2017年07月09日

家の教会2017㉕ ダビデの告白 −罪の赦しと罪の刈り取り―

IMG_6299.jpg今朝はサッカー教室までに早朝礼拝を捧げ、そのあと、ようやく、初めて、ユキは克己した。
明日の漢字テストに備えて1学期の新漢字を復習。しかし、たった7分間で家庭学習は終わった。


IMG_6273.jpg2017年7月9日(日)
(2017第25回 
家の教会)

7時5分〜7時35分
出席者3名(ユキと良輔) 

@ 初めの祈り  優子
A 聖書輪読   サムエル記下 12章1節〜25節
B お話     優子
C 讃美歌    243番 「ああ主のひとみ」
D お祈り    1人ずつ

サムエル記下 12章1節〜25節:

12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。

12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
12:8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
12:9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
12:10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
12:11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう
12:12 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
12:14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。
12:15 こうしてナタンは家に帰った。

さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。
12:16 ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。
12:17 ダビデの家の長老たちは、彼のかたわらに立って彼を地から起そうとしたが、彼は起きようとはせず、また彼らと一緒に食事をしなかった。
12:18 七日目にその子は死んだ。ダビデの家来たちはその子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。それは彼らが、「見よ、子のなお生きている間に、われわれが彼に語ったのに彼はその言葉を聞きいれなかった。どうして彼にその子の死んだことを告げることができようか。彼は自らを害するかも知れない」と思ったからである。
12:19 しかしダビデは、家来たちが互にささやき合うのを見て、その子の死んだのを悟り、家来たちに言った、「子は死んだのか」。彼らは言った、「死なれました」。
12:20 そこで、ダビデは地から起き上がり、身を洗い、油をぬり、その着物を替えて、主の家にはいって拝した。そののち自分の家に行き、求めて自分のために食物を備えさせて食べた。
12:21 家来たちは彼に言った、「あなたのなさったこの事はなんでしょうか。あなたは子の生きている間はその子のために断食して泣かれました。しかし子が死ぬと、あなたは起きて食事をなさいました」。
12:22 ダビデは言った、「子の生きている間に、わたしが断食して泣いたのは、『主がわたしをあわれんで、この子を生かしてくださるかも知れない』と思ったからです。
12:23 しかし今は死んだので、わたしはどうして断食しなければならないでしょうか。わたしは再び彼をかえらせることができますか。わたしは彼の所に行くでしょうが、彼はわたしの所に帰ってこないでしょう」。

12:24 ダビデは妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデはその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。
12:25 そして預言者ナタンをつかわし、命じてその名をエデデアと呼ばせられた。

お話:

先週は詩篇51篇からダビデの悔い改めについて考え、ナタンにより罪に気づいて悔い改めたダビデに注目しました。ナタンの話はダビデ自身の話であるにもかかわらず、ダビデは全く気づいていませんでした。このところに焦点を当ててもっと考えてみたいと思います。

「罪を放置しておくと、私たちの良心は麻痺していき、やがて悔い改めることさえできなくなっていく」 というのはどういうことなのでしょうか。

社会の出来事に対して正しく批評できるのに自分のことになると全く見えない人がいます。これが私の目下の疑問であり関心事でもありますので、この問題意識をもって聖書に聞きたいと思います。

これについて考えるにあたり、もしも自らを除外しているのであれば滑稽なほど迷妄な愚者であります。
私自身もそうなってはいないだろうかと常に祈りつつ神に探っていただき、祈りの友の言葉に耳を傾けながら吟味しているつもりですが、自己欺瞞に陥りかけた時にはどうか忠告していただきたいと思います。

さて、かつて古代イスラエルは一夫多妻制が許されていましたから、王であるダビデには700人(側女を入れると1000人)もの多くの妻がいたといわれています。そのダビデがバテシバというたった一人の妻しかもたないウリヤからその妻を取り上げたのです。まさにナタンの譬え話はこのことでありました。

最初にそのあたりをもう少し深めたいと思います。
ダビデはナタンの話は自分のことであるとは全く気がついていなくて、「その人は死ぬべきだ」とまで激怒したのです。「実はこれこそが霊的に破たんした者の姿である」と。

ザアカイのところでもお話ししましたように、律法的には4倍の償いをすればよいのであり死刑にまでする必要はないのです。

ところが、ダビデが「死刑だ!」とまで叫びました。この激怒ぶりはダビデは無意識であっても良心の咎めを自分の心の中に持っていた、良心の叫びであると理解できるかもしれません。不可思議なる人間の実相でありましょう。
それはまた自分のことになると全く見えないのに、その自覚もないから恥ずかしくもなく容赦なく他者を責めるのと同じ姿であることがわかります。

そして今朝はその続きを考えてみたいと思います。即ち、悔い改めたあとのダビデのことです。
先週取り上げたサムエル記12章15節は段落の関係で「こうしてナタンは家に帰った」までとしましたが、15節はその言葉の後に、「さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。」と続きます。

その前の13〜14節を読んでみますと、
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。ナタンはダビデに言った、『主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう。』」とあります。

こんなことを言われたら「ええ? どうして?!」と驚かないでしょうか。私は驚くのですね。憐れみ深い神さまなのにどうしてと。

確かに神さまは悔い改める者を即刻即座、そこに居ながらにして赦してくださり、罪については完全に処理してくださって死後も天国に入れてくださいます。

しかし、パウロがガラテヤ人への手紙(6章7節)にも書いているように、「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」と、罪の結果としての刈り取りをしなくてはなりません。

分かりやすく言えば、例えば犯罪を犯した者は刑罰を受けねばならないのと同じです。ただ大きく違っている絶対者である神さまの赦しというのは、罪の痕跡も残さずに完全に忘れてくださるということです。

ダビデはバテシバとウリヤに大きな罪を犯しました。そのことは即ち神の主権を侵したのです。ゆえに「わたしは主に罪をおかしました」と、深く悔い改めたのです。

そしてその後のダビデはバテシバとの結婚生活を大切にしました。しかし、姦淫した時の子は、「さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になっ」て、死んでしまいました。

主が子どもを打たれたから死んでしまったというのですが、その子に何の関わりがあるのかと拘りたくなります。事実若い頃の私は神義論が最大のテーマでした。

しかし、このような深淵なる一切の出来事は神の領域のことであり、詩篇131篇の「及びもつかない大きなことや、奇(くす)しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。」のみことばを受容するに至りました。12年間の苦悩を経てです。
              
子が死んでしまったのはダビデにとっては罪の刈り取りですが、深く悔い改めたダビデは自然体で受け入れることができたのです。これは神の御心であると平安の内に受容できたので断食を解いて一歩を踏み出せたのです。

そんなダビデの罪の刈り取りの中にあっても神さまは善いことをなさるお方です。その次に男の子が生まれました。「主はこれを愛され」て祝福されました。

ダビデはその子を「ソロモン」と名付けました。「ソロモン」という名前の由来は「シャローム(平和)」で、「エデデア」というのは「ソロモン」の別名で「主に愛されている」という意味です。

ソロモンといえば「栄華を誇ったソロモンでさえ」と言われるように、サウル、ダビデに続く古代イスラエル王国の第3代目(在位は紀元前971年 〜 紀元前931年頃)の王になり、イスラエルの最盛期を築いて、エルサレム神殿を築きました。

かつては姦淫の関係だったバテシバとの間に生まれた子どもを、神さまが祝福してくださりダビデの後継者とされたのです。

マタイ伝1章のイエス・キリストの系図の中に、「エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、」(マタイ伝1章6節)と、バテシバの名前があるというのは考えられないことではないでしょうか!

ここに神さまは憐み豊かな方であるということが如実に表れています。ダビデは罪の刈り取り、懲らしめを受けましたが、その中にも神の恵みがあったということを忘れないでいましょう! ダビデの過ちは私たちも犯しうるのです。


先週読みました詩篇51篇5節に、「見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。」とあるのは、ダビデの母がどうのこうの言っているのではなく人間の罪を言っているのです。

神が創造された人間は神の栄光のために生きるはずだったのに、人類最初の人間であったアダムが誘惑に負けて罪を犯したために人間は罪の力に支配され、神から離れて自分勝手に生きるようになってしまいました。これが聖書のいう「罪」です。

罪の刈り取りについては、10節に、「あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう」と預言されたことも実現されていきます。

ダビデはウリヤを剣で殺したから、剣がダビデの家から離れなくなるというのです。事実、ダビデの長子アムノンが三男アブシャロムによって殺され、後にアブシャロムも後に殺されます。

12章11〜12節の、「わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである」という予言も実現します。

ダビデの子アブシャロムが王宮の屋上で、ダビデがエルサレムに残していった側妻(そばめ)10人と全イスラエルの目の前で寝ました。

このように13章以降には、ダビデが犯した罪の影響が自分の息子たちに及んでいくのがに記されています。罪の結果は伴うのです。

「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。(ガラテヤ人への手紙 6章7節)

ダビデは深く悔い改めて再び神の主権の中で生きていきます。真に悔い改めたならば、罪の刈り取りの時も主の平安がある。必ず平安のうちに通らせてくださることを確信します。

私たちもダビデのように罪を指摘されたら素直に神さまに悔い改めたいです。その生き方こそが最高の人生です。

イエスさまは言われました。
「おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう」。
            (ルカによる福音書 12章2〜3節)

腐りきった現政治界にも神の導きを祈るばかりです。
今社会問題になっている彼らの言動を思うと、最大の権力者だったダビデゆえに、ダビデの悔い改めは見上げたものだと思わないではいられません。

16時30分追記:

P_20170709_102049.jpgユキはサッカーのあと昼食を終えて再び外出した。

2時半ごろ遠雷が聞こえ、まもなく土砂降りの雷雨、一時停電もした。ユキは遠雷を聞いていたのにA君といつまでも遊んでいたために、帰り始めた矢先に雷雨になって駅前のお店で雨宿りをさせてもらっていた。


P_20170709_111750.jpg

しばらくしてA君のお父さんが迎えに来てくださり、自転車共に乗せてもらって送ってきてくださった。

そして今、ユキは夢の中。

シャワーでさっぱりしたら眠り始めた。


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2017年07月08日

『自分史 予科練から牧師へ −わが生涯(90年)の証し―』(前編)

IMG_6178.jpg7月1日に井置利男牧師からご恵贈にあずかった『自分史 予科練から牧師へ −わが生涯(90年)の証し―』は、312ページから成る人間味あふれる自分史で、昨2016年のクリスマスに発刊された。私は読みかけている本を中断して一気呵成に拝読した。

表紙画はガリラヤ湖とペトロ召命教会で、「使徒ペトロ(ペテロ)がイエスに声をかけられて弟子となった所と伝えられている。ガリラヤ湖畔に接して建てられた小さな会堂だが、純朴なペトロを偲ばせる教会である」。

今日の午後、食料の買い出しに出かけている時に井置先生からお電話をいただき、知子がしばらくお話し、お写真のブログ掲載許可をお伝えくださった。

IMG_6179.jpg
表紙を開いて現在の井置牧師と再会。

IMG_6180.jpg幼少年時代、後期少年時代、そして、1943年〜45年の17歳から19歳の海軍時代と続く。

「地上での作業中に敵グラマンF6戦闘機の機銃掃射をうけ、ハッキリと敵搭乗員の顔を見た」ことや、予科練特攻要因からの挫折と敗戦による魂の流浪時代。

そしてその4年後、仕事帰りに「わたしは日本の捕虜だった」と大きく書かれたキリスト教講演会のポスターに目が留まった。
「1942年4月18日に、東京を始めとする、日本の五大都市を爆撃したアメリカのドウーリットル戦略爆撃隊の一員」と紹介されていた。
井置青年は講師が敵国人だったことに驚き講演会会場へ行かれた。

かつての敵国人は「この戦争が終わったら、自分の抱いていたこの復讐心を、愛の心へと変えていったこの聖書を、日本人たちにも伝えたい」と。

しかし、戦地から復員して3年の井置青年は、「わたしは日本の元海軍パイロットだった。しかし、敗戦となってわたしは生きる意味と目的を見失っています・・・・」と、「自分の課題」を講師の通訳氏に吐き出して喋った。

その後、日本基督教団・西脇教会へ導かれて同年のクリスマスに受洗、翌年元旦礼拝で「献身への召命」を受けるが、クリスチャンになった「おおかたの人たちが経験するように、ぼくは努力すればするほど実行できない自分。・・偽善的な自分の姿に目覚めはじめ」、私たちの家庭集会でお話しくださった苦悶。

「ところが、その主イエスの愛と赦しを伝えるそのお言葉が、自己嫌悪に陥っていた自分にも注がれていることに」気づかれて、「滂沱として流れてくる頬の涙を押さえきれず、教会の祈祷室で書き綴ったのが現在の『ああ主の瞳』の第2節の歌詞だった。

1節と3節はあとで全体の体裁を整えるために書き加えた」。
 
その後、新作讃美歌募集を知り梅田神学生に見せて推敲して応募された。4節は当時の讃美歌学会の第一人者で詩人、作詞や外国の讃美歌翻訳者の由木康氏が書き加えられたものである。

