2016年12月14日

第2追記 「心を頑なにさせる神」

今朝、神さまからいただいたメッセージ(みことば)から。

「いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているのですから」。      
          (コリント人への第一の手紙 15章58節)

「聖書はパロにこう言っている、『わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである』。
だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである」。
          
          (ロマ書 9章17・18節)

神がわたしども頑なな人間をも、力強い御腕をもって永遠の救いへと導いておられる意義について。

モーセが「神を礼拝するため、イスラエルの民を解放せよ」と王ファラオ(パロ)に迫れば迫るほど、王はますます心を頑なにして拒みます。

すると神は、10の災いをもってエジプト全国を撃ち、とうとう最後には、イスラエルを解放させます。これは、モーセとファラオの戦いではなく、神とファラオの戦いで、当然神が勝ちます。

わたしどもは、ファラオの頑なさよりも、むしろ、イスラエルの人々の頑なさの方を、考えて見るべきでありましょう。 

「頑なになる」とは、頑固になる。もう一つの意味は、神の恵みに対して鈍感になる、という意味です。神がどんなに大きな恵みの御業をなさっても、何も感じなくなることです。


イスラエルの人々には、神の救いの尊さがよく分からなかったのです。まことに心が鈍いのです。その後、紅海を渡り、更に40年の荒野の旅をしなければ、「乳と蜜の流れる里」であるカナーン(パレスチナ)には到着できません。救われておりながら、不平を並べております
 
そして実は、これは、イスラエルの人々だけでなく、わたしども人間の心のかたくなさ、罪の深さと、よく似ていないでしょうか。神はイスラエルの弱さ、不信仰、頑なさ、彼らの鈍感さをことごとくご存知でした。

そしてそれは、イスラエルが「神こそは主である」、と知るようになるためであった、と別の個所には何度も書いてあります。それでは、神はイスラエルは救われたのに、エジプトの王ファラオは滅ぼされるのでしょうか。

またそれは、止むを得ないことだったのでしょうか。そのために、神に背く罪を犯させたのでしょうか。この問いに対する答えが、5節の御言葉です。

「その時、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる」、という御言葉です。神が主であるというのは、裁き主であるという意味にも取れますが、救い主である、という意味にも取れます。

では、ファラオの場合、神は御自身を救い主として現わされるのでしょうか。それとも、裁き主として現わされるのでしょうか。

この問題は、わたしどもが自分の家族の救いを考える時に、大変悩まされる問題です。また、われわれ牧師にとっては、それこそ一人の人の魂の救いの問題ですから、やはり大変悩まされます。

実は、使徒パウロも非常に悩みました。パウロの場合は、せっかく救いに入れられたイスラエルの中の一部が、神の子を十字架につけるほどの恐ろしい頑なさに陥った、その彼らの救いはどうなるのか、という問いとなっています。

先ほどご一緒にお読みしましたローマの信徒への手紙9章以下(新約286頁)は、この問題と取り組んでいます。その時のかなめになる聖句がローマの信徒への手紙9章15節以下の御言葉です。
 
「神はモーセに、『わたしは憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ』と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです」とあります。

ここには、神はイスラエルの人々をも、またそうでない者をも、御自分が憐れもうと思う者を憐れむ、と書いてあります。

神はわたしどもキリスト者に対しては、わたしどもの頑なな心を打ち砕き、わたしどもに御霊を注いで神の愛を悟らせ、一生涯、忍耐と祈りをもって、救いへと導かれます。

しかしそれは、わたしどもの宗教心の篤さや熱心さの故では全くなく、ただ神が憐れもうと思われるから憐れむのだ、と書いてあります。

それは、神のみが持っておられる、「神の」、絶対の憐れみの故です。だからそれは、わたしどもの「意志や努力ではない」、と書いてあるのです。 

わたしどもは、何か見所があったからとか、求道心が熱かったから、救われたわけではありません。ですからわたしどもは、自分自身を、イスラエルと同じように、その値打ちがない、頑なな者であるのに、神の特別な憐れみを受けた者、と理解したらよいでありましょう。
 


わたしどもはそれをすなおに感謝し、人生の様々な悩みや苦しみを経て、ますます一層神の憐れみの深さを知るように導かれます。

さて、もしそうであるとするならば、この場合、わたしどもは何よりも、自分の頑なさ、神の愛に対する鈍感さ、罪深さをよく知っている者のはずです。そして、この自分の罪からの赦しのために、主が十字架にお掛かりになったことをも知っています。

だとすれば、同じように頑なであるかも知れない、自分の隣人に対して、神の憐れみを願い、もっと、祈ってもよいのではないでしょうか。


モーセやイスラエルは神が憐れまれた人間であり、ファラオはその反対の人間である。両者に対して神は全く違うご意思を持っておられる、と思いがちです。
 
しかし聖書には、「わたしは憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」とは書いてありますが、「憎もうと思う者を憎む」とは書いてありません。神のみが持っておられる、崇高な「神の」自由が、語られています。
 
もちろん、人々が神の愛に対して頑なで、不従順であってよい、とは書いてありません。もしそうするなら、その人の心に平安はありません。神は決して、わたしども人間に侮られるようなお方ではありません。

もし神の愛を拒むなら、神に背いて自分勝手に生きることがいかに虚しく、生き甲斐がなく、不安に満ちたものであるかを、その人は知らなければなりません。

憐れみを信じようとするか、それを拒んで生きようとするか、それはその人自身の責任です。

憐れみを尊いものとして感謝するなら、その人はますます豊かに憐れみを受けるでありましょうし、もし拒むなら、神はその人の心を一時見離し、為すがままにされるでありましょう。しかし、それでも神の憐れみには少しも変わりはありません。 

そして、神の絶対の愛とは、いつまでも相手が拒むことを許され、その人を滅ぼすためのものではありません。神はその人の心を頑なにさせ、何度も拒ませるかも知れません。
しかし、その人の死の間際には、従順な者にさせる力も、神はお持ちなのです。
 

神はわたしどものような頑なな者をも、慈しまれました。それならば、どうして、わたしの隣人には、更に豊かな憐れみの心を開かれないでおられるのでしょうか。 

エジプト人の救いにつきましては、イザヤ書19章25に、次のように書かれています。
「万軍の主は彼らを祝福して言われる。『祝福されよ/わが民エジプト/わが手の業なるアッシリア/わが嗣業なるイスラエル』と」。
 
ファラオは、自分が王であると思い上がっておりますが、実は、彼もまた神の御栄光のために立てられた神の僕でしかありません。その目的は、主の御名が全世界に告げ知らされ、全被造物が神の祝福に与るためです。このことは、まことに驚くべきことです。

神は、神にさかろう者をも、完全に御手の中に収め、御自身の栄光のためにお用いになります。だから、わたしどもにも、神のみ栄のために生き、福音を宣べ伝える責任があるのです。

 
ある説教者が言っています。神は、シュヴァイツァーやマザー・テレサのような優れた僕をお用いになるだけでなく、小さなキリスト者であるわたしども一人ひとりをも、御自身の大切な僕としてお用いになる。

そして、全世界を神の憐れみの中に置き、救いへと導かれる、と。まことにその通りであると思います。

以上、「心を頑なにさせる神」(美竹教会)より抜粋引用させていただいた。何度読み返しても神さまからの慰めと励ましを感じる。

しかし、やはり私の疑問はそのまま残ったままである。
ヨブが悟ったように、このことも神の領域の問題であるから、12日の記事でも述べたように「万事を益とするため」の訓練と受け止めて励むことが賢明なのだ。


「わたしは憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」。それは神のみが持っておられる崇高な「神の」自由であること。アーメン!(その通りです)

私はこの晩夏頃からついに積年の精神的苦痛に虚しさを感じて、いつしか人生の不可解なことをも知りたいという思いが出てきたのだと思う。

信仰者は苦しくて時に叫ぶ。「なにゆえですか」、「いつまでですか」と。このような時ほどハバクク書の聖句が強く迫ってくることはない。

「この幻はなお定められたときを待ち、
 終りをさして急いでいる。それは偽りではない。
 もし遅ければ待っておれ。
 それは必ず臨む。滞りはしない」。
      
          (ハバクク書 2章3節)

この聖句を記して昼食で中断。再び夕方に再開すると、このハバククの聖句と共に知子と何度も握りしめてきたイザヤ書の聖句を、友がメールで贈ってくださっていた。

「あなたがたは立ち返って、
 落ち着いているならば救われ、
 穏やかにして信頼しているならば力を得る」。
     
          (イザヤ30章15節)

私もまた神の特別な憐れみを受けて救いに入れられ、その後もここまでお導きくださったことを今一度振り返って本心に立ち返らされた。

うめのさとチャペル.jpgそして、このような私たちの個人的な信仰の歩み、勝利は個人の祝福だけにとどまらず、必ずやそれぞれの教会や周囲に及んでいくであろう。

神の民と現状を分かち合い、励まし合いながらそれぞれの信仰生涯を全うさせてくださる神。私は今、神さまの気配を感じる。


祈りの友たちを与えてくださっていることを感謝し、その中に体調の悪い方がおられるならば、どうか友の健康を強め守ってくださるように祈ります。 

写真は友が牧会しておられる千葉県・うめさとチャペルです。

附記:この記事は当カテゴリにふさわしくないが、内容の関連から同カテゴリに収める。

posted by 優子 at 17:59| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

昨日の記事に追記

今一度、神のみこころを想い巡らせたくて「出エジプト記」(6章〜16章)を読んでいる。主がパロの「心をかたくなにされた」とはどう理解すればよいのだろうか。牧師の解き明かしを聴きたい。

王パロとてあまりに困ったときは言葉の上だけであっても反省(悔い改めではない)するが、私を悩まし続けるパロはしない。
私は求道中に旧約聖書を一心不乱に読み進めていた時、たびたび出てくる「神がかたくなにされた」という言葉が耳に引っかかった。

なぜ? そこにどのような意味があるのか。
だから○○は神に頑なにされたから、どんなに真心を込めて愛を尽くしても伝わらないのか? それでは頑なにされた者は気の毒であり、良心が働かなくなっては感謝の気持ちも感じられないではないか。

1987年2月頃だったか、ある夕刻、その意味を訊ねるべく夕食の準備もそこそこに教会の牧師に電話したことがあった。しかし、答えはなかった。それでも私はイエス・キリストの導かれ平安を得て受洗した。

その時より拙いながらも30年ちかい信仰生活を重ねてきたが、このことを今一度考えさせられる日々である。

即ち、それでは「かたくなにされた」パロは、自分の意思で神に逆らっているのではないということなのか。

しかしながら神は他方を訓練するために頑なにされるのではないだろう。なぜならば頑なにされた者もまた神の愛する子であり、一方のために頑なにされるわけはない。

この数年、改めてパロゆえの苦労とパロの気づきのない徒労感に打ちのめされそうになる時もあるが、この尽きない試練は、私たちが神に愛されているゆえに訓練されているということであろうか。とにかく頑なにされた人も自分の問題と対峙すべきとことだけは確かであろう。

それでもなお私の疑問は解決されず、このこともまた人間の知恵では得られない深淵な問題と受け止めるべきが肝要なのかもしれない。


出エジプト記:
7:3 しかし、わたしはパロの心をかたくなにするので、わたしのしるしと不思議をエジプトの国に多く行っても、
7:4 パロはあなたがたの言うことを聞かないであろう。それでわたしは手をエジプトの上に加え、大いなるさばきをくだして、わたしの軍団、わたしの民イスラエルの人々を、エジプトの国から導き出すであろう。
7:5 わたしが手をエジプトの上にさし伸べて、イスラエルの人々を彼らのうちから導き出す時、エジプトびとはわたしが主であることを知るようになるであろう。

10:7 パロの家来たちは王に言った、「いつまで、この人はわれわれのわなとなるのでしょう。この人々を去らせ、彼らの神なる主に仕えさせては、どうでしょう。エジプトが滅びてしまうことに、まだ気づかれないのですか」。

10:16 そこで、パロは、急いでモーセとアロンを召して言った、「わたしは、あなたがたの神、主に対し、また、あなたがたに対して罪を犯しました。
10:17 それで、どうか、もう一度だけ、わたしの罪をゆるしてください。そしてあなたがたの神、主に祈願して、ただ、この死をわたしから離れさせてください」。

12:42 これは彼らをエジプトの国から導き出すために主が寝ずの番をされた夜であった。

posted by 優子 at 18:29| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

城壁を築く者、主に在って雄々しくあれ

「きょう、み声を聞いたなら、
 神にそむいた時のように、
 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。

           (ヘブル人への手紙 3章15節)

「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ」。    
           (ネヘミヤ書 2章20節)

ネヘミヤらは、異民族の執拗な嫌がらせや妨害にもひるまず、エルサレム城壁再建に取り組みます。主が成功させてくださると信じれば、奮い立って、主の働きを貫徹することができます。その過程で挫折や失敗があっても、あきらめずに継続すれば、ついには成就の日が来ます。

「城壁を築く者たち、荷をかついで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を堅く握っていた」。     
           (ネヘミヤ書 4章17節)

ネヘミヤらは工事を継続しつつ、敵の攻撃にも備えなければなりませんでした。本来の目的に集中できず、余計なことに時間と労力を費やすしかないときがあります。
でも、面倒がって楽な道を選んではなりません。「神が私たちのために戦ってくださる」(20節)という確信に立って、耐え抜きましょう。


<川端光生牧師の一言メッセージより>

自分に与えられた能力を真に知っている人は、それに対する責任や神さまから期待されていることも知っている。正しいことを判断する能力を失わず、誠実な社員たちのために尽くす、その義憤もまた神さまからのもの。

イスラム民族がエジプトから故国イスラエルにたどり着くまで40年を要した。知子に担わされた美濃紙業の「出エジプト」、未だ一部に残る悪意と澱み切った倫理観とのすさまじい闘い、第3の創業の道のりは遠しか。

何よりもパロのごとき存在の、その強情で頑なな心に今更ながら唖然とさせられる。
モーセはパロの心が変えられることを願ってあらゆる機会を与えるのだが、それでもパロは数知れず欺き、約束を反故にした。

どうか神の時が来てパロの心を挫(くじ)いてくださるように。何よりもパロが永遠の滅びにならぬために。いかなることもすべては自分の問題であるのだから。

かたくなで動じないパロのような人は神の恵みを味わえないばかりか、人との交わりの喜びも知らない哀れな人。傷つきやすい弱い心は神さまからの賜物だ。

そして、
「神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」。
        (ロマ書8章31節)

主が始められたことは必ず成就する。
み言葉を口ずさんで心を強くせよ。
今の出来事一切は万事を益とするための訓練であるから耐え抜かせてくださるように!


「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、
夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった」。

                (出エジプト記 13章21節)

附記:22時25分、知子帰宅。
今朝は−0.9度、今も深々と冷えている。

posted by 優子 at 22:34| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

家の教会㉝ −地上に突入された神の御子―

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anime_tomosibi02.gif2016年12月11日(日)
(第33回 家の教会)
10時35分〜11時25分
出席者4名

@ 前奏
A 祈り   優子
B 讃美   讃美歌106番 「荒野の果てに」
C 聖書   ヨハネによる福音書 4か所
         8章58節、10章30節、
         11章25節、14章6節
D お話   「世界の歴史を分けたクリスマス」 
        優子
E 讃美   讃美歌114番 「天(あめ)なる神には」
F 主の祈り
G 後奏  「主の祈り」
      
今朝掲げた聖書の個所は、イエス・キリストがご自身のことを明確に語られた箇所です。
ヨハネによる福音書8章58節:
「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。

ヨハネによる福音書10章30節:
「わたしと父(神)とは一つである」。

ヨハネによる福音書11章25節:
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。

ヨハネによる福音書14章6節:
「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。

讃美歌106番を讃美している時、4節の「今日しも御子は 生まれたまいぬ」の言葉に嗚咽(おえつ)し涙が溢れました。私のために、私の贖罪のために、十字架にかかるために生まれてくださったからです。イエス・キリストが救い主であることを知るときに、わたしたちは深い慰めをいただくのです。

「主のご降誕を感謝し喜びお祝いします」と、昨年のクリスマスに初めて刻んだのではないかと思うのですが、「主のご降誕を感謝する」と自らの魂からあふれ出た言葉でした。
クリスマスは感謝でしかないのです! 
全ての人にとって感謝でしかないのです!

ところで、歴史を英語で "history" と言いますが、これは "his story" (彼の物語)が一つになった言葉である言われています。つまり「イエス・キリストの物語」を意味します。

世界史はキリストの誕生を基点に「紀元前」を「BC」と呼び、「紀元後(西暦)」を「AD」と呼んでいます。「BC」とは" Before Christ" (キリスト以前)、「AD」は "Anno Domini"(ラテン語で主、キリストの年)の頭文字をとったものです。

つまり、イエス・キリストが来られたことによって歴史が二つに分かれたのです。

クリスチャンが年賀状に「主の2017年 おめでとうございます」と記しますが、イエス・キリストはユダヤ人だけにではなく全世界の歴史に大きな影響を与えました。

そして、日曜日が休日になっているのもそうです。キリストが十字架に架けられて3日後に甦られた復活を記念する日だからです。

イエス・キリストは天地を創造された全知全能の神の御一人子です。私たち全人類の罪を負い、人々を救うために、十字架の死を遂げるために人間として地上に来られたのです。まさに地上に突入してくださったのです。

キリストの救いとは、病気が治るとか、商売繁盛などご利益ではありません。人間が考え出したカミは人格的な神ではありませんから、拝む人の人格は全く問われません。いくらかのお金を投げ入れてご利益を述べているだけです。

しかし、キリストの救いとは自己中心にしか生きられない私たちの心を愛に変え、感謝に変えられることです。赦しの救いを得るために修行や善行は必要ありません。

ただイエス・キリストを救い主であることを信じる者には即刻即座、そこに居ながらにして救われます。これまでの神なしの生き方から180度転換して神に眼を向けて共に生きていくのです。神は豊かに赦しを与え、溢れる恵みをくださる方です。

しかし、高慢な心ゆえに謙遜になれない人は神の存在も救いも信じることができません。自分の姿を見ないで他者のことを批判するばかりの人には神さまはわかりません。

また、宗教を自分の修養とするならばどの宗教でも大差ないでしょう。しかし、キリスト教は決して多くある宗教の中の一つではありません。徹頭徹尾「神」と「自分」との関係なのです。


聖書は紀元前4000年も前のことから書かれています。
イエス・キリスト誕生後のことが『新約聖書』に書かれていますが、そこにはキリストの数々の奇跡が出てきます。「奇跡があるから信じられない」という人もいるでしょう。私も神さまの話をした人から何度も聞いてきました。

しかしよく考えてみると、奇跡がなければキリストは単に「立派な人」でしかなかったのです。イエス・キリストは人ではないのです。神の独り子であり、神そのものであられるゆえに、奇跡こそが神の存在証明なのです。

人類史に残る偉大な指導者の大半がイエス・キリストを「わが神、わが救い主よ」と告白して生涯を送りました。一方ではこれまで宗教戦争と呼ばれても認めざるを得ない過ちも犯してきました。これは人間の弱さ、罪です。

神さまを信じたからと言って神と同じになるのではありません。神を知らずに生きていた古き自分、自我(聖書では「肉」と呼びます)との闘いは生きている限り続くのは当然のことです。罪赦され救われても「只今工事中」と死ぬ瞬間まで現在進行形で歩んでいくのです。

神は私たちを操り人形のようにされません。意志をもった人格として、常に「より良いほうを選ぶ」自由を与えておられます。

私は生涯の終わる瞬間まで神のまなざしを忘れないで生きていきたいと思います。これからも「敵をゆるし、更に愛せよ」と求めるイエス・キリストと共に歩いて行きます。

後奏で弾いてくれた「主の祈り」でますます豊かに祝されました。讃美の演奏は素晴らしい。その後も本田ルツ子さんの「主の祈り」を何度も聞いていました。

母が亡くなった1996年の12月、本田ルツ子さんのサイン入りのCDを千里さんからいただき、CDが擦り切れるほどこの曲を聴いていました。

今朝の内容を記し終えようとする今、クリスマスを前にして地球上に生きる人々のことを想います。

イエス・キリストが誕生され、新約聖書が書かれた1世紀時代には世界の人口は3億人前後であったと推定されています。
その後、1976年に40億を突破し、紀元2000年に60億に達すると言われていた世界人口は予想よりも早く1998年に60億人に達し、2015年に70億人に達しました。今後ビリオン(10億)単位で人口が書き換えられるのも目前でしょう。

21世紀になっても精神の暗黒大陸のままの日本、クリスマスの意味も知らないで12月の風物詩のように過ごしている日本の人々にお伝えしたいことがいっぱいあります。

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今日(14時53分)の二上山(雄岳)

posted by 優子 at 16:00| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

昨夜の目まいは急性期脳梗塞ではなく三半規管だった 

昨夜入浴中に激しい目まいに襲われた。
私はいつも体を洗って(体を洗ってから入るのが我が家の入浴ルール)、お湯につかりながら歯みがきして上がろうとした時、違和感を感じて慎重に椅子に座った。

まるで台風で木が大きくゆすぶられているように体が左右前後にグラグラ揺れて倒れそうになるので、手すりを握って治まるのを待とうとしたが耐えきれず湯船の蓋に顔を伏せた。大きな揺れが収まったので大急ぎで髪の毛を洗って浴室を出た。

その後も目まいは治まらず吐き気もあったので、脳内で大変なことが起こっているかも知れないと思い、ベッドに入ってから死を覚悟して罪の赦しを祈った。
寝付くまで独り言を言って呂律(ろれつ)が回っているかどうかを調べたり、手足がしびれてきていないかなど確かめていた。

今朝になってもまだ宙を歩いているような感覚で、今日は何もしないでゆっくり休養するつもりだったが、知子が会社へ向かう車内で私の症状を検索し(朝は夫が運転する)、病名を絞り込んだ。

目まいが何か大きな病気の前触れかもしれない。放っておいたために時を逃して悔いを残すようなことがあってはならないと、8時過ぎに知子から電話が入り専門医を受診するように言われた。

そして、夫は知子に説得されて9時半頃帰宅し、自動車で上本町のクリニックまで送ってくれた。

去年今年と2度MRI検査をしてもらったA脳神経外科を受診。診察では「たぶん耳だろうと思うが念のために」とMRI検査をした。新しい異常はなし。最初の診断通り三半規管が原因の目まいだった。

今回は「ディヒュージョン検査」(diffusion)もしたという。これは急性期脳梗塞の診断に使う撮影方法の一種・拡散強調画像で、急性期の脳梗塞があると白く写し出す。骨は白く写っていたが、新しい脳梗塞は全くなかった。

小脳や脳幹に何か異変があると目まいが起こるが、小脳から脳幹全て異常なしだった。小脳から起こる目まいの例として母が負った脊髄小脳変性症が記されていた。


ついでながら、以前から小脳の下にあるくも膜嚢胞はこのままで。血管の突起箇所については出血してもこの場所ならば心配しなくてもよく、ここは骨に囲まれているので破裂しないだろう。頸椎の中を通る血管も年齢的なことで蛇行はするがよく流れているとのことだった。

これからも目まいは起こるだろうとのことで目まい改善薬を処方された。そして、目まいを起こりにくくするためにはラジオ体操が良く、また、椅子に座って首を左右に揺らすなど、こういうことで三半規管が鍛えられる。

毎日パソコン作業を3〜4時間していることを話すと、パソコンをするときは椅子に深く座って正しい姿勢になり、その姿勢の目と同じ高さに画面がくるようにとアドバイスを受けた。
もう13年も前からノートパソコンばかり使っているので今更と思うが、今夜からパソコンの下に分厚い本を積んで改善している。

ゴールデン最後の輝き@.jpgとにかく昨日はクタクタに疲れていた。いつものように7時40分過ぎにユキを見送ると、すぐにシルバー人材センターの方々が庭木の剪定に来てくださり、早速案内しながら説明に入り、そのあとも何度も呼ばれ、この日は落ち着かないので整理や家事など動く用事をしている。


写真はゴールデンクレスト最後の輝き

ゴールデン短く.jpg去年とちがって今年は血圧も正常値だったのでよく動いていたのだが、お昼過ぎにはクタクタになって1時間横になった。2時におやつと飲み物を用意して、2時半過ぎに帰られたが、その後も後片付けと、毎年剪定の日は感謝と疲労でいっぱいになる。

剪定@.jpg 「ユキのスカイツリー」を切った。
台風で倒れるから半分切った方がよいと言われて少々躊躇しつつ3分の一切ってもらった。
あの美しいシルエットが消えてしまってかわいそうでならない。


ユキが持久走大会の前夜(11月30日)に嘔吐して持久走に出られず悔しがっていたが、その日はユキだけではなく5人も欠席していたという。他学年では学級閉鎖のクラスが出るほど感染性胃腸炎が流行している。

私も12月2日の夕方から症状が出て苦しんだが、ユキ同様に下痢はしなかった。嘔吐は8時間ほどで治まって順調に元気になったが、今週は目まい。とにかく大事なくてよかった。

今日は夕方に雹が降るほど寒くなっている。
私の安心を得た知子は仕事に集中し、疲れ切って23時20分過ぎに帰宅した。これで安心して眠れる。眠ろう。

posted by 優子 at 23:47| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

さざんかホールの壇上で話したことも遠い思い出

この記事は、娘たちに「ママはこんな経験もさせてもらったよ」と話したくて、11月20日(日)午後に大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴いた「さざんかホール」にまつわることを書こうとしているので、お読みくださる方々には退屈なものだと思う。

それは当地に移ってきてまだ2年にも満たない2001年2月のこと、さざんかホールの舞台に立たせていただいたことがあった。

市の一般健診でコレステロール値が高く高脂血症教室への参加を呼びかけられた。終了後、『市政だより』に体験談の掲載だけではなく、奈良県医師会主催の会でも話してほしい依頼されたのだ。

そのとき私は48歳で、半年前に父を亡くして深い悲嘆の中に在った。これが体験談を掲載された2001年2月21日発行の市の広報紙である。

IMG_1268.jpg2.jpg

生活習慣病教室は2000年9月から始まったと記憶しているが、その8月に父を亡くしていた私はとても行く気になれず、外に出るのも苦痛でチャッピーの夕方の散歩は夜に夫婦で行っていた。

私は10月から2か月間の参加だったにも関わらず、高脂血症の数値が著しく改善された症例だったので指名されたのだと思う。

依頼原稿の校正も終わった頃、奈良県医師会主催の会で体験談を話してほしいと葛城地域所管の保健師が来宅された。スピーチは15分間というわけで、内容をもう少し詳しく話した。

でさざんかホール.jpg

このあと閉経の関係もあるだろうが再び元に戻り、長年そのまま放置していたのを知子に強く勧められて受診。2009年5月から薬を服用、12月から高血圧の薬も加わった。

掲載文には「『健康』という言葉だけにふりまわされず」とあるが、私は「健康の奴隷にならないで」と記していたのを変更されている。

保健センター主催の文章にはそぐわなかったのだろう。また、健康に「二重かぎ括弧」は正しくないので気になったが呑んだが、壇上では持論の人間学を織り込んで「健康の奴隷にならないで」と自らの主張を語った。


今や当時とは比べ物にならないほどサプリメントのCM花盛りの時代。ついに今年は誘惑にまけて次から次へと7〜8種類も手を出してしまった。しかも飲まないから溜る一方で次回配送を送らせたり断ったりと今日も連絡したのだが、これこそ「健康の奴隷」でなくて何だろう。

掲載文を読んでいるとチャッピーも居なくなり、このことも遠い日々のことになった。 

附記:
「今日は霜が降りてた」とユキが言っていた通り、今朝は0.9度まで下がり今夜も冷える。

私はユキをベッドに送り、枕もとでユキの手を握ってお祈りし、お風呂に入る。そのあと、こうして知子の帰りを待ちながらブログを書くことも珍しくなくなってしまった。疲れている知子の足を速めてくださるように。

posted by 優子 at 22:20| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2016年12月06日

クリスマスの出来事は新たなる歴史の始まり

雨上がりの朝に.jpg
2016年11月11日朝、雨上がりの二上山(雄岳)

1tenshi01.jpg「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように」。

(ルカによる福音書 2章14節)

このあまりにも有名な「グローリア イン エクセルシス デオ」という讃歌は、ラテン語 " Gloria in excélsis Deo " で、「いと高きところには栄光、神にあれ」という意味だ。

神の栄光を讃えるこの歌はイエス・キリストが誕生した夜の記述に出てくる。

ルカによる福音書2章8節〜14節:
2:8さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
2:9すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
2:10御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える
2:11きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
2:12あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
2:13するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使いと一緒になって神をさんびして言った、
2:14「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように
」。

この天使の歌を「頌栄(しょうえい)」と言い、このことは即ち、全世界に生きる人々への祝福の歴史が始まったことを告げている。
 
救い主である主なるキリストが飼い葉おけで眠っておられるとは、これこそ最も信じがたいことであった。しかし、「恐れることはありません」と神の声を聴くことのできる者は幸いである。


「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」とは、私にはこのように聞こえる。

「人の世は戦争が絶えず、不条理で悲しみが溢れている。しかし、生活の重荷や人生の悩みに打ちひしがれている人々よ。目を高く上げるのです!
神を見上げて、キリストによる神の恵みを受け取りなさい。」
と。

「グロリア」は「栄光」、「イン」は前置詞で英語と同じ「〜で」、「エクセルシス」は「高いところ」、「デオ」は「神に」。
ラテン語はほぼローマ字読みをし、イタリア式、ドイツ式、教会式などの読み方があるという。

jinbutu1h.pngでは讃美歌106番、
「荒野の果てに」(グローリア)をどうぞ!

このサイトでは「インネクチェルシス」とイタリア式発音で歌っています。

" in excélsis " は、「エクセルシス」ではなく「ネクセルシス」と、ラテン語でも英語同様に子音の "n" に母音の "e" がリエゾンして、舌の動きは自然に " in excélsis " となります。

ひいらぎ.gifところがそのように歌っている人に出会ったことがなかったように思います。
posted by 優子 at 23:16| 神(聖書) | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

家の教会㉜ −クリスマス前の心の備え―

2016年12月4日(日)(第32回 家の教会) 
10時30分〜11時すぎ
出席者3名(Except R)

@ お話      『シリアの美しい伝説』 優子
A 聖書輪読   マタイによる福音書1章18節〜
                     2章23節
B 祈り      一人ずつ
C お話     チャールズ・ディッケンズ
              『クリスマス・キャロル』

anime_tomosibi03.gif5世紀から行われていたアドヴェント(待降節)、今日から2週目に入りました。
今朝の礼拝はシリアに伝わっている美しい伝説から始めました。今も戦闘が続くシリアの古い話です。

シリアに伝わる美しい伝説があります。
クリスマスツリーに飾る金や銀の糸は、この伝説から生まれたものだと言われています。

イエスさまが誕生された時のことです。
ベツレヘムに新しい王さまが誕生したという知らせに、ヘロデ王は大変不安を覚えました。

<ユダヤの王は、この私だ。ゆるせない。打つ手は早いほうがよかろう>

王は、全軍に命令を出しました。
「ベツレヘムとその付近にいる、2歳以下の男の子をすべて殺せ!」

この時、幼い男の子がみな殺しされた大惨劇は旧約聖書の預言の成就として記録されています。
(それはエレミヤ書31章15節の言葉で、今日の聖書個所マタイ伝2章18節にも記されています。)

その大惨劇の直前に、マリアの夫ヨセフに天の使いが夢に現れてエジプトに逃げるよう告げました。ヨセフとマリアはすぐに荷物をまとめて夜の間にベツレヘムを出ました。

この伝説はエジプトに向かって旅する3人の様子を伝えています。

荒野の真ん中ですっかり日が暮れてしまいました。やっとのことで小さなほら穴を見つけた3人は、その中で一夜を明かすことにしました。

このほら穴の入り口に1匹の蜘蛛がいました。蜘蛛はこう思ったのです。

<砂漠の夜は、とても冷え込む。このままでは、赤ちゃんのイエスさまが風邪をひいて死んでしまう。なんとかしなくちゃ>

蜘蛛は大急ぎでほら穴の入り口に巣をかけはじめました。入り口全体をふさごうと一生懸命に大きな巣をかけました。何時間もかけて頑張りました。

<これでよし! こうしておけば、冷たい風はほら穴の中に入れない。もう大丈夫だ>

蜘蛛の巣で冷たい風を防げるはずはありません。
でも、蜘蛛はイエスさまを守るために自分にできることを精一杯したのです。

真夜中近くのことでした。
静寂を破って、突然遠くから馬のひずめの音が聞こえてきます。ヨセフとマリアは目を覚ましました。

<ヘロデの軍隊に違いない>

馬のひづめの音が近づいてきます。

「おい、あそこに穴が見えるぞ。ほら穴を調べて来い!」

<ああ、もうダメだ。見つかれば私たち3人とも殺されてしまう。神さま、助けてください>

ヨセフとマリアは抱き合って必死の祈りをささげました。

兵隊の靴の音がほら穴の前で止まりました。
短い時間でもヨセフとマリアには長い長い時間でした。その時、遠くから声が聞こえました。

「おい、どうしたんだ。なぜほら穴に入らないんだ!」

「隊長、入り口に大きな蜘蛛の巣があります。もうずいぶん前から張っていたのでしょう。巣は破れていないから中には居ません」

「そうだな、別の所を捜せ!」

こうしてヘロデの軍隊は荒野の彼方に消えていきました。
ほら穴の入り口には夜露をいっぱいに浴びた蜘蛛の巣が、清く美しい月光に照らし出されて、ピカピカ、キラキラと輝いていました。

この美しい蜘蛛の巣が、クリスマスツリーの金や銀の糸をあらわしていると言われています。

このような話を読むと、字を見るだけでも恐怖を感じる蜘蛛にも少しは親近感が持てるような気持になりますね。

神さまは「私など何もできない」と思っている人の愛の働きを喜んで受け入れてくださいます。弱い人、小さな人、誰が見ていなくても、心を込めてしていることを神さまは決して無駄にはなさいません。

私たちの日常もまるで日替わり定食のように、よくもまあ毎日次から次へと形を変えて困難がやってくるものだと思います。それに疲れ切ってしまうと「どうせやっても無駄だ。どうせ同じこと。もういいわ」と気力まで消え失せてしまいそうになります。

しかし、「愛は計算を超えます。時として、愛は不可能に挑戦します。とうてい勝ち目のない戦いに挑みます。愛は、時として常識を超え、理性の上に立ちます。
そして、その結果、誰もが予想だにしなかったことを実現します。愛は最高の動機です。愛こそ、創造の力です」。


私たちが愛をもって尽くすことができるのは神さまがさせてくださっているのです。神さまが力をくださってさせておられる人を勝利させてくださらないことがありましょうか!


こう話してから聖書を輪読しました。初めてのクリスマスの様子を端的に書いているマタイの記録です。

マタイによる福音書1章18節〜2章23節:
1:18イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
1:19夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
1:20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
1:21彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
1:22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
1:23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
1:24ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
1:25しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

第2章
2:1イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2:2「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
2:3ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
2:4そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
2:5彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
2:6『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で、
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

2:7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
2:8彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
2:9彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
2:11そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
2:12そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

2:13彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
2:14そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
2:15ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

2:16さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
2:17こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
2:18「叫び泣く大いなる悲しみの声が
ラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。

2:19さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
2:20「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
2:21そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
2:22しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
2:23ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

そして祈り合ったあと、この時期になると毎年読む習慣になっているチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を開き、スクルージの甥の言葉を紹介して励まし合いました。

「伯父さんは、おかしな老人だよ」スクルージの甥は言った。
「そいつは本当だ。それに、愉快になれるものを、そうはしないんだ。けれども、ああいうひどいことをしてると、自分で罰を受けることになるのだから、ぼくとしては、伯父さんを何も悪く言うことはない。

ぼくは、伯父さんを気の毒と思うね。腹を立てようとしたって、伯父さんには腹が立てられないんだよ。叔父さんの意地の悪い気まぐれのために苦しむのは、誰なのだろう? いつだって、自分自身さ
」。

私たちも悪に負けないように励ましあって神の正しさを見失わないようにしましょう。結局のところ、人を認めることは自分を認めることであり、人の好意がわからず感謝もできなくて批判ばかり言う人は自分を受け入れることのできていない人なのです。

私たちも常に自らを省みながら、神さまに忍耐と愛を求め続けて自らの心まで引きずり降ろされないようにしましょう。

このあと讃美歌を歌いたかったのですがチャイムが鳴って中断。家の教会ではこのようなことが時々あります。

来客はシルバー人材センター事務局長さん。例年の庭木剪定前の見積もりと交渉で時間がとられ讃美できないで終わりましたが、讃美歌を聞きながらこれを書いている時にユキがクリスマス・ツリーを飾りました。心やすらかで幸せな時間が流れています。

私たちも今一度スクルージの生き方に気づいて神の救いを感謝して、クリスマスの歓びを喜べる者に整えられ備えられていきたいと思います。生かされている間はチャンスがあります。人は死んでからでは遅いのです。

「まだ祝いそこねてはいないな!」と喜んだスクルージ。愛こそが生きる意味を与えるのだと改めて思わされました。クリスマスの意味は、喜び、与えること、分かち合うことです。

2016イルミネーションA.jpg

近隣宅のイルミネーション。
12月2日から25日の17時から22時まで、
雨の日を除いて点灯される。

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posted by 優子 at 17:17| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

3年生の持久走大会は無念の欠席

今朝は毎年恒例の持久走大会だった。1年生の時は学年1位、2年生は2位、今年は前年1位だったHa君が「一緒に走ろう」と互いに声を掛け合っていたのに、ユキは昨夜10時頃から嘔吐して今日は無念の欠席となった。

毛布を汚したので、知子と二人でユキの世話や拭き掃除をしていたら、再び大量に吐き、その後も10回以上明け方まで繰り返した。昨年も12月に吐いた。クリスマス・イブの夜に。

激務で疲れ切っている知子はたった5時間の睡眠時間さえ熟睡できず、かいもく眠ることができないまま出社した。しかし、心残りは無くなったようだった。

というのは、今年の持久走はどうしても応援に行けず断念せねばならなかったからだ。今日は月初の朝礼に加えて今日から入社する経理畑の新人をお迎えするので、どうしても外すことができない。

今日が雨で明日に順延したところでそれも叶わず、今年は私だけで応援と写真を撮りに行くことになっていた。
「9時46分スタートし、運動場を2周してから校外を走る」。3・4年生が走る距離は、1・2年生の距離よりも500メートル長い2.5キロ。

私は学校の案内を見て家を出る時間や立つ場所を考え、今年はビデオも要望されていたので緊張気味だった。

午後2時半頃、学校帰りにT君が宿題を届けてくれた。T君は5位で、Ha君が1位だった。「T君、よく頑張ったね!」と感激して賞賛すると、「ありがとうございます」と、はにかみながら答えた。子どもの姿に心を満たす。

2学期もあとわずか。学校では22日の終業式を前に、15日から個人懇談会が始まり短縮時間になる。
年がら年中多忙を極めている知子は懇談会も難しく月初ならばと担任に相談していたが、「7日か8日ならば」と昨日先生からお電話をいただいた。

こうして今月もあっという間に過ぎ、そして来月はもう2017年になる。ということは、ユキの小学校生活もまもなく半分終わることになる。信じられぬ日の速さ! 後半の3年間は持久走大会も欠席することのないようにと願う。

幸いお昼前にはむかつきは完全になくなり、明日は登校できそうなほど元気になっているが、宿題を終えると再び眠っている。

ユキの代休にG.jpgこれは先週11月21日の月曜日、オープンスクールの代休だった日。ユキと散歩中に招き入れられた知人の畑で、たくさんの野菜をいただいた。
我が家のシュウメイギクやミントもこの方からいただいた。今から13〜4年前、当地に引っ越して2〜3年の頃だったと思う。

2010_6_18.jpg私たちの住んでいるこの辺りは金剛生駒紀泉国定公園に指定されているので、50年前は家の周囲に柵や壁を作ることも許可されなかったそうだ。それで花木を植え、6月になると紫陽花が周囲を飾っていた。(写真は2010年6月)

私は「アジサイ御殿」と名づけたほど美しい風景だったが、近年は木も老いて当時の見るかげもなくなってしまった。
IMG_1215.jpg
Kさんは10月初めに庭で転倒して大腿骨を骨折され、
最近退院してこられたばかりで痩せておられた。
しかし、私より18歳も年上とは見えず、
美しく年を重ねておられた。

ユキの代休にF.jpg
大根、かぶら、ネギ、ユズなど
2人でも持てないほどたくさんいただいたね。

ユキの代休にC.jpg ユキの代休にD.jpg11月の下旬でも咲いていたホトケノザ。

ユキの代休にB.jpgマンリョウとホトケノザはユキが撮った。
上手やねぇ〜〜〜。



22時19分追記:夜になって熱を測ると37度6分あり、頭痛を訴えているので明日も欠席。
21時半、知子が帰宅、帰るなり知子は玄関で言った。
「今朝ママと別れてから1週間ぶりに会ったみたい」。

そういえば明日はもう金曜日?! 先週役所や年金事務所へ行ったことが昨日のことのように感じ、私にとっても気を緩められない1週間だった。
今日、ようやく11月19日のJCP関西ブロックの例会報告を送信した。

posted by 優子 at 18:04| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

「私の心はゆるぎません」。

IMG_1305.jpg人間は肉体だけではなく魂にも休息が必要である。神の前に静まって神の導きをもう一度思いめぐらし、そして再び新たなる力に満たされて神に遣わされてゆく。
私たちは魂を透明に保ち、心と意志を鋭くして主の導きを見落とさないように進んで行く。
写真は裏庭のヒイラギの花。1週間ほど前に玄関のヒイラギの木に花を見つけて驚き、クチナシのような甘い香りを何度も楽しんでいたが、裏庭の木にも咲いていた!

明日は早くも2016年の最終月に入る。私のデボーションを導く1冊であるF・B・マイヤー(Frederick Brotherton Meyer、牧師・大伝道者で多くの著作あり)の『きょうの祈り』を開いた瞬間、ある一節に目が留まった。

まるで楚々たるクリスマスの夜に輝いた星のように、絶妙の神が私たちの歩み方を「良し」として往く道を照らし、力強く背中を押されたようだった。

義にまします神さま。人の罪を見れば、社会環境のせいであるとして、これは罰すべきものでなく、むしろあわれむべきであるとし、人の悪を見れば、これは社会風習の無理から生じたことであって、追求すべきでなく、むしろ慰めるべきであるという旗が振られます。

そこには、人を責めると、自分も厳しく追及されるし、人気も落ちるというそろばん勘定が働いているものです。こうして、世は傷のなめ合いを演じて、いよいよ腐臭を放って行きます。

しかし主イエスは、その地上のご生涯で、2度も宮きよめを敢行されました。ペテロをサタンと叱責されました。虚名無実のいちじくの木を呪われました。

神聖な怒りを、あなたにある義憤を、私にもお与えください。くれぐれも、塩気のない無用の塩となって道に捨てられるような者となり果ててしまいませんように。


「塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに和らぎなさい」。
       (マルコによる福音書9章50節)

これまでにも「怒り」について何度か考察してきた(過去ログ2007年7月31日・「正しさと怒り」)が、次に引用する北森嘉蔵(神学者、牧師)の説もこれまで取り上げた「怒り」について考えたことと重なる。

「怒るということは、『真実』のもつ裏側である。真実のないところには、怒りというものもない。お互いが不真実をもって、相手をだまそうとしていて、どちらかが先に相手をだました場合、だまされた者はおそらく怒るということはしないであろう。

『しまった!』と思うことはあるかもしれないが、『怒る』ということはないに違いない。だますという不真実の行為の場合は、怒るということはありえない。真実のあるところにだけ、怒りがある」。


ところがである。
私は今更ながら驚かされる「怒り」というものがある。今まで取り上げたことがなかったが、それは良いことをされて怒るという意味不明の怒りであり、しかも当然のことながらその怒りの矛先は完全に間違っているのである。

その一方で怒るべきことに怒ることができなくて、自分が庇護している側の人間を恐れるという理解に苦しむ奇妙な現象だ。

このような「怒り」をも同じ「怒り」の範疇で論ずるには無理がある。まず「怒り」の概念規定をしなければならない。

とにかく悩むべきことに悩める人は幸いである。
自己を直視して自らの醜さを認めて悩める人は幸いである。自分自身を見つめるということが最大の勇気であるのかもしれない。

己の悪に気づかない人、悪意に生きる人、嘘を次々に重ねる人たちは、他者との心の通い合いも知らずに生きる気の毒な人だ。

「彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。
わたしの魂はうなだれました。
彼らはわたしの前に穴を掘りました。
しかし彼らはみずからその中に陥ったのです」。

        (詩篇57篇6篇)

そして、7・8節の "Wake up my glory!” と続く。

「神よ。私の心はゆるぎません。
私の心はゆるぎません。
私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
私の魂よ。目をさませ」。


人は皆、それぞれに弱さ(欠点)を持ったお互いである。しかし、どの人も幸いな人生を築き上げるために、どうか自分の間違いを認め、悩み、悔い改めへと導かれますように。
「悔い改め」とは「ごめんなさい」とお詫びして神さまに向きを変えることである。

私たちは人生の途上において何が自分のために最善であるかわからないが、神さまはご存知である。しかも主(神)が私たちと共にこの世の旅路を歩いてくださっているとは何という幸せであろうか!

経営改革は今なお途上にあるが、神のご計画通り着実に進められており終盤に入っている。神さまと共に正しい方向に突進していく知子の意志と勇気、愛の働きの杭はしっかり打ち込まれ、周囲に良い影響を拡げ続けている。

神と共に歩む者には豊かな祝福が保証されている。私はこれからも背後で祈り続けよう。そして、いつまでも心を盲目にされている人の目が開かれるように、失望しないでもう一度熱心に祈らせてくださいますように。

「神よ。私の心はゆるぎません」。
これが知子の信条であり、現在の心情だ。


「神の奇跡の中を往く ― 長女の『出エジプト』―」

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2016年11月28日

キリスト教信仰の関わりで窪田空穂の短歌をよむ ―日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロック例会−

昨日からアドヴェント(待降節)に入ったが、私は風邪で再びダウンし「家の教会」も持てず、心配してくれている次女とスカイプした。主を信じる家族との交わり、祈り合える神の恵みをありがたく思う。

さて、19日の例会から1週間余り経ってようやく例会報告に着手するのであるが、このようなことは10年来初めてのことである。
そもそも学びの内容を端的にまとめるのは今も苦手であり、今回は特に私の心に響いたことをとどめるのみでまとまりのないものになるであろうと思う。

現在キリスト教文藝になくなってしまった「長歌」の伝統について、「短歌」や「俳句」では息切れがしてしまう、かといって「現代詩」では散漫になってしまう。そんな当惑を覚える人は多いと思います。
 
文語訳聖書の格調をふたたび手に入れるために、万葉集の長歌の可能性を探りたいと思います。窪田空穂のうたをその視点で評価したいと考えています。

そこで、キリスト教信仰との関わりでクリスチャン歌人・窪田空穂(うつぼ)の家族の死を看取る歌を詠み味わった。思いもせず東牧師は10月初めに伴侶を天に送られて悲嘆の中に在られた。

私たちの導き手である大田正紀先生の『窪田空穂小論 −貴族のこころ、平民のみち―』(16ページ)を配布していただいての豊かな内容であった。

最初に「窪田空穂『まひる野』と植村正久」(大田正紀著)より引用して人物の輪郭をご紹介したい。

窪田空穂.jpg空穂は長寿を全うした分、多くの苦難をも賜った。その試みを静かに堪え受容している。次女と妻の死。妻の妹を後妻に迎え次男をもうけたものの離別。忘れ形見の茂二郎は中国戦線に出たまま不明となり、戦後二年経ってソビエトに抑留され強制労働所で既に死亡していたことがわかる。
      (略)
空穂は自己のうちに湧き上がる感動や生命の発露をそのままに叫ぶ、見たままを写実する、それを第一義として疑わなかったアララギ本流の近代短歌のあり方に、自己批評や内省の必要を訴えた。

また、私の歌は「無駄話」とも言う。傍らにいる友達、あるいは神に私の真実、心情を聴いてほしい、そこに歌の原点があるというのである。

空穂は父と母のことを生涯にわたって慕い、父と母はいつも私を励ましてくれる存在であると、命日には新しい歌を詠み、90歳の最期まで詠み続けた。

年を重ねた空穂は長歌「父を憶ふ」に次のように詠っている。

「父を憶ふ 悲しくもわれ、人間の相場を知りぬ。知らぬとし知るまじとせる人間の相場、明らかに胸に映り来ぬ。

偶像を求むる心と壊つ心との矛盾せる二つの心、共にわが身の内にありて、若きより今に至る久しき間を相剋しけるが、いつの日にか剋せるもの和し、和せるもの消え去りて、ここに求むべく壊つべき偶像のあらず、あるは唯高からぬ人間の相場のみ。

わが父よ、三十年前みまかりたまへる父よ。人見ば一老農に過ぎざりし父よ。若き日の眼もて親しく視、老いし日の心もて具に味はへば、高き相場をささげまつるべき存在と我が父は見ゆ。今の我が悲しき心は、ただ我が父によりて慰めらる」。


人間とはこんな程度だったのか。しかし、父の心の高さは今の自分にとって慰めであり励ましである。

「生活は一に信なり 信あらば道おのづから開けゆくべし」と、空穂は信念を持って私は私の道を生きていくことを「信」と呼んだのではないか。「一に信なり」は空穂の座右の銘であり、父がその実践者であった。父は人から譲られた大型の聖書を持っていた。

次の2首こそが、日本の短歌で最も優れた歌だと思う。

「鐘鳴らし信濃の国をゆきゆかば在りしながらの母も見ゆらむか」 

「われや母のまな子なりしと思ふにぞ倦(う)みし生命も甦り来る」

                (『まひる野』)
小さい頃に見た巡礼の人たち。あの道を歩いていたら、また「通(つう)や」(空穂の本名:通治)と言って母が出てくるような思いがする。また、私は母に愛された子だと思うと励まされて生命力が甦ると詠っている。

「子の我の胸に宿りて我が母の三十五年とならせたまへる」

「頼むぞとただ一言いはしける母が眼ざしわれを離れず」

「通につきて行くといはししわが母よここにありここにいましね」


空穂は中学時代に松山市内のキリスト教会に通い英人牧師に英語を習った。植村正久より洗礼を受け3年間通ったが、植村が別の教会へ移ったのを機に教会から遠ざかった。

しかし、自分というものを見つめる神の目を忘れず、こういうダメな私も含めて悲惨な自分を見つめてくださって、「そこから立ち上がってきなさい」という、神の思いを終生忘れなかった素晴らしい歌詠みだったと言える。

教会生活から離れている中で、復活の歓びを見失っているところに限界点があるのではないかと思う。今あるもの以上のものを希求しながら平民の心を失わずに詠った歌人である。


最後に、空穂が後年、植村正久牧師のことを記していることも興味深い。植村正久は当時、牧師の牧師と呼ばれた人である。(資料より一部引用)

植村正久.jpg「その物云い、挙動は実に安らかで・・説教は実に不器用で、同時に実に感銘的であった。内容は、朗読した聖書の説明であったが、聞かせるのは集まっていた信者ではなくて、説教している自身に対しての反省の言葉となっていた

言うことは、突っかかりつつ吐き出すようにいう短い句で、圧縮した鋭い句であった。・・・牧師自身のその週間に見聞し、体験したことを、赤裸々に披瀝して参考にしようとする説き方である。そうした話の付加的な談として、信仰というものについて語られた一節がある。それが私の胸に沁みた。

要は、信仰ということは、神に仰ぎ尊むことではない。それは憧れにすぎない。信仰は、仮に身を神の立場に立たせ、神の眼にうつる自分たちの人間の現状を反省するところから起こる。

愛を旨とする神の、その身を分けて創造された人間の現状を見て、何と思われるだろうか反省せよ。相済まぬことだ、勿体ないことだと思わずにいられるか。

それは神は限りなく忍耐して待っていられるのである。独り子基督を賜わるまでの愛をもって、待っていられるのである。実に有難いことである」。


空穂は生涯尊敬してやまなかった植村正久の逝去(大正14年)の報に接して、次の追悼の歌を詠んだ。

「教壇に立ちて祈れる先生のふと咽(むせ)び泣かす御子に及ぶに(先生幼き愛子を喪はせられき)先生を知りまえおししはこの我の生涯の上の大き事なりき」

※ 過去ログ・2014年2月20日の「母の死の悲しみの共鳴板となってくれた空穂の歌 ―私のJCP合同例会余禄―にも空穂のことを書いている。

posted by 優子 at 12:38| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

指導者として召された者

「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください」。
          (エズラ記 10章4節)

主に選ばれた者が勇気ある行動に出るとき、協力する人々が必ず興されます。指導者として召された人は、立ち上がってください。協力する人は、指導者を励まし助けてください。両方の人が必要なのです。両者が一つになれたとき、主の不思議なわざが始まります。
アーメン!!!

絶妙なる今朝のみことば。
今日は年に一度、全部署が集まっての全体会議である。



posted by 優子 at 08:25| 美濃紙業関係 | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

チャッピーの1年後の同日に市役所に

光さす.jpg
曇天に陽ざし輝く
昨日は風邪でダウン。1か月前から書き始めていたチャッピーの偲び草を公開して横になると、3時間も眠ってしまった。

今朝は熱っぽさが取れたので予定通り2つの大仕事に取り掛かった。年金手続きと特定健診だ。
最初に7日のやり直しで市役所へ。戸籍全部事項証明と住民票全部、そして、平成28年度の所得証明書を発行してもらい、ついでにそれを持って大和高田市の年金事務所へ行って年金請求の手続きを完了させた。

請求手続きは送付でも受け付けてくれるが、同市の病院で特定健診を受けるべく予約していた。私の住んでいる市に唯一指定されていた病院が2014年の6月に閉鎖になり、その年は大阪市中央区にある健保組合診療所で受けることにしたが、その診療所も赤字のために終了してしまい去年は受けなかった。

指定されている奈良県内の病院は遠方だったり辺鄙な所ばかりで、自動車を運転できない私は頭から諦めていた。

しかし、無料でできるので使わないともったいないし、健保組合も健診してもらわないと困るというわけで、誕生月も終わった11月に入ってから問い合わせたのだった。有効期限は今月末で最後の最後に滑り込んだ。

この病院では健康検査は金曜日の午後2時からというわけで、案内どおり朝食を8時までに済ませて受診した。朝10時半に家を出て、市役所、年金事務所、そして、病院へ。

病院は年金事務所からさほど遠くなかったが不注意千万の私は大きな案内板を見過ごした。高田警察署で場所を聞きいて引き返し、予定通り最終目的地に2時前に到着した。

まもなく血圧測定を促され「165」にもなっていたのでびっくり。順番を待ちながら深呼吸して再度測ったところ10分後には135になっていたので、それも提出した。その10分後には120にまで下がり体も非常に楽になり安堵した。

皇帝ダリア.jpgとにかく2つの用事を終えて病院を出たときは心地よい達成感を感じて、空高く咲く皇帝ダリアを撮りながら駅まで歩いていたが、こんなことで達成感を感じるのも情けない。
しかし、電車に乗った時はクタクタで必死で家にたどり着き、その12分後にユキが帰宅した。

今朝、市役所で呼ばれるのを待ちながら、「あそこにチャッピーを納めた箱を置いた」と去年のことを思い出して見ていたが、先ほど帰宅した知子に言われて気が付いた。それはちょうど去年の今日だったことを。

2015年11月25日、良輔と朝一番にチャッピーを荼毘に付してもらうために来た。まさか1年後に役所に来るとは思わなかった。

昨日から1年前の慟哭の日々が思い出されて心が痛む。


posted by 優子 at 23:18| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

チャッピーのいない1年が過ぎた

ユキの代休にA.jpg昨日から急に秋から冬に入れ替わった。去年は今年以上に暖かい日が続いて、チャッピーが死んだ翌25日から急に寒くなった。

そして新しい年になり、春が来て、初夏、梅雨、夏、そしてまた秋になり、チャッピーのことを思いながら1年が過ぎた。今年もあの菊が咲いていた(photo by Yuki.)。チャッピーに献花した花が。

2009_5_1A4CE3.jpgチャッピーが8歳の時にユキが生まれ、ユキの「ワンワン」になり、一緒に遊び、何度も散歩に行き、老犬になってからはユキがよく面倒をみてくれた。

ユキはチャッピーのことを思い出しながら懐かしそうに言った。

チャッピーただいまA.jpg「今も学校から帰ってきた時、いつもチャッピーの小屋を見て思い出すよ。遊ぶ友だちがいなかったら絶対にチャッピーと遊んでる。

(去年の10月頃からは)ユキが泥団子つくったり、裏へ(穴を掘りに)行く時、郵便受け(門)のところまでついてきて、そこでずっとユキを見ていて、裏から戻ってきたら、また玄関の近くで立っていた。
チャッピーはたぶん空の上からユキがやっていることを見てると思う」。

泥団子.jpg
チャッピー、
ユキは今も
泥団子を作っているよ。(^−^)

私はチャッピーがいなくなってからも、「チャッピー、おはよう」、「チャッピー、ただいま」、「チャッピー、おやすみ」と声をかけていたが、初夏を迎える頃にはかけなくなっていた。

春になった頃、猫にゴミ箱の中を荒らされるようになり、蓋の上に物を置いても効果がなく、蓋を開けられないように紐をかけてようやく荒らされなくなった。
「チャッピーがいたら猫に荒らされたりしないのに」と、チャッピーがいなくなったことがたまらなく悲しくて悲しくて、悲しかった。

チャッピーが来た日.jpgチャッピーが我が家へ来たのは1999年8月21日、生後3か月の子犬だった。知子は21歳。
2006年1月26日のブログに「チャッピーは讃美歌犬」と題してこんなことを書いている。その頃の光景が昨日のことのように思い出される。

父も亡くなった2000年夏、その秋から知子とユキと同居する2009年春までが、毎日朝夕チャッピーと歩いていた最も懐かしい頃である。

夫は毎朝6時半頃、自動車で会社に向かう。
私は車を見送りながら、「今日も一日お守りください」と短く祈る。
そして、娘は7時に家を出る。雨でない限り、私は毎朝チャッピーの散歩を兼ねて娘を駅まで送っていく。行きは娘と話しながら、帰りはいつも讃美歌を歌う。

「朝からご機嫌ですなあ」と知らない男性に声をかけられたこともある(^−^)。

今朝は小鳩が道の端にうずくまっていた。怪我でもしているのだろうか。私はチャッピーを遠ざけながら様子を窺ったがわからなかった。

小鳩の安否を祈りつつ立ち去る時、私の唇に「一羽の雀に」の讃美が溢れた。(ここをクリックしてください。)

「心くじけて思い悩み などて寂しく空を仰ぐ 
主イエスこそ わがまことの友
一羽の雀に目を注ぎたもう 主はわれさえも支えたもうなり 
声高らかに我は歌わん 一羽の雀さえ主は守りたもう

心静めて御声(みこえ)聞けば 恐れは去りて委ねるをえん
ただ知らまほし行く手の道
声高らかに我は歌わん 一羽の雀さえ主は守りたもう」


チャッピーは黙々と歩いている。
そして、ときどき振り向き私と目を合わせる。
チャッピーほど、いろんな讃美歌を聴いている犬はいないだろう。

この記事を読まれた池田勇人牧師(日本クリスチャンペンクラブ理事長)が「チャッピーは讃美犬ですね」とメールに書いてくださっていた。

それからも9年10ヶ月を共に過ごして、2015年11月24日にチャッピーは死んだ。16歳半だった。

2007.5.24C.JPG 死ぬ1か月前.jpg
犬だってこんなに年を取る。
左は8歳、右は16歳半(死ぬ1か月前)、
お腹の腫瘍も痛々しい。

奇跡的回復後.jpgここに数少ない2つの動画がある。これは2014年2月14日の豪雪の日。

「かっこいいね、
柴犬チャッピー」


この年の初め、ひどい関節痛(?)で全く歩けなくなり、好物を与えても食べなくなり、友人から「安楽死も考えた方がいい」と勧められたほど瀕死の状態だった。

しかし奇跡的に回復し、1か月後には雪を踏みしめてこんなに元気に歩いた。この時の嬉しさは今も忘れられない。これがその時の動画である。



チャッピーに首飾り.jpgもう一つは、最後の春となった2015年4月。
今年の年賀状に掲載した写真だ。
この時すでにチャッピーは居なかったが、友人や知人に一度も紹介したことがなかったので、2年生を終了したユキとのツーショット、晩年の一番元気だった頃の姿である。もう腫瘍はできていたが。



E38381E383A3E38383E38394E383BCE381AEE981BFE69A91E59CB0.jpg
ありがとう、チャッピー。
犬を飼うのは今までもこれからもチャッピーだけ。
みんなチャッピーのこと忘れないよ!

附記:知子は今朝、体調が悪い私のために早朝に出社しなかった。
「ユキは手がかからないしユキを見送ったらまた休めるのに」と、知子の優しさを思うよりも不甲斐ない自分が情けなかった。
寒くなったので夜こそ早く帰ってきてほしい。クタクタになって帰宅する知子を良輔は駅に迎えに行ってやる気持ちは全くなく、夜遅く帰宅する知子を心配する方がはるかに私の体に応える。早く出社しても毎晩遅いのに!

知子は1台でも早い電車に乗るためにユキより一足先にでた。母と子の声が響く。
「ユキ、行ってらっしゃーい!」
「ママ、行ってらっしゃーい!」


今日のみ言葉より:

「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです」。(エズラ記9章6節)

エズラはイスラエルの罪を告白して祈ります。自分自身は罪を犯していなくても、「私たち」という主語で、民族の一員として、その罪を負う覚悟で、主の前にひれ伏すのです。そのような祈りが国を救います。

会社もまた同じである。
posted by 優子 at 08:32| 愛犬・チャッピー | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

義父の13回忌

昨日までと打って変わって今朝から急に寒くなった。今日の午後、義父の13回忌を執り行い亡き人を偲んだ。12年前、私は民生委員に任命されて初めての会合の日が葬儀と重なり、最初から休まねばならなかった。

私は昨日からしんどくて血圧が高く、薬を多く飲んでも治まるどころか、正午過ぎには(180/102)にも達していた。躊躇することなく頓服を飲み、お寺さんが来られる直前まで休んでおこうと思ったが、もっともっとどうしようもない状態にならない限りは、特に親族に対してはそういうことができない性分ゆえに5〜6分横になって起きた。

そして、しばらく聖書(エズラ記を少し、そしてネヘミア記を9章まで)を読み、気持ちを整え、体調と一切のことを祈ってから母屋へ行った。

ユキはサッカーを終えて、予定時間の13時ジャストタイムで服を着替えて入ってきた。
今日は中学校のグラウンドなので自動車で送迎しなければならない。行きはおじいさんに、帰りは知子が行き、その足でショッピングセンターへ走った。

男の子の靴の傷みようは女の子の比ではない。そこそこの品を買っているのに数か月ですり減って底や上部に穴があく。本人は大事に履くのでいつも私が見つける始末。今回はスペアも履きつぶしていたので2足買ってきた。

法要を終えて帰宅した時、ユキが「あの粉をまいて何してるの?」と回ってきた焼香の意味を聞いていたので、香りは心を清め、煙で体を清めて仏さんを拝むのだと簡単に話した。

クリスチャンは焼香をしないゆえにむつかしいところだが、今日は周囲に合わせた。ユキは困ったような顔をして隣の知子に眼を向けていたそうだが、ママと同じようにやっていた。

私もこの行為を「神さま、ごめんなさい」とお詫びして神に祈った。親族の祝福とこれからのこと一切を神に委ねた。

ここに義父の写真を掲載したいのに何度も見ていた写真が見つからない。体調が非常に悪くなってきたので、写真は後日貼ることにしたい。

posted by 優子 at 21:16| 随想 | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

「魂は是非とも歓喜を必要とする」 ベートーヴェン

☆ 今朝午前5時59分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震があった。2011年の巨大地震の余震だそうだ。津波警報も出されたが大事にならなくて安堵するも、もはや平穏ボケや平和ボケの時代ではなくなった。

今週は家庭礼拝を捧げることができなかった。先週末も知子は夜遅くに帰宅してからも仕事、19日の学校訪問後も、その夜も午前2時頃まで、また、20日(日)の午前中も休みなく仕事をしていたからだ。

その日の午後は9月から予約していたオーケストラの演奏を聴きに出かけた。生演奏など14〜5年ぶりだ。プログラムに惹かれ、わざわざ大阪まで出かけて行かなくても20〜30分で行けるというので、生協のチラシを見て知子が誘ってくれたのだ。

演奏が終わるまで涙が止まらなくて困った。
知子は「ママの心が弱っていると思って探していた。私もやけれど」と言った。その言葉を聞いた瞬間、私の心が温かい緩衝材で包まれたように感じた。初めて経験する感覚だった。


さざんかホール開館20周年記念イベント
指揮:巨匠・秋山和慶
独奏:情熱のピアニスト・及川浩治
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

プログラム: ■モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
        ■ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」
        ■ドヴォルザーク/交響曲 第9番「新世界より」

2曲目、ピアニストが鍵盤に手を付けた瞬間から胸が熱くなり涙が溢れてきた。2楽章のように宗教的な祈りを思わせる穏やかな曲想に涙するのではなく、強く激しくなるほど涙が頬を伝った。
『皇帝』ではベートーヴェンは躍動感を表しているのだが、私には躍動感として聴いてはいなかった。

ロマン・ローランの『苦悩の英雄ベードーヴェンの生涯』の世界が開け、最初のうちは苦悩する孤独なベートーヴェンの傍にいて、彼の言葉を聞いていた。

「できるだけの善を行うこと、何にもまして自由を愛すること、そして、たとえ王座のためであろうと、決して真理を裏切らないこと」。

「私は善良さ以外には優越さの証拠を認めない」。

「魂が苦痛に慣れるためには相当の時間がかかる。魂は是非とも歓喜を必要とするので、歓喜を持っていない時には、それをつくりださなければならない」。

「苦悩を通って歓喜へ!」


ドヴォルザークの『新世界より』もまた、強く激しい曲想になればなるほど涙が溢れた。もはや私の意識ではなく無意識下の魂の反応だとわかった。

両親の庇護の下でクラシック音楽に浸り、ベートーヴェンやシューベルトの世界に生きていた時を単に懐かしく感じたというものではない。それでもやはり父と母が恋しくて、父と母が生きていた日々が恋しくてたまらなかった。

ドヴォルザークの新世界はアメリカのことであるが、私の「新世界」はこうだ。
人生は何度も暗雲に覆われて嵐の中を進まねばならないが、避けないで激しい戦いに耐えて突破した時に新たな世界が開かれる。それは環境や状況の変化ではなく新たなる境地である。

涙を流しながらも、人間について、人生について思いを馳せながら前を向いている自己を感じていた。それでも何が私の心の琴線に触れて涙を流していたのか未だにわからない。ただただ涙が流れ続けていた。


そして最後に思ったことは、人生の全てを突き抜けさせてほしい。苦悩から逃げるのではなく、最後まで思いっきり突き進んでゴールに入りたいと願う。ゴールとは言うまでもなく召天である。

演奏が終わる数分前に横目で知子を見ると、口元を引き締めて前方を凝視して聴いていた。その真剣な表情に荘厳さを感じた。そして、心の中で知子に言葉をかけた。
「今までのとおり一生懸命やればいい。○○がどうであれ!」
そして自らにも言った。
「私も知子や真智子の母親として恥ずかしくないように突き進んでいかねば!」と。

ついでながらユキはどのように鑑賞していたかと言えば、30分もしないうちに居眠りはじめ、まもなく熟睡、『皇帝』の演奏が終わって大きな拍手で目を覚ました。良輔に至ってはイビキをかき始めたので注意しなければならなかったそうだ。

大阪フィルハーモニー交響楽団は関西交響楽団が前身で朝比奈 隆を中心に創設された。家族でフェスティバルホールへ行ったことも懐かしい。もう50年以上も前のことになる。

「この人たちはみんな、楽士さんやで」と、耳元で言った母の声が聞こえるようだった。あの時「楽士」がどういう意味かもわからず、私はただ母の感動にしみじみ感動していたことを今も覚えている。

クラシックの生演奏は五臓六腑を浄化する。これからはたびたび聴きに行きたい。会場が遠いのは嫌だけれど今度は音響装置のいいホールで聴きたい。お金を払って寝に行かれるのはもったいないので、次回は知子と音楽の分かるもの同士で。

posted by 優子 at 21:27| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

写真とは心を写す「写心」

かなり前のことだが、『滋賀夕刊』2013年02月26日付けに掲載されていたペン友の記事を見つけた。
友への励ましを込めて、そして、長浜に在った日本開拓伝道団(Japan Inland Mission:1933年創立)の教会を記録しておきたい。

惜別、亡き妻の写心展

0226nengajyo_photo.jpg北船町のアマチュア写真家・長原武夫さん(78)の妻で昨年12月に急逝した萬壽子さん(享年78)の写真入り年賀状展が28日まで、平和堂長浜店5階で開かれている。「惜別 写心展」と題した同展はバレーボールや絵手紙など多方面で活躍した愛妻を偲ぶ作品が並んでいる。
 
長原さん夫妻はキリスト教会の縁で、1954年に結婚。萬壽子さんは10年余、伝導(伝道)に励み、その後、33年間、長浜赤十字病院に看護助手として勤務。ママさんバレーボールチーム「長浜サンクラブ」を発足し、選手、コーチ、監督として30年以上プレー。その傍ら、押し花教室「長浜ロイヤルサロン」や郵便局の絵手紙教室で指導していた。

昨年3月の受診ですい臓ガンが見つかり、摘出手術。余命半年と言われつつ、入退院を繰り返し、再起を図ったが、12月13日、惜しまれながら、この世を去った。

全日本写真連盟湖北支部の支部長を務め、ポートレートを得意としていた武夫さんは、萬壽子さんをモデルに88年以降、写真入りの年賀状を友人らに送るように。年賀状は多い時で300枚程度。毎年パターンを変え、好評だった。

作品展では四半世紀にわたる年賀状の歴史を通して、萬壽子さんの生き様を回顧しており、武夫さんは「妻は家庭人として、優しさを第一に生活していた。多くの友人、知人らに恵まれ、幸せだった」と話している。午前11時から午後5時まで。

日本開拓伝道教会.jpgこれは2012年9月29日、病床の萬壽子さんをお見舞いした帰りに訪ねた日本開拓伝道教会である。

会堂は1963(昭和38)年4月19日に献堂式が執り行われた。後年、教会の代表として長い年月長原さんご夫妻が愛して仕えてこられた教会であったが、長浜駅前再開発で2014年(?)に取り壊されて今はもうない。

それにまつわる出来事の苦渋はいかばかりか!

教会はなくなってもご夫妻にとっては「終生の教会」であり、今も長原さんが納骨堂を管理し、毎週2度、夏はもっと頻繁に献花を交換するために足を運んでおられる。

長原萬壽子さん遺作.jpg

頂戴した萬壽子さんの遺作・「ピエロの仲間たち」はブログにも記録させていただいている。


posted by 優子 at 18:11| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

東 道男牧師 72年間連れ添った伴侶との別れ−日本クリスチャンペンクラブ・関西ブロック例会− 

19日は千里ニュータウン教会で日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの例会があった。

南千里駅.jpg

阪急・南千里駅に降りると美しい景色が目に飛び込んできた。
毎年6月と2月の例会会場になっている日本キリスト教団・千里ニュータウン教会は、阪急千里(せんり)線の南千里駅から徒歩でも行ける距離にある。万博記念公園は千里線では次が最寄りの駅だ。

IMG_1152.jpg千里ニュータウン教会の東(あずま)道男牧師は96歳、現役の牧師である。
例会の2日前に、東先生の御伴侶が10月5日に召天されたことを知った。共に歩んだ年月は72年間だったという。

今年初め、『種を蒔く』の編集のことで東牧師にお電話したことがあった。東先生は耳が遠いのでファックスで送信したが届かず、急を要するのでお電話した時に奥様が取り次いでくださった。

「道男さん! 道男さーん! クリスチャンペンクラブの藤本さんからお電話ですよ」。と、明るい声で呼んでくださった。
しばらく待っていると隣室あたりから来られた気配があり、「ありがとう」とお礼を述べて受話器を取られ、その様子からこれまでのお二人の歩みの全てを凝縮して見せていただいた思いがした。

IMG_1158.jpg「皆様のご来会を心からお待ち申し上げております。楽しい実りと良き証詞の会でありますように」。

昨日も玄関に看板を立てて迎えてくださっていた。
例会が終わって別れる時、いつものように外に出て見送ってくださる師の姿に心が痛んだ。

東牧師は私が籍を置いている教会のことで心を痛め、何度も励ましを送り続けてくださっている牧師である。私は8月から3ヶ月もお手紙をお送りしていなかったことが悔やまれてならない。

posted by 優子 at 23:59| JCP関係 | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

オープンスクールを見学してクリスチャン・ペンクラブの例会へ

昨年もクリスチャン・ペンクラブ関西ブロックの例会の日と、ユキの小学校が1日自由に参観できる「オープンスクール」が重なった。
今日も1時間目から(15分ほど始まっていた)知子と学校へ。夫は不在。早朝4時半に家を出て兵庫県三木市の吉川(よかわ)でゴルフ。

E59BBDE8AA9EE381AEE68E88E6A5AD.jpg1時間目は国語、「修飾語」を学んでいた。もうこんな難しい言葉も出てきてるの?
文章の書き方、一から勉強したいと思った。

IMG_1136.jpg

「おーい、ユキちゃーん!
肘ついてちゃダメだよー」



そして、5分間の休み時間に。
IMG_1137.jpg
IMG_1134.jpg IMG_1135.jpg
左は、シクラメンの花を見て詩作?

E7AE97E695B0E381AEE68E88E6A5AD.jpg2時間目は算数。
単元は「小数点」。
ユキは予習しないでわかるの?
毎日暗くなるまで外で遊んで、今も家では宿題しかしない。『サザエさん』のカツオ君になってしまうよ。

IMG_1141.jpgやっぱりカツオ・ユキだ。真剣さが感じられない。




パソコン操作でテレビ画面にも!
1算数の授業.jpg

10時15分、私は答えがわかったところで教室を出て駅へ急いだ。渡り廊下に掲示されていたユキの作品も見ずに。知子は11時まで居たという。

私は授業中も腰が痛くて立ってられなくて何度もしゃがみ、体力的に心細かったが電車内で席を譲っていただいてありがたかった。

附記:『生かされて』の今日の記事に書かれたみことばと同じみ言葉が、昨日の『メメントドミニ』に書かれていたと、友から嬉しいメールが届いていた。

「イエス様による不思議な一致ですね。
なんだか嬉しくなりました。
お祈りの本を読むゆきひさくんに心打たれました」。


友がブログに書いておられる通り、このたびは、悪い思いと怒りが心の中に入ってしまった。すべてに先だって心を健全に保つことを大切にしているが、心の不調を早く察知しても自分の努力だけでは難しい。

そんな私が深みにはまらぬうちに、神さまがユキを通して平安へと助け出してくださったのである。

以下は友のブログ『生かされて』より:
昨日の家庭集会では「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)」という聖書の言葉からお話を聞きました。

心を見張るとはどういうことでしょう……。心の入口を守ることです。

『怒りや嫉妬など悪い思いを心の中に入れないように。』と言われましたが、悪い思いが心の中から次々湧いてくるようなときがあります。
悪い思いを作り出しているのではなく、入ってきているのですね。

   (略)

今のわたしはどうでしょう。悪い思い、誘惑、嫉妬や怒り……そのようなものが心の入口まで来ています。うっかりすると中に入って、あっと言う間に増大するでしょう。

祈るしかありません。
イエス様、どうか心の入口に来てください。そしてわたしの心のドアを守ってください。
「心を守ると、いのちの泉がこれからわく」のですね。いのちの泉をあふれさせてください。
 
posted by 優子 at 23:59| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

かみさま ユキをありがとう!

私は昨日一日中不機嫌だった。知子に怒っていた。夜になっても気持ちが変えられなかった。知子は謝らない。しかし、そのことで気持ちが変えられないのも情けない。全く私らしくない。

実はそれに先立って、あるクリスチャンの不快感に縛られていた。嘘が見え見えなのに本当のことを言わないで、そのことには触れずに流していく生き方。そのような土台に積み上げているならば虚構でしかないと、いつしか私はそんな風に思うほど囚われてしまっていた。

それにしても、人間というのは取るに足らないことにも生きざまが見事に現れるのだと思う。そういう私もまたその不快感で身動きできなくなっている。

「神さまの目から見れば人間は皆50歩100歩、ドングリの背比べ」と、私に洗礼を授けてくださった小山恒夫牧師がよく言われたことを思い出す。

そういえば、このことは祈ってはいなかった。
「神さま、ゆるします。私自身にも同じことがあればゆるし気づかせてください。その人のことを悪く思ってごめんなさい」。
何よりも心からの祈りを忘れていた。

そんな私にユキがお祈りの本を出して読んでくれていた。その時はユキのことを「すごいなあ」と思いつつも心なく聞き流していた。しかし、今朝になって私は解放された。


昨夕、ユキが読んでくれたところを今朝の食事中に教えてもらった。
一番最初に読んでくれた祈りだけは心に残っている。二番目に「主の祈り」を読んでくれたそうだが記憶さえない。

時間がなくてどの祈りを読んでくれたのか全て聞くことができなかったが、今一度全身で受け止めたく、ここに一字一字刻もうと思う。

このような孫を与えてくださった神さまに感謝します。
そして、心から悔い改めます。おゆるしください。もう2度と同じ愚行をしないように助けてください。

▼ かみさま
 きょう きげん わるくして
 ごめんなさい
 ぼくが わるいことしても いいことしても
 かわらず あいしてくれて
 ありがとうユキが読んでくれた「祈り」.jpg





▼ わるいことを したことや
 されたこと
 ずっと おぼえていることで
 ともだち かぞくを きずつけていたら
 かみさま ほんとうに ごめんなさい

▼ あいする かみさま
 わたしたちは わるいことを したとき
 ゆるしてください
 わるいことを されたとき
 ゆるせますように
 アーメン

▼ しゅ イエスさま
 おじいちゃんと おばあちゃんを
 ありがとう
 いつまでも げんきで いられるように
 まもっていてください
 アーメン

▼ あおい そらに つめたい おがわ
 かみさま ありがとう
 こかげに いると いいきもち
 かみさま ありがとう
 ときどき ふいてくるかぜ いいにおい
 きれいな おはなが さいている
 てんの かみさま かんしゃします

▼ たべもの きるもの あそぶもの
 すべてを あなたに かんしゃします
 アーメン

▼ かみさま
 いつでも こころから
 ありがとうって
 いえますように
 この ひとくちを
 この ひとさらを
 
▼ てんのかみさま
 きょうの ひを ありがとう
 きもちいい そよかぜや 
 あったかい ひの ひかりも ありがとう

 たのしいな
 おてつだいも あそぶのも
 てんのかみさま ありがとう
 あたらしい ひを ありがとう


『まいにちの おいのり バイリンガル』(いのちのことば社)より
 
2重跳び@.jpg「今日2重跳びが3回できた!」と、昨日学校から帰ってくるなり道路で飛んでいた。
そして今朝の登校前に披露してくれた。
じょうず、じょうず!


二重跳びA.jpg「道路はガタガタだからやりにくいけれど、パーキングはもっと上手にできるから!」

朝の影送り.jpg


最後に、
「おばあちゃん、影送りしよう。目をつむって!」

そして、7時42分。
「おばあちゃん、行ってきまーす!」
ユキは元気に出発した。

ユキ、本当にありがとう。
ユキは我が家に遣わされた天使やね!
心が正されたから心が天使の羽のように軽くなったよ。

「油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである」。

    (箴言 4章23節)

神さま、ありがとう。
新しい今日を誠実に生きることができますように。
明日は知子の誕生日だ。

附記:IMG_1030.jpg国語で『ちいちゃんの影送り』を習っていたので、半月ほど前から何度も「影送り」をやっている。
これは11月13日、知子と3人で。


posted by 優子 at 10:27| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする