この電車があればアメリカにも行けるよ。だからマチとフーにも会いに行く。

そして行きたいところへ行ったらチャッピーが乗ってる電車は宇宙へ戻っていく」。


チャッピーが宇宙に居るということにも心を打った。チャッピーは神さまのところに居ると理解している。そして、東(あずま)道男牧師の言葉を思い出さずにはいられない。

「宇宙をお造りになり星座を動かしておられる神。太陽から地球に光が到達するのにちょうど8日間かかっている。そういうことをなさる神さまが私たちの祈りを聴きイエス・キリストを下さったのである。

宇宙を創造し、力の根源でいらっしゃる神さまから生命が与えられている。宇宙的なエネルギーを注ぎ込んで私たちの心を一新して生きる望みを与え、沈み込んだ気持ちを立て直すと約束されるのです。

神さまは過去の恵みにまさる大きな将来の恵みをお与え下さるのですから、過去の恐れや悲しみから脱け出せと言われます」。

「私も90代後半に入ろうとしておりますが、大宇宙の宇宙的エネルギーと守護の天使に力づけられて元気いっぱいに若やいで主(イエス・キリスト)の為に働いております。神を信じぬいて夢と希望に生き抜いて勝利を得ましょう」。
(これは今週落手したお手紙より)
 
ユキが文章と共に描いた絵がこれだ。

どこでも行ける電車@.jpg
宇宙から来て電車が道路を走って、また宇宙に戻る。
どこにでも行ける電車。
ユキの素晴らしい世界は私たちに豊かな慰めと生きる力を与えてくれる。

都ホテル@.jpg

都ホテルA.jpg







今日のユキと知子。
Photo by Yuko.


モクレン新芽.jpg
チャッピー、コブシの新芽が出てるよ・・・
チャッピーのいない春、夏も秋も、これからの1年はさみしいことだろう。悲しくてたまらなくなったらユキの「どこにでも行ける電車」を呼ぼう。

チャッピーがいた「家のまえ」という駅の屋根を支えてるところに触れたら10秒ぐらいで来てくれるというから、そして、真智は特別だからワシントンの家からチャッピーを呼べるんだって!

「マチとフーのところにも行くよ。散歩に連れて行ってね。
ワシントンやアーリントンの町を歩くんだ!」
チャッピーの避暑地.jpg
「まち、もう泣かないで、ワン」


posted by 優子 at 18:21| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

チャッピーを偲ぶ F ―マチとクマとの時―

今日は動物病院からワクチン注射の案内が届いた。一瞬心臓がドキッとしたが涙はなかった。毎年動物病院からこのワクチン注射と初夏にフィラリア予防の案内が届いていた。

チャッピー亡きあと動物病院から届く.jpg

夕方に動物病院へ電話してチャッピーの死とお世話になった感謝を伝えた。死因や最後の様子を詳しく聞いてくださったので慰められた。

ある人は愛犬が死んだ時、「3年間泣いていた。よそのワンちゃんのことを聞いても涙が出る」と涙ぐまれた。意外なことに私は犬を連れている人を見てもさほど心は痛まないが、年老いた犬がわかるようになったので犬の最期を想像して気持ちが沈む。

私はチャッピーが死んだ直後の3日間は悲しくてどうなることかと心配したが、今では殆ど涙しない。それでもやっぱり昨日も今日も1度は泣いている。

1週間経った昨日あたりから門を出入りする時もチャッピーを探すことは殆どなくなった。ゴミ収集日も門を開けたまま出入りでき、チャッピーが出ないか心配せずにすむ。

しかし、今日もまたチャッピーの生きた証のために、そして、マチとクマのために記録しておきたい。

DSC01585.jpg
これは2007年5月24日だと思う。
ということはチャッピーは8才、真智は結婚してミネソタ大学大学院生の時だ。もう10年8ヶ月も前で、チャッピーはまもなく6歳になる頃だった。
こんな命みなぎる頃の顔はチャッピーではないみたい。この2年間にすっかり老いてしまったから・・・

2005.4.1.jpgこれは2005年4月1日。
この時、真智子と太志君は東大の大学院生で、太志君が初めて我が家へ来た時だ。



2012.12.24.jpg
これはIMFのエコノミスト2年目で、
ワシントンから帰国していた2012年12月24日。

出発の朝、チャッピー元気でね.jpg
これは2014年5月5日早朝、夜が明け始めた時。
5月3日朝にマレーシアへのミッションの帰りに日本へ立ち寄り、2日後にワシントンへ戻る朝。

チャッピーとマチとクマ@.jpg

その2か月後、今度はシンガポールへのミッションの帰りに2泊の帰国。この時、クマはワシントンからシンガポールへ飛び2人一緒だった。 

真智子よりチャッピーへ:

「夏にもちゃっぴーには伝えたつもりだけど、
『今までいっぱいありがとう。いつも懐いてくれてありがとう。泣いてる時に心配して寄ってきてくれてありがとう。大好きだよ。』って伝えてください。
涙をこらえて頑張ります」。


真智たちがチャッピーの死を知ったのは、ワシントン時間11月24日(火)の朝、出社する前だったから辛かったね。

「チャッピーの最期を何度も読んで、写真を何度もみて、涙が出ます。元気な時のちゃっぴーを思い出します。チャッピーが一生を生き抜いたことを思って尊いです。
まちも頑張って生き抜かなきゃ。
太志も何度も涙を流してちゃっぴーを偲んでいます。
チャッピーの遺体とお別れやね。ちゃっぴーはきっと幸せやった」。

ちゃっぴーの存在そのものがこんなに嬉しいものだったことを認識しました。何ができるから、何をしてくれるからではなく、存在そのものが愛おしくて嬉しいものだったんだ。きっと神様にとってもそうなのかな。生きる意味をまた考えます」。


太志君よりチャッピーへ:

「この夏に会ったときも、たまにしか会わない僕のことを、ちゃんと覚えてくれていたように感じられたので嬉しく思っていました。
写真を見ると涙があふれてきます。やすらかな表情ですね。悲しく寂しい気持ちでいっぱいですが、チャッピーと出会えたことへの感謝を改めて感じています。本当に優しいチャッピーでした。
チャッピーの最期をお伝えいただきありがとうございました。何度も読み返しています。僕も涙をこらえて頑張ります」。


posted by 優子 at 21:43| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

チャッピーを偲ぶ E ―春姫号・チャッピー―

チャッピーの父は大福王号(1995年4月19日生・毛色 赤)、母は将美号(1995年9月25日生・毛色 赤)、母犬は1999年5月10日に牡1頭、牝2頭を産んだ。そのうちの1頭がわが家に来た。

Name of Dog : HARUHIME GO KASAOKA TOMIOKA
犬       名 : 春姫号 笠岡富岡


チャッピーの血統書.jpg

これはジャパン・ケンネル・クラブ証印の入った正式の「国際公認血統証明書」で、ここに記載されているチャッピーの実名、ブリーダーが命名した名前は「春姫号」だった。

「登録番号:JS−07007/99、毛色:赤、繁殖者:竹元眞一・神戸市、所有者:竹元眞一・神戸市」と記されている。

チャッピーは神戸市生まれ。本名が「春姫号」というのはとても嬉しくて、私はこれ以上の名前はないと喜んだ。

チャッピーを飼い始めて忘れられない感情が3つある。

まず、散歩に行き始めた時、道路に鼻を近づけてクンクンにおいを嗅ぎながら歩くのが嫌だった。それは犬の習性なのに、「そんな惨めな歩き方はやめなさい」と何度か言っていた。
そして、鼻を擦りむかないか心配で何度か地面に顔を近づけて見ていた。

そして、「いつも犬役でごめんね」と心の中で繰り返していた。子ども時代の学校での掃除当番ではないが、「犬の役ばかり押し付けて交代しなくてごめんね」という思いがあった。

それらの思いはともかくとして、犬は毎晩お風呂に入らないということが、母の悲嘆を引き戻した。
チャッピーがわが家に来た時、母が亡くなってまもなく3年経とうとしていたが、お風呂に入るたびに心が痛んだ。母の晩年の悲しみと死別の悲しみがまだ癒えていなかった。

母が亡くなるまでの1年3ヶ月、病院では週に2回の入浴だった。お風呂と言っても座る姿勢もとれない全くの寝たきり状態だったので、横になったまま体を洗ってお湯を流すだけだった。

年末のお風呂が12月29日だったと思う。「今日が今年最後のお風呂です」と言われて胸が痛んだ。31日に気持ちよくしてあげたかった。
特に最期は容態が悪くて入浴できなかったので、半月以上入らないで終わったと思う。

そのことがチャッピーが来てから思い出された。
犬はお風呂に入らないで眠るので、私はお風呂に入るたびに外にいるチャッピーが母のことと重なった。

毎晩毎晩、お風呂に入るたびに母のことが思い出されて悲しかった。その思いもまた何年か経つと解放されたが、今度はチャッピーのことで心が痛んだ。

外で飼っていてもチャッピーを洗ってやっていなかった。今年になっていよいよ洗ってやらなくてはと思ったら、おなかに痛々しい腫瘍ができてシャンプーなど怖くてできなかった。


1992年3月からペン活動を中断し、母の介護、看取り、そして、父の介護、2000年8月に父を看取るまで、読み手を意識しての執筆活動から遠のいていた。
しかし、チャッピーの存在が再び私に書く感覚を思い出させてくれた。

その間は年に一回発行される読書会会報と、娘たちが通っていた高校が発行する冊子に寄稿を依頼されて、5年間務めた学年委員長として報告や教育観を書いていた程度だった。

そして2006年のお正月に真智子がブログを開設してくれた。喜んだのはいいが見事に何も書けなくなっていた。

最初の記事は「ブログを開設しました。見てくださいね」だけ。2日目の記事は真智が東京からチャッピーの写真を載せてくれたので感激したが、その時も「我が家のチャッピーを紹介します」の言葉だけだった。あの時の写真をもう一度見たい。

このお粗末すぎる2つの記事も削除せずに置いておくべきだったのに、1年ほど前に消してしまった。

ところが次の日にチャッピーのことを書いた。
それが2006年1月5日の記事・「驚くべき文明の利器でチャッピーを紹介!」で、書く感覚が一瞬にしてよみがえった瞬間だった。そのきっかけが血統書の存在だった。

「私はチャッピーが『血統書つき』であることも知らなかったし、そんなことに関心も無いが、犬は人間と違って肩書きなんかで誇ることもない。私はそこに感動し、教えられるのだ」。

こう書いた時、まるで歌を忘れたカナリアが歌を思い出したように、あるいはまた、病気か心理的ショックで話せなかった人が急に話し始めたかのように書けた。

今日でチャッピーが死んで1週間経った。
先週の今夜、チャッピーを箱に納めた時、私は血統書を入れてやろうとしたら、夫と知子が止めた。「それは置いておけばいい」と。それで取っておいた。

私がその瞬間に思ったことは、チャッピーは血統を誇る価値基準に優越感や満足感を抱いたりしない。これは人間が作った価値評価なのだから慰めにはならないと思って入れなかった。

眠りについたチャッピーに入れたのは質素で僅かな花しかなかったが、ユキの折鶴一つと共に愛と感謝の気持ちをこめて箱を閉じた。


かわいいね、チャックン.jpg
チャッピー、お耳の影がかわいいね!
チャッピー、今どこにいるの?

ブリーダーの竹元眞一さんに「春姫号」が死んだことをお伝えしたい思いもあってこの記事を書いた。お目に入りますように。

チャッピーはとても元気な子でした。夫は「とても頑張り屋だった」と言っています。でもお医者さんもびっくりするほど怖がりでした。
チャッピーは私たちのところへ送られてきた「天使犬」でした。


チャッピーに首飾り.jpg 
チャッピー、やっぱり今年が最後の春だったね。

ユキとチャッピー.jpg
これは2010年11月6日。
ユキはまもなく3歳4カ月。
チャッピー、ユキと遊んでくれてありがとう。
        
posted by 優子 at 18:19| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

チャッピーを偲ぶ D ―チャッピーを送って行った朝、私たちはそれぞれに空を見上げていた―

役所に向かう空.jpg
2015年11月25日、チャッピーを見送った朝の空。

その朝、私たち皆がそれぞれに空を見上げていたという不思議なことがあった。知子は7時半過ぎに通勤中の布施駅で空に目をやり、
「今はまだチャッピーは家に居るな。送っていく役でなくてよかった」と溢れる涙を抑えたという。

