2017年08月01日

日野原重明さんの告別式説教

聖路加(ルカ)国際病院名誉院長の日野原重明さんの葬送・告別式が7月29日午後1時から青山葬儀所(東京都港区)で営まれ、約4千人もの参列者が聖書の言葉に耳を傾け、祈りと賛美に心を合わせた。

司式を務められた聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂のチャプレン団、主任チャプレンのケビン・シーバー司祭の告別説教概要を『クリスチャン・トゥディ』より転載させていただいた。

聖路加病院のチャプレン.jpg敬愛する日野原重明先生が成し遂げられた偉業をこの場で一つ一つたたえても、たたえ尽くせません。ただし、キリスト教信仰においては、人の功績と天国への望みはまったく無関係です日野原先生もそのことはよくご存じでした。先生が長年温めてこられたこの信仰について少し説明させていただきます。

キリスト教信仰では、「すべての人間は神の憐(あわ)れみを必要としている罪人である」と考えます。聖書がいう「罪」とは、あからさまな大罪ではなく、自分の創造主である神に背を向け、神がいないかのように生き、神によって生かされている恩恵を認めないことを意味します。

その意味では、神を認めない世の中に生まれた人間は皆、罪人だといえます。人間がそんな風潮に流され、神に背を向けていることが、世の中のさまざまな苦難や悲劇の原因となっています。

それとは違う生き方、違う価値観に基づいた暮らし方をしようと思っても、なかなか難しいのが現実です。ところが、そういう人間でも、創造主である神は父親のようにとことん愛してくださいます。

そして、人間を罪の悲しみから解放するために、御子イエス・キリストを送ってくださいました。イエス・キリストは十字架の上で、罪人の代わりにご自身の命という高い代価を払って、私たちの罪の赦(ゆる)しを勝ち取ってくださったのです。

これを「福音」(良い知らせ)といいます。日野原重明先生はこの福音を子どもの頃からよくご存じでしたし、この福音は先生にとって大きな力となりました。先生のすべての功績は、こういう神の憐れみへのお返しだったといえます。

よど号ハイジャック事件の時、先生はそのことにより深くお気付きになりました。「神様が赦して、改めて命を与えてくださった」という強い確信をいだき、残された命をもって社会や人々に仕えようと決心なさったのです。

変動の多い時代を過ごしたクリスチャンドクターとして、日野原重明先生はこの神の憐れみをさまざまな活動を通して私たちに示そうとなさいました。一流の医療をはじめ、音楽、新老人の会の活動、子ども向けの「いのちの教室」などです。

神の憐れみは確かなものだからこそ、今日、私たちは確信をもって日野原先生を神様のもとに送り、天国での幸福を祈れるのです。

前掲の同記事に掲載されていた内容も興味深い。

シーバー司祭は、日野原さんが召天した日は立ち会うことができなかったが、危険な状態と言われた14日(金)夕方、自宅を訪問したという。

「まだその時は日野原先生の意識がクリアだったので、塗油式(病人の癒やしのためオリーブ油を額などに塗って祈る)をして、ご家族や院長らと一緒に賛美歌を歌って祈る時間を持ちました。その賛美の歌声を聞きながら日野原先生は涙を流し、お祈りの最後もしっかり『アーメン』と言われました。皆、言いたいことはちゃんと伝えて、すごくいい会話でした」。

司式をする上田司祭は、2003年からチャプレンをしていて、日野原さんとの関わりも十数年に及ぶ。

「5、6年前から日野原先生は、自分の死ぬ時に必ず鳴っていてほしいのがフォーレの『レクイエム』、特に『ピエ・イェズ』だと言っておられました。愛唱賛美歌は『丘の上の主の十字架』(『讃美歌21』303番)。

聖路加での合同のクリスマス礼拝などではいつも日野原先生があいさつをされるのですが、それがいつの間にかクリスマスの意味を伝える説教になっていました」。

日野原さんのクリスチャン医師としての姿はー

「つい最近まで、緩和ケア病棟に毎週木曜日のお昼頃、回診して、人生の最期を迎えようとしている患者さんの手を取り、医者としてごく自然に祈り、いい励ましと助言の言葉を掛けていました。何より日野原先生が部屋を訪問するだけで、すごく明るく変わったりする患者さんが多いです。延命効果があります」。

そうシーバー司祭が言うと、上田司祭が「日野原効果」と合いの手を入れた。「日野原先生は初めて会った患者さんともいろいろな話をされます。その上で短く、患者さんが疲れない程度に祈られます。それで回診から帰ってくると『今日の患者さんはこういう人だよ』とわざわざ私に言ってくれたりしました」。

「日本で病院に音楽療法を導入したのが日野原先生です」とシーバー司祭。

「日野原先生がずっと関わっていた患者さんがもうすぐ息を引き取るという時、私を呼んで、音楽療法士を連れて病室訪問したのですが、賛美歌を歌っている中で患者さんが亡くなられたのです。

そこにいた日野原先生は『こういう最期は素晴らしい。私もこういうふうに人生の終わりを迎えたい』と言われたのですが、まさに日野原先生はそのような時を過ごされました。とても穏やかで、苦しむこともなく、皆に賛美歌を歌ってもらい、それ以外はずっと賛美歌のCDを流されていました」。

HINOHARA.jpg日野原さんはどのようなクリスチャンだったのだろうか。

「日野原先生が好きな聖句は、『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ』(ヨハネ15:5)。

それは日野原先生のクリスチャンドクターとしてのアイデンティティーにもつながっていると思います。自分がイエスさまにつながって、イエスさまから命と力と賜物が流れてきて実を結ぶと考えておられた」とシーバー司祭。

トイスラー.jpg

「この礼拝堂に創始者のトイスラー先生の言葉の刻んだタブレットが飾られているのですが、そこに『ADVENTURE IN CHRISTIANITY』と書いてあります。日野原先生がそれを見て、『そうそう、これが私が言いたいことなんだ』とおっしゃられていました。クリスチャンである自分が新しいことに取り組んでいくということがすごく大切なことだと」。

そう上田司祭が言うと、シーバー司祭もうなずく。

「常に日野原先生はチャレンジャーです。神さまに与えられたものをきちんと受け止めて応えたいという意味で、常に新しい領域に入ろうと考えていました。それは医療だけではなくて、音楽とか、スプリチュアルケアとか・・・」

「90になってからゴルフを始め、俳句をやり始めた」と上田司祭がそれを受けると、シーバー司祭も「100歳からフェイスブックを始めたんです」と付け加る。

「日野原先生をひとことで言うと、いろいろなことに関心を持つ人。やったことで満足せず、常に新しいことに目標設定をして進んでこられました。

『常に福音を伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい』というアッシジのフランチェスコの言葉がありますが、聖路加のミッションは、神の愛を一流の医療と看護を通して伝え続けるということです。

そのミッションを今でも聖路加が意識し続けられているのは日野原先生のおかげです。患者さんからも、聖路加の雰囲気、患者との接し方はやはり質が違うと聞きます。そのキリスト教精神はちゃんと生きています」とシーバー司祭は力を込めた。

聖路加.jpg

ネオゴシック様式の聖路加国際病院旧館の中央にある礼拝堂の外観(1936年完成)。奥に見えるのは聖路加タワー。

聖路加国際大学と聖路加国際病院が建っているのはもともと築地居留地(明治時代、外国人を1箇所に住まわせた場所)。

ここには、横浜に続いて東京で最初のカトリック築地教会(35〜36番地)やプロテスタント各派の教会が建てられるとともに、明治学院大学(元東京一致神学校、17番地)、女子学院(6番地)、青山学院大学(元海岸女学校、10→18番地)、立教学院(37→57〜60番地)、雙葉学園(45〜47番地)、暁星学園(カトリック築地教会内)、関東学院大学(元東京中学院、42〜43番地)、女子聖学院(14番地)といったキリスト教主義学校の発祥の地でもある。

01yuri2b.jpg聖ルカ礼拝堂に献花に訪れた際、ここが日本キリスト教史における重要な場所であることにぜひ思いを馳せてみてはいかがだろうか。百数十年の時を超えて、同じ場所で日野原さんをクリスチャンドクターとして長年用い続けられた神さまの深い摂理に触れ、感謝の祈りに導かれるに違いない。


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posted by 優子 at 14:33| 引用文 | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

『種を蒔く』4号よりC −それでも希望を失わず ―東日本大震災6年目に思うこと―−  

それでも希望を失わず

     ―東日本大震災6年目に思うこと―         

      藤本 優子


「イェッしゃま(イエスさま)、きのうじしんがおこりました。もうおきないようにしてください。かじになって、いえもたおれて、みんな、ながれていきました。たすけてください」。

当時3歳9ヶ月だった孫は、東日本大震災後しばらくのあいだ同じ祈りを捧げていた。あれから6年過ぎて絶望感は深まるばかりである。原発事故で破局的事態になっても、為政者たちは方向転換せずに原発を再稼働させた。彼らはもう一度経験しないとわからないのだろうか。

015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチは、昨年11月末に福島県を視察して言った。「チェルノブイリと同じく、国は人の命に全責任を負わない」と。

しかし、日本は旧ソ連よりももっと冷酷で恐ろしい。当初チェルノブイリでは、住むことも生産することも禁止されていた(年間)5ミリシーベルト以上の汚染レベルに、日本政府は百万人規模の住民を居住させており、国民の命を最優先しない。

あの時、政府は真実を隠し、「直ちに健康被害が出ることはない」と当時の内閣官房長官・枝野氏は録音テープのように繰り返した。一体いつの時代の知識であのようなことを言ったのであろうか。この時から始まった政府への不信感は募るばかりで、6年経った今も混迷を深め続けている。

農業や漁業に従事する人々の努力にも関わらず福島産の需要は伸びないというが、これは風評被害ではなく放射能なのだ。もっと正確に言えば、「政府の言論統制と嘘による知られざる核戦争」であると物理学者・矢ヶ崎克馬氏が訴えている。

この非常事態ゆえに、今からでも政府は方向転換して、人権を第一にして再建していくべきだ。私たちは何を第一とすべきか、全ての人に価値観が問われているのである。

放射能汚染時代にあっては自分さえよければよい、自分の家族さえ安全な食ベ物ならばよいということはあり得ない。平和や異常気象の問題もそうだ。全てが世界的規模で関連しているのであり、ブルンナーが言うとおり、今や「安全な場所などどこにもなく、私たちは隠れ場のない野原の中を行くように、どんなことが起ころうとも、それに身をさらさねばならない」時代である。

また、アレクシエービッチが、「日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がない」と言ったことも心に刺さった。私自身の中にも同じものがあると常々感じているからだ。

例えば原発再稼働や改憲に多くの人々が反対の声を上げ、私も小さい声ながら反対を叫び署名を集めつつも、傲慢で権力をふるう政治家たちを見ていると、「反対してもしょうがない」と何度も諦めそうになり、そんな自分を嫌悪することしきりだった。

被災者たちが世界の人々に感銘を与えた規律正しさや辛抱強さは、日本人の誇るべきことだ。しかしまた、私たちはあまりにも主体性に欠けてはいないだろうか。

然界も傷み続けている。ミサイルが落ちた海の中も大きく破壊されていることを思うと我慢ならない。空の鳥や海の生物は苦痛を訴えることもできずに苦しみ死んでいく。世界は深い闇に覆われ、視界ゼロメートルの常態になってしまった。

私は年を取れば取るほど自分のどうしようもない弱さや人間の罪深さがわかるようになった。それゆえに誰に祈ればよいかを知らされていることがありがたくて、そのことの感謝から祈り始めるようになった。

万物を創り全てを支配されているまことの神を知り、そのお方と交わる術を与えられて、日々刻々感謝し、また悔い改めることができるとは何たる恵みであろう。

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせてくださった」。

(ペテロの第1の手紙1章3節)


これこそがイースターの使信であり、私はこの言葉を心から神の応答として受け止めることができるようになった。これはこんな時代でも生きていけるように、神さまが全ての人々に与えてくださっている希望である。だから絶望しそうになっても絶望しない。

あの悲惨な被災地で、多くの被災者がイエス・キリストへの信仰を持ち、受洗の恵みに与られていることが報告されている。どうか一人でも多くの人が復活のキリストに希望をつないで生きていくことができますように。

春の風はやさしく肌を撫で、小鳥のさえずりが心を癒す。花々や小さな生き物たち、そして、子どもたちの未来を奪ってはならない。
posted by 優子 at 11:53| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

家の教会2017㉘ −サウル王の弱さ−

2017年7月30日(日) (2017第28回 家の教会)

IMG_6744.jpg9時20分〜10時15分

出席者 3名(with R &Y)
@ 初めのお祈り   優子
A 主の祈り
B 子どもの讃美歌  10番
        「ことりたちは」
C 聖書輪読     サムエル記
        13章1節〜15節
D お話       優子
E 聖歌       623番「いつかは知らねど」
F お祈り      一人ずつ

サムエル記13章1節〜15節:

13:1 サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた。

13:2 さてサウルはイスラエルびと三千を選んだ。二千はサウルと共にミクマシ、およびベテルの山地におり、一千はヨナタンと共にベニヤミンのギベアにいた。サウルはその他の民を、おのおの、その天幕に帰らせた。

13:3 ヨナタンは、ゲバにあるペリシテびとの守備兵を敗った。ペリシテびとはそのことを聞いた。そこで、サウルは国中に、あまねく角笛を吹きならして言わせた、「ヘブルびとよ、聞け」。

13:4 イスラエルの人は皆、サウルがペリシテびとの守備兵を敗ったこと、そしてイスラエルがペリシテびとに憎まれるようになったことを聞いた。こうして民は召されて、ギルガルのサウルのもとに集まった。

13:5 ペリシテびとはイスラエルと戦うために集まった。戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。彼らは上ってきて、ベテアベンの東のミクマシに陣を張った。

13:6 イスラエルびとは、ひどく圧迫され、味方が危くなったのを見て、ほら穴に、縦穴に、岩に、墓に、ため池に身を隠した。

13:7 また、あるヘブルびとはヨルダンを渡って、ガドとギレアデの地へ行った。しかしサウルはなおギルガルにいて、民はみな、ふるえながら彼に従った。

13:8 サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。

13:9 そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。こうして彼は燔祭をささげた。

13:10 その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた。サウルはあいさつをしようと、彼を迎えに出た。

13:11 その時サムエルは言った、「あなたは何をしたのですか」。サウルは言った、「民はわたしを離れて散って行き、あなたは定まった日のうちにこられないのに、ペリシテびとがミクマシに集まったのを見たので、

13:12 わたしは、ペリシテびとが今にも、ギルガルに下ってきて、わたしを襲うかも知れないのに、わたしはまだ主の恵みを求めることをしていないと思い、やむを得ず燔祭をささげました」。

13:13 サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。

13:14 しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。

13:15 こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギベアに上っていった。サウルは共にいる民を数えてみたが、おおよそ六百人あった。

お話:

今日はイスラエル王国の最初の王だったサウルについて考えたいと思います。紀元前10世紀といいますから、今から3000年前のお話です。サウルはベニヤミン族の出身で、背が高く美しい若者でした。神さまがサウルをイスラエルの王に立てたのはサウルが30歳の時でした。


僅かな武器しか持っていないイスラエル兵は、強い軍隊と武器を持っているペリシテ人と戦わねばなりません。サウルは3000人の兵を集めて戦いますが、サムエルに7日間待つように言われていたのに最後まで待つことができなかったのです。



ペリシテ人との戦いではイスラエルの民が勝ち目のないことを悟り、兵が次々と逃げていき、サムエルの到着が遅れ、いよいよ八方塞がりになり、怖くなって窮地に追い込まれてしまったサウルの心境は私たちにもよく分かります。 


でもこの時にこそ、神さまへの信仰を働かせねばならなかったのです。私は今もまた自らに言い聞かせる思いで話しています。希望が感じられなくなった時こそ、その人の信仰が本物であるかどうか試される時であり、信仰を奮い立たせる時なのです。


神さまは私たちの思いと願いを超えて、常に最善に成さるということを本当に知っていて信じているのであれば祈って待てたのです。


サウルはなぜ待つことができなかったのでしょうか。サムエルの言葉が信じられなかったからです。サウルは不安と恐怖にたまりかねて、そして、民や兵の心をつなぎとめようとの思いから、自分の考えで自分の力で打開しようしたのです。そのことをサムエルが「愚かなことをした」と言ったのです。


神を恐れず人の気持ちを恐れたのです。「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである」(箴言29章25節)のとおりです。


最後の一人になってしまっても、いえ、だからこそ神の言葉を信じて待たねばならなかったのです。「もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。」と、それがイスラエルの王であるサウルに求められていたことだったのです。


サムエルがサウルに王として選ばれていることを告げたとき、サウルは「わたしはイスラエルのうちの最も小さい部族のベニヤミンびとであって、わたしの一族はまたベニヤミンのどの一族よりも卑しいものではありませんか。どうしてあなたは、そのようなことをわたしに言われるのですか。」(9章21節)と謙虚な人でした。


ところが王になって最初のアモン人との戦いでの大勝利が躓きとなり、自分の力量によるものと己惚れて高慢になってしまいました。この変化は誰にも起こり得る人間の弱さであるゆえに、笑うに笑えないお互いの姿ですからよく理解して心に留めておかねばなりません。


余談になりますが昨今の政治界の出来事は、自分もまた同じ立場になれば犯しうる過ちであるのだろうなぁと自らを見つめながら見ていますが、延々と続く「言った言わない」状態では誰が嘘を言っているか断言することはできないとの思いを持ちながらも、人はどこまでも嘘をつき続けることができるのだなぁと人間の実相を興味深く見つめています。

彼らはどこまでも問題を複雑にするばかりです。もっと最悪はあるのです。今からでも、今こそ心を正して真実を語ることです。そのような人を神さまは赦し道を拓いて行ってくださるでしょう。


彼らは悔い改めのチャンスがあるのに機会を逃し続け、自分から逃げ続けています。その点、民進党の蓮舫さんは勇敢です。自らの足りなさを認め、何よりも自分を見つめたいとは何と素晴らしく、これからを注目したいと人物だと思いました。


さて、サウル王は自分の考えや感情で事をなしていったために神さまに見捨てられ、それ以後は何をしても祝福されませんでした。そのような時にこそ自分自身を見つめ直さなくてはいけないのに、その怒りをダビデに向けたのです。


そんなサウルにも神さまは悔改める機会を2度も備えてくださいました。しかし、相変わらず気がつかず、自分を変えることなく人生を終えました。王として在任したのは僅か2年間でした。


時には「あなたはわたしよりも正しい。わたしがあなたに悪を報いたのに、あなたはわたしに善を報いる。きょう、あなたはいかに良くわたしをあつかったか・・・」(24章)とか、「わたしは罪を犯した。わが子ダビデよ、帰ってきてください。・・・わたしは愚かなことをして、非常なまちがいをした。」(26章)と言うのですが、後悔はしても悔改めることはありませんでした。


口先だけの言葉にさえ聞こえますが、サウルの本心だったのだと思います。要は後悔と悔い改めるということは全く違い、神の導きがなくては悔い改めることはできないということであり、そしてまた私たちも同様に軽薄になってはいないかと自らを鋭く振り返らされました。


サウルやイエスさまを裏切り銀貨30枚で売ったユダの人生でさえ、神さまの御手の中にありました。ましてやユダはサウルが知らなかった神さまの「新しい約束」をも知っていました。


ユダはイエスさまと共に居たので何度も奇跡を見、教えを聴いていました。あとで後悔して銀貨を返しましたが、首を吊って死んでしまいました。そうではなくて、その時にこそ悔い改めることができたらよかったのです!


ユダの最期から遠藤周作の『悲しみの歌』と『海と毒薬』の主人公・勝呂のことを想起します。勝呂は戦時中に米軍捕虜の生体実験をした後ろめたさを感じ、戦後、戦犯の刑を終えてから人知れずに善良な開業医として生きましたが、最後は自ら首を吊って果てました。


悔い改めずして善行を積んでも罪から解放されることはないのです。そのままでは永遠の滅びであり天国へは行けないのです。それゆえに遠藤は死なせたのです。


私たちもサウルのように口先だけの後悔で終わってはいないでしょうか。日々神さまに探っていただいて悔い改めさせてくださいますように切に願います。


神さまは常に私たち誰にも悔い改めの機会を与えてくださっているのですから、悔い改めを拒んではなりません。多くの人がしているように先送りばかりしていると、多くの人のように命の終わりに間に合わなくなって悔い改めないまま死んでしまいます。


サウルの弱さは私たちの弱さゆえに今朝もう一度心に刻みたいと思います。私は今朝もう一度神さまのメッセージをしっかり受け取ります。


それは、どんなに心細くても、いつまでたっても希望が見えなくても、失望しないで神さまを信じ続けること。御心に叶う祈りであれば必ず成就してくださることを信じることをです。


もしも自分の罪に気がついているのに悔い改めの機会を逃していると、政治界の一部の人々のように、そのうち自分の罪に気づかなくなってしまいます。朝に夕に神さまとの交わりの時を大切にしようと思いました


附記:
15章には4回も「悔いた」と訳されている動詞があり、その「原語は『ナーハム』נָחַםで、本来は『慰める』という意味」の動詞を「悔いた、悔まれた」という意味で使われており、「神が『悔やまれた』とは異常なことである」との解説を読んで腑に落ちた一件があった。

「期待していたことが裏切られたという思いが全面に表されています。同じ動詞で『慰める』と訳される場合は、期待していた以上に力づけられたり、励まされたりした場合の表明です。『慰める』のも『悔やまれる』のも同じ感情の裏表ということがてきます」。
これはヘブル語に詳しくヘブル的視点で聖書を読んでおられる銘形(めいがた)秀則牧師(空知太栄光キリスト教会)の『牧師の書斎』より引用させていただきましたが、某牧師の驚くべき誤釈を思い起こさせました。

ノアの洪水、創世記6章6〜7節の「主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、『わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる』と言われた。」を例に出して、「神は間違いをおかす」と無知蒙昧なことを説教として語った牧師(?)のことです。

このことを当人にお伝えすべきかどうかは未だ保留にしていますが、一度お目にかかるべきかどうかも自らを整えられながら祈って導きを待っているところです。

ヘブライズムの視点で読み解いてくださっていた東道男牧師が召天されてのち、銘形秀則牧師と出会えたことも不思議でなりません。求める者を決して捨て置かれない神の御手を感じずにはいられません。

「ヘブライズムは、神の視点からものごとを考えることです。つまり、神本位の思想です。人間中心的な視点を持つヘレニズムでは理解できないことが多々あると思います。主の祝福がありますように」。

銘形牧師より、ブログへの転載についても「どうぞ自由に転載してください。」と、6月初めにお許しをいただいています。

なお、話の中で触れた遠藤周作の『海と毒薬』『悲しみの歌』は、下記で取り上げていますので字の上をクリックしてください。
バッタの赤ちゃん.jpg
         この時期はバッタの赤ちゃんがいっぱい!
葉っぱをさわるとパラパラと音がしてあちこちでバッタが跳ねる。
ここにも4匹いる。大きさは1p〜1.5p。
礼拝のあとまもなく、ユキはおじいさんと京セラドーム大阪(試合は楽天vsオリックス)へ出かけた。

posted by 優子 at 12:30| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

家の教会2017㉗ −幸いな人たち(山上の垂訓)−

2017年7月23日(日) (2017第27回 家の教会)

IMG_6649.jpg9時30分〜10時00分
出席者 4名
@ 初めのお祈り  優子
A 子どもの讃美歌  
19番
「天にいますわたしたちの父」
B 聖書輪読    
マタイによる福音書 
5章1節〜12節
C お話       優子
D お祈り      優子
E 讃美歌      354番「かいぬし我が主よ」
F 後奏       知子
マタイによる福音書 5章1節〜12節:
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。

5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、
さいわいである、
天国は彼らのものである。

5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

お話:

最初に今輪読した箇所に入る前の4章の終わりのところを読みます。

4:23 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

4:24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。

4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。

山上の垂訓 .jpgそして5章に入るわけですが、5章から7章は「山上の説教」と呼ばれている有名なイエスさまの教えです。真の幸福とはこの世的な人間的価値観の「幸福」とは対極にあり、神の視点で解かれています。

先ほど輪読した1節から12節に書いてあるのは「私たちの心の在り方」で、5章13節から48節は「対人関係としての新しい律法」を、6章1節から18節には「宗教生活」を、6章19節から34節には「経済生活」について、そして7章には「雑多の問題」について教えておられます。

「心の貧しい人たち」とは、新約聖書の原典であるギリシャ語を直訳すると「霊において貧しい人々」という意味ということですから、神との関係において貧しいということです。

即ち、「心が狭い」とか「卑しい」というようなものではなく、自分の正しさや能力でしようとしないで神に依り頼んで生きる人のことです。神さまからその時々に必要な心の糧を与えていただいて生きている謙虚な人のことです。

「天国」とは死んでから行くところではなく、神が支配されている「神の御国」の意味です。従いまして神の教えに従って生きる人には地上で生かされている時から天の国に在るのです。

「悲しんでいる人たち」とは、生老病死はもとより人生途上で経験する不条理な悲しみ、また自己と対峙し自己洞察できる人間のみが知る自己の罪を知り、それらの悲しみを悲しむ人のことです。

この世(世界)で成功者になろうとするならば、他者を押しのけてでも先を行かねばなりません。弱肉強食の世界を勝者として生き抜くには、他者を排除し圧力をかけ、策を弄し神経をすり減らしての日々を生きていかねばなりません。

彼らはこの世の権力や富を誇り、力で支配しようとする者たちであり、その対極にあるのが「柔和な人」と言えるかと思います。少なくとも柔和な人は成功者にはなれないでしょう。しかし神さまは「彼らは地を受け継ぐ」と、最後に勝利を与えてくださるのです。

「義に飢え渇わいている人」とは、神の前に正しく生きたいと励んでいる人のことです。しかしながら、この世は不正や欺瞞などあらゆる悪があふれています。

日本の故事に「清濁併せ呑む」という言葉がありますが、これは善でも悪でも分け隔てなく受け入れることが度量の大きいことであり、それを「良し」とする考え方を比喩したものです。

では私たちはいかに生きるべきでしょうか。正義の基準を曲げることはしません。しかし、理解し合えそうにないとわかったら、必要以上の争いをしないように聡明に境界線を引くのが幸いです。

「憐れみ」とは「他者への同情の念。人間に対する神の真実な愛の感情」の意味です。人は自分の蒔いたものを刈りとります。悪意の人にも悪を返さないで憐み深くありたいと思います。

「未来の報いを信じて相手から報いを求めない高尚な心で生きる。しかし、『正当なる報いは神必ずこれを与え給うのであって、人はまた当然にこれを期待することができる』とある」からです。

 「心の清い人たち」とは心の純粋な人のことです。自己中心に陥りやすい私たちお互いは、行為に先立つ動機に不純なものが混じっていないかと常に吟味すべきと思います。心が平安であるかどうかで示してくださいます。

年を取ると「平和」という言葉の重さをしみじみ考えさせられます。自己の立場を少しでも主張すれば衝突します。私たちの生活においても国家間においても同じで、主張し合うならば共に破滅するしかないのです。

「平和をつくり出す人たち」とは、平和な関係を作ろうと励む人のことです。「人類みな兄弟」と、私の知らない人、どこか遠くの誰かを愛したりゆるすのは容易なことですが、職場の人、あるいは近所の人や親族だったらどうでしょう。

自分を害する日々関わる困った人をゆるすのは至難です。しかし、私たちは平和を作り出していかなければならないのです。

神さまは常に正しく評価してくださることを思い出して一線を画するのです。神の心を自分の心とする時、自己主張や自己弁護から解放され神に委ねることができるのです。

「義のために迫害されてきた人たち」とは、神の正義を求めたために悪く言われたり攻撃されたりすることです。これまで数え切れない多くの人々が迫害を受け殉教しましたが、天国において大いなる報いがあるのです。

正しく生きようとする人々が受ける「迫害は一時であって天国は永遠」であり、「義のために責められるものの幸福はこの点に有している」と黒崎幸吉は語っています。

最後に文語訳聖書では、全て「幸いなるかな」で始まっており、この翻訳の方が原文に近いといいます。

神が天から「幸いなるかな」と呼び掛けてくださっています。これこそが地上のどんな災害や苦難からも決して奪い取られることのない幸いなのです!

「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。 
幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。 
幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。 
幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。 
幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。 
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。 
幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。 
幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり」。


IMG_6655.jpgユキは来る日も来る日も朝から蝉を追いかけている。今年からおじいさんが居なくても、一人で飽きずに遊んでいる。
今日は礼拝の後、ユキと二人で蝉とりに出かけた。珍しく曇っていたので暑くなかったが、帰宅したらすぐにシャワーでさっぱりしないではいられなかった。IMG_6657.jpgこの木には10個以上の抜け殻があった。自然の神秘!

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この穴は何だろうと思っていたら
蝉が出てきたあとだと教えてくれた。

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捕まえてはしばらくして逃がしてやる優しいユキ。
「ありがとう、ユキちゃん!」って
蝉は元気に飛んで行った。

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私にも何度も捕らせてくれた。
ニイニイゼミとクマゼミを捕ったよ!
2015年3月の右肩腱板断裂の痛みも殆ど感じない。
感謝!

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数年ぶりにお目にかかったMさんは、
ユキを一目見て思い出してくださった。
「私はわからなかった」とお連れ合い。
お連れ合いは腰を破裂骨折して入院されていたという。
「大きくなったねー」「大きくなったねー」
何度も驚いてくださった。
これからはお健やかな日々でありますように。

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「あっ、結婚してる! 早く帰ろ!」
クマゼミの雌を捕り、そこへ雄を入れたら
ひっついていた。

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「オスが産卵を促している」とユキ。
(ほんまかいな)
「難しい言葉を知っているんやね」。
このあとしばらくするといなくなっていた。


posted by 優子 at 16:27| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

証し人・日野原重明さんの生涯

IMG_6580.jpg「彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
(ヨハネ黙示録
     14章13節)

7月18日、日野原重明さんがとうとう神のみもとに帰られた。105歳だった。
日本の医学界に多大なる貢献され、全ての領域に計り知れぬ影響を及ぼされたご生涯であった。

メディアでは日野原さんが生涯現役であったことや、延命や緩和医療について、またいかにして長寿にあやかるかなどの視点で取り上げられているばかりで、日野原さんを生かした根幹に全く触れていないのは残念だ。

ただ立派な人物だったと言うだけではなく、何がそのような生き方を可能にさせたのかという内実を知りたいというアプローチがない。そこに私は人間の本質に目を向けない日本人の在り方が如実に表れていると感じる。

視線をそらすというのではなく、関心がないから気づいていないのか。いや、気づいているからこそ無意識の内に本能的にそらしてしまうのか。
日野原さんはクリスチャンの両親(父は牧師)に育てられ、父の影響を受けて7歳で洗礼を受けた。

私が日野原さんの本を初めて読んだのは1988年4月(『人生の四季に生きる』)、今から29年前、36歳の時だった。

30代と言えば地に足つけて社会的な経験も重ねながら人格形成が完了される年代である。私はなかなか実践が伴わない者であるが、考え方において大きな影響を与えられた一人である。

以来、日野原さんの本も数多く読みながら、自らの老年期を待たずして神さまが「老い」と「死」について考え始めさせてくださったことを感謝してい

そのことは即ち、それまで以上に真剣に人生の意味を考え始めたということであり、クリスチャンの生涯に入れられてまもなくの時であり、一字一句すべて精神の髄にまで浸透していった。

それでもやはり30〜40代の頃は、テレビでそれらの特集を観ていてもまだまだ先のことと思っていたことが、今になってよくわかる。

そのうち母が難病を負い、弱って行く母を看ながら母の死について考えるようになり、母の「より良き死」を願って多くの書物を読み漁った時期でもあった。続いて病床についた父のためにも。

自分の精いっぱいのことをしたが、母と父の死はどんなに大きな悲嘆と喪失感を与えたか。そしてその悲しみを通して(悲しみのあとに)神と人間的な出会いを得た。

63歳を過ぎた頃から体力の衰えを感じ、65歳になってからはより衰えを感じるようになった。老いとは全てを略奪されていくのだというのも予想がつくようになった。死は最後の闘いなのだ。

正直のところ体力を失って来た頃からそういったテーマには目をそらしている自分がいた。しかしこのたびは逃げずに観ていたが、間違いなく自らの死を思いながら観ていた。

最愛の両親のことでさえ「死」は人ごとだったのかもしれない。それでも間違いなくあの時の学びや経験は、自らの本番にいたる過程で役立つと思っている。

キリスト信仰にとって教義や神学も大切であるが、それらに傾倒するのではなく、神との密なる出会い、神との親しい交わりの経験こそが決定的に大切なことであるとしみじみ思うようになった

信仰を与えられていても人間は弱い。実に弱い。最期まで強くなることはない。しかし、それを恥じるのは傲慢でさえある。なぜならば自分の弱さを認めることができるからこそ神との出会いを可能にし、苦悩する魂をイエスご自身に接ぎ木されたのであるから。

それでも体調がすぐれない時や、悩みに激しく悶えるときは意欲や気力が落ち、その時は自己嫌悪し最も辛い耐え難い苦痛である。しかしそれこそが生きるということなのだ。

自らの弱さを認め、それでもなおひたすら虚心(素直な心)を求めることこそが真の信仰であり、それはどんな時も神の恩寵を信頼し感謝して生きているという証しにほかならない

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日野原さんが多大なる影響を受けたウィリアム・オスラーの『平静の心』は1997年1月に購入し、私はオスラーから人間学を学んだ。

「必ずしも祝福が得られるとは限らない。敗北に終わる闘いもあり、諸君の中にはそのような苦しい闘いに耐えねばならない者も出るだろう。その時までに、不幸にめげない明るい平静の心(cheerful equanimity)を身につけておくことが望ましい」。

拙文「医師よ 驕るなかれ」(1993年4月、41歳)は、オスラーやトゥルニエに感銘した発露である。http://yukochappy.seesaa.net/article/16086310.html

IMG_6555.jpg梅雨明けした昨日、直射日光に耐える朝顔。
あまりにも美しい。








IMG_6565.jpgそして、13時頃に力尽きた。




「草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉は
とこしえに変ることはない」。
    (イザヤ書40章8節)

日野原重明さんが蒔かれた数え切れない種は、これから芽を出して実を結んでいくことであろう。


附記:軽い熱中症か、16日からしんどくて寝込んでいた。夜は涼しくて扇風機もいらず今朝は肌寒かったほど。昼も夜も眠ってばかりいた。

posted by 優子 at 16:47| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

5日遅れのバースデーケーキ

「ユキ、10歳のお誕生日おめでとう!」
ろうそくが10本になったね。
IMG_6469.jpg一昨日の朝、「ブルンナーの会」のケーキを買った時にバースデーケーキを予約して、昨日みんなでBirthday Cakeをいただいた。

私と良輔は土曜日のに続いて昨日も「今度は6月だったマチのお誕生日」「と、少し早くフーのお誕生日もかねて、またケーキ」と、私はユキの言葉についだ。

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担任のN先生から素敵なバースデーカード!
                  
IMG_6453.jpg知子とユキの旅行中に届いたスケートボードを昨日の朝早くから乗っていた。
これは私たち祖父母からのプレゼント。

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14〜15日、ユキと知子は小豆島へ行っていた。最高に美しい所だったとユキも感激していた。

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土庄(とのしょう)港 「太陽の贈り物」

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話題の「エンジェルロード」(天使の散歩道)

エンジェルロード.jpg潮の満ち干きで道が現れたり消えたりする人気の観光スポットだが、この時は途中まで。

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『24の瞳』の「岬の分教場」前の海

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国の有形文化財「マルキン醤油記念館」
合掌造りとしては最大規模の建物

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天然醸造蔵 「麹も見たよ!」と感激の知子とユキ

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オリーブ畑

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オリーブの葉
先がハート形になっているのは奇形らしいが
あの短時間にこんなに見つけたのはすごいそうだ。

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日本のオリーブの発祥地にだけあるオリーブ色のポスト

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穏やかな瀬戸内海の風景

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DSC06543.jpg DSC06542.jpg 

10歳の旅路が始まった。
ユキの生涯が幸せでありますように!

posted by 優子 at 11:36| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

家の教会2017㉖ −失望せずに祈れ(やもめと裁判官)―

IMG_6459.jpg2017年7月16日(日) 
     (2017第26回 家の教会)
8時〜8時30分
出席者 2名(With R)
@ 聖書輪読   
   ルカによる福音書 
                     18章1節〜8節
                     11章5節〜13節
A お話     優子
B お祈り    一人ずつ

ルカによる福音書 18章1節〜8節:
18:1 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
18:3 ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。
18:4 彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
18:6 そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。
18:7 まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。
18:8 あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

お話:
今朝の主題は「祈り」であり「失望しないで祈れ」です。
「神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官」とは、一言で言えば「不正な裁判官」で、お金持ちや社会的地位のある人のためには喜んで裁判するけれど、ここに出て来る「やもめ」のように貧しく立場の弱い人のためには何もしない裁判官のことです。

そんな裁判人がようやく裁判してやろうという気持ちになったのは、「これではいけない」と反省したからでも、正義感や義務感からではなく、お金のためでもありませんでした。やもめの女性がしつこくて面倒をかけるからでした。

この譬えを話されたイエスさまが、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。」 と肯定的に言われ、「まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。」と、神さまを不正な裁判官と重ねて見ておられるのは少々驚きですね。

しかし、このお話の要点は1節の「失望せずに」というところです。新共同訳聖書では「気を落とさずに」と訳されています。

私たちも「危険から守ってください」とか、「健康を支えてください」と祈りますが、私たちの祈りは人間的な幸せを求めるのではありません。何よりも神の最善が成るようにと神の導きを願います。

しかしながら長いあいだ祈りつつ主に在って励み続けても、あまりにも状況が変わらない時は気を落としてしまうことがあります。時には形式的な祈りになり、気持ちが入らない時もありますね。

それでもやはり神さまを無視して生きることができず、私たちが祈り続けるのは全てのことを神が支配されていることを信じているからです

現実世界は「神を恐れず人を人とも思わないような」悪の力が支配しているのですが、気を落とさずに絶えず祈ることが大切なのです。そして祈りながら自らの内面が変えられていくのです。

こんな悪い裁判官でさえ、やもめがうるさいからと裁判したのです。「まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。神はすみやかにさばいてくださるであろう。と主イエスは言われるのです。

「人の子が来るとき」とは神が裁いてくださり神の国が成就される時です。だからその時まで悪が支配する世の中にあっても失望しないで絶えず祈り続けなさいと教えられたのです。その模範がこのやもめの姿なのです

この内容は「友にパンを3つ貸してください」という話を思い出させます。聖書を読んだことのない人でも耳にしたことがある「求めよ、さらば与えられん」という有名な箇所です。

ルカによる福音書:11章5節〜13節を読んでみます。

11:5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
11:6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
11:7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
11:8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう
11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであ
ろう
11:10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである
11:11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
11:12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。

「求めよ! 捜せ! 門を叩け!」と、ますます熱心に諦めないで求め続けること、神に祈り求めることがいかに大切であるかということです。

私たちは失望してしまいそうな悩み苦しむ現実の中に在っても、いえ、そのような時だからこそ、神さまは時々ご自身の存在をチラッと見せてくださいます。

例えば拙著『メメントドミニ』最近の記事では、もう10年も前のことですが井置牧師との不思議な出会いでした。

あるいはまた、国連事務次長の中満泉さんのご家族は、私たちが10年来通わせていただいていた家庭集会でご一緒だった方の娘さんであり、泉さんが良き働きをされていることを、神のご支配を垣間見せてくださるのです。

それらのことを通して「わたし(主イエス)だ、元気を出しなさい」と励ましてくださり、気を落とさずに絶えず祈る者に示してくださるのです。

私たちは弱いですから気持ちが沈みもします。だからこそ互いに人生や経験を分かち合える家族や友との交わりは本当に大切なのです。

昨日は「ブルンナー読書会」を通して下村さんと実に良き交わりの時をもちました。まさに地上のオアシスでした。

インターネット時代になって私たちはますます忙しくなってしまいましたが、「忙」の字が示すように忙しくしていると心を亡ぼしてしまいます。
しかし、その文明の利器を上手に使って、月に一度メールやスカイプで交信し合うのは非常に大切なことだと気づかされました。

「しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
これについて黒崎幸吉はこう述べています。

「人間の世界における信仰の将来は決して楽観することができない。イエスも常に信仰の前途につき消極的思想を持ち給うた」。

IMG_6460.jpg昨日学んだブルンナーの説教からもこのことを強く感じています。自らの信仰を強めてくださるように祈りたいと思います。
祈りの中で導かれて、まもなく葬儀に参列する良輔に「伝道の書」7章2節のみことばを贈りました。
「悲しみの家にはいるのは、
 宴会の家にはいるのにまさる。
 死はすべての人の終りだからである。
 生きている者は、これを心にとめる」。

今朝は主の御臨在を豊かに感じるひと時でした。神さまが祝してくださったことがわかります。感謝します。

今日のユキのサッカー教室は15時半からですが夕方追記:知子が間違って思い込んでいたとのこと。中学校まで一人で行って、誰も居ないので帰って来ました)、礼拝は無理強いして出席させるものではありません。私はもう家族への気遣いをしずぎないで、「神第一」の生活を選び取っていきたいと思います。
posted by 優子 at 10:22| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

ブルンナー読書会J ―裁きと赦し―

DSC06552.jpg今月の司会役は良輔。最初に讃美歌312番を讃美し、聖書は「詩篇130篇」を拝読、開会の祈りを捧げた。
今日は11章を学び、ブルンナーの『使徒信条講解説教』を読み終えた。(最終章の12章は4月の例会で終えている)

「我は罪の赦しを信ず」。

主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、
主よ、だれが立つことができましょうか。
しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」。
(詩篇30篇3節〜4節)

下線部分は論理的に矛盾しているように見えるが、これがこの章の最大のテーマであり、これをどう説明するかに尽きる。
ブルンナーはこの本の最初に、第2次世界大戦が始まった年であり、今は嵐の時代の始まりであると書き出している。

即ち、ナチス・ドイツの侵略をブルンナーは神の裁きととらえている。唯物的自己中心的に考えるのが近代文明であり文化であり、これに対する神の裁きであるという。

ここでアッシリヤの歴史を見る。イザヤ書10章5節「ああ、アッスリヤはわが怒りのつえ、わが憤りのむちだ。」にあるとおり、神はアッシリアを使ってイスラエルを打ち、歴史の中で強国を道具に使ってイスラエルを裁かれたのである。

フリードリヒ・シラーは「世界史は世界審判である」と言っているが、それは真理の反面であって「神の大審判の序曲に過ぎない」。

「私たちは、例外なく最後に死ぬものであり、神の最後の審判の座に、最後の審判などないとあざ笑っていた不信仰者も、聖書の言っていることを真実であると知っている信仰者も、共に引き出されるということ」。

「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか」。
私たち全ての人に共通な3つのことがある。それは、

@ 死ぬということ。
A 神の裁きの座の前に立つということ。
B この裁きにおいて誰も立つことができないということ。

パウロはロマ書(7章14節〜24節)で、罪の呻き、罪責感の深さを書いている。

「わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。

わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。

そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。わたしの内に、すなわち、わたしの肉(生まれながらの人間、性質)の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。

すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」。

実に私たちは「あまりにも罪人」なのであり、神の裁きには耐えられない。さらに恐るべきことは、「神は私たちの不義に目を留めないで赦してくださる」という慰め、最も厳粛な思想を気軽に飛び越えていく。まるで安全を保つ避雷針のように!

そんな私たちにブルンナーは、「私はキリストを信じている! 罪はすでに赦されている!」と、ハッピー・エンド物語のようになっていないかと、私たちの目を開けと訴える。

「地の塩であるはずのキリスト教会が、すでにこのような厳粛さの喪失によってこれほどまでに腐敗しているならば、(略)神に対する恐れが失われているなら、信仰は味の失った塩のように、何の役にも立た」ない。

今や牧師会でも「贖罪」を話題にする人は極めて稀であるという。贖罪、即ちキリストが私たちの身代わりに十字架につかれたことを何回も何回も心に思い出さないと、避雷針のごとき安価なゆるしになってしまう。

「おかしな避雷針みたいに解釈された許しの楽天主義で満たしたとは、何という誤解を奨励してきたことでしょうか」。それは「神をもたない説教」であり「虚構の慰め」である。

「もし私たちが、自分に対して絶望し、神の裁きに耐えることができないゆえに私たちは何の救いもなく、滅びてしまうのだと思うとき、まさにこのことを信ずることが許されており、そして信じるべきであります」。

私たちは十字架を素通りするのではなく、十字架を通って赦しを受け取るのです。「本当に罪を悲しみそれを誠心誠意で全力をもって拒否するところの真に悔い砕けた心なしには、罪の赦しはない、ということであります」。

「神よ、あなたは私たちをあなたに向けて造られました。私たちの心はあなたのうちに憩うまで安きを得ないのです」。

このアウグスティヌスの告白こそが神の本質である。
私たちは神を信じたら立派な人になるのではない。神の懐(ふところ)の中に安らぐことができる。それが信仰の核である。

「しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」。
この言葉は論理的に考えたらおかしいが、人格的関係として考えたら納得できる。
母と子供の本当の結びつきがあれば、子供は母の好まないことをすることを抑制する。そのように私たちが本当に神と結合されたならば、私たちは神に対する恐れと畏敬と、神の秩序と命令に対する尊敬を持つ。人格的結びつきがなければ真に罪の赦しもない。
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昨夕、日暮れ前の二上山(雄岳)
記載方法がわからず囲みがいくつもになっていますが意味はありません。

次回は、8月12日(土)
テキストは エーミル・ブルンナー著『ブルンナー著作集』 
第7巻「フラウミュンスター説教集T」下村喜八訳(教文館)。
1章「主よ、それは私のことなのですか」。

翻訳者直々のご高説を直接拝聴できるとは、ますます驚くべき恵みである。次回は1年ぶりに帰国する次女夫婦滞在中の読書会である。学びの後に昨年以上にいろんなことを話し合いたい。
不思議な神の御手に感謝して。

DSC06548.jpg今朝の光景。母親のために植えた野菜の世話をする夫。

※ たった今20時20分に知子とユキが帰宅し、その2分後に良輔も帰宅(お得意先の方のお通夜で天王寺へ、明日はお葬式)した。

posted by 優子 at 20:23| ブルンナー読書会 | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

森鷗外 『鎚一下』 −日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロック例会−

IMG_6369.jpg明日でJCPの6月例会が終わって1か月になる。書記を仰せつかってから10年ほどになるが、これまでどんなに遅くなっても1週間以内に報告書を作成していたのに、このたびは今頃になってようやく先月の「学び」を復習することになった。

というのは例会の1週間後に東牧師が召天されたことや、井置利男牧師に恵贈していただいた本を読んでいたので、学びの内容を省略した報告書を作成して提出していたが、ようやく今、森鷗外の『鎚一下』を資料共に読み直したところである。

私はこれまで『鎚一下』(ついいっか)という作品名さえ知らなかったが、講演の冒頭で大田正紀先生が語られたことが興味を感じさせる導入となった。

「森鷗外は日本の中ではキリスト教会から一番遠い人だと聞いていたが変わってきた。
鷗外の三男の類(るい)は受洗していないがクリスチャンとして認めてはいいのではないか。杏奴(あんぬ:後妻・志げの間に生まれた次女)はカトリックの洗礼を受けている。

鴎外が晩年にキリスト教に近いものを書いた。それが『鎚一下』で、モデルが本間先生という日本人であることと、ヨーロッパで出会ったキリスト教を軸にして書かれた珍しい本である」。

その時代背景は幸徳秋水に代表される大逆事件が起こり、国家権力を握った人間は秩序を少しでも乱そうとする者は全て検挙していき、勝手に人を死刑にし、考えられぬ残虐な汚名を着せられて殺されていった。

『鎚一下』は、鷗外が明治の末年に「かのやうに」「吃逆(しゃっくり)」「藤棚」「鎚一下」の4作の短編を『かのように』にまとめて出版したものであるが、「 鎚一下」は他の3作品と趣が違っている。

鷗外はこの作品で、「無信仰だが宗教の必要性だけは認める」という穏健な思想の持ち主たちのおかげでドイツは治まっているということを、主人公・秀麿の口を通して語っている。

深井智朗は著書『19世紀のドイツ・プロテスタンティズム −ヴィルヘルム帝政期における神学の社会的機能についての研究−』で、「鷗外は今まで誰もが気がつかなかったような視点でキリスト教を見ていたのであり、日本の神学者でも気づいていないことを知っていた人物である」と述べている。

ドイツの強みはとりわけルター派神学(新教神学)、すなわち「リベラル・ナショナリズム」であり「プロテスタンティズムの神学」に基づいているという結論を鴎外は導き出した。

そして日本の世情が非常に不穏になってきた若者たちに、ドイツには政府だけではなく教会もあるのだと、「社会における宗教の役割を肯定できる人が重要なのであり、それが近代人であり、実はそこにこそドイツの強みがある」と訴えている。

鷗外は、近代ドイツの教養ある人々はすでに信仰は失っているが、制度としての宗教が政治的な役割を果たしているという矛盾も見落としていなかった。

さらに日本においては、果たしてこのような立場は可能かと問題提起し、今から100年以上も前の1912年に小説の手法で論じていたことは驚くべきことだと思った。

以上、貧しい理解力と稚拙なまとめではあるが、これを下知識として『鎚一下』を読んでいただくと鷗外の熱いものを感じていただけると思う。
分かりやすい短編なので是非お読みください!

📖 ブログの書き方がリニューアルされてリンクの埋め込み法がわからないので、ここhttp://books.salterrae.net/tuyuzora/html/OUGAI025.htmlをクリックしてください。

IMG_6373.jpg附記:今朝早く、知子とユキは一泊二日の旅行に出た。かけがえのない我が子とのプレシャスな時を過ごすために。
担任の先生もよく理解してくださり快諾してくださった。今日予定していた算数のテストも、「小数点は得意やから5分でできた!」と昨日一人だけ済ませてきたが「ほんまかいな」😃 
帰宅は明日の夜。
私たちもまた明日はプレシャスな時、『ブルンナー読書会』である。感謝!
posted by 優子 at 08:24| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

国連事務次長の中満 泉さんは谷口家の家庭集会でご一緒だった、あの中満さんだった!

IMG_6367.jpgニューヨーク時間7月7日午前、核兵器の使用や保有を禁ずる核兵器禁止条約が国連交渉会議で採択されたことを、8日のニュースで注目していた。日本政府は5核保有国と共にボイコットしたことも。

最近ではすっかり『クローズアップ現代』を観なくなっていたのだが、昨夜お風呂上りにたまたまつけたテレビ画面に、日本人女性初の国際連合事務次長の中満泉さんインタビューが始まり、興味深く観ていた。

しばらくして「『中満』とは珍しい名前、聞き覚えがある。泉さんという名前も。お母さんと顔もよく似ておられる」と、井置牧師の時と同じく居ても経ってもいられなくなって、番組が半分過ぎた頃に2階にいる夫に尋ねたが全く記憶していなかった。

しかし、あの、中満さんに間違いない
谷口先生の家庭集会でご一緒だった中満さんに違いない!

中満泉さん.jpg私は電話は緊張するので大の苦手だが、そんなこと言っておられない。今すぐにでも谷口先生にお電話したかったが夜も遅いし、今朝9時になるのを待ってお電話した。

やっぱり、そうだった!

今から25年から30年ほども前のことになる。知子と真智子が小学生だった頃だ。泉さんは知子より14〜5歳年上の方だった。

泉さん自身は家庭集会に来られたことはないが、いつも目の見えない90歳になるおばあさまとお母さま、そして妹のMさんと御一緒だった。

1990年代の頃は内戦していた「ボスニア・ヘルツェゴビナに行っていますので祈ってやってください」とお母さまが話されて、共によく祈っていた。
おばあさまも実に気品のある方で、目が見えないということから、私はいつも『アルプスの少女ハイジ』に出て来るペーターのおばあさんと重なってしかたがなかった。

泉さんは少なくとも3代目のクリスチャンである。今は関東に住んでおられる中満さんは、今「泉のこと、祈ってやってください」と谷口先生とのお交わりが続いている。

谷口先生は泉さんのことをこのように言われた。
「神さまの憐みと導きがなければあのようなことはできませんよ。神さまはすごいねえ」。

本当にその通りだ。
神はそれぞれに与えたもうた賜物を、自ら磨きつつ励む者に働かれて用いられるのである。

「あなたが自分の力で成し遂げるようにと求められるものは、何もないことを覚えてください。
どんな小さなものでも、またどれほど大きなものであっても」。

私もまた、昨夜のテレビを観たということ、そして今朝、10年ぶりに谷口家の家庭集会で養われていた信仰をありありと思い出させてくださったこと。それもまた神さまである。神さまのご意思を感じないではいられない。

そう、いつも私が希望を見失いそうになっている危機的情況の時に、今にも崖っぷちから落ちそうになっている最悪な時に、主はこうして私にもわかるように示し立ち上がらせてくださる。

「優子、優子、しっかりしなさい。わたし(イエス・キリスト)だ」と。そして、「何事も一生懸命な優子さんのこと」、谷口先生が仰ったように「神さまはおまえが必要なんだ」と。

泉さんのお子達は毎年夏休みになると(アメリカだから5月頃から?)日本の中学校に留学しておられたとか。だから昨夜のテレビでも、「めっちゃ」とか「〜じゃん」(「じゃん」は関東弁?)という現代日本語も話しておられたんだと微笑ましく納得した。

そして8月に広島と長崎を訪問されるというから、お母さまも娘との再会を楽しみにしておられることだろう。

私は今朝のテレビでトランプ氏親子の発する動画を見て、もはや言葉を失ったあとだっただけに、中満さんのことがわかり、こんな世界であっても神さまは最善を尽くしてくださっていることを伝えて励ましてくださったのである。

失望してはならない。いつも祈るのだ。熱心に祈るのだ。私にとって最善である神さまの時に、必ず与えてくださることを忘れてはならない。私が望んでいた以上のものを!

「わたしたちは、さらに彼(主イエス・キリスト)により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。
            (ローマ人への手紙 5章2節〜5節)

数日前の記事に「私の信仰の母T姉」と書いたのは谷口先生のことである。
今週からクマゼミが鳴き出し、昨日から朝顔が咲いた。チャッピーのいない2度目の夏である。

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posted by 優子 at 11:24| 社会的なこと | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

『自分史 予科練から牧師へ −わが生涯(90年)の証し―』(後編)

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これが私たちがお出会いした頃の井置牧師だ。

2005年(79歳)〜2010年(84歳)の単身赴任の東大阪キリスト教会時代である。このご奉仕を最後に84歳で牧師を引退されて埼玉県のご自宅へ戻られ、再び「日本バプテスト浦和キリスト教会」へ教籍を置かれた。

IMG_6305.jpg御本には私に洗礼を授けてくださった小山恒雄牧師のことにも触れておられ、私は実父のことのように懐かしく胸を熱くして読んだ。小山先生は井置先生より3歳年下で、1929年に福島県会津若松市に誕生され、2008年5月に召天された。
神学校の級先輩お手紙に2級先輩と書いておられるとおり、両者の年譜から2年が正しいに小山恒雄という友人がいた。東北人特有の粘り強さとその真摯な人柄は誰からも尊敬され、成績も優秀な人だった。

卒業後は兵庫県の山奥にある丹波地方の小さな教会に赴任し、苦労していると聞いていたが、その小山先輩が、あるひヒョッコリとぼくを訪ねてきてくれたことがあった。
         (略)

小川に沿って歩きながら、ぼくは教会のこと、牧師のこと、神学校の舎監のことなどを、小山先輩に打ち明けた。まるで溜まりに溜まったものを吐き出すように喋った。

小山さんは、度の強いメガネをときどき指先であげながら、じっとぼくの話を聞きつづけてくれた。そんなぼくたちは、いつしか、先の大戦で戦死した人たちを記念する碑の側に座っていた。

そして、どちらからともなく、2人で讃美して歌った。(讃美歌213番)・・・ぼくのために祈ってくれている小山先輩の声を聞いているうちに、やがて涙も乾き、晩秋の風が心地よかった。

※ 今週からブログの編集方法が大々的にリニューアルされたためにやり方がわからなくて、次の引用詩も二つの囲みになってしまっていますが一連の詩としてお読みください。
いろいろ試行錯誤してもわからなくて現在シーサーサポートさんに問い合わせ、やり取り中です。

キキョウまもなく開く.jpgとても印象的だったのは井置牧師のご家族への情愛だ。
「いとしい妻」に見る夫像、またお子達への詩(下記)に溢れている優しい父親像。円満な家庭をも実現され、子から孫へ、そして2015年には「ヒジジ」になって曾孫さんにも愛を注いでおられる。

「生後25日」 御長女・路(みち)さんへの詩:
路よ/お前に「路」と名付けしは/ゆえなきことにあらず/お前の父と母が/ひたすらに歩んできた/イエスへの路を/お前も歩んでくれることを/ひとえに願いしゆえなり/
路ちゃんの/顔/まあるい顔/路ちゃんの/目/まあるい目/路ちゃんの/口/まあるい口/
親バカの父は/みんなに/笑われても/まあるい/心で/まあるい/路ちゃんを/ニコニコ/だっこしています
路ちゃんが/泣いている/どうしたんだろう/路ちゃんが/くしゃみした/どうしたんだろう/路ちゃんが/ウンチ出ない/どうしたんだろう/わかい父と母は/額を集めては/ただ/オロオロするばかり

「ゆう」ちゃん 御長男・豊さんへの詩:

いつの頃からか/あなたは/「ゆう」ちゃんと/呼んで/「ゆう」ちゃんは/みんなから/「お父さんに似ている」と言われます/そうかも知れません 

もしかしたら/顔だけではなく/性質も/似ているのかもしれません/小心なところや/涙もろいところは/ウリ二つです/だから「ゆう」ちゃんにも/イエスさまへの/信仰が必要なのです

ある日/あなたは/「お父さんはぼくに/牧師になって/ほしかったのでしょう」/と言いました / でも/そんなことはありません

神さまは/それぞれを/良く知っておられて/それぞれが/もっとも活かされる/そんな道を/歩いてくれることを/望んでおられるからです
それに/牧師というのは/神さまからの/「お召し」が必要なのです

2度の聖地旅行ではイランとイラクが交戦状態に入る前だったため、旧約聖書の宝庫であるウルや旧コリントなど多くの遺跡を訪ねておられ、近年の状況を想うと今後も2度と企画されることのない旅行だと思った。何よりも多くの遺跡は破壊されてしまって存在しない。

井置牧師は「この超後期高齢者となったぼくに、どんな奉仕を献げることが出来るだろうか。ただ『お客さま』のように無為に過ごしているだけでは不本意なのである」と、周囲からのご依頼に応えてご奉仕されている。

IMG_6330.jpg不思議なる御手による井置牧師との出会い。
2006年7月の井置牧師からの問い合わせと同年10月の読書交歓会は、翌2007年7月の驚愕すべき憤りと悲しみの出来事に悶える私のために、神さまが打たれた布石であり神の先回りの恩寵であった。

このことは、神を求める人には常に神のまなざしが注がれていることのお証しである。そのことを忘れないで希みをもって最期まで励まねばならないと思う。



posted by 優子 at 17:42| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

ユキは10歳になった!

知子初出勤の朝.jpg2010年9月1日、知子初出勤の朝である。ユキは3歳2ヶ月だった。

この時ユキが泣くのを我慢しているのがわかった。幼児ながら無理を言ってもどうしようもないことをわかっていて、ママを困らせてはいけないと我慢していたのを私は今もよく覚えている。

その日のブログにはこのように書いてあった。

ユキは、「ママ、いつ帰ってくる?」と何度も聞いて、一度は「ママー!ママー!」と窓際で叫んでいた。義母も「(ユキは)どうしている?」と心にとめてくれていた。


ユキは朝食の時も昼食の時も同じように祈っていた。

「イェスしゃま、
 今日はおじいちゃんとママが会社へ行ったでしゅ。
 ユキちゃんはおばあちゃんとお留守番でしゅ。
 この食べ物を感謝しましゅ。
 ママが早く帰ってきますように。
 このお食事を感謝していただきます。
 イェスしゃまのお名前によってお祈りしましゅ。
 アーメン。」

今日は『ごんぎつね』をリクエストされて読んだのだが、母を失ったゴンと死んでしまった母狐が可哀想で、今日もまた途中から涙を流しながら読んでいた。そして、涙を拭いている時に「スースー」聞こえる寝息に気づいた。
午後1時半、ユキはいつものように読み始めて5〜6分で眠ってしまった。

ユキ、ママはもうすぐ帰ってくるよ。ママがひどく疲れてなければいいけれど・・・ね。

IMG_6290.jpgそれから約7年、ユキは今小学4年生。そして今日10歳になった。靴のサイズは22.5センチ、背丈はもうすぐ137センチぐらいか・・・大きくなった。

それでもまだこんなにかわいいズボンをはいている。

「ただいまー!
漢字の50問テスト、ユキは92点やった!
Yちゃんは100点やったから、おばあちゃんに500円もらうんやって! 94点の子も、98点の子も、96点の子もいっぱいいて、76点と78点の子もいっぱいいたわ!」

今日生協さんから届いたばかりのカップのかき氷を食べ、スイカも食べてから宿題をすませて、またしてもすぐに遊びに行ってしまった。
給食もあと2日、今年もまもなく夏休み。子どもは社会も家庭も平和の中でのびのびと成長させてやるのは大人の義務であり、幸せに成長する子どもの権利だ。

    

   「置かれたところで咲く」

        「作者不明」とあるが、ラインホールド・ニーバーの
       "Bloom where God has planted you."が原書。

神が置いてくださったところで咲く
しかたがないと諦めてではなく
「咲く」のです。
「咲く」ということは
自分が幸せに生き
他人も幸せにするということです。

「咲く」ということは
周囲の人々に あなたの笑顔が
私は幸せなのだということを
示して生きるということなのです。

” 神が私をここに置いてくださった
それはすばらしいことであり
ありがたいことだ "
あなたのすべてが
語っていることなのです。

「咲く」ということは
他人の求めに喜んで応じ
自分にとって ありがたくない人にも
決して嫌な顔 退屈気な態度を
見せないで生きるということなのです。

      
2015.6.3お手伝い.jpg難しいなぁ。
特に最後の奨めは時に難しくて、特に今は排除したい気持ちだけれど、これからもそのことを憶えて生きていかないとね。

この写真は初めての掲載、2年前のユキはこんなにかわいかったよ。背伸びしてるよ。


附記:
マチ、今日は電話ありがとう。
ワシントンは真夜中だったのにね。
2人の帰国を楽しみに待っています。
玄米も買っておくね。

posted by 優子 at 17:50| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

家の教会2017㉕ ダビデの告白 −罪の赦しと罪の刈り取り―

IMG_6299.jpg今朝はサッカー教室までに早朝礼拝を捧げ、そのあと、ようやく、初めて、ユキは克己した。
明日の漢字テストに備えて1学期の新漢字を復習。しかし、たった7分間で家庭学習は終わった。


IMG_6273.jpg2017年7月9日(日)
(2017第25回 
家の教会)

7時5分〜7時35分
出席者3名(ユキと良輔) 

@ 初めの祈り  優子
A 聖書輪読   サムエル記下 12章1節〜25節
B お話     優子
C 讃美歌    243番 「ああ主のひとみ」
D お祈り    1人ずつ

サムエル記下 12章1節〜25節:

12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。

12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
12:8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
12:9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
12:10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
12:11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう
12:12 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
12:14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。
12:15 こうしてナタンは家に帰った。

さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。
12:16 ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。
12:17 ダビデの家の長老たちは、彼のかたわらに立って彼を地から起そうとしたが、彼は起きようとはせず、また彼らと一緒に食事をしなかった。
12:18 七日目にその子は死んだ。ダビデの家来たちはその子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。それは彼らが、「見よ、子のなお生きている間に、われわれが彼に語ったのに彼はその言葉を聞きいれなかった。どうして彼にその子の死んだことを告げることができようか。彼は自らを害するかも知れない」と思ったからである。
12:19 しかしダビデは、家来たちが互にささやき合うのを見て、その子の死んだのを悟り、家来たちに言った、「子は死んだのか」。彼らは言った、「死なれました」。
12:20 そこで、ダビデは地から起き上がり、身を洗い、油をぬり、その着物を替えて、主の家にはいって拝した。そののち自分の家に行き、求めて自分のために食物を備えさせて食べた。
12:21 家来たちは彼に言った、「あなたのなさったこの事はなんでしょうか。あなたは子の生きている間はその子のために断食して泣かれました。しかし子が死ぬと、あなたは起きて食事をなさいました」。
12:22 ダビデは言った、「子の生きている間に、わたしが断食して泣いたのは、『主がわたしをあわれんで、この子を生かしてくださるかも知れない』と思ったからです。
12:23 しかし今は死んだので、わたしはどうして断食しなければならないでしょうか。わたしは再び彼をかえらせることができますか。わたしは彼の所に行くでしょうが、彼はわたしの所に帰ってこないでしょう」。

12:24 ダビデは妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデはその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。
12:25 そして預言者ナタンをつかわし、命じてその名をエデデアと呼ばせられた。

お話:

先週は詩篇51篇からダビデの悔い改めについて考え、ナタンにより罪に気づいて悔い改めたダビデに注目しました。ナタンの話はダビデ自身の話であるにもかかわらず、ダビデは全く気づいていませんでした。このところに焦点を当ててもっと考えてみたいと思います。

「罪を放置しておくと、私たちの良心は麻痺していき、やがて悔い改めることさえできなくなっていく」 というのはどういうことなのでしょうか。

社会の出来事に対して正しく批評できるのに自分のことになると全く見えない人がいます。これが私の目下の疑問であり関心事でもありますので、この問題意識をもって聖書に聞きたいと思います。

これについて考えるにあたり、もしも自らを除外しているのであれば滑稽なほど迷妄な愚者であります。
私自身もそうなってはいないだろうかと常に祈りつつ神に探っていただき、祈りの友の言葉に耳を傾けながら吟味しているつもりですが、自己欺瞞に陥りかけた時にはどうか忠告していただきたいと思います。

さて、かつて古代イスラエルは一夫多妻制が許されていましたから、王であるダビデには700人(側女を入れると1000人)もの多くの妻がいたといわれています。そのダビデがバテシバというたった一人の妻しかもたないウリヤからその妻を取り上げたのです。まさにナタンの譬え話はこのことでありました。

最初にそのあたりをもう少し深めたいと思います。
ダビデはナタンの話は自分のことであるとは全く気がついていなくて、「その人は死ぬべきだ」とまで激怒したのです。「実はこれこそが霊的に破たんした者の姿である」と。

ザアカイのところでもお話ししましたように、律法的には4倍の償いをすればよいのであり死刑にまでする必要はないのです。

ところが、ダビデが「死刑だ!」とまで叫びました。この激怒ぶりはダビデは無意識であっても良心の咎めを自分の心の中に持っていた、良心の叫びであると理解できるかもしれません。不可思議なる人間の実相でありましょう。
それはまた自分のことになると全く見えないのに、その自覚もないから恥ずかしくもなく容赦なく他者を責めるのと同じ姿であることがわかります。

そして今朝はその続きを考えてみたいと思います。即ち、悔い改めたあとのダビデのことです。
先週取り上げたサムエル記12章15節は段落の関係で「こうしてナタンは家に帰った」までとしましたが、15節はその言葉の後に、「さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。」と続きます。

その前の13〜14節を読んでみますと、
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。ナタンはダビデに言った、『主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう。』」とあります。

こんなことを言われたら「ええ? どうして?!」と驚かないでしょうか。私は驚くのですね。憐れみ深い神さまなのにどうしてと。

確かに神さまは悔い改める者を即刻即座、そこに居ながらにして赦してくださり、罪については完全に処理してくださって死後も天国に入れてくださいます。

しかし、パウロがガラテヤ人への手紙(6章7節)にも書いているように、「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」と、罪の結果としての刈り取りをしなくてはなりません。

分かりやすく言えば、例えば犯罪を犯した者は刑罰を受けねばならないのと同じです。ただ大きく違っている絶対者である神さまの赦しというのは、罪の痕跡も残さずに完全に忘れてくださるということです。

ダビデはバテシバとウリヤに大きな罪を犯しました。そのことは即ち神の主権を侵したのです。ゆえに「わたしは主に罪をおかしました」と、深く悔い改めたのです。

そしてその後のダビデはバテシバとの結婚生活を大切にしました。しかし、姦淫した時の子は、「さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になっ」て、死んでしまいました。

主が子どもを打たれたから死んでしまったというのですが、その子に何の関わりがあるのかと拘りたくなります。事実若い頃の私は神義論が最大のテーマでした。

しかし、このような深淵なる一切の出来事は神の領域のことであり、詩篇131篇の「及びもつかない大きなことや、奇(くす)しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。」のみことばを受容するに至りました。12年間の苦悩を経てです。
              
子が死んでしまったのはダビデにとっては罪の刈り取りですが、深く悔い改めたダビデは自然体で受け入れることができたのです。これは神の御心であると平安の内に受容できたので断食を解いて一歩を踏み出せたのです。

そんなダビデの罪の刈り取りの中にあっても神さまは善いことをなさるお方です。その次に男の子が生まれました。「主はこれを愛され」て祝福されました。

ダビデはその子を「ソロモン」と名付けました。「ソロモン」という名前の由来は「シャローム(平和)」で、「エデデア」というのは「ソロモン」の別名で「主に愛されている」という意味です。

ソロモンといえば「栄華を誇ったソロモンでさえ」と言われるように、サウル、ダビデに続く古代イスラエル王国の第3代目(在位は紀元前971年 〜 紀元前931年頃)の王になり、イスラエルの最盛期を築いて、エルサレム神殿を築きました。

かつては姦淫の関係だったバテシバとの間に生まれた子どもを、神さまが祝福してくださりダビデの後継者とされたのです。

マタイ伝1章のイエス・キリストの系図の中に、「エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、」(マタイ伝1章6節)と、バテシバの名前があるというのは考えられないことではないでしょうか!

ここに神さまは憐み豊かな方であるということが如実に表れています。ダビデは罪の刈り取り、懲らしめを受けましたが、その中にも神の恵みがあったということを忘れないでいましょう! ダビデの過ちは私たちも犯しうるのです。


先週読みました詩篇51篇5節に、「見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。」とあるのは、ダビデの母がどうのこうの言っているのではなく人間の罪を言っているのです。

神が創造された人間は神の栄光のために生きるはずだったのに、人類最初の人間であったアダムが誘惑に負けて罪を犯したために人間は罪の力に支配され、神から離れて自分勝手に生きるようになってしまいました。これが聖書のいう「罪」です。

罪の刈り取りについては、10節に、「あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう」と預言されたことも実現されていきます。

ダビデはウリヤを剣で殺したから、剣がダビデの家から離れなくなるというのです。事実、ダビデの長子アムノンが三男アブシャロムによって殺され、後にアブシャロムも後に殺されます。

12章11〜12節の、「わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである」という予言も実現します。

ダビデの子アブシャロムが王宮の屋上で、ダビデがエルサレムに残していった側妻(そばめ)10人と全イスラエルの目の前で寝ました。

このように13章以降には、ダビデが犯した罪の影響が自分の息子たちに及んでいくのがに記されています。罪の結果は伴うのです。

「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。(ガラテヤ人への手紙 6章7節)

ダビデは深く悔い改めて再び神の主権の中で生きていきます。真に悔い改めたならば、罪の刈り取りの時も主の平安がある。必ず平安のうちに通らせてくださることを確信します。

私たちもダビデのように罪を指摘されたら素直に神さまに悔い改めたいです。その生き方こそが最高の人生です。

イエスさまは言われました。
「おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう」。
            (ルカによる福音書 12章2〜3節)

腐りきった現政治界にも神の導きを祈るばかりです。
今社会問題になっている彼らの言動を思うと、最大の権力者だったダビデゆえに、ダビデの悔い改めは見上げたものだと思わないではいられません。

16時30分追記:

P_20170709_102049.jpgユキはサッカーのあと昼食を終えて再び外出した。

2時半ごろ遠雷が聞こえ、まもなく土砂降りの雷雨、一時停電もした。ユキは遠雷を聞いていたのにA君といつまでも遊んでいたために、帰り始めた矢先に雷雨になって駅前のお店で雨宿りをさせてもらっていた。


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しばらくしてA君のお父さんが迎えに来てくださり、自転車共に乗せてもらって送ってきてくださった。

そして今、ユキは夢の中。

シャワーでさっぱりしたら眠り始めた。


posted by 優子 at 12:18| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

『自分史 予科練から牧師へ −わが生涯(90年)の証し―』(前編)

IMG_6178.jpg7月1日に井置利男牧師からご恵贈にあずかった『自分史 予科練から牧師へ −わが生涯(90年)の証し―』は、312ページから成る人間味あふれる自分史で、昨2016年のクリスマスに発刊された。私は読みかけている本を中断して一気呵成に拝読した。

表紙画はガリラヤ湖とペトロ召命教会で、「使徒ペトロ(ペテロ)がイエスに声をかけられて弟子となった所と伝えられている。ガリラヤ湖畔に接して建てられた小さな会堂だが、純朴なペトロを偲ばせる教会である」。

今日の午後、食料の買い出しに出かけている時に井置先生からお電話をいただき、知子がしばらくお話し、お写真のブログ掲載許可をお伝えくださった。

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表紙を開いて現在の井置牧師と再会。

IMG_6180.jpg幼少年時代、後期少年時代、そして、1943年〜45年の17歳から19歳の海軍時代と続く。

「地上での作業中に敵グラマンF6戦闘機の機銃掃射をうけ、ハッキリと敵搭乗員の顔を見た」ことや、予科練特攻要因からの挫折と敗戦による魂の流浪時代。

そしてその4年後、仕事帰りに「わたしは日本の捕虜だった」と大きく書かれたキリスト教講演会のポスターに目が留まった。
「1942年4月18日に、東京を始めとする、日本の五大都市を爆撃したアメリカのドウーリットル戦略爆撃隊の一員」と紹介されていた。
井置青年は講師が敵国人だったことに驚き講演会会場へ行かれた。

かつての敵国人は「この戦争が終わったら、自分の抱いていたこの復讐心を、愛の心へと変えていったこの聖書を、日本人たちにも伝えたい」と。

しかし、戦地から復員して3年の井置青年は、「わたしは日本の元海軍パイロットだった。しかし、敗戦となってわたしは生きる意味と目的を見失っています・・・・」と、「自分の課題」を講師の通訳氏に吐き出して喋った。

その後、日本基督教団・西脇教会へ導かれて同年のクリスマスに受洗、翌年元旦礼拝で「献身への召命」を受けるが、クリスチャンになった「おおかたの人たちが経験するように、ぼくは努力すればするほど実行できない自分。・・偽善的な自分の姿に目覚めはじめ」、私たちの家庭集会でお話しくださった苦悶。

「ところが、その主イエスの愛と赦しを伝えるそのお言葉が、自己嫌悪に陥っていた自分にも注がれていることに」気づかれて、「滂沱として流れてくる頬の涙を押さえきれず、教会の祈祷室で書き綴ったのが現在の『ああ主の瞳』の第2節の歌詞だった。

1節と3節はあとで全体の体裁を整えるために書き加えた」。
 
その後、新作讃美歌募集を知り梅田神学生に見せて推敲して応募された。4節は当時の讃美歌学会の第一人者で詩人、作詞や外国の讃美歌翻訳者の由木康氏が書き加えられたものである。

それが1950年11月末のことで、その翌年に神戸の塩屋にある関西聖書神学校に進学されたのである。


IMG_6188.jpg
共に1926年生まれの同年齢のお二人。

「ああ主の瞳」が発表された1952年頃、作曲者・高田早穂美先生は「自分の罪意識に苦しんで、絶望感に襲われていた」時にこの作品に出会って、「ああこれは、わたしの為の詩だ・・・」と深く感動されて作曲されたという。
(讃美歌・243番、新生讃美歌・486番、讃美歌21・197番に収録されている。)

人さまから、「井置さんの”ああ主の瞳”と言われることがある。しかし、この「ああ主の瞳」は、すでに神に献げられた神の所有であって、梅田のものでも、由木のものでも高田のものでもないのである。ましてや井置のものではない。「神さまのもの」である。
だから「井置さんの・・・」と褒められたら、「いいえ、神さまのものです!」と言い切って、一切の栄光を神に帰すべきである。まさに「誇る者は主を誇る」べきなのである。

附記 著書より:
「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」の略称で、太平洋戦争以前に旧日本海軍が戦闘機搭乗員を養成する目的でつくった制度で、志願してきた14歳から17歳までの優秀な少年達を戦場に送り出し、凡そ2万人が戦死し、そのうち特攻隊員として2800余人が散華した。

posted by 優子 at 21:51| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

「ああ主のひとみ」作詞者・井置利男牧師との出会い −私の「信仰の母」T姉のお手紙より―

キキョウ.jpg『種を蒔く』4号をお読みくださった「信仰の母」と敬愛しているT姉がお手紙をくださった。

そのお言葉を通して今までもそうであったように信仰から信仰へと導かれる思いである。


「こんな立派な深い証し集、−(略)−どなたの文章も奥が深く、私には学ばせて頂くことばかりで、まったく感動し、敬服いたしております。

        (略)

久保田先生の『人間味溢るる生涯』に心打たれました。皆さんが『わたしの久保田先生』『わたしの久保田先生』と自然に滲み出た文から、それだけ先生が一人一人の方と誠心誠意、心温かく向きあって下さっていたんだなあと、感うたれましたです」。


そして、久保田先生の愛誦句が「私の霊に響いた」と書いてくださっている。


「わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」。

                 (第2テモテ 4章6節〜7節)


「私も来月(即ち2017年7月)で91歳になります。外なるものは誰でも確実に衰えていきますが、内なる霊はいよいよ、ますます永遠なるものを思慕してやみません。


私も久保田先生のように、自分に与えられた『はせば』を立派に走り抜いて、栄光の聖前(みまえ)に帰らせて頂きたく希ってやみません。ほんとうに『生かされて生きる命』であるとあらためて拝受させて頂きましたです」。


また、

「大田正紀氏の『信仰の継承』は系統立てて奥が深く、その中で『ぼくは子ども達に何を伝えたかときかれたら『聖書に聞き続ける人間でありたい』という姿勢ぐらいしかありません。』と、この謙虚な父親像に心うたれました」。(後略)


今も私たち家族のことを祈ってくださっているT先生は、私の証しを読まれて我が子の成長を喜ぶ母親のように次のように書いてくださっている。


優子さんの「ああ主のひとみ」井置先生との出会いが一番、私の霊に響きましたです。
          (略)
神ご自身でいまし給う救い主イエス様が、ああ、こんなどうしようもない私のような者とでも、いつでも共にいて下さるのだとの貴重な信仰体験、臨在体験、聖霊体験をなされましたこと、ほんとうにほんとうに貴重なことでした。

主キリスト様が優子さんと共にいて下さるのだから、もう大丈夫だと。辛い辛い所を通られましたけれども、知子ちゃんのことも、ぼくのこともお委ねして祈っておればいいのだと私も再出発させて頂きました。(T先生は知子の離婚を最後まで反対された。)

「ああ主のひとみ」 神様が優子さんに見せて下さった愛の証しですが、一番私が恵まれた人だと感涙にむせびましたです。優子さん、ほんとうに有難うございました。

優子さん、貴重な証し文集、密度の濃い貴重な御本をゆっくり拝読させて頂いて、ほんとうに有難うございました。私にとりまして、貴重な再出発の時となりました。

『汝 年進みて老いたれど、とるべき地の残れるもの、はなはだ多し』。(ヨシュア記13章1節)

私も「種を蒔く」で、年寄り面(づら)するな、とイエス様に言われて再出発させて頂きました。ほんとうに有難うございました。

「一番私が恵まれた人だと感涙にむせびましたです」。

私もそこまで深く感じ入りたいのに感じ入ることができないもどかしさ。


実は6月20日の夜9時38分頃だったと思う、この喜びでお電話をかけてきてくださった。私は入浴中で知子がしばらくお話していたが、こんなに遅い電話に驚いたことだった。そして翌21日に手紙を書いて投函してくださった。


IMG_6248.jpg「幸悠」の「幸」は、知子がT先生のお名前(幸子)の一字をいただいて命名したのである。

集合写真を撮る時、T先生は私の手をとって手をつないでくださった。


主よ、どうかT先生の信仰を私たちを通してユキに継承させてくださいますように、これからも多くの方々の助けにより私たちの信仰生涯をお導きください。


特別集会に来てくださったY姉(7月4日掲載写真の前列右から2人目)は昨年(2016年)12月に主のもとに召天されたと記されていた。


もう一度お目にかかりたかった。Y姉もまた敬愛する大好きなおひとりだった。T先生と同じく砕かれた魂の祈りをされ、プログラムにあるように集会でもお二人に祈りを捧げていただいた。

受洗後は牧師の説教と皆さんのお祈りにより(お祈りを聴かせていただくことにおいても)豊かに養われてきた。


Y姉が讃美歌を歌う時はいつも讃美歌を目の前に掲げて歌っておられ、いつもそのお姿を見るのが好きだった。私もまったく同じ姿勢で歌っているのはY姉の影響があるのかもしれない。


そして今ようやく気づかされたのは、一生に1冊の書を書きたいならば、もう一度神の御前で静まって、神さまがこれまでしてきてくださった数え切れない恵みを思い起こして、「一番私が恵まれたと感涙する」ほどに魂を整えられなければ書けるわけがないということだ。


こうして具体的なチャレンジが示され、私もまた今より再出発させていただこう。

2017.7.5 朝.jpg
昨朝の二上山(雄岳)。山がいくつもあるように見える。

当地では大した雨も降らず今朝から晴れているが、福岡県と大分県が記録的な豪雨に見舞われ大雨特別警報が続いており、安否不明が22名に達している。

風と風がぶつかって線状降水帯が現われて強雨をもたらしたという。心が痛む。ただただ祈らせていただくしかない。

                   (つづく)

posted by 優子 at 16:50| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

「ああ主のひとみ」作詞者・井置利男牧師との出会い −家庭集会の記録―

IMG_6258.jpg私は何事も新しいことに着手するのが苦手ゆえに、デジカメを使い始めたのは2009年4月からだったので集合写真は知子に撮ってもらったのみ。

井置牧師をお招きした特別集会のプログラムを今ここに記録しておきたい。


IMG_6262.jpgこれはO姉が作って下さったものである。

12月はクリスチャンにとっては特に多忙な月であり過去ログにも次のように記録している。

「Huさんは前夜も帰宅されてからプログラムの訂正がないかを電話で聞いて下さって、それから印刷にかかって下さった」。

奏楽(知子)と司会者(優子)を入れるのを忘れていた。この右のページには聖句が印刷されている。

IMG_6263.jpg

これが表紙の裏。
IMG_6266.jpg

このほか私は4曲の讃美歌と聖句を印刷し全6ページ。当日、Hu姉がカウンターで表紙に挟んでセットしてくださっていた光景を昨日のことのように思い出す。


そして、千里さんは交わりの時のケーキを焼いてきてくださった。

「ケーキは一口大のオレンジケーキですが12時頃(多忙な千里さんは夜に作って下さった)に焼き上がりましたよ。

お皿を使わなくてもいいように考えて持って行きます。一口なのでフォークもいらないかな。

録音機も忘れないようにしなくっちゃ。主に感謝しつつ。

知子ちゃんとユキ君に会えるのを楽しみにしています」。


今更ながらお二人の存在なくしては成らなかったことであり、神さまが家庭集会「オリーブの会」をこんなにも祝福してくださり、井置牧師のメッセージを直にお聴きできたことは神の御臨在を物語っている。


A5AAA5EAA1BCA5D6A4CEB2F1-af3c0-thumbnail2.jpgこの写真には写っておられないが、愛餐会(昼食)の前に退席されたHa姉(しまい)から今日感謝のお電話をいただいた。


実はお返事がなかったので寝込んでおられるのだろうかと心配していたら、何と2か月間もお嬢様がおられるベルギーへ行っておられ、7月に入って帰国されたばかりだという。


留守中の郵送物の中から一番先に開いてくださり、読み終えたが「お手紙を書いていたらまた遅くなるので」とお電話くださった。今も変わらず勢いある明るいお話しぶりは梅雨空を押しのけてしまうほどのエネルギーだ。

「本当に送ってくださりありがとうございました」と、Ha姉のお声が今も耳に残っている。感謝!

                           (つづく)

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2017年07月04日

『種を蒔く』4号よりB −「ああ主のひとみ」作詞者・井置利男牧師との出会い― (井置牧師と初めて出会った読書会の写真初公開)

文末の写真は本誌にも掲載したが、他の1枚はブログ掲載時に挿入したものである。


     「ああ主のひとみ」
       作詞者・井置利男牧師との出会い                          
                    藤本 優子

2007年9月のある日、私は「コリント人への手紙13章」を一字一句心に刻みながらブログに打ち込んでいた。打ち終えた時、目の前にある言葉が目に入った。「愛すること 赦すこと―平和を求めて―」。日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の2007年度の執筆テーマだった。
締め切りが迫っているのに全く書けなかった。人を赦すことができない私が書けるわけがない。ひと月前の出来事で打ちのめされていたからだ。

しかし主は私を伴われた。
私は本棚から何気なく『愛について』を取り出した。1993年にJCPから発行された『あかし新書 第18篇』である。たまたま開いた所が高橋和子さんの「愛の眼ざし」だった。

「讃美歌『ああ主のひとみ』243番。私は此の讃美歌を歌う時、イエスの深い愛の痛みに咽(むせ)び、終(しま)いまで歌う事ができなくなる。作詞者、井置利男氏は、昭和26年神学生であった」。

井置? 
ここまで読んだ時、珍しい名前、聞き覚えのある名前だと思った。と同時に去年お知り合いになった井置牧師のことを思い出した。確か下の名前も「利男」だったのではと頂戴した名刺を確かめた。やはり字も同じ井置利男だった。

井置牧師のお歳は知らないが、昭和二十六年に神学生だったとすれば、年恰好も一致する。次に讃美歌を開いて見た。確かに作詩は "Toshio Ioki" になっている。まさか!

その前年の2006年7月13日、東大阪市花園図書館の館長さんから電話が入った。「今年の読書会機関紙『かわちの』を読まれた方が、藤本優子さんに連絡を取ってほしい」とのことだった。
「東大阪読書友の会」の事務局は花園図書館とし、会報には役員名しか記載されていないため図書館経由で連絡が入ることになっている。

その夕方、民生委員の用事を終えて帰宅後すぐに電話した。井置牧師はその年の春、埼玉から移って来られたばかりで、読書会会場である大阪商業大学が何処にあるかもご存じなかった。

そんな馴染のない時から地域に働きかけて、教会を「こども文庫」や書道教室に場所を提供され、「明日がその第1日目です」と意欲的に活動されていた。そのお世話をしてくださる方が読書会メンバーで、「朝日ピープル」記者のNさんだというのも驚きだった。

IMG_6231.jpgその年の10月、花園図書館で開催した豊中の「とよ読書会」との読書交歓会に井置牧師をお誘いした。折しもその時のテキストは山本周五郎の『日本婦道記』で、大田正紀先生を講師にお迎えしていた。
(井置利男牧師は後ろの男性、前列左は大田正紀先生、右は筆者)

さっそく大田先生に牧師をご紹介させていただいたが、そのとき私は井置牧師が讃美歌『ああ主のひとみ』の作詞者だったとは知る由もなかった。

2007年9月、井置牧師が讃美歌の作詞者であるのかどうか、私は居ても立ってもおられず直ぐに日本バプテスト連盟・東大阪キリスト教会へ電話した。

やっぱりそうだった! 
作詞された井置利男牧師その人だった! 

井置牧師は私に洗礼を授けて下さった故小山恒雄牧師と関西聖書神学校で同窓だっただけではなく、かつてJCPに入っておられた時に湯河原での夏期学校に参加されたこと、『あかし新書』の第3篇に寄稿されていることをお話しくださった。

私は18篇に収録されている高橋和子さんのお証しを朗読した。牧師は静かに聴いておられた。読み終えた後も黙しておられた。

「先生、私は今もまだ相も変わらずの愚かな者です。特にこのたびはどうしても立ち上がれなくて・・・」と、自然に口に出ていた。
すると、先生はなんと仰ったか! 
「素晴しいですね。そのように生きておられるのですから」。

「いえ、30代ならばともかく、私はもう55歳なんです。先生は、あんなにお若い時に変えられて、私は相変わらず全く神さまがわかっていないのです。だから何度も愚行を繰り返してしまうのです」。

私はどうしても神さまのことがわかりたいという一念で、師に食いさがってお聞きした。すると、「みんな一緒ですよ。大丈夫ですよ。私たちは罪赦された罪人なんですから。どうぞ、あまりご自分をお責めになりませんように。どんなクリスチャンもみんな完成に向かう『工事中』の人間ですから」。

実に穏やかな口調で言われ、師の表情まで伝わってくるようであった。その時、「優子、さあ、立ち上がりなさい」と、井置牧師の唇をとおしてイエスさまが語ってくださったように感じ、私は差し伸べられたイエスさまの手を握りしめた。

その時の私は最も身近な者に言葉を尽くしても伝わらない悲しみや悔しさがあったが、それら全てのことをイエス・キリストが知ってくださっているのだからもういい。私はイエスの御手にすがって導かれることを選んだ。

そして、「ああ主のひとみ」誕生のいきさつをお話ししていただきたいと申し出ると、「証しさせてください」と、当時我が家で開いていた家庭集会でお話しくださることになった。

神さまはこんなにも有名な讃美歌を作詞された牧師と出会わせてくださった。いやそのこと以上に、ここに至るまでの一切の出来事の絶妙さに神さまの見えざる御手を感じ、イエスさまの眼差しはずっと私にも向けられていたことをわからせてくださったのである。

讃美歌243番は、同志社女子中学校に入学して以来直ぐに覚えた愛唱歌の一曲であり、大人になってから何度も慰められ力づけられてきた讃美歌だ。

   1 ああ主のひとみ、まなざしよ。
     きよきみまえを 去りゆきし
     富める若人(わこうど) 見つめつつ、
     嘆くはたれぞ 主ならずや。

   2 ああ主のひとみ、まなざしよ、
     三たびわが主を いなみたる
     よわきペテロを かえりみて、
     ゆるすはたれぞ、主ならずや。

   3 ああ主のひとみ、まなざしよ、
     うたがいまどう トマスにも、
     み傷しめして  「信ぜよ」と、
     宣(の)らすはたれぞ、主ならずや。

   4 きのうもきょうも かわりなく、
     血しおしたたる み手をのべ、
     「友よ、かえれ」と まねきつつ
     待てるはたれぞ、主ならずや。
                 アーメン

井置牧師は第二次世界大戦で海軍のパイロットとして、国家存亡の為という目的で尽くされたが、敗戦の虚脱状態で生きる目的を失い、心も荒れ果てて教会へと導かれた。1949(昭和24)年22歳のことであった。

以下は、2007年12月15日の家庭集会で語ってくださった井置牧師のお証しであり、今から66年前に「ああ主のひとみ」が生まれたいきさつである。ここに感謝してお分かちさせていただきたい。

【井置牧師のメッセージ】
その敗戦の虚脱状態にあって自分は誰からも必要とされていないと思いました。人間にとってこれ以上の不幸はありません。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて 死なむと思ふ」
石川啄木がこの短歌に詠っているのがあの頃の心境でした。

そんな22歳の春のこと、ポスターを見て教会へ行きました。讃美歌312番を聞いた夜の感動を今も忘れずにいます。その集会後に、「人生の目的はなにか、人は何のために生きているのか」を矢継ぎ早に牧師に聞きました。

すると、「聖書を読みなさい。そして、教会に行くように」と、この二つのことを奨められました。その日から聖書を読み教会へ行く生活が始まりました。

そして、最初に私の心を捉えたのが「コリント人への第1の手紙13章」の言葉でした。ここは「愛の讃歌」と呼ばれる有名な箇所です。私が長い間求めていたのは「これだ!」と思いました。このように生きることこそ人間が本当に幸せになる道だと思いました。

「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」。

さて皆さんにお伺いしますが、このような本当の愛を持っておられる方がどのくらい居られるでしょうか。自分に本当の愛があるかないのかテストしてみる方法があります。

13章4節から7節のところは、本当の愛の性質が書かれているところですが、この「愛」のところに自分の名前を入れ替えて読んでみると、自分に愛があるかないかわかります。

「恨みをいだかない」の「いだかない」とはメモをしない、心のノートに記録しないということです。この本当の愛が無いということが聖書の言う「罪」ということです。私は本当の愛に生きることこそが人間の本当の幸せになる生き方だと思って、それに向かって歩き始めました。

しかし、「言うは易く行うは難し」です。頑張リズムの生活はいつまでも続けられません。やろうと思えば思うほどやれない自分、偽善的な自分に気づき(目覚め)始めていき、心の深い所で悩み始めていきました。

そして、聖書の期待を裏切るばかりの自分はクリスチャンになる資格はない、キリストの教会の恥さらしだと自分を責めるようになっていきました。

「罪を知っていながらキリストの赦しを信じられないのなら、それは絶望でしかない」と言ったキルケゴールの言葉そのままが当時の私の心境でした。神が招いて下さっているのに、教会へ行くということは苦しみを増幅することでしかありませんでした。

自分を責め続けていた年の秋の夕暮れのこと、頑張リズムの心で教会の祈祷会に出席するために道を急いでいました。

私の心は重く、あたかも屠所に引かれる羊のような気持ちでした。教会の庭にあった柿の実が夕日に映えて真っ赤に光っていたことをはっきり覚えています。遠くで鉄を打つ音が聞こえていました。

その時、ルカ伝22章の61節の言葉、「主は振り向いてペテロを見つめられた。」という言葉を不意打ちのように思い出しました。

自分の弱さのために一度ならず二度三度もイエスを裏切ったペテロ、このペテロの全ての罪を赦しておられるイエスさま。主の愛と赦しが告げられている言葉が私の心に蘇ってきたのであります。その時のイエスさまの眼差しは自分にも向けられていることを感じたのであります。

自己嫌悪の中でのた打ち回っている自分、もう自分を責めるのはやめろ! 全部赦されている、解放されているんだ! 赦されている者として、解放されている者として生きるんだというイエスの眼差しを感じました。そのことに感動して作詞したのが讃美歌243番でした。

その2節を見て下さい。私は勘違いしていました。私たちが信仰していく前に、神が私たちを愛されているということを告げられているということであります。

こんな者を寛容の愛で、情け深い愛で、どこまでも耐えて希望を持ち続けて下さる愛で愛して下さっている。キリストから愛されているということが告げられているところなのです。私たちはこの愛で誰も漏れなくキリストから愛されているというお互いであります。

先ほどの「愛」のところに「イエス・キリスト」を入れて読んで下さい。「イエス・キリストは寛容であり、イエス・キリストは情け深い。また、イエス・キリストは妬むことをしない・・・」。私たちはこの愛で愛されているお互いなのです。

キリスト教の信仰生活は、神の存在を云々することではありません。神の愛と背くらべをする生活でもありません。その愛に気づいていく生活、その愛に喜んでいく生活です。

「いつも喜んでいなさい、全てのことに感謝しなさい。」とありますように、神の愛に気づいていく時、喜ばざるをえない、感謝せざるをえないようになっていくのです。その生活の中で、私たちの中にも奇跡を起こしてくださるのです。そうです。自分を愛し、隣人を愛していく人に変えられていくのであります。

皆様の上に神さまの導きが豊かにありますように。
                       (完)

現在、井置牧師は日本バプテスト・浦和キリスト教会に出席されており、壮年会で活躍されている。

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前列中央・井置牧師、左端・筆者

この日、遠方からもうお一人(関西外大の助教授)お出でくださっていたが、同志社大学で学会があるからと愛餐会(昼食)の前に退席された。

抱かれている赤ん坊は、生後3ヶ月のユキだ。


この写真は、2006年10月、「とよ読書会」と読書交歓会の様子。内容は過去ログに記録している。


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井置先生の御姿が残っていないのは残念。この時、近隣の知人も参加してくださっていたが、この日は図書館の方に「何枚か撮っていただきたい」とだけお願いしたので、全体を撮っていただけなかった。


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読書会後、花園図書館屋上にて。
背後の山は生駒山。
前列右端は祈りの友・千里さん。Dさんと文中登場の「あさひピープル」記者のNさんもおられる。

                     (つづく)

       
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2017年07月02日

家の教会2017㉔ ダビデの告白 −悔い改めの恵み―

ユキのサッカー教室中に夫婦で神の前に静まって礼拝をささげた。今朝は小学生のユキのことを気遣うことなく、長くなるが詩篇51篇に関係する聖書箇所を読み合った。

ユキは昼食後も遊ぶと言ってきかなかったが食欲も落ちているほど疲労困憊しており、ようやく私たちの助言を聞き分けてシャワーに入って1時間昼寝するも、母親との約束を守らずに再び遊びに行ってしまった。
ユキとは17時45分から夕拝することを約束した。(追記:ユキとは20時5分〜25分)

2017年6月25日(日)(2017第24回 家の教会)
9時55分〜10時50分
出席者2名(With 良輔)
@ 初めのお祈り  優子
A 主の祈り
B 聖書輪読    サムエル記下11章1節〜
                   12章15節
            詩篇51篇
C お祈り     一人ずつ
D 讃美歌     404番(良輔愛唱歌) 
              「山路こえて」
            517番 「われに来よと主はいま」

詩篇 第51篇:
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだもの

51:1 神よ、あなたのいつくしみによって、
わたしをあわれみ、
あなたの豊かなあわれみによって、
わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
51:2 わたしの不義をことごとく洗い去り、
わたしの罪からわたしを清めてください。
51:3 わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、
あなたの前に悪い事を行いました。
それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、
あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。
わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。
それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、
わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、
わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、
あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9 み顔をわたしの罪から隠し、
わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11 わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12 あなたの救の喜びをわたしに返し、
自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13 そうすればわたしは、とがを犯した者に
あなたの道を教え、
罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
51:14 神よ、わが救の神よ、
血を流した罪からわたしを助け出してください。
わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。
51:15 主よ、わたしのくちびるを開いてください。
わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。
51:16 あなたはいけにえを好まれません。
たといわたしが燔祭をささげても
あなたは喜ばれないでしょう。
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心を
かろしめられません

51:18 あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、
エルサレムの城壁を築きなおしてください。
51:19 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、
全き燔祭とを喜ばれるでしょう。
その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。

お話:
ダビデは30歳でイスラエルの王となり40年間神の言葉に従った、イスラエル史上最高の王でした。自分の命を狙っているサウル王を殺す機会があった時も、神が立てられた権威だからと殺さなかったのです。

そんなダビデでしたが姦淫と殺人を犯しました。ウリヤ将軍のバテシバという美しい妻が水浴びをしている姿を見て情欲に負けて姦淫の罪を犯し、バテシバが身ごもったために王の権威を悪用して、バテシバの夫ウリヤを戦場の最前線に送って戦死させるように仕向けて死なせてしまいました。何という大罪でしょうか。

そのことが「サムエル記下11章」に記されており、「ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた」とあります。

そして12章では、主が預言者ナタンをダビデのところに遣わされて罪を指摘されて罪を告白し悔い改めに導かれるのです。赦しと罪の刈り取りが記されています。

昨今の政治界の出来事を見ていますと、自らを省みず嘘に嘘を重ね、罪に罪を重ねていく姿に驚愕し強い憤りを感じます。悪を繰り返していると良心が麻痺していくのも人間の実相です。

そこで「悔い改め」について考えたくて、今週はダビデを取り上げました。 
私たちは何か悪いことをした時、「環境や状況も悪かった」と半分は他者や社会状況にも責任があると他責化する誘惑に駆られますが、ダビデは自らを見つめて神に罪を犯したと告白しました。

「悔い改め」は反省することでも後悔することでも懺悔とも違います。懺悔は罪を悲しんで罪から離れ、自分の罪を取り除くために苦行したりお金を奉納したりすることです。

しかし「悔い改め」とは何かをすることではありません。「相手が先にあんなことをしたから」とか「相手の方がはるかに罪が大きい」とかいうのではなく、「悔い改め」においても徹底的に「神と私」の問題です。それゆえに結果として考え方や行いが変わって行くのです。


ダビデの犯したことは、実は古代においては王は罪で裁かれることはなかったのです。部下の命や財産は王の自由だったからです。

しかし、自らが王だからやっていいことでも、あるいはまた相手がどんなに非道であったとしても、自らの過ちを認めるというのでなければ悔い改めには至らないのです。

神がダビデに遣わされた預言者ナタンが「金持ちと貧しい人のたとえ話」をした時、ダビデは「そんなことをした男は死刑だ」と激怒しました。

サムエル記下 12章1節〜6節を読んでみますと、
12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。
12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。(略)

これについて、「実はこれこそが霊的に破たんした者の姿であり、死人に感覚がないのと同様に、罪を放置しておくと、私たちの良心は麻痺していき、やがて悔い改めることさえできなくなっていくのです」。
という言葉に深く頷かされました。全くその通りだと思います。

しかし、ダビデは自らの罪に気づき、悔い改めました。それが今日輪読した詩篇51篇です。この詩は「人間の罪を抉り出している」と北森嘉蔵が言っていますが、私は深く感じ入ることができませんでした。

(それゆえに今朝の礼拝中に、私の信仰の父である小山恒雄牧師の説教が聴きたいと涙しました。
「家の教会」を始めて1年4ヶ月に入りましたが、今ほど練られた牧師の解き明かしを聴きたいと思ったことはありません。)


ダビデはバテシバとの姦淫、そして、ウリヤを殺してしまった罪を自覚しているからこそ、「わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました」と、主に赦しを乞うているのです。これが真の悔い改めです!

罪を認め、罪を悲しみ、罪を告白する。
罪の告白は他者から言われてすることではなく、自分の罪を深く悔いるに至った者の自発的な真情の発露です。実はそこにも神さまが働いておられるのです。神さま助けがなければ悔い改めることはできないことも再確認させられました。

私たちクリスチャンの祈りとは単に願いごとではありません。まず讃美と感謝を捧げ、悔い改めや執り成しの祈り、また、願いごとを申し上げるのです。日々刻々に悔い改めることができるのは何という恵みでしょうか。

悔い改めた瞬間に失われていた平安と喜び、気力が甦ってきます。主イエス・キリストが愛と忍耐をもって一人ひとりの告白を待ってくださっています。自己正当化しないで、常に悔い改める者でありたいと願っています。
私もまたダビデの深い悔い改めと赦しを求める祈りを自らにも深めていきたいと思います。


過ぐる1週間を振り返って自らを神さまに探られながら悔い改め、心から砕かれた魂と感謝を捧げて新しい意欲と力をいただいて、今週も自分の置かれた所で精いっぱい生きていきたいと思います。


「わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください」。
         (詩篇25篇2節)
主に信頼する者は、敵と同じ土俵では戦いません。悪口には悪口、嘘には嘘で対抗するなら、世と同じです。それで相手を負かしても、主は喜ばれません。しかし、悪口には沈黙、嘘には真実、怒りには柔和で対応するなら、主が勝利をもたらしてくださいます。
      川端牧師の「今日のみことば」より


サムエル記下 12章1節〜15節:
12:1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
12:2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
12:3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
12:4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
12:5 ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである
12:6 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。

12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
12:8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
12:9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
12:10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
12:11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。
12:12 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
12:14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。
12:15 こうしてナタンは家に帰った。

posted by 優子 at 15:37| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年07月01日

神の愛・アガパンサスの季節

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午後7時になってもフラッシュなしで写真が撮れた。写真を撮りに来たのでも散歩しているわけでもなく、写真には写っていないが公園の左端でユキが遊んでいる。
サッカーで顔なじみだった中学生2名がバスケの練習をしているのをいいことに、こんな時間になっているのに今も自転車を乗り回して遊んでいるのだ。

このさいアガパンサスを撮ってから声をかけようと思っていたら、その間にようやく帰ったようだ。

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なんて美しいんだろう。

先週も4日間も真夏日になっていたが、今日は雨が上がってから猛烈に暑くなって32.3度になった。知子は朝から外出、ユキは遊びに行って不在。

風があったので扇風機もかけないで夫婦そろって昼寝をしていた。40分間の昼寝で私は猛烈に元気になって、読書の合間に家事をこなした。夕食もしっかりいろいろ作った。

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もう1週間も前に『種を蒔く』4号への嬉しいお手紙が届いており、早くブログに書きたいと思っているが時間が無くてなかなか書けないでいる。
そして今日は井置利男牧師からご著書と共に嬉しいお便りが届いた。実は井置牧師には先週の金曜日に郵送したばかりだった。

今春初めに東大阪キリスト教会の牧師さんからご住所をお聞きしていたのにメールを見つけ出せなくて、そんなことをしているうちに遅くなり所属されている浦和キリスト教会宛にお送りしたのだった。

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裏庭に咲く今朝7時過ぎのアガパンサス。

久保田先生が逝かれて1年経った今も宿題に手をつけていない。4号も刊行されたのだからいよいよ今月からやり始めねば書けないまま終わってしまう。とにかく始めることだ。

今まで書いたものを1冊にするというよりも、2部構成にして前半に自分史を書き残したいと思っている。

井置牧師は昨年末に記録性に富んだ人間性ほとばしる「自分史」を書き上げられており、クリスチャン・ペンクラブ関東ブロックでは今春から自分史に取り組んでおられ、これ以上遅れをとりたくない。

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アガパンサスと紫陽花は晴天下では映えず、雨の日や夕暮れにこそ美しい。

「アガパンサス」の命名はキリストに関係する。ギリシャ語の"agape"(アガペ:神の愛、無条件の愛)と、
"anthos"(アンサス:花)の2語で作られている

また「時計草」もキリストに関係する。ここをクリックしてご覧ください。


posted by 優子 at 22:13| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年06月30日

「おばあちゃん、太陽みたいやったわ」& 母と子のまなざし

26日の朝、仕事が山積みで6時過ぎに家を出た知子の代わりに交通当番していた時のこと。いつものように「おはようございます! 気をつけて行ってらっしゃーい。今日も良い一日をね」と、黄色い旗を持ちながら子どもたちを誘導し見送る。


そして、ユキのグループが来た。

「あっ、ユキのおばあちゃんや!」とY君は私を見つけるなり言った。久しぶりに見る子どもたちは大きくなっていた。まるでパソコンの画面を拡大した瞬間のような感じで目に飛び込んできた。


「おお、Y君、大きくなったねえ。今日も元気に行ってらっしゃい! みんな怪我しないようにね」と、子どもたちに愛を込めて見送る。

その日、ユキは帰るなり言った。
「おばあちゃん、あのとき太陽みたいやったわ」と。


誤解して喜んではいけないと思って確かめると外れてはいなかった。嬉しかった。大人の心の在りようこそが大切なのだと改めて思った。


IMG_6151.jpg3日前から梅雨空が続いている。

知子は今年の2月から特に用事がない限り毎朝ユキを見送ってから出るようになった。
それまでは6時半過ぎに家を出て帰宅は23時前後で、我が子と2〜3日に一度しか会えない日もたびたびだった。それも半時間ほどという厳しい状況だった。


帰宅は今も9時〜10時頃が多いが、仕事も持ち帰らないように切り替えた。あまりに溜まっている時は今週初めのように6時過ぎに家を出ることもあるが。


これは昨日の朝の光景だ。最近は一台でも早い電車に乗るべくユキと一緒に家を出るようになった。

嬉しそうなユキ。母と子のナイスショット!
ユキと知子の幸せ.jpg

知子の傘は真智が高校時代(?)に使っていたもので、ユキは大きな傘。傘を壊してばかりで買いに行く時間もなくて大人用を使用している。


この日の午後、お友達と川へ魚を捕りに行って長靴の中まで水浸し(笑)。川ではなく浅い水深の用水路で、学校も禁止していないというが私は学校に確かめないままでいる。


これは知子不在の17日、私もクリスチャン・ペンクラブ例会のため不在の日、おじいさんと捕って来たオタマジャクシ。数えると20匹以上いた。

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虫捕り網ですくったらこんなに入っていたというが、そのうちに足や手が出てきたのもいたので気が気ではなく、昨日ようやく逃がしてくれたのでホッとした。あとは亀・・・


(Photo by Yuki.)
IMG_6108.jpgとにかく4年生になってから行動半径が飛躍的に伸び、毎日飽きずに遊んでいる。
6時すぎ(門限はやっぱり6時)に帰宅したらまずシャワーに入り、勉強は15分間ほど、宿題だけで夕食タイム。


夕食が終わるとソファーで寝てしまい8時に寝てしまったこともあり、これでは幼稚園児よりも早いのでは?! そんな日常ゆえに「先に歯磨きしなさい」と声かけするのも私の日課になっている。


25日の日曜日は夕方に「少しでも漢字の復習しなさい」と母親に言われたのが気に入らず、2階へ逃げて時間をつぶしているうちに眠ってしまい、夕食も食べないで朝まで眠って、朝一番にシャワーに入って登校した。


IMG_6169.jpg知子に言われて表を作ったはいいが皆目やっていないし、はや中断。

「その他」が「その地」になっている。 「てつだい」と言っても、お箸とお湯呑みを並べるだけ。

またもやゲームを取り上げられて、「またか」とお友達。


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18日(日)は朝にサッカー教室があり、その後も遊ぶ。1時から5時半まで。すごいと思う。

前日捕ってきたオタマジャクシを見せている。網戸の黒い部分は、ユキが鉛筆の先で穴を開けた所にグレーのペンキを塗って穴を塞いだ箇所。


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窓越しに「ノコギリいけ!」とか「ヒラタ頑張れ!」と子どもたちの声が聞こえていた。何をしているのだろうと思ったら、6名のお友だちが来ていて道路でヒラタクワガタとノコギリクワガタを戦わせて遊んでいたという。


「おばあちゃんにも見せてあげる」と、あとで見せてくれたけれど虫は苦手。


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左はノコギリクワガタ、右はヒラタクワガタ。
ヒラタクワガタの方が強いそうだ。
ヒラタクワガタはユキが見つけ、ノコギリクワガタは1週間前に登校中に見つけた女の子がユキにくれたのだが、女の子がこんなのを捕まえるとはすごい!


タマムシ.jpgこれはタマムシ。これが玉虫色か〜

同日朝にウォーキング中の女性が神社で見つけたからとユキに届けてくださった。「おじいちゃんと虫捕りしていたから」とユキの昆虫好きは町内でも有名だ。

でも2日後に死んでしまって「お墓を作ってあげた」とユキ。「みんなに見せてあげたら学校で逃がしてやりや」とあんなに言っていたのに。


IMG_6163.jpg最後にユキが12枚の折り紙で作ったボール(?)。

「おばあちゃん、時間がある時はいつ?」と、また教えてくれるそうだ。

「これは同じ折り方ばっかりやから頭にいいよ」と、難しすぎるとかえって脳が混乱して機能低下することを察知している。この前は3枚つかって駒を折ったが全く覚えていない。折り紙が認知症の防止になればいいが。


もう限界@.jpg知子が「ユキ―!」と呼ぶと走って来て抱っこしてもらっていた「知子とユキだけの愛のスキンシップ」。

重たくてもう限界。


ユキ、ママが年を取ったら今度はユキがママを抱き、おんぶしてあげるのよ。ね!

わが子が年を取った時のことを想ってくれていた父のことを思い出す。


posted by 優子 at 16:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする