2017年04月16日

家の教会2017N ―イエスの復活―

IMG_3955-thumbnail2.jpg昨朝、脳死の赤ちゃんが「昨夜7時に亡くなった」との連絡が入った。午後はイスラム教式で埋葬するので午前中ならば在宅しているという短い知らせだった。

この日は大津教会でクリスチャン・ペンクラブの集いがあり、会計報告と編集に関して連絡事項と多くの検討を抱えていたので休むことができず、関係者に遅刻する可能性ありを連絡して知子と共にご自宅に馳せ参じた。

ご遺体の前で、そのお母さんに寄り添い、許しをえて声を出して神に祈らせていただいた。まもなくお母さんとRちゃんの泣く声が聞こえた。お祈りのあとRちゃんを抱きしめて長い間泣いていた。3年生までずっとユキとクラスも同じ、まだ9歳の女の子だ。

まもなく伴侶が役所から帰ってこられた。日本では死亡後24時間経たないと埋葬できないので翌日の午後になると動揺しておられた。

どのような言葉でもって慰めることができようか。
私はただ " I have deepest sympathy." としか言えなかった。

我が子の不条理な死という悲しみと苦しみだけではなく、それに加えて私と知子が経験している積年の苦悩の、その究極にある女性とご家族である。ただただ神のご加護を祈るばかりである。

今頃、埋葬されたところだろう。

知子は信仰によって夜が明けるのを心待ちにし、朝早くからイースター愛餐会の準備を整えてくれていた。知子と私は今年のイースターほど神の真実を深く感じたことはない。

今朝はRちゃんご家族のことを憶えつつイースター礼拝を捧げた。

2017年4月16日(日) (2017第15回 家の教会)
10時5分〜10時55分
出席者 4名
@ 前奏
A 主の祈り
B 讃美歌(21) 575番 「球根の中には」
C 聖書輪読 マタイによる福音書28章全章
D お話   優子
E お祈り  一人ずつ(T)
E 聖歌 172番 「墓の中に」
F 後奏

マタイによる福音書28章全章:
28:1 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
28:2 すると、大きな地震が起った。それは主の使いが天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
28:3 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
28:4 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
28:5 この御使いは女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
28:6 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
28:7 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。
28:8 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
28:9 すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
28:10 そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。

28:11 女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。
28:12 祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
28:13 「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
28:14 万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
28:15 そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
28:17 そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
28:18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

お話:
安息日である土曜日が終わって日曜日の明け方のことです。ユダヤ人の律法では土曜日が安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)でした。

今朝は先週の続きでマタイが書き残した箇所を読みましたが、マルコはマタイよりも詳しく記しています。

「さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして、彼らは『だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか』と話し合っていた。」
         (マルコによる福音書16章1節〜3節)

ここに登場するサロメとは、洗礼者ヨハネの首を求めた人物(ヘロディアの娘)ではなくイエスの弟子です。サロメと言えばバプテスマのヨハネの首を求めた人を思い浮かべますが、それは「ヘロディアの娘」と呼ばれているサロメであり、ここにでてくるサロメは別の人物で、イエスの母マリアの姉妹である「クロパの妻マリア」(マリア・サロメ)と同一人物と言われているようです。

墓の入り口に大きな石が置いてあります。これは死者と生者の世界を分け、もはやどんなに嘆いても交わることができないという象徴的なものですね。

この石を動かすことができなければイエスさまの御遺体に香料を塗ることもできません。でもとにかく行ったのです。行かずにはおられなかったのです。

すると地震が起こって天の使いにより大きな石を転がされ、恐る恐る墓の中に入って行くと白い長い衣を着た若者が座っていたと言いますから凍りつくほどびっくりしました。
実際「見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。」と書いてありますね。

しかし「恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」とあります。私は「恐れながらも大喜びで」という言葉に引き付けられました。 

見張りをしていた番兵たちはただただ恐怖だけでした。しかし、イエスを信じる者にとっての恐怖は直ちに喜びに変わったのです。試練や苦悩なくしてクリスチャンはありえません。

私たちは人生の途上で何度も呻く苦悩を経験します。理屈に合わないことばかりで「どうしてですか?! いつまで忍耐すればいいのですか?!」と苦難に耐えかねて何度も呻きます。

私はクリスチャン生涯に入れられて今年で30年になりますが、信仰生活の初めの頃は「神は物事すべてを良きものにしたもう。神は愛にして愛なるお方」と知ってはいても、小さな慰めは感じ得てもよく分からなかった。実感できませんでした。

ようやく10年あまり過ぎてからわかる者とされました。
そこに至るまでの苦しみは恵みへの必然の道であり、それらのことを通されながら神さまは確かに深みへと導かれてきたことがわかります。呻きから恵みへとセットされていたのです。

墓に馳せ参じた彼女たちの根底にイエスさまへの信頼があったと思います。最初は驚きと恐れでいっぱいでしたが、次の瞬間、恐れながらも大きな喜びが来たのです。

私たちの信仰生涯においても主の御心の時(神の時)に思いもしない出来事があり、まさに神の絶妙なる時に絶妙なる出来事があり驚きに震える時があります。

その出来事を通して「優子よ、わたし(イエス)だ。わたしはいつも共にいる。全てを知っているぞ」と、神の臨在を知らせてくださいます。

墓に急いだ女性たちは半信半疑ではあったかもしれないけれど、主は復活されるということを確信していたのです。その時は半信半疑ではあったとしても、復活されるという信仰をもっていたのです!


私たちの日々も尽きぬ試練との闘いで無我夢中の日々ですが、彼女たちのように信仰を持って「走るべき行程」を最後まで走り抜きたいと思います。神の家族(信仰の友)と共に互いに励まし合いながら。

IMG_4008.jpg自然界を見ていますと不思議でなりません。
自然界を創られた神はその中に死者の復活をも暗示しておられるように思います。


この「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである」。(ロマ書10章4節)

主イエス・キリストが復活されたことより土曜安息日は廃止され、復活された日曜日を「主の日(聖日)」と定められました。ハレルヤ!

「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」。
    (コリント人への第一の手紙 15章19節)

カール・バルトは言っています。
「聖書は信じた時に神の言葉になる」。

「イエスさま、ユキはおなかがすいたのでお話の聴き方があまりちゃんとできなかったけれど、イエスさまが復活されたことがわかりました。
イエスさま、復活してくださってありがとうございます。おめでとうございます。イエスさまが復活されたので、ユキの家も今からパーティーみたいなものをします・・・」。

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★聖歌172番「墓の中に」歌詞:

1.墓の中に いと低く
  葬られたり ああ我が主
 (くり返し)
  黄泉(よみ)より帰り 死と悪魔に勝ちし
  君こそ勝利の主なれ 君こそまことの主なれ
  ほめよイエスを  我らの神を

2.番し続けし  兵の努力
  虚しかりき  ああ我が主
  (くり返し)
3.封印固き  門(かど)破り
  出でたまえし  ああ我が主
(くり返し)


英語版はここをクリックしてください。

★讃美歌(21) 575番「球根の中には」
 
     1 球根の中には 花が秘められ、
       さなぎの中から いのちはばたく。
       寒い冬の中 春はめざめる。
       その日、その時を、ただ神が知る。

     2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
       深い闇の中 夜明け近づく。
       過ぎ去った時が 未来を拓く。
       その日、その時を、ただ神が知る。

     3 いのちの終わりは いのちの始め。
       おそれは信仰に、死は復活に、
       ついに変えられる 永遠の朝。
       その日、その時を、ただ神が知る。


posted by 優子 at 14:34| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

只今必死状態

IMG_3951.jpg知子は2か月前から猛烈に聖書を読んでいる。平日も通勤電車の中で、夜も時間があれば読み、休日は深夜まで、また昼間は長時間読んでいる。
そんな知子から先ほど贈られたみ言葉は。

「あなた方が、気力を失い疲れ果ててしまわないように、ご自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい」。(ヘブル人への手紙12章3節)

IMG_3943.jpgそして今朝、祈りの友からいただいたみ言葉は、
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」。
  (ヘブル人への手紙4章12節)

IMG_3937.jpg「家の教会」での聖書メッセージの準備は、毎回8〜10時間(2〜3日)かけて準備しているが、今日はあともう少しで完了という11時過ぎに、『種を蒔く』4号(日本クリスチャン・ペンクラブ関西ブロック発行)の初校が届いた。
すぐにでも封を開けたいところだったが礼拝メッセージを仕上げた。

覚悟はしていたが、またまた「必死状態」パートVになった。取り掛かり出した11時半過ぎから、まずは一通り見て印刷屋さんと大田先生にメールし、印刷屋さんからの電話で原稿を見ながらあたふたし、その後も目次漏れを発見するなど、Oh help!

気がつけば2時半過ぎていた。垣根の間から外を覗くと古紙回収がそのままになっていた。その時、義母の古紙を出すのを忘れていたことに気が付いた。こんなことは初めてだった。そのあと少しして回収に来てくださり幸運だった。感謝!

