2018年04月13日

ハナミズキに魅せられて

自然界は神秘であり、私たちが生かされていること自体が神秘だ。

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」。(詩篇100篇3節)
「汝自らを知れ」とギリシャの哲人は言います。しかし、自分の造り主を知らずに、自分を知ることはできません。私たちは造られたもの、造った方のもの、その方に養われるものです。この謙虚さがないかぎり、いつまでも自分はわかりません。主を知るほどに、自分のなすべきことが見えてきます。

春が深まり新緑が輝く季節を迎え、ヤマフジが咲き始めた。新緑と青い空、陽ざしに輝く木や花に惹きつけられる。

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今までハナミズキは特に好きな花ではなかったのに、
この春生まれて初めて惹きつけられた。

ここ何年も歩かなかったので知らなかったのかも知れないが、
今春のハナミズキは特に生命力に溢れ、
花の勢いと色の鮮やかさに目を見張る。

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遅咲きの桜かと思って近づけば、これもハナミズキだった。

花が開き始めた時の姿にも驚いた。
まるでフクロウの顔みたい。
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なんて個性的な花だろう。

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何枚撮っても飽きず、花の数だけ撮りたかった。

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5ミリほどの花に止まった1センチほどの小さな蝶。

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ドウダンツツジ

「あなたがたの高慢はよくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか」。(コリント人への第一の手紙5章6節)
一片の高慢が人生全体を狂わせます。自己過信は精神の動脈硬化を引き起こし、血管を脆くさせます。しかし、一片の謙遜さえあれば、心は和らぎ、寛大になり、人から慕われ、仲間が増え、将来に希望が広がっていきます。とにかく見栄を張らずに生きましょう。

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桜の季節が終わった今から最も好きな季節が始まる。
この寒い冬の日にも何度も想っていたサクランボの実る頃
神を身近に感じながら生きる幸せ。明日はブルンナー読書会。
posted by 優子 at 22:48| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

試練の春を往く人々を覚えて

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これは吉野山、4月のカレンダーの写真より。
30年以上も文字だけのカレンダーを利用していたが、
今年度から景色入りのカレンダーにした。

美しい風景を貼るのも季節のタイムリーさを逃さないように、今こそ吉野の桜! とは言え関西に住んでいて私はまだ行ったことがない。

桜が咲き始めるころから自然界は日に日に変わり、日々記録しておきたい衝動を押さえて何度も見たいものだけでも記録しておきたい。せめて1日前の花ならば受け入れられる。

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ツツジがほぼ満開の所もあった。

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池の周りの名残の桜。
今から開花する桜のマイペースさがいい。

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今日行けばフリージアは全てなくなっていた! なぜ?!

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お気に入りの今年初めての品種に見とれる。

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陽ざしに輝く花も見入ってしまう。

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これは今日の裏庭で見つけたハルジオン。
昨春の感動があまりにも激しかったので二日酔いの感じ。

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ミヤコワスレ

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ナルコユリ

そして短い散歩に出た。
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これは「ベニバナトキワマンサク」。

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あちこちで見る今春記憶した花。
名前を調べると「ツルニチニチソウ」だった。

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圧巻! 吹き出したモミジの若葉。

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春の名残の風景。

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今朝は10時半から国会中継があるので30分ほどで帰宅するつもりが、知人に呼び止められたり初めての人と話したりで遅くなってしまった。この写真を撮ったら大急ぎで帰ろうとしたら3人目のMr.kさんに声をかけられて30分間も話していた。

昨日膀胱癌の再発がわかって3回目(ポリープの時から数えると12回目)の手術をされる。人生についていろいろと話してこられた。
2週間前に初めて親しくお話しした女性は、「元気になったら山野辺の道を御一緒に歩くのを楽しみにしています」と言われ、昨日肺がんの手術をされた。

愛する人を亡くされる方も絶え間ない。試練の春を通られている方々の上に神さまのお守りがありますように祈ろう。そして、福音をお伝えすることができますように。

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柿の新芽

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posted by 優子 at 23:41| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年04月09日

「『火垂るの墓』では戦争は止められない」

アニメーション演出家・映画監督の高畑勲さんが4月5日に82歳で亡くなられた。『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』など数多くの作品を手掛けられ、多くの方々に惜しまれている。

『火垂るの墓』碑.jpgそして、野坂昭如(あきゆき)原作の『火垂るの墓』が13日に追悼放送される。この「火垂るの墓」の碑は、作品に登場する御影(みかげ)の公会堂から国道2号線を渡った石屋川公園(阪神沿線)に設置されている。

高畑監督が1年前のトークイベントで話されたことを「LITERA(リテラ)」から抜粋させていただいた。

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。

心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる。

「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。

忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない」。

仮にアメリカが北朝鮮へ攻撃を開始したら、その報復攻撃の「標的」となるのは日本だ。沖縄の米軍基地が攻撃され、国民の血が流れる。

そうした現況で、マスコミが報じるべきは、こうした安倍政権の態度が日本を確実に戦争へと導いているという事実に他ならない。にもかかわらず、とりわけテレビメディアは、政府の対応の危険性にほとんど言及しようとせず、逆にトランプと安倍首相の挑発に対する北朝鮮側の反応ばかりを報じ、その“危険性”をひたすら煽り、人々の恐怖という感情を刺激しているだけだ。

沖縄の基地問題もそうだが、安倍政権は「戦争はごめんだ」という人々の感情を逆手にとり、「戦争をしないために」との名目でその準備を進めてきた。そして、気がつけば、すでに片足を突っ込んでいた。高畑監督が「『火垂るの墓』では戦争は止められない」という表現で警鐘を鳴らしてきた状況は、いみじくも、いま、この瞬間こそを言い表している。

これに関して2018.4.9 AERAdot.から今朝配信された「古賀茂明『安倍政権の霞が関破壊に手を貸す忖度メディア』」で、闇の根源を話してくださっているので是非アエラに掲載された全文を読んでいただきたい。

まずは、マスコミが「心ある官僚」から見て、信頼に値するものに生まれ変わる。それがなされなければ、スキャンダルは、単に世の中を騒がせただけ終わり、その真相は永遠に闇の中ということになってしまう可能性が高い。

マスコミ、とりわけ、テレビ局が、本来の機能を取り戻すことができるかどうか。それを考えると、安倍政権が倒れなければ、それは無理だという答えにたどり着く。安倍政権が倒れるにはマスコミがその機能を取り戻すことが必要だから、結局は堂々巡りになっているというのが、悲しいかな、日本の政治とマスコミの現状なのだ。

4−4.jpg1人ひとりの生き方、在り方がいかに大切であるかを思う。官僚やマスコミの人々は聡明であるべきだ。阿(おもね)るような卑屈な生き方ではなく、自らの良心に問いながら職務を果たしてほしい。そのことは取りも直さず自らの尊厳をも守ることでもあるのだから。

posted by 優子 at 21:49| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

家の教会2018N ―ホセアの苦悩と神の愛―

4-8に使用.jpg2018年4月8日(日) 
       (2018第15回 家の教会)
13時15分〜14時5分
出席者2名(with良輔)

@初めのお祈り
IMG_2958.jpgA聖書輪読        ホセア書11章1節〜11節
Bお話     優子
C分かち合い
Dお祈り    1人ずつ
F聖歌     402番「丘に立てる荒削りの」
     
ホセア書11章1節〜11節:
11:1 わたしはイスラエルの幼い時、
これを愛した。
わたしはわが子をエジプトから呼び出した。
11:2 わたしが呼ばわるにしたがって、
彼らはいよいよわたしから遠ざかり、
もろもろのバアルに犠牲をささげ、
刻んだ像に香をたいた。
11:3 わたしはエフライムに歩むことを教え、
彼らをわたしの腕にいだいた。
しかし彼らはわたしにいやされた事を
知らなかった。
11:4 わたしはあわれみの綱、
すなわち愛のひもで彼らを導いた。
わたしは彼らに対しては、
あごから、くびきをはずす者のようになり、
かがんで彼らに食物を与えた。
11:5 彼らはエジプトの地に帰り、
アッスリヤびとが彼らの王となる。
彼らがわたしに帰ることを拒んだからである。
11:6 つるぎは、そのもろもろの町にあれ狂い、
その門の貫の木を砕き、その城の中に彼らを滅ぼす。
11:7 わが民はわたしからそむき去ろうとしている。
それゆえ、彼らはくびきをかけられ、
これを除きうる者はひとりもいない。
11:8 エフライムよ、
どうして、あなたを捨てることができようか。
イスラエルよ、
どうしてあなたを渡すことができようか。
どうしてあなたをアデマのように
することができようか。
どうしてあなたをゼボイムのように
扱うことができようか。
わたしの心は、わたしのうちに変り、
わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。
11:9 わたしはわたしの激しい怒りをあらわさない。
わたしは再びエフライムを滅ぼさない。
わたしは神であって、人ではなく、
あなたのうちにいる聖なる者だからである。
わたしは滅ぼすために臨むことをしない。
11:10 彼らは主に従って歩む。
主はししのほえるように声を出される。
主が声を出されると、
子らはおののきつつ西から来る。
11:11 彼らはエジプトから鳥のように、
アッスリヤの地から、はとのように急いで来る。
わたしは彼らをその家に帰らせると
主は言われる。

お話:
かつてダビデやソロモンの時代に栄えたイスラエル王国は、ソロモンの死後に北王国イスラエルと南王国ユダに分裂しました。ホセアはイザヤと同時代の紀元前8世紀に北イスラエル王国で用いられた預言者です。

王国は分裂していたとはいえ物質的には非常に繁栄していました。そのような時にホセアは神に背くならばイスラエルは滅びると預言したのです。エフライムとはユダヤ12部族の中にある種族の名前で、北イスラエル王国の指導的な部族だったので北イスラエル王国の別名でもあります。アデマとゼボイムというのはソドムとゴモラと共に滅ぼされた町の名前です。

ホセア書を開くと、神さまはホセアに淫行の妻ゴメルと、淫行によって生れた子らを受け入れて愛せと言われるのです。「この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」と。

なぜこのようなことをと思いますが、それは神さまに背を向け続けるイスラエルを思う神ご自身の悲しみと痛みをホセアに知らせるために、淫行を続ける女を妻にせよと求められたのです。そして、ホセアは神の言葉に従ってゴメルを受け入れ、ホセア自身の家庭の悲しみと苦悩を通して神の愛を深く知るに至るのです。

ホセアは、神さまがご自身に反逆するイスラエルを見捨てないで愛し続けておられることを深く知ったのです。ホセアと道徳的な罪をくり返す女・ゴメルとの物語は、まさに神さまとイスラエルの関係を物語っています。

愛がなければ苦しみはなく、愛が強ければ強いほど苦悩するのです。私達は善良な人を愛するのは容易であり何の苦痛も伴いませんが、信頼を裏切り悪を成し続ける者を愛すのは至難です。

神さまにも強い心の痛みがあるというのは、神さまが私たちを愛してくださっているからであり、信仰者にとってはそのことをいかに切実に感じることができるかで歩み方が違ってくるのですね。

神さまの愛の背後には苦悩と真実の究極の愛があるということを、ホセアは実体験から学びました。どんなに私たちが神さまの愛を裏切り続けても、神さまは私たちが本心に立ち返ることを待ち続けてくださるお方であるということをです。

ホセアの苦悩は預言者に限らず、神に用いられる人はここまで苦悩の中を通されるのだということも強く感じました。そしてゴメルの姿は、神さまの御心を悲しませてばかりいる私たちの姿でもあるのだなぁと思いました。

ホセアはゴメルをゆるしました。真実の赦しは神さまにしかできませんが、ホセアの視点から言えば、神の教えに従ったゆえに愛が勝利したということも私が受け取った神さまのメッセージでした

苦難に耐え抜くエレミヤの様子が伝わってくる言葉を想起させられます。

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む」。(新改訳聖書 哀歌3章22〜24節)

ホセアが自らの結婚生活を通して深められて知った神の愛は、私達の苦悩をも耐えせしめるものです。神さまは私たちの弱さをよくご存じの上で、日々闘っている私たちと共にいて、共に苦しんでくださり、私たちを支え導いてくださっていることがこれまで以上にわかりました。

イスラエルはアブラハムの信仰ゆえに神さまに愛されて、奴隷になっていたエジプトの地から脱出させてくださり、最後に約束の地カナンに導かれました。ところが偶像礼拝に毒されて神さまを完全に忘れてしまい、北イスラエル王国の偶像信仰のバアル礼拝をしていたのです。

神さまはこれまでにも何度も預言者をとおして警告されたのですが、注意されていることを心にとめなかったのです。私たちも罪を犯し続けると良心のとがめを感じることもなくなり、こんなことをしていたらダメだとか、正しく生きたいとも思わなくなってしまって悔い改めることができなくなってしまいます。

エフライムも神さまに何度も呼ばれているのに神さまを無視しつづけたのです。先ほど読んだ箇所には、神さまがエフライムを裁こうか赦そうかと苦しんでおられるのがわかります。裁くことのできる唯一の神さまが苦悩しているのです。

そしていつまでも向きを変えないエフライムに変わって、神さまが向きを変えられたのです。神さまの愛の背後にどんなに心の痛みや苦しみがあったことでしょう。

私たちも人生の途上で理屈に合わない出来事に「なぜ!」と絶叫したくなる闘いを経験しますが、苦悩を受け入れることができた時に初めて主イエスの十字架の愛がわかり始めるのではないでしょうか。そして、主イエスの十字架は私の贖罪のためだったとわかった時に絶叫は止み、信仰を強められて新しい歩みが始まるのです。

しかし、いや、そしてそのあとも、私たちは何度も何度も失敗し、そのたびに悔い改め、何度も何度も神に立ち返りながら生涯を歩み切るのです。ああ主よ、あなたの愛に応えるために、これからもあなただけを頼りに歩いて行きますから、どうか最後まで支えお導きください。


近隣宅のチューリップ。
2018大浦さんちの春.jpg附記:今年は自治会の班長当番で、自治会総会に出席のため午後の礼拝となった。
思い起こせば2008年に班長を、続いて2009年は副会長を務めて8年ぶりの参加である。
総会のあと旧班長さんから引継ぎを受け、昼食後すぐに自治会年会費(7200円)の集金に回った。不在宅は後日に。

先週の異常な暖かさは夢のよう。28日の掃除は膝までの半パンと半袖のTシャツ一枚でやっていたのに、昨日から寒い冬に逆戻り。しかし、チューリップも花の盛りを過ぎていく。

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チューリップの季節もチャッピーのいない悲しみがこみ上げてくる。

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2013年4月26日

E38381E383A3E38383E38394E383BCE69C80E5BE8CE381AEE698A5.jpgこれはチャッピー最後の
2015年春。


posted by 優子 at 19:00| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2018年04月06日

開花を終えた桜と新しい1年を始む

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日本では4月はもう一つの新しい年の始まりで、ユキは5年生に進級した。入学の季節にふさわしい桜の花は、3月下旬から1ヶ月先の陽気が続いて桜の季節はほぼ終わってしまった。

しかし、若葉から生気があふれ桜の1年は今から始まる。今年は凍てつく寒い冬だったから、蕾はいつまでも膨らんでこないと思っていたら、桜もまたチューリップと同じで冬の冷え込みがないと美しく咲けないという。

冬の寒さで養分を蓄えると聞いて、人間の成熟と同じだなぁと目頭が熱くなるほど感じ入った。私も植物に負けないように、心新たに良い一年を始めたい。信仰と理想と情熱をもって!

「神の国はことばにはなく、力にあるのです」。
               (第一コリント4章20節)
神の国は、神の愛と義の支配がいきわたっています。その神の国をキリストが地にもたらされたとき、死刑の道具だった十字架の意味が、死からいのちに、呪いから祝福に、憎悪から愛に変わりました。
十字架は神の国の力のシンボルです。神の国では新しい創造の力が現実に働きます。悔い改め、赦し、和解、癒しが起こります。神の国を第一に求めましょう。

「5年生の春おめでとう!」.jpg今朝外に出ると、かしわば紫陽花が両手を広げて「ユキ、5年生進級おめでとう!」と言う声が聞えるようだった。

春休み最終日の昨日は、知子が慌ただしく書いたメモがテーブルに置いてあった。近頃はずっと帰りが遅くて、早朝出社の時は6時過ぎに家を出たこともあった。

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昨夜はデパートに寄ってユキに洋菓子の詰め合わせを買って8時半頃に帰宅し、今朝はユキと一緒に家を出た。今夜は会社の親睦会で帰宅が遅いが。

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私たちの新しい門出に、
そして、誠実に生きておられる方々の上に
神さまの豊かな祝福がありますように。

人生はそれぞれの手の中にあり、それをつぶしてしまうか飛び立たせるかは各自の選択なのだ。性格を変えるのは至難でも、価値観や物の見方は柔軟に学習可能だ。

にもかかわらず、いつまでたってもどんなに良いことを経験しても心を揺さぶられることもなく、ますます頑なに悪に留まる。状況や自らの問題に気づかないのは本人が不幸だけではなく、関わる人々を傷つけ続け、ついには去らせてしまう。自覚できる聡明さがあれば悩み始めることができるのにと思う。
posted by 優子 at 16:51| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

みことばの散歩道@

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「光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ」。
                   (詩篇97篇11・12節)
正しい者とは、心が主に向かって真っ直ぐな人のことです。左右に逸れることがあれば、差し込む光が薄くなくなるので、すぐにわかります。陰が居心地を悪くし、急いで光の道に立ち返ろうとします。主に属する者はとにかく闇を嫌い、光を喜びます。

4-4-朝1.jpg「主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。災いの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです」。(詩篇94篇12節)
人にほめられ、逆に批判されて、感情が沸き立つときは、一旦、主に立ち返って心を静めましょう。柔かな心で平安に対応できます。その場で祈り主の教えを仰ぐことが、どれだけ正しい判断に導き、不要な災いから守ることでしょうか。


4-4-散歩1.jpg「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」。(第一コリント3章16節)
私たちは、内には聖霊を宿し、上にはキリストを着ています。そんな主の神殿であるという誇りをもって生きることは大切です。その誇りがあれば、どんな事態でも堅く立つことができます。主が立たせてくださるからです。この恵みに感謝し、柔和な顔で、飄々(ヒョウヒョウ)とした態度でいればいいのです。

4−4−散歩2.jpg「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分を裁くことさえしません」。(第一コリント4章3節)
人からの評価は小さなこと、神がどう見られるかが重要です。世の基準で自己評価をするのも止めましょう。人の評価を気にすれば、自分の良心を犠牲にしかねません。神の視線だけを受けていれば、何を選び、どうすべきか、定まります。

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4−4−散歩6.jpg「ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです」。(第一コリント4章5節)
メディアやネットの社会では、事実と嘘、善意と中傷が一緒に飛び交います。しかし、闇が消え去るまで判断は待ちましょう。光に照らされたとき、あなたは神の称賛を受けます。

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「というのは、誰もすでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです」。(第一コリント3章11節)
キリストを土台としていますか。ならば、あなたの良き行いは天に積まれています。たとえ火の試練を受けても土台は残ります。土台が残れば希望があります。もし希望が見えないとすれば、キリスト以外の土台に人生を築こうとしているからではありませんか。
                     (キリストの栄光教会より)

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posted by 優子 at 22:40| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2018年04月03日

春休みの夏日に万博公園へ

4-2-34.jpg「チャッピーが居ったら遊ぶのになぁ」と、お友だちは塾通いなのか公園は誰もおらず退屈な日々を送っているので、ユキをどこかへ連れて行ってやろうと万博公園に出かけた。

「万博」へ行くのはユキは初めてで、私は娘たちを連れて民族博物館を見学したのが最後だと思うので30年ぶりぐらいになると思う。

阪急千里線は千里ニュータウン教会に通った沿線だ。前日のイースターで東牧師のことを偲んでいただけに、南千里を懐かしく通り過ぎた。

万博公園へは次の「山田」で降りて、モノレールに一駅乗って到着。これは山田駅のプラットホームから写した景色。

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前方遠くに太陽の塔が見える。

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1970年から48年後の今年3月から
太陽の塔の内部が公開されている。

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開花の勢いは失せ始めていたが大勢の人が花見を楽しんでいた。

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烏(ハシブトカラス)がいっぱいで、ヒッチコックの『鳥』のシーンを
再現するかのように怖くて逃げた。

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この周囲にも20羽ほどいた。

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これは日本庭園内のカルガモ。
こんなに近距離で見たのは初めて。

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鯉の餌を買って与えると
不気味なほど口を大きく開けて寄って来た。

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電池の残量がなくて残念だったけれど、
これこそ動画を撮るべきだったね。

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この鳩は鯉の餌をねだっている。
3粒(3回)あげたね。チャッピーみたい。

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後ろに見えるのは過去を表す深緑(黒)の太陽の顔。

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チューリップは満開までもう少し。


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改良された姿だとしたらかわいそうな気がする。

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Photo by Yuki.

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見た目よりも高い。
たくさんの子どもたちに登られて木がかわいそう。

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「枝の切り口が『太陽の塔』の顔に似てるね」

木の上から写してくれた。
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ここに「中央アフリカ館」があった。隣には「ガボン館」があった。
「月の石」を見るためにアメリカ館はいつも長蛇の列だった。

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これは照手桃(テルテモモ)。

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白と赤の照手桃。
テルテモモの枝は横に拡がらずに
箒を立てたように上に伸びるので「箒桃」とも呼ぶ。
飛鳥で教えてもらったあれだ!

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これは白い桜。

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カエデの新芽。

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3時間で体力は限界、モノレールに向かう。

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万博公園駅から写した大阪モノレール。
レールを見ているとジェットコースターみたい。

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未来を表す黄金の顔と現在を表す正面の太陽の顔。
岡本太郎は現在と未来をどのように見るのだろうか。

歩数計が2万歩もカウントしていたとは人生初か?! 
左の股関節と膝の痛みだけではなくふくらはぎまで痛くなっていたが、前日ルクア(大阪駅)の地下2階にオープンした「ルクアフードホール」に寄った。

しかし共に即行却下で、いつものように大丸の上で食事休憩して何とか気力で家まで辿りついたが、今日はしんどくてしんどくてどうなるかと思った。

しかも昨日は25度の夏日だったはずだ。夜は早くお風呂に入って汗を流したい陽気だった。今日は(26度)もっと暑くて午前中から5分袖のサマーニットを引っ張り出した。

IMG_2676.jpg附記:今朝の毎日新聞朝刊の一面に「太陽の塔」が載っていた。
4月2日は国連が定めた「世界自閉症啓発デー」で、各地の施設が青色にライトアップされた。青は啓発活動のシンボルカラーで「癒し」や「希望」の意味が込められているという。
今まで知らなかったのでこれから4月2日のことを覚えていたい。

春休みもあと2日だよ〜〜ん!
posted by 優子 at 22:49| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

母と子の春の夕暮れ 

うららかな春の夕暮れ、多忙な知子はようやく仕事を中断させて3人で短い散歩に出た。夕方になってしまって写真が暗いのが残念だが良い写真が撮れた。今春の母と子の2枚のベストショットだ。まずはこれ!

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桜の季節に知子とユキを見るたびに思い起こすのが、
切なかった頃のふたりだ。
2010年4月16日:ユキ2歳8ヶ月。
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ユキ、大きくなったね。
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これは2015年4月3日:ユキ7歳8ヶ月。
この時のユキも私の印象的な春だ。
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まもなく2年生になる春、
このときチャッピーはもうここまで散歩に来られなくて、
この年の晩秋に亡くなった。

そして、ユキは今週6日に5年生になる。
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ユキの生涯が素晴らしいものでありますように!
神さまは知子とユキを生涯お導きくださることを信じる。

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大きくなったけれどまだまだかわいいユキ。

さて今日の、そして今春のベストショット2枚目は、
公園の柵に登っての一葉。
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桜の花に包まれてステキ!

「木に登ってはダメ!」と私の叫び声に慌てて登りかけた柵から降りたが、「木には足もかけないから」と再び登ったユキ。「でも柵にも登ってはいけないよ!」 昨日もこんなことをしていたようだ。

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先週から異常な暖かさで、ユキは夕方でも半袖のシャツ1枚だった。

「今日の私の喜びも、
ひとえに救い主の恐るべき犠牲のあってのことです。
主イエスさま、ありがとうございます。
あなたなくして、この春はありませんでした」。
(F・B・マイアー)

公園は薄いピンク色に・・・
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4-1-5.jpg散歩に出発する前に知子がジェーボーに挑戦。乗っているので驚いた。
ママとの時、ユキの嬉しそうなこと!
神さまの恵みの中で大きくなれ!

posted by 優子 at 21:48| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

家の教会2018M ―死は勝利にのまれた―

IMG_2477.jpgイースター
おめでとうございます!
4月1日にイースターを迎えるのは62年ぶりだそうです。

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IMG_7369.jpg2018年4月1日      
     (2018第14回 家の教会)

10時20分〜11時

出席者 4名

奏楽:知子


@最初のお祈り 優子

A主の祈り

B讃美歌21   575番「球根の中には」

C聖書輪読   マタイによる福音書 28章1節〜10節

        コリント人への第一の手紙 15章55節〜58節

Dお話     優子

Eお祈り    1人ずつ

F聖歌     172番「墓の中にいと低く」

G頌栄     讃美歌21・29番「天のみ民も」


マタによる福音書 28章1節〜10節:

28:1 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。

28:2 すると、大きな地震が起った。それは主の使いが天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
28:3 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
28:4 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
28:5 この御使いは女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
28:6 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
28:7 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。
28:8 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
28:9 すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
28:10 そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。
お話:
IMG_7324.jpg金曜日に十字架で死なれたイエスさまは、アリマタヤのヨセフが用意した墓に埋葬されました。
そして今朝、誰よりも早くマグダラのマリヤが友人と墓に駆けつけた時、墓を塞いでいた大きな石が転がされて空っぽになっていました。

それを聞いた使徒たちはびっくりしたことでしょう。この絵はユージーン・バーナンドが、墓に駈けつけるペテロとヨハネの様子を描いたものです。

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イエスさまがあのような惨たらしい死を遂げられて、使徒たちは絶望と悲しみの苦悩に打ちひしがれていたことでしょう。ところがイエス・キリストは復活されたのです。墓にはご遺体がなく空っぽだったと告げられたのですから、彼らは混乱した驚きの中で墓に向かって走り出したことでしょう。

私たちもそこにいた彼らの気持ちを共有したいです。彼らは走りながらイエスさまが3日目に甦ると仰っていたことを思い出して、「ああ、やっぱり真実だったんだ! 主は甦られたんだ!」と喜びを感じ始めたと思うのです。

とにかく墓に向かって走っているペテロとヨハネの複雑な心境が見事に描かれています。彼らはしっかりと前方を見据えているのがとても印象的で、これは信仰者でしか描けない絵だと見入ってしまいます。

イースターは、私たちが受けるべき罪の身代わりになって十字架にかかって死んでくださったイエスさまが、父なる神さまによって呼び出されて命を与えられたことをお祝いする日です。だから「イースター、おめでとうございます」なのです。

27-2.jpgイエスさまに命をお与えになった父なる神さまは、私たち一人ひとりの命をかけがえのないものと愛してくださっていますから、私たちが命の終わりを迎える時も永遠に生きることを願っておられます。

そのためには罪を赦していただかなくてはなりません。イエスさまの十字架によって私の罪は赦されたと信じる人は、自分のいのちの終わりを迎えても永遠に生かされる希望を与えられています。

死は圧倒的な巨大な力で容赦なく人を飲みこみます。科学という人知では死は全ての終わりです。この世に誕生した者は誰一人例外なく死んでいきます。

しかし、キリストは復活されました。死が敗北したのです。イエスさまを信じる者も死の苦しみを通りますが、既に死は征服されてイエスさまと結ばれていますから、世の終わりの日に甦らせてくださるのです。

「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪である。罪の力は律法である。
しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
      (コリント人への第一の手紙 15章55節〜58節)

4-1-1.jpg私たちは賜ったいのちを感謝し、その喜びをイースターエッグで表現してお祝いします。
卵は命の象徴であり、ひよこが卵の殻を破って出てくるように、イエスさまも死に勝利してよみがえられた意味がこめられています。クリスチャンにとってはクリスマスよりも復活祭の方がはるかに大いなる祝福であり意味深い記念の日なのです。

イエスさまを信じる人にとっては既に神さまの永遠の中で生かされているのですから、 尚更に与えられたいのちを大切に、楽しく喜んで生きるのです。

イエスさまが復活してくださったことを感謝します!
イエスさまがいつも私たちと共にいてくださっていることを感謝し、今からイースターのお祝いのテーブルを囲みましょう。
イースター おめでとうございます!
IMG_2479.jpg附記
今朝5時半過ぎに太志君(次女の伴侶)から無事帰宅したとのメール受信。感謝!
まもなくアメリカ東部もイースターの夜が明ける。神の祝福が豊かにありますように。

posted by 優子 at 15:42| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2018年03月31日

キプロスからD.C.に向かって

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次女の伴侶は今、派遣国から帰路にある。途中ロンドンで一泊してD.C.には31日(土)の午後4時ぐらいに帰宅する予定だというから、日本時間の明朝6時頃だ。
ロンドンの空港離陸前にラウンジからメールを送信してくれていた。

「春の日本の様子も心和みます。元気そうなユキちゃんの姿も見れて嬉しいです。ユキちゃんにもよろしくお伝えください。

キプロスでは正教会が主流なので、イースターは一週間後ですが、クリスチャンの同僚ともに、ホテルや空港の方々との去り際の挨拶で、Happy Easterと言い合っていました」。

日本の風景や私たちの様子に心を和ませてくれて嬉しい。
D.C.に帰ったところでそこも異国であり、多国籍の人々の中で職務を果たすのは母国以上の苦労があると思うだけに、ホッとできるオアシスを感じてもらえるのは非常に嬉しく、これからもそのようなページも重ねていきたい。

日本ではいよいよ明日イースターを迎えます。
『デイリーブレッド』から送っていただいた「イエスの復活 2018イースターデボーション」を皆様にもお分かちさせて頂きたく、掲載についてはお許しをいただいておりますので是非お読みください。

太志君、無事に真智の待つスイートホームへ帰還されますように祈っています。
ハッピー・イースター!
共に主イエスの御復活を感謝して幸いな時を過ごしてね!

posted by 優子 at 21:33| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

春の飛鳥へ

3-30-1.jpg今朝、近隣の親友Nさんから急きょお誘いを受けて飛鳥(明日香)へ花見に出た。約束していた友人が急きょ行けなくなったという。今日は週に一度の2階の掃除日だが躊躇しないでユキと一緒に外出した。
3-30-2.jpg最初に「高田(大和高田)の千本桜」を端から端までUターンして見せてくださり、中和幹線に戻って目的地まで1時間弱。おしゃべりしながら、折々にガイドも入り家族で行くよりも楽しいかも。

「この時期は桜が主張しているから遠くからでも桜だとわかるけれど、葉が出てくるとわからなくなるね」。

今日も興味深くNさんの言葉に耳を傾けた。それが楽しみでもある。私は物知りのNさんから耳学問でいろんなことを教わってきた。

Nさんは関西の人ではなく故郷は長野県。南アルプスと中央アルプスが見える天竜川に沿う伊那盆地で、豊かな自然の中で育った方だから話は耳新しく聞き書きしたいと思うほどだ。
特に私は自然界の驚異に目が開かれてきたのが60歳頃からだから話にならないが、古びた脳でも感動することしきり。

「雷(いかづち)」という珍しい地名の交差点は、私もこれまでに通ったはず。
「コンビニも飛鳥(明日香)の町に溶け込むように屋根は瓦造り、南都銀行も奈良風になってるね」とNさんのガイドは素晴らしい。

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石舞台:古墳時代後期の古墳だ。

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なんてのどかなんだろう。
心の緊張がとれていくのがわかった。

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枝垂れ桜(Photo by Yuki.)

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再びこちらへ戻って休憩。
ユキはソフトクリームを食べたあと、帰宅前に公園で遊ぼうと持参していたサッカーボールで後ろのグリーンで遊んでいた。私はその姿を写すどころか見ることも忘れて、少々肌寒さを感じながらNさんとクリーム入りのアイスコーヒーを飲みながら喋りっぱなし。

そしてUターン。
帰りの車窓から撮った「箒桃(ほうきもも)」
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途中で昼食を済ませて、
はや二上山(右が雄岳、左が雌岳)が見えた。
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これは梨の花だって!
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梨の花
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近くの池の周りも花見のドライブして自宅前でサヨナラした。ユキはそのまま公園で降ろしていただいた。

義母の用事までまだ1時間ある。私は大急ぎでカメラを持って強歩で再び池へ。

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桜の花びらが落ちている。

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アスファルトの隙間から芽を出すノスミレ。
植えられた花よりよほど美しい。

あんなに美しかったハクモクレンも花の時を終えた。
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A Magnolia is a Magnolia is a Magnolia.
モクレンはモクレンであるところのモクレンである。
花の時も、花の盛りが終って美しさがなくなってもモクレンである。

6日前はこんなに美しかったのに。でも忘れない。
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柴桜。

竹の葉が黄ばんでくる「竹秋」
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↓ 1週間前は一つ咲いたばかりだった。
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紫モクレン

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ハナモモ

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これはピンクのモクレンかな。
私は花言葉には全く関心がないが、
モクレンの花言葉は「自然への愛、崇高、持続性」だという。
その言葉にふさわしい姿だと思う。

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公園の桜も満開! そして、花散る頃。

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               ユキはずっと遊んでいた。

B29夕方.jpg昨日は2歳年上のふたりと3人だけで遊んでいたので声をかけて帰宅させた。


最後に今春覚えた「海棠(かいどう)桜」。
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春は美しい、まさに復活の春!

洗濯物を入れながら時計を覗いた。
午後2時45分、
「イエスさまはまもなく息絶えられる」とつぶやいた。

「イエスのヴィア・ドロローサは、十字架の死と復活につながりました。自分の罪がイエスの贖いによって赦されると信じるなら、私たちは聖なる者にしていただき、神の臨在に入ることができます。律法を守れない不完全な者であっても、神が受け入れてくださり、愛し慈しんでくださると確信して、安心してみそばに近づけます」。『デイリーブレッド』より

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朝晩と昼の表情。

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posted by 優子 at 21:44| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年03月28日

石屋川の桜も満開! −3年ぶりの春−

28-13.jpg今日は24度まで上がり5月上旬の陽気、私はユキと神戸の叔母を訪ねた。春に訪ねるのは3年ぶりである。

特に昨年2月から先月まで苦しい情況だったために、昨年は帰国中の次女夫婦と訪ねるのが精いっぱいだった。いつか近いうちにそのことにも触れたいと思う。

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28-7.jpgこの記念碑は淡路神戸大震災で亡くなられた方のご遺族が建てられたものである。結婚して新築中の家ができあがるまで一時仮住まいされていた住宅で、引っ越しが1週間遅れたために大震災で亡くなられた。

市は年に一回樹木に消毒するが個人の木にはできないので、個人で責任を持って消毒しなければならないという。しかし、寄贈すれば市がしてくれるというので寄贈という形式を取られたという。

叔母から改めて当時の様子を聞き、何と多くの人々が悲しみを秘めて生きておられるのかと思った。かつては毎春この桜の木の下でご遺族がお花見されていたそうだ。

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石屋川公園には野鳥がいっぱい!
ムクドリやスズメが群がり、かなり近づくことができた。

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これは銅像ではないよ。
逆光で暗くて見えないけれど
ユキでした!

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こんな高い所から飛び降りるなんて危ない!

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叔母のアイパッドでゲームを教わるユキ。
かなり難しいレベルになっているとか。

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母が70歳で亡くなって22年。
叔母は4月に90歳になる。
母の分まで長生きしてほしい。

叔母を囲んでA.jpg今年のお正月に帰国中のマチ・クマも叔母を訪ねてくれたね。太志君は只今出張中で31日にD.C.に帰ることや、7月(だったっけ?)に真智もミッションでイタリア語圏の国に出張することを話した。


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4時20分過ぎに別れ、信号待ちで振り返って景色とも別れた。
帰りは石屋川の東側を歩いた。

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帰りもまた写真を撮りながら駅まで歩いた。

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ここからはユキが写した写真集。
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「神戸は鳥がいっぱいやなぁ」
こんなにはっきりスズメが撮れたなんてすごい!
ユキと一緒で楽しかった、ありがとう幸せな時を。

附記:叔母のアイパッドに『メメントドミニ』が入っていたのでびっくり! 
きっとかなり以前から入れてくれていたのだと思う。開くと見慣れた世界が目に飛び込んできて再度びっくり。アイパッドはインターネットを使えるんだったと再確認させられたことだった。
「明日の朝に開いたら今日のことが見られるようにするからね」と叔母と約束したので、午前12時半過ぎまで頑張った。

posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年03月27日

チューリップも開花!

大阪で桜(ソメイヨシノ)が20日に開花したのも史上初の早さならば、昨日報じた満開も1957年に始めた満開観測以来初ということだ。昨日から22度と4月中旬の暖かさで、孫は先週末から半袖一枚で夕方遅くまで遊んでいる。

明後日は春を飛び越えて初夏の陽気になるという。春の変化をゆっくり味わえないのはがっかりであるが、我が家のチューリップも植え始めて初の早い開花である。

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   26日夕方         27日朝7時
                    ↓
その2時間後
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月曜日は義妹が来るので週に一日だけ義母のことを忘れてゆっくりできる日なので、春休みに入ったユキをどこかに連れていってやろうと思っていたが、血圧が高かったわけでも風邪でもないのにしんどくてどうにもならず一日中横になっていた。

今日はほぼ回復していたので朝一番に桜を見にユキと散歩に出た。9時半からの佐川宣寿国税庁長官への証人喚問に間に合うように。

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PHOTO BY YUKI

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↑ ユキが撮った ↓

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どの木からも新芽が吹き出ている。

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池の桜はようやく咲き始めたところだが、
明後日には満開になるだろう。

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ユキが撮った亀

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4年前の春、
入学式前日のユキ。


チャッピーがいなくてさみしい。
いのちの不思議。

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「チャッピーに悪いけれど豆柴を飼いたい」と言ったユキ。

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アスファルトの隙間に咲くノスミレ。

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やっぱりユキは上手に撮る。

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↑ 裏庭の野花 ↓

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神秘!
今朝はまだ青い蕾だったのに
夕方にはピンク色になっていた。

posted by 優子 at 22:49| 随想 | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

家の教会2018L ―受難週を心して歩む―

24-10.jpg2018年3月25日

   (2018第13回 家の教会)

12時15分〜12時50分

出席者:3名


@ 初めのお祈り 

A 主の祈り

B 聖書輪読    イザヤ書53章

C お話      優子

E お祈り     1人ずつ

F 讃美歌             聖歌400番、讃美歌21の306番

               「君もそこにいたのか」

ユキは昨朝に続いて今朝もサッカー教室に。昨日の午後は祖父と野球観戦に、今日は友人と野球。
今朝(10時40分〜11時15分)夫と二人で聖書を読み、語り、祈り合い幸いな時をもった。しかもこの時に大きな気づきがあったことを「附記」に記した。

イザヤ書53章1節〜12節:

53:1 だれがわれわれの聞いたことを

信じ得たか。

主の腕は、だれにあらわれたか。

53:2 彼は主の前に若木のように、

かわいた土から出る根のように育った。

彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、

われわれの慕うべき美しさもない。

53:3 彼は侮られて人に捨てられ、

悲しみの人で、病を知っていた。

また顔をおおって忌みきらわれる者のように、

彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、

われわれの悲しみをになった。

しかるに、われわれは思った、

彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、

われわれの不義のために砕かれたのだ。

彼はみずから懲しめをうけて、

われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、

われわれはいやされたのだ。

53:6 われわれはみな羊のように迷って、

おのおの自分の道に向かって行った。

主はわれわれすべての者の不義を、

彼の上におかれた。

53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
53:9 彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべはその知識によって、
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。

 お話:

24-6.jpgイースターの46日前の「灰の水曜日」から始まったレント(受難節)も今日受難週迎えましたので、3月4日にユキと読んだ「苦難のしもべ」をもう一度取り上げました。イエスさまが突き進んで行かれた日々を深く心にとめながら、私たちも一日一日を確かに歩いて行きたいからです。

イザヤが預言していたように、イエスさまはみんなが喜ぶ救い主ではありませんでした。人々が求める威厳に満ちた王でもなく、悪人をやっつけてくれるスーパーマンのようでもなく、それどころか馬小屋で生まれ、飼い葉おけのベッド、果ては十字架につけられてしまいました。

ローマ兵がイエスさまを捕まえた時も、ユダが口づけしてイエスだと教えたるほどでした。兵隊と申し合わせしていたのです。蔑まれ見るべき姿もなかったからです。ルカ伝22章47・48節にこうあります。

十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」。

今朝のみことばにある「悲しみ」とは主に精神的苦痛のことです。主イエスは神の御ひとり子でしたが、私たちのように人間の姿になって地上に生まれてくださいましたから肉体の痛みも敏感でした。しかも十字架に磔にされて死ぬというのは悶絶する苦痛を受けてくださったのです。私たちの苦痛をわからないお方ではないのです! 

「病を知る」とは、イエスさまが病身だったというのではなく、病に対して同情できる心を持っておられるという意味です。イエスさまは悲しみや痛みや病を知っておられても、決して暗く悲しそうな顔で生きておられたわけではなく、生き生きと過ごされました。

即ち、神であられたけれど人間の悲しみや苦痛を十分理解できるお方であるというのです。だから私たちを慰め励ましてくださるのです。ラザロの死を悲しむ家族を見て「イエスは涙を流された」ということからもわかるように、同情してくださる優しいお方です。

それゆえに悲しみや痛みなどそれら一切の根源である私たちの罪の解決のために、私たちの身代わりになって神の裁きを負ってくださったのです。

私たちキリスト者の信仰の土台はイエスさまの十字架と復活ですから、イエスさまの最期の1週間は特に大切に過ごしたいです。

復活されるまでのイエスさまの日々を追ってみますと、

今日の日曜日は、昼頃にエルサレム入城され、翌月曜日の早朝、実らないイチジクの木(ユダヤ人のこと)を呪い、また、神殿(宮)から商人を追い出されました。火曜日パリサイ人(ユダヤ教の指導者)と論争し、やもめの献金を褒められました。

水曜日はベタニヤでマリヤよりナルドの香油を注がれ、それはイエスさまの死を暗示するものでした。木曜日は最後の晩餐、そして弟子たちの足を洗われました。ユダの裏切り、ゲツセマネの祈り、捕縛されます。

そして金曜日の朝、鶏が鳴く頃にペテロの裏切り。ピラトの裁判で死刑宣告され、鞭打たれてゴルゴダの丘へ。午前9時に十字架につけられ、午後3時に絶命、埋葬されます。

「苦難の僕」に預言された悲しみ、痛み、病、これら一切のことを十字架の上で担ってくださいました。この私のためにです。あなたのためにです。私たちは主イエスと出会ったときのことを何度も思い出しながら、今日からの1週間を過ごしていきましょう。そして、4月1日は復活してくださったイエスさまに心からの感謝を申し上げましょう。

ペテロの第一の手紙2章22節〜25節:

2:22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。

2:23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。

2:25 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである


24-2.jpg附記:私とイエス・キリストとの出会いは6回に分けて、「イエスさまとの出会い −わが生涯は改まりぬー」に刻んでいます。

今朝、夫との時に語りながら「私は子ロバだったんだ!」と大きなことに気づかされました。
「イエスさまとの出会い」に記した私の苦悩、主はその根源である罪に気づかせて解放してくださるために、私を導き、母と父のためにも、3人きょうだいで一番親を悩ませ(中・高時代は勉強に打ち込めず)、わがままでダメな私を導き出してくださったのだとわかりました。
主は私を救うためだけではなく、過酷な病気になる母のために、母に寄り添う父のために私を立ててくださったのでした。

イエスさまは子ロバに乗ってエルサレムに入られたのは、もちろん明確な目的を持ってロバを求め、ゼカリヤの預言(9章9節)にあった通り子ロバに乗られたのですが、マタイ伝21章3節の「主がお入用なのです」のお言葉に神さまからインスパイアされたのです。

「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。 もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。
                      (21章2・3節)

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2018年03月23日

4年生修了! 新しい春!

大笑いしてしまったサムサムさんのコメント:「ありがとう!」

ユキ君4年生写真て、成長す。

も、ッサンになったなぁ

なあん!( ´)ユキ君一言抗議)()

                サムサム        


5日ぶりの青空のもと、空の色に花木の花が映える春の日、ユキは4年生を修了した。


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昨日、御道具箱や作品など持ち帰り、今日は「あゆみ」だけではなく、「4年1組 思い出の文集」と「DVD」を持たせてくださった。

担任だった(時制を過去形になったのがさみしくてならない)Mr.N先生は、異動で赴任してこられたばかりの慣れない時に、子どもたちの写真を撮ってくださっていた。

これが4年生の春        これは今月のユキ
IMG_1873.jpg      IMG_1875.jpg 
「やっぱりオッサンになったなぁ」said Tomoko.
「チャッピー、どう思う?」 

IMG_1877.jpgDVDには、この昨春の顔と4年生修了前の顔を1人ずつ映し、運動会や遠足、また教室での様子などの写真、最後に動画で教室で子どもたちの楽しそうな様子が流れ、情緒あふれるものだった。

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IMG_1880.jpg文集とDVDは生涯の宝物だ。後年、本人だけではなく保護者にとってもお友だちの幼い頃を懐かしく思い出すことだろう。
どの子も皆、幸せでありますように。

★知子は帰宅が23時頃だったので、明日見るのを楽しみに。

2学期末の個人懇談会では、体育の時間のユキは私たちの知らないたくましい少年の顔だと仰った。

IMG_1870.jpg文集の最後には一人ひとりに先生がメッセージを書いてくださっていた。

4年生終業式.jpg
「まけずぎらい」と書いていたのは意外で感心した。

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3学期は社会科でも100点はユキだけだったり、すごかったけれど、
5年生からこそは復習しないとあかんよ。

4年生終業式A.jpg

23-15.jpgユキ、大きくなったね。
「おばあちゃん、遊ぼ!」と言ってくれるのは、いよいよ終わりかもね。ユキと一緒に居られる幸せを神さまに感謝します。
私もユキのように負けず嫌いの頑張りをやってみたい。そんなことを思える新しい春です!
posted by 優子 at 23:22| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年03月22日

『後世への最大遺物』へのコメント感謝!

20日から冬に逆戻りの寒さと雨天で震えている。暖房をつけっぱなしていても暖房の20度と陽ざしの20度とは比較にならず手足が冷たい。

IMG_1606.jpg例年この桜はオカメ桜が満開になった頃に咲き始めるが、今年は先週末には満開になっていた。この冬はあんなに凍てつく寒さだったから開花が遅くなると思っていたのに、反対に最速の開花だった。

4月12日追記:4月10日に枝を短く切り落としている最中だった。先ほど地主さんに自治会費を集金に行った折に聞くと電線に障っていたからだという。これは菊間桜(金龍桜のことか?)でその隣はヒガン桜とだ教えていただいた。

CHU-RIPPU.jpg例年12月に入ってからチューリップの球根を植えるのだが、チューリップの成長も早いので驚いている。

球根は凍るような寒さを過ごさないと花を開くことができないというから、寒さと関係しているのだろうか。

紅葉は朝晩の冷え込みで美しくなる。神さまが定められた自然界の摂理も人生と似ているように思う。幾多の試練を越えてこそ人は磨かれて美しい生涯が紡がれていくのだから。


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IMG_1726.jpg池の周りの桜もいつのまにか蕾も大きくなって、赤く色づいていた。やっぱり春はいい。芽吹きと開花、次から次へとあらゆる植物が自分の出番に備えている。


私たちも自然界の営みのように、それぞれの冬をしっかり通っていこう。苦しみや悲しみの受け止め方を間違わないで。

【感謝録】

サムサムさんより昨日の記事へのコメント:

内村鑑三の著作中のエッセンスとわれる文章、章句、詩歌などを集め、それを365日に配列し、更に適応する聖句を配したといわれてい教文館発行の『一日一生』と、『続・一日一生』を毎日1日分ずつ読んでいますが、後世への最大遺物」にあるような、内村鑑三の生活面についてのことは書かれていませんので、大きな関心を持って読ませていただきました。そして、

22-3.jpg「信仰は自力でこれだけやったら合格させてくれるのではなく、すでに神さまの側から手が差し伸べられ、『あなたは赦されているのだ』という発想に転換しないと安らぎはない。」うところと、

「人間にとって大切なことは、その人が地上でどう生きたかと言うことではなくて、その人がその人生で何を成そうとして努力していたのかということであり、神さまはそのことを全てご存知であり、何に苦闘していたかをくみ取ってくださっているのである。」とのところで、特に大きな感銘を受けました。

22-1.jpgそれにしても、正に波乱万丈というか、たいへんな人生だったのですねたい勉強た。ありがとうございました。

そして、リビングストンの言葉を引用して、内村鑑三が死生観を書かれた一文が、『一日一生』の、今日(3月22日)のところにありましたので驚き、そして、これも聖霊によるお導きと思い、お送りさせていただきます。

「信者は神の僕(しもべ)である。主人より特殊の要務をゆだねられたる者である。ゆえに彼はこの要務を果たすまでは死すべきでない。

しかして彼はその時までは決して死なないのである。リビングストンのいいし『われらは天職をおわるまでは不滅なるがごとし』との言は信者の確信である。彼になお天職の完成せざるものがあれば、彼は死なないのである。

IMG_1741.jpgされども彼が、もしすでに果たすべきことを果たしおわりしならば、彼は死ぬのである。彼は長寿の祈求をもって神にせまりてはならない。すでに用なき者はこの世にながらえるの必要はないのである。『何ぞいたずらに地をふさがんや』である。

僕は主人の用をはたせばそれでよいのである。彼は心にいうべきである。われは長く生きんことを欲せず、われはただわが主の用をなさんと欲すと。」


posted by 優子 at 23:04| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

内村鑑三『後世への最大遺物』―きみはどんな希望を持っているか― ―日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック例会―

22-13.jpgこれは2月17日(土)に大津教会で開催されたJCP関西ブロック例会で語られた大田正紀先生の講演内容である。


この日、私は心身ともに不調で心ならずも欠席してしまったが、先週末に事務局の方が録音データをUSBで送ってくださったので、感謝して拝聴させていただいた。20-2.jpg


参加できない方々が毎回例会報告を丁寧に読んでくださるので、要約ではなく詳しく記録させていただいているが、能力不足で誤釈があればご容赦いただきたい。


内村鑑三は高崎藩士の長男で、父は優秀で道徳的な立派な人で母も働き者だった。父は40歳で引退させられることに巻き込まれ、この環境の中で鑑三は4人の兄弟を庇護していかねばならないという負い目をおわされた。


鑑三は典型的日本人で、神々に手を合さなければ恐れを感じる文化や宗教の中で生きてきた。明治7年、東京外国語学校(のちに外大は東京大学の予備門に移る)で英語を勉強するが、明治政府が北海道の開拓と北方の守りのために札幌農学校を計画し、学生たちに入学を勧めた。


札幌農学校の教頭としてクラークが来日。クラークは会衆派(今の同志社や組合教会の流れ)のクリスチャンで、キリスト教を芯に据えた教育をしたいと申し出て開拓使の黒田清隆と対立する。


明治10年に帰米する時に「イエスを信じる者の誓約」を作り、一期生がサインする。その後入学した鑑三もサインし、回心によって創造主なるただひとりの神を信じると、こんなに世界が変わるのかと思ったぐらい自由と平安を経験した。


この誓約には十戒の規定が書かれ、自分たちの信仰はこれを基準に交わりを作っていくというもので、使徒信条さえも入れていない。十戒の全文と仲間を愛の共同体として礼拝を守って行くという誓いはあるが、イエスさまがどのような人であり、どのような存在なのかという規定のないまま信仰の共同体を築いていったため、後に鑑三がクリスチャンになる回心を必要としたということがわかる。


信仰の確信という意味では最も重要な部分を欠いていたような入信だったと思う。しかし、学問や農業の実習のあとに祈祷会を持つなど、日本では類まれな信仰の共同体ではなかったかと思う。彼らは教派から独立した、宗派に属さないキリスト教会を作ろうとした。鑑三はメソジスト教会系で洗礼を受ける。


札幌農学校を出て信仰をもったとき、家族を入信させようと努力するが、そのとき儒教の生き方を貫いている父が最も大きな問題となった。しかし何度叱られてもキリスト教を伝えようとした。悔し泣きをしても父に聖書を読んでもらえさえすればいいと思ったが、手に取ってもらえなかった。


ところが漢訳聖書のマルコ伝を渡したときに読んでくれ、父の人格が変わってくる。そして父は、「私は今まで傲慢な人間だった。今日から私は是非ともイエスの弟子になろう」と言って信仰を持ち、父のあと家族全員がクリスチャンになった。


このあと鑑三は、新島襄の紹介で群馬・安中教会の信者・浅田タケと結婚するが離縁になってしまい、この経験が大きな挫折となった。

新渡戸稲造は資金を得て留学するなど、札幌農学校の親友たちは自分の道を開いていったが、鑑三は首席で卒業したにも関わらず、自分の生涯をどのようなことで身を立てていこうかと悩んでいた。


離婚の理由はよくわからない。膨大な日記の中にも結婚の失敗については書かれていない。従って多くの評伝作家たちも推測でしかない。鑑三は生物学者ではなく、スタンフォードの医学部へ行って医者になろうかと考えたりしていたが、新島襄にアマースト大学を紹介されて留学する。


梅花で宗教主事をしていた石川先生の伝記によれば、鑑三は自分の結婚と離婚によって自分は傷ついたと思っているが、実は妻を傷つけたのは自分ではではないかと自分を責める気持ちがあったのではないかと解釈している。


その根拠は、アメリカで知的障がい児の看護師(教育)のアルバイトをし、奴隷のようになって困難な子どもたちに仕えた。まるでルターが自分の罪意識を浄化していきたいために苦行難行して、自分の罪を薄めたいと思って世話したのではないかと書いている。


鑑三はアマスト大学の学長・シーリーより深い慰めを与えられた。信仰は自力でこれだけやったら合格させてくれるというものではなく、すでに神さまの側から手が差し伸べられており、「あなたは赦されているのだ」という発想に転換しないと安らぎはないと。


鑑三は善いことをしても根本的には自分の利益になるようなことや、自分が褒められるようなことをつかみ取ろうとしていただけで、本当の喜び、即ち、イエスさまによって私たちの罪が贖い取られたんだという喜びを持っていなかった。シーリーによってこのとき初めてキリスト教の回心をした。


1888年、新潟の北越学館の仮教頭に招聘されたが、鑑三は ”Japan” “Jesus” の二つの “ J “に仕えるという「キリスト愛国」という信仰を持っていたため、成瀬仁蔵やアメリカンボード(米国伝道会社・組合教会)の宣教師らと激しく対立しわずか4カ月で辞職。


鑑三の信仰は日本人の誇りを持った信仰である。日本人は日本人でお金を貯めて学校教育すべきであり、そうでないと日本人としての正しい教育を与えられない。宣教師たちの教育のように無給でやっているのは教育の独立性を侵すものであると考え、もし教えてもらうならば給料を払えと言う。


4ヵ月で教頭職を追われ、その後東京へ戻っていくつかの学校で教職につくが乏しい待遇だった。そのころ、横浜加寿子と結婚して幸せな家庭を作る。


1891年、第一高等学校で明治天皇の教育勅語奉読式があり、最敬礼しなければいけない時に一瞬ためらった。全く礼をしなかったわけではないが、明治天皇の署名文に最敬礼しなかったと血祭りにあげられる。「一高不敬事件」である。   


鑑三が流感で寝込んでいる時にマスコミと仏教各宗派が鑑三を攻撃して学校を追われ、彼らに対応した妻が心痛と流行性感冒で急逝した。その時、新渡戸稲造や宮部金吾、本郷教会の牧師・横井時雄らが庇護者になってくれたが、殆どの教師に見捨てられた。


鑑三は按手礼も受けていないが、横井は組合教会の説教者として鑑三を用いた。その後、大阪の泰西学館(大阪商業大学の前身)に就職し、次いでいくつかの学校に赴任するが短期間で退職した。クリスマスに岡田靜子と再婚。


鑑三は理学士も取りながら、自分の天職というものをまだ見いだせない。今、神の前にどのような生涯を捧げうるかを真摯に問いかけていた。この時期の苦衷は『基督信徒の慰め』『求安録』に詳しく書いているが、彼は決して挫けていない。四方が塞がっていても上が開いている。敵に囲まれて苦しんでいても、どんな苦難にあっても希望をもって生きていけると励ます。


冒頭で(らい)山陽(さんよう)の「(じゅっ)()」を紹介し、どうすれば古人のように千年の歴史に名を刻むことができるだろうか。自分の名前を遺すために、ピラミッドや大きな墓を造るのはキリスト教的ではない。


しかし、この世界に生を受けて去るとき後世に何を遺すかを考える時、クリスチャンらしくないように思うが、天文学者のハーシェルが20歳の時に、「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして逝こうじゃないか」と友人に言ったように、美しい希望、自分の志を果たす歩みができるのではないかと考えた。


鑑三はアメリカでマモン(富)に仕える拝金主義を見てきているが、後世に何を遺すかを考える時、金であり事業であると、金だと言い切るのはすごいことだと思う。その意味するところは、教会や国のためにお金を使う実業家、人物を望んでいる。


鑑三は名前を遺した人の中で尊敬する人が二人いるという。それはリビングストンとクロムエル。英国宣教師協会のアフリカ宣教師・リビングストンは、伝道より暗黒の内地の探検こそ急務と考え、死に至るまで37年にわたって3度大陸を従横断して内陸の地理を明らかにした。


クロムエルは神の摂理を信じて戦い、偉大な英国を築いてピューリタン革命を率いた。また、フランス革命の道筋を作ったジョン・ロック。バニヤンは人間はいかにして天国に近づいていくかという問題を書いた。バニヤンは生涯で聖書とフォックスの“Book of Martyrs”の2冊の本しか読んでいないが、イエス・キリストの恵みにあずかった喜びが文章に脈打っており読者に伝わっている。


今自分は何もできないにしても、誰にでも出来ることがある。それは勇ましい高尚なる生涯だ。自分の信じた主義を真面目に実行する精神こそ後世の最大遺物だ。


人間にとって大切なことは、その人が地上でどう生きたかと言うことではなくて、その人がその人生で何を成そうとして努力していたのかということであり、神さまはそのことを全てご存知であり、何に苦闘していたかをくみ取ってくださっているのである。


キリスト教に出会う前に生きて死んだ人たちは、その人たちなりに天を仰いで生きていたんじゃないかというのが鑑三の見方である。


神さまを信じた人たちは確かに救われて天国へ行けるのだけれども、私たちが死んで神さまの前に立たされて、おまえの生涯は本当に恥じることがなかったのかと問われる時があるのだから、その緊張感を持って生きたい。


キリスト教に多くの教派があるが、鑑三は教派に対する先入観で人を裁いてはいけないとも言っている。教会はいらないという鑑三の考えについてはもう少し勉強していきたい。

posted by 優子 at 14:25| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2018年03月20日

いのちの春! ―厳冬のあとに各地で最速の桜開花宣言―

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「ほうら 土に中からツクシが顔を出しています
どこからか春の歌が聞こえてきます
春の光をいっぱい浴びて 私たちは1年生になります
暑い夏も 寒い冬も 一緒に過ごした この幼稚園
先生方 お友だちとも お別れです」

毎年、ツクシを見るたびに知子の卒園時を思い出し、耳に残っている幼少時のかすれた声が聞こえてくる。その言葉を聞きたくて先日ラジカセを購入した。34年も前のことでもその時のことが鮮明に脳裏に残っている。

そしてこれを機に録音テープを60本ほど今日のゴミで捨てた。それでもまだ30本ほど残っている。もっともっと捨てなければと思う。

IMG_1630.jpg今週はずっと雨模様、桜の開花宣言が次々発表されているのに今日は冬に逆戻り。そんな今朝チューリップの蕾を見つけた。
何度か真上から蕾を覗き込んでいたのに、突然いくつも顔を出していたので驚いた。我が家では例年よりも2週間以上も早い。

今日は小学校の卒業式、早2年後にはユキも卒業。我が子を育てていた頃よりも速く時が過ぎ行く。

「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」。(第一コリント3章7節)
成長させてくださるのは神だということを忘れると、焦ったり落胆したりして、自分で成長を妨げ、葉も根も枯らすことになります。ただ、たゆまず植え、怠ることなく水を注ぎ、神の時が来るのを忍耐して待ちましょう。人がなすべきことを誠実になし続けていくなら、神は必ず、人の誠実に答えてくださいます。
               (キリストの栄光教会より)

植物は一斉にいのちを吹き出し、一日で様子が変わる。昨日一昨日の花々をご覧に入れたい。

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(撮影者:ユキ)

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もう矢車草が咲いていた!(ユキ)

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クロサギ(ユキ)

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↑ 裏庭で見つけた踏んでしまいそうな花 ↓

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ボケの花

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昨春初めて知ったスノーフレイク

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カラスノエンドウも咲いていた。

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先週からようやく咲き出した我が家の椿

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ツグミ

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6日前はこんな蕾だったのに、
昨日はこんなになっていた(↓)
22日追記:これは海棠(かいどう)だと教えていただいた。

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↑ 満開のオカメ桜(曇天の朝に) ↓
あるじは3年前に亡くなられていた。

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この日、夕方から雨が降り出した。

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↑ この桜も満開!↓

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裏庭のスイセンは日当たりが悪いのでこれから開花。

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新芽の勢いがものすごい!

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春にユキヤナギという名前から好きではなかったが、
今春新たにまた一つ、美しさがわたった。

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おしまい 
posted by 優子 at 23:00| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2018年03月19日

ブルンナー読書会R ―守ること、誠を示すこと―

17-1.jpgこれは3月17日(土)の記事である。
今回はエーミル・ブルンナー著・下村喜八訳『フラウミュンスター説教集T』の8回目、説教のタイトルは「守ること、誠を示すこと」。
開会礼拝:讃美歌「たえなる道しるべの」(知子奏楽)、聖書朗読とお祈り(優子)。
13時45分〜15時20分頃。黙祷をもって終わり、16時まで歓談。

ヨハネの黙示録 3章10節〜13節:
3:10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
3:13 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
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今回の説教では、信教の自由が脅かされ、キリスト教徒迫害などの状況下になっても滅ばない信仰を持つにはどうすればよいかがテーマである。

今回はこれまで以上によく受け止めることができたと思ったが、理解力さえ欠け、あまりにもお粗末な発表だったので、心を強くされたブルンナーの言葉だけ刻んでおきたい。

その前に、下村さんが「読みの深さと的確さ」に感動された知子の感想を最初に記録しておきたいが、それもまたメモするのを忘れて記憶にとどめていることしか書けない。

知子の感想:
この一年の苦しみを通して私は神さまに対して本当に信頼できるようになった。良いことが起こることに価値を置くのではなく、良いことが起こるように祈ることでもない。

IMG_1560.jpg毎日のように最悪なことがいろいろ起きているが、不安や恐れは全く感じずにできるようになった。不安や不安のために調べることやリスクヘッジすることがなくなった。平安を与えられて、これまでの試練や出来事を感謝している。

(『ヤベツの祈り』を紹介し)神さまが全てを握っておられ、全ての人の運命は決まっているからと祈らなくなるのはサタンのトリックにはまっている。

(全世界に臨もうとしている試練の時のために)「牧師が居なくても、教会がなくても、一緒に聖書を読み一緒に祈ることを身に着けなければならない」ことも、私たちは今訓練されている。

また「内面的な苦痛や悩みの時に、一人あるいは2、3人の友にそのことを話し、彼らからその経験に基づく助言や激励を受けること」が、私も何と素晴らしいことかを経験している。
解説メモ:
人格は4つのメルクマールから成り立つ。キリスト教の人間観は機械ではなく、必然や決定でもなく、自由意思が重んじられる。神の語りかけに対して答えるというのが人格の要素であり、誰かと出会って人格が動き出す。人格そのものが目的であり、手段ではない。従って人間の尊厳がある。

「神は、われわれを、自分で決断し、自由に勇気をもって何かを行なうべき人間として創造しようとされ、創造されました」。

ギリシャ時代から人類は進歩するという考えがあったが、特に1895年にダーウィンの『種の起源』が出て以来、人類は進化していくという考えになった。しかし、1914年の第一次世界大戦勃発は激しい衝撃で、近代兵器が使われ人類は没落していく。
「ヨハネは、全世界に臨まんとする試練の時、誘惑の時について語っています。彼はこの言葉によって、信じることが困難になったり、信仰を告白することが危険になったりする時代、したがってまた、信仰から離れたり、信仰を捨てたり、あるいは裏切り者や背教者にさえなる誘惑の大きい時代のことを言っているのです」。

「その時に力を発揮するのは、ただ一つのこと、すなわち、守ること、実(じつ)を示すこと、固持すること、揺るがぬことだけです」。

そのための準備は、
▼聖日に礼拝のために集まり、神の言葉を聞くこと。

▼牧師が居なくても、教会がなくても、一緒に聖書を読み一緒に祈ることを身に着けなければならならない。交わりを持つこと、一緒に集まって神の言葉を聞き祈るということは、われわれが神の言葉によって生かされ続けるためにはほとんど不可欠のことです。

「すでに一緒に集まって聖書を読み祈ることを開始し、その訓練をしている者は、それがいかに大きな祝福であるかーそのことをとおして聖書の言葉が、ひとりで読むときよりもはるかに生き生きしてくることがしばしば生じるか、また、ひとりで祈る時よりも祈りがいかに力強いものになるかーをすでに経験したことでしょう」。

ブルンナーは、ICU(国際基督教大学)で授業とは別に学内でこれを実践した。学生たちはブルンナーを慕って訓練を受けた。

▼「可能なかぎり多くの聖書の言葉を自分の心に刻み付けておくこと。(略)讃美歌の中には非常に貴重なキリスト教の思想と経験の財産が保持されている」ので、聖書の言葉を心に備蓄し、讃美歌がなくても歌えると幸い。

そして、主に在る友だちの存在。
▼内面的な苦境や悩みの時に、一人あるいは二、三人と共にそのことを話し、彼らからその経験に基づく助言や激励を受けることが何と素晴らしいことでしょう。

以下はテキストより引用:

▼われわれは間違った慰めによって惑わされてはなりません。どっちみちすべての者が神の国に入るのである、とは聖書のどこにも約束されていません。
誠を示す者、堅く守る者、揺るがぬ者、保持する者が入るということが約束されているのです。

▼この黙示の書は、将来を予知するためにわれわれに与えられているのではありません。それは、試みと篩分(ふるいわ)けの時代に対する準備を促し、われわれを堅固にするために与えられているのです。

(略)目覚めている必要があること以上のことは語っていません。ですから、「目覚めて祈っていなさい」と、絶えず警告が繰り返されているのです。

▼われわれが心から神に忠実であること、心が彼に結ばれていること、われわれが神と、神がわれわれに仲保者として与えてくださったイエス・キリストとを心から愛し、彼を堅く信じることであり、他のすべては、目的のための助け、手段にすぎないこと。そして、勝利を得るとはすなわち、誘惑の時にイエスに与して敵に走らないこと、イエスに与して疑わず、絶望しないこと。

▼勝利する者は神の国に迎え入れられる。これこそが終末、究極の将来であること。決定的に大切なことは「そこに居合わせること」であり、試練により篩分けされた者が居合わせるということ。

▼「神の恵みを確信して揺るがぬこと」、「何が起ころうとも神の恵みを確信していること」。

▼過去は片づいたもの、いわば使用済みで、不変のもの、固定されたもの。それゆえに展望できる。もしわれわれが将来を予知することができたなら、将来も過去と同質のものになる。

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この日の私自身の記録としては、

「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである」。

かつて、このエペソ人への手紙1章13・14節から、一度救われた者の救いは永遠に堅持されるという救いの「永遠堅持」を聞いたことがあるが、ブルンナーの理解と異にする。


また、遠藤周作が『沈黙』で問うた「転び」の問題、拷問を恐れて転んだ者はどうなのかについて。魂の窮乏の時代に備えて御言葉を蓄え、目覚めて祈っていれば暴力の恐怖にも耐えられるのかという不安と恐れがある。

▼われわれは間違った慰めによって惑わされてはいけない。どっちみちすべての者が神の国に入るのである、とは聖書のどこにも約束されていない。誠を示す者、堅く守る者、揺るがぬ者、保持する者が神の国に入るということが約束されている。

では、恐怖のためにキリストを裏切り、転んでしまう者は永遠の滅びになってしまう。だとすれば、頼れるのは自分だけであり、それではどうしようもないと絶望しそうになるが、ブルンナーは「そうではないんだ」と明確に答えてくれている。

「神の恵みのみを信頼し、われわれ自身には頼らないということこそ、イエス・キリストにしっかりつかまり離れないこと、彼を待ち望むことなのです。
何が起ころうと神の恵みを確信して揺るがぬこと。これが勝利することなのです」と!
神の恵みだけを信頼して生きる。この一言に尽きる。

IMG_1551.jpg次回は4月14日(土)。
開会のお祈りと聖書朗読は知子。
説教タイトルは「二種類の悲しみ」。
閉会時には、一人ずつ祈って終わりたいとの願いを口にされた。

3枚の写真:白い花はユキヤナギ。
posted by 優子 at 22:15| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

家の教会2018K  ―クリスチャン生涯の秘訣 「わたし(イエス・キリスト)に繋がっていなさい」―

春爛漫のブログ、感謝です。
今週は、東日本大震災、そして原発事故をめぐって、核のゴミを残し原発を海外に輸出までしている罪を指摘くださり、私たちが声をあげなくてはならないことを呼びかけてくださり、感謝です。ほんとうにその通りだと思います!

家の教会で、ユキちゃんも、しっかり主の身体のたてあげに加わっていらっしゃること、心強くほほえましく思い、ヤコブ書のみことばに聴きいらせていただきました」。

sakura.jpgこれは先週初めに敬愛する祈りの友よりいただいたお言葉です。メールをいただくたびに必ず励ましのお言葉と共に御言葉をいただき、そのたびに私は姿勢を正され、心を強くされて導かれますことを心から感謝しています。

知子は講演会で朝から全日外出。1か月以上ぶりに良輔も加わり3人で礼拝を守りました。
17-3.jpg2018年3月18日(日) 
   (2018第12回 家の教会)

11時〜11時40分
出席者3名(withユキ&良輔)

@初めのお祈り
A主の祈り
B讃美歌       30番「朝風しずかにふきて」
C聖書輪読    ヨハネによる福音書15章1節〜17節
Dお話      優子
Eお祈り     1人ずつ
F頌栄      讃美歌541番「父、御子、御霊の」
ヨハネによる福音書15章1節〜17節:
15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
15:3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
15:6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
15:11 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
15:12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
15:17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互いに愛し合うためである。
お話:
今輪読した箇所は「クリスチャン生涯の秘訣」であり、イエスさまの教えの奥義です。私も感謝に溢れる時や、その反対に落ち込んでいる時も思い出しては口ずさむ御言葉です。

この箇所は2年前の礼拝で1節から5節を取り上げ、ぶどうの木の剪定の話にも重きをおいてお話しましたが、今日はイエスさまに繋がっていること、イエスさまにとどまることをしっかり心に憶えたいと思います。

イエスさまに繋がるということはどんな意味でしょうか。信じたらそれでよいというのではなく、祈り、聖書を読んでイエスさまに喜んでいただけるように生きるということです。その歩みを続けていけば、必ず実を結ばせてくださると約束されているのです。

ところでユキにも写真を見てもらったけれど、2月の終わりに池のそばに植わっている柳の折れた枝を見て、イエスさまが仰ったことをしみじみ思わされました。

そもそも柳は「柳に雪折れなし」と言われているほど、折れそうで折れにくい木ですから人為的な力が加えられて、つまり誰かが折ったのではないかと思うのですが、あの状況は人間にとりましては希望を失ったときや挫折したとき、罪を犯したときの姿だと思いました。

私たちもまたイエスさまに繋がっていても、困ったことが次から次に起こったり、苦しい状態が長い年月続くと希望を失ってイエスさまから引きずり降ろされそうになります。私はあの折れた柳の枝を見た瞬間にそんなことを想いました。

柳.jpg折れてしまった枝には栄養はいかず命は絶たれてしまいます。冬芽は春が来てもそのままで、そのうちすっかり枯れてしまうでしょう。
この写真は今日の柳です。3時頃からすっかり曇空になったので薄暗いですが、新芽は日に日に伸びているのに、下に垂れた枝に葉は出ていません。

この折れた枝のように、私たちもイエスさまに繋がっていなければ「光の子」として生きていけません。

しかし、大切なことは、万が一信仰から離れて道を迷ってしまっても悔い改めて神さまのもとに帰り、本心に立ち返るならば赦して迎えてくださいます。再び繋がってくださることを忘れないでください。

私たちは「神の家族」と呼ばれる信仰の友と交わり、悩みや喜びを分かち合い、共に励まし合うことがとても大切です。そして共に信仰生涯を全うさせていただきましょう。天国で愛する家族や友たちと再会できますように。

私は天の御国で再会する時に、家族から「あっ、ママがいない!」ということにならないように、主イエス・キリストに誠実を尽くして生きていきたいです。ただただ主の憐みにおすがりして。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」。

1ミリの花.jpg附記:
昨日の「ブルンナー読書会」は明日更新したい。

posted by 優子 at 20:28| 家の教会 | 更新情報をチェックする