2018年08月07日

「今の日を大切にしてほしいと願って」

IMG_1665.jpg8月4日(土)、信仰の友・長原さんが出展されているフジフィルム主催の「50000人の写真展」に出かけた。場所は大阪駅グランフロントの地階。
私たちは次女夫婦の帰国中と重ならなかった昨年に続いてグランフロントへ行くのは2回目だ。昨年も8月4日に出会い、その時の写真(左上)を応募作品として展示してくださった。

タイトルを「二人の世界」として、このようなメッセージを込めてくださり、胸が熱くなった。
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こんな写真も撮ってくださっていた。
冒頭の写真と共に今日落手したものである。常に手早く仕事を片付けていかれる誠実さと熱心さは真似できない。
感謝!

このほかに「懐かしいあの頃」部門に、天に帰られたご伴侶の写真を毎年出品しておられる。
IMG_0364.jpgユキはリュックを覗き込んでゲームをしていた。歩きながらやっていたこともあり「歩きスマホ」ならぬ「歩きゲームマン」だった。

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   長原さんは今秋84歳になられる。IMG_1670.jpg

長原さんのカメラでも
撮られているよ!

今年は土曜日なので1人で行くつもりだったが、知子は神戸で講習会があり私たちと同じ電車で外出。夫もお昼頃から外出(御所市へ)するので長時間独りにはできず一緒に来たが、私はやっぱり血圧が高く体調に自信がなかったのでユキが一緒で心強かった。

今年は昼食の後、早々に別れた。長原さんはこのあと長浜の夏祭りを取材された。長浜はもとより、彦根、大津など滋賀県の文化への視線は熱い。

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この日も異常な暑さ(37.1度)だったが、数日前に思いついてどうしても訪ねたくなって昔懐かしい鰻屋に向かった。

IMG_0367.jpg梅田から阪神電車で二駅目、野田で下車して新橋筋商店街へ入ってすぐのところ。ここは持ち帰り専門の有名な店だ。
私は特に鰻が好物というわけではないが、母が利用していた店でここから二駅先の我が町でもよく知られている店だ。私たちも東大阪に住んでいた時は実家へ行く前に何度か立ち寄り、また、夫が営業でこの辺りを通る時はしばし路上駐車して買ってきてもらったことがあった。

母の晩年から買うこともなく、当地へ引っ越してからは思い出すこともなかったので25年ぶりだった。店はまだあるのかどうかさえわからなかったが、とにかく行きたかった。少しでも両親に関わる地を訪ねたかった。

鰻屋はあった!
店主の顔を見た瞬間に「昔のままや」と驚き、私が記憶していたことにも驚いた。とはいえ、この場所以外で会っても思い出せなかったであろう。

鰻の大きさと数を言うのは覚えていたが、「タレは?」と聞かれてもなかなか思い出せなかった。タレは一尾に一つつくが、もっと欲しければ、その倍の容量のを買うことになっていることを忘れていた。殆どの人が追加購入するがかつて同様に買わなかった。ついている分だけで十分で、4人分のうな丼にも1本で十分だった。

「ユキ、これが本当の鰻やよ。おあがり!!!」
「そしたら今まで食べてたのは嘘の鰻やったん?」

私たちは常に生協で購入する冷凍の鰻なのでそのように言ってしまったが、勿論今まで食べていたのも本物の鰻だが、やっぱり最高においしかった! ユキも「いつものと全然違う!」と、あっという間に平らげた。

私は店名を「川繁(かわしげ)」ということさえ知らなかった「野田の鰻屋」。大2匹、5340円だった。店の写真を撮ったのにミスして削除してしまったが、ここに詳しい記事がある。

新橋商店街を出た所、右端に阪神電車の各停電車が見える。
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このすぐ近くの松下幸之助の起業の地も訪ねたかったのに
すっかり忘れて帰路に。
地下鉄・千日前線で上六(上本町6丁目)へ。

野田阪神は母の通院介助で住友病院へ通っていた時に何度も通った道。そして1995年のお盆前、すぐに入院と告げられて母の寝間着(前開き)を野田阪神で買い求めた。歯を食いしばって泣くのを我慢して走り回った所だ。

IMG_1664.jpg今朝、兄から両親の墓参の日取りについて電話があった。いつものように私の健康を心配してくれ、わが家の情況や両親を偲んで30〜40分話していた。今夏の墓参は兄と二人だけで行こうかとも思っている。
時は今、兄に読んでもらいたいものを準備したい。

IMG_0402.jpg明日は父が亡くなった日。
もう18年も前のこと、生きていたら93歳。
懐かしい父と母に早く会いたい。


posted by 優子 at 17:26| 父母を想う | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

みことばの花束C

「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたの掟を学びました」。(詩篇119篇71節)

いま恵まれた環境にいるなら、その良い条件を最大限に生かすべきです。怠惰に過ごせば、最良の時はすぐに過ぎ去ります。いま逆境にいるなら、新たな信仰の世界を開くべき時です。苦境から安易に逃げず、主に信頼するなら、苦しみが祝福を残します。いずれの場合も、主は幸いを用意されています。

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「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。(詩篇119篇105節)

恐れは心を闇で閉ざします。闇で将来が見えなくなっても、不安に動かされてはなりません。不安で動けば道を踏み外します。主が「今日の一歩」を照らし出してくださいます。その一歩を確実に踏み出せばいいのです。そうすれば、「明日の三歩」「明後日の五歩」が照らされます。主の教えにとどまれば、迷い出ることはありません。

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「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません」。(詩篇119篇176節)

迷い出た羊が助かる方法は、野獣の餌食となる前に、羊飼いに見つけてもらうことです。そのためには、鳴いて居場所を知らせなければなりません。羊は近眼で遠くが見えず、自力で助かろうとすれば、かえって迷い込むだけです。主に向かって叫び続けるほかないのです。

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「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」。(第一コリント13章13節)

あなたから、能力や健康や地位や家族や財産が取り去られたら、何が残りますか。もし怒り、絶望、憎しみしか残らないとしたら、悲しいことです。でも、クリスチャンには、信仰と希望と愛が残ります。すべてを失くしても、愛はあなたを建て直します。それゆえ主は言われます。「この愛にとどまりなさい」。

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「私たちは仕掛けられた罠から鳥のように助け出された。罠は破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある」。(詩篇124篇7・8節)

「主が私たちの味方でなかったなら」(1節)、罠にはまり、悪の餌食になっていたでしょう。世の罠に捕らまったときジタバタすれば、かえって雁字がらめになります。主が味方であると確信し、落ち着きを取り戻しましょう。主の助けの手が見えてきます。

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「主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、慈しみを施してください」。(詩篇125篇4節)

罪の力が支配する世にあっては、善行や正直が報われない理不尽なことが起こります。だからこそ、主の慈しみが施されるように祈るのです。不正や自己中心が、社会を崩壊の危機に陥れています。私たちは、善良と正直な生き方が祝福と平和をもたらすことを証明し、危機にある社会を修復します。それが私たちの務めです。

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「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい」。(第一コリント14章20節)

自己中心や自己顕示は子供の特徴です。ただ、幼児は「赤信号」(悪事)を渡りません。大人のクリスチャンなら、いつも堂々と「青信号」(正しい道)を渡ります。また、何が人を生かし、どうすれば社会の祝福になるかを、主の愛を基準にして考えます。

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「ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい」。(第一コリント1章40節)

自我さえ出なければ、自ずから秩序は整っていきます。しかし、私たちには人を自分と同じようにさせたい、人を支配したいという思いがあります。この支配欲を封じ、へりくだることさえできれば、たいていの人とは平和に暮らせるのです。支配欲の強い人に対しても、「自分に関する限り」(ローマ12:18)、へりくだりを戦略にしましょう。

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「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。・・あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」。(詩篇127篇1・2節)

主が喜ばれないことに時間と労力を注いでも、無意味です。主が良しとされることに、心と力を集中するなら、主があなたの力量以上のことを成し遂げてくださいます。

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「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、幸せであろう」。(詩篇128篇1・2節)

主の道を歩む人は、苦難の中にも喜びを予感しています。たとえ道を踏み外しても、そのつど悔い改め、主の道に復帰して歩み続けます。そうして歩み通した達成感は格別です。その時いただく「勤労の実」を味わったら、主を畏れることが、この上ない喜びとなります。
(以上、キリストの栄光教会より)

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posted by 優子 at 22:05| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年08月03日

みんなの前でラジオ体操! −5年生の夏休み−

IMG_0337.jpg夏期は降圧剤を服用せずに正常値を維持できることが間々あるのだが、今季は長年の心労から血圧が(160)に跳ね上がって下がらず、医師はその原因を探るべく多方面の検査を施されたが、幸い臓器に異常はなく変薬して1ヶ月間様子を見ることになった。

今週は薬のおかげで高めの数値で安定してきているが、時に(100)を下回ってふらつき、しんどさを感じてふらつくと(150)に跳ね上がっているので調子が良いときは少ない。

そんな日々にあってユキの夏休みも早2週間過ぎ、8月1日から毎年恒例となっている自治会主催の朝のラジオ体操が始まった。ラジオ体操を実施するようになったのは2009年からだ。

IMG_0343.jpgその年私は副会長としてK会長に仕えていた年度で、役所への提出物にラジオ体操の参加延べ人数と共に世代間交流の場にもなっているなど一文を書いてアピールしたことを思い出す。

その文章を喜んでくださったKさんは昨年ご伴侶を亡くされ、ご本人も介護を受けておられるようだとお聞きしたが、私は自分のことにかまけてお訪ねできていないのが心苦しい。

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ラジオ体操が始まって10年目の今年は班長当番とあって参加することを自らに課し、これを機に年齢相応の健康を取り戻したいとの思いがある。
「今ならまだ肉体も精神も信仰も健康に戻す事は出来ます」。(クリスチャン・ドクターOさんより)

そんな今夏、サマースクール(小学生対象に3日間)に出席していたユキとG君の5年生2名に、自治会長さんが「前に出て体操してほしい」と声をかけられた。親に似あわず恥ずかしがり屋のユキだけに、このような機会を喜んでいる。

というので私は第一日目の一昨日朝に写真を撮りたいと思っていたのだが、幼い頃のように私の思いのままにはならない。ユキの意思を尊重しなければならず2日目も撮れていないのだが、昨夜「明日はいいよ」と許可が出た! 