チャッピーが帰っていった朝の空.jpgその時の空は、光がもっと強く降り注ぎ、まるで絵に描いたような空で、まさにこの『フランダースの犬』の最終場面の絵と同じだったという。行く道でも空を見てはチャッピーへの涙をこらえて会社に向かった。 

そして、ユキもまた学校へ着いた7時55分頃に見ていたという。

「いつもは空なんか見ないのに見た。走って行って疲れて立ち止まった時、いつもは空なんか見ないのに空を見たらきれいな光が射していて、ああ、チャッピーが天国に行ってると思った」。

こんな不思議なこともあるのだ。きっとチャッピーが知子とユキにも「さようなら、ありがとう」と告げていたのだろう。

その日、ユキが幼稚園の作品展を見に行った時、「N先生、チャッピー、死んだ」と力なく告げた。
先生は驚かれて、「かわいそうやなあ、これからずっとチャッピーと会ったときのことを思い出しとくわ」と仰ったと、帰ってきた早々に話していた。

7時過ぎの強かった光は徐々に弱くなり、私たちが役所に着く8時20分頃には写真のように弱くなっていた。
そして、その2時間後から雨が降り出して急激に気温が下がっていき、季節は一気に冬に変わった。
寒くなる前に逝ってよかったね、チャッピー。

チャッピーのいない玄関.jpgチャッピーはもういない。
どこを探してもいない。
家族みんなも門を出入りする時にチャッピーを探している。そして今もみんながチャッピーに声をかけている。
「チャッピー おはよう」
「チャッピー 行ってきます」
「チャッピー ただいま」
「チャッピー おやすみ」


9月頃(?)から夕刻の餌やりはユキの役目になっていた。外で遊んで帰ってきたら家に入る前に餌をやり、そして最後の日々は夫が帰ってきた時に小屋に入れていた。

しかし、ユキは餌やりを忘れてばかりいた。
「ユキ、チャッピーに餌あげた? 早くあげなさい! 水も入れ替えてやるのよ!」
夕食の準備で忙しい私はいつも台所から叫んでいた。そして、チャッピーが居なくなっても3日間言っていた。

「散歩してる犬を見るとチャッピーを思い出すなぁ」
28日の夕方、ユキとウォ―キングから帰ってきた夫は淋しそうに言った。

今日でチャッピーがいた11月が終わる。
カレンダーをめくりたくない。
チャッピーがもっともっと遠くになっていくようでさみしい。

玄関のチャッピーA.jpg
チャッピーのいる光景。
この1か月後にチャッピーは帰っていった。


posted by 優子 at 16:21| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

チャッピーを偲ぶ C ―特別な曲になった " The Magnificat " ―

私は文章を書く時は書く内容によって選曲し、1曲だけを連続で聞きながら書いている。ところが2年前から使っている「ウィンドウズ8(8.1)」は未だやり方がわからなくて連続再生の保存リストに追加できない。

しかし、この曲だけはどうしても連続で聞きたくて、今朝、東芝のサポートに電話して遠隔操作でリードしてもらって保存リストに入れることができた。ありがたい、どんなに感謝したことか。

その曲は、John Michael Talbot の " The Magnificat "、チャッピーが玄関にいた最期の13時間に聞いていたクリスマス・キャロルの1曲で、心の深くに入ってきた。

このCDからも好きな曲をメディアプレーヤーに入れてあるが、6年前はこの曲は心に響かず入れていなかった。

この時、CDを大きな音でかけていたわけでもなく、ましてやチャッピーは耳が聞こえなくなっていたのでチャッピーの耳には届いていなかったであろうが、しかし、チャッピーが生きていた時に私の心に感じた「マグニフィカート」だから特別の曲になった。

真智たちには伝えられないと思っていたら、ユウチューブに「マグニフィカート」が上がっていたので是非聞いてほしい。

今朝から家に@.jpg24日朝に土間に入れた。
夫の合いの布団を敷き、清潔なベッドで横たわるチャッピー。
もっと早く入れてやるべきだった。せめてウロウロしなくなった23日午後から。
いや、11月16日から夜は入れてやるべきだった。その日から急にお腹がへこんで呼吸が荒くなったから。

この朝、夫は帰宅するまでにチャッピーが死ぬのではないかと思って家を出たという。知子も同じように緊迫した気持ちだったという。だから昼休みに電話をくれたのだ。しかし私は金曜日ぐらいまで居てくれると思っていた。

11月23日午後.jpg亡くなる前日23日(月曜日、勤労感謝の日)15時12分。
食べ物は食べなかったが水は飲んだ。



23日夜.jpg
23日18時44分。

体位を変えられないので大急ぎで顎の下に箱を置いてやった。これが最後の夜になった。



最後の夜は雨だった@.jpg
雨が降りそうだったので傘を広げておいた。10時頃から雨が降った。雨風でなくてよかった。




最後の夜は雨だったA.jpg







そんなに苦しそうには見えない、良かった.jpg
そんなに苦しそうではなくてよかった。
この夜半に3度ほど鳴き声で目が覚めたのに、私も数日ぶりに眠れた夜だったから1回しか行ってやらなかった。午前2時すぎ、私が行くと直ぐに鳴き止んだ。

この頃は間違いなくチャッピーは家族の者を呼んでいた。独りでは不安だったのだ。私は後悔することばかり。かわいそうなチャックン。


この日の朝、チャッピーは中にいなかった!.jpgその前日22日の朝は、あの弱った体で外に出ていた。4〜5日前は柵を倒して出ていた。



この隙間から出た。.jpg前日はこの隙間から外に出たのだ。

そして長い長い時間ウロウロして、ようやくあの土の上に落ち着いたのであろう。チャッピーは1年ほど前から小屋に入らなくなった。

外に出たいチャッピーを閉じ込めたのは、雨が降ってきても軒下や小屋に入らなくなったからだ。時に夜中に裏庭の奥まで行って深い溝に落ちたことが何度もあったからだ。

この数ヶ月、私は夜中にトイレで目が覚めた時もすぐにカーテンを開けて庭を見ていた。朝目が覚めた時も一番にチャッピーの様子を見た。

ウロウロ動き続けるチャッピーB.jpgチャッピーはいつも起きていた。夜中も朝もいつもかわいそうなほどウロウロしていた。
こんなに老いた犬は一日の大半を寝ているであろうに、チャッピーは若いころよりも起きていた。ただただ歩き回っていた。

そして、寝込んだのは最後の1日半だけだった。

チャッピーの姿を探す癖がついてしまった私は、チャッピーがいなくなった昨日も一昨日も目が覚めれば庭を見る。きっと今夜も明日も明後日も・・・

母と父を看取った時と同じ、チャッピーが逝ってから時間が過ぎていくのが悲しい。こうしてすべてが通り過ぎていく。


優子さん
チャッピーはとうとう死んでしまったのですね。
優子さんのブログ、そしてチャッピーの歳を考えるともうすぐ・・・かなと思っていました。
死んだ犬は「虹の橋」で遊んでいるという詩をご存じですか?
http://www.yuko-sound.jp/petloss/rainbowbridge.html
この詩を読むと大声で泣きたい気持ちが少し慰められるのではないかと思います。

『虹の橋・Rainbow Bridge 』とは原作者不詳のまま、沢山の動物愛好家達に語り継がれている詩です。
この詩に深い感動、共感を持った世界中の動物愛好家達によって、様々な国の言語に翻訳されインターネットを通じて世界に伝えられているそうです。

友に教えていただいた「虹の橋」の最後の部分をここに。
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、あなたの心から、永遠に消え去る事はないのです。
地上にいる特別な誰かさん達の、幸せと愛に満ちた想い出こそが、「虹の橋」を創りあげているのです。

ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。彼らはあなたを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。

命の儚さと愛しさを・・・
束の間の温もりに感じる、慈悲の心の尊さを・・・

その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。
癒える事のない悲しみだけを、残しに来るのではありません。

思い出してください。
動物達が残して行ってくれた、形にも言葉にもできない様々な宝物を。

それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。
「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。

「チャッピーもみんなの帰りを待っていたんですね。
チャッピーもお父さんと知子さんの帰りを待っていたのですね。
そして安心して息を引き取ったのですね。

お父さんを見つめるチャッピーの目、本当に『大好きなお父さん!』って言っていますね。『これまで長い間お世話してくださってありがとう』って言っていますよ、きっと。

みなさんがチャッピーの死の悲しみののちに慰めと平安が与えられますように祈ります」。

ありがとう、M・Mさん。

posted by 優子 at 17:52| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

チャッピーを偲ぶ B ―チャッピーに歌う「こすずめも くじらも 空の星も」―

チャッピー、ただいま。.jpg「チャッピー、ただいま」
幼稚園や学校から帰ってくるといつもスキンシップしていたユキ。
そして今日、虫取り網をチャッピーの顔にかぶせたことがあると言った。回数を聞くと2回あると言った。堪忍してあげてね、チャッピー。
これは今春、ユキが2年生になったばかりの頃、この時は耳にてんご(関西弁:いたずら)している。

「ただいま、チャッピーがいないとさみしいな・・」

昨日は帰宅した時も前夜の泣いたあとが感じられた。クラスの子どもたちはいつもと違うユキの様子を察知して、何人にも「どうしたん」と聞かれたという。
子どもたちの敏感さに感銘を受けたが、それに対する言葉が一言もない異様ないびつさに驚いた。

私は今日は独りで居る時は涙は滲む程度だが、家族がチャッピーのことに触れると涙が溢れて、悲しくて悲しくて、地団太踏むほどたまらなく悲しくて号泣した。

どうしてもっと遊んでやらなかったのか!!!
どうして時間を割いてあげなかったのか!!!


このように悔いることもよくよく分かっていたから、「後悔しないように今一緒にいないと!」と言っていたのにしなかったの。

それでも最近は少しは庭にいるようにした。
あれは今月に入ってからだったか、シュウメイギクの枯れた葉を切っていた時、チャッピーがずっとそばに来てピッタリくっついて離れなかった。

あの時(24日7時57分)、「チャッピー、子守歌うたってあげるね。以前はよく歌ってあげたよね。そしたらすぐに眠ったよね。ねんねん・・・?」 とチャッピーに顔を近づけて歌おうとすると、夫が「もう死んでる」と言った。

あと一回だけでも歌ってやりたかった。
「ねんねんころりーよ、おころりよ。チャッピーは良い子だ ねんねしな」。
子守歌を歌い始めた数回後から、子守唄を歌い始めるとチャッピーが目を閉じるのには感心した。

そういえばユキが来てからはユキに気を取られていたので、もう長い間歌ってやったことがなく、そのまま逝かせてしまった。
ごめんね、チャッピー、6年間も遊んでやったことがなかったね。一人ぼっちにばっかりさせて寂しかったね。

今日はずっと讃美歌21、425番 「こすずめも くじらも」をチャッピーに歌っていた。22日の礼拝で歌ったので脳裏に残っていたのだろう。

      1.こすずめも、 くじらも、 空の星も、
        造られた方を たたえて歌う。

       2.大地震も、嵐も、稲光も、
        造られた方に 助けを求める

       3.七色に輝く 虹と十字架、
         空の墓を見て、感謝献げよう。

       4.飢え、渇き、病と、浪費の世に、
        造られたものは いやし求める。

      5.隣人と敵との へだてはなく
         神は愛と平和 お与えになる。

       6.いつの世もおられる 愛の神は、
        未来の世代の 生きる喜び。


ユキが作ったチャッピー.jpg21日(土)の「オープンスクール」の作品展で展示されていたユキの作品。
今年はスーパーの袋で思い思いのものを作るのが課題だった。

ユキは「家にいるチャッピー」と題してチャッピーを作っていたが、これを持ち帰ってきた今はもうチャッピーはいない。
ユキにとってもチャッピーは大きな存在だった。


IMG_6286.jpg






チャックン.jpg

チャッピー、私は書くことで悲しみを耐えているよ。
大切なものを失って気づく愚かさ。堪忍してね。

昨日小屋のなかを履くと小さな糞が一つ転がり出てきた。23日に小屋の中でしたのを取り残したものだ。かわいそうに、こんなところでは決してしなかったのにね、寝たきりになると人間もチャッピーも同じやね。悲しいね。