そして大急ぎで掃除機をかけて、ようやく昼食をと思った瞬間にユキが帰宅した。腰も痛くて座れず、「お行儀が悪いけれど」と孫への教育的配慮を忘れず(笑)横になって食べ物を口に入れた。

今日は久々の晴天。午前中に行くつもりだった散歩に夕方から30分ほど出かけた。抜けるような晴天ではなかったが、青い空をバックに桜を見たかった。

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でもこれだと「抜けるような晴天」だ。
11日の冷たい雨風で色あせてもいたが、ようやく青い空のもとで桜を見ることができて大満足。これで今年の桜も見納めだ。

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今朝は4度まで下がり午前中は暖房をかかせないのに、まもなく葉桜の季節に移る。11日から造幣局の桜(八重桜)の通り抜けも始まった。

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公園の八重桜も間もなく開く。
蕾をアップにするとこんなだよ!
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木々も新芽を芽吹かせ、その勢いまで伝わってくる。
自然界の神秘。その中に復活を暗示させる。
明日は いよいよ"Good Friday"(聖なる金曜日)。


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私が折ってしまったチューリップも精いっぱい咲いている。
本当はもっと背が高くて最初に咲き始めたほど元気だったのに、夜は完全に花びらを閉じられないし、目覚めてもやっぱり勢いがないけれど、「2017年のチューリップ」を脳裏に焼き付けたい。

さて、JCP15日の例会では総会がある。知子の助けを得て会計報告は9日に完了させた。今月末までに印刷屋さんを再訪する予定。それまで「必死状態・パートW」を頑張らねばならない。
明日のことは明日のことにして、今日も感謝で閉じる。

posted by 優子 at 23:53| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

自然界に秘められる神のわざ

明日は冷たい雨の一日とあって、曇天ながらやはり桜が気になって今日も散歩に出た。40分間ほどとどまっていたので帰宅した数分後にユキが帰って来た。

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今年は晴天に恵まれないまま桜の季節が終わろうとしている。
昨日から花は散り始め、小さな花筏(はないかだ)ができていた。

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この木にたくさんの鳥が花をついばんでいた。

IMG_3741.jpg10羽はいただろうか、周囲には私のほかは誰もいないのに、鋭く人の気配を察して場所を変える。花に埋もれてどこにいるのか見つけられず、かろうじて1羽だけ姿を捕らえた。


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2013.4.5 ユキにねだられて写された.jpg
2013年4月5日。
ユキにねだられて写された一葉。
今となっては大切なチャッピーとの
ツーショット。

チャッピーは本当にここに来たんやね。
そして、私は本当に柴犬を飼っていたんやね。

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静かな場所で満開の桜をひとりじめ。池には水鳥がいる。
心が癒されていくのがわかる。
私の耳にはずっと" On Golden Pond "が聞こえていた。

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遠くの木々も日に日に姿を変えていく。

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ここにもスノウフレークがあった。

IMG_3827.jpg公園では数種類の鳥たちが食べ物をついばんでいた。これはムクドリ。もう1羽はもっと右側にいる。
人間よ、鳥に学べ。この鳥たちは種類が違っていても平和にやっている。
幼稚園児が帰って来たので鳥たちはあわただしく飛んで行った。

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スノウフレークはヒガンバナ科。

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ユキの秘密基地の前にもスノーフレークが咲いていた!

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これも初めて気がついた近隣宅の木に咲いていた。

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白く見えるのは山桜だろう。

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毎年12月に入ってから球根を植えるので咲くのが遅いが、
今年も我が家にもチューリップの季節が訪れた。

IMG_3850.jpg万物を創造された神を想いつつ「球根の中には」(讃美歌)を聞く。

1 球根の中には 花が秘められ、
 さなぎの中から いのちはばたく。
 寒い冬の中 春はめざめる。
 その日、その時を、ただ神が知る。

2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
  深い闇の中 夜明け近づく。
  過ぎ去った時が 未来を拓く。
  その日、その時を、ただ神が知る。

3 いのちの終わりは いのちの始め。
  おそれは信仰に、死は復活に、
  ついに変えられる 永遠の朝。
  その日、その時を、ただ神が知る。


次週のイースター礼拝で讃美したい。

posted by 優子 at 21:09| 随想 | 更新情報をチェックする

突如まぶしい光に移されて7回目の春

昨日の午後、知子とユキと3人で散歩に出た。ここ数日続いた暖かい空気が入れ替わり風が肌寒くなっていた。

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2010_4_6ADA1.jpgこれは2010年4月6日。ユキは2歳8ヶ月だった。
知子はこの時と同じウインドブレーカーを着ている。
もう少し手前に立ってもらえばよかったね。

上掲の埋め込んだリンク記事より:
孫はチラチラ舞う花びらを手のひらで受けながら、「この雪、冷たくないね」と、いつも読んでもらっている絵本に出てくる言葉を言った・・・

「あなたがたは、先の事を思い出してはならない、
また、いにしえのことを考えてはならない。
見よ、わたし(神)は新しい事をなす。
やがてそれは起る、
あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、
さばくに川を流れさせる」。
          

本当にそのように生かされているね。感謝!

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風が強くすでに花びらが散り始めていた。
生命が溢れて葉が噴き出している。

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公園の桜も今が満開!

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これもなんと美しい! 初めて見たスノウフレーク
帰宅早々ユキはポケット図鑑を開いて名前を教えてくれた。

posted by 優子 at 17:30| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

家の教会2017M ―十字架の意味―

4月8日 9時46分.jpg
2017年4月9日(日) 
     (2017第14回 家の教会)

10時5分〜10時55分
出席者 4名
@ 前奏(Dubois:「大路を旅する汝らよ」−十字架上の七言より―)
A 主の祈り
B 讃美歌
C 聖書輪読 マタイによる福音書27章27節〜56節
D お話   優子
E お祈り  一人ずつ(T)
F 新聖歌  113番 「君もそこにいたのか」 
G 後奏 

IMG_3627.jpgマタイによる福音書27章27節〜56節:
27:27 それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。
27:28 そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、
27:29 また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。
27:30 また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。
27:31 こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。

27:32 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。 27:33 そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、
27:34 彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。
27:35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、
27:36 そこにすわってイエスの番をしていた。
27:37 そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。
27:38 同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
27:39 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって
27:40 言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。
27:41 祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
27:42 「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
27:43 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
27:44 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

27:45 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。
27:46 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
27:47 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。
27:48 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
27:50 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
27:52 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
27:53そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
27:54 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。
27:55 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。
27:56 その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。

お話:
今日から受難週に入りました。十字架にかかられて復活されるまでの最後の7日間です。聖書にはこの最後の7日間を詳しく書いています。

これらのことをマタイは28章中の8章を、マルコは16章中の6章、ルカは24章中6章、ヨハネは21章中10章も書いているということです。ゆっくり時間をかけて読み直してみたいです。

エルサレム神殿には12の門があり、イエスさまは子ロバに乗って、その中の「黄金の門」と言われている門から入られました。

ゼカリヤ書(旧約聖書)9章9節に、「見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。」という言葉があり、イエスさまのエルサレム入城により成就しました。

ローマ帝国に支配されていたユダヤの人々は、イエスさまがローマ帝国から自由にしてくれる強い王、革命家のような王だと思っていましたから大歓迎して迎えました。マタイの記事から群衆の声が聞こえてくるようです。

「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
『ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ』」。

       (マタイによる福音書21章8・9節)

「ホサナ」とはヘブライ語で「今、救ってください」という意味です。ところが、このように熱狂していた大人たちは一転して「イエスを十字架につけろ!」と喚(わめ)き始めます。子どもたちには意味がわからず非常に混乱したことでしょう。

ついでながら「黄金の門」は、その後エルサレムがイスラム教徒に占領された時に塗り固められて、今も封鎖されたままだそうです。ユダヤ教の人々はイエスさまを救い主と信じることができなくて、今度こそ本当の救い主がこの門を通って現われると信じて待ち望んでいるのです。

木曜日の最後の晩餐の後、イエスさまは祈るためにオリブ山に行きます。ここでイエスさまとペテロの有名なやり取りがあります。マタイによる福音書26章34・35節です。

「『よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』。 ペテロは言った、『たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません』。弟子たちもみな同じように言った」。

そしてゲッセマネの園で祈りますが、ここでユダの手引きでイエスさまは捕まり、大祭司カヤパによる取り調べが朝まで続きます。その中庭に入り込んでいたペテロが見つかり、イエスさまが予告されたようにペテロは3度イエスを知らないと言うのです。

そして金曜日の朝早く、イエスさまはサンヘドリンという最高裁判権を持ったユダヤ人議会で尋問されました。死刑にする有罪の証拠は何一つ見つからなかったのですが、総督ピラトはユダヤ人指導者や群衆の声に動揺し、「あなたがユダヤ人の王であるか」と問うたことに対して「そのとおりである」と言われたイエスさまの言葉で有罪判決を下しました。

ローマ兵はイエスさまを十字架につける前に40回鞭打ちました。その鞭には尖った金具がつけてあり、打たれるたびに肉が飛び散りました。映画の『パッション』でリアルに描いてあるそうですが、映画とわかっていても私は見ることが出来ません。

ヨハネはイエスさまが亡くなられる時のことを次のように書き残しています。
「しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た」。(19章34節)

私は今も忘れられないのですが、教会へ行き始めた頃にお聴きした小山恒雄牧師の説教で、イエスさまの肉体には外科医が扱う全ての症例があったということが忘れられません。
「血と水とが流れ出た」というのは、大量出血で心臓が停止して心臓組織に水がたまったものが流れ出たのです。

死刑は9時頃から始まり3時頃まで続きました。12時から3時まで全地は暗くなりました。神殿の幕が真二つに裂け、地震が起こり、墓が開いて眠っていた聖徒たちが生き返ったこと、また、ローマの百卒長(百人隊長)が「まことに、この人は神の子であった」と証言したことなどが記録されています。

calvary.jpgイエスさまは「すべてが完了した」と言われて息を引き取られました。 これは全人類の罪の身代わりが完成した宣言です。

イエス・キリストの十字架の死は疑いようのない歴史的事実であり、すべての人間の罪の身代わりとなって死んでくださったのです。このことでイエスさまの十字架を信じる者は罪が赦されて永遠の命が与えられるようになったのです

私たちの身代わりになって罪を贖ってくださったのに、それでもなおどこまでも強情なのが私たちです。勿論クリスチャン倫理を示されてもそれを成就することは誰もできません。

そのこともイエスさまがご存知であったために、それら一切を背負って負けて死んでくださったのです。そして、そこから神のわざが始まったのです。命ある限りそのことをもっともっと深く知り味わっていきたいです。

私の人生を誰が最も評価してくださるのでしょうか。
それは主イエスです。
人の評価は役に立つものだけです。人の評価は3日もすれば変わってくるでしょう。だからそんな人の評価には立たないのです!

私はイエスさまの愛がわかった時に、イエスさまが私のすべてを見ていてくださり、覚えてくださっているのを知りました。いや、イエスさまが私のすべてを見ていてくださり、覚えてくださっているのを知った時にイエスさまの愛がわかったのです

3日前の散歩のとき、殆どの桜は3分ほど咲き始めていた中で、まだ蕾もそんなに膨らんでもいないのに焦らず堂々と風に揺られていた木がありました。その木がとても個性的に見え、神さまも私たちに全てさまざまなことは個性に任せてくださっているんだと思いました。

私たちはイエスさまという神さまによる受け皿があるから信じるのです。私たちが召されるとき、まだ捉えていなくてもイエスさまはそれで「良し」として天国へ迎え入れてくださいます

さあ受難週を心に刻みましょう。
AD30年頃の今頃の日曜日に主イエスはエルサレムに入城され、月曜日にいちじくの木を呪い、神殿から商人を追い出され、火曜日は神殿で問答され、水曜日はベタニヤへ行かれマリアから香油を注がれ、木曜日は最後の晩餐をされ、金曜日に十字架につけられて亡くなられ、黄泉に降られて日曜日に復活されました。

ユキのような児童にはわからないでしょうが、今一度私たちは自らと向き合い、イエス・キリストの十字架とは何であったのかを考えたいと思います。これは全ての人に問われているのです。

あなたにとって十字架の意味は何でしょうか。
あなたは、自分が神さまに救われ、愛されていることを確信していますか?

次の聖日はイースターです。
それまで主に導かれ備えられて共に御復活の感謝と喜びを捧げましょう。
 
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聖歌400番、新聖歌113番
「君もそこにいたのか」

@ 君もそこにいたのか  
  主が十字架につくとき
  ああ 何だか心が震える 
  震える 震える
  君もそこにいたのか

A 君も聞いていたのか 
  釘を打ち込む音を
  ああ 何だか心が震える 震える 震える
  君も聞いていたのか

B 君も眺めてたのか 
  血潮(ちしお)が流れるのを
  ああ 何だか心が震える 震える 震える 
  君も眺めてたのか
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C 君も気がついたのか 
  突然日が陰(かげ)るのを
  ああ 何だか心が震える 震える 震える 
  君も気がついたのか

D 君も墓に行ったのか 主をば葬るために
  ああ 何だか心が震える 震える 震える
  君も墓に行ったのか 
               アーメン

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これは昨日の様子。
折ってしまったチューリップが花を咲かせてくれた!

附記:午後、良輔は天王寺へ。
   高校時代のバスケットクラブの友人と4人で同窓会!

posted by 優子 at 14:22| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

満開の桜 ― 神のなされることは皆その時にかなって美しい」。―

4日から気温は20〜22度と5月上旬の暖かさが続いている。昨日の曇天でも半袖のTシャツ1枚で掃除をしていても汗が流れ落ちた。雨の今日も暖かい。しかし、せっかく満開になった桜も雨天で色が映えない。

そんな今日、雨上がりの合間に先日のローカルニュースで知った専称寺を訪ねた。先週知子がユキの大きいサイズの制服を買い求めに行ったばかりの制服屋さんのすぐ近くだった。

一本の老木、樹齢約200年になる江戸彼岸系のしだれ桜だ。

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このあと買い物をして、自宅近くの池の周りをドライブした。

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3日前の蕾も満開になっていた。

満開の池の桜.jpg

「天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
      
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
      
神のなされることは皆その時にかなって美しい。

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお、人は神のなされるわざを
初めから終りまで見きわめることはできない。

今あるものは、すでにあったものである。
後にあるものも、すでにあったものである。
神は追いやられたものを尋ね求められる。

わたしはまた、日の下を見たが、
さばきを行う所にも不正があり、
公義を行う所にも不正がある。

わたしは心に言った、
『神は正しい者と悪い者とをさばかれる。
神はすべての事と、すべてのわざに、
時を定められたからである』と」。

          (伝道の書3章)

満開の池の桜@.jpg

専称寺の桜も良かったけれど、ここの桜も絶景だ。どこかへ花見に行きたいと思うが人に酔う。ここは誰もいないので心が癒される。

独りになる時間が全くない知子は専称寺でも池でも帰ろうとしなかった。明日にでもゆっくり独りでリトリートの時をもつがいい。神さまと二人だけの密な時間に浸るがいい。

いつもチャッピーと一緒に来た日々を思い出す。
悩みの日はいつまででもつき合ってくれた。
チャッピーの姿を思い出して悲しみが胸を突き上げた。


posted by 優子 at 20:33| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

悲しむ人々を憶えつつ春を始める

今日はユキのことを書くつもりだったが、散歩中の黙想を記したので、この写真はユキのページに記録したい。

4年生始業式.jpg  行ってらっしゃい!.jpg
4年生始業式の朝。
幼稚園から使っていた上靴入れが新しくなった。 

始業式の朝A.jpg
ユキちゃん、進級おめでとう!
今夜はお赤飯にしよう。
今日、大阪の桜が満開になったと報じた。

 
IMG_3525.jpgお昼頃からしばらく雨天が続くというので雨が降らないうちに散歩に出た。


池の桜はようやく3分咲き。曇っているので暗い。

B始業式の朝.jpg

ここ数年聴かなくなっていた”On Golden Pond(黄昏)”を昨夜久しぶりに聴いたので、散歩の間ずっと脳裏に聞こえていた。(これをお聞きになりながらお読みください。)

独りになれるのもありがたい。ユキと一緒に暮らすようになるまでは毎日この道をチャッピーと歩いた。今ではすっかり懐かしい日々になっている。

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これを書きながら目頭が熱くなるのはどうしてだろう。
チャッピーが死んでしまった悲しみだけではない。過ぎた日々への懐かしさだけでもなく何か不全感がある。これまで祈り求めつつ積み重ねてきたことが、殆どまだ実を結んでいないことに悲哀を感じているのだろう。

でも前へ進まなくては。


「主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、
あなたの真実は大きい」。
                 (哀歌3章22・23節)

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60代になると黙想の時も自らの人生や死について省察することが多くなった。若い精神は何事も弾力を以って応じていくことができる。そんな30〜40代の活動的な季節を生きている人は、失敗を恐れずに思いっきり挑戦するべし!

年を取ると動脈硬化と同じように心の弾力も失っていくように思う。このことは私には意外だった。しかし、

「わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」。

       (コリント人への第2の手紙 4章16節、28節)

始業式の朝C.jpg
赤いモクレン

4月は新年の始まり以上に新しい1年の始まりを感じる。新しい春を生きることができなかった児童や学生たちを想うと、心が凍り付き、果てしなく重く沈んでいく。
ご遺族の上に神の慰めを祈りつつ絶望へと傾く心を意志をもって主イエスに向ける。

世界で起きている人間の蛮行は治まるどころか核戦争まで予感させる時代になっている。『チェルノブイリの祈り』の中にこんな述懐があった。
「私は神さまはこわくない。こわいのは人間です。
人間よりも恐ろしいものってほんとうにあるのでしょうか」。

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「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたし(イエス・キリスト)はすでに世に勝っている」。
             (ヨハネによる福音書 16章33節)

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始業式の朝H.jpg山はまだ冬の眠りから目覚めていないように見えるが、3月初め頃から植物が出す新陳代謝の匂いで満ちている。

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柴桜

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万物復興の命の春。自然界のよみがえりのごとく福音の種には驚異的な命を宿している。マイナス100にマイナス1をかけるとプラス100になる。神は私の賜物をも用いてくださるであろう。だから私は最期まで私の成熟していく実況中継を書き続けていこう。 

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。

               (ロマ書8章28節)

折れていたチューリップ.jpg
かわいそうに、花開く前に折れていた。ごめんなさい。
私が洗濯物を入れるときに折ってしまったのだと思う。
どうしようもないほど心が痛む。咲きたかったであろうに。

雨は19時前から降り出した。暖かい雨だ。
ブログを書き終えた今も知子はまだ帰宅せず。平日は夕食を共にすることはないが、今夜は特に遅い。疲れていることだろう。

posted by 優子 at 22:32| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

1日22ページ×4日間 ユキの頑張り成るか

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ユキの傑作!

IMG_3402.jpgツバメが活動しているからとユキに案内してもらった。
私たちが巣の近くに行くと親鳥がすかさず戻ってきた。やっぱり雛がいるのだろう。

IMG_3441.jpg今年初めていただくエンドウ豆。ユキはさやをむくのが大好きなので大いに助かる。

以上は4月2日(日)の午後のこと。


2013年3月.jpg3年前のも写真に収めているよ。
これは小学校に入学する春のユキ。


そして、次はユキのママ。

1981年3月.jpg1981年3月、実家にて。
知子は3歳4か月。左にいるのは私の兄。
真智子は9か月の赤ちゃんだった。
私は29歳で兄は32歳、みんな若かった。

一昨日から暖かくなり今日は20度のポカポカ陽気。池の周りの桜の開花具合を見に行こうと、朝一番にユキと散歩に出かけた。

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蕾はようやく大きくなって赤みを帯びていた。

そして、ユキの秘密基地2号。正しくはユキとI君の秘密基地。
ユキの新秘密基地.jpg

春休みになってから二人で作り始めた。

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入り口はこちらから。

私が高齢の女性と立ち話している間に、ユキは基地の中の写真を撮っていた。
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入り口から中を見たところ。







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煉瓦を椅子にして棒にもたれる。

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IMG_3474.jpg「撮り鉄」の経験を活かしてナイス・シャッター! 
でも、もうこんな高いところから飛び降りないで!

帰宅後はユキも多忙。母親から家庭学習に与えられているたった1冊のドリルさえやっていないことが日曜日に判明し、昨日から1日に22ページのドリルのノルマをこなさねばならなくなった。始業式の日まで猶予した。

昨日は真智の机で2時間半。途中で5分ほど休憩して再び集中したというから驚いた。今日は散歩で時間を取られたために、昼食もキリがつくまで降りてこなかったからますますびっくり仰天。

午後はお友達と4時間遊んできて只今再び挑戦中。
そして今、「できた!」と本日のノルマ終了宣言!
さすが私の孫、いや、頑張り屋の知子の子!
明後日はもう始業式。

附記:先週初めからの異常なしんどさが治らず、何か異変が起こっているのかと心配していたが、今日はかなり良い。健康が揺さぶられると生きる姿勢を正され、ますます真剣に生きようとする。元気な時からそうでありたい。そして誰も皆、そうであってほしい。

posted by 優子 at 18:26| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

家の教会2017L ― ナルドの香油 ―

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2017年4月2日(日) (2017第13回 家の教会)
10時5分〜10時55分
出席者 4名
@ 前奏 
A 子どもの讃美歌  「天にいます私たちの父」 
B 主の祈り
C 聖書輪読  ヨハネ12章1節〜11節
C お話    優子
D お祈り   
E 讃美歌   313番 「ナルドの壺ならねど」
F 後奏

ヨハネ12章1節〜11節:
12:1 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
12:2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
12:3 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
12:4 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
12:5 「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
12:6 彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
12:7 イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
12:8 貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。
12:9 大ぜいのユダヤ人たちが、そこにイエスのおられるのを知って、押しよせてきた。それはイエスに会うためだけではなく、イエスが死人のなかから、よみがえらせたラザロを見るためでもあった。
12:10 そこで祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。
12:11 それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである。

お話
主イエスは復活される1週間前にエルサレム入城されました。まだ人を乗せたこともない小さな子ロバに乗って。この時、ユダヤの当局から指名手配されて「イエスの居どころが分かれば届け出よと」命令が出され、イエスさまの死が近づいていました。

最後の1週間の水曜日、イエスさまがとても愛しておられたマルタとマリアとラザロの兄弟姉妹に会いに行かれました。ベタニヤという村です。この翌日、主イエスは逮捕されるのです。

ナルド.jpg「ナルド」はヒマラヤの高山地に自生するオミナエシ科の多年草植物で、精油はその根茎から採取される高価なものです。
マリアが持ってきたのは約300グラムで、それは300デナリといいますから300万円余りにもなる年給に相当するものでした。

香りをつけるためならば数滴で十分なのにイエスさまの足に塗りました。そのようにするのは埋葬の時だと言いますから、マリアはイエスさまの死を予感しての行動でした。

マルコによる福音書の14章8節に、
「この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。」とイエスさまが仰っています。

しかもユダヤでは人前で髪の毛を解くのは娼婦のすることであり、女性にとって恥辱と考えられていましたから、マリアは本当に砕かれた心だったことがわかります。マリアの信仰、優しさをイエスさまはご存知でした。

それに対してユダは、「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか。」と言いましたが、他の弟子たちもそのように思ったに違いありません。マタイ伝では「弟子たち」と記しています。

このことについて黒崎幸吉は、「功利的にまた道徳的に考うるならば、この言は最も正しき考えであると言わなければならぬ。しかしながら天国における価値判断は功利主義の原則によらない。」と言っています。

ここで想起するのが“ Not doing , but being. ”です。
つまり、私たちは何をするかではなくて、どのように生きているかという「在り方」こそが大切であるということです。” doing ”の前に自分はいかにあるのかという " being "です。

今しかできないこと。今すべきことを精いっぱいやったのです。マリアの行為は受難のキリストと正面から向き合っていた純粋な愛の発露でした。弟子たちはイエスさまがまもなく世を去ろうとしていることに対して無関心だったのでしょうか。


イエスさまはユダのことも重々承知の上でした。黒崎幸吉は次のように述べています。
「神の御旨に従いてこれを用い給いしものであって、その目的はおそらく彼によりて神の経綸が実現せんがため、また最も優れたる人間といえども罪に陥る可能性あることを占めさんがため、またこの世においては聖徒の群中にすらサタンの侵入を免るることができないことを示すがためであろう」と。

これに加えてもっと突っ込んで言えば、「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか。」というような場面や状況にあった時、欺瞞を感じたことは無いでしょうか。自らに、また、その場の人々にも。

主イエスが語られた全てのメッセージの中核は「罪」の問題です。聖書(キリスト教)がいう「救い」とは罪が赦されるということです。人は罪の解決なくして死ぬに死ねないのです。死ねばすべて赦されるわけではなく、死んでからでは遅いのです。


IMG_3391.jpgいつも精神を研ぎ澄ませて「神の時」を生きたいと思います。それはどんな生き方かと申しますと、苦しい時は苦しみ、悲しい時は悲しむということであり、それらを避けないで対峙するということ。クリスチャンならば苦しみながらも神に祈りつつ生き抜くということです。

来週はいよいよ受難週に入ります。私たちもマリアのように今一度主イエスの受難を心に留めたいと思います。主イエスは私の罪を贖うために、あなたの罪を贖うために身代わりになって死んでくださったのです。

私たちも「私のナルドの香油」をマリアのように惜しげもなく差し出せる者でありたいと切に願う者であります。


  主イエスと関わりのない罪人はない
  主イエスが忘れる罪人はいない
  主イエスがそっぽむく罪人はいない
  主イエスが怒る罪人はいない
  主イエスが見捨てる罪人はいない
  主イエスが招かない罪人はいない
  主イエスが御手を差し伸べない罪人はいない
  主イエスに救われない罪人はいない
                 
                (河野 進)

附記:同じ記事がマタイ26章6節〜13節、マルコによる福音書14章1節〜11節に記載されていますが、それぞれ記述の違いがあります。

マタイ・マルコでは「重い皮膚病の人シモンの家」で、ラザロは客となっているのに対して、ヨハネは特筆していませんが生き返った「ラザロとマルタ、マリアの家」と考えられます。

マタイ・マルコでは頭に香油をかけたのに対して、ヨハネでは足に塗って自分の髪の毛で拭ったとあります。

また、ヨハネでは「マリア」と記しているのに対して、マタイ・マルコでは「一人の女」。
マリヤの行為に文句を言ったのは、ヨハネでは「イスカリオテのユダ」で、マタイでは「弟子たち」、マルコでは「そこに居合わせた人の何人か」となっています。

IMG_3390.jpg「イエスさま、ユキは今週から4年生になります。これからもたぶん怪我もするけれど、大きな怪我はしないようにお守りください。
いつも日曜日にしている『家の教会』で、讃美歌を歌ったあとに聖書を読んで一つひとつ覚えています。
今週も遠くにいるマチとフーも元気で過ごせますように。このお祈りをイエスさまのお名前によって御前にお捧げします。アーメン」。


追記:この日の午後、久々に4人で散歩に出た。
posted by 優子 at 13:10| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

ユキも一緒に印刷屋さんへ ―3年生修了の春休みに―

ようやく昨日、『種を蒔く』4号の原稿を入稿した。春休み中のユキも同伴、昨日は20度のポカポカ陽気なので寄り道して3時半過ぎに帰宅した。

そんな昨朝、夫が間違って玄関に用意していた手提げの紙袋を会社へ持って行ってしまった。知子が父親と一緒に出社しない時は、運んでおいてほしい荷物は玄関に置くことになっていた。今年の2月から依頼することもなくなっていたが。

夫は門を出てから紙袋の中を覗き込んで、持っていく荷物なのかどうか訝(いぶか)っていた。私はそれを見ていたのに全く気がつかず20分ほど過ぎたころに気が付いた。

あの袋には印刷屋さんに届ける打ち出し原稿とUSBが入っていた。10時半に守口市駅でO姉と待ち合わせている。自らに「落ち着いて。落ち着いて。」と言いながら、どうするのが一番いいか5〜6分思いめぐらせて、やはり夫に布施駅まで持ってきてもらうしかないと判断した。

夫と連絡を取り、予定よりも30分早く家を出た。布施駅のロータリーは私もよく知っている。かつての生活圏内だったし、すぐ近くにあるヒバリヤ書店本店は読書会の会報に広告を載せていただいていたので何度か訪ねたことがあった。

9時10分頃、夫の到着とほぼ同時に私も到着した。
夫は「送ったるわ」と言ってくれたが申し訳ないので何度も断った。しかし、この時パニックと緊張で血圧が上がっているのがわかっていたのでついに甘えた。  

ユキは改札口を出ないで待たせていた。これもユキにとっては大きな冒険だったようだ(笑)。そして、守口へ向かった。9キロの所だった。帰りは会社まで7キロとのこと、無事を祈りつつ自動車を見送った。

訪問時間より50分ほど早かったが、ザッと目を通していただくためにお渡しして、O姉との待ち合わせ場所近辺で時間を費やしていた。

ひとまず安堵し、神さまと夫と、知子にも感謝しながら歩く。暖かい陽ざしが心地よかった。4月10日過ぎに初稿を送ってくださることになっている。15日の例会では出席者に各自校正していただき、遠方の方々には郵送する段取りだ。

まずは小休止。
生まれて初めて京阪電車に乗るのを楽しみにしていたユキと改札口を入る。京橋で降りないで終点・淀屋橋まで行き梅田まで歩いた。

IMG_3277.jpg準急が来た。
守口市から、京橋、天満橋、北浜、淀屋橋終点まで乗った。

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これは特急。
ユキは写真を撮ったと大喜び!
家に帰ると電車の絵本からすぐに同じ写真を見せてくれた。中学、高校になってもその熱心さで学習できるといいね。全ての原動力になる好奇心をこそ育ててやりたい。

IMG_3286.jpgそして、淀屋橋の地上に出ると「かき広」がある。


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昨春、アクアライナーから見た「かき舟」だ。
アクアライナーG.jpg
  
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これは日銀大阪支店。
この向かい、私が立っている後ろに大阪市庁舎がある。
御堂筋を渡って堂島川沿いを歩いて梅田へ向かった。

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北新地は夜の街だと思っていたら
ランチを求めるビジネスマンで賑わっていた。
北新地を抜けて大阪駅前へ。

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昨夏、マチ・クマと来た丸ビル下のベンチで自撮り。

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IMG_3304.jpg阪神百貨店の上で大きなクレーンが動いていた。
あのような機械をどのようにして運ぶのだろう。
知りたいな。

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ユキにクレーン車を撮ってもらって、今度はユキを撮った。

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やっぱり右肩腱板断裂で
真っ直ぐ伸びていないね。


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IMG_3315.jpgようやく昼食。大阪ステーションシティ・サウスゲートビル16階(大丸の上)へ行く。テーブル席でなくてもいい、すぐに座りたくてカウンター席へ。

ワシントンのマチ・クマを羨ましがらせてやろう。IMG_3320.jpg




「車エビが動き回るからうまく撮れなかった」
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水の時計IMG_3324.jpg
上から落ちて来る水で模様を作り、1分ごとに時刻を描く。
ここに来るとユキはいつも飽きずに見ている。

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このあと東急ハンズで30分ほどつき合い、ついにグロッキー。

IMG_3340.jpg私はもうクタクタだった。
ミックスジュース、おいしかったね。

「おばあちゃんね、結婚する前はここから8分間阪神電車に乗れば家に着いたんやよ。」
「いいなあ」
「さあ、頑張って帰ろうか」
「うん!」
10分ほどしか休憩しなかったけれど、立ち上がった時元気になっていた。するとユキはすかさず言った。

「バッテリーが充電されました!」

上手に言ったものだ。
私は大笑いして、このあともずっと2人で笑いながら歩いていた。

「おばあちゃんと歩くの楽しい。今日は楽しみにしててん」
「おばあちゃんだってどんなに楽しみにしていたか!」

朝は食器を洗ってくれたし、帰宅後は浴槽を洗ってくれたし、おみやげに買った荷物を気遣って持ってくれた優しいユキ。胸が熱くなったよ。ありがとう。

背丈は私の口のあたりまで伸びて大きくなったけれど、ラッシュアワーの電車の中ではまだまだ守ってあげないと倒れそうだった。

この日、O姉は印刷屋さんで待っている時にとユキに絵本を2冊持って来てくださっていた。私ならば気が付かなかったと思うだけに優しさが身に染みた。会った時から「ユキちゃん」と声をかけてくださり、何ともいえない熱い気持ちがこみ上げた。

IMG_3350.jpg印刷屋さんでは商談中に、代表者の木下一さんがユキの相手をしてくださり、虫の大好きなユキに蜂の話をしてくださっていて、ご自身が出版された本をくださった。それはそれは見事な観察で、そのすべてに著者の優しさがにじみ出ている。


ユキは帰りの電車の中でお聞きした話を熱く語ってくれ、私は車中で「あとがき」を読み胸を熱くした。いつかいろんなことをお聞きしたい。

車窓から見た桜ノ宮の桜は薄いピンク色にも見えなかったが、この日大阪と和歌山で開花宣言した。しかし今日は昨日と打って変わって暖房つけっぱなしの寒さ。お昼前から冷たい雨が降り出した。

posted by 優子 at 22:00| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

2017年 春の訪れ

先月から『種を蒔く』4号の編集作業に入っている。昨夜も遅くまでかかり、今朝は疲れているので濃いコーヒーを飲んで気合をいれた。
このような御用をさせてくださっていることを感謝し、能力に欠ける者ですからと助けを求め、最後までやり遂げさせてくださるようにと、いつも祈りで始まり祈りで終わる。

モクレン白.jpgお昼前になっていたが、ひとまず一段落ついたのでユキと一緒に散歩に出た。
外気は緩み体も心も実に気持ちよい。この地にも春が来ていた。近隣宅の白モクレンが満開だった。
(Photo by Yuki.)


IMG_3215.jpg一番先に春を告げたおかめ桜は、自らの季節の終わりをも賜物として咲いている。

自然の四季は繰り返すが、人生の四季は一回限り。何度繰り返しても飽きることなく、毎年新しい春の喜びを感じる。



野原では草花が一斉に春を告げていた。
早速ユキが撮った。
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この蕾が開くと↓

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これは直径1センチにも満たない花。
なんて見事でしょう。
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↑ これはおなじみのカラスノエンドウ。 ↓

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(Photo by Yuki.)


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明かりを灯したような白モクレン。

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池の周りの桜はまだ蕾が硬い。

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柳を見るたびに思い出す詩がある。

「苦痛の激しい時こそ、
しなやかな心を失うまい
やわらかにしなう心である
ふりつむ雪の重さを静かに受けとり
やわらかく身を撓(たわ)めつつ、
春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて
じっと苦しみに耐えてみよう」
                   (詩集『病者・花』「しなう心」)

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これはヒイラギの花。美しいねー。(Photo by Yuki.)

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これはムクドリ。右側の枝にもう一羽止まっていた。
(Photo by Yuki.)

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この花の名前はなんだろう。
こんなに大きな木に咲いていた。↓

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近くの山桜(?)。どのように撮ろうかなと思案中のユキ。
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そして撮ったよ。
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↑(Photo by Yuki.)↓

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「わたし(イエス・キリスト)は世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいる」。
                    (マタイ・20章28節)
posted by 優子 at 18:05| 随想 | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

桜は満開だった!

今日はお昼過ぎまで晴れたり曇ったりで陽ざしはあったが風が冷たい。毎年3月下旬に咲く早咲きの桜を8日ぶりに見に行くと満開になっていた。

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あまりの美しさに心が張り裂けそうだ。

24日の朝、ベトナム国籍の小学3年生女児が行方不明になり、昨日全裸の遺体で見つかった。知子が交通当番で集団登校の児童たちを見守っていた終業式の朝だった。

誰がこんなことを!!! 
耐え難い悲しみ。

毎日のように報道される悲しみ、特にこれから長い人生を生きていくはずの子どもが殺められるのは耐え難く、年を重ねるほどにわからなく考え込んでしまう。

たった9年のいのち。
ユキと同じ、4月には4年生になるはずだったのに。
地球上でどれだけの人々が不条理な悲しみの中にあるか!
なぜ罪なき子どもが殺されなくてはならないのか?!

長い長い沈黙が落ちる。

不条理の意味がわかってもわからなくても、神に助けを求め続けねばならないのであろう。


(Photo by Yuki.)
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鳥よ
ヒヨドリよ
おまえにはこのような悲しみはあるまい
ヒヨドリよ
短いいのちを生きよ
幸せに生きよ

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春を告げてくれたおかめ桜の花びらはほとんど散り、赤い萼(がく)が有終の美を飾っていた。

ご遺族に神の慰めと支えがありますようにと切に祈り、ただただ主の御名を呼ぶばかりです。

posted by 優子 at 16:26| 随想 | 更新情報をチェックする

自民党の石破茂元幹事長 国家晩餐祈祷会で挨拶

IMG_3179.jpg下記の記事は2017年3月25日に公開された『クリスチャン・トゥディ』より転載させていただいたものである。


image.jpg第17回国家晩餐祈祷会が24日夜、京王プラザホテル(東京都新宿区)のコンコードの間で開かれた。国会議員や財界人のほか、さまざまな教派の教職者や信徒およそ400人が集まり、世界と日本の平和のため、また政治や経済、教育などについて祈りをささげた。メインスピーカーには大和カルバリーチャペル主任牧師の大川従道(つぐみち)氏、音楽ゲストにはテノール歌手の新垣(あらがき)勉氏を迎えた。

午後6時、皆で「輝く日を仰ぐとき」(聖歌480番)を讃美。続いて自民党の石破茂元幹事長があいさつに立った。

この日も衆院予算委員会では、森友学園の籠池泰典理事長への証人喚問に関する質疑応答が行われ、石破氏も予算委員として国会に出席した後、会の始まる直前に会場に現れた。石破氏は昨年、一昨年もこの国家晩餐祈祷会に招かれ、3度目のあいさつとなる。

「皆さま、こんばんは。自民党衆議院議員の石破でございます。今朝も6時から働いておるのですが、まだ仕事が終わっておらず、先にごあいさつさせていただく失礼をお許しください。

私は4代目のクリスチャンになります。曾祖父、金森通倫(みちとも)が1857年生まれで、私とちょうど100歳違うのでありますが、熊本バンドの一員として新島襄先生に弟子入りをして、一番弟子と言われておって、新島先生が病に倒れられた後、同志社の総長代理となったらしい。見たわけではないが(笑い)。

その時に新島先生が遺言の中で、『金森通倫を後継者とするに自分は全く反対はしない。彼は事務に精通し、才気あふれる者であるが、惜しむらくは徳に欠けるところがあるので、残念に思う』と。何か私のことを言われているような気もしないではないが(笑い)。

それから幾つかの教会の牧師を務め、『米国のキリスト教は間違っているのだ』と言って米国に行ってキリスト教の伝道をし、何万人かを受洗させたという記録があります。最後は日本に帰ってきて、葉山の洞窟で暮らしておったという、よく分からない人なのでありますが(笑い)、それから数えて私が4代目ということに相成ります。

私が一番真面目に聖書を学んでいたのは、高校3年生の時に教会学校の臨時雇い教師になりまして、子どもたちに教えなきゃいかんということで、その時は聖書をよく勉強しました。

私は所属が日本基督教団鳥取教会なのですが、中学卒業後、東京に来てからは日本キリスト教会の世田谷伝道所(現在の世田谷千歳教会)に通っておりました。同じ高校生できれいな女の子がいて、その子に気に入られたい一心でというところが全くなかったとは申しませんが(笑い)、一生懸命、聖書を勉強致しました。

旧約聖書は大部で難しいのですが、ルカによる福音書はとても好きで、よく読んだことを覚えております。放蕩息子の話・・・まさしく自分そのものである。あるいは、金持ちとラザロのたとえ・・・自分の中に金持ちが間違いなくいるのだ。そして、パリサイ人と取税人の話・・・自分の中にも間違いなくパリサイ人はいるのだと思ったことをよく覚えています。今もそうであります。

最近は讃美歌が変わっちゃったらしくて(『讃美歌21』を指す)、よく分かりませんが、当時も好きで、今も好きなのは、『讃美歌』(1954年)の7番と191番で、私の愛唱歌なのであります。

7番というのは『主のみいつとみさかえとを』という歌であります。191番というのは、『いともとうとき主はくだりて』という歌であります。この3節に『数多(さわ)のあらそい み民をさき・・・』とありますが、実際、私ども、毎日こんなことをやっております。(讃美歌は末尾でご紹介しています)

政治の世界ってのは、憎悪と怒りと悲しみと嫉妬と、ま、そんな世界でありまして、昨日あたりまさしくそんな感じでありまして、『数多のあらそい み民をさき』だと思います。そして、何が正しくて何が間違っているかは人の知るところではありませんが、『かみはたえざるいのりをきき、なみだにかえて歌をたまわん』、そうであるなと心から信ずる者であります。 

私たちは本当に過ち多い者だと思います。私の場合は特にそうだと思っています。ただ、『御心がこの世になりますように』『過ちばかりの私ですが、どうぞこれを正してください』、そして『どうぞ御用のためにお用いください』と祈れることは本当に幸せなことだと思っております


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(頭上に掲げられている横断幕を見上げて)この『世界と日本に平和を!』ということであります。

その手段についてはいろんな考え方があります。私は別にテロ等準備罪の宣伝に来たわけではありませんが、あれは一般の方々に間違っても嫌疑が及んだり、捜査の手が及んだりすることのないように、人権を最大限尊重するようにということで、テロ集団というものを対象と致しております。

何が最も良い手段なのかは、われわれ愚かな人間に分かることではありません。しかし、自由が守られ、人権が守られ、そして民主主義が尊ばれ、法の支配が貫徹されるためには何ができるか。それぞれが正しいと思うことはあるのだと思います。

ただ最も大事なのは・・・ということは私ごときが申し上げることではありませんが、『誤りがあれば正してください』『御用のためにお用いください』という思いをまた皆様方から学ぶことができれば望外の幸せであります。

今日の会が主のご加護のもとに豊かな実りをもたらさんことを心からお祈りして、ごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました」。
そして石破氏は拍手の中、会場を後にした。

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祈祷会の最後に全員での集合写真に収まる参加者

2_onpu_ak.gif  讃美歌7番「主のみいつとみ栄とを」

2_onpu_ak.gif  讃美歌191番「いとも尊き」

     1 いともとうとき 主はくだりて
       血のあたいもて 民をすくい
       きよき住居(すまい)を つくりたてて
       そのいしずえと なりたまえり

     2 四方(よも)のくにより えらばるれど
       のぞみもひとつ わざもひとつ
       ひとつのみかて ともに受けて
       ひとりの神を おがみたのむ

     3 数多(さわ)のあらそい み民をさき
       世人(よびと)そしりて なやむれども
       神はたえざる 祈りをきき
       涙にかえて  歌をたまわん

     4 世にのこる民 去りし民と
      ともにまじわり 神をあおぎ
      とわのやすきを 待ちのぞみて
      君の来ますを せつに祈る

posted by 優子 at 10:56| 引用文 | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

すべては摂理の道程なり

イソヒヨドリ.jpgこれは2月12日の夕方にユキが撮ったイソヒヨドリ。美しい鳴き声はここをクリック! 
小鳥のように見えるが、名前のとおりヒヨドリの大きさだという。寒くても鳥たちは今日も元気に飛んでいた。


IMG_3172.jpg以上は2月中旬頃に書いたものであり、以下もまた同日に書いていたものである。これは私に洗礼を授けてくださった敬愛する小山恒雄牧師の著書『恩寵の選び』より、目につくまま書いていたものである。

私は精神的苦痛の耐え難き時、魂に酸素吸入をあてがうような思いで書写することがある。この時もまたそうだった。

人生はむずかしい相手とのやり取りの連続である。そして、その問題が困難であればあるほど、神からの可能性も大きい。人間が自分の力に行き詰ったところから、神に突破口が生まれる。

「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう」。  
           (ヤコブの手紙 1章12節)

人は自分の弱さを認めず必要を自覚しないゆえに神に近づかない。主のみ前に自己が打ち砕かれてこそ、人は神の手に陥り、へりくだり、神に近づけられるのである。

「信じることが神の業である」。(ヨハネ伝・6章29節)
「私たちの弱さ」を告白する恵み。

信じて救われるのは、瞬間的な神の恵みの御業と決断によるが、信じぬくことは一生一代の大事業であり、そこには山あり谷ありの生活がある。しかし、聖書は試練と忍耐の祝福を確約している。

プラス×プラス=プラスなれば、マイナス×マイナス=同じくプラスである。これは近視眼的なご都合主義の信仰ではなく、救われ、選ばれた神の子たちが栄光のみ子の肖像にまで変えられていくための、当然経なければならない摂理の道程である。

私たちの信仰生涯においても有形無形の危険の中で、一触即発というような中を幾度主の守りによって乗り越えることができたであろうか。


「わが魂よ、主をほめよ。
そのすべての恵みを心にとめよ」。

              (詩篇103・11)

「望みも消え行くまでに 世の嵐に悩むとき
 数えてみよ主の恵み 汝が心は安きを得ん」。

              (新聖歌172)

主の恵みは数えがたい。そして、それら一切の恵みの源泉は、十字架、復活、昇天、そして大権の右に即位された栄光の主にある。そして彼こそ常にタイムリーな助けとなってくださる恵みの み座である。

これさえ見ておれば、信仰生涯に行きづまりはない。
これさえ開かれておるならば、いかなる時にも天与の祝福は途絶えることはない。ハレルヤ!

人間は強さだけでは円満な成熟を遂げていくことはできない。どこかで、その行き詰まりを感じなくてはならない。自分の弱さや無力さを感じさせてくれるのが35歳から40代であり、ライフサイクルで言えば、まさに太陽が中天に昇ろうとしている夏から晩夏に向かう過渡期である。

今改めて私もまたそうであったと振り返る。そして、年齢を重ねれば重ねるほど自分の弱さがわかる。人間の限界と無力さを。

しかし行き詰まることは良いことだ。なぜならば行き詰まりこそが良き道への突破口となるからだ。

にもかかわらず、行き詰まっているのに他者や周囲にのみ目を向け続ける人間の頑なさ。自分の弱さの内的体験を通じてこそ他者との真の関係を打ち立てることができ、そこに神と真に出会う道がある。

言葉ではうまく表現できないが、私は今、常に神を感じている。これまでの体験から一つの実を心の中に結ばせようとしてくださっているような気がする。

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「ブルンナー読書会」も半年ぶりに再開の見通しがつき日程を調整中。
イソヒヨドリ。
先週末、京セラドームに行く途中にも見つけて写真を撮っていた。


posted by 優子 at 22:28| 我が心の旅路 | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

家の教会2017K ―最も大切な戒め―

「家の教会」を始めてちょうど1年になる。今朝47回目の礼拝を重ねることができたのは、神さまの深い憐みとお支えであると強く感じる。
2017年3月26日(日) (2017第12回 家の教会)
10時10分〜10時55分
出席者 4名
@ 前奏    Sarabande (Handel)
A お祈り    優子
B 主の祈り
C 讃美歌    461番 「主われを愛す」
D 聖書輪読   マルコによる福音書 12章28節〜34節
E お話     優子
F お祈り    一人ずつ
G 讃美歌    第2編196番 「救い主は待っておられる」
               (このビデオの1分27秒より)

マルコによる福音書12章28節〜34節:
IMG_3144.jpg12:28 ひとりの律法学者がきて、彼らが互いに論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
12:29 イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
12:30 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
12:31 第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
12:32 そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
12:33 また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。
12:34 イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。

お話:
IMG_3141.jpg私たちは今、受難節(イースターまでの46日間)を過ごしています。今日は受難節第4主日ですから、このあと3回目の日曜日が今年のイースターです。

イエスさまはエルサレムに入られてから神殿の境内で宗教指導者たちと論争をされました。イエスさまが十字架上で苦しみを受けられる前の最後の1週間にも多くのお話をされました。

枯れたイチジクの木、ぶどう園の農夫の譬え、やもめの献金、タラントの譬えなど、このほかにも「家の教会」でもいくつか取り上げています。今日の個所も受難直前にお話しされたことです。

磔刑される3日前の火曜日は「論争の火曜日」と呼ばれています。マルコ伝では11章20節から13章までが火曜日の出来事です。

律法学者、パリサイ派、サドカイ派などが、何とかしてイエスさまを訴える口実を見つけるために言葉巧みに陥れるための質問をしてきました。しかし、イエスさまは彼らの罠にはまることなく丁寧に答えて全て論破されました。

そんな律法学者の一人がイエスさまをジッと見つめて尊敬の念を感じたのでしょう。彼はイエスさまに敵対心を持たないで素直な気持ちで尋ねました。

「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」。
即ち、613もある律法の中で何が一番大切なのですかと聞いたのです。

するとイエスさまは、「主なるあなたの神を愛し、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と言われました。律法学者は同意して、「それらのことはすべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」と答えました。

この律法学者は今までの律法学者たちと違って正当な受け答えをしたので、イエスさまは「あなたは、神の国から遠くない」とお褒めになりました。もう神の国のすぐ近くまで来ているということですね。

彼がイエスさまの言われたことを理解できたことは素晴らしいことです。しかしイエスさまは「神の国に到達している」とは仰いませんでした。そのことを知的に理解しても神の国に到達するには深い溝のような狭き門があるからです。

私たちが神さまを愛しているならば神さまが喜ばれることをしよう、神さまが仰る通り隣人を愛し、隣人が喜ぶことをしようと思います。

しかし、それはとても難しいことです。それを完全にできる人はどこにもいません。私たちは心の深くでしっかり神さまの教えを憶えていても、それを実践するのは難しく、何度も自らの姿にガッカリし神さまを失望させることが多いです。

でも思うのです、それが神と共に生かされている証しではないかと。神さまが喜ばれるような人間になりたいと願いつつもできないことを嘆くのは、神さまの光を受けているから気づかされるのであります。

そんな自己的で愛のない自分だからこそ救われる必要があり、救いを求めて神の恵みによって救われるのです。


律法学者は知的には理解できましたが、それで満足して終わってしまったのでしょうか。そこからいよいよ自らの真の姿と対峙していく時に真理への道が開かれていくのです。

燔祭の儀式や犠牲が大切ではなく、また苦行や修行で立派な人間になることができると考えるのは大いなる的外れであり、人間の努力では決して得ることはできないのです。

パリサイ人のパン種は偽善であり、ヘロデのパン種は世俗主義、サドカイ人のパン種は快楽主義、イエスさまはこれらを警戒せよと言われたのです。

IMG_3150.jpgイエス・キリストは、神を愛することも隣人を愛することもできない罪深い私たちをこよなく愛してくださり、私やあなたの身代わりになって十字架にかかって罪を贖ってくださいました。

このイエスさまにこそ罪をゆるす権威があり、そのことを認め受け入れた人に罪の赦しが現実となるのです。


私たち家族もまた、イエス・キリストの贖罪によって神の国に至る深い溝の橋渡しをしていただいて、断絶していた神さまとの交わりが与えられました。これはただただ神さまからの一方的な憐みによって罪赦されて救われたのです。

救いに入れられた私たちは今一度そのことを深く心に留めて、日々刻々悔い改め、主イエスにふさわしい者に変えられていきたいと切に願います。今週もイエスさまと共に明るく生きて行きましょう!
 
IMG_3146.jpgこのあと市会議員選挙の投票に出かけた。

2月より報道されている学校法人「森友学園」の籠池泰典氏が23日の証人喚問で、国有地売買関連問題は混迷の度合いを増すばかり。安倍首相は自縄自縛状態か? 人間の実相を考えさせられる日々である。

posted by 優子 at 16:07| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

また春休みがやってきた

IMG_3111.jpgインターホン前に植えたチューリップに小さな蕾を見つけ、春本番の舞台裏を覗いたような気がした。

孫は今日3年生を修了した。小学校時代も早半分終わったのだ。4月からユキは4年生になる。4年生と言えば娘たちはもっとしっかりしていたように思うがどうなんだろう。

これからの後半はもっと速く感じることであろう。わが子の時でさえそうであったし、私自身の人生も長くても残すところ4分の一に入っているのだから、大切に大切に味わいながら過ごしていきたい。

大きなブロッコリー.jpgユキの顔よりも大きなブロッコリー。生協の店で買った愛媛県産。山盛りにして2回に分けても余るほどの量、これではビッグサイズのアメリカ産もかなわないだろう。

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雨の日の21日、ユキはひとりで卓球を始めた。窓ガラス打ちとはよく考えたものだ。
面白そうなので私も打たせてもらったが、テーブルが小さいので食卓に交換した。

卓球A.jpgこれはいい!
何回打てるか競い合った。

そのうち暑くなって、この日も早朝5時半から12時間もつけっぱなしていた暖房を止めてカーデガンを脱いだ。ユキは下着一枚になった。

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卓球B.jpg

このあとテーブルをもとに戻して2人向き合って本格的に卓球をエンジョイした。
もう2年も前のことになるが、右肩腱板断裂した腕もこんなに動かせるようになった。完全に痛まないわけではないが、腕を真上に挙げても痛くない。神さまと励まし祈ってくださった方々、そして理学療法士さんに感謝している。

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裏庭のスイセンも今が満開。なんて美しいのだろう。
スイセンは背が低いからしゃがんで写すのが大変!

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これはカメラを花に当てるのが精いっぱい、
どんな写り方か見ることもできないままシャッターを押した。

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当地は次の駅あたりとも違って朝晩の気温が低く、モクレンと桜が同時期に咲く。

花は咲く場所を選べない。人が見ようと見まいと、日当たりのよくない場所であろうと、世話する人の心根によらず精一杯咲いている。健気だなぁと思う。

IMG_3127.jpgシュウメイギクも勢いよく新芽を出し、今の営みに力を尽くす。
もうここにチャッピーは居ないけれど、シュウメイギクは自らの命を懸命に生きている。
私も負けないように今を精いっぱい生きる。

ユキは来月から4年生になる。


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明日の春休み初日は、おじいさんと大阪ドーム(京セラドーム大阪)へ阪神vsオリックスのオープン戦に行くそうだ。今年もユキの春が始まる。

翌25日16時9分追記:「おばあちゃん、今、試合が終わったよ」とユキから電話あり。「阪神が勝って、おじいちゃんにタイガーズの帽子を買ってもらった」と嬉しそうな声。
電話の声はなんて幼くて可愛いんだろう。おじいちゃんとの思い出をいっぱい作っておくのよ。ずーっと長い時間が経っても思い出せるように。


posted by 優子 at 18:22| 知子(ユキの成長) | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

ニューヨークで旧友とのカイロスの時

先週の14日(火)、アメリカ北東部が大雪に見舞われた日、IMFも休みになったが連絡が遅かったために、次女夫婦は行ってしまってお昼過ぎに帰宅したそうだ。ご苦労さま!

その2日前の11日(土)、マチ・クマはマチの大学時代の友人と5年ぶりにニューヨークで再会した。マチ・クマにとっては2度目のニューヨークだったと思う。

S君の計画力&行動力のおかげで、半日のニューヨーク観光もいろんなところに行けて、マチたちが行ったことがなかったところを一緒に回ってくれたという。

Top of the Rock.jpg「近代美術館(ゴッホ、セザンヌ、ピカソなどもあったよ)、自然史博物館(プラネタリウム、恐竜の化石など)、トップ・オブ・ザ・ロック展望台からの夜景。
後ろにライトアップして見えるのはエンパイアステートビルよ。」


12日は2人でセントラルパークに行き、映画「クレイマークレイマー」に出てきた場所をたまたま見つけることができたと嬉しそう。リスも鳥もいっぱいいたって!

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この翌日ぐらいから大雪になったんやね。

CentralPark 2.jpgセントラルパークのリス。かわいいね。
ミネソタに行った時、家の前の庭にリスがいたのに驚いた。ミネソタ州の愛称が "Gopher State(ジリスの州)"だからリスがいるのだと思っていたが、ワシントンにも身近にいたからセントラルパークにいるのは容易に頷ける。

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2013年6月、ユキ、ワシントンの公園で。

都会にもリスがすぐそばにいるアメリカだから、 " United State of Gopher America "と名づけるといいかもね。 

「旧友と話して、人生のステージが変わるなかで色々感じたり、
 なんとなく同じと思っていたクラスメートも
 それぞれ違う人生を生きているんだと感じたり、
 年を重ねるのも幸せなことなのかも、って思いました。
 私も私の人生を生きようと思いました」。


真智は大学時代の友とカイロスの時を過ごした。毎日平凡に「事なかれ主義」で生きている人にはカイロス体験は起こらず、目覚めている人にのみ起こる瞬間だ。

ギリシャ語で書かれている新約聖書、「マルコ伝」1章15節の、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」で用いられている「時」は " καιρός " (カイロス)である。

イエスの到来によってカイロスの時となり、カイロスは永遠を輝かせるものである。神さまが祝してくださった友との楽しかった時も真智の人生を深めていくことだろう。

H.jpg今日は19度まで上がり、ようやく空気が和らいだ。
池の周りの桜の蕾はまだまだ小さいが、こんなに蕾を膨らませている木もあった。今年もまもなく春が開く。

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2013_3_26.jpgついでにこれは2013年3月26日。
薄手の防寒着は4年も前から着ている。
よほど大きいサイズを着せていたんやね。

チャッピーがいるね。
このあと2年8ヶ月一緒だったんやね。

posted by 優子 at 19:16| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

家の教会2017J ―パリサイ人とサドカイ人のパン種に警戒せよ―

つくし.jpg
(Photo by Yuki.)
2017年3月19日(日) (2017第11回 家の教会)
9時40分〜10時10分
出席者 4名
@ 主の祈り
A 讃美歌    465番 「うれしき朝よ」
B 聖書輪読   マタイによる福音書 16章1節〜12節
C お話     優子
D お祈り    優子
E 讃美歌    294番「みめぐみ豊けき」

マタイによる福音書 16章1節〜12節:
16:1 パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。
16:2 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、
16:3 また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。
16:4 邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。

16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
16:6 そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。
16:7 弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互いに論じ合った。
16:8 イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互いに論じ合っているのか。
16:9 まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
16:10 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
16:11 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。
16:12 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教えのことであると悟った。

お話:
裏のスイセン.jpg今日のお話は、パリサイ派とサドカイ派の人々が主イエスを試そうとして「天からのしるし」を見せて欲しいとやって来たところです。

パリサイ派は聖書をよく読んでいるのですが、律法(神さまが与えられた教え)を形式的に従う人々で、サドカイ派は理知を重んじ政治に関心がありました。新約聖書に出てくる「祭司長たち」とはサドカイ人(びと)のことです。

共に復活や霊の存在を信じていないことや、当時のユダヤ社会の体制派ですが互いに対立関係でした。しかし一度だけ意見が一致しました。それはイエスさまを十字架に架けるという裁判においてです。

夕焼けならば明日は晴れ、朝焼けは天気が悪くなる前兆であることは私たちもよく知っています。それと同じように、イエスさまが多くの不思議な業をなさったことを「恵みによる救いの時の徴」であることを見分けることができないのは、不信ゆえに霊的な盲目になっているからだと言われました。

パリサイ人やサドカイ人は主イエスを救い主として認めていないのに信仰者を装っている。つまり、イエスさまによって福音が伝えられて罪の赦しが示されているのに、それを「ありがとうございます」と受け取っていないのです。

だから彼らは「徴」を求めるのであり、イエスさまは「邪悪で不義な時代」(よこしまで神に背いた時代)だと厳しいことを言われました。

「ヨナのしるし」というのは、「家の教会」でも『ヨナ書』を読んだことがありますが、ヨナが神さまからアッシリアの都ニネベの人々に伝道するように言われた時の話です。

ヨナは神さまからニネベの人々に悔い改めて神に立ち返るように告げなさいと言われたのに、神さまの命令に背いて舟に乗って逃げました。
そして、海に投げ込まれ、大きな魚に呑み込まれて魚のお腹の中で3日3晩経ってからニネベに打ち上げられたというお話しです。

「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる」。
        (マタイによる福音書12章40〜41節)

このようにイエスさまご自身がヨナのことを解き明かしておられる通り、イエスさまもヨナのように3日3晩、大地の中におられるというのです。即ちイエスさまが十字架の上で処刑されて死なれ、葬られて、3日後に復活されることを示しています。

そして、この数日後にイエスさまは十字架につけられるのですが、パリサイ人もサドカイ人も主イエスの復活が信じることができませんでした。

パリサイ人らは不信仰ゆえに盲目だったのです。このことは信仰によって受け止めることなのです。霊的に盲目な者にはどんな徴も、どんなに徴を与えられても何の意味もなしません。だから彼らにはヨナのほかには何の徴も与えられないと仰ったのです

イエスさまが言われた「時代のしるし」の「時代」とは「時」という言葉であり、絶妙なる時や機会を意味するものであり、「時のしるし」を見分けるとは「思い起こす信仰」に生きることだというのです。

私たちが主に在るならば、日々の出来事にイエス・キリストの恵みが示されていることに気づきます。そして、私たちは生かされて生きている今こそが、神の時であり、神の恵みにあずかる時であることがわかります。

心が不純な時は静まって思い起こさねばなりません。私たちは何度も何度も神さまから赦されて、支えられて常に最善へと導いてくださっていることを思い出して恵みの中で生きることです。

イエスさまのあとから追って来た弟子たちはパンを持ってくるのを忘れていたことに気がつきました。その時、イエスさまに「パリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に警戒しなさい」と言われたので、食料の調達を忘れたことを叱られると思ったのでしょう。

それにしても、イエスさまの5つのパンの奇跡や、7つのパンで4000人を満腹にさせてくださったことを、すぐに思い出せたらイエスさまが何とかしてくださると安心できたはずです。

即ち弟子たちにとって、パンの奇跡の体験が彼らの中で生きた経験にはなっていなかったのです。自分の生活において生きた働きにはならなかったのです。

私はここを読んで、「弟子たちはパンの奇跡を見ていたのに食料のことで心配するなんて」と驚きました。そして自らのことを振り返っても、やはり「私だったら一瞬忘れたとしても、あんなに印象的なことならばすぐに思い出すのに」と思いました。

しかしその次に、彼らを笑えないと気づかされました。

私たちもこれまで何度も何度も神さまに助けていただいて心から感謝の祈りを捧げたのに、それらが身についていないこともあるのです。例えばいつまでも気持ちを変えることができないならば、それらは生きた経験にはなっていないということだからです。


「信仰の薄い者たちよ」の語源は「信仰が小さい」という意味だそうですが、イエスさまは弟子たちを誤解されて信仰が小さいと言われたのではなく、そういうことがあなたがたの信仰の小ささの現れだと言われたのです。

そんな弟子たちだから、イエスさまは何度も何度も弟子たちに教えられたのです。パリサイ人やサドカイ人の思想の中にある多くの害毒に感染しないように教えられたのです。

サドカイ人にはヘロデ党が多かったことから「ヘロデのパン種」(マルコ伝8章15節)とあり、彼らは「しるし」を求め、証拠を示されて納得する人々です。

私たちは既に主イエス・キリストによって大いなる「しるし」を与えられています。それはイエスさまの十字架の死と復活であり、そのことを思い起こすことができる恵みを与えられています!

この恵みによって導かれていくのがイエス・キリストを救い主として信じる者の生涯です。私たちもかくありたいものです。


「あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか」。
          (コリント人への第1の手紙5章6節)

かつて「今日でもキリスト教徒の中に、このパリサイ型とサドカイ型とがあり、いずれも真の信仰ではない。」と警鐘を鳴らした黒崎幸吉の「パン種に対する注意」を記しておきます。

「口と手とをもって形式的に律法的にキリストに仕えんとする教会主義は、一種のパリサイのパン種である。

又福音の中より奇跡を除き、イエスの神の子に在し給うこと、十字架によりて罪を贖い、復活して神の右に在し、やがて再び来りて審判を行い給うこと等を除きて、キリスト教を一種の文化運動、社会運動に化せしめんとするものは一種のサドカイ主義である。

かくのごとく今日我らの世界においてもこの二主義が種々の形を為して存在しているのであって、我らはイエスを神の子と信ずる信仰によりてこのパン種を除くことをしなければならない」。

ユキが撮ったノスミレ.jpg昨日、裏庭でユキが見つけた野すみれ。今朝、私も撮ってみた。

今日は午後2時からサッカーだった。



@2017.3.jpg
これも昨日ユキがお友達と見つけたつくしの大群。
ユキに誘われて早速今朝、野すみれとツクシの大群を見に行った。

posted by 優子 at 16:48| 家の教会 | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

見よ、冬は過ぎ、花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた

昨日、アメリカの北東部は季節外れの大雪のため非常事態で、ニューヨークでは公立校は休校になり国連は閉鎖と報じていた。ワシントンでのトランプ大統領とメルケル首相との会談も延期されたというから、IMFも閉鎖になって真智たちも自宅勤務になっているのではないかと思う。

そういえば、次女夫婦がニューヨークに居た11〜12日は大丈夫だったのだろうか。次女の大学時代の友人が旅行でニューヨークに来るというので1泊2日で出かけていた。旧友との再会はとても楽しくリフレッシュできたと嬉しい短信が届いた。

私は今日、鶯の初鳴きを聞いた。「ホー、ホヘ」と、初鳴きとも言えない声だったが、あれは確かに鶯の声だった。この週末は暖かくなるとのこと、散歩しながら聖書の一句が唇に出た。

       「見よ、冬は過ぎ、
        雨もやんで、すでに去り、
        もろもろの花は地にあらわれ、
        鳥のさえずる時がきた。
        山ばとの声がわれわれの地に聞える」。
            
                 (雅歌2章11・12節)

ミネソタよりもはるかに暖かいワシントンだが関西よりもかなり気温が低い。しかし、毎年ワシントンの方が春は早いように感じる。2月末の散歩でワシントンの春を見つけて送ってくれていた。

まちも春を見つけた@.jpg
これは梅の花?・・・ではないよね・・・

Cまちも春を見つけた.jpg
これはクロッカスかな・・・
このほかネモフィラやクローバー(?)を送ってくれていた。

       
2017.3.16 オカメ桜.jpgでは日本からも身近な春を贈りたい。おかめ桜のことを思い出して、今日は5日ぶりに散歩に出た。
やっぱり満開になっていたが、全体を撮りたくても夕方なので影絵のような暗い写真になってしまうので断念した。
おかめ桜はカンヒザクラなので花は下を向いて咲く。
おかめ桜の開花が春の始まりを教えてくれる。そして、昨年からチャッピーを思い出す季節でもある。


散歩道で@.jpg

↑ これはキョン(2006年2月に死んだ利口な犬)の家の梅の木。↓
「キョン、チャッピーも死んでしまったよ」
もうかなり前からキョンの残像を思い出すこともない。

散歩道でA.jpg

散歩道でB.jpg

秋の金木犀のようにあちこちで甘い沈丁花の香りがする。
散歩道でC.jpg

ユキの手法で撮ってみた。
アップで!.jpg
でも心に迫ってこない。
ただクローズアップすればよいというものではない。

これは白い沈丁花。
白の沈丁花.jpg

そして、お向かいさんちの花。
これぞ目覚めの花!
冬眠から目覚めさせてくれるような鮮やかさだ。

お向かいさんの.jpg

IMG_2872.jpg

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」。

我が家の花はクロッカスだけ.jpg
我が家に咲いている花は、このクロッカスだけ。
しかも毎年咲くわけではない。本当の色は紫だ。 

これは昨日の18時前の夕日に映える二上山(雄岳)。
2017.3.15 17時57分.jpg

西の空を見ると日が沈むところだった。
こんなに強烈な夕日だったのに今日は数時間の晴れ間だった。
2017.3.15 17時58分.jpg

posted by 優子 at 22:10| 真智子(ワシントン便り) | 更新情報をチェックする