それが1950年11月末のことで、その翌年に神戸の塩屋にある関西聖書神学校に進学されたのである。


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共に1926年生まれの同年齢のお二人。

「ああ主の瞳」が発表された1952年頃、作曲者・高田早穂美先生は「自分の罪意識に苦しんで、絶望感に襲われていた」時にこの作品に出会って、「ああこれは、わたしの為の詩だ・・・」と深く感動されて作曲されたという。
(讃美歌・243番、新生讃美歌・486番、讃美歌21・197番に収録されている。)

人さまから、「井置さんの”ああ主の瞳”と言われることがある。しかし、この「ああ主の瞳」は、すでに神に献げられた神の所有であって、梅田のものでも、由木のものでも高田のものでもないのである。ましてや井置のものではない。「神さまのもの」である。
だから「井置さんの・・・」と褒められたら、「いいえ、神さまのものです!」と言い切って、一切の栄光を神に帰すべきである。まさに「誇る者は主を誇る」べきなのである。

附記 著書より:
「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」の略称で、太平洋戦争以前に旧日本海軍が戦闘機搭乗員を養成する目的でつくった制度で、志願してきた14歳から17歳までの優秀な少年達を戦場に送り出し、凡そ2万人が戦死し、そのうち特攻隊員として2800余人が散華した。

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2017年07月06日

「ああ主のひとみ」作詞者・井置利男牧師との出会い −私の「信仰の母」T姉のお手紙より―

キキョウ.jpg『種を蒔く』4号をお読みくださった「信仰の母」と敬愛しているT姉がお手紙をくださった。

そのお言葉を通して今までもそうであったように信仰から信仰へと導かれる思いである。


「こんな立派な深い証し集、−(略)−どなたの文章も奥が深く、私には学ばせて頂くことばかりで、まったく感動し、敬服いたしております。

        (略)

久保田先生の『人間味溢るる生涯』に心打たれました。皆さんが『わたしの久保田先生』『わたしの久保田先生』と自然に滲み出た文から、それだけ先生が一人一人の方と誠心誠意、心温かく向きあって下さっていたんだなあと、感うたれましたです」。


そして、久保田先生の愛誦句が「私の霊に響いた」と書いてくださっている。


「わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」。

                 (第2テモテ 4章6節〜7節)


「私も来月(即ち7月)で91歳になります。外なるものは誰でも確実に衰えていきますが、内なる霊はいよいよ、ますます永遠なるものを思慕してやみません。


私も久保田先生のように、自分に与えられた『はせば』を立派に走り抜いて、栄光の聖前(みまえ)に帰らせて頂きたく希ってやみません。ほんとうに『生かされて生きる命』であるとあらためて拝受させて頂きましたです」。


また、

「大田正紀氏の『信仰の継承』は系統立てて奥が深く、その中で『ぼくは子ども達に何を伝えたかときかれたら『聖書に聞き続ける人間でありたい』という姿勢ぐらいしかありません。』と、この謙虚な父親像に心うたれました」。(後略)


今も私たち家族のことを祈ってくださっているT先生は、私の証しを読まれて我が子の成長を喜ぶ母親のように次のように書いてくださっている。


優子さんの「ああ主のひとみ」井置先生との出会いが一番、私の霊に響きましたです。
          (略)
神ご自身でいまし給う救い主イエス様が、ああ、こんなどうしようもない私のような者とでも、いつでも共にいて下さるのだとの貴重な信仰体験、臨在体験、聖霊体験をなされましたこと、ほんとうにほんとうに貴重なことでした。

主キリスト様が優子さんと共にいて下さるのだから、もう大丈夫だと。辛い辛い所を通られましたけれども、知子ちゃんのことも、ぼくのこともお委ねして祈っておればいいのだと私も再出発させて頂きました。

「ああ主のひとみ」 神様が優子さんに見せて下さった愛の証しですが、一番私が恵まれた人だと感涙にむせびましたです。優子さん、ほんとうに有難うございました。

優子さん、貴重な証し文集、密度の濃い貴重な御本をゆっくり拝読させて頂いて、ほんとうに有難うございました。私にとりまして、貴重な再出発の時となりました。

『汝 年進みて老いたれど、とるべき地の残れるもの、はなはだ多し』。(ヨシュア記13章1節)

私も「種を蒔く」で、年寄り面(づら)するな、とイエス様に言われて再出発させて頂きました。ほんとうに有難うございました。

「一番私が恵まれた人だと感涙にむせびましたです」。

私もそこまで深く感じ入りたいのに感じ入ることができないもどかしさ。


実は6月20日の夜9時38分頃だったと思う、この喜びでお電話をかけてきてくださった。私は入浴中で知子がしばらくお話していたが、こんなに遅い電話に驚いたことだった。そして翌21日に手紙を書いて投函してくださった。


IMG_6248.jpg「幸悠」の「幸」は、知子がT先生のお名前(幸子)の一字をいただいて命名したのである。

集合写真を撮る時、T先生は私の手をとって手をつないでくださった。


主よ、どうかT先生の信仰を私たちを通してユキに継承させてくださいますように、これからも多くの方々の助けにより私たちの信仰生涯をお導きください。


特別集会に来てくださったY姉(7月4日掲載写真の前列右から2人目)は昨年12月に主のもとに召天されたと記されていた。


もう一度お目にかかりたかった。Y姉もまた敬愛する大好きなおひとりだった。T先生と同じく砕かれた魂の祈りをされ、プログラムにあるように集会でもお二人に祈りを捧げていただいた。

受洗後は牧師の説教と皆さんのお祈りにより(お祈りを聴かせていただくことにおいても)豊かに養われてきた。


Y姉が讃美歌を歌う時はいつも讃美歌を目の前に掲げて歌っておられ、いつもそのお姿を見るのが好きだった。私もまったく同じ姿勢で歌っているのはY姉の影響があるのかもしれない。


そして今ようやく気づかされたのは、一生に1冊の書を書きたいならば、もう一度神の御前で静まって、神さまがこれまでしてきてくださった数え切れない恵みを思い起こして、「一番私が恵まれたと感涙する」ほどに魂を整えられなければ書けるわけがない。


こうして具体的なチャレンジが示され、私もまた今より再出発させていただこう。

2017.7.5 朝.jpg
昨朝の二上山(雄岳)。山がいくつもあるように見える。

当地では大した雨も降らず今朝から晴れているが、福岡県と大分県が記録的な豪雨に見舞われ大雨特別警報が続いており、安否不明が22名に達している。

風と風がぶつかって線状降水帯が現われて強雨をもたらしたという。心が痛む。ただただ祈らせていただくしかない。

                   (つづく)

posted by 優子 at 16:50| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

「ああ主のひとみ」作詞者・井置利男牧師との出会い −家庭集会の記録―

IMG_6258.jpg私は何事も新しいことに着手するのが苦手ゆえに、デジカメを使い始めたのは2009年4月からだったので集合写真は知子に撮ってもらったのみ。

井置牧師をお招きした特別集会のプログラムを今ここに記録しておきたい。


IMG_6262.jpgこれはO姉が作って下さったものである。

12月はクリスチャンにとっては特に多忙な月であり過去ログにも次のように記録している。

「Huさんは前夜も帰宅されてからプログラムの訂正がないかを電話で聞いて下さって、それから印刷にかかって下さった」。

奏楽(知子)と司会者(優子)を入れるのを忘れていた。この右のページには聖句が印刷されている。

IMG_6263.jpg

これが表紙の裏。
IMG_6266.jpg

このほか私は4曲の讃美歌と聖句を印刷し全6ページ。当日、Hu姉がカウンターで表紙に挟んでセットしてくださっていた光景を昨日のことのように思い出す。


そして、千里さんは交わりの時のケーキを焼いてきてくださった。

「ケーキは一口大のオレンジケーキですが12時頃(多忙な千里さんは夜に作って下さった)に焼き上がりましたよ。

お皿を使わなくてもいいように考えて持って行きます。一口なのでフォークもいらないかな。

録音機も忘れないようにしなくっちゃ。主に感謝しつつ。

知子ちゃんとユキ君に会えるのを楽しみにしています」。


今更ながらお二人の存在なくしては成らなかったことであり、神さまが家庭集会「オリーブの会」をこんなにも祝福してくださり、井置牧師のメッセージを直にお聴きできたことは神の御臨在を物語っている。


A5AAA5EAA1BCA5D6A4CEB2F1-af3c0-thumbnail2.jpgこの写真には写っておられないが、愛餐会(昼食)の前に退席されたHa姉(しまい)から今日感謝のお電話をいただいた。


実はお返事がなかったので寝込んでおられるのだろうかと心配していたら、何と2か月間もお嬢様がおられるベルギーへ行っておられ、7月に入って帰国されたばかりだという。


留守中の郵送物の中から一番先に開いてくださり、読み終えたが「お手紙を書いていたらまた遅くなるので」とお電話くださった。今も変わらず勢いある明るいお話しぶりは梅雨空を押しのけてしまうほどのエネルギーだ。

「本当に送ってくださりありがとうございました」と、Ha姉のお声が今も耳に残っている。感謝!

                           (つづく)

posted by 優子 at 16:24| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

『種を蒔く』4号よりB −「ああ主のひとみ」作詞者・井置利男牧師との出会い― (井置牧師と初めて出会った読書会の写真初公開)

文末の写真は本誌にも掲載したが、他の1枚はブログ掲載時に挿入したものである。


     「ああ主のひとみ」
       作詞者・井置利男牧師との出会い                          
                    藤本 優子

2007年9月のある日、私は「コリント人への手紙13章」を一字一句心に刻みながらブログに打ち込んでいた。打ち終えた時、目の前にある言葉が目に入った。「愛すること 赦すこと―平和を求めて―」。日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の2007年度の執筆テーマだった。
締め切りが迫っているのに全く書けなかった。人を赦すことができない私が書けるわけがない。ひと月前の出来事で打ちのめされていたからだ。

しかし主は私を伴われた。
私は本棚から何気なく『愛について』を取り出した。1993年にJCPから発行された『あかし新書 第18篇』である。たまたま開いた所が高橋和子さんの「愛の眼ざし」だった。

「讃美歌『ああ主のひとみ』243番。私は此の讃美歌を歌う時、イエスの深い愛の痛みに咽(むせ)び、終(しま)いまで歌う事ができなくなる。作詞者、井置利男氏は、昭和26年神学生であった」。

井置? 
ここまで読んだ時、珍しい名前、聞き覚えのある名前だと思った。と同時に去年お知り合いになった井置牧師のことを思い出した。確か下の名前も「利男」だったのではと頂戴した名刺を確かめた。やはり字も同じ井置利男だった。

井置牧師のお歳は知らないが、昭和二十六年に神学生だったとすれば、年恰好も一致する。次に讃美歌を開いて見た。確かに作詩は "Toshio Ioki" になっている。まさか!

その前年の2006年7月13日、東大阪市花園図書館の館長さんから電話が入った。「今年の読書会機関紙『かわちの』を読まれた方が、藤本優子さんに連絡を取ってほしい」とのことだった。
「東大阪読書友の会」の事務局は花園図書館とし、会報には役員名しか記載されていないため図書館経由で連絡が入ることになっている。

その夕方、民生委員の用事を終えて帰宅後すぐに電話した。井置牧師はその年の春、埼玉から移って来られたばかりで、読書会会場である大阪商業大学が何処にあるかもご存じなかった。

そんな馴染のない時から地域に働きかけて、教会を「こども文庫」や書道教室に場所を提供され、「明日がその第1日目です」と意欲的に活動されていた。そのお世話をしてくださる方が読書会メンバーで、「朝日ピープル」記者のNさんだというのも驚きだった。

IMG_6231.jpgその年の10月、花園図書館で開催した豊中の「とよ読書会」との読書交歓会に井置牧師をお誘いした。折しもその時のテキストは山本周五郎の『日本婦道記』で、大田正紀先生を講師にお迎えしていた。
(井置利男牧師は後ろの男性、前列左は大田正紀先生、右は筆者)

さっそく大田先生に牧師をご紹介させていただいたが、そのとき私は井置牧師が讃美歌『ああ主のひとみ』の作詞者だったとは知る由もなかった。

2007年9月、井置牧師が讃美歌の作詞者であるのかどうか、私は居ても立ってもおられず直ぐに日本バプテスト連盟・東大阪キリスト教会へ電話した。

やっぱりそうだった! 
作詞された井置利男牧師その人だった! 

井置牧師は私に洗礼を授けて下さった故小山恒雄牧師と関西聖書神学校で同窓だっただけではなく、かつてJCPに入っておられた時に湯河原での夏期学校に参加されたこと、『あかし新書』の第3篇に寄稿されていることをお話しくださった。

私は18篇に収録されている高橋和子さんのお証しを朗読した。牧師は静かに聴いておられた。読み終えた後も黙しておられた。

「先生、私は今もまだ相も変わらずの愚かな者です。特にこのたびはどうしても立ち上がれなくて・・・」と、自然に口に出ていた。
すると、先生はなんと仰ったか! 
「素晴しいですね。そのように生きておられるのですから」。

「いえ、30代ならばともかく、私はもう55歳なんです。先生は、あんなにお若い時に変えられて、私は相変わらず全く神さまがわかっていないのです。だから何度も愚行を繰り返してしまうのです」。

私はどうしても神さまのことがわかりたいという一念で、師に食いさがってお聞きした。すると、「みんな一緒ですよ。大丈夫ですよ。私たちは罪赦された罪人なんですから。どうぞ、あまりご自分をお責めになりませんように。どんなクリスチャンもみんな完成に向かう『工事中』の人間ですから」。

実に穏やかな口調で言われ、師の表情まで伝わってくるようであった。その時、「優子、さあ、立ち上がりなさい」と、井置牧師の唇をとおしてイエスさまが語ってくださったように感じ、私は差し伸べられたイエスさまの手を握りしめた。

その時の私は最も身近な者に言葉を尽くしても伝わらない悲しみや悔しさがあったが、それら全てのことをイエス・キリストが知ってくださっているのだからもういい。私はイエスの御手にすがって導かれることを選んだ。

そして、「ああ主のひとみ」誕生のいきさつをお話ししていただきたいと申し出ると、「証しさせてください」と、当時我が家で開いていた家庭集会でお話しくださることになった。

神さまはこんなにも有名な讃美歌を作詞された牧師と出会わせてくださった。いやそのこと以上に、ここに至るまでの一切の出来事の絶妙さに神さまの見えざる御手を感じ、イエスさまの眼差しはずっと私にも向けられていたことをわからせてくださったのである。

讃美歌243番は、同志社女子中学校に入学して以来直ぐに覚えた愛唱歌の一曲であり、大人になってから何度も慰められ力づけられてきた讃美歌だ。

   1 ああ主のひとみ、まなざしよ。
     きよきみまえを 去りゆきし
     富める若人(わこうど) 見つめつつ、
     嘆くはたれぞ 主ならずや。

   2 ああ主のひとみ、まなざしよ、
     三たびわが主を いなみたる
     よわきペテロを かえりみて、
     ゆるすはたれぞ、主ならずや。

   3 ああ主のひとみ、まなざしよ、
     うたがいまどう トマスにも、
     み傷しめして  「信ぜよ」と、
     宣(の)らすはたれぞ、主ならずや。

   4 きのうもきょうも かわりなく、
     血しおしたたる み手をのべ、
     「友よ、かえれ」と まねきつつ
     待てるはたれぞ、主ならずや。
                 アーメン

井置牧師は第二次世界大戦で海軍のパイロットとして、国家存亡の為という目的で尽くされたが、敗戦の虚脱状態で生きる目的を失い、心も荒れ果てて教会へと導かれた。1949(昭和24)年22歳のことであった。

以下は、2007年12月15日の家庭集会で語ってくださった井置牧師のお証しであり、今から66年前に「ああ主のひとみ」が生まれたいきさつである。ここに感謝してお分かちさせていただきたい。

【井置牧師のメッセージ】
その敗戦の虚脱状態にあって自分は誰からも必要とされていないと思いました。人間にとってこれ以上の不幸はありません。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて 死なむと思ふ」
石川啄木がこの短歌に詠っているのがあの頃の心境でした。

そんな22歳の春のこと、ポスターを見て教会へ行きました。讃美歌312番を聞いた夜の感動を今も忘れずにいます。その集会後に、「人生の目的はなにか、人は何のために生きているのか」を矢継ぎ早に牧師に聞きました。

すると、「聖書を読みなさい。そして、教会に行くように」と、この二つのことを奨められました。その日から聖書を読み教会へ行く生活が始まりました。

そして、最初に私の心を捉えたのが「コリント人への第1の手紙13章」の言葉でした。ここは「愛の讃歌」と呼ばれる有名な箇所です。私が長い間求めていたのは「これだ!」と思いました。このように生きることこそ人間が本当に幸せになる道だと思いました。

「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」。

さて皆さんにお伺いしますが、このような本当の愛を持っておられる方がどのくらい居られるでしょうか。自分に本当の愛があるかないのかテストしてみる方法があります。

13章4節から7節のところは、本当の愛の性質が書かれているところですが、この「愛」のところに自分の名前を入れ替えて読んでみると、自分に愛があるかないかわかります。

「恨みをいだかない」の「いだかない」とはメモをしない、心のノートに記録しないということです。この本当の愛が無いということが聖書の言う「罪」ということです。私は本当の愛に生きることこそが人間の本当の幸せになる生き方だと思って、それに向かって歩き始めました。

しかし、「言うは易く行うは難し」です。頑張リズムの生活はいつまでも続けられません。やろうと思えば思うほどやれない自分、偽善的な自分に気づき(目覚め)始めていき、心の深い所で悩み始めていきました。

そして、聖書の期待を裏切るばかりの自分はクリスチャンになる資格はない、キリストの教会の恥さらしだと自分を責めるようになっていきました。

「罪を知っていながらキリストの赦しを信じられないのなら、それは絶望でしかない」と言ったキルケゴールの言葉そのままが当時の私の心境でした。神が招いて下さっているのに、教会へ行くということは苦しみを増幅することでしかありませんでした。

自分を責め続けていた年の秋の夕暮れのこと、頑張リズムの心で教会の祈祷会に出席するために道を急いでいました。

私の心は重く、あたかも屠所に引かれる羊のような気持ちでした。教会の庭にあった柿の実が夕日に映えて真っ赤に光っていたことをはっきり覚えています。遠くで鉄を打つ音が聞こえていました。

その時、ルカ伝22章の61節の言葉、「主は振り向いてペテロを見つめられた。」という言葉を不意打ちのように思い出しました。

自分の弱さのために一度ならず二度三度もイエスを裏切ったペテロ、このペテロの全ての罪を赦しておられるイエスさま。主の愛と赦しが告げられている言葉が私の心に蘇ってきたのであります。その時のイエスさまの眼差しは自分にも向けられていることを感じたのであります。

自己嫌悪の中でのた打ち回っている自分、もう自分を責めるのはやめろ! 全部赦されている、解放されているんだ! 赦されている者として、解放されている者として生きるんだというイエスの眼差しを感じました。そのことに感動して作詞したのが讃美歌243番でした。

その2節を見て下さい。私は勘違いしていました。私たちが信仰していく前に、神が私たちを愛されているということを告げられているということであります。

こんな者を寛容の愛で、情け深い愛で、どこまでも耐えて希望を持ち続けて下さる愛で愛して下さっている。キリストから愛されているということが告げられているところなのです。私たちはこの愛で誰も漏れなくキリストから愛されているというお互いであります。

先ほどの「愛」のところに「イエス・キリスト」を入れて読んで下さい。「イエス・キリストは寛容であり、イエス・キリストは情け深い。また、イエス・キリストは妬むことをしない・・・」。私たちはこの愛で愛されているお互いなのです。

キリスト教の信仰生活は、神の存在を云々することではありません。神の愛と背くらべをする生活でもありません。その愛に気づいていく生活、その愛に喜んでいく生活です。

「いつも喜んでいなさい、全てのことに感謝しなさい。」とありますように、神の愛に気づいていく時、喜ばざるをえない、感謝せざるをえないようになっていくのです。その生活の中で、私たちの中にも奇跡を起こしてくださるのです。そうです。自分を愛し、隣人を愛していく人に変えられていくのであります。

皆様の上に神さまの導きが豊かにありますように。
                       (完)

現在、井置牧師は日本バプテスト・浦和キリスト教会に出席されており、壮年会で活躍されている。

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前列中央・井置牧師、左端・筆者

この日、遠方からもうお一人(関西外大の助教授)お出でくださっていたが、同志社大学で学会があるからと愛餐会(昼食)の前に退席された。

抱かれている赤ん坊は、生後3ヶ月のユキだ。


この写真は、2006年10月、「とよ読書会」と読書交歓会の様子。内容は過去ログに記録している。


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井置先生の御姿が残っていないのは残念。この時、近隣の知人も参加してくださっていたが、この日は図書館の方に「何枚か撮っていただきたい」とだけお願いしたので、全体を撮っていただけなかった。


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読書会後、花園図書館屋上にて。
背後の山は生駒山。
前列右端は祈りの友・千里さん。Dさんと文中登場の「あさひピープル」記者のNさんもおられる。

                     (つづく)

       
posted by 優子 at 17:21| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

家の教会2017㉔ ダビデの告白 −悔い改めの恵み―

ユキのサッカー教室中に夫婦で神の前に静まって礼拝をささげた。今朝は小学生のユキのことを気遣うことなく、長くなるが詩篇51篇に関係する聖書箇所を読み合った。

ユキは昼食後も遊ぶと言ってきかなかったが食欲も落ちているほど疲労困憊しており、ようやく私たちの助言を聞き分けてシャワーに入って1時間昼寝するも、母親との約束を守らずに再び遊びに行ってしまった。
ユキとは17時45分から夕拝することを約束した。(追記:ユキとは20時5分〜25分)

2017年6月25日(日)(2017第24回 家の教会)
9時55分〜10時50分
出席者2名(With 良輔)
@ 初めのお祈り  優子
A 主の祈り
B 聖書輪読    サムエル記下11章1節〜
                   12章15節
            詩篇51篇
C お祈り     一人ずつ
D 讃美歌     404番(良輔愛唱歌) 
              「山路こえて」
            517番 「われに来よと主はいま」

詩篇 第51篇:
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだもの

51:1 神よ、あなたのいつくしみによって、
わたしをあわれみ、
あなたの豊かなあわれみによって、
わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
51:2 わたしの不義をことごとく洗い去り、
わたしの罪からわたしを清めてください。
51:3 わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、
あなたの前に悪い事を行いました。
それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、
あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。
わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。
それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、
わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、
わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、
あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9 み顔をわたしの罪から隠し、
わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11 わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12 あなたの救の喜びをわたしに返し、
自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13 そうすればわたしは、とがを犯した者に
あなたの道を教え、
罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
51:14 神よ、わが救の神よ、
血を流した罪からわたしを助け出してください。
わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。
51:15 主よ、わたしのくちびるを開いてください。
わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。
51:16 あなたはいけにえを好まれません。
たといわたしが燔祭をささげても
あなたは喜ばれないでしょう。
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心を
かろしめられません

51:18 あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、
エルサレムの城壁を築きなおしてください。
51:19 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、
全き燔祭とを喜ばれるでしょう。
その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。

お話:
ダビデは30歳でイスラエルの王となり40年間神の言葉に従った、イスラエル史上最高の王でした。自分の命を狙っているサウル王を殺す機会があった時も、神が立てられた権威だからと殺さなかったのです。

そんなダビデでしたが姦淫と殺人を犯しました。ウリヤ将軍のバテシバという美しい妻が水浴びをしている姿を見て情欲に負けて姦淫の罪を犯し、バテシバが身ごもったために王の権威を悪用して、バテシバの夫ウリヤを戦場の最前線に送って戦死させるように仕向けて死なせてしまいました。何という大罪でしょうか。

そのことが「サムエル記下11章」に記されており、「ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた」とあります。

そして12章では、主が預言者ナタンをダビデのところに遣わされて罪を指摘されて罪を告白し悔い改めに導かれるのです。赦しと罪の刈り取りが記されています。

昨今の政治界の出来事を見ていますと、自らを省みず嘘に嘘を重ね、罪に罪を重ねていく姿に驚愕し強い憤りを感じます。悪を繰り返していると良心が麻痺していくのも人間の実相です。

そこで「悔い改め」について考えたくて、今週はダビデを取り上げました。 
私たちは何か悪いことをした時、「環境や状況も悪かった」と半分は他者や社会状況にも責任があると他責化する誘惑に駆られますが、ダビデは自らを見つめて神に罪を犯したと告白しました。

「悔い改め」は反省することでも後悔することでも懺悔とも違います。懺悔は罪を悲しんで罪から離れ、自分の罪を取り除くために苦行したりお金を奉納したりすることです。

しかし「悔い改め」とは何かをすることではありません。「相手が先にあんなことをしたから」とか「相手の方がはるかに罪が大きい」とかいうのではなく、「悔い改め」においても徹底的に「神と私」の問題です。それゆえに結果として考え方や行いが変わって行くのです。


ダビデの犯したことは、実は古代においては王は罪で裁かれることはなかったのです。部下の命や財産は王の自由だったからです。

しかし、自らが王だからやっていいことでも、あるいはまた相手がどんなに非道であったとしても、自らの過ちを認めるというのでなければ悔い改めには至らないのです。

神がダビデに遣わされた預言者ナタンが「金持ちと貧しい人のたとえ話」をした時、ダビデは「そんなことをした男は死刑だ」と激怒しました。

サムエル記下 12章1節〜6節を読んでみますと、
12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。
12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。(略)

これについて、「実はこれこそが霊的に破たんした者の姿であり、死人に感覚がないのと同様に、罪を放置しておくと、私たちの良心は麻痺していき、やがて悔い改めることさえできなくなっていくのです」。
という言葉に深く頷かされました。全くその通りだと思います。

しかし、ダビデは自らの罪に気づき、悔い改めました。それが今日輪読した詩篇51篇です。この詩は「人間の罪を抉り出している」と北森嘉蔵が言っていますが、私は深く感じ入ることができませんでした。

(それゆえに今朝の礼拝中に、私の信仰の父である小山恒雄牧師の説教が聴きたいと涙しました。
「家の教会」を始めて1年4ヶ月に入りましたが、今ほど練られた牧師の解き明かしを聴きたいと思ったことはありません。)


ダビデはバテシバとの姦淫、そして、ウリヤを殺してしまった罪を自覚しているからこそ、「わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました」と、主に赦しを乞うているのです。これが真の悔い改めです!

罪を認め、罪を悲しみ、罪を告白する。
罪の告白は他者から言われてすることではなく、自分の罪を深く悔いるに至った者の自発的な真情の発露です。実はそこにも神さまが働いておられるのです。神さま助けがなければ悔い改めることはできないことも再確認させられました。

私たちクリスチャンの祈りとは単に願いごとではありません。まず讃美と感謝を捧げ、悔い改めや執り成しの祈り、また、願いごとを申し上げるのです。日々刻々に悔い改めることができるのは何という恵みでしょうか。

悔い改めた瞬間に失われていた平安と喜び、気力が甦ってきます。主イエス・キリストが愛と忍耐をもって一人ひとりの告白を待ってくださっています。自己正当化しないで、常に悔い改める者でありたいと願っています。
私もまたダビデの深い悔い改めと赦しを求める祈りを自らにも深めていきたいと思います。


過ぐる1週間を振り返って自らを神さまに探られながら悔い改め、心から砕かれた魂と感謝を捧げて新しい意欲と力をいただいて、今週も自分の置かれた所で精いっぱい生きていきたいと思います。


「わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください」。
         (詩篇25篇2節)
主に信頼する者は、敵と同じ土俵では戦いません。悪口には悪口、嘘には嘘で対抗するなら、世と同じです。それで相手を負かしても、主は喜ばれません。しかし、悪口には沈黙、嘘には真実、怒りには柔和で対応するなら、主が勝利をもたらしてくださいます。
      川端牧師の「今日のみことば」より


サムエル記下 12章1節〜15節:
12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。

12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
12:8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
12:9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
12:10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
12:11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。
12:12 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
12:14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。
12:15 こうしてナタンは家に帰った。

posted by 優子 at 15:37| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月01日

神の愛・アガパンサスの季節

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午後7時になってもフラッシュなしで写真が撮れた。写真を撮りに来たのでも散歩しているわけでもなく、写真には写っていないが公園の左端でユキが遊んでいる。
サッカーで顔なじみだった中学生2名がバスケの練習をしているのをいいことに、こんな時間になっているのに今も自転車を乗り回して遊んでいるのだ。

このさいアガパンサスを撮ってから声をかけようと思っていたら、その間にようやく帰ったようだ。

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なんて美しいんだろう。

先週も4日間も真夏日になっていたが、今日は雨が上がってから猛烈に暑くなって32.3度になった。知子は朝から外出、ユキは遊びに行って不在。

風があったので扇風機もかけないで夫婦そろって昼寝をしていた。40分間の昼寝で私は猛烈に元気になって、読書の合間に家事をこなした。夕食もしっかりいろいろ作った。

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もう1週間も前に『種を蒔く』4号への嬉しいお手紙が届いており、早くブログに書きたいと思っているが時間が無くてなかなか書けないでいる。
そして今日は井置利男牧師からご著書と共に嬉しいお便りが届いた。実は井置牧師には先週の金曜日に郵送したばかりだった。

今春初めに東大阪キリスト教会の牧師さんからご住所をお聞きしていたのにメールを見つけ出せなくて、そんなことをしているうちに遅くなり所属されている浦和キリスト教会宛にお送りしたのだった。

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裏庭に咲く今朝7時過ぎのアガパンサス。

久保田先生が逝かれて1年経った今も宿題に手をつけていない。4号も刊行されたのだからいよいよ今月からやり始めねば書けないまま終わってしまう。とにかく始めることだ。

今まで書いたものを1冊にするというよりも、2部構成にして前半に自分史を書き残したいと思っている。

井置牧師は昨年末に記録性に富んだ人間性ほとばしる「自分史」を書き上げられており、クリスチャン・ペンクラブ関東ブロックでは今春から自分史に取り組んでおられ、これ以上遅れをとりたくない。

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アガパンサスと紫陽花は晴天下では映えず、雨の日や夕暮れにこそ美しい。

「アガパンサス」の命名はキリストに関係する。ギリシャ語の"agape"(アガペ:神の愛、無条件の愛)と、
"anthos"(アンサス:花)の2語で作られている

また「時計草」もキリストに関係する。ここをクリックしてご覧ください。


posted by 優子 at 22:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年06月30日

「おばあちゃん、太陽みたいやったわ」& 母と子のまなざし

26日の朝、仕事が山積みで6時過ぎに家を出た知子の代わりに交通当番していた時のこと。いつものように「おはようございます! 気をつけて行ってらっしゃーい。今日も良い一日をね」と、黄色い旗を持ちながら子どもたちを誘導し見送る。


そして、ユキのグループが来た。

「あっ、ユキのおばあちゃんや!」とY君は私を見つけるなり言った。久しぶりに見る子どもたちは大きくなっていた。まるでパソコンの画面を拡大した瞬間のような感じで目に飛び込んできた。


「おお、Y君、大きくなったねえ。今日も元気に行ってらっしゃい! みんな怪我しないようにね」と、子どもたちに愛を込めて見送る。

その日、ユキは帰るなり言った。
「おばあちゃん、あのとき太陽みたいやったわ」と。


誤解して喜んではいけないと思って確かめると外れてはいなかった。嬉しかった。大人の心の在りようこそが大切なのだと改めて思った。


IMG_6151.jpg3日前から梅雨空が続いている。

知子は今年の2月から特に用事がない限り毎朝ユキを見送ってから出るようになった。
それまでは6時半過ぎに家を出て帰宅は23時前後で、我が子と2〜3日に一度しか会えない日もたびたびだった。それも半時間ほどという厳しい状況だった。


帰宅は今も9時〜10時頃が多いが、仕事も持ち帰らないように切り替えた。あまりに溜まっている時は今週初めのように6時過ぎに家を出ることもあるが。


これは昨日の朝の光景だ。最近は一台でも早い電車に乗るべくユキと一緒に家を出るようになった。

嬉しそうなユキ。母と子のナイスショット!
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知子の傘は真智が高校時代(?)に使っていたもので、ユキは大きな傘。傘を壊してばかりで買いに行く時間もなくて大人用を使用している。


この日の午後、お友達と川へ魚を捕りに行って長靴の中まで水浸し(笑)。川ではなく浅い水深の用水路で、学校も禁止していないというが私は学校に確かめないままでいる。


これは知子不在の17日、私もクリスチャン・ペンクラブ例会のため不在の日、おじいさんと捕って来たオタマジャクシ。数えると20匹以上いた。

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虫捕り網ですくったらこんなに入っていたというが、そのうちに足や手が出てきたのもいたので気が気ではなく、昨日ようやく逃がしてくれたのでホッとした。あとは亀・・・


(Photo by Yuki.)
IMG_6108.jpgとにかく4年生になってから行動半径が飛躍的に伸び、毎日飽きずに遊んでいる。
6時すぎ(門限はやっぱり6時)に帰宅したらまずシャワーに入り、勉強は15分間ほど、宿題だけで夕食タイム。


夕食が終わるとソファーで寝てしまい8時に寝てしまったこともあり、これでは幼稚園児よりも早いのでは?! そんな日常ゆえに「先に歯磨きしなさい」と声かけするのも私の日課になっている。


25日の日曜日は夕方に「少しでも漢字の復習しなさい」と母親に言われたのが気に入らず、2階へ逃げて時間をつぶしているうちに眠ってしまい、夕食も食べないで朝まで眠って、朝一番にシャワーに入って登校した。


IMG_6169.jpg知子に言われて表を作ったはいいが皆目やっていないし、はや中断。

「その他」が「その地」になっている。 「てつだい」と言っても、お箸とお湯呑みを並べるだけ。

またもやゲームを取り上げられて、「またか」とお友達。


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18日(日)は朝にサッカー教室があり、その後も遊ぶ。1時から5時半まで。すごいと思う。

前日捕ってきたオタマジャクシを見せている。網戸の黒い部分は、ユキが鉛筆の先で穴を開けた所にグレーのペンキを塗って穴を塞いだ箇所。


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窓越しに「ノコギリいけ!」とか「ヒラタ頑張れ!」と子どもたちの声が聞こえていた。何をしているのだろうと思ったら、6名のお友だちが来ていて道路でヒラタクワガタとノコギリクワガタを戦わせて遊んでいたという。


「おばあちゃんにも見せてあげる」と、あとで見せてくれたけれど虫は苦手。


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左はノコギリクワガタ、右はヒラタクワガタ。
ヒラタクワガタの方が強いそうだ。
ヒラタクワガタはユキが見つけ、ノコギリクワガタは1週間前に登校中に見つけた女の子がユキにくれたのだが、女の子がこんなのを捕まえるとはすごい!


タマムシ.jpgこれはタマムシ。これが玉虫色か〜

同日朝にウォーキング中の女性が神社で見つけたからとユキに届けてくださった。「おじいちゃんと虫捕りしていたから」とユキの昆虫好きは町内でも有名だ。

でも2日後に死んでしまって「お墓を作ってあげた」とユキ。「みんなに見せてあげたら学校で逃がしてやりや」とあんなに言っていたのに。


IMG_6163.jpg最後にユキが12枚の折り紙で作ったボール(?)。

「おばあちゃん、時間がある時はいつ?」と、また教えてくれるそうだ。

「これは同じ折り方ばっかりやから頭にいいよ」と、難しすぎるとかえって脳が混乱して機能低下することを察知している。この前は3枚つかって駒を折ったが全く覚えていない。折り紙が認知症の防止になればいいが。


もう限界@.jpg知子が「ユキ―!」と呼ぶと走って来て抱っこしてもらっていた「知子とユキだけの愛のスキンシップ」。

重たくてもう限界。


ユキ、ママが年を取ったら今度はユキがママを抱き、おんぶしてあげるのよ。ね!

わが子が年を取った時のことを想ってくれていた父のことを思い出す。


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2017年06月29日

東 道男牧師 説教「心を満たす生き方」 −遺稿 『種を蒔く』4号より― 

   説教「心を満たす生き方」

聖書 マタイによる福音書6章25〜34節
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。

まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


今日のメッセージの主題は「心を満たす生き方」ですが、先週説教準備にかかっている時にクリスチャン・ペンクラブの方から、立教大学の田中良彦先生の「太宰治と『聖書知識』という本を送って戴きました。

太宰は欝に苦しんでいたと思いますが、昭和11年10月、11月と強制的に脳病院に入れられ、自分を被害者の立場において、妻や自分を入院させた人たちを攻撃しています。

一種の自暴自棄状態に陥って、「一面の焼野原」をさすらう思いで悩んでいましたが、入院中は苦悩と孤独の中でバイブルだけを読んでいました。そして、キリストの苦悩と孤独に共感し、孤独な自分の姿をキリストに託して慰められたということです。

マタイ6章25節以下に――
「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」
とあります。

愛に満ちた神への信頼、命という尊いものを与えて下さったお方は、命の維持に必要な衣類も食糧もちゃんと用意して下さいます。

自然界に営まれる生命現象を思い浮かべて、神信頼に心を満たし摂理に身を委ねて、取り越し苦労も思い煩いも心配も要らない、天の父が深い愛をもって総てを備えて下さっている――こういう教えに太宰はストレスや自分の生き方への不安、絶望から、生きる力を与えられ、希望、明るさ、新しい身の処し方を示されたのでした。
 
詩編147編3節に――
「ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく
神への賛美はいかに美しく快いことか。
主はエルサレムを再建し、
イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。
打ち砕かれた心の人々を癒し
その傷を包んでくださる。」

とあります。

詩編55編23節には――
「あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。」

重荷と訳されたのは、ヘブル語で「ヤーハグ」といい、心の重荷、運命、苦情、ため息、ストレス等を意味します。ストレスは万病のもとです。

「主はあなたを支えてくださる。」

17節には
「わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。」
とあります。
これが文法上、未完了形で今も後も、生きる限り――という神の約束です。「神を呼ぶ」というのは、本来大声で叫ぶ、神に向かって呼びかけるという意味です。大声で神様におすがりするのです。

19節に、すると「わたしの魂を(キリストの憐れみにより)贖い出して(自分で自分を束縛している所の自縄自縛で身動きのとれない状態から解放して)平和に守ってくださる」というのです。本当に心を満たす生き方ができるのですね。

詩編107編6節及び8〜9節を見てみましょう。
6節「苦難の中から(諦めないで)主に助けを求めて叫ぶと(祈ると)主は彼らを苦しみから救ってくださった。」(これも未完了形です)――

8〜9節「主に感謝せよ。主は慈しみ深く
人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
主は渇いた魂を飽かせ
飢えた魂を良いもので満たしてくださった」
とあります。
6節は人生の障害、精神不安定からの救いを意味します。

ルカ福音書4章38〜39節にはガリラヤのカファルナウムの海沿いの町で弟子のペテロの姑の熱病を癒やされたイエス様の慈愛に富む奇蹟のあとに、40節には「いろいろな病気で苦しむ者」、ストレスに悩むもの、太宰のように自分の生きていくことに対する不安や絶望に悩む者たちの「一人ひとりに手を置いて癒やし」、慰め、立ち直らせ、キリストの慰めが一人ひとりに「生きる力」をお与えになったことが記されています。

詩編107編9節の「渇いた魂を飽かせ」というのは、文法上完了形で、本人の願望やその実現を意味します。

飢える魂、狂わんばかりの精神不安定の者のこと、渇いた魂をヘブル語で「シャーカク」と言っております。それから心の飢えた人――太宰の言う「焼け野原」を希望を失ってさ迷う人の心に「良いもの」、ヘブル語で「トーグ」、つまり心の平安、落ち着き、安心感、喜び、生き甲斐で満たしてくださる、と言っています。

聖書のみ言葉を読んで、疲れた自分と慈愛に満ちた雄々しいキリストを重ね合わせるのです。すると気持ちが落ち着いてきて、やる気を起こせるようになります。

マタイによる福音書11章28〜30節を読んでください。まず――
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とイエス様が仰います。

イエス様はどのようなときに、こう言われたのでしょう。伝道開始の初期の人気絶頂の時ではありません。そのような時期が過ぎ、今や反対者やメシヤとしてのイエス様を拒絶している人々に当面しておられます。

太宰治は身近な人たちとの信頼関係の破れた悲しみや淋しさと、イエス様の周りの人びとに裏切られたお気持ちを重ね併せて孤独な己の姿をキリストとの同一化によって慰められたのですが、わたしたちも「わたしの許に来なさい」とお呼びくださるこの声をあたたかく間近に感じます。

それから、当時の学者、ファリサイ人らの律法主義の戒律にあえぐ人たちに呼びかけられたこのお声に、罪の重荷に苦しむわたしたちや人生の思い煩い、苦しみ、ストレスに悩むわたしたちへのお優しさと力強い御呼びかけを感じ心がわくわくします。

そして父なる神様に連れ戻してくださる仲保者キリストの御贖いの恵みを深く感じます。イエス様は律法主義や心の重荷を身をもって取り除いて、わたしたちの重圧を感じている精神状態を解放してくださいます。文字通り、「休ませて」くださいます。

29、30節では、
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
と言っておられます。

「休ませる」というのは、ギリシア語の「アナパウオー」です。もともと竪琴の弦をゆるめるという意味で、不安、罪悪感、欲求不満、ストレスなどの緊張感や焦燥からイエス様はわたしたちを解放してくださいます。

くびきは農耕や草引きのために、ロバや牛の首にかける木の棒で、ここではイエス様に教えを乞うことを意味します。イエス様のくびきはマタイ7章の12節の「人にしてもらいたいと思うことはあなたも人にしなさい」という黄金律のような慈愛に満ちたおきてです
 

雨上がりに.jpg東牧師の遺稿となった説教は、大田正紀先生が打ち込んでくださったものである。
私にできることは、このメッセージを一人でも多くの人にお伝えし主の祝福を流していくことである。

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2017年06月28日

東牧師を偲ぶ A −東牧師を神に感謝して―

私が東先生を強く意識し始めたのは2010年2月の例会の時からだった。その時の例会記録の「C」では「東(あずま)道男牧師の『ヨブ記』論」が、「D」では我が拙い文章「赦しは神が成就される」を発表した時の様子を記録している。


その頃、私は長女の離婚で苦悩の底にあり主イエスに目を上げて書いたものである。


ちょうど1か月前の5月27日に東先生をお見舞いして以来、これまでのお交わりを振り返ると7年前の例会のことが懐かしく思い出された。


深い霊性を感じ、「牧師の牧師」の如くに尊敬している東先生にも、真情を吐露しながら牧師や信仰について質問をぶつけた。何度か会話を交わしながら私は最後に次のように申し上げた。

「先生が仰ったとおり、悔い改めて立ち直るたびに信仰を強くされていますし、『試練』については今日のお話をお聞きして、信仰を強くされるためという意味において、(全ての困難を)『試練』として受け止めることができるという答えを頂きました。」とお話したのだった。

師は只一言、「尊い経験をされています」と一句一句噛み締めるように語られた。私はお言葉どおり受け取ったのである。

この時の私はさぞや厳しい表情をしていたのであろうと自らの顔まで見えるほどだ。そんな私に東先生はじめ主にある兄弟姉妹が愛の包帯を巻いてくださったのだと、今これを書きながら感謝の涙が溢れる。


当時の例会会場は吹田市民会館が耐震工事のために使えなくなって、2009年頃(?)から内本町コミュニティセンター(和室)で開催していた。その後、千里ニュータウン教会が会場に与えられて我が家を得たような心地がした。


そして、私が東牧師との個人的出会いへと導かれたのは、2013年11月の例会で発表した「老いてなお実を結ぶ生涯」に対して、「詩篇92篇12節から15節の御言葉をお入れになったら素晴らしいと思います。神に従う人はレバノンの杉やなつめやしのように茂るというところです」と御高評いただいたことに始まる。


その例会後すぐにお手紙をくださって以来、3年3ヶ月間に拝受したお手紙は30通余りを数える。封筒を失くしてしまったのもあり申し訳なく惜しまれる。


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そして、今年2月初めのお手紙が最後だった。そのお手紙に対してお返事を差し上げなかったことが悔やまれてならない。

『4号』の編集が始まっていたことは言い訳でしかない。4月には例会報告方々、必ずお手紙をと思いつつもそれさえも日が過ぎてしまい、毎日のように呵責の念を感じながら6月の例会でお詫びしようと思っていた。


かように私はいつも不誠実で愛に応えられない人間ゆえに、主イエス・キリストの存在なくば永遠の滅びに至る人間である。


これは絶筆となった最後のお手紙の冒頭と最後の5枚目である。

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これが私の師と仰ぐ牧師、牧師の牧師、東先生の最後のお言葉となった。

ここに2016年2月4日、『種を蒔く』3号の校正箇所を送ってくださった時のお手紙に記されていたお言葉を刻む。


25G.jpg「イエスさまに救われて、本当によい人生を送ることができました。この神さまの愛を伝えたいという思いが、自然におき 書くことができました。

老齢となった今は、信仰とみことばによって生かされていることを感謝しています」。



私は讃美歌第2編136番 「われ聞けり彼方には」を口ずさみ続けている。


1.われ聞けり「かなたには うるわしき都あり」

  輝ける かの岸に われはまもなく着かん

  「ハレルヤ」と歌いつつ 歌いつつ進みゆかん

  わが足は弱けれど 導きたまえ 主よ


2.われ聞けり「かしこには 争いもわずらいも

  明日の憂いもなし」と われはまもなく着かん

 「ハレルヤ」と 歌いなば 悲しみも幸とならん

  われは はや さ迷わじ 神ともにいませば


3.われ聞けり「みかむりと ましろき衣をつけ

  主をほむる民あり」と われも共に歌わん

 「ハレルヤ」と 叫びつつ み声聞きてよろこび

 み国へとのぼりゆかん わが旅路終わらば


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2017年06月27日

東牧師を偲ぶ @ −われ聞けり「かなたには うるわしき都あり」−

昨年の6月に久保田暁一先生を天に送り、今年もまた東道男先生が天に帰られた。あとに残った者は寂しさだけではなく取り残されたような気持になる。

東牧師が入院されたとお聞きして居ても経っても居られず、5月27日(土)午後に病床を訪ねた。おそばにいたのは13時20分から34分とつかの間だったが、お会いできてよかった。その時に入院された日が5月6日だとわかった。

「もう5日前から何も食べていません。肺炎の心配がある(ようです)」。
最後の言葉はよく聞き取れなかったがはっきりとお話してくださっていた。

大田先生が5月24日(3日前)にお見舞いに来られたことをご存じなかったので、先生の置き手紙をお読みした。その日、「よく寝ておられたので、1時間ほどいて、お手紙だけ残して帰ってきました。」とご連絡くださっていた。

そのご報告を受けて、子どもさんがおられなかった東先生ゆえに、大田先生が傍にいてくださっている光景を思い浮かべて、「東先生よかったですね」と目頭を熱くした。年齢から言っても父と子の年齢差だから。

この日、「ティッシュペーパーを」と言われたので新しい箱を開けている時、「箱ごと置いて下さい」と言われ、その都度「ありがとうございます」と仰ってくださった。

「『種を蒔く』はもうできましたか? 楽しみにしています」。

「できあがったらお持ちします。先生の御説教で多くの方々から励ましを受けておられるとの声をいただいています」。

「例会は今からですか?」

「いえ、今日ではありませんが、教会のKさんと連絡を取っています」と申し上げると、安心されたように深く頷かれた。

体位交換でやや左側に体を倒されて、右手でベッドの柵をしっかり握っておられた。その手や腕は血管だけでけではなく骨までも透けて見えるかと思うほど、いつもよりももっと痩せておられた。

手も腕も冷たくて「寒くないですか?」とお聞きすると頷かれたので安心したが、ずっと先生の手を温めるようにして握っていた。入室する前に手はきれいに洗っておいた。


「東先生からいただいたたくさんのお手紙を何度も読み返させていただいています。聖書のようにして」。
ジッと私を見つめておられた。

「体に力が入らず、気力を失っております」。

このようになられたらそれは当然のことながらも、胸が潰れそうなほど悲しかった。誰よりも常に神さまから気力をいただいて励んでおられた先生だっただけに心が痛み、祈りへと導かれてお祈りした。

お祈りが終わって目を開けると先生も目を閉じて共に祈っておられた。

「今、何かしてほしいことはありませんか? 困っておられることはありませんか?」
「今度来るときは何をお持ちしましょうか? 何か召し上がりたいものはないですか?」

お返事はなく、ただお礼を言われるのでお疲れになってはいけないと思って退室することにした。

「先生、お休みになってください。帰り辛いので先生が目を閉じられたら帰ります」と、母や父に言っていたことと同じことを言っていた。

そして、重ねていた手を放して主のお守りを祈りつつ部屋を出た。後ろ髪を引かれる思いだった。

「気力を失っております」
悲観的に考えてしまう私は先生が急激に衰えていかれるかもしれないと思った。

悲しくて、心が沈んだ。
もう遠い日のことなのに母や父の病床に通っていた時と同じ感情だった。そして千里丘の駅に着いた時、私は讃美歌の歌詞を小さな声で口ずさんでいた。

  「われ聞けり『かなたには うるわしき都あり』
  輝ける かの岸に われはまもなく着かん
  『ハレルヤ』と歌いつつ 歌いつつ進みゆかん
  わが足は弱けれど 導きたまえ 主よ」


そして思った。
使命を終えて神に召されていくときは、地上生涯の気力を脱力させて一切の重荷から解放してくださるのだと。だからそれでいいんだ、主が最善を成してくださっているのだからと。

その日から朝に夕に、その合間にもたびたび思い出しては主の平安とお守りを祈り続けていた。

東牧師を見舞う@.jpgその3週間後にもういちどお会いできてよかった。
大田先生が『種を蒔く』4号をご覧に入れられ、東先生は確かに見届けてくださって逝かれた。

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2017年06月26日

東 道男牧師の告別式に 

千里ニュータウン教会近くで.jpg私たちの敬愛する東(あずま)道男牧師が24日午前4時28分に召天された。享年96歳、9月には97歳になられるところだった。

千里ニュータウン教会近くに咲いていたアベリア。

24日のうちにクリスチャン・ペンクラブ関西ブロック事務局長に訃報が届いていたが、旅行中の出先だったからと、こちらに一報が届いたのは昨日の15時。私は指示通りすぐに動いた。


その後まもなく教会へ問い合わせて奥野先生から詳細をお聞きし、関係者への連絡が終わったのは2時間後に前夜式が始まる16時になっていた。その直後事務局からも一斉メールが発信された。


IMG_6125.jpgそして今日6月26日(月)12時30分より、千里ニュータウン教会で告別式が執り行われた。

関西ブロックからは3名が参列した。遠くからは鎌倉市の雪ノ下教会からも来ておられたようだ。


司式は奥野彦蔵牧師(日本基督教団・関西農村教化研究所所長)、東牧師の代わりの説教者として講壇に立ってくださっていた方で、私たちの例会にも2度参加してくださっており、17日の例会では「東先生からのおもてなしですからどうぞ」とケーキを買って用意してくださっていた。


東牧師は、我が国の現役牧師の最長老だった。

IMG_6140.jpg

東先生は5月に入って体調を壊して6日に入院された。その翌日の説教も準備されて、教会で療養をと思っておられたが説得されて、「はい、わかりました」と入院に同意された。


5月末には一時危篤状態になられて、その後もち直されたものの、6月に入ってから声が全く出なくなっておられた。不思議なことに17日に私たち(4名)でお見舞いに伺った時は、微かにではあるが「ありがとう」と仰ってくださった。

いつものように「ございます」までは仰ることはできなかった。私は待っていたが息を継がれたあとも無理だった。


その後一週間小康を保たれ、息をひきとられる前夜も看護師さんに「ありがとうござます」とお答えになって、主の平安の内に天に召されなさったと御報告された。


告別式での朗読聖書個所は次の2か所。


イエスは言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
     (ヨハネによる福音書11章25〜26節)

またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
     (ヨハネの黙示録 14章13節)

讃美歌 496番 「うるわしの白百合」


説教箇所は、マタイによる福音書11章25節〜30節:

そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

【説教要旨】神のみこころに従うためには、この「重荷」をどのように受け止めるかである。


讃美歌第2編 167番 「われをも救いし」


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IMG_6129.jpg遺影は「70代のお若い頃の写真」だった。師のお元気盛んな時のお写真を拝見して、しみじみ師のご生涯の歩みを思わせられた。


東 道男牧師.jpg


この写真(→)が私たちが存じ上げている東先生だ。これは2016年2月20日、これ以後の写真は撮っていない。東先生を囲んでの例会は2016年11月19日が最後で、このときは奥様を天に送られて1か月後だった。


参列者は会堂から溢れ玄関ホールも埋め尽くしていた。東先生の妹さんが心打つご挨拶をされた。


教会役員のK姉に声をかけられてユキ(孫)のことが気になったが、私たちも火葬場まで同行した。そこで読まれた聖書個所は:


「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。

わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。

すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。

その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい」。
  (テサロニケ人への第一の手紙4章13節〜17節)

ユキのことがなければ先生のお骨を拾わせていただきたかった。


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IMG_6132.jpg式次第の最後のページに記された奥野牧師の哀悼の辞である。


今は疲れ切っていて私は涙すら出ない。

2日前から左胸に強い肋間神経痛が出ており、昨夜は痛みで目が覚めて、その後痛くて眠られず3時間余りの睡眠時間で赴いた。帰りの環状線(JR)に乗った時から再び痛みに喘ぎながら、感情が伴わないまま記録した。


しかし、今夜からは心痛めずに眠られる。先生はもう一切を解放されて天の御国へ凱旋されたのだから。だからもう辛くない。 


昨年の6月に久保田先生を天に送り、今年は東先生が帰還され、これまで以上に自らの死に焦点が当てられている。真剣に生きねばと思う。


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2017年06月25日

ブルンナー読書会I ―教会の基礎と存在―

これは6月24日の『ブルンナー読書会』の記録である。
これを書き終えようとした15時、東牧師召天の連絡が入った。その後まもなく千里ニュータウン教会に電話し、代務牧師より詳細をお聞きし関係者に電話する。


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『聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」。
今月の司会役は下村さん。讃美歌354番、聖書はマタイによる福音書16章13節〜19節、18章18節〜20節を拝読され、お祈りされた。(知子は欠席)

マタイによる福音書16章13節〜19節:
16:13 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
16:14 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
16:15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉(よみ)の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

マタイによる福音書18章18節〜20節:
18:18 よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。
18:19 また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。
18:20 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

IMG_6036.jpg「黄泉(よみ)の力」とは死が支配しているところであるが、この力にも滅びないのがキリスト教会であり、その根拠は「ただ動かされることのない根底に立っているから」で、教会の存在を信じることとは、「イエス・キリストの存在の力であり根拠でありたもうお方を信じることを意味する」。

漁夫であるカペナウムのペテロに、神ご自身がイエスの秘密を開示し、彼をして最初のキリスト信者、最初のキリスト告白者とされた。そして、ペテロを教会のいしずえとして、この告白の上に教会は建てられた。

「あなたはペテロである。そして、わたし(イエス・キリスト)はこの岩の上にわたしの教会を建てよう」。

イエスがペテロを「ケファ」と呼んでいたが、それは「岩」の意味であり、ローマ教会はペテロという岩の上に立っていると直接読んだ。

ペテロが初代ローマ法王(教皇)になった。
ローマ・カトリックにおいて法王は無謬性の権威になり、ローマ教会がこの主のみことばを教皇制度と結びつけたことは、悲劇的な誤解だった。

「この誤解の上に、ローマ・カトリック教会は建てられているのであり、それはローマのカイザル的帝国主義とキリスト教会の混合体であります」。

その後の後継者にも絶対に間違うわけがないという考えを付与していったのであるが、カトリックの宗教的権力と世俗的権力と、その中にまた不遜な権力組織があり、ヨーロッパではこの3重構造で戦って来た。

しかし、聖書にはおよそそのような教えはなく、聖書の教えは正反対の「仕える」というものである。

使徒信条の「聖なる公同の教会(Kirche:キルシェ)」という言葉は、「教会を建てる」「教会に行く」というように礼拝を意味することであり、信仰の集団の意味もあり、主が用い、また主にならって使徒たちが用いたところの単純な言葉である「エクレシア」の意味から外れている。

ルターは『エクレシア』に帰るところとし、新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳した時に教会を『ゲマインデ(Gemeinde)』(交わり・共同体)とした。


その言葉を最もよく訳して定義すならば次のようになる。

@ 主イエス・キリストにある群れ(ゲマインデ)。
A 信仰によって主と結ばれている人々。
B 主と、ちょうど肢体が頭と結びつき、ぶどうの枝がその幹に連なっているような、いのちの交わり(レーベンスゲマインシャフト:Lebensgemeinschaft)における人々。
C 彼らの天的な主でいましたもうお方と結合されているゆえに、お互いに、一つ体の肢々のように、またぶどうの木の幹に連なる生ける枝々のように、結ばれ相互に依存しあうところの人々。

教会とは、建物とか法的機構、組織とか制度などのような第3人称的なもの(Etwas:エトバス?)ではなく、天的な主の人格を通して一つに結び合わされた人間の人格的結合以外の何ものでもない。

教会自身は、この信条が言うように、交わり(Gemeinschaft)であり、聖徒の交わりの群れ(Gemeinde)であり、つまり、神によってとらえられ神への奉仕へ召された人々の群れである。

信仰は決して外から与えられるものではなく彼ら自身のもの、信仰告白を心の中に得なければならない。

そして告白とは公的な責任の自覚であり、イエス・キリストについての証しが他者の中に信仰を呼び起こすところの務めを持つ存在なのであります。

誤解してはいけないのは、ペテロその人がいしずえではなくて、ペテロがイエスを何と考えるかということであり、ペテロその人がいしずえになると人間が権力を持つようになる

「あなたこそ、生けるキリストです」。
ここに初めて人間が認識し、確認し、告白したのであり、ここから教会が始まる。使徒としてのペテロの働きが教会の基礎である。

18章18節の「繋ぐ」、「解く」とは、天に入れられるか地に入れられるかの天と地の境であり、福音が宣べ伝えられた時が「鍵」である。

ゆえに和解の言葉によってイエス・キリストを救い主と信じるならば神殿に入り、キリストのゲマインデ(教会)の一枝になり、和解の言葉(福音)を押し退ける人は誰でも外に留まらねばならない。まさにここで宗教、世界観が変わる。

「あなたは自分のもつ力と知恵とを全て用いても、結局自分を破滅から救うことはできないものだということに気づくか、それともあなたはなおもあなた自身の幸福を自分で開拓していけると信じるのか」。

これは一人ひとりが神の前に立たせられているところの二者択一の決断である。

しかしまたそこから信仰は主観的なもの、内面的なものであるという傾向が出てきたが、ブルンナーは交わりの群れの中でキリスト者はあり得るのだと言っている。

「全てのものは、遅かれ早かれ過ぎ去りゆくものであります。
どのような国家も、どのような民族も、どのような文化も、文化的・芸術的作品も、それらおのおのの時を持っております。あるものは長く、あるものは短い時をもっております。私たちが、みな、もはや存在しなくなるような時があるように、それらも存在しなくなる時があるでしょう。

ところが、ただ一つのものは決して存在しなくなることはありません。それがイエス・キリストの交わりの群れ(ゲマインデ)であり、ペテロなる岩の上に建てられた教会であります。いわゆるカトリック教会とか改革派教会とかがそこで言われているのではありません

私たちはイエス・キリストに愛されており、そこから出発して交わりが始まり、イエス・キリストの愛に生かされる時、生の本来の意味が充足されるのです。

そしてこの交わりの群れ(ゲマインデ)は既に永遠のいのちの開始が与えられているのであり、永遠のいのちは、死滅することは不可能であり、完成の約束、永遠の約束を持っております」。

「神は全てを揺り動かされ、それによって私たちに何が真に存在するものであるかをお見せになる。神は、私たちの手から多くのものを奪い取り、それによって私たちを永遠に価値あるものを最後にとらえるべく、駆り立てられるのです」。

次回は7月15日(土)、ブルンナーの『使徒信条講解説教』11章の「裁きと赦し」。司会、聖書拝読、お祈りは良輔。

最終章の12章「われは復活なり」は4月に取り上げたので、このテキストは次回で終了する。今後は聖書研究会(当番制で担当者を決めて発表)がいいか、以前から希望していた『ブルンナー著作集』(教文館)の『第7巻・フラウミュンスター説教集T』を読みたいかお尋ねくださり、両方ともやりたくて決めかねたが後者をお願いした。

『ブルンナー著作集』の第7巻と8巻の『フラウミュンスター説教集T』と『U』は下村喜八さんが翻訳されたゆえに、下村さんから直接ご講義を拝聴できるのは望外の恵みである。

雨上がりの散歩で.jpgそしてその1回目は次女夫婦の帰国滞在中の8月12日にしていただくことになり、早速昨日のうちにワシントンに伝令したところマチ・クマ共に感謝メールが届いていた。

「ブルンナーの会、次回は帰国にあわせてくださるとのこと、嬉しいです。私も、ブルンナーの言葉に励まされることも多いので、学べるのが嬉しいです」。(真智子)

「ブルンナー読書会をまたご一緒できること、僕も嬉しいです」。(太志)
私も今から楽しみだ。

「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

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posted by 優子 at 15:30| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

家の教会2017㉓ −「ザアカイよ、急いで下りてきなさい」−

今日は雨でサッカー教室はお休み。最初に独りで神さまとの密な時(10時〜10時45分)を過ごしてからユキと2人の礼拝を捧げた。
IMG_6044.jpg2017年6月25日(日)
   (2017第23回 家の教会)


10時45分〜11時10分
出席者 2名(With Yuki)

@ 初めのお祈り  優子
A 主の祈り
B 子ども讃美歌  38番(讃美歌21・60番) 
           「どんなにちいさい小鳥でも」 
C 聖書輪読  ルカによる福音書19章1節〜10節
D お話     優子
E お祈り    一人ずつ
F 讃美歌122番  「みどりも深き」

ルカによる福音書19章1節〜10節:
19:1 さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
19:2 ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
19:4 それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
19:5 イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
19:6 そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
19:7 人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
19:8 ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを4倍にして返します」。
19:9 イエスは彼に言われた、「きょう、救いがこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

お話:
ザアカイのお話はエリコの西側での出来事です。「エリコは香料の産地でその税額も多いので大きい収税署があり、取税長も置かれて」いました。ですから取税人のザアカイもお金持ちだったのだろうと思います。

「ザアカイ」とは ヘブル語で「罪無き」「正しき」などの意味です。 ザアカイはイエスさまのことを聞いて知っていたのでしょうね。

イエスさまが来られるというので多くの人がイエスさまの周りを取り囲んでいました。ところがザアカイは背が低いので見えないのです。

ザアカイが登ったと言われるいちじく桑の木.jpgこれがエリコにあるザアカイが登ったと言われているいちじく桑の木だそうです。
ザアカイはイエスがどんな人か見たいと思って、「前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。」とあります。ここに私は強く惹かれます。

ザアカイは単にイエスさまがどんな顔をして、どんなお姿か見たいと思ったのではなく、深い心の思いがあって見たかったに違いありません。本人は気づいていなかったかも知れないけれど、お金持ちでも満たされない思いがあったのでしょう。


ザアカイもユダヤ人であるのにユダヤ人たちから嫌われていたことや、当時の取税人は皆から嫌がられていたので孤独だったでしょうし、人々から決められていた以上の税金を取っていたという罪意識もあったでしょうし、背が低いことも悩んでいたかも知れないし、とにかくザアカイの心は満たされてはいなかったのです。

だからイエスさまを見たい。それだけではなくこの飢え渇きを解決してくださるかもしれないと思っての行動だったと思います。

そんな時に、イエスさまの方から声をかけてくださったのです。上を見上げて「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」と! 
これ以上の喜びがあるでしょうか! 
このお言葉は何度読んでも涙ぐんでしまいます。私はイエスさまのお声が本当に聞こえるようです。


イエスさまがザアカイを知っておられたかは不明だそうですが、そのようなことは問題ではありません。イエスさまは神の子であり、神ご自身であられるのですから、ザアカイ本人すら気づいていないかもしれない心の深い思いを知ってくださっているのです。

ザアカイの喜びはそこにいた群衆の同じユダヤ人であってもわかりません。それどころか彼らは罪人の家に行くイエスさまを非難しました。彼らはパリサイ人と同じなのです。古い慣習に支配されているのです。

イエスさまを招き入れたザアカイは自ら、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを4倍にして返します」と申し出ました。

イエスさまは何も要求されていないのに自らの罪を感じたのでしょう。いや、それより先にイエスさまは悔い改める者は赦してくださるという確信、愛を直観したのだと思います。
そのように感じること自体に神さまが働いておられるのであり、神に導かれて行く人は全てこの通りなのです。これを「神の恩寵」と言うのです。


「4倍にして返す」というのは、窃盗の場合の規定になっている(出エジプト記22章1節)からですが、ここで大切なことは悔い改めた心です。多くのお金を差し出せばよいということではないのです。

「きょう、救いがこの家にきた。」というのは、救いはあくまで個人の問題ですが、その家の主人の信仰は一家に及ぶことを仰ったのでしょう。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」というパウロとシラスの言葉を思い浮かべます。

そして、「アブラハムの子」というのは「ユダヤ人」を指すのであり、ザアカイも救わるべき人であるという意味です。

かの有名なパスカルは著書『パンセ』で、「人間には神によってしか埋められない空洞がある」と表現しているとおり、ザアカイの心にも大きな穴があったのです。

その穴はどんなものを持ってきても埋まらなくて、ジグソーパズルのピースのようにピタッと埋めることができるのは神さまだと言うのです。神を知り受け入れた時に空洞が埋められて平安を得るというのです。

それはザアカイだけではなく全ての人間がそうなのです。その空しさの穴に気がつく人は幸いです。

あの瞬間、ザアカイはその穴があることを直観したのでしょう。そこでなりふり構わずに桑の木に登った行動に感動します。求める者は厚かましく恵み御座の最前列に進み出るのです!


そしてイエス・キリストと出会って、今まで神に背を向けてきた生き方から180度向きを変えて神と共に生きるのです。その時、価値観や生き方が正されて「コペルニクス的転換」を経験するのです。

「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。このお言葉からイエスさまはザアカイのことを本当にお喜びになったことがわかります。

これまでザアカイは「失われた者」だったのです。神さまを離れては神の祝福を受けることができません。イエスさまが地上に来てくださったのは、ザアカイのように望みなく生きている人を捜し出して救うためなのです。

イエスさまに救い出された者は迷い出ないようにキリストから目を離さないように、そして、今もイエスさまを知らない人たちにイエスさまの福音、グッド・ニュースを届けたいと思います。

25F.jpg先日の川端牧師の「今日のみことば」にあるとおりです。ザアカイのお話からもよくご理解いただけると思います。
「あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました」。
            (詩篇26篇3節)

恵みとは、神からの無償の贈り物です。イエスをキリストと信じるだけで受け取れます。それは罪の赦しであり、永遠のいのちであり、聖霊の力であり、人生の癒しであり、神の国のあらゆる祝福です。真理に歩み続けたから、恵みが注がれるのではありません。恵みに生きるから、真理に歩むことが喜びになるのです

最後に黒崎幸吉の「要義」をご紹介して終わります。
[富める青年とザアカイ]18:18以下の富める青年の場合は、イエスはその全財産を売って貧者に施すことがその救いに必要であることを教えられ、ザアカイの場合はその幾分を施す決心をしただけで、救いがその家に起ったことを喜ばれた。

この二つの事実を見ても知り得る通り、人の霊魂の救いは、それが神のみに依り頼むか如何かに懸かっているのであって、資産の処分の方法または程度の問題ではない。

もしイエスが富める青年にその資産の半分を売って貧者に施せと命じ給い、もし青年がこれに従ったとしても、もし彼の心が他の半分に依り頼んでいたならば、彼は永遠の生命を得ることができなかったであろう

富の分配問題は社会問題、経済問題としては重要な問題であるけれども信仰問題の中心課題ではない。


附記:富める青年(ルカ18章18節〜25節)
18:18 また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
18:20 いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。
18:21 すると彼は言った、「それらのことはみな、小さい時から守っております」。
18:22 イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
18:23 彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であったからである。
18:24 イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。
18:25 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

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posted by 優子 at 13:10| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

昨日の記事に追記と今日のこと

Dさんへ
次女の真智子は「FRB」ではなく「IMF」です(笑)。共にワシントンンD.C.にあります。

「FRB」は「連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board, FRB)」で、これは「全国の主要都市に散在する連邦準備銀行(Federal Reserve Bank, FRB)を統括する」もので、「IMF」は国際通貨基金(International Monetary Fund, IMF)のことで、「国際金融、並びに、為替相場の安定化を目的として設立された国際連合の専門機関」です。

現在189か国の加盟国があって、「各国の中央銀行の取りまとめ役のような役割を負い、世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す」と書いてありました。

関心を持ってくださってありがとうございます。この短いビデオに真智子が登場しますからクリックしてくださいね。



「今日のこと」 22時更新:

今日は「ブルンナー読書会」でしたが眠いので記録するのは明日に譲ります。疲れている時はせっかく書き始めても不注意で消してしまったりしますので、今夜はもう休みます。

今朝10時(ワシントンでは23日金曜日の夜9時)から2時間半、夫は次女夫婦と3人でスカイプしていました。父親に寄り添ってくれるためです。私たち3人は外出し、ユキの散髪や買い物に出ました。

帰宅した時にスカイプの画像で2人の元気な顔を見て一言二言会話しました。そのあとブログを見てくれたのでしょう。私は前掲の記事にウィキペディアを見てIMFの加盟国を188ヶ国と書いていたのですが、メールが届いていました。

「最近189ヶ国に増えたので、訂正しておきました。(^^)
ちなみに、最近加盟したのはナウル共和国という小さな国です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%AB

真智たちは今年に入って特に多忙なようで私はメールも控えていたし、私もまた多忙でめったにメールを交信していなかったので、こんなメールもとても嬉しかったです。心が和みました。

ありがとう。帰ってきたらいっぱい喋ろうね。体力を鍛えておかないとね。(^^)

今年も8月の『ブルンナー読書会』は、マチ・クマの帰国滞在中の開催に決まりました。学びと語り合いの中で刺激されることを期待しています。この際、参加したい人はウェルカムしたいほど意欲が溢れてきました。

こんなに意欲が横溢してくるのは何年ぶりでしょうか。この感情は忘れていたものです。背後での執り成しの祈りの恵みを感じています。
そして、昨日の友との再会と、マチ・クマとの短いお喋りと、そして今日のブルンナー読書会で豊かに祝されたのが判ります。心の緊張が取れてきました。


次回で今のテキストは終わるので、8月から下村さんが訳された『ブルンナー全集』を読むことになりました。今から楽しみです。
ではおやすみなさい。真智たちは「おはよう」やね。

posted by 優子 at 07:18| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

Dさんを囲んでカイロスの時 −「読書会は絶滅危惧種」で大爆笑−

ようやく今日2ヶ月越しにDさんとのランチが実現。東大阪から駆けつけてくださった千里さんと3人で至福の時となった。

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楽しかった3時間のランチタイム

4月に東大阪読書友の会の会報・『かわちの』が発行されたら、一駅隣にお住まいになっている読書会の友とお目にかかるのを楽しみにしていた。

ところが3月半ばから『種を蒔く』のことで必死になるばかりでゴールデンウィーク後に延期していただき、5月もますます必死状態だったので全て終わるまで延期に、今月2日に本が届いたのはいいが大きな誤植発見、その翌日はユキの感染性胃腸炎がうつってダウン。

そういうわけでようやく今日2ヶ月越しに再会が実現したのだが、Dさんは左手を布で吊っておられ、1か月前に電車が急停車したので肩から転んで骨折されたというのだ。

病院のは真っ白くて仰々しいのでと目立たない布で補助されていたが大丈夫だったのだろうか。1週間ごとに少しずつ良くなっておられるとのことで安堵したが、2月の読書会に参加した時は圧迫骨折中で痛々しかっただけに、まさかまたこのような痛みに耐えておられたとは想像だにしなかった。

だから神さまはこの時を祝福してくださったのだと思う。先週初めに『種を蒔く』をお届けした千里さんからお礼のお電話をいただいた時にお誘いすると、東大阪から駆けつけてくださり3人で至福の時を過ごした。

勿論Dさんにも『種を蒔く』をお届した。ちなみに私がお届けする方は半分がノンクリスチャンで、文字通り「種を蒔く」のである。
帰宅後、当市の「9条の会」のお世話をしておられる方が、今号に掲載した一文を会報に掲載してよいかと聞きに来てくださった。紙面の関係上全文とはいかないがと。瞬間祈って快諾し、引用箇所の抜粋も相手方に委ねた。

さて某ファミリーレストランで3時間居座っていたが、一秒として中断することなくお喋りは続く。エコノミー症候群にならないようにドリンクバーに2度通いながら、話題はいろんな分野にわたった。

Dさんが言われた「読書会が絶滅危惧種になっている」には大笑いした。   他にも大笑いした言葉が2つほどあったが思い出せない。「活性化」だったっけ・・・

豊中との交歓読書会も2〜3年前から絶えているという。来年の創立50周年を最後に絶滅するのか、サークルの形態をとって気楽に続けるのか、私たちも読書会が絶滅しないように考えた。

そして思った。何よりも私たち一人ひとりの意欲が絶滅しないように互いに影響し合ってがんばらなくては!

2014年の『かわちの』に掲載された「拝啓 二宮金次郎様」はDさんの文章です!
3年前に「歩きスマホ」とは鋭い観点であり、現代の社会現象の先駆けともいえる文章だ。

ハートを持つクマ.gif「Dさん、お大事にね。順調に回復されるようにお祈りしています」。

posted by 優子 at 21:57| 読書会関係 | 更新情報をチェックする

『種を蒔く』4号よりA −久保田先生の御愛―

私の久保田先生の追悼文です。
     久保田先生の御愛
                
久保田先生との忘れられない思い出がある。それは2010年1月30日、大阪駅で待ち合わせて関西(かんせい)学院大学で開催された日本キリスト教文学会に同行した時のことだ。

先生はパーキンソン病の歩行困難に加えて、両膝関節の痛みのために5センチほどの歩幅でしか歩行できなかった。そんなお体で近江高島から出てこられた。

私は先生と腕を組み、組んだ手の指と指をしっかり絡めて歩いた。帰りは行きの時より一段と歩行力が落ちておられるのがわかった。

IMG_5903.jpg阪急側からJR大阪駅側に渡る混雑する横断歩道では、信号が青になった時にすぐにスタートできるように右端の一番前に立った。息遣いもしんどそうで呼吸を整えねばならなかった。
そして、二度目の青になって渡り始めた。先生は何度も手を強く握られ、私も強く握り返して手でも会話していた。

「大丈夫! ゆっくり 慌てないで。
 1、2、1、2、もう少しです」。

もはや渡り終えていないのは私たちだけで、今にも自動車が飛び出してきそうだった。そして、「渡れました!」と叫び、顔を見合わせて笑った。

実はこの5日前、長女が調停離婚したところだった。日も暮れて冷たい風が吹く関学のキャンパスで、先生は優しく、しかし、力強く仰った。

「藤本さんに元気で楽しく生きてほしいんや。聖書を読んでクヨクヨするのは読み方が間違っている。聖書は私達が幸せに生きるようにとくださったものだ。苦しむためにくださったのではない。力になれることがあれば何でも言うておいで、相談にのるから。

失礼だろうけれど藤本さんのことを娘のように思っている。優子さんは明るいからいい。優子さんが家族の要やからな、お嬢さんを励ましてやりなさい」。


私は迂闊にも帰りの大阪駅構内の店でコーヒーをいただいていた時に気がついた。

「ひょっとして、先生は私のことを心配して出て来てくださったのですか」。

やっぱりそうだった。

あの不自由なお体で私のために出て来てくださったのだ。それなのに、「ありがとう」、「悪いなあ」、「嬉しいなあ」と何回言ってくださったことか! 

久保田先生はいつも周囲の人々に優しい励ましの言葉をかけておられた。あの日の日本キリスト教文学会でも、研究発表していた若い研究者の「後方支援のために」質問しようとされていた。

初めて連れて行ってくださった2年前、遠藤周作や椎名麟三学会の代表者たちが集う懇親会で、小川惠子さんと私のことを紹介して深々と頭を下げてくださった。そのお姿に感極まり、我が魂に焼き付いた。

私の文筆活動においてもお会いするたびに励ましてくださった。

「藤本さんは突込んで書くからいい。今まで書いた論文や新しく書いて是非一冊出そう。慌てなくてもいいから。私でよければ序文を書かせてもらう。できることがあれば何でもするから」と、10年もの時間があったのに努力しないまま終わってしまったとは怠惰極まりない大馬鹿者だ。

もはや久保田先生の御序言はいただけずとも、やらないままでは再会できない。これは先生からの宿題となった。

いつか先生は仰った。
「本当の出会いとは、その人に出会うことにより自分の生き方や思想に影響を与え、自分が変えられていくことである」と。

先生は地上を去られたが、真剣に本当の出会いへと深めていき、久保田先生の御愛を無駄にはすまい。
久保田先生と出会わせてくださった神さまに心から感謝します。

最後に、生涯励まされ続ける久保田先生のお言葉をここに刻んでおきたい。

「文学作品を自由に読んで自分の納得のいくやり方で追求していきなさい。私の文学活動も一切党派を持たない。なぜならば客観的に見られなくなるからだ。自由に読んで自分の納得のいくやり方で追求していくために、党派性をもたないでやってきた。

イエスを追求するにも自己を持たないかん。人の物まね、受け売りはいかん。遠藤周作にしろ椎名麟三にしろ独自の文学論をもってやっている」。

「同じ事実であってもいろんな見方や解釈があり、その真実の汲み取り方の深さによって違ってくる。人まねをする必要はない。人にどう思われるだろうかなど、よく見せようと思わないで、自分をごまかさずに書いていくこと。
ドロドロしたものを書けるのは信仰しているからであり、闇を書けなかったら光を書けない。『闇は光に勝たなかった』のである。苦しみの道中を見ているがこそ書けるのであり、全身全霊をかけて書く。人の書けないものを書くのはたいしたものだ」。 

以上、2ページにまとめた。
あの時のことを振り返り、危なっかしいご不自由なお体で近江高島から大阪まで来られた勇気を今更ながら驚く。怖がりの私は師を見習わなくてはと何度も思うばかりである。

奥様もどんなにか心配されたことであろう。奥様が高島駅へ送迎され、帰りも駅へお迎えに来てくださっているとお聞きして安心したが、せめて京都まで乗って行こうかと躊躇していたらドアが閉まってしまった。「どうぞお守りください」と祈った。

電車のドアが閉まってからも目と目を交わしていた師のお姿が今も鮮明によみがえってくる。
その後まもなくお礼状が届いて私こそ手を合わせた。

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パーキンソン病のために自由にお書きになれないのに時間をかけて書いてくださった愛の遺産だ。

2014.3 書斎にて.jpgこの写真は大田正紀先生が師のアルバムより編集掲載してくださったものである。ウィキペディアには師の多くの著作が掲載されている。

このたび校正している時に、皆さんから寄せられた追悼文や大田先生が編集してくださった師の著作を読みながら何度も目頭が熱くなり、神のみもとに帰られたことを改めて知った。

2008.8久保田先生と.jpgこれは2008年8月、京都にある日本クリスチャンアカデミー・関西セミナーハウスで開催された関西・中部合同夏期研修会の時のものだから、追悼文に記したエピソードはこの2年半後のことになる。

この時の研修会を締めくくられた久保田先生の言葉が、師の声で今も重く耳に響く。

「私たちは神に守られて生かされている。
大切なことは、力強く生き抜いていくということだと思います」。


IMG_6021.jpg私たちも最後まで精いっぱい生きようではありませんか!
悔いのない人生を、
神の恵みの中で。
今日も良い一日を重ねて生きましょう!

posted by 優子 at 07:44| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

『種を蒔く』4号より@ −拙文「あとがき」−

IMG_5708.jpgこれが今月初めに日本クリスチャンペンクラブ関西ブロックから刊行された『種を蒔く』4号で、表紙の写真は日本キリスト教団・大津東教会だ。
創刊号より「ISBN」(アイエスビーエヌ、International Standard Book Number 、国際標準図書番号)を表示している。今号は500冊作製(A4版161ページ)、残り10数冊になっている。

4号は久保田暁一先生の追悼号で関西ブロック会員はもとより、関東ブロックの方々、JCP旧会員の方、久保田先生と同じ教会の方など18名から追悼文が寄せられ、後半に「証し」が掲載されている。また、毎号同様に最初に東道男牧師の2作の説教が収められている。

雨上がりの散歩で.jpg私は3作と「あとがき」を書かせていただいたので、ここに「あとがき」を刻んでおきたい。

    あとがき
        藤本 優子

昨年に続いて『種を蒔く』第四号を発行できますことを感謝いたします。表紙の写真は日本キリスト教団・大津東教会(大津市大江5丁目31―8)です。1925(大正14)年に膳所(ぜぜ)にて創立され、1970(昭和45)年に現在の瀬田大江の地に移転されました。

今号は2016年6月に召天された久保田暁一先生を偲びつつ編みました。長年の間、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の理事として労してくださった久保田先生は、関西の地に杭を打ち込む思いで関西ブロックを起ち上げてくださいました。寄せていただいた追悼文に惜別の想いが溢れています。

また昨秋10月に72年間を共に過ごされた東道男先生の御伴侶が召天されました。東先生の上に神さまの豊かなお慰めがありますようにお祈りします。

今秋、JCP創立65周年記念会が予定されています。先人たちのことを憶え、これからも各ブロックが心を一つにして福音宣教のためにペンの業に励みたいと思います。

私たちの例会は年に5回開催し、3回は大津教会で、あとの2回は大阪府吹田市の千里ニュータウン教会で文書伝道の研鑽を重ねています。千里の会場での開会説教は東道男牧師に導いていただいております。例会案内はJCPのホームページ(http://jcp.daa.jp/)に掲載されますので、文書伝道にご関心のある方は是非事務局にお尋ねください。

今号の編集も大田正紀兄(文芸評論家)の多大なる御愛労のもとで、事務局委員の原田潔兄、小川惠子姉、藤本優子が行いました。また、創刊号よりお世話になっております有限会社木下印刷様には心から感謝申し上げます。

この小さな書を神さまが祝福してくださり、豊かに用いてくださいますように祈ります。ご愛読くださりご感想を事務局宛にお聞かせくだされば幸いです。

「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」。

     (マルコによる福音書4章26・27節)

雨上がりに.jpg
雨上がりに

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2017年06月19日

東牧師不在の教会で −日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロック例会− 

IMG_5948.jpg今週の「家の教会」は守ることができなかった。
知子は17日朝早くから1泊二日で遠方へでかけて不在、ユキは土曜日に続いて連日のサッカーで、その午後は実が入らないので取りやめた。私もまた2時間も眠ってしまうほど疲れていた。

17日のJCP例会は知子が不在のため出席できないと思っていた。数週間前には「休んでもらえないか」と知子に頼まれもした。確かにユキを夫(ユキの祖父)に託すのは心配だったから。

そこで例会へはギリギリに行くことにして、一緒に買い物に行き例会のお茶菓子はスーパーで買うつもりだった。しかし、例会前に東(あずま)牧師のお見舞いに行かれるという。

一度はお断りしたものの、その後ずいぶん逡巡し、やっぱり同行させていただくことにした。

そこで金曜日の会社帰りに知子にお菓子を買ってきてもらうことにした。知子が上本町のデパートに着いた時は閉店時間で大急ぎで頼みこんで買ってくれたそうだ。

当日、もう一度夫とユキに喧嘩状態にならないように何度も話していつもより早く家を出た。ユキは珍しく利発でいい子だった。
母親を見送った時だけではなく、私が行く時も寂しそうにしていた。玄関で抱きしめて門を出た時、2階の窓から「行ってらっしゃい」とユキの声、いつまでも見送ってくれていた。

※ 事故やトラブルもなく一日を終えて夫に感謝!

この日、4名でお見舞いに行った。私は5月27日にも一人でお見舞いに行ったが、病室が別の部屋に変わっていた。

少し痩せられたように思う。大田先生がご覧に入れていた『種を蒔く』4号をジッと見つめておられた。私も最後におそばに行った。

「東先生、出エジプト記の神は『パロを頑なにされた』という意味がわからなくて、ヘブル語から解き明かして教えていただきたいです。」と話し始めると、先生は目を大きく開かれて私の目をジッと見つめておられた。

「ご回復を待って教えていただくのを楽しみにしています」。

私は牧師の眼がしらに溢れていた涙をそっとティッシュで吸い取った。
帰るのが辛かった。いつまでも見つめておられるので尚更だった。「イエスさま、共に居てください。お願いします」。

そのあと病院内のカフェで昼食を摂って東牧師不在の教会へ向かった。

IMG_5962.jpg東先生からの預かり物を代務のO牧師より頂戴した。

4月中旬に皆さんに送付した執筆者による校正原稿と出版協力費のお願いに対しても、すぐに用意してくださっていたのがわかった。

協力金は「6月の例会時に頂戴しますので・・・」と記しておいた。

東牧師から「みなさんにケーキを用意するように」お願いされてと、O牧師がケーキ皿にフォークまでセットして用意してくださっていた。
東先生・・・

この日の例会では最初に『種を蒔く』4号の会計収支報告書を配布して説明した。表紙を開いた1ページ「扉」の誤植については、早急に印刷屋さんがお詫びの手紙と訂正シールを作成して各自に郵送してくださったので感謝している。

また、久保田先生の息子さん、旧JCP会員の方、大溝教会の方々から届いた感謝メールの言葉をお伝えした。

この日の学びは大田先生が森鴎外の『鎚一下(ついいっか)』をご講演してくださったが、出版の役目をほぼ終えてホッとしたこともあり集中力がなかった。何よりも最近ますます理解力までなくて当惑している。

例会報告作成のためにも復習してからごくごく短く記録したいとは思っているが。
なお本文はここで読むことができる。

早一年、昨年6月の例会は久保田暁一先生の御葬儀で休会だった。

posted by 優子 at 17:18| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年06月17日

あの時の母を思い出させたKさん

ザクロの実.jpg晴天が続いている。陽ざしも強いが湿度が低いので快適。一昨日まで午前中の室内は肌寒く、外へ出て太陽にあたりに行くほどだった。

13日の朝はテクテク歩いた後でも温かくならなくて、農協へ入った瞬間、「暖房しておられるのですか? 暖かくて気持ちいいですね」と言って変な顔をされた。

そりゃそうだ、6月になって暖房はないだろう。認知症老人だと思われたに違いない。「暖房はしていません」と言われて「外が寒くて勘違いしました」と言い訳したが、誰もそこまで寒いとは感じていないからその感覚もおかしいのだ。しかも長袖を羽織っていたのに寒かったなんてどうかしていた。

IMG_5817.jpg14日、「今日こそは歩こう」と張り切って出たが、まもなくアジサイのお宅の前で庭の手入れをしておられたKさんに会って、この日のウォーキングはここで中断した。

IMG_5846.jpgあれはピラミッドアジサイではなかった。「かしわば(アジサイ)」と花の名前を教えていただき、花と挿し木用の枝を切ってくださった。

「かしわばが咲いたのでよほどお電話しようかと思ってました」とKさん。

我が家のシュウメイギクとミントもKさんからいただいたものだ。この地に引っ越してきてチャッピーと散歩し始めて間もない頃だった。

このあと畑に招かれて蕗を採り、部屋にも招かれてたくさんの手芸品を見せていただいた。

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右のは紫陽花の花。

7 いわし.jpg
イワシの干物、すごい!

メザシ.jpg2010年夏、買って来たメザシがあまりに美しかったので、ベランダにぶらさげていた光景を思い出した。


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何十年もの間、当市の手芸教室で教えておられたというのは昨秋お聞きしたが、昨秋10月に大腿骨を骨折されてから急に筋肉が衰えてしまわれて危なっかしい。

Kさんからたくさんいただいた。
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バッグもこんなに! 後ろ側はレザーになっている。

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ゴース生地が2枚重ねになっている夏用の手提げ。
娘と私にと色違いのを2つくださった。

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タオルかけ。
ユキは「人形の目が怖い。夜中に歩いてくるかも」と
洗面所にかけさせてくれない。

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小物はすべてブローチになっている。
「アメリカの娘さんに。草履は海外の人に喜ばれるかも」と。

このあと40分間ほど人生を分かち合っていた。気が付けば正午になろうとしていた。帰るとき、「また来てね。これから友達になってね」と手を握って涙ぐまれ、私も目頭が涙で潤んだ。

Kさんはとても気持ちが弱っておられた。10年前まで市主催の秋の行事で一緒にお手伝いしていた時、毎年Kさんたちが抹茶を入れてくださり民生委員がお運びしていた。あんなに溌剌としておられたのに・・・

母の神経難病が進行していき30年も務めていた保護司や民生委員を辞退し、それまで友人と4人で何十年も続けていた華道をやめ、ついにお謡いもやめねばならなくなったとき、「これで社会との繋がりがすべてなくなってしまう」と言った母。

Kさんがあの時の母と重なり、昨日のことのように思い出された。私も遠からずその時が来るだろう。


「また来てね。これから友達になってね」と仰ったKさんと出会いを深め寄り添いたいと思う。
昨秋、クリスチャン・ペンクラブから発刊した『種を蒔く』3号をお届けしているので、まずは翌朝早く今月初め出来上がった4号を郵便受けにお届けした。

大きな栗の木。
大きな栗の木.jpg
この栗の木の下で骨折されて倒れていたところを、たまたま外出されるお向かいの方に見つけていただいたそうだ。それでも2時間は倒れたままだったという。

今秋9月の終わりごろにユキと栗拾いをさせていただくことになった。栗拾いもまた私は生まれて初めて! 
60代になってから「初めて」が多い。大好物の和栗、長靴を履いてイガを取るそうだ。

Kさん、元気を出して!
この日からKさんのことも祈りの課題に加わった。

posted by 優子 at 07:04| 随想 | 更新情報をチェックする