IMG_0341.jpgただし、目立つから広いツバの帽子はかぶらない、小さな帽子もダメで帽子をかぶらないようにとの条件つきだ。 
ユキの手を引いて歩いていたのはつい昨日のことのようなのに、気がつけば小学校高学年。私は幼かった頃のラジオ体操でのユキを見たくて過去ログから写真を集めてみた。

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これは、2009年8月、ユキは2歳になったばかりの頃。この年の4月に37キロに痩せ衰えた知子が療養のためにユキを連れて帰って来た。

2010.8.30.jpg以来毎年参加していたはずだが、2010年の写真はなかった。右写真は同年8月30日、まもなく3歳2か月のユキだ。

こんな時があったのかと感慨深く、茫然と見入ってしまう。夫を。


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次は2011年8月、
4歳になったばかりのユキ。






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そして、2012年8月、5歳になったばかりのユキ。
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2013年の写真もないので、その頃の写真を。
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↑ ユキは6歳、幼稚園年長組。 ↓
この頃初めてチャッピーのリードを持たせた。
チャッピーが本気を出せばチャッピーの方が強い力なので
人が通らないごく短い距離だけだけれど。

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2014年の写真も撮っていなかったようで、
1年生の6月、サッカー教室に入ってすぐの頃、
もうすぐ7歳のユキ!
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次もラジオ体操の写真代わりに。
真智たちもみんなで淡路島へ行くフェリーで。
2015年、ユキは2年生、8歳!
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この頃はまだこんなに可愛かったよ。
これはお手伝いしてくれているところ。
食器を拭いて、背伸びして食器棚へ。
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これは2015年6月、もうすぐ8歳になる頃。
チャッピーはこの年の11月に死んだ。


そして2016年、9歳3年生の夏。
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↑ この年も写真を撮るために参加したのみ。↓
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そして、これは去年2017年、10歳4年生。
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どうしてこんなに写真がないのだろうと思ったら、2015年3月にお風呂場で右肩腱板断裂の大怪我をして、この年の夏はまだ一人でTシャツを脱ぐこともできなかったから体操どころではなかったが、その前年あたりから怠けてユキ独りで行かせていたように思う。

「目の前で撮るのは絶対やめて! 一番後ろの東屋(あずまや)から」と言われていたが、端っこの前方から写した。

これが2018年夏、5年生11歳のユキだ。
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右端の男の子も5年生、真ん中の男の子は4年生。

IMG_0349.jpgIMG_0348.jpgユキの背丈は今、
141センチ。
ユキはこの子たちと
大きくなっていく。
まっすぐ大きくなあれ!
posted by 優子 at 14:17| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

ブルンナー読書会㉓ −この人による以外に救いはない−

7-28-1.jpgこれは7月28日(土)の記録である。
テキストは、エーミル・ブルンナー著、下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の12回目、説教のタイトルは「この人による以外に救いはない」。
出席者:all member.
開会礼拝:内村鑑三の愛唱歌
讃美歌260番「千歳の岩よ」(知子奏楽)、聖書朗読とお祈り(知子)。

使徒行伝4章8節〜12節:
4:8 その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、
4:9 わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、
4:10 あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。
4:11 このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。
4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

知子の発表:
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下村師のお話しよりノートメモ:
近代国家は政治と宗教を分けるようになり、政治では信仰の自由を認めるようになっている。しかし、憲法改正案には信仰の自由に制限が加えられる条項が記載されているので、これから生きていかねばならない若い人たちは要注意だ。日本の民主主義は自分たちで獲得したものではないから弱いところがある。

▼ 「あらゆる宗教をある意味において真理と認め、したがってラマやクリシュナや釈迦と並んでキリストをも救い主、救済者として崇めることのできるあのインドの精神的態度は」、忍耐とは何の関係もない寛容であり、「寛容とは本来、忍耐を意味し」、「むしろそれは、極端に異なった宗教的ないし救いの教義を同時に容認することを要求」する。

▼ しかしながら、あることが単に部分的にではなく、ある程度までではなく、完全に真である場合には、他のものを真として認めることは不可能です。この場合には、まさにあれかこれかの二者択一しか存在しません。

▼ 釈迦やクリシュナやラマは、人間の罪のために死ぬということはなかった。

仏教の中心的なものは、苦悩からの自由だ。イエス・キリストは罪の贖いのためにいのちを捨てた。

▼ 「われわれ人間は、病気、貧困、無常、争い、憎悪、戦争、死といったさまざまな苦悩を経験」し、これらから解放されたいと全ての人が願っているが、これらは中心的、決定的な苦悩ではない。中心的な苦悩は、あなたが神の前に罪があるということこそ苦悩である。

▼ 人間は可能なありとあらゆるものから解放されることを欲するが、この自己の最も内部に関係すること、すなわち罪からだけは救われようとしない。
ここに人間が人を真に人格として理解していないということが表れている。罪とは、他のあらゆる苦悩とは異なり、人格の苦悩、すなわちわれわれに付随した何物かに属する苦悩ではなくわれわれ自身に関する苦悩である。神との関係が正しくない。

現代人は自分の最も中核的なところが蝕まれている。(キリスト教会においても)贖罪抜きのキリスト教になっている。

ブルンナーの「人格」とはキリスト教の根本を言っている。神の語りかけに対して応える。その時はじめて人格となる。神の似姿に創られた人間を、神に応えうる人間にする。

私たちは自分が最も大事だと価値を置いているものの姿をとると言われている。何を信じ、何を大事だと思っているかでその人物の在り方が決まる。

▼ 聖書は「この不幸は、神があなたの罪を赦、ご自身をあなたと結合されることによってのみ除去されうる」と語ります。神が、罪によって離されているあなたをご自身と結合し、あなたと和らがれるということ、これが真の幸福、真の救いです。

和解者であるイエス・キリストを信じる者は、もはや神から離れてはおらず、神と和解した者であり、われわれの魂の最奥にある不幸は取り除かれました。

われわれは再び神に向かって「愛する父よ」と語りかけることが許されます。そして神はわれわれに対し、「わたしの愛する子、永遠にわたしの心にかなう者よ」と語りかけてくださいます。

このことを外してはならず、信仰とは信頼であり人格である。

私の感想:7-28-3.jpg
私は外的状況、生活状況に悩みこんでしまって、いつしか神にある喜びと感謝も失われつつあり、まさにそのことが「自分らしさがなくなっている」という意味だが、そのことは即ち罪の赦しまで手放してしまっているほど混乱していることに気づくことができてよかったと思う。

一休さんの歌に、「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」というがある。これは、仏教では「仏」と呼び、キリスト教は「イエス・キリスト」と、それぞれ呼ぶ名前が違うだけで、人間が求めている "Something Great" は同じという考え方だが、この宗教多元主義はキリスト教を内部から崩壊する危険なものである。

行く道が違うだけではなく求めているものも違っていれば歩き方も違う。彼らの歩き方は修行や修養であり、そもそも人は悔い改めることによってのみ神と出会うことができるのであり、罪が何であるかわからなければ、悔い改めることはできない。

森有正は、経験で最後に残るのは罪であり、罪の解決をしないでは死ぬことはできないと言っているが、日本人は罪の解決もしないでよく死んでいけるものだと思う。

悔い改めへの道は一つだけで主イエスの道以外に山頂に辿りつくことはできない真理には排他性があるのは当然のことであり、『使徒信条講解説教』の「いかにして聖霊を受けるか」で学んだことをもう一度深く感じることができた。

即ち、「悔い改める人のみが扉を見出して扉を開け、道はそこを通って行き、この一本の道以外に山頂をきわめることはできない」ということ。
「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。(ヨハネ14章6節)
夫もまたびっしり2枚に心にとまったブルンナーの言葉を書き写して感想を述べていた。

次回は、8月18日(土)、司会役・発表当番は下村さん。説教箇所は「主はわれらの避け所」。

附記:下村さんをお見送りする時、お誘いをお受けして知子も同乗し、しばらくカフェで知子の思いに耳を傾けてくださり、再び送り届けてくださった。
posted by 優子 at 16:35| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

Nさんの優しさに癒され、ユキと至福の時を楽しむ

7-26-0.jpg昨日の朝、「しんどかったらお医者さんへ連れて行ってあげるよ」と、Nさんが私の体調を心配して電話をくださった。血圧は相変わらずだったが気分は悪くなかった。
「じゃあ、何か買ってきてほしいものはない? 今から買い物に行くから買ってくるよ」。

友の優しさで心身ともに癒されていくようだった。そして懐かしい母を思い出させた。

友は買い物帰りに、「これは『飲む点滴』と言われているから」と冷たい甘酒を買って届けてくださった。ユキの好きなゼリーや栗かのこと共に。

7-26-1.jpg私を支えてくださっているクリスチャンの友や、Nさんの優しさに触れて今朝はかなり楽になっていた。
庭の草木に水をやっていると、ユキもジョウロに水を入れて水をやっていた。

すると「おばあちゃんもジョウロ持って?!」と言うので、「おばあちゃんは写してくれなくていいから」と言うと「水がきれいから水を撮りたい」と言われて恥ずかしかった。

そして、ユキはこう撮った!
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すごい! 
ユキの美のセンスはすごいと思う。

これは私が撮ったユリの蕾。
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「アリが密を運んでいくよ」


「真ん中が光のよう!」
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「バッタはどこにいるでしょう」
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「けっこう大きなバッタや」
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こちらは今夏のベランダ。アサガオは2粒分だけ。
ミニトマトは生協で買った種から植えた。

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いつ植えたのか覚えていないが、これは4月24日。

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これは5月4日。
ベランダで5本の苗を育て、あと3本は小さな植木鉢に。

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↑ 6月10日にはこんなに成長し、
今では2メートルにもなっている。

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そして、完熟!
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今朝がベランダの初収穫で、15粒摘んだ。
この前のと合わせて30個、総収穫数を数えたい。
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ユキは掃除機をかけてくれ、その後リビングルームは図書館になった。ユキは夏休みの宿題に集中し、すっかりエジソンの世界も楽しんでいる。読書って楽しいよね、ページを開くと再び登場人物が動き出す。

そしてしばらく休憩して、歩いてランチに。一か所だけ私たちの穴場がある。西名阪自動車道路の小さなサービスエリアだ。もう何年も前の散歩中に、ユキとおじいさんが発見した所だ。そこで働く人たちが行き来できる所があり、地元の多くの人が知っている。

異常な熱波が続く中、今日も警戒警報が出ていたが曇りがちだったので決行した。私はまだ病み上がりにもなっていないが、冒険できるほど今日は気分がよかった。

しかしついてなかった。ラーメンか冷麺を食べようと中華料理店の「百楽」を目当てに行ったのに、その建物は耐震工事中で閉鎖されていてガッカリ。食券を買って麺類を食べて、柿の葉寿司とバームクーヘンを買って帰宅した。

以下の写真は主にユキが道中で撮ったものだ。

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シオカラトンボ。
「くつろいでるからしばらく止まってる。
止まりたては羽をピンと張っているけれど、
落ち着いてくると羽をおろして、
休憩してるときはこうやって羽を下におろすねん」

こんなところに珍しい蓮の花。
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ユキはこう撮った。
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ここからは帰り道、砂利道を行く。

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栗の赤ちゃん・「緑の太陽みたい」

私が撮るとこうなる。
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この写真を撮った頃から急に体力がなくなり必死で家に向かった。

この写真もすごいね〜。
3メートルはあったよね。
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ヒマワリは大らかに顔を太陽に向けている!

今日は楽しかったね、ユキ。しかも、1〜2年以上ぶりに「おばあちゃんブーム」(おばあちゃん大好きブーム)が来て驚いている。

不思議なことにサービスエリアで私の行動が周囲の人に目立って、ユキはとても恥ずかしい思いをしたにも関わらずである。
自動販売機で食券を買うと自動的に厨房に注文が届くので、席について呼び出しのアナウンスがあるまで待っていればいいのに、そのことを知らない私は食券を買うとカウンターへ直行した。

それが目立ってお客さんたちの目に留まって、食事中も何度か見られたというのだ。そのような周囲の気配に私も鈍感ではないと思っているが、今日は全くわからなかった。体調不良だと感性も鈍麻するのだろう。しかしそんなことぐらいでと思うが、思春期に入った多感なユキには嫌だったのだ。

そう言われてみれば、ユキはひたすら食べていた。無言で必死で食べていた。途中で私は何も聞いてもいないのに「もうお腹いっぱいになった」と言った。しかもラーメンは写真よりもかなり少なくて、写真が丼ばちならば実際はお椀に入っていた感じなのに。

そもそもこんなものでは足りないから、ユキはあとでエビフライサンドイッチを買うと言っていたのに「いらない」と言い、おやつを買ってレジが終るとユキはドアから出ようとしていたし、柿の葉寿司を買った時も「早く帰ろ」と促された。

レジを済ませるとユキが傍にいないので、私は「ユキー!」と大きな声で呼んでもいた。ユキにとっては

にも関わらずユキは不機嫌にならず紳士だった。そのことがすごい!
しかも「おばあちゃんブーム」だなんて、嬉しいな・・・。久しぶりに楽しい一日だった。夏休みは始まったばかり。一日一日大切に過ごしたい。熱波のおかげで遊びに行かないので一緒におられて嬉しい。
posted by 優子 at 22:57| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年07月24日

危険な暑さと人間あれこれ −5年生の夏休み−

7-23-1.jpgユキは5年生の夏休みに入った。今日から3日間午前中に個人懇談会がもたれている。知子は今朝一番(9時〜15分間)に済ませて出社した。
梅雨明けした7月9日から38度前後の命に危険な暑さが続いている。

私の世代だと「涼しいうちに勉強してしまいなさい」と言われたものだが、特に今夏は午前8時頃から就寝するまでリビングのクーラーはつけたままだから、「遊ぶんだったら朝に遊んでから勉強しなさい」と言うのであるが、午前7時台に30度になってしまうので公園には猫の子一匹いない。

7-24-2.jpg私は熱中症ではないが心身がすぐれず、ついに先週半ばから体調を崩してずっと寝込んでいた。

例年ならば暑い2ヶ月ほどは降圧剤を飲まずに過ごすことが多いのに、この暑さにも関わらず朝から血圧が(160)もあり、降圧剤の服用を2倍にしても下がらず土曜日に受診した。

医師は原因を探るべく胸部x線や心電図、また、見慣れない多項目の検査のため4本採血した。「血圧を下げたり、狭心症を改善する」薬を2週間分処方され、翌朝は頭痛は治まったものの、血圧は大きく変動する。血液検査結果を待って28日に再診する。

原因は家庭の心労に加えて、9ヶ月前から義母の世話が日に日に加わる負担感の重圧だと思う。

特に2年前の夏から窓も開けず、日がな一日クーラーもつけないので7回8回と見守りにいかねばならない。クーラーをつけてもすぐに止め、特に昨夏は頻繁にソファーの肘に上ってコンセントを抜くので転落しないかと気が気でない。

30歳ちかくも若い私が、3年前の3月に風呂場の掃除中に落ちて右肩腱板を断裂してしまったから、私は離れる時にクーラーをつけることはしない。どうせすぐに消してしまうのであるから。

「健診でもどこも悪い所はなく本当に元気だから、しんどい時はほっといてくれていいから」と、義妹は何度も明朗に言うが、傍にいる者はそういう気にはなれないし、「それが普通の人」と言ったNさんの言葉に深く感動し「そう、それが普通やね」と何度も反芻したことだった。

まるで長い間わからなかった数学が解けたような感じで、この気持ちは一体何だろう。
つまり私が娘の立場ならば、母の世話をしてくれている兄嫁の具合が悪くなれば兄嫁のことを案じるし、そしてそんな母を放っておくことはできないというのも「普通の娘」の気持であるということを確認できたという納得感だった。こんなことに感銘を受けるのは、かなりのストレスで混乱を呈しているのがわかる。

先週のように一日中ウトウト眠ってしまう最悪のしんどさになれば、さすがの私も義母どころではなくなりどうしようもないが、それでさえ一度は訪ねたのであるが。

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こんな状態でユキの5年生の夏休みが始まった。今年は自治会の班長当番のため、昨朝の広報誌配布も私の体を案じてユキが伴ってくれ、夏休み中は1人で配ると言ってくれる。

7月上旬、ユキはこんなことを言っていた。
「今はもうあんまり蝉を捕りたいと思わんようになったわ」と。
しかし昨朝も虫捕り網と虫かご持参でついて来て、早速蝉を捕り始め、配布のやり方を見るどころか蝉に夢中になっていた。 
「毎年クマゼミはこの木に一番いる」とユキが言ったとおり、この時も6匹も止まっていた。

1分間動画

その後、算数と国語の計32ページからなる薄い冊子に取り掛かり、驚くべき名言を吐いた。

「この楽しさを覚えなあかん。
 そしたらなんぼでも(いくらでも)できる」と。

そして今日仕上げた。サッカーのお友だち・Ha君が金曜(終業式の日)と土曜でやり終えたことを聞いたことも刺激になったのだろう。

そして、20分間だけだったが嫌々ながら読書も始め、私が薦めた『エジソン』の伝記を読み始め、2日目の今日は昨日よりも面白みを感じていた。

私は勉強嫌いだった高校時代に愛読していたヒルティの言葉をユキにも伝えた。

金輪際あと回しにしないこと、身体のかげんが悪いとか気が向かぬなどということを、すぐに自分の口実にしないで、毎日一定の、きちんと決めた時間を勉強にささげることである。

君にとっていちばんやさしいところから始めたまえ、ともかく始めたまえ。・・・始めることだけは、気が向かなくとも始めなければならない。

遊び半分の仕事でないかぎり、すべて本当の仕事には、真面目に打ち込めば嫌でもすぐおもしろくなってくるという性質があるものだ。
                       (『幸福論』より)

小学5年生にして「この楽しさを覚えなあかん。そしたらなんぼでもできる」とは、蓋(けだ)し名言である。

子どもだけは伸び伸びと大きくならせてやりたい。心こそ伸び伸びと形成してほしいと祈らずにはいられない。

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7月21日(土) 気温37度

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今年は年頭から異常気象が日常のことになっている。冬は氷点下4〜5度にまで下がる32年ぶりの超厳寒だった。しかし、あんなに寒かったのに春は速く、大阪では3月26日に桜が満開になり昭和32年観測以来最速の早さだった。

関東の梅雨明けもまた観測史上初めての6月29日で、近畿地方も平年より12日も早い7月9日だった。その梅雨末期の西日本の記録的豪雨は今まで経験しない甚大な被害を出し、22日時点で224名もの人が亡くなられている。

この半年の間に、「観測史上初」や「記録的」、また「今まで経験したことのない」という現象が多発している。ホーキング博士は晩年、「人類に残された時間はあと100年」と警告を繰り返していたが、「進化生物学者のJ.ダイヤモンドでさえも、NHKで人類の終焉が近い(2050年頃)と警告」したという。

posted by 優子 at 23:52| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

タイ・タムルアン洞窟から救出された少年の1人は教会育ちだった!

IMG_1484.jpg祈りの友が書いておられる「うめさとチャペルブログ K.Tの日記」7月5日の記事を読んだときは半信半疑だった。

今朝テレビを見ていましたら、少年たちのお友達が励ますためにやって来たところを報道していました。ギターを弾きながら歌っていた歌詞の内容が、「ジーザスがいるから大丈夫、ジーザスとがんばっていこう、ジーザスが助けてくれる」(一字一句は確実に覚えらませんでしたが) のような内容でした。

驚きました。あの中の誰かが教会学校に通っているのでしょうか。賛美をして励ましていました。真っ暗闇のなか、助けがくることを信じてがんばっていたと思います。イエス様が何とかしてくれる。イエス様を信じて耐えていた子もいたのかと思うと、今までも「どんなにつらかっだろう」と涙が出ていたのによけいに涙が出てしまいました。

どんなに困難で辛いときにもイエス様が側にいてくれる、と思えることほど幸いなことはありません。イエス様を知っててよかったね。

この先も救出されるまで、大変なことがいっぱいあると思うけど、イエス様は私たちの足元を照らす灯火、苦しい時にある助け、わたしはあなたを決して捨てない、とおっしゃっています。

イエス様の完璧な救出計画により多くの方の助けを受けて必ず無事にお家に帰れるように祈ってます。

しかし、K.Tさんの予想どおりだった。『クリスチャン・トウディ』7月14日記事の「タイ洞窟の少年ら救出、1人は教会育ちの14歳」に詳しく報道されている。

洞窟脱出!.jpgこの救出でなくてはならない役割を果たしたのが、教会で育てられたアダル・サムオン君(14)だった。息子の無事を祈ってきた両親は、救出の知らせを受け心から神に感謝をささげた。

ミャンマー北東部ワ州で生まれたアダル君は、6歳で教育を受けるためタイに送られた。ワ州は分離独立主義者による暴力が横行しており、地元の武装勢力に少年兵として取られてしまう危険性があるからだ。

米ニューヨーク・タイムズ紙(英語)によると、アダル君の両親は、タイ北部の町メーサイにあったバプテスト教会の牧師夫妻に息子を預け、アダル君はその教会で育てられた。米ワシントン・ポスト紙(英語)によると、アダル君が預けられた教会には、他にも同じような境遇の子どもたちを中心に約20人が住んでいるという。

アダル君が通う学校のパンナウィット・ザプスリ校長は、こうした子どもたちは向上心が強く「闘志」があると話す。
「その中でも最高」だったというアダル君は、語学的な才能に恵まれ、生まれ故郷のワ州の言葉だけでなく、タイ語、ミャンマー語、中国語、英語と5つの言語を話す。洞窟に閉じ込められた少年たちのうち、英語を話せるのはアダル君だけで、彼らを最初に発見した英国人ダイバーとコミュニケーションが取れたのは、アダル君がいたからだった。

また、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(英語)が友人や教師の話として伝えたところによると、アダル君は3種類の楽器を演奏でき、バレーボールからフットサルまでさまざまなスポーツで受賞経験があり、成績もオールAと学校トップだった。

一方、そんなアダル君にも問題がある。それは、ミャンマーから正規の手段でタイに渡ってきたのではないため、タイの国籍がないのだ。これは、今回救出された11〜16歳の少年のうち他の2人も、またコーチのエーカポン・ジャンタウォンさん(25)も同じだ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、タイにはこうした無国籍者が約48万人もいるという。

このような子どもたちを含め、世界中のさまざまな境遇の子どもたちを支援しているのが、キリスト教慈善団「コンパッション」だ。アダル君も支援を受けている1人で、同団体はブログ(英語)に、アダル君の両親のコメントを次のように紹介している。

「こんなにも早く、わが息子を見られるよう助けてくださった神様に感謝します。息子が洞窟から救出され、また家に迎えられることを本当にうれしく思います。これは、神様が私たち家族に与えてくださった愛です。神様は大いなる愛の方で、できないことはありません」。

また、コンパッションによると、救出活動に参加したチェンライ県レスキュー学校のスラユト・ペンパダンさん(18)も、同団体から支援を受けてきた1人だ。彼は、少年たちの行方が分からないことを最初に報告した1人であり、救出のために最初に洞窟に入ったチームの1人でもあるという。

コンパッションと協力するチェンライ県内の諸教会では、連日救出活動のために祈祷会を開いた。そのうちの1つであるバーグジョン教会は、タイ国軍に敷地を開放し、食事を提供するなどして、支援活動の拠点としても用いられたという。

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「マルコによる福音書」10章27節:
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』」。
どんなことが起こっても「大丈夫、これは神様がなさることです」と、はっきり信じきって行こうではありませんか!

どんなことでもできる、とおっしゃる神様が、今ここに私を、そして、あなたを置いておられる。与えられたこの事の中で、神様は何をしてくださるのか、私たちが期待するべきは神様に望みを持つこと、これ以外にありません。

私たちは「何でもできる」とおっしゃる神様によって、今日もここに生かされている。私たちが明日どうなるか、それも神様の手の中にあることです。このことを信じて感謝しようではありませんか。
posted by 優子 at 23:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年06月29日

みことばの花束B −梅雨明け近し−

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昨夕6時過ぎの二上山・雄岳

natu_mug.gif今週は梅雨明けしたような陽ざしで34度の猛暑の日々だった。そして、例年よりも早く6月25日に蝉の声を聞いた。しかもアブラゼミではなく間違いなくクマゼミだった。それも一匹ではなく何匹も力強く鳴いていたので驚いた。翌日、孫もクマゼミの声を聞いた。

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6-28-9.jpg「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」。
  (詩篇118篇24節)

今日は、主があなたに用意された喜びの日です。主は、私たちの心を不安や恐れに支配させず、喜びの予感で満たしてくださいます。たとえ何が待ち受けていても、今日の祝福を楽しもうと心に定めておくなら、すべてのことが益となります。予期せぬことにも、新しい恵みが見つかります。そして一日の終わりを感謝で締めくくれます。

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「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々」。(詩篇119篇1節)

人は本音で生きなければ疲れます。「古い人」の本音は肉の欲であり、「新しい人」の本音は主の教えです。私たちがまだ「古い人」だった時は、主の教えに従おうとすれば疲れました。しかし、「新しい人」になった今は逆です。主の教えに従うことが喜び、従わなければ心身共に疲れます。そのように変えられたのです。

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「私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください」。(詩篇119篇25節)

くずおれた心で主の前にひれ伏すことが、希望の始まりです。打ち伏した瞬間から、喜びが芽生えています。主の憐れみが臨み、主の霊が堅く支え始めます。私たちがそのときどう感じようが、それが主の創り出される現実です。私たちのなすべきことは、その現実を信じ、主を喜ぶことです。

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ねむの木

6-28-5.jpg「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」。
(詩篇119篇50節)

悩みや悲しみで心が揺れ動いても、感情に人生の主導権を握らせてはなりません。主の言葉以外に解決を求めてはならず、キリストに立たない人に忠告を求めてもなりません。気晴らしで一時的に心が休まったとしても、解決にはなっていません。結局、真の慰めはキリスト、私たちを生かすのは聖書の教えだけなのです。

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「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」。(第一コリント12章26節)

人間は自己完結するものではなく、互いを「助け手」として必要とします。独りで苦しみ、喜ぶのではなく、共に苦しみ、喜ぶのです。孤立を選べば、多くの知恵と機会を失います。人間は本来、信仰共同体の中で年長者から知恵を学び、支えられ、老人を敬い、成長するのです。

6-28-8.jpg「たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません」。(第一コリント13章2節)

愛は神と人をつなぐ「結びの帯」、「すべてを完成させるきずなです」(コロ3:14新共同)。神とつながっていないなら、人生も知識も努力も業績もすべて無価値です。神への愛を動機とする行いのみが、永遠の価値を持ちます。

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セイヨウニンジンボク(西洋人参木)

「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない」。(詩篇118篇6・7節)

主は、打ち砕かれた心で主に近づく者の味方です。主が味方なら、誰をも恐れずにすみます。それゆえ、悪意を持つ人に「刃」を向けてはなりません。かえって心に恐れが生じます。大切なのは、自分が主の側に立っているか問うことです。それが悔い改めです。

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「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」。(詩篇118篇22・23節)

キリストは「捨てられた石」です。その石が、神の国の「礎の石」となりました。私たちは世の只中にあって、主を「礎の石」として人生を築いています。世は移ろい、人の心は変わります。しかし、「捨てられた石」は不動です。私たちの心は動揺しても、そこに立ち続けます。

御言葉のメッセージはキリストの栄光教会より。

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今年も半年が過ぎようとしている。小学校では、はや1学期の個人懇談会の日程調整の案内が届く季節になった。そして今日、関東甲信地方に本州初の梅雨明けが告げられた。
posted by 優子 at 17:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

ブルンナー読書会㉒ −キリスト者の生活−

6-23-2.jpgテキストは、エーミル・ブルンナー著、下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の11回目、説教のタイトルは「キリスト者の生活」。
出席者:all member.
開会礼拝:讃美歌90番「ここも神のみくになれば」(知子奏楽)、聖書朗読とお祈り(優子)。

コロサイ人への手紙 3章16〜17節:
3:16 キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

6-23-6.jpgいつものように今月の発表当番(優子)からそれぞれ感想を述べてから、下村師よりテキストに添って学び、改めて感じ考えたことを述べ合い学びを深めた。

下村師のお話のノートメモ:

この説教はキリスト者と普通の人との相違点を出している。「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。」とは、和解と罪の赦しの福音を豊かに宿らせなさいということであり、キリストのことば、福音を薬に譬えれば毎日服用しなさいと述べている。

▼ 医者が1日に3回飲むようにと薬を出してくれたのに、数日に1回しか飲まなかったとしたら、薬が効かなくても不思議に思うにおよびません。この場合、責任は全くあなた自身にあるのです。

イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる薬についても全く同じことが言えます。

われわれの聖書、すなわちわれわれの新約聖書は、生を真に健康で傷なきものであらしめようとすれば、絶えずそこから水を飲まなければならない泉のようなものです。

イエスはある時、ご自分のことを命のパンと呼ばれました。パンは、もしわれわれが食べなければ、繰り返し食べなければ、何の役にもたちません。

聖書を読むことと祈ることに尽きる。
デカルトの「我思う、故に我あり」をもじって、ラインホルト・シュナイダーは「『我祈る、ゆえに我あり』という人だ」と言われた。ズボンの膝が擦り切れるほど祈る人だった。祈らなければ自分の力でやったことにする。祈ることで変えられる。

また、主に向かって心を込めて讃美歌を歌うなど、そういうことによって神との交わりが許され、魂が生き返る。不安や生を不快にする一切のものを絶えず神の前にもっていき、神への信仰によって魂が満たされている時にのみ、心配は消滅する。

原始キリスト教の時代のようにキリスト者の交わりの要素を欠くと、キリスト者の生活は活力を失っていかざるをえない。

▼ 日々のパンを得るためにわれわれキリスト者が行わなければならないことは、もちろん、他のすべての人々が行うことと何ら変わりはありません。
しかし今問題なのは、われわれが何を行うかということだけではなく、どのような気持ちから行うかということなのです。

「また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、」(エペソ人への手紙3章17節)

「しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない」。(ローマ人への手紙8章9節)

「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」。(ガラテヤ人への手紙2章19〜20節)

▼ キリスト者であるわれわれの生活においては、頭(かしら、Haupt:ハウプト)であるキリストが指揮をとられます。キリスト者の生活は感謝のうちにすごす生活です。

▼ 決定的に重要なことは、われわれがキリスト者であることを真剣に受けとめているかどうかということ、感謝のうちに生き感謝の気持ちから行動したり語ったりしているかどうか、あるいは心配のうちに溜息をつきながら一日を始めたり終えたりしているかどうかということ、(略)

一日を感謝をもって始めるか心配をもって始めるか、感謝をもって終えるか溜息をもって終えるか。この点においてもわれわれは新たに開始したいと思います。

すなわち、今後、もはや神に感謝しないでは決して1日を始めず、また1日を終えないということ。その時、苦しいことや辛いことがあってもーそれを免れることは誰もできませんがーそれらはことごとく変質するでしょう。

これは泳ぎの場合と似ています。肺に空気がある間は、われわれは沈みません。それと同様、われわれが心の中に神への感謝をもっている限りは、苦しいこともわれわれを引きずりおろすことはできません

たとえ上下に揺れることはあっても、われわれは浮かびつづけます。それゆえ、魂の中に空気を、感謝を、失わないように留意しようではありませんか。

そして、自分の内に絶えずキリストの言葉を働かせている人間は、どうして感謝を失うことがありえましょうか。

愛する兄弟姉妹、これが、使徒パウロがキリスト者について描いている姿です。パウロがわれわれに命じているすべてのことを真剣に開始すること、それがわれわれへの呼びかけです。今日のうちにそれを開始すれば、後悔する人は1人もいないでしょう。アーメン。

ブルンナーは説教する時、神学を持ち込まないと言っている。そして、「信仰は喜びなんだ」と、何度も喜びと感謝が出る。それもブルンナーの特徴だ。

6-23-3.jpg下村さんは私に、自分の内を見ていると指摘してくださり、内村鑑三は自分の内側ばかりを見ていたが、贖罪信仰を得て、目を上にあげて「臍(へそ)を見ないで天を見る」と言ったことを教えてくださった。
私もアマースト大学総長・シーリーが鑑三に語った「植木鉢の教え」のエピソードをよく知っている。

「内村、君は君の衷(うち)をのみ見るから可(いけ)ない。君は君の外を見なければいけない。何故己に省みる事を止めて十字架の上に君の罪を贖ひ給ひしイエスを仰ぎみないのか。

君の為す所は、小児が植木を鉢に植えて其成長を確定(たしか)めんと欲して毎日其根を抜いて見ると同然である。何故に之を神と日光に委ね奉り、安心して君の成長を待たぬのか。」

そういえば、信仰を授かって数年経った1989年頃に、アンデルセン研究者の横山麗子さんが東京から電話をかけてきてくださった。

「イエスさまを見ないで自分ばかり見ている人のことを『へそみクリスチャン』って言うんですって。お臍ばかり見ている姿と似ているからでしょうね」。

と話されて、私に「自分ばかり見ないでイエスさまを見上げてくださいね」と仰った。

私はこの数か月前からすっかり信仰が萎えてしまい、自分のマイナス面が大きくなって、イエス・キリストに培われていた自分らしさをなくしていた。驚くべきことにそのことを指摘をされて気がついた。

と同時に、ある人々はどうして他者の批判ばかりして自分に目を向けないのだろうと不思議でならないが、このたびは彼らに目を奪われてしまっていた。そのことはもう神さまに丸投げしよう。

とにかく、私は今日のブルンナーの奨めを今日から新たに開始した。すでに私は今、自らをこのオリーブの新芽のように感じられるから不思議だ。イエス・キリストを真に見上げた瞬間、即刻即座にして変えられたのだ。

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そして手に取って見せてくださった、下村さんが毎日読んでおられる内村鑑三の『続一日一生』を、私もさっそくアマゾンに発注した。続編は手に入らず一冊だけ『一日一生』があった。
こんなに人生の大半を過ぎてしまっているが、今からでも幸いな導きに与ろう。サムサムさんも愛読しておられる書を。

天におられる主なる父なる神さまに感謝し、キリスト者のお交わりを感謝します。そして、祈ってくださっている方々に感謝します。

次回は、7月28日(土)、司会役・発表当番は知子。
posted by 優子 at 21:50| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

「こんなはずじゃなかった  〜在宅医療 ベッドからの問いかけ〜」

「在宅医療」という概念もなかった時代から地域密着医療に取り組み、「地域医療のパイオニア」と呼ばれていた愛称「わらじ医者」、西陣の早川一光医師が今月2日94歳で亡くなられた。

早川さんは2014年に腰を圧迫骨折して入院。そこで多発性骨髄腫がわかった。抗がん剤治療を拒否して退院。

とにかく家に帰りたかった。いつも妻にそばにいてほしい。そばにいてくれるだけでいい。「この気持ちが患者さんを在宅に引き込んでいくんだなと思いました」。

ところが自宅で養生介護の身になって、「こんなはずじゃなかった」という言葉が突いて出た。在宅医療こそが素晴らしいものであると西陣の人々に語ってきたが、 自分が医療を受ける側になると極楽ではなかった。いや地獄ではないのかと。

この言葉は「わがままであり、在宅医療への批判、あるいは現代の医療に対する不信、そういったものが折り重なって思わず口についた言葉」だという。

わらじ医者・早川医師のことは10年ほど前から知っていただけに、地域を支えてこられた医療者自らの晩年の経験から「こんなはずじゃなかった」とは衝撃だった。

と同時に、実に正直な人だと思った。それだけ真剣に実践してきた人だからこその思いであり、深く考えさせられている。「こんなはずじゃなかった」ということは、改善の余地ありという思いもあるとも語っておられた。

私は母の介護ができたことは幸せだった。父の時は脳梗塞に倒れてから亡くなるまで3年3ヶ月一度も自宅に戻ることがなかった。母の介護を通して思ったことは、私は身近な人に下の世話をされたくないというものだった。

下の世話をするのは一番辛かった。される側はどんなに嫌だろうかと、いつもその思いでいっぱいになったからだ。だから私は看護師さんやヘルパーさんがいいと思っているのだが、このことも実際にそうなった時にどのように感じるかは私自身にもわからない。

「一番嫌だったのは風呂です。訪問看護の看護師さんがお風呂に入れてくれるんですが、私のイメージにある家の風呂場と違うんです。どこかに連れて行かれたような気がした。自分の家なのに何か違う。こういう感覚は病気をしてみるまではわからなんだことでした」。

西陣にも在宅専門の診療所があります。そこの先生にお話を伺う機会がありました。朝8時くらいに診療所を出て、帰るのは夜の8時くらい。訪問診療していると、この患者さんはまもなく亡くなられるだろうなあとだいたいわかります。そういうときご家族にはこう言うそうです。

「もし夜中に亡くなられてもそのまま朝までそっとしておいてください。朝連絡をいただいたら、伺いますから」と。家族を教育したら大丈夫、これが今の在宅医療だとおっしゃっていました。

私たちは、「ずっと診てきた患者さんなんだから、せめて最期は手を握って送ってあげたい」と思っています。しかし政府の進める在宅診療所はまるで違っています。「2週間に1回来ますので、それ以外はあんまり連絡しないでください」と言っているそうです。

国は在宅介護を推奨している。
            (京都府保険医協会より)

他人のために役立って生きるのはむしろ易しいと思う。他人のために何かできなくなった時、逆に他人に助けられなければ生きられなくなった時、どう生きるか。
私の「病床六尺」の日もそう遠くはない。
posted by 優子 at 17:59| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』−切支丹物をめぐる二人の交流を中心として」 −日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック例会 後編−

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これは6月16日に梅花女子大学茨木ガーデンキャンパスの礼拝堂で講演された概要です。
この2日後の朝に大阪北部地震が起こり、茨木市や高槻市周辺で大きな被害が出ています。


お見舞いメールの返信に「メメントモリ」(死を忘れるな」の言葉を書いてくださった友がおられました。私たちもいつなんどきやってくるかもわからない死を覚え、それゆえに主を覚えて(メメントドミニ)、時を無駄にしないで歩んでいきたいと思います。

遠藤周作の作品は隠れキリシタンに関するものが非常に多い。歴史を辿っていくと明治の初めから島原の乱や細川ガラシャをテーマにしたものがあり、近代文学におけるキリシタン物ということに大きな意味がある。

『沈黙』は、刊行50年を過ぎてなお問題作として私たちに人生や信仰について問いかける作品である。

クリスチャンでなくてもキリスト教に興味を持ち聖書を読むなど、それらが作品に書いてあればキリスト教文学と呼べるのではないか。大衆文学の国民的作家である柴田錬三郎は剣豪小説の一大ブームを起こした。一方、遠藤周作は純文学であり歴史小説で、『沈黙』に関する本は380本ほどある。

6-16-4.jpg2人は慶応大学の先輩後輩で深い繋がりがある。キリシタンへの関心を見ていくともっと深い繋がりがあり、二作品の関係性を話したい。

眠狂四郎は「転び伴天連」(背教した外国宣教師)の子どもであり、ここに背教の問題がある。背教したバテレンが、自分を背教させた大目付の娘を犯し、その子どもが眠狂四郎である。転んで転んだだけではなく悪魔を崇拝し、母の敵として実の父を殺してしまうという宿命で、孤独なはぐれ狼として生涯を送る。

柴田錬三郎のキリスト関係の作品は、『他人の図』『デスマスク』『イエスの裔』『カステラ東安』『眠狂四郎無頼控』ほか多数ある。いずれもキリスト教徒を否定的に描かれているが、信仰とは何かを考えさせられる。

「私は、聖書を読んでいるが、カソリック信者ではない」。(柴田錬三郎『嘘つきが真実を語る』・中央公論・1974年8月号)

「私は、私が先輩にむかってのぞんだ如く、如何なる稚拙な原稿に対しても、それが文学に志す熱意に燃えているものならば、襟を正して拝見する」。(柴田錬三郎「編輯後記」・三田文学・1946年8月号)

柴田錬三郎と遠藤の出会いは1946(昭和21)年頃である。親交の始まりは1949年頃で、遠藤が「三田文学」の同人となり、柴田の家に足しげく通うようになる。柴田に文章作法を教わり添削をしてもらっている。遠藤は柴田を「何でも話のできる兄貴のような存在である」と述べている。

三田文学や慶応との繋がりは大きい。『沈黙』は遠藤が『眠狂四郎』に触発されたこともある。遠藤がキリシタンに関心を持つようになったのはフランス(リヨン)に留学してからである。敗戦国の人間としてフランスで苦労した。留学先でキリスト教の光の歴史と違う闇の歴史を学び関心を持った。

ヨーロッパに留学した日本人のルーツを辿って行くとキリシタンに辿りつく。1582年(天正10年)の天正遣欧少年使節のトマス荒木は棄教したために教会史からも汚点として抹殺されている。

「信徒だけではなく、宣教師や司祭のような人たちの中にも、取り調べの最中に棄教した者がいた。外人宣教師のジュゼッペ・キャラ(『沈黙』のロドリゴのモデル)やフェレイラや荒木トマスのような人物がそうである。キャラやフェレイラは、転んだあとは岡本三右衛門とか沢野忠庵という日本名をつけさせられ役人たちの手先にされている。

日本人の女を妻にもち子供まで生んだその人たちのことを教会側の研究では僅かしかふれていないが、その僅かな解説にも伝道史の汚点であり裏切者だという烈しい非難の言葉が使われていた」。
     (「留学」/「群像」、1965年3月)

『沈黙』は、1633年頃にフェレイラ神父の背教から始まっているが、そのあとは歴史資料の中から取りだして創作したフィクションである。

『切支丹屋敷役人日記』に「棄教したが信仰を持っていた」とある。『江戸切支丹屋敷の史蹟』を読むと、表向きは信仰を捨てているが信仰を諦めなかった人々の歴史が書かれている。

教会史からは消えているが、遠藤はそこから呼び起こして書いている。切支丹屋敷は重要な舞台となる。井上筑後の守の切支丹屋敷としていた。

宣教師がワインを飲んでいるのを血を飲んでいると言われたり、眼鏡をかけた宣教師は4つの目があるとされたり、切支丹に対するイメージは怖いものがあり、「八兵衛の夜泣き石」や「朝妻桜」など伝説がある。

近代文学の中に切支丹屋敷や切支丹坂が怖い場所や不思議な場所として出てくる。(夏目漱石『琴のそら音』、田山花袋『蒲団』、永井荷風『日和下駄 一名 東京散策記』)

『切支丹屋敷 / 切支丹坂』などもキリシタン文学やキリシタン物として読むことができるのではないか。

『沈黙』の最終章「切支丹屋敷役人日記」は難解さの故に読者を阻んできた感があるが、『江戸切支丹屋敷の史蹟』を間に挟む時、踏み絵を踏んだけれど信仰を捨てていなかった事実が浮かび上がり、そこで終わりではないという踏み絵後の三右衛門やキチジローの姿が見えてくる。そのドラマを遠藤は読み取ってほしかったのであろう。

柴田錬三郎が『眠狂四郎』を描いたことも遠藤に大きな影響を与え、「三田文学」が遠藤を作家にする大きな役割を果たしたと言えるだろう。伴天連や黒ミサを取り上げ、信仰とは何かを問いかけている。

※「黒ミサ」とはカトリック教会のミサと正反対のことを行う、神を冒涜することを旨とした儀式のこと。

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6月22日朝追記:
サムサムさんよりコメント感謝!

受洗前の事ですが、もし踏み絵を押し付けられたとしたらどうしょう? と、真剣に考えた事があります。
そして、踏み絵の「絵」は、「仏像」と同じで、人間がつくった偶像に過ぎないのだから、「踏め」といわれたら、恐れず踏めばよい。「隠れキリシタン」と言われようが、信仰さえ失わなければよいのだと、自分自身に言い聞かせ、納得した時のことを思い出しながら「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』」を読ませていただきました。
私も全く同じ考えです。
それだけではなく踏み絵の延長線上にある究極の恐怖。10年前の過去ログでも述懐した悲劇の歴史に記録されている「白バラ運動」の人たちのことを思います。彼らの強さは聖霊によるのであり、強い信仰者を聖霊がそのように導かれるのだと思いいます。

「おおゾフィー、あなたはまだ知らないのだ、人間がどれほど臆病な家畜であるかを」。「私は時計を回転させたい、早くいっそう早く。あなたがたが苦しみのきわみをのりこえてしまうように」とゾフィーとハンスの母。

「ねえ、ゾフィー、イエスさまのことを(忘れないで)ね」。
「ええ、しかしお母さんもね」。

第2次世界大戦中のドイツで、ミュンヘンの大学生であったハンス・ショルと妹のゾフィー・ショルを中心に、非暴力主義でナチスに抵抗した彼らは、ゲシュタポにより逮捕されてギロチンで処刑されたのです。

posted by 優子 at 13:13| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

大阪北部大地震2日後、大雨の今朝、野外活動で曽爾高原へ

一昨日の大地震後だけに大きな余震の不安だけではなく、今朝未明から天気予報通り警報が出る勢いの大雨が降り出した。

そんな状況下でも学校から現状や安全対策についての知らせがなく、日頃の連絡不足についても伝えるべく、昨朝学校へ電話するつもりでいることを知子に話すと、大変な仕事を抱えながらも知子は当然そのつもりでいたとのこと。

先の地震で倒れてきたブロック塀で全身骨折で即死した9歳の女児。ずっと以前から危険であると声が出ていたにも関わらず幼い命が犠牲になった。行政関係者が「申し訳ありませんでした」と頭を下げる光景は見るに耐え難い。

私も不安を抱えて送り出すことはできなかった。学校は子どもたちの命を預かっているのであり、危機管理を怠ってはならない。知子のおかげで昨日校長発信のプリントが配布され、これで私も信頼して託せる。

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「これで私も悔いがない。あの時、時間を割いて電話しておくべきだったという悔いを残さなくて済む」。

6-20-1.jpg玄関で3人で抱き合いながら祈った。ユキや子どもたち、バスの運転手さんたち皆の無事を祈って出発した。





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電車の中から学校から届いた現況メールと共に今朝の様子を知らせてくれていた。
知子は大雨のなか子どもたちが見えなくなるまで見送ってくれた。駅に着くと髪の毛も絞れるほどだった。
(公園に)集合したのは4名のみ。25分に出発させたよ。(学校には40分集合)
(約束していた)○ちゃんママの車が(は来なくて)来たら追いかけてくれるように伝えてねと、Yさん(すぐそばの家の保護者さん)に託して。

土管が破裂するほどの最悪の15分。
私でさえ長靴からコップ一杯の水。
会社に着いたら足どうしようかなあ(T_T)
だからユキも足おわってるやろな。

土管は浮き上がり水路は満杯、
広い道路は池のようで危険だった。
子どもたちが怖がっていたので行ってよかった。

ゆきもみんなも私をふりかえり、
幼稚園の彼らに戻ったみたいに笑顔で手をふって行きました。
今は嘘みたいに止んでるわ。足ドボドボ。

校長も、みんな、
まだ何が「スカッとジャパン」か解る人であるのなら救い。(「スカッとジャパン」は、ユキが最近よく見る番組)

昨日も何事も悔いなくやりきれてよかった。
お祈りして安心して明日を待とうね!

件名 : 現在の状況について

いつも本校教育にご協力頂きありがとうございます。雨が激しく降っており、5年生の野外活動につきましては、現在、体育館で待機をしております。また、その他の学年の登校につきましても、激しい雨と重なったため、職員が登校指導に出ております。ご承知おきください。  ○○○小学校 8:10発信

件名 : 現在の状況につきまして

5年生野外活動につきまして、体育館で待機をしておりましたが、少雨となり、現地においても通常通りであることを確認いたしましたので、9時15分に出発いたします。また、他の学年におきましても、全員無事に登校し、通常の授業をおこなっております。     ○○小学校 9時10分発信

そして、11時半に無事到着したと連絡が入ったという。

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18時40分現場からPTAメール着信:
件名 : 5年野外活動状況
野外炊飯も無事終わり、順調に活動が進んでいます。この後、入浴、館内でのキャンドルファイヤーと活動が続きます。参加児童全員元気に活動を続けています

曽爾高原へは10年前に近隣のNさんにドライブしてもらったことがある。美しい自然、そして、風力発電のプロペラの大きさに驚いた。

ユキにとっては教会のキャンプ以来、2度目の一泊2日の共同生活体験だ。知子は息子の成長を喜ぶも少し寂しそう。ユキも昨夜から「ママ、ママ」を連発し、「おばあちゃん、ユキが居れへんかったらさみしい?」と聞いていた。

お天気が悪くて残念だけれど、楽しみながら多くの体験をしてほしい。
悲しみの中にある方々を覚えつつ記録させていただいた。

posted by 優子 at 18:05| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

大阪で大地震 人の在りようさまざま

今朝午前7時58分頃、大阪府北部震源のマグニチュード6.1の地震が起こった。高槻や茨木では震度6弱、当地は5弱だった。

その時私は最近では珍しくパソコンを開いていた。急に「ドーン」と下から突き上げられ震え上がった。阪神大震災を同じだ。すぐそばのテーブルの下に逃げようとしても怖くて動けず、部屋の中を直視しながら治まるのを待った。

ユキまだは学校についていない。登校中だ。大事ないことを信じた。

動悸が治まらない中、隣家の義母の所へ走った。鍵がなかなか開かずにガチャガチャしてようやく空いた。
「よかった! 怖かったね、お義母さん、大丈夫?」と抱きしめた。義母は落ち着いていたが、安心するまでしばらく傍にいて3〜4回抱きしめた。いつも決して「ありがとう」と言わない義母が、今日は「どーも」ではなく、3度ほど「ありがとう」と言っていた。

自宅に戻ってすぐに夫に義母の無事を伝え、「義妹さんも心配しているだろうから伝えてやるように」と電話した。隣へ行っている間に夫もこちらへ電話してくれていたそうだ。

この辺りで初めてテレビをつけたのだと思う。この時は鉄道の運行状況ばかりで被害情報は届いていなかった。

そして神戸の叔母に電話した。声がプツプツ切れて内容が何とかわかる程度だった。続いて町内会の同じ班の独居の方に電話したり、自治会役員さんからも電話が入った。

パソコンが開いたままだったことに気づき、次女夫婦に短くメールして閉じた。そしてようやく9時半頃(?)だったと思うが通勤中の知子に電話した。出発して二つ目の駅に着いた瞬間に地震が起こり、その後まもなく着いた乗り換えるはずの急行は駅員さんがドアをこじ開けていたという。

知子は常に帰宅が遅く、先週は11時半近くにもなった。可能な限り朝だけでもユキと共に過ごして一足先に出るようにしている。知子はプラットホームでずっと立ち往生しているので心配しながら切った。

そして10時半過ぎに、ワシントンの次女夫婦から電話が入った。昨年、ワシントンから東京へ戻られた友人Aさんから大阪の地震の知らせを受け、私たちのことでお見舞いメールをいただいて知ったという。そしてパソコンを開いて私のメールで無事がわかって安堵した。

次女夫婦と45分間ぐらい話していたと思う。くれぐれもAさんによろしく「ありがとう」を伝えてねと切った。

電話を切るとまもなく東大阪の友からお見舞いの電話をいただいた。東大阪は当地と同じ状況なのにと感謝した。幸い友も無事だった。そして、叔母からようやく電話が通じたと「先っきはありがとう」と電話が入った。心が温かい。

11時頃再びパソコンを開けた。
関東のJCPの友からお見舞いのメールが入っていた。すぐに感謝の返信をした。知子からも9時半過ぎに小学校からの一斉メールを転送してくれていた。

件名 : 地震対応について

本日午前7時58分、大きな地震が発生しましたが、児童は全員安全に登校できました。校舎にも異常が見られませんでしたので、現在通常の授業を行っています。今後の余震に備えて、保護者の皆様には連絡が取れますよう対応のご準備をお願いいたします。

義妹からも8時台に「母のことが気になって」と問い合わせのメールが入っていた。しかし、良輔からの伝言を聞いていないのか、その後の応答がなくて気になって夫に確かめた。連絡はしていた。
私もいいかげんに慣れなくては!
感謝できることこそ感謝であり幸せなのだから!

近鉄や地下鉄がストップしているので、知子は東大阪へは向かわずに12時半頃帰宅した。午後3時過ぎに地下鉄中央線が開通し、JRも4時前に再開したので、これで社員の方々も帰宅できると安堵した。

IMG_7186.jpg高槻市立寿栄小学校4年生(9歳)の女の子が、倒れてきたブロックのプールの塀の下敷きになって亡くなった。悲しくて悲しくて涙が止まらず、親御さんのことを思うと耐えがたい。

また、子どもの見守りをしてくださっている方が亡くなられたり、神さまに人生の不条理を問いたくもあるが、ただただ神さまの慰めをお祈りするしかない。

18時45分追記:なかなか繋がらなかった兄(大阪市)とも、ようやく今連絡がとれた。縦揺れと横揺れだったと言っていたが私は恐怖でわからなかった。

私も友のようにイザという時のために、家にいる時も大切なものを携帯することにした。
私の場合は何よりも生活習慣病の薬、特に血圧の薬は手放せない。ユキが学校に行っている間はユキの見守り携帯電話も。私も携帯電話を持たねばならないと思う。健康保険証、クレジットカードと現金一万円、そして、USB。これらを小さなポシェットに入れて寝る時も傍に置くことにした。

ユキ(孫)は20・21日と野外活動で曽爾(そに)高原へ行くことになっている。明日から雨が降り始め20日は非常に強くなる予報だ。余震の心配もある。明日の時点での状況説明と安全について学校報を配布されることを願っているが。

朝の騒動から血圧が上がり、今も体調は治まらず頭が痛く血圧が150近くに上がったままだ。
posted by 優子 at 18:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

梅花女子大学・澤山記念館礼拝堂にて −日本クリスチャンペンクラブ関西ブロック例会 前編−

6-16-9.jpg梅雨晴れの昨日、6月の例会会場、大阪府茨木市にある梅花女子大学を訪ねた。


ぽうろ澤山.jpg梅花は澤山保羅(ぽうろ)牧師がキリスト教主義教育の学校を創設すべく、成瀬仁蔵ほか教会信徒有志らの協力を得て、1878(明治11)年に大阪・土佐堀に開校した。梅花は大阪で最初の女学校であり今年創立140周年を迎えた。

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右の建物が澤山記念館礼拝堂だ。

6-16-2.jpgこの礼拝堂で、長M拓磨先生(京都外国語大学教授)による「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』−切支丹物をめぐる二人の交流を中心として」の講演を拝聴した。

開会礼拝では、事務局長が聖書「ローマ人への手紙16章1節〜7節」を拝読し、クリペンの主題歌である讃美歌57番「ガリラヤの風かおる丘で」を一同で讃美した。

次に私たちの導き手である大田正紀先生(文芸評論家、梅花女子大学名誉教授)が講師を紹介された。

長濱先生はかつて梅花でも遠藤の授業をされていた。遠藤周作研究家、遠藤周作学会運営委員。現代の日本キリスト教文学のリーダーで、キリスト教の立場からだけではなく、キリスト教史という大きな流れの中で多くのことを明らかにされている。

講演内容については頂戴した資料と照らし合わせながらまとめ、後日お分かちしたい。

6-16-6.jpg講演会のあと、礼拝堂の隣室でしばし歓談の時を楽しんだ。文学はもとより、社会問題、そして、伝道のための証し文についてなど話は尽きなかったが、土曜日最終便のスクールバスに乗り遅れないように閉会のお祈りを捧げて強制終了した。

この日のために労してくださった大田先生、また、梅花の宗教部で熱心なお働きをされているペン友・OKU姉(しまい)には何もかもお世話になった。お疲れだろうに翌日(今日17日)はオープンキャンパスのため出勤されている。

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OKU姉の手になる「梅花の梅」で作った梅ジュースのおいしかったこと! 
主に在る友との交わりで心を癒され、霊性を強められて帰宅した。

実は、私はこれまでに一度だけ梅花を訪ねたことがある。もう50年も前のことになる。1969年12月、茨木駅からスクールバスに乗って大学の入学願書を取りに行った。
結局、帝塚山学院大学へ入ったが、その時のことを振り返りいろんな思いがこみ上げていた。

今日も梅雨晴れの明るい一日だった。

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posted by 優子 at 17:30| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

登校前の小景

6-11-5.jpgユキは5年生になっても捕まえた生き物を持って行く。5月下旬からはトカゲ。平日は教室で飼い週末に持って帰って来る。
「ユキはトカゲのことを十分知っているんだから逃がしたげ。生き物にとっては地獄だから」と言うのだが、毎朝小さな蜘蛛やバッタを採って食べさせている。

生きるということは他の命を犠牲にして生きるということだけれど、私は立ち止まってしまう。毎朝重いランドセルを背負ったまま、自分の背丈よりも高い石積み(石壁)を登ってバッタを捕りながら集団登校の集合場所へ行く。しかしまた、そんなユキの姿を胸を熱くして見てもいる。

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これは6月4日(月)の朝、
上の道から降りて来たY君3妹弟がバッタを捕まえていた。
彼らもトカゲの朝ごはんの狩りをしているのだ。
ユキもいつものように石積みをよじ登った。

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朝の斜光線を受けて子どもたちの姿は一層輝いて見えた。何て麗しい光景だろう。私は大急ぎでカメラを取りに入って40倍ズームで収めた。

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右の写真はホタルを見に行った6月9日、笹船の作り方を教えてくれているところ。
本来ならば祖母から孫へ昔の遊びを教えるのだが、わが家ではほとんどが孫から祖母に逆教授。この前は草笛を教わった。

私も知子と共に作ったがユキのように上手に作れなかった。

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次はその翌10日(日)、ウオーキングの帰りサッカーボールでバスケットをしていた。お友だちが帰った後も独りでいるなんて約束を守らない子だ。

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中学校はサッカー部がないからバスケ部に入りたいとか。
誕生日プレゼントにバスケットボールをリクエストした。

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良輔は高校時代にバスケ部だった。そういえば真智が小学校5年生(4年生だったかな?)のとき、バスケットボールの授業参観があった。保護者も一緒にやった時、すごくかっこよかったのを覚えている。あの時、薄いブルーのワイシャツだったように思うので平日だったのかなぁ・・・

6-10-31.jpg「ユキにも教えてやって」と促せば、このフォームはすごい。あれから28年、現在72歳9ヶ月。

ユキは下から放り投げた。

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今日もまた「6時半まで遊んでもいい?」と電話してきたと思ってぶっきらぼうに出ると、クリスチャンペンクラブの友から明日の問い合わせの電話だった(>_<)。 その直後にやっぱりユキからかかって来た。毎日遊んでばかりで学習しない5年生。

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今日、幼稚園児と共に「代かき」をした。
posted by 優子 at 12:10| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

アメリカにもホタル

アメリカでもホタル!.jpg「葛城山麓公園のホタル、きれいやったね。手にとまってるの、すごかったね。ちょっと前からここら辺でもホタルが時々出てきてたから、写真撮って送りたいね、とクマとカメラチャンスを狙ったよ。」と、嬉しいメールが入っていた。

次女は残念ながら撮ることができなかったが、この一葉はカメラで待ち構えていた時に横を飛んできたホタルを伴侶(愛称クマ)が捉えたものだ。

それにしてもこんな住宅街にホタルがいるとは驚きだ。日本でも人里にいるのだけれど、本当に自然環境の良い山野にしかいないので、ホタル文化を有する私たちには2重の驚きだった

日本人にとってホタルは夏の風物詩であり、ホタルへの特別の情緒があるけれど外国の人はどうなんだろう。日本人でも都会でホタルを見ていたらホタルへの情緒は育まれなかっただろうし、そしてまた、外国の人でも日本の原風景に舞うホタルを見ていたら私たちと同じような情感が育まれたと思う。

「職場の人たちに聞いてみるのもおもしろいね。
 珍しい写真をありがとう!
アリス@.jpgところで、この前「おいしい革命」のアリスが番傘を愛用していたので、真智もアメリカで番傘使わない?  アリスは日傘に使っていたよ」。

日本国内でさえ和装の時も洋傘だから番傘を見なくなって久しいけれど、逆転の発想で今や日本文化を継承できるのは外国の地で可能なのかもしれないと思った。

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番傘@.jpg母が結婚の荷物に持たせてくれた番傘は42年経った今も新品のまま。
アリスは日本の「すり鉢」や「すりこぎ」を愛用しているが、番傘も洋傘のように気楽に使っていたのが素敵だった。


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6-9-1.jpgでは最後にもう一度ユキが捕まえたホタルの光と、アジサイを楽しんでね。


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posted by 優子 at 23:40| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

2018年JCP関西ブロック講演会のご案内

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)関西ブロックの6月例会は梅花女子大学で開催します。これまで6月と11月の例会は千里ニュータウン教会で開いていましたが、昨年6月に東 道男牧師が召天され11月を最後に新たな場に導かれました。

6-10-24.jpg今回は会員以外の方々にもご案内し、ご関心のある方は是非お出かけください。歓迎いたします。参加費は無料です。当日は「梅花の梅」で作った梅ジュースを御馳走してくださるそうです!

講 演:「柴田錬三郎『眠狂四郎』と遠藤周作『沈黙』−切支丹物をめぐる二人の交流を中心として」

講 師:長M拓磨先生(京都外国語大学教授)

講師紹介: 主な著書・論文 日本キリスト教文学の気鋭の研究者
1. 著書  遠藤周作論 「歴史小説」を視座として (単著) 2018/02
2. 著書  「太宰治ー芥川受容を中心として」 (共著) 2014/04
3. 著書  『京都近代文学事典』 (共著) 2013/05
4. 著書  『兵庫近代文学事典』 (共著) 2011/10
5. 著書  『邂逅』論ー<家族>との関係を中心としてー (共著) 2002/03

学歴:
1. 2016/01〜2016/06 関西学院大学 文学研究科 博士課程 博士(文学)

2. 1993/04〜1999/03 神戸大学 文化学研究科 日本近代文学専攻 博士課程単位取得満期退学

3. 1990/04〜1993/03 神戸大学 教育学研究科 国語教育専攻 修士課程修了 教育学修士

4. 1986/04〜1990/03 神戸大学 教育学部 中学校教員養成課程国語科 卒業 教育学士

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日 時:2018年6月16日(土)13:00〜16:20

場 所:梅花女子大学茨木ガーデンキャンパス澤山記念館礼拝堂・講師控え室

〜プログラム〜

13:00〜  礼拝堂 開会祈祷 

司会・奨励 原田 潔 
      讃美歌21「ガリラヤの風かおるおかで」           

13:20〜   礼拝堂 講演会

14:30〜  講師控え室 休憩

15:00〜  礼拝堂 証し文章発表 会員の作品発表を行います。講評 事務局

16:00〜  礼拝堂 閉会祈祷

16:30〜  スクールバス発車

日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックでは上記の要領で例会を開催します。
今回は広く会員以外のかたがたの参加を呼びかけています。ぜひご参加下さい。参加費は無料です。参加される場合は準備の都合がありますので、前日までに大田正紀 電話:078(242)6989番までご連絡下さい。

〒567-8578 茨木市宿久庄2−19−5 TEL.072-643-6221(代)

交通:原則としてスクールバスをご利用ください。

スクールバスの時刻は梅花女子大学HPの交通アクセスをご覧下さい。 以上

スクールバスは、阪急宝塚線 石橋駅、北大阪急行(地下鉄御堂筋線)と大阪モノレールの千里中央駅、阪急千里線 北千里駅、阪急京都線 茨木市駅、JR 茨木駅から出ています。ここに詳しく案内されています。
posted by 優子 at 13:12| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

ユキの手にホタル

6-9-1.jpg今夕急きょ蛍を見に行こうということになって葛城山麓公園へ家族全員で出かけた。10歳から72歳まで4人共が今回2度目の蛍である。

とはいえ、初めて見た2009年6月20日は2歳11か月だったユキの記憶はない。私は57歳にして生まれて初めて蛍を見たのだった。知子と良輔もまた。

私は5月31日の朝にBSプレミアムで『ホタル舞う日本〜ホタル前線を行く〜』を観ていたので、ホタルだけではなく日本の原風景に生息する里山を求めてホタル前線を北上していく写真家の篤い思いや、美しい自然と共に生きる人々の蛍への思いの一端を、僅かなりとも深めることができたように思う。
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飛んでいるホタルをユキがそっと両手で捕まえた。私は大急ぎで撮ろうとすると、カメラの画面が暗くなり「バッテリーを充電してください」と出た。 

6-9-3.jpg「いつもドジやなあ」と知子が笑い、スマホで撮ってもらうとストロボが光ってこのありさま。ストロボの光があまりにも眩しくて、ユキが目を傷めていなければよいが・・・
次にユキのゲーム機で写した。ユキは「友だちに見せたいから」とゲーム機で撮ろうと持って来ていたのだった。カメラマンの超高級カメラとは比べ物にならない機能なのに、ホタルのシルエットつきで光が撮れたのは特ダネだ!

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夕食はラーメン屋さんで済ませて7時45分頃に山麓公園に到着した。そのとき自動車は5台ほどしか止まっていなかったが、帰る時は10台になっていた。しかし、その程度で知る人ぞ知る穴場なのだ。

私は暗闇だとバランス感覚がなくなってふらつくので、夫に同伴してほしいと声をかけたが「そんなん大丈夫や」と、相変わらず独りでスタスタ先に行った。

しかし、ユキは優しかった。2009年6月に来た時は、私が2歳にならないユキの手を引いて歩いていたのに、今夜はユキが私の手を引いて歩いてくれた。見守り携帯の電気で足元を照らしながら、階段や草の中は必ず自ら寄り添って手を繋いでくれた。嬉しかった。

ユキは記憶にないが1歳になる前にも来ているので今回で5回目だ。2回目が2009年6月20日のホタル、3回目は2010年5月3日、(埋め込みリンクしているので日付をクリックしてください)この日の面白い動画(38秒)が残っている。


そして、4回目は2014年5月10日、(ユキはこの頃と違ってかなり積極的になった)ユキが小学校に入学した春の日。この時のことは覚えていて「ああ、ああ」と思い出した。

昨日、義母のデイサービスの日程が決まったことを民生委員さんに報告に伺ったとき、互いに同志社の同窓であることがわかり一層親しくなって話していた。

その時にこの辺りで蛍が出るところを訪ねられて山麓公園を紹介した。山麓公園も10年以上前にNさんに教えていただいたのだが、太子温泉でも見られると先日のランチの時に教えていただいたのでそのこともお伝えした。そういえば私はNさんに連れてきてもらったので山麓公園は今日で6回目だった。

ホタルのいのちは短い。明朝のうちに民生委員さんに今夜のことをお伝えしよう。そして、生協の日にNさんにも「行ってきたよ」と話そう。

6-7-2.jpg知子とユキと三人で手をつないで無事を祈って出発し、事故なく帰宅できたことを感謝した。
しばしの楽しいひと時、私はホタルの観賞以上にユキの優しさが嬉しかった。
posted by 優子 at 22:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

昨日の付録 

今夜のNHKニュース、6時半からの「ならナビ」で花菖蒲のニュースが流れた。トップの映像を取り損ねたが、この背景に見える黄色い花は昨日の記事の最後に挙げた花と場所だ。

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あの黄色い花の名は、ヒペリカム・ヒドコート。
覚えられそうにない。
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これは、ビヨウヤナギ。

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Nさん宅のユズリハ

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Nさん宅のローズマリー

これはエゴの花の実(丘陵公園にて)
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エゴの花
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ヤマホタルブクロ(丘陵公園にて)

ホタルブクロ(ツリガネソウ)
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これは、南天の花だって。

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一重のクチナシの花(丘陵公園にて)
甘い香りがしたよ。

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シモツケ(丘陵公園にて)

シモツケ(アジサイKさん宅)
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わが家のイソトマ、今年は特に美しい。
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posted by 優子 at 22:07| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

花菖蒲35枚を一挙掲載

馬見丘陵公園の花菖蒲園.jpg梅雨入りした二日目の今日、近隣の親友Nさんとランチに出かけ、その帰りに馬見丘陵公園の花菖蒲を見ようと立ち寄った。
折しも明日から「2018年 馬見花菖蒲まつり」が開催される花の時、写真は奈良県ホームページより拝借した馬見丘陵公園の菖蒲園全景だ。規模は小さいが十分満喫できる。無料で開放されている。

昨日の雨で満たされて花の息吹が溢れていた。157枚撮って65枚ブログ用に小さくしたが、そこからまた35枚に絞った。

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↑ 駒止桜(肥後系)↓

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青岳城(せいがくじょう)(江戸系)

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乙女(伊勢系)

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藤代(伊勢系)

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あまりの美しさでベストワンどころか「ベスト3」さえ選べない。私の心肺停止状態だった魂が息を吹き返してくるように、少しずつ少しずつ心に力が入ってきたように感じる。

6-7-58.jpg ← 「この角度で撮るといいんじゃない」
Nさんの言葉と景色も今日の大切な思い出に記録しておこう。

楽しい一日をありがとう!

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posted by 優子 at 20:54| 随想 | 更新情報をチェックする