雨が続くと最長40時間以上も我慢して排尿せずにいたチャッピー。ほかの犬は玄関を開けてやると、すぐにそこで用を足して入ってくるというのに、チャッピーは絶対にしなかったから雨の日はストレスだった。

小さな糞をいつものように拾って捨てようとした時、「もう2度とこんなお世話もできないのね」と悲しみが突き上げてきて、愛おしくて泣いてしまった。

この小屋もすぐに捨てようと思ったがしばらく置いておこうと思う。知子もまた同じ気持ちだった。慌てなくてもいい。悲嘆のプロセスはゆっくり進めばいいのだ。


リードと水入れは捨てない。そうだ、真智たちにも小屋をもう一度見せてやろう。次の帰国まで置いておこう。

しかし、チャッピーは今どこにいるのだろう。
動物は無に帰するのだろうか、昨日から聖書を読み直している。 

22時20分追記:知子の帰りを待ちきれず先にお風呂に入った。
22時1分、知子からメールが入っていた。
「10時3分布施発で帰ります。心配しないで寝ててね!
チャッくんはもう心配せずに逝った。だから、頑張ってるんだよ!」


大急ぎでウトウトしていた夫に迎えを頼んだ。
快くOKしてくれた。迎えを頼むのは何か月ぶりだろう。

外は真冬のよう。昨日から暖房、足温器、電気毛布と一気に真冬。23日から冷たい雨が降り出し、ずっと降ったり止んだりの寒い日々が続いている。
でももうチャッピーのことを心配しなくてもいいんだ。チャッピーはもう濡れることもないのだから・・・

posted by 優子 at 18:09| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

チャッピーを偲ぶ A

チャッピーが死んだ翌朝(昨朝25日)、「おばあちゃんの知らない朝がやってきた」を心の中で何度も繰り返していた。まるで室生犀星か斎藤茂吉の詩のように。

「そのうち夜が明け始め、おばあちゃんの知らない朝がやってきた。
元気な時には必ず起きてた6時になっても、おばあちゃんは目を覚まさなかったね。お寺さんが来ても、礼儀正しいおばあちゃんは深々と挨拶するはずなのに、初めて、ただただ眠っていたね」。


真智子が高校1年生の秋に祖母と死別して3日後に書いた「祖母への惜別の手紙」の1節だ。

今朝は突き上げてくる悲しみの感情も涙も終息している。とにかく泣いてばかりの24時間だったから。
しかし知子が玄関を出ようとした時に、「チャッピー行ってきます」と言った瞬間涙があふれて嗚咽(おえつ)した。

知子は、「チャッピー、今日も頑張ってくるね。私は前向きよ!」と言って家を出た。極度の理不尽な闘いの日々にある知子がそういって美しい笑顔を私に残して出発した。

宅急便のチャイムがなって玄関を開けた時、チャッピーがいなくて悲しみが突き上げてきた。
どこをさがしてもいない。16年以上も共に過ごしたチャッピー(犬とは書きたくない)がいなくなったのだから涙を抑えることはできない。

私にとってチャッピーはペットなどではなかった。
そしてまた、今思うと私は冷たいのではなくて、チャッピーと適切な距離を置いていたのだと思う。だからよく耳にする「ペットロス(ペットを失うこと)」にはならないだろう。

母や父の時もそうだったが、親の死という大きな喪失体験を順調に超えていけたのは臨床心理学でグリーフワーク(Grief work:悲嘆に向き合うこと)を学んでいたことが大きな助けとなった。


私は悲しい気持ちを大切にしたい。共感してくれる友人もいるのが感謝である。昨日の午後、近隣のNさんに電話してチャッピーの死を伝えた。
その日のお昼前の生協の配達の時に玄関内のチャッピーを見てもらっていたところだった。共に泣いた。Nさんの猫・トラちゃんが死んだのは去年の12月だった。

でも、いつだったかチャイムを鳴らしてチャッピーのことを聞いてくださった方に敢えて伝えることはしない。わかった時は「悲しすぎて言えなかった」とでも言おうと思っている。

このようなことまで書くのはペットロスの方が読まれた時のことを思ってのことである。「悲しんでいい。それでいいのよ。そして、立ち直っていくのよ」と言いたくて。

チャッピーを飼うまでは犬の死の悲しみがわからなかったから、そういう人々のことを思うと悲しみを抑制しなくてはと思う。

しかしチャッピーと出会い、子犬時代のチャッピーを箒をもって追いかけたり、外でしか排泄しないチャッピーを雨の日も散歩に連れて行かねばならない煩わしさなど、日々の関わりを通して変えられてきた。

苦手な猫にも微笑みの眼差しを向け、小鳥や野花の命に感動出来るようになったのもチャッピーのおかげだ。

だから誰に遠慮することなく悲しい時は悲しんでよい。チャッピーを偲び、チャッピーとの日々を振り返りながら気づかされたことを書きたいという思いがある。

それは何よりもチャッピーが生きた証しを記録しておいてやりたいことと、そのことを通して動物を飼ったことのない人にも分かちたいし、ペットロスの中で落ち込んでいる人には立ち直ってもらいたいとの思いも昨日から感じている。

母は脊髄小脳変性症という難病で亡くなったので母が亡くなったあと、いつまでも晩年の母の姿しか思い出せなくて悲しみを深くした。私の中に生きている母が元気な母になったのは5〜6年以上も経ってからだっただろうか。

だからチャッピーが亡くなる(犬にはこの言葉を使うのは間違っているが)前の数日間や痴呆になってウロウロしている写真や描写は残さない方が良いと思うが、それらにも意味がある。老いて悲しい姿になった時もチャッピーだからだ。

チャッピーが最期まで命を生き切ったこと、その厳粛な時と姿を見ながら「私もチャッピーのように頑張るからね」と、いつも心の中で声をかけてきた。
チャッピーの姿は私が挫(くじ)けそうになった時の励みになるに違いない。

いつかきっと心の痛みも和らげられて「そうやったなぁ・・・」と思える時が来るのだから、楽しかったことだけではなく最後の日々も刻んでおきたい。私の脳が機能している間に。


最期の1週間ほど前からよくここに居た.jpg亡くなる2週間ほど前から、朝はよくここで寝ていた。雨のあとの冷たい土の上で。(27日追記:前日の18日は雨で、この朝も雨のあとが残っていた。この時の気温は12度だった)

昨日チャッピーを送って帰宅した時、ちょうど義母がここに居たのでチャッピーの死を告げた。
「そうかね、いつもここに居るのに居ないからどこへ行ったんかと思ってた」と義母は言った。

2日間食べず飲まずB.jpg19日の朝もここに居た。→
会社へ行く前になんとか食べさせようとする夫。

左上の写真にある植木鉢の花が無くなっているのは、チャッピーを納めた箱に入れてあげたから。

寝てしまった.jpg
何も食べないでまもなく眠ってしまった。

(12月7日夜追記)
11月22日(日)の朝はヨーグルトを食べた。
11月22日朝.jpg


IMG_6273.jpgその日、教会から帰宅したのは6時頃で真っ暗で1時間も前に日が暮れていた。

庭のどこにもチャッピーが居ないので、即座にユキが懐中電灯を持って見つけてくれた。
チャッピーはこの正面のフェンスに鼻をつけて立っていた。きっとずいぶん長いこと立っていたんだろう。
かわいそうに! 
痴呆のためにバックして戻ることもできないのだ。


22日18時過ぎ、チャッピーはずっと真っ暗闇の中で立っていた.jpgユキが連れてきてくれた時も、チャッピーはフラフラした足取りながら歩いていたが、この段差を下りた時よろめいて顔から転んでしまった。

こんなに早く逝くんだったら用事などしないで、昨日の半日だけでもずっとずっとそばにいてあげたかった。

金曜日もキャンセルして神戸へは行かなかった。土曜日のペンクラブにも行かなかった。日曜日も教会に行かなかったのに!!!


この中に納めました.jpg

今は何を見ても悲しいが、しっかり悲しんで、そして立ち直っていきたい。チャッピーは死んでしまったが、カテゴリ「愛犬・チャッピー」のページは増え続けることであろう。
「チャッピー」


posted by 優子 at 13:53| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする