2017年06月16日

ユキの成長を育む感謝のコメントと『リビングプレイズ』再び

蕾開いたアガパンサス.jpg私の好きな花の一つ、アガパンサスの蕾が弾けていた。

昨日、6月13日の記事「『生き物新聞』に描かれたユキの世界」への嬉しいコメントが届いた。

早速今朝ユキに読んであげると、「そんなにちゃんと書けてたんかなぁ。でも書く前はユキはワクワクしてた。そして、書きたいこと、思ってたことは殆ど書いたよ」と嬉しそうに話していた。
(甘い香りのクチナシの花)
くちなし.jpgこれから学習を重ねていくユキのために、このコメントを是非とも記録しておいてあげたい。
「ただ思いつくままに感想を述べさせていただいたのですが」と掲載することを快くお許しくださったMr.Y兄に感謝しつつ。 

おどろきました。ユキ君、いい文章を書きますね。勢いがあるし、書かれていることがおもしろく、どんどん引きこまれていきます。

それに、「そう言うと森や林にいきたくなりますね。ぜひいってかんさつなどをしてみてください。」とか、「ほかにバッタのしゅるいがあります。バッタはみなさんすきですか?」といったぐあいに、読者に話しかける場面などの表現が上手だし、その上、展開の仕方が非常にうまく、ほんとうに驚きました。

どうぞ、ほめてあげてください。そして、「書くということ」を続けていくように言ってあげてください。 
  
tsumaguroyokobai.jpg今朝シュウメイギクに水をやっている時にツマグロヨコバイを見つけた。ユキのおかげで覚えたけれどイネの害虫だって知ってるのかなあ、虫博士君は。                             

誰も見てくれない野の花だが.jpg駅のロータリーは草が生え茂っていた。春に衝撃を受けるほど感動したハルジオンは今もあちこちで咲いている。


目を近づけるとこんなに美しいのに目に留める人はいない。
👀
でもこんなに美しい.jpg

これは何の花が長けたのだろう。タンポポの種のように飛んでいくのかな・・・
こんな草もいっぱい.jpg

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アスファルトの隙間から生える草。
一つひとつ全ての草を撮ってあげたいと思った。 


『リビングプレイズ』を聞き始めたのは知子が小学校5年生の春だから今から約30年前になる。4年生の学年委員長だった私は、5年の学年副委員長になられた千里さんへの引継ぎで出会い、イエス・キリストを介しての生涯の友となった。

知り合ってまもなく千里さんからダビングした『リビングプレイズ』を次々といただき、毎日毎日飽きずに一日中流していた。以来何年間も子どもたちが登校したあともずっと帰宅した時も聞いていた。

アメリカに渡った真智子のためにも何年か前に新しいテープにダビングしたが渡さないまま眠っている。今度帰国した時にCD版に焼いて(?)いけばいいね。

2000年にカセットテープからCDになって新発売されていたのを数年前に知ったのだが買わずにいた。先週末に知子が「感謝します」を弾きながら歌っていた。今も楽譜を見なくても何でも手当たり次第に弾けるのは神さまからの賜物だ。
そして急きょ5巻購入して一昨日から聞いている。

1巻の「門(GATE)」を聞いた時はあまりにも懐かしくて胸が痛くなった。知子が5年生で真智子が2年生だった頃のことと、ここに至るまでのことが走馬灯のように思い出された。

そして信仰から信仰へ、信仰の高嶺へと導かれてきたことをかみしめ深く感謝した。あの頃よりもはるかに深くみことばや讃美を味わえるのは神の恩寵である。 

それでもなお今も変わらず横たわったままの悩みがあり、ますますどうしようもない現実を知らされている今、これまでの30年は何だったのかと脱力してしまいそうになる。

大切なことはこれからも祈ることをやめてはいけないこと。それでこそ神のみ心が成るようにと委ねることであるから。


折しもユキは4年生。知子よりも1年早いぐらいだからユキも養われていくだろう。毎日毎日讃美や聖句が耳に入り、知子や真智子のように福音が深く魂に届いて行くことであろう。

posted by 優子 at 17:54| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

民主主義の崩壊、昔に戻された悪法

国会周辺で夜を徹して抗議の声が上げてくださっていた方々に申し訳ないと思いつつも、昨夜は午前0時過ぎに眠りについた。今朝目が覚めた時、「法案」は「法」になっていた。

彼らは議会制民主主義をことごとく否定し、急きょ本会議で採決を図って成立させた。その採決のされ方、世論の作り方も全て治安維持法と全く同じであると専門家たちが語っていた。

民主主義の崩壊、5〜6年前までまさか本当に昔の時代に戻されてしまうとは思わなかった。そんな昨日、安倍首相の姿勢を批判している石破茂氏が外国特派員協会で会見していた。


「仮に総裁のお考えや総裁の立ち居振る舞いが国民の共感を得てない部分があるとするならば、『ここは改めたほうがいいですよ』と言う勇気を我々は持たなければならない。

私は今まで時の総理・総裁3人に向かって『やめてください』といいましたが、まだ生きています。誰も命まで取るとは言わんでしょう。それが議員のインディペンデントな姿勢というものだと思います」。
 

加計学園の獣医学部新設めぐる問題でも、前川喜平・前文科事務次官の発言を「意義がある」など、政権を戒める趣旨の発言をしている。

「表現の自由」に対する認識については、「国連特別報告者のレポートを正確に読んでおりません」とした上で、「表現の自由は最大限認められるべきものだ」と明言し、以下のように語った。

(国連特別報告者に)事実誤認があると(政府が主張)するならば、どこがどう事実誤認なのか、国際社会に向かって説明する責務があろうかと思う。日本国の言論の自由、表現の自由に対して疑問が提起されているわけだから、それに対して世界を納得させる責務が政府にはある。

「表現の自由」は最大限認められるべきものだと思います。新聞でも週刊誌でもテレビでも、私のことについて論評されて非常に悲しい思いをすることはしばしばでありますが、それは甘受すべきものであり、それが嫌なら政治家なんかやらないほうが良いということでしょう。

▼報道と権力が一体となることが一番恐ろしいということは、報道の皆様はよくご認識のことだと思う。

▼表現の自由を守っていくことが健全な民主主義のために必要。報道が本当に権力と一体のものとなっていないか、常に自浄自戒を。


次回の自民党総裁選に出馬するか。

▼自分がそれにふさわしいと、自分で納得をしなければ、出てはいけないものだと思っています。自民党はいろいろな考え方を持つ人たちがいる政党、考え方が一つだけというのは自民党ではありません。

経済政策において、社会保障政策において、あるいは安全保障政策について、違う考え方を持っているとするならば、私であれ誰であれ出るべきものだと思います。それが自民党のためというより日本国のためだと思います。

もっともっと声を大きくしてメディアで語ってほしかった。
義憤を感じている官僚や自民党員を奮起させるような働きをしてほしかった。一人ひとりは弱くとも一丸となれば国民も注目し、ジャーナリストも力を得て初心を思い起こして状況は変わったであろう。
今からでもその働きをしてほしい。

見ゆるところは不可能であっても見ゆるところによらず、なお諦めないで励まし合って戦い続けなければならない。
附記:今朝の御言葉(キリストの栄光教会)より一部抜粋
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
      (ロマ書3章18節)
神に対する恐れがなければ、人はしてはならないことを平気でするようになります。神の領域に踏み込み、取り返しのつかないこともします。

posted by 優子 at 17:08| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

「生き物新聞」に描かれたユキの世界

IMG_5771.jpg今日は参観日だった。早朝に近鉄沿線で起きた人身事故の影響は正午頃にも及び、知子は帰るに帰られず自動車で帰宅した。そのおかげで早く帰ることができたので昼食を摂って学校へ出かけた。

懇談会に参加する保護者は数名。ここまでひどいのはこの小学校に限られていると何度か耳にしていたので、今更驚くこともないが親の意識は皆無に等しい。

子どもたちは忘れ物多発、宿題していないのに堂々と白紙のまま提出する子、逆切れする多くの子どもたち、ネットから氾濫する性問題は深刻だ。4年生でスマートフォンを持っている子どもたち・・・これが現代の4年生の現状だ。

ここまできたか。まるでソドムとゴモラのよう。
インターネットに晒され、ネット時代に育って行かねばならない子どもたちの現実を、私は「おめでたい」ほどに気づいてはいなかった。


授業参観しないで廊下で駄弁る親たち。これもまたこの小学校の特異現象で、一方その対極に児童の半数が私学の中学校に進学するのは如何に。

ユキも手はかからないようになったが、4年5年と言えば心身共に著しく成長していく時。ユキにも危うさがある。これからはこれまで以上にユキから目を離さないで見守ってやらねばならない。

ユキの人格形成の中核に正しい価値観を育んでやれるように、祈りつつ子育ての大任の手助けをしなければと改めて思った。


自画像.jpgこれはユキの自画像。

ユキが目を輝かせて話してくれていた「生き物新聞」。私は知子にカメラを持たせて撮って来てもらった。
ひらがなが多くて読みにくかったのは1年生の子たちが読めるようにとの配慮からだった。

読んでいて一気呵成に書いた文章だとわかった。ユキが今も夢中になっている世界が生き生きと描かれていて感動した。

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お友達のもよく書けている。虫が好きな人を数えてグラフに表して感想を記し、好きな虫や動物の「ベスト3」のアンケートを取るなど、読ませる新聞になっている。別のグループでは「ならいごと新聞」を作っていた。

おもしろい虫発見

春、夏、秋、冬はみなさんはいろいろなことをしています。けど 春、夏、秋、どのきせつかは、こん虫さいしゅうなどしてみたらどうですか?
草むらには、バッタ、トカゲ、ツマグロヨコバイやいろいろなよう虫がいたりおもしろいし 春や夏は、いろんなちょうもいます。

ちょうってきいたらほかになにかとぶものはいないのかと思いませんか? 春にとぶものは、ほとんどこれだと思います。夏のとぶしゃしんは、いちばんしたのしゃしんです。

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せみのなかでいちばんつかまえるのはアブラゼミでしょう。2ばんめはクマゼミでしょう。ミンミンゼミとヒグラシは、森や林にいるかもしれません。

そう言うと森や林にいきたくなりますね。ぜひいってかんさつなどをしてみてください。
ほかにもとかげがいます。とかげはすばしっこくせまいところもいくし、90°のところもすらすらといくのでつかまえるのは、あみかすででつかまえたらいいとおもいます。

とかげは、いろいろしゅるいがあります。にじいろとかげや日本とかげ、かなへびなどをよくみかけます。
日本とかげとかなへびはよくにているのでみわけられないと思います。

IMG_5785.jpgつぎのしゃしんは日本とかげのしゃしんです。もしとかげをつかまえたら、えさは「バッタ、クモ」などです。

shashinn.jpgほかにバッタのしゅるいがあります。バッタはみなさんすきですか? 
バッタは、いろいろつかまえかたがあると思います。でもいちばんつかまえかたでもいいのはこれです。みてください。(↑)

生き物新聞ユキ紙面.jpg

IMG_4854.jpg4年生になってから月曜日にトカゲを持って行き金曜日に持って帰る。😖
今日トカゲが逃げたらしいが別のを捕まえたと話していた。
👀 家にはカメがいる。1日2食、朝の餌やりは私の役目、カメの餌を10粒ほどやる。(^−^)

posted by 優子 at 22:27| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

家の教会2017㉒ ―ヨナ書を読むU 「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。―

夾竹桃.jpg2017年6月11日(日) (2017第22回 家の教会)
12時30分〜13時15分
出席者 3名(Except R)
@ 主の祈り
A 子ども讃美歌  88番 
「神さまがわかるでしょ」
B 聖書輪読    ヨナ書3・4章
C お話       優子
D 分かち合い&お祈り  一人ずつ

ヨナ書3章・4章:
3:1 時に主の言葉は再びヨナに臨んで言った、
3:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」。
3:3 そこでヨナは主の言葉に従い、立って、ニネベに行った。ニネベは非常に大きな町であって、これを行きめぐるには、三日を要するほどであった。
3:4 ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。
3:5 そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。

3:6 このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。
3:7 また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、「人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。
3:8 人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。
3:9 あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう」。

3:10 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災いを思いかえして、これをおやめになった。

4:1 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、
4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災いを思いかえされることを、知っていたからです。
4:3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
4:4 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。
4:5 そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。

4:6 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。
4:8 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
4:9 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。
4:10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

挿絵.jpgお話:
最初に『ヨナ書』のあらすじをお話しします。
神さまが預言者であるアミッタイの子・ヨナに、ニネベという町が悪に満ちているから悔い改めるように伝えなさいと言われました。

ところがヨナは神さまの言葉に従わないで船に乗り込み、ニネベとは反対のタルシシへ逃れようとしましたら嵐に遭って舟は今にも沈みそうになりました。

ヨナは舟底で熟睡していた時、他の人たちは自分の神に向かって助けを求め、舟が沈まないように積み荷を海に捨てましたが嵐は止みません。

ヨナが「わたしはヘブルびとです。わたしは海と陸とをお造りになった天の神、主を恐れる者です」と言ったことから、嵐の原因がヨナであったことが判ったのでした。ヨナが主の御顔を避けて逃れようとしていたことを知っていたからです。

そこでヨナに言われたとおりヨナを海に投げ込むと海は静かになりました。このことで人々はまことの神さまを知り主に立ち返りました。 

一方ヨナは「大いなる魚」に呑み込まれて3日3晩、魚のおなかの中で祈り悔い改め、ヨナの祈りを聞かれた主はヨナを魚の中から救い出されたということが前回読んだ1〜2章のお話でした。

そして今日輪読した3〜4章では、主がもう一度ヨナに使命を与えられてニネベの町へ行って、「40日するとニネベは滅ぼされるから悔い改めさない」と神さまの言葉を伝えました。

すると、ニネベの人々だけではなく王まで皆が神を信じて真剣な悔い改めをしたのです。そこで神さまは彼らを赦し滅ぼすのをやめました。神さまは実に情け深くあわれみ深いお方なのです。

ところがヨナはそれが気に入らないのです。ニネベの人々が悔い改めたことを喜ぶことができなかったのです。今日はこのところを自らを探りながら考えたいと思います。

ヨナはへブル人(イスラエル人)ですから神に選ばれたという選民意識ゆえの優越感があったと思います。また、ニネベはヘブル人たちを苦しめた敵国であり、偶像崇拝していた彼らを救済されたことが我慢できなかったのです。

その怒りは増すばかりで「主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです。」とまで言うほどでした。すごいですね。どう思いますか?

私はヨナの気持ちがよくわかります。同じような気持ちになったことがあるのです。人生の不条理に苦悩し、その「針の穴」を通り抜けて何年も経ってからでした。

私たちに非道なことをし続ける人々がいつの日か悔い改めて天国に入れられると想った時、それは絶対にゆるせない気持ちになりました。

そんなことになるならば私が地獄に落ちてもいい、父や母と再会できなくてもいい、将来娘たちとも再会できなくてもいいと、永遠のいのちを放棄してさえよいと思うほど情動が動いたことがありました。苦しかったです。

ですからヨナがそのあともニネベの人々がどうなるのか見ていたという気持ちもよくわかりるのです。


トウゴマ.jpgこれがトウゴマの木です。トウゴマの別名を「ヒマ(蓖麻)」といい、その種からとったものが「蓖麻子油(ひましゆ)」です。

ひまし油といえば、今から50年あまり前くらいに見ていたアメリカのホームドラマでよく耳にしました。子供がいたずらすると罰として「ひまし油を飲ませるぞ」というのですが、『トム・ソーヤの冒険』や『若草物語』などアメリカの児童文学にも出てくるそうです。

神さまはヨナが暑さにやられないようにトウゴマの日陰を作ってくださいましたが、次の朝は枯れさせてしまわれて、ヨナは暑さで弱り果ててしまって「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ。」と言いました。
4章10節の「惜しんでいる」というのは「可哀想に思う」という言葉だということです。

ヨナはまるで幼児のようですね。
しかし、これは笑うに笑えない私たちお互いの姿ではないでしょうか。神さまは私たちにも問うておられます。

「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。

偶像を拝み、悪に満ちたニネベの人々を滅ぼさない神。そんな恵みと憐れみの神さまだからこそヨナもまた生かされているのであり、私やあなたも生かされているということを思い出さねばならないのです。

私たちは皆、試練や苦悩を通して砕かれていきます。中には嫌な苦しい中を通されてもいつまでたっても自らを省みることのない人もいるのですが、苦悩できる者は幸いであり神の恩寵なのです。

そして、私はこう思います。
信仰を与えられても私たちは何度も失敗し、そしてまた不平を言って嘆きます。しかしまたそのたびに神さまの恵みによって立ち返らされます。そのたびに悔い改めて頑な自我を打ち砕かれて本心に立ち返る。この歩みこそが神と共に歩む生き方でなのです。

人は皆ドングリの背比べ、五十歩百歩です。大切なことは嘆いても悔い改めて勇気を出して立ち上がることです。何度も何度も起き上がることです。

そして、信仰生涯を全うするためには主に在る者との交わりと励ましがいかに大切かと思います。互いに励まし合って「あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものと」させていただきたいと思います。

分かち合いでは、私たちもまたヨナのように「自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと」してしまうのですが、そのような苦しみを耐えねばならない時こそ主を仰ぎ見ることだと語り合いました。

小屋を取り払うことができたことは神さまが勝利を与えてくださったのであり、詩篇の一句を受容できた証しです。

「主よ、わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、
わたしはわが力の及ばない大いなる事と
くすしきわざとに関係いたしません」。
                (詩篇131篇1節)

附記:ユキは午前中はサッカー教室だった。そして、1時半にお友だちと公園で待ち合わせているというので昼食後すぐの礼拝となった。

夕方、知子と歩く。
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栗の木

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posted by 優子 at 15:35| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

「主は私の羊飼い」

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。    
          (マタイによる福音書4章4節)

mail1.gif「キリストの栄光教会」より送られてきた今週のみことばより

詩篇23篇1節:
「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」。
私たちは右も左もわからぬまま、この世界に生み出されました。でも今は、飼い主キリストの声を聞きわけ、その牧場で養われています。まさに乏しいことはないという人生です。
人生は、誰を自分の飼い主とするかで決まります。そして人生の豊かさは、飼い主にどう従うかで決まります。自分は主の牧場に属する羊であることを心に刻みましょう。


詩篇23篇2節:
「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」。
羊は臆病です。羊飼いの姿がそばに見えていなければ、牧場に伏すことさえできません。おなかが満ち足り、ハエや寄生虫から守られなければ、落ち着きません。
羊飼いはその条件をすべて整え、水のほとりで安らぎを与えてくださいます。そのとき、仲間同士の些細な争いも止みます。羊は羊飼いから離れたら、何もできないのです。


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詩篇23篇3節:
「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます」。
羊は仰向きにひっくり返れば、血が足に行かなくなり、自力では起き上がれなくなります。声を上げて羊飼いに助けを求めなければ、野獣の餌食になります。
私たちは主の牧場の羊です。自分の力や悟りに頼らず、主を呼び求めましょう。主はへりくだる者を助け起こし、霊を奮い立たせ、真っ直ぐに歩ませてくださいます。


詩篇23篇4節:
「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたの鞭とあなたの杖、それが私の慰めです」。
「死の陰の谷」は、羊が羊飼いを最も身近に感じる場所です。羊飼いの鞭は野獣を追い払い、杖は羊が道から外れないように守ります。
私たちも人生の闇に包まれるとき、主との距離が最も縮まります。主の「鞭と杖」を肌で感じるときです。


詩篇23篇5節:
「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています」。
野獣が狙っているのに平然と草を食む羊。敵に囲まれているのに、主と差し向かいで悠然と味わう食事。主に信頼する者は、そんな究極の平安が味わえます。
一日の始まりに、聖霊の油注ぎを受けましょう。愛と優しさが全身にみなぎります。あなたに主の祝福があふれ流れます。


詩篇23篇6節:
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」。
御言葉と祈りと賛美が主の家です。主の家に住み続けるなら、じたばたせずとも、恵みのほうから追いかけてきます。
詩篇23篇は心の処方箋です。不安で眠れない夜、大事を前にして心が騒ぐ日、黙して主を待つことができないとき、何度も唱えることをお勧めします。

posted by 優子 at 21:34| 引用文 | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

梅雨の合間に

大きなクスノキ.jpg梅雨入り3日目の今日は気持ちの良い晴天だった。
1日に1000歩も歩かないことも珍しくない私は、少しでも歩こうと知子を駅まで見送りに行った。

梅雨の合間に.jpg私は青い空と風に揺れる木々が好き。
緑の美しさに見入ってしまう。

IMG_5697.jpg青い柿の実もそう。
毎年この時期の青い実を見ると懐かしくて胸が反応する。
幼い頃の裏庭にあった柿の木の記憶が動くのだと思う。懐かしい祖父との光景が・・・





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白い花はシシトウの花。
シシトウの花.jpg

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2本のトマトの苗は玄関の「チャッピーの径(こみち)」に植えた。あれ以上ベランダに置くと洗濯物が干せなくなってしまうから。

「こんなどうでもいい内容はつまらない」と読者にソッポ向かれるかもしれないが、心が疲れた時はリラックスできて心地よい。最高の特効薬だと思う。

今日は3〜4年ぶりに電動自転車に乗った。
11時半頃に医院に入ったが風邪のシーズンも終わってガラガラ。相変わらず尿に「2+」の潜血が出ていたものの、白血球数はかなり減っていたので安堵し20分ほどで終わった。

夕方、『種を蒔く』4号の誤植部分に貼る「訂正シール」が届いた。皆さんには昨日届いたようだ。これで一件落着。

IMG_5711.jpg夕刻18時38分、飛行機が夕日に輝きながら空高く飛んで行った。

1時間後、まもなく日が暮れる二上山(雄岳)を見ながらユキの洗濯物を取り入れた。

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今日の初めてのプールは寒くてみんな唇を真っ青にして震えていたそうだが、背中は赤く日焼けしていた。
posted by 優子 at 23:45| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きます」。

一秒一秒、私たちは宇宙のあらたな二度と訪れない瞬間に、過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。

それなのに学校で児童になにを教えているのか。
2プラス2は4とか、パリはフランスの首都であるといったことは教える。いつになったら、子供たちの何たるかを教えるのだろう。

子供たち一人ひとりに言わねばならない。
君はなんであるか知っているか。
君は驚異なのだ。
二人といない存在なのだ。
世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。

過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。
ほら君のからだを見てごらん。
実に不思議ではないか。
足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
君は シェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
どんな人にもなれるのだ。

そうだ、君は奇跡なのだ。
だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。

君たちは互いに大切にしあいなさい。
君たち…われわれも皆…この世界を、
子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。
 

私は今までになんと驚異的な変化と進歩を目撃してきたことだろう。科学も産業も宇宙開発も、まさに驚異的進歩をとげた。それにもかかわらず世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。

われわれの行動は依然として野蛮人に等しい。
未開人のように地球上の隣人を恐れる。
隣人に向かって武器をもって防衛する。
隣人も同様である。

私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。いつになったら、人類が同志であるという事実に慣れ親しむときがくるのだろう。

祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。
われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。
人類という木に。

     (『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』より)

「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きます」。

国連本部イザヤの壁
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THEY SHALL BEAT THEIR SWORDS INTO
PLOWSHARES. AND THEIR SPEARS INTO
PRUNING HOOKS. NATION SHALL NOT LIFT
UP SWORD AGAINST NATION. NEITHER
SHALL THEY LEARN WAR ANY MORE.ISAIAH 

ここに刻まれているのはイザヤ書2章4節(聖書)の下線部分である。

「彼(神)はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、鋤(すき)とし、
その槍を打ちかえて、鎌とし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない
」。


平和を求める人々の祈りが神さまに届きますように。



posted by 優子 at 09:28| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

平和を叫び続けたカザルス ”The Song of Birds”

パブロ・カザルス.jpg「歴史上、いまだかつて現在のように世界が破滅に近づいたことはなかった。…混乱と恐怖が世界を覆い、…世界の危機を日一日と増大しているのです」。

これは1958年10月24日、国連で開催された世界人権宣言10周年記念コンサートで、演奏に先立って語ったカザルスの言葉だ。
カザルスを招いたのが当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドであり、彼もまた偉大な人物だった。

次に掲げた動画は、カザルスの晩年1971年に、国連で演奏した「鳥の歌」をバックにスピーチを編集した1分42秒の短いビデオである。

「鳥の歌」の原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、イエス・キリストの聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。新聖歌にはクリスマスの歌として「鳥の歌」が94番に収められている。



IMG_2340.jpg空を飛ぶ鳥たちはこう歌うのです。
”Peace, Peace, Peace
(平和、平和、平和)”



IMG_1568.jpg鳥たちはこう歌うのです。
“Peace, Peace, Peace
Peace, Peace, Peace
Peace, Peace, Peace”


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「パブロ・カザルスは偉大な芸術家だ。彼は祖国の人々を迫害する圧制者に立ち向かっただけではなく、いつでも悪魔に妥協してしまう日和見主義者たちに対しても断固とした態度で抵抗した。そんな彼を私は尊敬する。
彼にはよくわかっていた。
悪を実際に行う人々よりも、悪を許し、助長させてしまう人々のほうが世界を危機に陥れるのだ、ということを」。

    (アルベルト・アインシュタイン)

それから60年後の世界は…、日本は戦後築き上げた民主主義国家を崩壊寸前になっている。

国連人権委員会から勧告を受けていることがすべてを物語っており、その勧告に対しても猛然と抗議する政府は、かつてリットン調査団の報告書に抗議して松岡洋右が国際連盟から脱退宣言して立ち去っていく姿を想起させる。

あれは20世紀の出来事を振り返って見ていた映像であるのに、21世紀にもまたしても狂気の歯車が回り出し、日に日に加速度を増している。


共謀罪を通させると治安維持法に拡大され、一般市民でもこのようなブログを書いている者は捕まえられてしまう。
今、私たちに何ができるのだろうか。
発言の場が与えられて闘っている人々のために背後で祈る、諦めないで祈り続け、私たちも社会に声を上げる。今しかできないことをしようではないか、悔いを残さないために。

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暗澹とした深い闇の中に進みゆく時も
自然界は季節がめぐり今年も梅雨に入った。

posted by 優子 at 22:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

万緑の季節に真智子は生まれた

2017.6.6朝.jpg
すっかり濃い緑になった今朝の二上山(雄岳)
誕生日の真智子を想う
気がつけば讃美歌122番、「緑も深き」を口ずさんでいた。

1) 緑も深き 若葉の里 
   ナザレの村よ 汝(な)が巷(ちまた)を
   こころ清らに 行きかいつつ
   育ちたまいし 人を知るや

2) その頭(こうべ)には かむりもなく
   その衣(ころも)には かざりもなく
   まずしく低き 木工(たくみ)として
   主は若き日を 過ぎたまえり

3) 人の子イエスよ 君の御名(みな)を
   みつかいたちの 誉(ほ)むる時に
   めぐみににおい 愛にかおる
   み足のあとを 我はたどらん


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評:「作者は小学校3年生。まさに幼な児のように捉えている明快な信仰の世界を、大人たちも学ばねばならない」。

「真智、ママは今も、この詩に教えられ励まされているよ。お誕生日おめでとう!
飛行機のチケットは取れた? 
2人の帰国を楽しみに待っています」。


「キリストの栄光教会」の今朝のみことばより:
「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」。

羊は臆病です。羊飼いの姿がそばに見えていなければ、牧場に伏すことさえできません。おなかが満ち足り、ハエや寄生虫から守られなければ、落ち着きません。羊飼いはその条件をすべて整え、水のほとりで安らぎを与えてくださいます。そのとき、仲間同士の些細な争いも止みます。羊は羊飼いから離れたら、何もできないのです。
          (詩篇23篇2節)

IMG_5616.jpg詩篇23篇:

「主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」。


6月2日にユキが感染性胃腸炎で欠席し、その後、私、知子と罹患し、重症だった知子は昨日欠勤した。私も今日からすっかり元気になったので久々に散歩に出た。

しばらく爽やかな晴天が続いていたが、午前中の薄雲が夕方にはすっかり厚い雲に変わった。今日九州と山口県が梅雨入りしたから明日の雨で関西も梅雨入りかな。

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↑ これは「かしわばあじさい」(6月14日に教わった)↓

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でんでんむし.jpgでんでんむしがいるよ。







花のような葉っぱ.jpg花かと思えば葉っぱだった。










梅雨入り前の二上山.jpg
「創造主なる神さま、あなたの造られた世界は
何と驚きに満ちていることでしょう。
大自然は創造主を指し示す印に満ちています」。

posted by 優子 at 23:18| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

家の教会2017㉑ ― ペンテコステ礼拝 「無くてはならぬものは」−

時計草.jpg6月2日未明に強烈な胃痙攣と嘔吐に見舞われた孫は流行中の胃腸炎だったようで、3日夜から私も嘔吐し、胃のむかつき、寒気や微熱があって眠ることができなかった。
数時間後から知子もまた同じ症状で苦しんでいたことを朝になって知る。知子はもっと重症。私は1度だけの嘔吐で終わったが、何とか食料品の買い物に行ったあとはしんどくて臥せっていた。夕刻になって初めて食べ物を口に入れたが。

そんなわけで私一人だけでも礼拝を捧げることができなかったが、準備していたのを掲げておきたい。
今朝9時半過ぎから真智子からスカイプあり。良輔と私の3人で話し帰国日程も決定した。

2017年6月4日(日) (2017第21回 家の教会)
聖書  使徒行伝2章1節〜15節
       ヨハネによる福音書14章16・17節 

使徒行伝2章1節〜15節
ヨハネによる福音書14章16・17節:
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

2:5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
2:6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
2:9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
2:11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
2:12 みんなの者は驚き惑って、互いに言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。
2:13 しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

2:14 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。

「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。

2:15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない」。 


ヨハネによる福音書14章16・17節:
14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
14:17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである」。

お話:
今日はペンテコステ礼拝です。クリスマス、イースターと共に教会の大切な記念日です。 
イエス・キリストは十字架に架かられて死んで葬られ、三日目に甦られました。その後40日間弟子たちや多くの人々に現れ、人々の見ている中で昇天されました。それから10日後、即ち復活されて50日目に起きた出来事です。

集まって祈っていた120人の信徒たちの上に聖霊が降ったのです。彼らは皆ガリラヤ人なのに、大きな音を聞いて集まって来たいろんな国の人々の言葉で話し始めました。

英語で「舌」は ”tongue”(タン)と言いますが、「舌」には「言葉」をも意味し、英語で「自国語、母語」を ”mother tongue”(マザー・タン)と言われるのも3・4節のことと結びつきますね。

イエスさまが昇天される時に「わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」(ヨハネ16:7)とイエスさまが仰ったことが成就されたのです。

「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
             (使徒行伝1章8節)

3度も主を知らないと拒んだペテロにも劇的な変化が起こりました。あんなに弱く3度も(拒否)失敗したペテロが徹底的に砕かれて造りかえられました。

これは人間の努力では成し遂げられないことであり、聖霊によって初めて可能にするのです。私もペテロのように本当に変えられたいと思います。

弟子たちは修行のように人間側の努力によって聖霊を得たのではなく、ただ心を合わせて、ひたすら祈っていた時に上から聖霊が降ったのです


そしてペテロは立ち上がって力強く語りました。これがペテロの初めての説教です。
使徒行伝2章22節〜24節、38・39節:
2:22 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。
2:23 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。
2:24 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。

2:38 「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
2:39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。

このペテロの説教を聴いて3千人が信仰へと導かれました。これが教会の誕生であり、ここから福音が全世界に広がって行ったのです。そのことから「ペンテコステ」は教会が産声を上げた誕生日と呼ばれる所以です。

聖霊の導きに耳を傾けて従うかどうかは私たちに委ねられています。神さまはどんな時も決して強引にされません。全ては一人ひとりの自由意思に委ねられています。

ですからクリスチャンであっても神の恵みの外に迷い出て人生をダメにしてしまうことがありますから、お互いに聖霊の導きに従って祝福された人生を歩ませていただきたく思います。

大切なことは神さまの前に正直であることです。自己正当化の嘘だけではなく、昨今の政治家や官僚たちの出来事に見る自己防衛のために真実を隠すのも罪です。私たちの内に虚偽があると聖霊は助けてはくださいません。

クリスチャンは聖霊に従い、人は皆、自らの良心に従って生きることが最も大切なことなのです。


「ペンテコステ」とは「50」を意味しますが、因みにアメリカ国防省の「ペンタゴン」と呼ばれている5角形の建物の名前は、古代ギリシャ語で「5」を意味する「ペンテ」に由来しているということです。

「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」(ルカ10章42節)
ペンテコステについて思いめぐらせている時、イエスさまがマルタに言われたこの言葉が私の心に強く迫ってきて、「無くてはならぬもの」とは「聖霊」だと強く思いました。

私たちの中に内住してくださっている聖霊のおかげで、みことばを思い出させてくださり慰められ励まされて何度も立ち上がって来られれたことを思いますと、何よりも私たち一人ひとりに豊かに聖霊を注いでくださることを祈りたいです。


私たちは生きている限り多くの困難に出くわし試練を通らされます。その中には自らが招き入れた苦悩もあるでしょう。
しかしその只中で聖霊(主イエス)が共にいてくださり、常に私たちよりも一歩先に歩いてくださっているのです。

私たちは聖霊を受けることによってのみ本当にキリストに出会うことができるのであり、常に聖霊の導きに従っていくことがとても大切です。聖霊が内住してくださっている私たちはキリストの体である教会です!

「主イエスは我が救い主」と信じる者の内には聖霊が与えられるているという約束を信じることです。
聖霊こそが信じる者の保証であり、信じる者の救いは必ず完成されるのであり、それを信じさせてくれるのもまた聖霊なのです。


そのことを感謝して雄々しく生き抜きたいと思います。

エペソ人への手紙1章13・14節:
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである」。

附記:
C0F6CEE9BCB0.jpg1987年6月7日、今からちょうど30年前のペンテコステ礼拝で受洗の恵みに与りました。私は35歳でした。
講壇横の床下に作られていた洗礼槽の周りで教会の方々に見守られ、この場に私の両親と妹も来てくれていました。


このあと牧師館の浴室で温かいお湯につかって礼拝堂へ戻りました。この日、私に続いてもう一人女性が受洗されました。
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そして、洗礼を授けてくださった小山恒雄牧師からそれぞれにみ言葉が書かれた記念の色紙と『聖歌』をいただきました。生涯の終わりまで主と共に歩みたいと願っています。

ヨハネによる福音書14章1節(リビングバイブル訳):
「どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけません。神さまを信じ、何もかも、わたし(イエス・キリスト)に任せなさい」。 

" The Living Bible" John 14:1:
"Let not your heart be troubled. You are trusting God, now trust in me."
 
       
posted by 優子 at 20:45| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

今日の出来事

「キリストの栄光教会」の今朝のみことばより:
IMG_5511.jpgローマ人への手紙2章6節:

「神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります」。

これは「行いによる救い」ではなく、神の裁きの公正さを教えています。人の行いは、隠されたことも、光の中で正しく報われます。「神にはえこひいきなどはない」(11節)のです。
あなたの隠れた良い行いも、人には無視された親切も、小さな勇気も、神は全て心にとどめておられます。それゆえ喜んで良い行いに励みましょう。

今日も「今日のみことば」に感銘を受けて思うところを書こうとしていたが、昨日はあんなに元気だったユキが、今朝未明から大量に吐いて強い胃痙攣に見舞われた。

IMG_5547.jpg痙攣を何度も繰り返しながらも治まってきそうだったので、知子は10時頃には家を出られるかと思っていたが、その後も転げまわって苦しむので、ようやく12時前になって来てくれたタクシーに乗って医者へ連れて行った。

タクシーを見送ったその時に待ちに待った『種を蒔く』4号の宅急便が届いた。喜び勇んで開封、一冊を手にして開いた。
「うわぁー!!!」
あまりの驚きで声を出して茫然となった。
最終校でお願いしていた発刊日が昨年度のままになっていた。

他のページを見る余裕もなくすぐに師に電話したが外出中。奥様のアドバイスを得て、執筆者宛に事情を伝えて配布を待ってもらうように連絡した。

頭痛が激しく血圧が一気に上昇し、その後の作業をしていても下がらず頓服を服用した。編集委員さんにメールを数本打ち終わった時にユキと知子が帰宅。

今、胃腸炎が流行っているが重度の過労による胃痙攣だった。「ケトン体 3」、尿で判明したという。かなりしんどいらしい。毎日遊び過ぎ。昨夜から目の下にクマを作っていた。これで懲りただろう。懲りてもらわないと困る。その後も食事もしないで眠り続けている。

私も頓服薬(睡眠導入剤)で朦朧としてきたので寝ようとしたが、4人の方々から次々に電話が入り夕方5時過ぎまでかかった。そして最後に担任の先生からも電話をいただき容体を伝えた。

IMG_5553.jpgそれにしても、きっと個人の本と違って合同集の編集は特に大変だと思う。

「一冊まとめることは大変な作業です。皆様の流された汗に、読者と主からのお報いがありますように」。

早々に関東ブロックの方を初め4名の方々から労いのお言葉を頂戴した。

IMG_5518.jpg何よりも大田先生の計り知れぬご愛労に感謝している。印刷屋さんもみんな精いっぱい力を尽くしてくださったことを感謝!

昨日の記事に載せたユキとは大違い。
月曜日からまた「毎日張り切って行ってくれますように!」

ザクロの花
ザクロの花.jpg

posted by 優子 at 23:59| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年06月01日

神がパロを「頑なにされた」の疑問から手を放す

「キリストの栄光教会」の今朝のみことばより:
IMG_5491.jpgローマ人への手紙2章5節:
「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです」。

IMG_5490.jpg今日、悔い改めないなら、今日また一つ、神の怒りを積み上げることになります。しかし、今日、悔い改めるなら、それまで積み上げた怒りはすべて解かれます。
明日ではなく、今日罪を清算し、向きを変えて、新たに出発しませんか。

日々刻々に悔い改めることができると罪赦されて相手や状況に束縛されずに生きられるのに、なぜ「ごめんなさい」と言えない人がいるのか。

いや、なぜ悪いことだと自覚できないのだろうと不思議でならず、私は今も『出エジプト記』にある「パロを頑なにされたということにやはり拘泥していた。

何よりも旧約聖書が書かれているヘブライ語の語源を調べないと真意はわからない。特にヨーロッパ神学を通してではなく、旧約聖書をヘブライズムの視点で読まねば真意はつかめない。
身近にヘブライ語に明るい東(あずま)道男牧師がおられるのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう。実に悔やまれる。ご回復を待とう。


私のこだわりはパロに悪を行っている自覚はあったのかどうかに集約されてきた。「神は頑なにされた」を文字通り受け取るしかないと、その罪は本人に無関係のことになってしまう。

IMG_5480.jpg過去ログ・2006年8月28日に転載した「文学作品に見る人間の真相 ―選ぶということ、自由に生きるとは― B 」で導き出された結論は、神は何事も私たちの自由意思に任せておられるのであり、まさに「自分が選ぶということは自分を選ぶということ」だ。

大切なことはパロのような人と関わらねばならない場合は、魂を引きずり降ろされないために祈りながら突破することには違いない。ということでもうこだわらずにおられそうに思う。

附記:6月に入った。ユキは4月末から半袖の制服を着ているが、衣替えの今日から夏の帽子になり、朝から面白いことをしてくれた。

今日から夏の帽子@.jpg
「初めにかぶるやろ」
「それからこうして」
今日から夏の帽子A.jpg

今日から夏の帽子C.jpg
「次にこうすんねん」

「おもしろいなぁ。
さあ、今日も元気に
一日張り切って行きましょう!
行ってらっしゃーい!」

    


緑が美しい!
美しき緑.jpg

posted by 優子 at 13:57| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2017年05月31日

イソトマが咲いた!

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今朝、イソトマの花が咲いていた。

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↑ これは道端に咲いていて、下のは隣家の花。↓

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洗濯物を干していたら裏庭に小さな黄色い花を見つけた。
自生している「三つ葉」(まさにミツバの味)の中で
精いっぱい咲いていた。

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ドクダミの中からアガパンサスが蕾を出していた。

カラス.jpg
朝食を終えたユキが見つけたカラスくん。
窓越しにユキが撮りました。

posted by 優子 at 20:17| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

国連からも警告、民主主義の危機

2016年4月、国連人権専門官から日本政府に対して「報道の独立性に対する重大な脅威を警告」されている。「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連特別報告者ディビッド・ケイ氏は次のように言っている。

「多くのジャーナリストが、自身の生活を守るために匿名を条件に私との面会に応じてくれましたが、国民的関心事の扱いの微妙な部分を避けなければならない圧力の存在を浮かび上がらせました。
彼らの多くが、有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えています。これほどの強固な民主主義の基盤のある国では、そのような介入には抵抗して介入を防ぐべきです」。

          (「国連広報センター」より) 

先月、国連の人権専門官は共謀罪について重大な懸念を伝える書簡を安倍首相に送ったことに対して、日本政府が抗議した。これではどこかの国と同じだ。

既に巨大な歯車が回り出し加速し始めている。今ここで皆が立ち上がらないと本当に民主主義は瓦解してしまう。私は何度も多喜二の遺体から叫び声が聞こえてくる。かつて『蟹工船』というプロレタリア文学作品を書いたために、警察により拷問を受けて殺された小林多喜二から。

多喜二の前で母セキ.jpg
多喜二の遺体の枕もとに母セキがいる。

小林多喜二@.jpg

後年、多喜二の母・セキは次のように話していた。
「布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。
ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の2倍にもふくらんでいた。

捕まえていきなり竹刀で殴ったり、千枚通しで、ももばめったやたらに刺し通して、殺していいもんなんだべか」。

          (過去ログ:2015年3月20日より)

今の日本はおかしい。おかしいことはおかしいと声を上げねばらない。権力を持つと人間はかくも良心がマヒしていくものなのであろうか。たった70年間で再び恐怖の時代を来たらせるとは、現政権はあまりにも罪深い。

ジャーナリストは魂を売ってはならない。
今も勇敢に戦い続けているジャーナリストたちに与して立ち上がるべきだ。私たちにできることは何か、今手をこまねいていてはだめだ。
私は神に祈ろう。
どうか正しき者を守り堅く立たせてくださり正義が成るようにと、全てを支配しておられる神に祈ろう。

「どうか悪しき者の悪を断ち、
正しき者を堅く立たせてください。
義なる神よ、あなたは人の心と思いとを調べられます。

わたしを守る盾は神である。
神は心の直き者を救われる。
神は義なるさばきびと、
日ごとに憤りを起される神である。

もし人が悔い改めないならば、神はそのつるぎをとぎ、
その弓を張って構え、
また死に至らせる武器を備え、
その矢を火矢とされる。

見よ、悪しき者は邪悪をはらみ、
害毒をやどし、偽りを生む。
彼は穴を掘って、それを深くし、
みずから作った穴に陥る。

その害毒は自分のかしらに帰り、
その強暴は自分のこうべに下る。
わたしは主にむかって、
その義にふさわしい感謝をささげ、
いと高き者なる主の名をほめ歌うであろう」。
 
           (詩篇7篇9節〜17節)
posted by 優子 at 23:02| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

メジロが窓に激突

今朝ぼんやりしていた時、窓に何かが当たったような音がした。石が当たったような鋭い音ではなく、鈍い音ではあるが「ドン」と勢いを感じる音だった。

メジロが窓に激突@.jpg誰かが窓を叩いたのではと怖くなってベランダを見ると、緑色のかわいい小鳥がジッとしているのを見つけた。鶯か・・・小鳥はすぐに私に気がついたが逃げようとしない。逃げたくても具合が悪くて飛べないようだ。

怖がらせてはいけないと思いつつも窓を開けたが動かなかった。
メジロが窓に激突.jpg
これはメジロだ。周囲に小鳥の羽が飛んでいた。
窓にぶつかってここに叩きつけられたのだろうか。

心配しつつも写真だけ撮らせてもらった。野鳥をこんなに身近で見ることはできないから。

メジロが窓に激突B.jpg

6〜7センチぐらいの大きさだったからまだ子どもだと思う。

メジロが窓に激突A.jpg

水をあげたらいいんだろうか・・ずっと気が気ではなかった。
しばらくすると目を閉じていたのでいよいよ心配したが、
このあとまもなくいなくなっていた。
メジロが窓に激突C.jpg

そして、目の前の木々でしばらく活発に飛び回ってから元気に飛んで行った。この写真を見ると先ほどよりも体を起こしている。きっと窓に激突して脳しんとうでも起こしたのだろう。

「痛いところはない? しばらく気をつけるのよ!
 頭を打った後は安静にね。吐き気があればすぐに」と言いかけたが、小鳥に病院はないか・・・

強打したようだ.jpg窓に小鳥が激突したあとがあった。緑の羽と白いダウンを見つけた。
結構強い風が吹いているのに羽はひっついたままだから、よほど強く突っ込んだのだろう。ヒヨドリに追われていたのかなあ・・・

日中は暑いが朝は肌寒いので10時過ぎても窓を閉めていたのが悪かった。
そういえば、かつて部屋にヒヨドリが入ってきてパニック状態になったこともあった。メジロさんに後遺症がでませんように。
5月終わりのかわいい訪問客は30分で去って行った。
posted by 優子 at 15:45| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

家の教会2017S ―ヨナ書を読むT 『ピノキオ』の真髄―

IMG_5295.jpg2017年5月28日(日) 
   (2017第20回 家の教会)

8時30分〜9時30分
出席者 3名(Except R)

@ 前奏       知子
A お祈り      優子
B 子どもの讃美歌  
「おおしくあれ」 ユキ独唱
C 聖書輪読     ヨナ書1・2章
D お話       優子
E お祈り      一人ずつ
F 讃美歌      第2編136番 
              「われ聞けりかなたには」
G 後奏       知子
楓の種.jpg
楓の種
ヨナ書1章1節〜2章10節:
1:1 主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、
1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。
1:3 しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。

1:4 時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。
1:5 それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。
1:6 そこで船長は来て、彼に言った、「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい。神があるいは、われわれを顧みて、助けてくださるだろう」。

1:7 やがて人々は互いに言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。
1:8 そこで人々はヨナに言った、「この災いがだれのせいで、われわれに臨んだのか、われわれに告げなさい。あなたの職業は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。あなたはどこの民か」。
1:9 ヨナは彼らに言った、「わたしはヘブルびとです。わたしは海と陸とをお造りになった天の神、主を恐れる者です」。
1:10 そこで人々ははなはだしく恐れて、彼に言った、「あなたはなんたる事をしてくれたのか」。人々は彼がさきに彼らに告げた事によって、彼が主の前を離れて、のがれようとしていた事を知っていたからである。

1:11 人々は彼に言った、「われわれのために海が静まるには、あなたをどうしたらよかろうか」。それは海がますます荒れてきたからである。
1:12 ヨナは彼らに言った、「わたしを取って海に投げ入れなさい。そうしたら海は、あなたがたのために静まるでしょう。わたしにはよくわかっています。この激しい暴風があなたがたに臨んだのは、わたしのせいです」。
1:13 しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった。それは海が彼らに逆らって、いよいよ荒れたからである。
1:14 そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。
1:15 そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。
1:16 そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。

ヨナと鯨:ピーテル・ラストマン(1621).jpg1:17 主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。

(絵はピーテル・ラストマン、レンブラントの師)
2:1 ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、
2:2 言った、
「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、
主はわたしに答えられた。
わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、
あなたはわたしの声を聞かれた。
2:3 あなたはわたしを淵の中、
海のまん中に投げ入れられた。
大水はわたしをめぐり、
あなたの波と大波は皆、わたしの上を越えて行った。
2:4 わたしは言った、
『わたしはあなたの前から追われてしまった、
どうして再びあなたの聖なる宮を望みえようか』。
2:5 水がわたしをめぐって魂にまでおよび、
淵はわたしを取り囲み、
海草は山の根元でわたしの頭にまといついた。
2:6 わたしは地に下り、
地の貫(かん)の木はいつもわたしの上にあった。
しかしわが神、主よ、
あなたはわが命を穴から救いあげられた。
2:7 わが魂がわたしのうちに弱っているとき、
わたしは主をおぼえ、
わたしの祈りはあなたに至り、
あなたの聖なる宮に達した。
2:8 むなしい偶像に心を寄せる者は、
そのまことの忠節を捨てる。
2:9 しかしわたしは感謝の声をもって、
あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。
Jan Bruegel1600)..jpg救いは主にある」。
2:10 主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。

絵はヤン・ブリューゲル(父)

お話:
先週は礼拝をお休みしたので来週のペンテコステ礼拝を挟んで、今週と再来週の2部構成で『ヨナ書』を読みたいと思います。

ヨナについては昨春「家の教会」を始めてすぐの4回目の礼拝でお話しました。その時は「あらすじ」をお話ししてから4章だけを輪読しましたが、今回は全章読みましょう。

今日輪読した1・2章は「ヨナの悔い改め」が書かれてあり、3章はヨナの宣教によりニネベの人々が悔い改めたことを、4章ではその後のヨナの怒りと神の教訓が書いてあります。

『ヨナ書』は分厚い聖書の中のたった3ページです(新改訳・新共同訳聖書では4ページ)。「ヨナ」の名前は「鳩」という意味で、ヨナは預言者であり政治家でした。イスラム教では「ヨナ」を「ユーヌス」と呼びコーランにも出ているとのことです。

ヨナの出来事は紀元前8世紀、ヤロブアム二の治世の頃の話だということです。その頃のアッシリアは東方世界を支配していた超大国でその首都がニネベでした。

そして、『ヨナ書』が書かれたのはアッシリア(ニネベ)陥落前の紀元前612年以前であり、紀元前5世紀ごろに現在の形に編集されました。

ヨナは列王記下にも出てくる歴史上の人物であり、イエスさまが数か所でヨナのことを話されていることからもヨナの不思議な話も真実であることがわかります。

「彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである」。(列王記下14章25節)

「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである」。

              (マタイ12章39節〜41節)

近年、過激派組織「イスラム国」(IS)がイラク北部の主要都市モスルにあった墓や像、モスク(約1800年前の建造物)、聖廟など人類の文化遺産をたくさん破壊しました。

その中には預言者ヨナの墓や、アダムとイブの三男と考えられている預言者セトの聖廟も数年前に(2014年7月?)に爆破されて壊滅したと報じられました。

まもなくモスルをISから奪還するそうですが、そこに20万人もの市民がいると報じています。武力を用いないで残虐悲惨な歴史に終止符を打つことはできないのでしょうか。今はヨナのような人物は立てられていないのでしょうか。

ヨナの話、ニネベとはまさにこのモスルの地なのです。では、今日の本筋に入っていきましょう。

ユキはヨナのお話しを良く知っているので、『ピノキオ』の原作が『ヨナ書』であることを興味深く聴いてくれると思います。そういえば、ピノキオとヨナの話は似ている所があると思わない? 
実は『ピノキオ』は『ヨナ書』をもとにして書かれたもの、その中にはキリスト教神学が織り込まれているのです。

ピノキオ.jpgこの絵本はユキのママが小さい時に買って真智にも、そして、ユキにも何度も読んだのでボロボロになってしまったけれど、ピノキオのお話は今も覚えていると思います。

その内容を追って行くとまず目に留まるのは、ピノキオが学校に行く時にゼベットじいさんがりんごを持たせるところ、作者はここにも意味を込めていると思います。

これは創世記にでてくる「知恵の実」を思わせます。
創世記3章2〜3節:「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。

このリンゴは誘惑を意味し、作者は誘惑に負けて堕落していくピノキオを暗示させているのでしょう。

ピノキオは不良少年に誘われるままに悪い子になっていきました。女神に「キツネと猫がむりやり連れてきたから」と嘘をつくと鼻が伸び、「ごめんなさい」と謝ればゆるされて鼻はもとにもどりました。

しかしそのあとも勉強しない、本を破り、お酒を飲み、煙草を吸ったり、本当に悪い子になってしまったピノキオはジミニーに叱られてやめました。

ところで私たちにはロバはかわいい動物であり、ロバと言えばイエスさまがエルサレムに入城される時にロバを用いられたことを思い出します。

イエスさまはロバに最も大切な時に御用をさせてくださったのですが、欧米ではロバは「まぬけ、バカ、頑固者」と比喩されます。

それで『ピノキオ』のお話にも、「勉強をする子は追い出される」という村で遊んでばかりいると、馬鹿になり、ロバになって売られてしまうと書いてありますね。

とうとうピノキオにもロバの耳とシッポが生えてしまいました。ロバに変身させられたのです。ロバの耳とシッポは「罪」を表しています。ようやくピノキオは悪いことをしたと気がついて家へ帰りましたがおじいさんがいません。

そこへ1羽の鳩が来て、ゼペットさんは大切なピノキオを捜しに行って海の怪物にボートごと呑み込まれたことを教えてくれました。

おじいさんは年を取っているから「おじいさん」と呼んでいますが、ピノキオにとってはお父さんの存在です。

ピノキオはジミニーとお父さんを捜しに行きますが、ピノキオとジミニーも大きな鯨に呑み込まれてしまいました。しかしこうして鯨のお腹の中でお父さんと再会し、お父さんにこれまでのことを話して心から謝りました。

鯨のお腹の中で焚火して、その煙で鯨が大きなクシャミをした時に海へ吐き出されて逃げることができました。

でも大きな波でいかだはひっくり返り、何とか岸に打ち上げられたけれどピノキオは死んでしまいました。罪(ロバの耳とシッポ)を持ったまま。 

しかし、ゼペットさんのお祈りで起き上がり、その時ピノキオは木ではなく本当の子どもになっていました。

これは「罪に死に、キリストに生きる」ということであり、それは洗礼の意味とも重なります。一度死んで、新しい命をいただいて「神の子」として永遠の命に生きられるようにしてくださるからです。

私はこのみ言葉が脳裏に浮かびました。
「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ」。(イザヤ書1章18節)

そしてまたここにイエスさまの贖罪と復活という意味も重ねて読み取ることができます。イエスさまが私たちの罪のために、(ロバの耳やシッポ)罪を負って身代わりになって死んでくださりよみがえってくださったことを!

『ピノキオ』の作者の信仰が読む者に伝わってきます。
ゼベットじいさんは木を削って人形を作り(創造)、悪い子になったピノキオを捜しに行き、海の底まで捜しに行きました。
その姿は「迷える子羊」を捜し続けるイエスさまであり、即ち、放蕩息子の帰りを待ち続けると重なります。まさに私たちの「天の父」を象徴しているのです。

女神はピノキオが嘘をつくと鼻を伸ばしたり元に戻したりと、奇跡を行うということで神の子イエス・キリストを重ねているのでしょうか。
コオロギのジミニー・クリケットはピノキオの良心であり聖霊を表しているのでしょう。

つまりこのお話に聖書の一番の要点、「三位一体」というキリスト教神学が柱になっているのがわかります。

ピノキオはまさに私たちのことですね。私たちは一人ひとり神さまによって素晴らしいものとして創られ愛されているのに、神さまから離れて自己中心に生き(それが聖書の言う「罪」です)大変な目にあいます。しかし、聖霊の導きにより悔い改めて罪赦される。


ピノキオは罪に死んで、キリストに生きる(新生)のです。そこに導かれて、これまで神さまに背を向けて神さま無しの生き方を悔い改めて、神と共に生きたいと信仰告白することが洗礼です。

神の子とされた私たちも自分の弱さから何度も何度も悪い子になるのですが、そのたびに神さまに「ごめんなさい」と謝り、そのたびに新たなる力を与えて立ち上がらせてくださるのは何という感謝でしょうか!!!

IMG_5375.jpgさあ、今週も良き日々を創り上げていきましょう。良き日々を願って神と共に出発しましょう!

花の名は「ニゲラ」

IMG_5339.jpg今朝の讃美歌は、昨日の午後、ある方のお見舞いに伺った帰り、病院を後にして駅に向かう時に唇に出てきた讃美歌です。


讃美歌第2編136番 「われ聞けり彼方には」

1.われ聞けり「かなたには うるわしき都あり」
  輝ける かの岸に われはまもなく着かん
  「ハレルヤ」と歌いつつ 歌いつつ進みゆかん
  わが足は弱けれど 導きたまえ 主よ

2.われ聞けり「かしこには 争いもわずらいも
  明日の憂いもなし」と われはまもなく着かん
 「ハレルヤ」と 歌いなば 悲しみも幸とならん
  われは はや さ迷わじ 神ともにいませば

3.われ聞けり「みかむりと ましろき衣をつけ
  主をほむる民あり」と われも共に歌わん
 「ハレルヤ」と 叫びつつ み声聞きてよろこび
 み国へとのぼりゆかん わが旅路終わらば



posted by 優子 at 12:00| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

十字架の花

関東のY兄(きょうだい:クリスチャン男性の呼称)よりコメントメールが届き、昨日の記事の最後に追記掲載させていただいた。感謝!

どくだみ.jpg藤本優子さま
「十字架の花」いい名前ですね、わたしもこの花が好きです。

ドクダミには十薬(ジュウヤク)という別名があって、昔から重宝がられてきた薬草だそうですが、どうして「ドク」と「薬」などと言う対照的名前がつけられたのでしょうね、不思議な名前ですね。



posted by 優子 at 21:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

野の花のごとく強くありたい

大津教会・愛光幼稚園.jpg
これは今春の夕暮れ、大津教会・愛光幼稚園の園庭だ。
かなりタイムリーさを失った風景ではあるがやはり美しい。

4月15日、クリスチャン・ペンクラブの例会が終わって大津駅へ向かう時、あまりに美しいのでペン友・長原さんに撮っていただいた。この日は総会での会計報告や『種を蒔く』4号のことで頭がいっぱいだったのでカメラを持参しなかったからだ。

この風景もまた毎年見ていたであろうのに立ち止まって見ることもなく、ただおしゃべりしながら歩いていた。季節外れの写真だがここにとどめておきたい。

『種を蒔く』4号は昨年6月に召天された久保田暁一先生の追悼号である。まもなく1年になるなんて、時はかくも早く過ぎ行くのか。

発行日を師のお誕生日「5月22日」と記したが、4月の例会時にも追加原稿が出たり、その後も原稿待ちやいろいろで、印刷・製本されるのは5月末の予定は難しく6月に入るとのこと。

再度ご指示くださった大田先生の編集のおかげで、一つひとつに思いが込められ重厚な一冊になった。3校で校了とし、印刷屋さんからようやく13日に「印刷にかかります」の連絡を受けて一息ついた。

今は振り込み通知が届くたびに収支報告書を更新させ、まだ振り込んでくださっていない方々に今日再び連絡した。パソコンを使わない方は数名なのでありがたい。

6月の例会会場は千里ニュータウン教会だが、東牧師は体調を壊して入院されていることがわかった。ご高齢なだけに心配でならず気持ちが沈む。
祈り、聖書を読み、祈る・・・

5.23.jpg5月の美しい季節を東先生に届けたい。常に神と共にあられる牧師に。

「私たちが生きているのは、素晴らしい世界です。
しかし、それが美しく本当に我が家のようであるのは、ただ神がいつも近くにいると感じる時、そして神に依り頼み、神の愛に信頼する時のみです」。

       (マックス・ミュラー)

ドクダミの花が咲き始めた。
                    −星野富弘さんの詩−
どくだみ.jpg「おまえを大切に 摘んでゆく人がいた
臭いといわれ
きらわれ者の おまえだったけれど
道の隅で歩く人の足元を見上げ
ひっそりと生きていた
いつかおまえを 必要とする人が
現れるのを待っていたかのように

おまえの花
白い十字架ににていた」


この辺りはドクダミがたくさん自生しており、ここに住むまでドクダミのにおいも知らなかった。あるとき義母が「ドクダミはにおいが強いのでトイレに置くといい」と教えてくれた。

チャッピー(柴犬)を飼い始めた時、私はドクダミをさわった手でチャッピーをさわったのだろう。「チャッピー、くさいなぁ」と、ドクダミの臭いを犬のにおいだと思っていた。

ここに移ってきた頃は父の病床に通う日々、その1年4ヵ月後に父が亡くなるまで何度も危篤状態になり、ホッとする時がなかったので、気がつかないままチャッピーのにおいだと思っていたようだ。

そんな期間もドクダミの花を見るたびに「十字架の花」と心の中で言っていた。主イエスを思い出すたびに力を得ていたのかもしれない。


5.23B.jpg

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5.23E.jpg
野原や道端に咲く花こそ美しい。
私も野の花のごとく強くありたい。

5月24日夜追記:
― 関東のY兄(きょうだい:クリスチャン男性の呼称)よりコメント―
「十字架の花」いい名前ですね、わたしもこの花が好きです。

ドクダミには十薬(ジュウヤク)という別名があって、昔から重宝がられてきた薬草だそうですが、どうして「ドク」と「薬」などと言う対照的名前がつけられたのでしょうね、不思議な名前ですね。
                                      
posted by 優子 at 17:46| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

2017’百花繚乱の5月 D ―ユキノシタ―

「汝ら目をあげて高きを見よ、
誰かこれらのものを創造せしやを思え」。
                  (イザヤ書40章26節)

紫蘭(しらん)は好きな花ではなかったが、先週末の散歩中に満開の紫蘭を初めて見て少し好きになった。今日の散歩で写真を撮るのを楽しみにしていたが良い写真が撮れなかったので、たくさん咲いている裏庭へ行った。しかしどれも盛りを過ぎていてかろうじて玄関近くでいくつか見つけた。

そして、その途中でこんな花を見つけた。
朝の写真はピンボケしていたので夕方に再び撮りに行った。

5.22LU.jpg
何てユニークな花だろう!

花の形だけではなく花びらの模様が面白い。まるでいたずらっ子の顔に見えるではないか。そしてついに長い時間検索して花の名前を突き止めた。
これは、ユキノシタだった!
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この写真にはユキノシタの葉は写っていないがよく覚えている。
当地へ引っ越してきた1999年の秋頃だったか、「ユキノシタの葉は天ぷらにしたら食べられるよ」と義母に教えてもらったので、さっそく作って義父と3人で食べたことを思い出す。
そう、ユキノシタの葉があったのはちょうどこの辺りだった。

その頃は父が入院中で翌年の夏に亡くなり、父の悲しみだけではなく周囲の人々に苦悩していた年月だった。しかし、それゆえに霊の目が開かれて新しい境地が拓かれたのである。

その時のことを綴ったのが、過去ログにも転載した「針の穴を通り抜ける」である。

以下は今日の感動のひと時。
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この花もミカンの花のような甘い匂いがした。
小さな蜂が来ていたよ。

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↑ 珍しい白い紫蘭と、よく見かける赤紫の紫蘭。↓

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この花も甘い香りがした。17日に別の所で見つけた花だ。

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もうすぐ梅雨、アジサイが咲き始めた。
6月7日頃に近畿地方の梅雨入り予報が出ていた。

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ここはユキと名付けた「森の道」。
チャッピーはいないけれど、この新緑の小道を抜けて行った。


5.22M.jpg
先週シュウメイギクの横で
初めて見つけた草。
そして今日の散歩でこの花を見た。
花のユニークさには驚かされる。

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(5月28日追記)
この花は「ニゲラ(クロタネソウ)」だって!
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我が家のも26日に開花しているのを発見したが、この花はあまり好きではない。(ごめんね)

それにしても私は花の名前を知らなさすぎる。
あの感動の花はハルジオンだったとは! 名前だけは何十年も前から知っていたものの記憶もしていないとは恥ずかしい。

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そしてこれはカタバミだって!





今春初めて見えるようになった「心の目」で知ることができた草花の中で「感動のベスト3」は、

@スノーフレイク 
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Aハルジオン
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そして、ユキノシタ
5.22LU.jpg
自然界は不思議と感動に満ちている。
気がつくのがあまりにも遅すぎたが、今からでも楽しみたい。
 
冒頭のみことばは「イザヤ書40章(21節〜31節)」にある。

あなたがたは知らなかったか。
あなたがたは聞かなかったか。
初めから、あなたがたに伝えられなかったか。
地の基をおいた時から、
あなたがたは悟らなかったか。

主は地球のはるか上に座して、
地に住む者をいなごのように見られる。
主は天を幕のようにひろげ、
これを住むべき天幕のように張り、

また、もろもろの君を無きものとせられ、
地のつかさたちを、むなしくされる。

彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、
その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、
神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、
わらのように、つむじ風にまき去られる。
聖者は言われる、
「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、
わたしは、だれにひとしいというのか」。

目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ

主は数をしらべて万軍をひきいだし、
おのおのをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなるにより、
またその力の強きがゆえに、
一つも欠けることはない。

ヤコブよ、何ゆえあなたは、
「わが道は主に隠れている」と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、
「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。

あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。

年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。

posted by 優子 at 19:36| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

「へえー、今度は白色なんやー」

今回の「家の教会」はお休みした。
ユキはサッカー教室があり、その午後は実が入らないので、良輔と二人で聖書を読もうと思っていたが、今日はどうにもしんどくてそれもできなかった。夕方から回復してきてブログを書く体力も出てきたが、今夜は早く寝ようと思う。

サッカーから帰って来たユキが祖父の作業を見て、「へえー、今度は白色なんやー」と言い、この一言に私と知子は大笑いしてしまった。

日に焼けて茶色になった障子紙、しかも見事なほど穴が開いたボロボロの障子。その半分以上はユキの仕業だが、新築後18年目にしてようやく張り替えたことにも呆れる。こんなことを書いていたら主婦である私が笑われるのであるが、数年前から廃屋状態だった。

@障子の張替.jpg私は自分で張り替えるなど考えも及ばないが、夫は昨日障子の紙を買ってきて朝の7時前から着手した。私はその音ですぐに起こされてしまった。
耳元に響く音は昨日の網戸の滑り具合を見ているのかと思っていたら、私のベッドの真下にある障子紙を張り替え作業を開始し、紙を剥がしていた音だった。

障子の張替A.jpgこんなことは夫も今回が初挑戦。
そして、午後3時半頃に完成!
「古い紙を取るのが一番大変やった」。

私は手伝おうにも今日はどうにもしんどくて臥せっていた。昨日はあんなに元気だったのにどうしてだろう。急激な気温上昇に体がついて行かないからだろうか。ようやく夕方から回復してきたので掃除をした。

18年ぶりに障子の張替.jpg
すごくきれい! ありがとう!
私もユキに倣って、「今度は白色なんやー」と、
苦労した本人以上に何度も見とれていた。

それにしてもこういうことは熱意と根気があるんやね。昨日は電動自転車のパンクを修理してくれたし、妙な感じ・・・ありがとう、お疲れさまでした!
posted by 優子 at 21:36| 夫婦・家族 | 更新情報をチェックする